〜 Deaf culture 〜
皆さんのお友達の中に耳の聞こえない人はいますか?今日までいったい何人の耳の聞こえない人たちと出会ったでしょうか?今、deaf culture の中で cochlear implant について大きな波紋がもたらされている。果たして自分たちの耳の聞こえない子どもに cochlear implant をすべきかどうかという debate である。この debate をfilm にし、世界に呼びかけたのが Sound and Fury という documentary である。とても考えさせられる film である。
私は culture という点でとても考えさせられた。人は自分の culture を守る権利がある。特に deaf culture は長い歴史がある。しかし、cochlear implant によって彼らの歴史が幕を閉じる日がくるかもしれない。彼らにはその恐れがある。さらに彼らは deaf に生まれたことは identity だと話す。Best of both worlds を子どもたちに与えられないかと hearing world の人たちは話す。それが best ではないかとだ。しかし、deaf culture の彼らはそれをゆずれない。
たとえば二つの文化の中に生まれた子どもがいるとする。英語、日本語、アメリカ、日本というように両方の文化を経験できたらそれはすばらしいではないかと誰もが思いがちだ。しかし、文化によっては自分たちの文化にしがみつきたいこともある。ましてや自分の子どもが他の文化に取られることをさみしく思う人たちもいるのだ。子どもがアメリカの文化に触れることができたら、日本人としてのidentity を失ってしまうのではないか、日本語が話せなくなってしまうのではないか。日本という文化を本当にわからなくなってしまうのではないかという恐れを持つのだ。しかし、disability の世界とはちょっと比較はできないかもしれない。なんといっても majority は強いからだ。 Hearing world は強い。
特に deaf の両親は、子どもたちがdeaf culture に生まれたら、そこに keep したいのだ。ましてや communication ができなければ困る。しかし、hearing world がmajority の中で deaf child は孤立し、寂しい思いをする。それがわかるだけに、hearing world で生きる opportunity を与えたいと思うhearing parents もいるのだ。何が正しいなんて文化においてはないのかもしれない。