先月、我が家の愛犬、アビーが亡くなりました。アビーが亡くなった翌日から、4歳の娘はアビーにまた会いたいとくりかえし話していました。そして、娘は神様に手紙を書けないかと聞いてきたので、どうして?と聞いたところ、アビーが天国に行ったから、神様がアビーがわかるようにということでした。私はそれはいい考えだと思い、神様に何を伝えたいかを聞きました。そして、以下が彼女の神様への手紙でした。
神様、
私のアビーはきのう、死にました。今は天国にいると思いますが、神様はアビーの世話をしてくれますか?私はアビーにとても会いたいです。病気になってしまったけどもやっぱり私にアビーをくださって、神様、ありがとうございました。神様、アビーといっしょに遊んでくれますか?アビーはボールで遊ぶことと泳ぐことが好きなんですよ。そうそう、アビーってすぐわかるように、私とアビーの写真を入れておきますね。ああ、アビーにもう一度会いたいな。
メレディスより
封筒には上の手紙とアビーとメレディスの写真をいれ、宛名には、「神様 / 天国」と記しました。そして差出人と住所を書き添えておきました。娘は天国は遠いからといって、貼れるだけ切手を貼りました。その午後、郵便局のポストにその封筒を投函しました。数日後、娘は、「神様、手紙、読んだかな?」と尋ねてきたので、「そうね、きっと神様、読んだわよ。」と伝えました。
昨日、「メレディスへ」とかかれた小包が届きました。娘はさっそくその小包をあけました。その中には、ミスター・ロジャースの「ペットが死んだとき」というタイトルの本が入っていて、その表紙に娘が神様に出した手紙が貼ってありました。封筒は開封されていました。そしていっしょに送ったアビーと娘の写真も入っていて、一つの手紙が添えられていました。以下が手紙の内容です。
愛するメレディスへ
アビーは無事、天国に着きましたよ。写真があったからひと目でアビーであることがわかりましたよ。写真をありがとう。もうアビーの病気は治りましたよ。彼女の魂はここ、天国にあります。そう、メレディスの心の中にもあるように。アビーは犬に生まれてとても幸せだったそうですよ。そうそう、天国にはからだがないので、メレディスが送ってくれた手紙や写真を入れておくところがないので、この本といっしょに返すね。
すてきなお手紙をありがとう。そして手紙を書くのを手伝って、送るのも手伝ってくれたママにもお礼を言っておいてね。メレディスのママはすてきなママだね。実はメレディスのために特別に神様がママを選んだんだよ。神様は毎日メレディスが幸せでいられるように見守るからね。神様はメレディスのことをいつも思っているからね。そうそう、私は天国だけじゃなくて、愛があるところすべてにいるんだよ。
神様より
私達はなんと毎日、忙しく過ごしていることでしょう。ほとんどの人が次から次へとやらなくてはいけないことに毎日追われているのではないでしょうか?そしてそのような忙しい毎日の中で子どもを育てるとどのような結果になるでしょう?メレディスのように神様へ手紙を書く時間を子どもに作ってあげることはできないでしょう。そもそも、神様に手紙を書くという発想を受け止めてあげる余裕もないかもしれません。郵便局の職員のように幼い子どもの心を温かく受け止めてあげることもできないでしょう。子どもとの暮らしを本当の意味で楽しめるのは私達大人に余裕があってこそではないでしょうか?余裕がある人生こそ、この世の大切ななにかを教えてくれるのではないでしょうか?
「母親なんて割が合わないわ。毎日のご飯作り、片付け、掃除、洗濯、子どもの送り迎え、病気の子どもの看護、夜中でも起こされる・・・ああ、どれもこれも毎日の繰り返し。生産性はないし、ましてやまったく無報酬。これだけの仕事を外に頼んだら、すごいお金になるんじゃないの?」とそんな風に思う日もあるでしょう。世間からも専業主婦なんて言ったら無職と捉えられるし。お仕事は?なんて聞かれると、「ええ、ただの主婦です。」なんてうしろめたさを感じて応えてる自分がいる。堂々と自分を専業主婦、母親として誇りを持って言えている人はどれだけいるでしょうか?期限付きならまだともかく、いつ社会に復帰するかわからないとなおさら専業主婦ですなんて堂々と言えないかもしれません。アメリカではhomemaker とかなんとか響きのいい肩書きもあるけれども、やっぱりどこか報酬を得てないことへのうしろめたさが彼女達にもあるようです。
つまり母親の仕事の価値を世間は認識しようという姿勢がないのがとても気にかかります。母親の仕事ほどむずかしく、大切な仕事はこの世にないのではないかと私は思うのだ。そもそも一人の人間を痛い思いをしてからだから産み、さらに一生かけて育てる仕事なのです。しかも休みという休みはほとんどないでしょう。特に最初の18年間はほぼ子どもとべったりいっしょにいる暮らしです。しかもこの母親業という仕事は古代からあり、他の仕事はコンピューター化されたり、時代の流れについていけず消えていっても、母親業はいまだかつて健在なのです。こんなに安定した仕事はないほどではないでしょうか。
資格: 大学でも母親業を完璧にこなす準備はしてくれません。母親になるための本を読んでもあまり参考になりません。自分の持っているありとあらゆる要素が用いられ、もうほとんど現場で体験を通して学ぶしかありません。
技術: とにかくマルチタスクでなくては勤まりません。栄養を考えて献立を立てる栄養士、選んだ材料で料理をするシェフ、子どもの看病に当たる看護婦、心が傷ついたら悩みを聞くカウンセラー、宿題を手伝う先生、元気がないときには励ますチアリーダー。
収入: 会社勤めならせいぜい9時5時で仕事は終わるでしょう。しかし母親の仕事は終わることがありません。家の中でただひたすら家族のために日夜仕事を続けます。母親の報酬は金銭的な数字には表れませんが、子どもの笑顔であったり、成長であったり、ありがとうのひとことでしょう。
完璧な母親なんていないでしょう。けれども強いて言えば愛情を持って子どもに接し、やさしく、心配りをし、かついけないことに対してはきちんとノーと言い、一度決めたことに対してはとことんその方針を貫き、しつけがきちんとできる人でしょう。そして自分が間違ったことをしたときはきちんと子ども達の前でその過ちを認めてあやまれる人ではないでしょうか。
母親の仕事は決して身分の低い仕事ではありません。いや、むしろたいへん価値ある仕事です。それは次世代のノーベル賞受賞者を育てているからかもしれませんし、国を率いる首相を育てているかもしれないからです。子ども達に希望を与え、夢を育ませ、未来のリーダーを育てているからです。さあ、誇りを持ちましょう。母の日が父の日と比べてこれだけ意味があることが何よりもそれを語っているのではないでしょうか?
注 : Vincent Newfield の The Mission of Motherhood を一部参考にしました。
母の祈りがなければ、私は救われてなかった
母の祈りがなければ、私は命が輝くことはなかった
母の祈りがなければ、無条件の愛を知ることはなかった
神様、母のぬくもりを与えてください
神様、母のあの温かいまなざしで、この私を見守ってください
by H. Yunohara
神様、最近、私は子育てに悩んでいます。 自分の思い通りにならない子どもに対して 感情をあらわにして叱ってしまいます。
どうぞ、神様、私の心に 平安を与えてください
今、子育てに なんの希望も見出すことができません 助けてください
あなたが愛してくださっている 子ども達を 大人が支配するのではなく 私が愛をもって 仕える者としてなさせてください
by H. Yunohara
将来、子ども達の記憶の中に自分の存在をきざんでおきたいと思ったら、今、子ども達の生活の中に自分をおかなくてはならないでしょう。
子育てにおける賢いアドバイスはなに?と聞かれたら、「子ども達がまだ家にいるうちに楽しみなさい。」ということでしょう。
もし子ども達に離れて行ってほしくなかったら、愛情に満ちた家庭環境を築きましょう。つまり、ああ、うちが一番落ち着くな〜、ここに帰って来たいな、という家庭を築くことです。
母親として一番喜びを感じるときは、「子ども達が全員眠りについた時」 でしょう。
子ども達がいる時に家を片付けるということは、大雪の日に除雪を試みるのと同じでしょう。
目覚まし時計とは子どもがいない人のために開発されたものでしょう。
鮫島 浩二
おとうさん、おかあさん あなたたちのことを こう 呼ばせてください。
あなたたちが仲睦まじく結び合っている姿を見て
わたしは地上に降りる決心をしました。
きっと わたしの人生を豊かなものにしてくれると感じたからです。
汚れのない世界から地上に降りるのは勇気がいります。
地上での生活に不安をおぼえ 途中で引き返した友もいます。
拒絶され泣く泣く帰ってきた友もいます。
あなたのあたたかいふところに抱かれ 今 わたしは幸せを感じています。
おとうさん
私を受け入れた日のことを あなたはもう思い出せないでしょうか?
いたわりあい 求め合い 結び合った日のことを
永遠に続くと思われるほどの愛の強さで わたしを誘った日のことを
新しい いのちのいぶきを あなたがふっと予感した日のことを
そうです あの日 わたしがあなたを選びました。
おかあさん
わたしを知った日のことをおぼえていますか?
あなたはとまどいました。
あなたは不安におそわれました。
そしてあなたは わたしを受け入れて下さいました。
あなたの 一瞬の心のうつろいを わたしはよぉくおぼえています。
つわりのつらさの中で
わたしに思いを向けて自らを励ましたことを
わたしをうとましく思い もういらないとつぶやいたことを
わたしの重さに耐えかねて、自分を情けないと責めたことを
わたしは よぉくおぼえています。
おかあさん
あなたとわたしはひとつです。
あなたが笑い 喜ぶときに わたしは幸せに満たされます。
あなたが怒り 悲しむときに わたしは不安に襲われます。
あなたが憩い くつろぐときに わたしは眠りに誘われます。
あなたの思いはわたしの思い
あなたとわたしはひとつです。
おかあさん
わたしのためのあなたの努力をわたしは決して忘れません。
お酒をやめ 煙草を避け 好きなコーヒーも減らしましたね。
たくさん食べたい誘惑と本当によく戦っていますね。
わたしのために散歩をし 地上の素晴らしさを教えてくれましたね。 すべての努力はわたしのため あなたを誇りに思います。
おかあさん
あなたの期待の大きさに ちょっぴり不安を感じます。
わたしの顔はあなたをがっかりさせるでしょうか?
わたしの身体はあなたに軽蔑されるでしょうか?
わたしの性格にあなたはためいきするでしょうか?
わたしのすべては 神様とあなたたちからのプレゼント
わたしはこころよく受け入れました。
きっとこんなわたしが いちばん愛されると信じたから。
おかあさん
あなたにまみえる日はまもなくです。
その日を思うとわたしは喜びに満たされます。
わたしと一緒にお産をしましょう。
わたしがあなたを励まします。
あなたの意志で廻ります。
あなたのイメージで降りていきます。
わたしはあなたをこよなく愛し、信頼しています。
おとうさん
あなたに抱かれる日はまもなくです。
その日を思うとわたしの胸は高鳴ります。
わたしたちといっしょにお産をしましょう。
あなたのやさしい声が わたしたちに安らぎを与えてくれます。
あなたの力強い声が わたしたちに力を与えてくれます。
あなたのあたたかいまなざしが わたしたちに励ましを与えてくれます。
わたしたちはあなたをこよなく愛し 信頼しています。
おとうさん おかあさん
あなたたちのことを こう 呼ばせて下さい。
あなたたちが仲睦まじく結び合っている姿を見て
わたしは地上に降りる決心をしました。
きっと わたしの人生を豊かなものにしてくれると感じたからです。
おとうさん おかあさん
いま わたしは思っています。
わたしの選びは正しかった と。
わたしがあなたたちを選びました。
その母親は、白血病で余命があまりない6歳の息子を見つめていました。彼女の心は悲しみに満ちていましたが、強い決意をもっていました。どの母親でも望むように、彼女も子どもに夢をかなえさせて上げたいと願っていました。しかし、それが不可能となったいま、せめてなにかできないかと考えていました。彼女は息子の手をとって、「ねえ、亮くん、大きくなったら何になりたい?」と聞きました。そして亮くんは、「うん、ぼくはね、大きくなったら消防士になりたいといつも思ってたんだよ。」と応えました。
その日の午後、彼女は近くの消防署に出向きました。そこで消防士の村田さんに出会いました。彼女は村田さんに亮くんの状況を伝え、もしできたら、一回だけ消防自動車に乗せてもらえないか聞きました。そうしたら、村田さんは、「いや、もっといい考えがありますよ。息子さんを朝の7時にここに連れてきてください。そして1日消防士を体験させてあげましょう。ここでいっしょに食べ、いっしょに活動に出て、戻ってきてここでの生活をともに過ごしましょう。」と言いました。そして、「そうだ、亮くんの寸法を教えてください。こちらで消防服をあつらいますので。長靴、消防服、ヘルメットまで全部本物を用意しましょう。」と言いました。
1日消防士体験の日、村田さんは、病院に入院している亮くんを迎えに来ました。そして、そこで亮くんにあつらえたての消防服を着させました。亮くんはそれはそれは誇らしげに看護師さんたちに見せていました。その喜ぶ姿は末期の子どもとは思えませんでした。病院の外には消防車が待機していました。亮くんは消防車に乗り込み、もう天国にいった気分でした。その日一日、消火活動やら、緊急救命にも出かけました。消防署にあるいくつかの車にも乗せてもらいました。
夕方のニュースにも亮くんのことが取り上げられました。亮くんは夢がかなったことで、生きる力を取り戻し、医師から宣告された余命期間を3ヶ月も長く生きました。しかし、白血病は確実に亮くんのからだをむしばんでいき、とうとうある晩、急変が訪れました。看護師は、亮くんが一人でさみしく亡くなってはいけないと信じ、家族にすぐ電話をかけました。そして、消防士の村田さんを思い出したのです。彼女は、すぐ消防署に連絡を入れ、村田さんに状況を伝え、病院にかけつけてもらえないか頼みました。村田さんはいつものように、「いや、もっといい考えがありますよ。もちろんいきますとも。5分でそちらにつきます。しかし、ひとつお願いがあります。サイレンが聞こえても、病院の人たちに火事ではないことをアナウンスしていただけますか?そして、私たちが、名誉消防士に会いにいくことを伝えてください。そして亮くんの部屋の窓のかぎをあけておいてください。」と伝えました。
その5分後、だんだんサイレンが病院に近づくのを亮くんは気が付きました。窓があけられ、そこにははしごがかけられました。そして、そこに現れたのは村田さんをはじめとする16人の消防士の姿でした。お母さんの許可を得て、消防士一人一人が亮くんに最後の別れのハッグをしました。もう少しで息が絶えるというところで、亮くんは、村田さんに、「ねえ、村田さん、僕はほんものの消防士になれたの?」と聞きました。そして村田さんは、「そうだよ。亮くん、君はりっぱな消防士だよ。」と応えました。そしてそのことばを最後に亮くんは安心したように微笑んで、目を閉じました。(Author Unknown-translated and copyright with Nora Kohri)
私が働く小児病院ではがん病棟があります。ここでは化学療法を受けている子どもたちがつるつるの頭で病気と闘っています。子どもたちのがんばる姿もさることながら、彼らを支える人たちの役割りを考えざるを得ません。必ずしも命にかかわる病気にかかっていなくても、海外で育っている子どもたちの中には、心の病にかかっている子どももおおぜいいます。幼稚園にいきたくない、現地の子どもたちからいじめられている、先生から無視されている、ことばがわからないから仲間はずれにされた、肌の色が違うから仲間に入れてもらえない、学校の勉強にどうしてもついていけないなど小さなからだで多くのチャレンジに向かっています。そこで私たちができることはなんなのでしょう?村田さんの大きな心もさることながら、彼から学べることは、常識の概念をとりはずした発想ではないでしょうか?私たちは今の状況に「しょうがない」、「仕方がない」と思いがちですが、そうでしょうか?常識の枠を超えるとそこには無限の可能性があるのではないでしょうか?子どもたちの立場にたって、本当に何を彼らが求めているかを理解するにあたってそのような発想が必要なのではないでしょうか? ノーラ・コーリ
誰かがこんなことを言っていましったっけ? 赤ちゃんを産んだ後、もとに戻るのにだいたい6週間はかかるって。
けどおそらくその人は、一度母親になったら、もう二度と 「もと」になんて戻れないことを知らないんでしょうね。
誰かがこんなことを言っていましったっけ? 母性なんて本能よ! って。
けどおそらくその人は、 3歳児をつれて買い物に行ったことがないんでしょうね。
誰かがこんなことを言っていましったっけ? 母親の仕事つまんないわよ! って。
けどおそらくその人は 免許取立てのティーエージャーが運転する車の助手席にすわったことがないんでしょうね。
誰かがこんなことを言っていましったっけ? いい母親からはいい子が生まれるって。
けどおそらくその人は 子どもって取り扱い説明書と保証書がついて生まれると思ってるのでしょうね。
誰かがこんなことを言っていましったっけ? よい母親は決して声を上げないって。
けどおそらくその人は 子どもがとなりの頑固おやじの家の窓ガラスを投げたボールで割った瞬間に出くわしたことがないのでしょうね。
誰かがこんなことを言っていましったっけ? 母親になるのに特に教育は必要ないって。
けどおそらくその人は 小学校4年生の子どもの算数を見てあげたことがないのでしょうね。
誰かがこんなことを言っていましったっけ? 五番目の子どもは最初の子と比べて愛情のかけ方が違うって。
けどおそらくその人は 5人の子どもを持ったことがないんでしょうね。
誰かがこんなことを言っていましったっけ? 子育てに関する答えはすべて育児書にあるって。
けどおそらくその人は 子どもが鼻や耳に豆を入れるという事件に遭遇したことがないんでしょうね。
誰かがこんなことを言っていましったっけ? 母親として一番苦しい経験はお産の痛みだって。
けどおそらくその人は 子どもが初めて一人で幼稚園バスに乗っていくのを見送ったことがないんでしょうね。
あるいは 病気の6歳の子どもを一人で病院においていったことも。
誰かがこんなことを言っていましったっけ? 何年も母親をしていればもう目をつむって片手だけでも子どもの世話ができるって。
けどおそらくその人は いっぺんに4人の3歳児を預かったことはないんでしょうね。
誰かがこんなことを言っていましったっけ? 子どもも結婚すればもう子どもの心配からは解放されるって。
けどおそらくその人は 子どもが結婚することによって母親心が新たに嫁達や婿たちに向けられることを知らないんでしょうね。
誰かがこんなことを言っていましったっけ? 母親の仕事も一番末の子どもが家を出たら、それで終わりだって。
けどおそらくその人は 孫がいなかったんでしょうね。(Author Unknown - translated by and copyright with Nora Kohri)
先日30代の女性の多くが子どもを産もうか産むまいか迷っているという話を聞き、彼女達は本当の意味で子どもを持つすばらしさを理解していないんだろうなと思いました。というのも、もし母親になるすばらしさを本当の意味で知っていたら、迷わず子どもを産むと思ったからです。おそらく周りから、けど自分の時間がなくなるわよ、子育てってすごく自分を犠牲にするんだからとか言われてきたからではないでしょうか?確かに我慢しなくてはいけないことはいっぱいあるでしょう。しかしそれ以上に得るものが多いのが子育てではないでしょうか?それは喜びも苦しみも超えたすばらしさだと私は思います。おそらくことばでは表せないものではないでしょうか?私も息子の療養のために施設に彼を一人置いていった晩、一生の中であれほど激しく泣いたことはないのではないかというほど泣きはらしたのを覚えています。こういった経験も子どもを持つすばらしさだということを子どもをまだ持っていない人に伝えるのはむずかしく感じます。しかしやはり、絶対後悔しないから、産めるなら産んでと迷っている人たちには伝えたいです。
姿勢、心の持ちよう − 年をとるごとに私は考えさせられる。それはいかに私達の心の持ちようが自分の人生に反映するかということだ。
心の持ちよう − おそらく私にとって心の持ちようは実際に起きていること以上に大切だ。それは自分の生い立ちよりも、過去に起きたさまざまな経験よりも、自分の経歴よりも、自分が受けた高等教育よりも、持っているお金よりも、今ある状況よりも、過去の失敗よりも、今までの功績を反映する成功よりも、他の人の考えあるいは名言、あるいは成し遂げたこと以上に大切だ。それは自分の外見よりも、生まれ持った才能よりも、築いた技術よりも大切だ。私達がものごとに対する姿勢は会社を、家庭を壊すことすらできるだろう。つまりものごとへの姿勢次第で自分の人生を失敗へも追いやることができるし、成功へ導くこともできる。しかしその成功とはあくまでも自分から見た成功なのだ。
そしてすばらしいことは私達は毎日どのような姿勢や態度を持ちたいかを選べることだ。過去は変えることはできない。流産、解雇など避けることができない事件やできごとも起こるだろう。しかし私達は自分の心の持ちようをいかようにもコントロールすることができることだ。
私にとって人生は10%ができごとで成り立ち、残りの90%はそのできごとに対して自分がどのような反応を示すかによって決まると信じている。だから自分がものごとにどのように対応するかコントロールすることによって自分の人生を幸せにも不幸にも変えられるということだ。幸せはいかようにも自分の手の中にあるのだ。そしてもちろん、私はこれからもずっと幸せになることを選びたい。I choose to be happy.
