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心に栄養

海外での子育て、日本人や現地の人との人間関係、子ども達自身の異文化での葛藤など、とかくストレスの多いものです。緊張の連続です。そんな皆様の心のやすらぎのために次のお話をのせました。疲れたときに読んで元気を出してください。ここの数々のお話しは、母と子、親子、夫婦、人生、やさしさ、愛情、などをテーマにしました。


子ども達の目 本当のやさしさ 命のふれあい 夫の送った天使
今日という一日 幸せ この一瞬の大切さ 子どもが生まれる前は
愛の箱 穴のあいた桶 人生について学んだこと 子どもからのメッセージ
ああ、ありがたい 母親になること 決して忘れないで 1時間いくら?
子育て 私があなたを選びました 小さな消防士 誰かがこんなこと言ってましたっけ?
母の祈り 子育てに疲れたときの祈り 母親の役割り  神様への手紙 
心の持ちよう      

1時間いくら?

長い1日を終え、今日も父親はくたくたになって家に帰ってきました。ドアをあけるとそこには、パジャマ姿の6才の我が子が立っていました。 
「パパ、おかえり」
 
「なに?」
 
「ねえ、パパは1時間はたらいたらいくらもらえるの?」
「そんなこと子どもが知らなくてもいいよ。」

そしておこったあと、なんでそんなことを知りたいのかとその父親は疑問に思いました。

父: 「なんでそんなこと聞いたの?」
「うん、ちょっと知りたいと思ったから」「そうか、1時間 2000円だよ。」
「ねえ、パパ、1000円でいっから貸してくれる?」
「そんな大金どうするんだい?おもちゃなら今度の誕生日だよ。必要なものはママに聞きなさい。さあ、もう遅いからさっさと寝なさい!」

男の子はがっかりした顔をして肩を落として部屋に向かい、ふとんの中にもぐりこみました。遅い夕食を終えた後、父親はちょっと言いすぎたかな?と思って、なぜ1000円も必要なのか、考えめぐらせました。まず理由なくして1000円もほしいという子でないことを知っていたからです。

父: 「しんちゃん、もうねた?」
「ううん、まだ起きてるよ。」「さっきはごめんな。パパ、疲れててちょっといらいらしてたかも。1000円必要なのかい?ほら、じゃ、ちゃんとあとで返すんだよ。」
「ええ、いいの?ほんと、ありがと〜」

男の子は枕の下に隠してあった残りのお金を数え始め、もらった1000円札のしわをのばして、お金を数え始めました。

父: 「おい、ちょっとまてよ。お金は十分あるんじゃないか」
「ううん、足りなかったの」
「なんのためのお金なの?」
「うん、これでやっと2000円になったよ。パパの1時間くれる?」

私は、この話を読み進みながら、きっと子どもがお父さんに何かをプレゼントするのかと思っていました。しかし最後の一行に達したとき、彼がパパの時間をほしかったのを知り、とても心が痛みました。子どもたちは私たち親から本当にほしいのはお金でもなければ、おもちゃでもなく、私たちの時間と愛情なのですね。Nora

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ああ、ありがたい、ありがたい

英語も話せない、仕事にもつけない、十分なお金がない、あああ、まだまだ多くのことに満たされていない今の私。けどそれでよかったんだ。 だって、もしすべてにおいて満たされていたら、この先期待するものがなにもないじゃない?向上心も育たないじゃない?だからまだまだたくさん欠けている状況にThank you !

ああ、本当に知らなかった。知ってびっくり。けれども、それでよかった。 だって、知らないから学ぼうという意欲が生まれたんだもん。だから無知だったことに感謝!感謝!

海外に住み始めてつらいことがいっぱいあった。 けれども大変だったからこそそれを乗り越える力もついたし、自分はかなり成長したもん!だから、これからもつらいことがあっても 謝謝!(中国語)

今の自分に限界を感じるな〜。英語もちっともうまくならない。けどその限界を感じるからもっと違う方法でそれを乗り越えていこうという意欲がわくんだもん。だから今、感じてる限界に Merci !(フランス語)

ああ、ことばさえ話せたらな〜。けど今日も新たなチャレンジに挑戦しなくちゃ!けれどもそれでいいんだ。だってチャレンジをすることによってもっと強くなるし、自分の性格もきっといい方向へ鍛えられてるんだもん!だからつらいチャレンジに Gracias !(スペイン語)

ああ、恥ずかしかった。今日は大失敗しちゃった。けれどもこれでよかったんだ。だって本当の意味での教訓だったもん!失敗からおおいに学んだもん。 だから失敗に Terima kasih ! (マレー語)

もうすごく疲れた。日本のように思うようにいかないよ〜。もうこれ以上の力は発揮できない。けれどもそれでよかったんだ。 だって、きっと少しは何かが変わったはずだもん。だから疲れたことにも コープクンカップ (タイ語)

原作者不明ですが of Nora's version

いいことに対してはすぐにうれしいとか、よかったとか、ありがたいって素直に思えるけれども、つらいことや苦しいことをありがたいとは受け止めにくい。けれどもどのような状況においてもそれをありがたいと受け止められる人は、きっとネガティブな状況をどんどんポジティブに変えていく力を備えているのだろう。本当に豊かな人生を満喫している人はきっと落ち込むような状況をもありがたいと受け止められる人なのだろうな。

私はそんな人間になりたい。これって気持ちの問題だからお金もかからないし、自分を強い人間に変える必要もない。ただいつもありがたいっていう気持ちさえあればいいんだから。そんなにむずかしくないはず。何もかもありがたい。そう思ったらなんか心が軽くなった感じ。そう、今日こうして生きていることもありがたいことなのだ。子どもがいるってこと事態すごくありがたいのだ。海外に住んでいること、これも自分を豊かにするすばらしい機会を与えられているのだ。もうこれ以上何を望もうであろうか。これ以上の幸せはないはず。

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母親になるということ

 仕事ばりばりのキャリアウーマンという佐恵子に久しぶりに会いました。私は早くに子供を産み、子どもの話ししか話題がなくなり、その頃からなんとなく彼女とは疎遠になっていました。いったいなんでこんな私に会う気になったのかしらと疑問に思いながらランチをいっしょにしました。彼女は何気なく、「ねえ、そろそろ赤ちゃんでも考えてるんだけれども、どう思う?」と聞いてきました。

その最初のひとことで私はとっさにどのように答えたらよいのか一瞬戸惑いましたが、とりあえず、「まあ、自分が変わるわよ。」と何気なくかわしました。

「そうね、わかってるわ。もう週末も寝坊できないだろうし。急に思い立って旅に出るなんて無理になるかもね。」と彼女は言い返しました。しかし私の脳裏には別なことがよぎっていました。私は彼女に母親学級なんかでは決して教えてくれないようなことを本当は伝えたかったのです。もちろんお産を終えた後のからだの傷はいつかは治るでしょう。しかし母親になることで精神的に心がものすごくもろくなることを私は伝えたかったのです。

登校中での交通事故、誘拐事件、などのニュースを聞くたびに彼女は、「ああ、もし我が子だったら」と直感的に思うようになるでしょう。学校からの帰りが遅い時、車の急ブレーキや救急車の音を聞いて、何度「まさか、けんちゃんじゃないわよね。」と何度自分に言い聞かせることでしょう。子どもが迷子になって見つけた時、抱きしめる前に怒ってしまうそんな感情的な自分に向き合うでしょう。アフガニスタンの子どもが飢えに苦しむ写真を見れば、子どもが死んでいく姿を何もできずにただ見つめることがどれほど苦しいことかを胸が痛くなるほど感じるでしょう。戦後、子どもの命を救うために中国に子どもを置き去りにしなくてはならなかった母親の泣き叫ぶ姿をテレビで見て、自分もいっしょに泣くようになるでしょう。

彼女のきれいなマニュキュアをぬった長い爪、ビシッと決めたスーツは私にとって遠い昔の姿でした。けれども母親になったら彼女も動物の本能を剥き出しにして我が子を危機から救う、守りの姿勢に入るでしょう。「ママ!」と子どもが呼ぶそのひと声で彼女も手にしていた大切なクリスタルガラスを落として我が子を救いに行くでしょう。

彼女の過去15年間のキャリアも母親ということでそれが一瞬、姿を隠すこともあるでしょう。ミーティングの最中にふと赤ちゃんのあの甘い独特な香りを思い出したり、子どもが熱を出して実家に預けてきた時は、大丈夫だと知りながらもきっと仕事が手につかないでしょう。

またこれから子どものことについて何か決める時はビジネスのように割り切って決められないことに気づくでしょう。5才になった息子が公園のトイレに行く時、女性トイレにいっしょに連れていったほうがいいのか、それとも男性用トイレに一人で行かせたらよいのかすごく悩むでしょう。自立の為、男としての意識を育てる為にとかいろいろ考える前にもしかしたらその男トイレの中に悪い人がひそんでいるかもしれないということをまず考えるでしょう。オフィスではずば抜けたアイディアを出していても、これからはきっと母親の立場からどう捉えるかということで二の足を踏むでしょう。

キャリアウーマンとして自信満々の彼女を見ながら、もう今の彼女は二度と見られないと思いました。それは赤ちゃんを産んだ後に仕事に戻る彼女は新しい彼女になっているからです。今の仕事第一の人生も子どもが生れることで仕事と家庭の優先順位が変わるかもしれません。子どもが障害を持って生れてきたり、大きな手術をすると決まれば、彼女はきっぱりと仕事を辞め、子どものそばにいることを選ぶのではないでしょうか。そしてこれからは彼女自身の目標ではなくなり、子どもの目標を夢見るようになるでしょう。

帝王切開の傷も、妊娠線も、子どもを産んだ勲章に写ることを彼女は知るでしょう。

ご主人を見る目も変わるでしょう。今はおむつを替えている男性なんてあまり魅力を感じないと言っているけれども、彼が赤ちゃんのおしりをそっと持ち上げおむつを替えたり、おしりにパウダーをつけたり、子どもといっしょに遊ぶそんな姿を見て、きっと彼女はまた彼にほれなおすことでしょう。

多くの女性が戦争に必死に反対したり、人種差別をなくすことで戦ったり、飲酒運転を防ごうと運動をしたりしてきました。彼女が母親になったらこれらの女性にきっと共感できるようになると思います。たいていのことには冷静に考えられる私が、子どもに危険な交差点に信号を設置しようと署名運動を起こし、警察まで出向いた時は、別人のようだと言われたけれどもそれがどこから来ているかもうすぐ彼女もわかることでしょう。

他にもまだたくさん伝えたいことが思い浮かびました。赤ちゃんが初めて笑った時をカメラに収めようと必死になったこと。初めて立ったとき手を叩いてばかみたいに親戚中に報告したこと。動物に初めて吠えられてびっくりした時の顔。子どもが初めて補助輪無しの自転車をこいだ時の感動。これらが真の喜びであり、なんとも言えない大きな幸せをこの子達が私達の人生に運んできてくれること。このような喜びが涙に変わる瞬間を彼女にも経験してほしいと思いました。

こんなことを思い浮かべていたらいつのまにか私の目は涙でうるんでいました。彼女は大丈夫?と声をかけ、私は、「うん、大丈夫。佐恵子、絶対に後悔しないから。それだけは保障する。」と言って彼女の手を握り締めました。もし与えられた赤ちゃんが宝であるならば、母親になれることは大きな恵と言えるかもしれませんね。

原作者不明ですが of Nora's version

この話しを読んだ時私はすべてにおいて共感を覚えました。きっと皆さんも同じだと思います。母は強しと言いますが、それは動物的な本能のようなものかもしれません。あらゆる過去の私の子どもを守る戦いが思い浮かびました。息子が学校でいじめにあっていた頃、懇談会で必死に子どもをいじめないでほしいと他の母親に涙を流しながら訴えたこと。(今も思い出すたびに涙があふれます。)児童館で息子が袋叩きにされたときは、いじめた子ども達に警察に訴えてやるとすごいけんまくで怒ったこと。安全なバスルートに変えてほしいと地域の親を集め、学校を相手取ってバス会社に交渉したこと。2才だった息子がナーサリーから帰ってきて首にあざを見つけた時は、小児科医に飛んで行って診断書を書いてもらいナーサリーに抗議しました。そのような行動をとっている時の私はまさにひなをきつねから必死に守ろうとするめんどりでした。一度母親、一生母親。私はこの本能できっと子ども達がいくつになっても何かあったときは彼らを危険から守るのでしょう。"Nobody is going to hurt my baby, NOBODY"

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ねえ、教えて

ねえ、教えて

いつ出かけるの?いつ帰ってくるの?どのくらいいないの?

ねえ、教えて

だってわからないとこわいんだもん。教えてくれれば、心の準備ができるんだもん、ママがいなくなる間

どうやって過ごしたらいいかとか、誰がぼくのことをみてくれるのかとか、何をするのかとか

何が起こるかがわかれば、ママのことをもっと信じられるようになるんだよ

だから教えて、何が起きるのかも教えて

だって、ぼく、大きくなろうとしてるんだもん

いろんなことを覚えてようとしてるんだもん

いろんなことを知ろうとしてるんだもん

だから教えて

by Fred McFeely Rogers ノーラ訳 version

この詩は子ども達をこよなく愛したMr. Rogers の詩です。子どもにこれからどこへいくのかとかそこで何をするのかなど伝えることはとても簡単なことでありながら、いかに私達は子どもだからと軽く見て、子どもは親についてくればいいのと勝手に思い、どこへでも黙って連れていっていることでしょう。特に異国の地で子どもが見知らぬ人に預けられた時の不安はものすごいものだと思います。ことばも通じない、すがる親はいなくなる、なにをされるかわからないという状態で数時間親の帰りを待たなくてはなりません。ずっと3時間泣いていたと伝えられたら、ちょっと子ども達がこのような気持ちであったということを知ってください。そのため、どんなに小さなことばのわからない赤ちゃんでも、一番頼り、信頼しているママがその場を離れるときはどこへいくのか、一人残されても見てくれる人がいるから大丈夫だということをしっかりと伝えてあげてください。そして必ず帰って来るということも。

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子どもからのメッセージ

ぼくを甘やかさないで

ほしいもの全部もらえないの知ってるんだよ。ただママを試してるだけだよ。

怒ったっていいんだよ。

むしろ怒ってほしいんだよ。かえって怒ってくれたほうがぼくは安心するんだよ。

悪い習慣はつけさせないでね

だって、早めに悪い習慣はつけないようにしなくちゃいけないし、それを言ってくれるのはパパやママだけだもん。

あまりこども扱いしないでね

まだ子どもだなんて言われると、かえってばかみたいに背伸びしちゃうから。

みんなの前で叱らないでね

誰もいないところで言われたほうがちゃんと頭に残るからね。

今、いろんなこと、試したくってしょうがないこと覚えていてね

だってもうたまらなくチャレンジしていろいろなことを学んでるんだもん。だからもう少し我慢してね

「ほら、いったでしょ」でいいんだよ

時には失敗から学ばなくてはいけないこともあるからね

失敗しても「ほら、バチが当った」とは言わないでね

失敗は罰じゃないよ。そんなこと言われるとぼくの価値観を否定されたように思うから

「ママなんか大っきらい!」っていうことあるけどさ、そんなに悲しまないで

それはママがきらいなんじゃなくて、ママがぼくを権力で押さえつけようとすることへの反発だから

外ではかっこいいこと言ってるけれども、黙って見ててね

時にはそんな形でみんなの注意を引かなくちゃ行けないときもあるんだよ、こどもも気つかってんだ

いちいち、あれしろ、これしろってうるさく言わないでね

だって自分を弁護する為にいいわけを作らなくちゃいけないから、そんな時無視するよ

あのね、まだまだ上手に口で説明できないこともあることを覚えておいてね

うまく言いたくても言えないから、説明を迫られても的確に答えられないんだよ

時にはうそをつくことも許してね

だってそんなにいつも正直でいるのってつらいんだもん

言ってることをコロコロ変えないでね

だってぼくの頭がこんがらがっちゃうんだもん。そしてママ達を信じていいのか迷っちゃうもん

なんか教えてほしいとき、「あとで」ってあんまり言わないでよ

だって、もう聞くの疲れちゃうもん。そして答えを探しに他の所へ行っちゃうよ。

こわいって言った時は信じてよ、ぼくをバカにしないでよ

だって、本当にこわいんだもん

大人だからって完全なんだ、間違えることはないなんていわないで

だってそうじゃないって分かるとすごくショックなんだもん

親だからあやまらないんだなんて思わないで

だって「ごめんね、ママが悪かった」って言ってくれたとき、ママ、すごくやさしくうつったもん

ぼくが今、すごい勢いで大きくなっていることを忘れないでね

ママ達はあきれて、付き合えないと思っているようだけれど、もうちょっとつきあってね

 

作者不明ですが、ノーラ version

これは Memos from your child を引用し、私なりに訳したものです。子育て真っ最中のときはとかく子ども達の視点に立つこを忘れがちです。この子どもからのメッセージはそれを的確にremind させてくれるものだと思います.しかも年齢幅も広く、その時期その時期に読み起こしても訴えるものがあると思います。どうぞ皆さんもちょっと視点を変えてこどもの立場に立ってみてみましょう。彼らの世界ってまだまだ不安に満ちていて、一人じゃどうしようもない所に立たされています。背伸びしようといっしょうけんめいで、それでいてまだこける。そのような状態だからこそ私達の温かい見守りが必要なのですよね。 Nora

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子ども達の目

 

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?ママがぼくの描いた絵を壁に貼ってくれたとき、ぼくはもうすっごくうれしくってもう一枚描きたくなったんだよ。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?この前、公園に捨てられていた猫にミルクをもっていったとき、動物にはやさしくしなくちゃいけないんだって思ったよ。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?ぼくの大好きなシュークリームを作ってくれたとき、ぼくは小さなことでも一生忘れない思い出になることがあることを知ったんだよ。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?ぼくが病気で熱を出してた時に、そばで祈ってくれたよね。その時ぼくは困ったときにはいつでも神様とお話しすれば安心できるってことがわかったよ。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?隣のおばちゃんが病気だった時にごはんをもっていってあげたよね。あの時困ったときはお互いに助けあわなくちゃいけないってことを知ったよ。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?郵便局に振り込みに行ったとき、あれは地震で困っている人にお金をあげたんでしょ?そのとき思ったよ。そうか、持っている人は持っていない人に持っているものを分けなくてはいけないってことを。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?ぼくがぐっすり寝てたと思って、ほっぺにキスして、おやすみって言ったでしょ?あの時ね、ぼくまだ起きてて本当は薄目してたんだよ。あのとき、あんまりママがやさしくて、ママにもキスしたくなったんだよ。なんかすごくぼくはママだけのものって感じがして、うれしくて、安心したよ。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?夜中になってもまだキッチンのお片づけしたり、あしたのごはんの準備をしたり、ぼくの脱いだ服を拾ったりしてるママをぼくは階段から見てたんだよ。ママがぼくたち家族のこともお家のこともとてもとても大切にしてることがわかったよ。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?あの交通事故にあったおじいさんのそばに一番先にかけつけたママの姿を見て、ぼくは自分の命より人の命を救うことが一番大きな愛だってことを知ったよ。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?ぼくはママがいつもパソコンばかりしててきらいっていってるけれども、本当はママが困っている人の相談にのって夜中までがんばっていることを知ってるんだ。だから「ぼくよりパソコンの方が好きなんでしょ!」なんてもう言わないね。人のためになにかすることがこんなにママを生き生きとさせてるのがわかったよ。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?ママは熱があっても翻訳の仕事をお約束の日までにやらなくちゃいけないってがんばってたよね。あの時、お仕事ってすごく責任があることなんだなって思ったよ。だからぼくも水曜日のゴミだしは忘れないでちゃんとするね。いつも忘れててごめんね、ママ。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?テレビを見ながらママが泣いてるの、知ってたんだよ。そのとき、悲しいときや、心がつらくなったときは大人でも人間なんだから涙を流してもいいってことを知ったよ。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?ぼくはこれから大人になるけれども、よい人間とか、社会のために働くってどういうことかをママを見てるだけで全部わかったような気がするよ。

ねえ、ママ、ぼくちゃんと知ってるんだよ?ママを喜ばすことばはパパの「じゃ、デートにいこうか?」ってことを。ぼくも彼女ができたら必ず大切にするよ。

ねえ、ママ、知らなかったでしょ?ママはぼく、見てないと思ってるでしょ?けどぼくはちゃんとママの見える所にいるんだよ。だってママが大好きなんだもん。だからちょっと言ってもいい?「ママは知らないでぼくに見せてたたくさんのことを本当にありがとう。」

作者不明ですが、ノーラ version

子ども達は思いのほか、私達おとなの行動を察知し、観察し、分析し、自分のものとして身につけ、学んでいます。皆さんの考え方、行動そのものが子ども達に反映されます。ことばで伝えているもの以上に、私達の行動から子ども達は学んでいます。現地の人達に対する偏見、日本人としてのちょっとしたしぐさ、こういったものを子ども達は細かく察して自分の中に植え込んで行きます。 Nora

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本当のやさしさ

ある病院の1室にふたりの重症患者が入院していました。一人の男性の患者さんは1日1時間だけ肺から体液を出すために起き上がっていました。その患者さんのベッドは窓際の位置にありました。しかしもう一人の患者さんは1日中寝た状態でいました。

二人の患者さんはよく話をしました。奥さんのことや家族のこと、家のことや仕事のこと、以前軍隊での話、そして休暇の話しなどとにかく話はつきませんでした。そして午後になると窓際の患者さんは起きあがることができたので窓の外に見える光景を寝たきりのもう一人の患者さんに説明しました。そしてあまりにもその光景が楽しいので、寝たきりの患者さんはその午後の1時間を楽しみにするようになりました。窓際の患者さんは丁寧に外の様子を手に取るように説明しました。

その窓からは美しい湖が隣接する公園が見えていました。子ども達は湖にボートを浮かばせ、あひるやスワンは水辺で穏やかな午後を過ごしていました。季節の花はそれは虹色のごとく公園を歩く人達の目を楽しませていました。若いカップルもその公園を散策し、愛を語っていたのでしょうか。大きな古い木は緑の公園に調和を与え、遠くには都会のビルが立ちそびえていました。

窓際の患者さんは詳細に光景を寝たきりの患者さんに伝えましたので、寝たきりの患者さんはその光景を目をつむって想像していました。ある温かい午後のことでした。窓際の患者さんは公園の中を通るパレードの様子を伝えてきました。音楽でも聞こえてくるかと期待していましたが、音は聞こえなかったので、寝たきりの患者さんはただ目を閉じてその情景を目に焼きつけようとしました。

その後何日も、何週間も時は過ぎていきました。そしてある日、看護婦さんが体を拭こうと窓際の患者さんの所にやって来たら、息絶えて横たわっていました。窓際の患者さんは寝ている間に静かに平和に永遠の眠りについたのでした。

しばらくして寝たきりの患者さんは看護婦さんに窓際のベッドに移動させてもらえるか聞きました。看護婦は喜んで寝たきりの患者さんを移動させ、部屋を去りました。寝たきりの患者さんはどうしても窓の外の様子を見たいため、痛みをこらえながらも期待に胸をふくらませて、無理しながら上体を起こしました。やっとこれで自分で外の様子が見れると思いうれしさに満ちあふれていました。

そして体をゆっくりと窓に向ってまわし、ちょうど外が見える位置に来ました。しかし窓から見えるのはただ真っ白な壁でした。寝たきりだった患者さんは看護婦になぜ亡くなった窓際の患者さんはあれほど熱心に外の様子を伝えたのか不思議と思い、聞きました。

看護婦は言いました。「あの患者さんは目が見えなかったんですよ。だから窓の外が壁であった事すら知らなかったんですよ。」と言い、次に続けて、「おそらく、あの患者さんはあなたを力づけたかったのでしょうね。」と言いました。

作者不明

たとえ自分自身がどのような状態であろうが、人を喜ばせることはできます。また人を喜ばすことのできることほど大きな喜びはないはずです。つらいとき、苦しいときにそれをだれかと分かち合うことでそのつらさは半減すると言います。しかし喜びを分かち合ったとき、その喜びは倍増すると言います。

もし皆さんが本当の意味で心豊かに、幸せになりたいと思ったら、是非今もっているものでお金で買えないものを数えてみてください。愛する家族、健康な体、いつでも心を割って話せる友人、平和な日本、今日も命があり生きていること、四季を感じさせてくれる自然の恵み などいくらでも思いつくでしょう。 Nora

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命のふれあい

RESCUI~1.jpg (46746 バイト)

この一枚の写真は "The Rescuring Hug" (命を救った hug )というタイトルの記事から取ったものです。この記事にはある双子の赤ちゃんの最初の一週間がつづられていました。未熟児で生まれた双子の赤ちゃんは最初、それぞれ別の保育器に入れられていました。片方の赤ちゃんは死をさまよっていました。その状態を見ていたたまれなくなった新生児担当の看護婦は病院の規定を破って双子の赤ちゃんをひとつの保育器に入れました。

そうしたらなんと同じ保育器に入れた元気だった方の赤ちゃんが、妹のからだをかばうように自分の腕を写真のようになげかけたのです。やがて死の際をさまよっていたその妹の心拍数は安定し始め、体温も上昇し始めました。彼女はまさにそのふれあいを通じて命を吹きかえしたのです。

今日、皆さんは身近にいる愛する人を抱きしめましたか?我が子、夫、恋人・・・。

hug (抱き合うこと)は日本の習慣ではありません。しかし私はあえてこの抱き合うという行為をどんどん日本に広めて行きたいと思っています。それは抱きあうことによって私達は本当の意味で生きる力を与えられるからです。こどもが大きくなって照れくさそうに思ってもたまにはbig hug, bear hug をしてあげたらどうでしょうか。きっと照れくさそうな顔の中にもどこか安堵感を見せるはずです。 Nora

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夫の送った天使

ある日私は特に何を買うというわけでもなく、スーパーの中に入りました。

夫は37才という若さで亡くなり、その思い出はまだ生々しく残っていました。そしてこのスーパーにも夫と何度も訪れていたので、思い出がつまっていました。

それはほとんど毎回来るたびに、夫は何か探しに行くようなしぐさをして私の元を離れ、戻ったとき、彼の手には黄色のバラを3本持ち合わせていたのです。

夫は私が黄色のバラが好きなことを知っていました。今、彼が去って、心は悲しみに満ちています。そのためこのスーパーに入っても必要なものだけ買って出ようと思っていました。けれども夫が去ってからはスーパーでの買い物すら変わりました。

一人分を買うことは二人分を買っていたときよりも時間がかかりました。お肉を選ぶときもなるべく小さいのを探しました。そして肉を見れば夫がステーキを好んだ事が思い浮かびました。

そのとき、ある若いすらーとした女性がわたしのかたわらにふと現われました。彼女はとても美しく、ソフトなグリーンのパンツスーツをはいていました。彼女は大きなステーキを手にし、それをかごに入れました。けれどちょっとためらって、再び棚にそのステーキを戻しました。その場を離れる前にまた振り向いてそのステーキに手をかけました。彼女は私が彼女の行動を見ているのに気がつき、にっこり笑って、「うちの亭主、ステーキが大好きなんですよ。けれどちょっと高いでしょ、どうしてもためらっちゃうんですよね。」と言いました。

そのとき私の胸は感情でいっぱいになりました。そして、勇気を振るって次のことを伝えました。「実はうちの主人は8年前に亡くなったんですよ。」と言い出し、その後声を震わしながら、「買ってあげなさいよ。いっしょにいる今を大切にしなくっちゃ。」とやっとの思いで伝えました。

彼女は首を縦に振って、私の一言を胸に抱きしめて、ステーキのパックをかごに入れてその場を去りました。

私は乳製品の列に向かってカートを押して行きました。またこの場でミルクのカートンのサイズを見比べていました。500ml入りで十分と思い、それをとってカートに入れました。そしてアイスクリームのコーナーに向かいました。そしてふと頭を持ち上げ、列の方をみました。

そこには先ほどのグリーンのパンツスーツを着た女性がこちらに向かって歩いてきていました。腕の中には何かを持っているようでした。彼女はあふれんばかりの笑みを浮かべ、彼女のからだからはほのかな光がはなっているようでした。彼女の目にはしっかりと私が映っていました。近づきながら、だんだん彼女が何を手にしているのかがはっきり分かりました。そして私の目は涙で潤い始めました。彼女は「これは、おばさんに!」と言って私の腕の中にきれいな黄色の3本のバラを渡しました。そしてさらに、「大丈夫ですよ、もう支払いは終わってますから。レジの人に言ってあるからわかるはずですよ。」背の高い彼女はちょっとかがんで私の両肩に手を当て、また笑みを浮かべました。

私は彼女に黄色のバラの意味を伝えようとしました。けれどもあまりにも胸がいっぱいで話すことができませんでした。彼女の後姿を見ながら私の目はさらにくもっていきました。腕の中にあるきれいなバラを見ながら、どうしてこんなことが起こりうるだろうか、またどうして彼女が私の好きな花が黄色いバラだと言うことを知っていたのだろうかときつねにつまれた思いでした。

けれど次の瞬間、私は一人でないということにすぐ気がつきました。「あなた、私のことまだ覚えていらっしゃるのね?」と涙いっぱいにつぶやきました。夫はまだ私と共にいたのでした。そしてあの若い女性が彼の送った天使だったのでした。

作者不明

皆さんもいろいろと人生に不満があったり、夫に不満を持ったり、思う通りに行かない子どもに不満を持ち、日本のようにスムーズに行かない現地の生活に不満をいだいているかもしれません。しかし今、ここに与えられている小さな幸せを見逃さないでください。夫が元気で異国でがんばっている。こどもも元気に学校へ行っている。祖国から遠く離れていてもこうして今日もいっしょにいられる。このことに対して感謝することを忘れないようにしましょう。 人はそれを失ったときにはじめてそのありがたさを知るものです。しかしそれを知るのが遅すぎるのではあまりにも悲しいですよね。だから気がついてください。今、この瞬間がいかに大切であるかを。 Nora

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今日という一日

 

皆さんは今日、どんな1日にしたいですか。一日中、あそこが痛い、ここが痛いとぶつぶついって過ごすこともできるでしょう。それとも今日も命が与えられ、生きていることを喜ぶこともできますよね。

ああ、雨だ、いやだな〜と一日暗い気持ちで過ごすこともできるでしょう。それともこの雨によって多くの草や木、花が命を与えられ、成長することを喜ぶこともできるでしょう。

今日1日、あれもない、これもない、あれがほしい、これもほしいと持っていないものに対して不平、不満な一日を過ごすこともできるでしょう。それとも今日一日やることすべてにおいて喜びを持って過ごしましょうか。

今日一日、失ったものに対して悲しみ、悔やみ、泣いて過ごすこともできるでしょう。それとも明日から始まる未知の世界に期待と喜びを持って過ごしましょうか。

今日一日、また仕事に行かなくてはいけないと不平を言って過ごしましょうか。それとも今日も仕事があり、その仕事にいけることを喜びとしましょうか。

今日一日、こども達の出しっぱなし、散らかしっぱなしを見てうんざりとした1日を過ごしましょうか。それとも家族があることを本当にありがたく受けとめましょうか。

今日一日、積もり積もった家事を目の前にうんざりして過ごすこともできましょう。それとも住む家があることをうれしく思いましょうか。

今日一日、他人に傷つけられた、社会に見捨てられたと泣いて過ごすこともできましょう。それとも私を本当に愛してくれる人がいること、また愛すことができる人がいることに喜びを感じて一日を過ごしましょうか。

作者不明

どのような一日にするかは自分次第なんです。私達に選ぶ権利があるのです。だから私は今日一日、すてきな一日であることを選びたい。皆様もきっとよい一日になるように祈ります。 Nora

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幸せ

 

「結婚したら私はきっと幸せになるわ。」

「こどもが生まれたら私達はきっと幸せになれるわ。」

「ああ、〜さえあればきっと私は、、、、、。」

このように私達は先々のことを考え、幸せの定義を自分なりに位置付けてきたのではないでしょうか。

子ども達がまだ小さいから自分の自由な時間も持てない、いろいろなところへ自由に行けないといらいらし、子ども達が大きくなったらきっと今より自由になり、ひいてはハッピーになれると思いこんでいませんか。

けれども子ども達が思春期を迎えればまたそこで第二の壁にぶつかり、悩み、この子達がこの時期を抜けたらきっと自分の気持ちにも余裕が出てくると思うでしょう。

夫に対しては、出世したら、部長になったら、もっと広い家に住めて、老後は二人で世界中を旅行できるわと思い巡らすでしょう。

 

しかし実際には今、この時しか幸せになる時期はないのではないでしょうか。

もしこの今という時でなかったらいったいいつ私達は幸せになれるというのでしょうか。

私達の人生は常にトラブルの連続です。常に自分の存在を試される状況に置かれます。それならいっそうのことこの事実を受けとめて、たとえそのような状況下にあっても幸せを見出してはどうでしょうか。

アルフレッド・デ・スーザという人は、こんなことを言いました。

「私は長い間、いつかきっといつかきっと私の本当の人生は始まるのだと思いこんでいました。しかしそのいつかは決してこないと思われるほど常に私の人生にはトラブルが舞い込んで来ました。今、終わらせなくてはいけないこと、やりかけている仕事、まだ世話をしてあげなくてはいけない存在がいたり、借りていたお金が返済されていなかったりと。しかしそれらがすべて終わった時点で私の本当の幸せな人生が始まるのだと信じてやまなかったのです。しかしあるときふと気がついたのです。私の本当の幸せな人生とはまさにこのトラブル連続の人生であったということに。」

この見方を知ったとき、私は本当に救われた思いでした。結局幸せな人生など先の先に待ってはいなかったということです。実際今、私が毎日毎日生きているこの今という一瞬こそがもうすでに私の求めていた幸せであったと言うことです。

そのため私は皆さんに是非お伝えしたいのです。今あるこの一瞬を宝と思って大切にしてください。特にこのひとときをとてもすてきな人と過ごしているのであればなおのことその時間を大切にしてください。自分の大切な時間をその人と過ごしたいと決心したことこそもうそこに幸せが芽吹いているはずです。そして忘れないでください。時間とは決して私達を待ってくれないことも。

くりかえしてもう一度言わせてください。大学を出たらとか、あと5キロやせたらとか、こどもが生まれたらとか、こどもが家を出たらとか、仕事を始めたらとか、退職したらとか、結婚したらとか、離婚したらとか、日本に帰国したら、また海外に出たら、金曜日の夜になったらとか、日曜の朝になったらとか、新しい家を買ったらとか、家のローンを終えてからとか、来年になったらとか、もっとリッチになったらとか、お酒をやめたらとか、死んだらとか、もっとよい人間に生まれ変わったらとか、、、、、幸せを先送りしないでください。幸せになるときというのは今しかないのです。今こそが最高に幸せになるときなのです。過去でも将来でもないのです。

作者不明ですが、ノーラ version

幸せとは日々感じられるものなのです。幸せを感じようと思えば感じられるものなのです。もうすでに皆さんの心の中に実は待っていて、ただそれに皆さんが気が付いてないだけなのです。幸せは今皆さんが歩んでいる人生の旅路そのものなのです。それは人生の終点ではないのです。 Nora

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この一瞬の大切さ

1年の重みを知りたかったら、受験に失敗した浪人生に聞いてみよう。

1ヶ月の大切さを知りたかったら、未熟児を生んだ母親に聞いてみよう。

1週間の貴重さを知りたかったら、週間雑誌の編集長に聞いてみよう。

1時間がどれほど意味を持つか知りたかったら、やっと会えることになった遠距離恋愛のカップルに聞いてみよう。

1分がどれほど重要かを知りたかったら、新幹線に乗り遅れた人に聞いてみよう。

1秒の意味を本当に知りたかったら、事故を一瞬に免れた人に聞いてみよう。

0.1秒の差の重要性を本当に知りたかったら、オリンピックで銀メダルを取った人に聞いてみよう。

 作者不明

時は待つことを知りません。だからこそ今あるこの一瞬の時間ですら大切にしてみようではないですか。そしてその時間をあの大切な人と過ごせるのならその時間はもっと意味のあるものとなるはずですよね。

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愛の箱

ある日のこと、父親は3歳の娘が貴重な金色の包装紙を無断で持ち出していたのを見て叱りつけました。実はその女の子はクリスマスプレゼントを包むためにその金色の包装紙を使っていたのでした。一家は大変貧乏でした。包装紙すら貴重でした。そのため父親は大変怒ったのでした。

それでも次の朝、女の子はお父さんにプレゼントを渡しました。女の子は言いました。「はい、これはパパによ。」と。父親はあの包装紙が自分へのプレゼントを包むためのものと知り大変娘に対してあのように怒ったことで悪かったと思いました。しかし、次の瞬間、父親の怒りはさらに大きくなりました。なんと、箱を開けてみた所、中は空っぽだったのです。父親はまた娘に向って怒鳴りました。「人に何かを送るときに開けてみて何も入っていないとはどういうことだ!お父さんをだます気か!人にプレゼントをするときには必ず箱に何かを入れなくては失礼ではないか。」と怒りました。

小さな女の子は目にいっぱいの涙を浮かべて、父親を見上げて、しゃくりあげる声でなんとか自分の思いを告げました。「パパ、箱の中は空っぽじゃないんだよ。有沙、パパのために、パパだけのために、たくさんたくさんおててにキスしてふうって吹いて、ふうって吹いて、箱の中に入れたんだよ。」とせいいっぱい伝えました。

父親は本当に胸がいたみました。自分のしたことがどんなにこの子を傷つけたと思うと、本当に悪かったと思ったのです。そして娘の肩を自分の方に手繰り寄せて、「ごめんね、ありちゃん、何も知らなかったパパを許してね。」と謝りました。

その後、その父親は何年も何年もその金の箱を枕元において寝たそうです。そして仕事や生活でものごとが思うように運ばなくてがっかりしたときなど、その箱を手にとって娘が入れてくれたキスをそっと胸元にもっていったそうです。

作者不明

私達もひとりひとり何らかの形でこのような愛の箱を与えられていないでしょうか。無条件とも言われる愛情を与えられてはいないでしょうか。子ども達から、親から、家族から、友達から、そしてまだ皆さんが知らないもうひとつの存在から。この目に見えない愛情こそ、大切にすべきものではないでしょうか。 Nora

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こどもが生まれる前は

こどもが生まれる前は、

彼のために毎晩何品ものおかずを作れた。洋服にはしみひとつなかった。電話だって誰にも邪魔されずに話せた。

こどもが生まれる前は、

いくらでも遅くまで起きていた。実際何時に寝たかなんて気にも留めてなかった。歯だって毎食後にみがいたし、髪の毛だって時間をかけてとかせた。

こどもが生まれる前は、

毎日掃除もできてた。床に散らかっているおもちゃにつまづくこともなく、子守唄の歌詞なんて気にも留めてなかった。

こどもが生まれる前は、

庭の雑草が食べたら危険かなんて考えもしなかった。予防接種?そんなことばは無縁だった。

こどもが生まれる前は、

よだれで肩をぐじょぐじょにされることも、ミルクを洋服に吐かれることも、おむつを開いておしっこをひっかけられることも、うんちのお風呂に入ることも、口に入れたものを吐き出されて自分の手で受けとめることも、そでをぐちょぐちょにしゃぶられることも、小さな指でつねられることなんかもなかった。

こどもが生まれる前は、

自分の思考、考え、からだは自分が支配しているという意識があったし、なによりも一晩中ぶっとおしで寝ることもできた。

こどもが生まれる前は、

注射を抵抗して泣き叫ぶ子どもを押さえつけるなんてことを経験するなんて想像もつかなかった。こどもの涙を見て自分までも泣いてしまうそんな心をもっているなんて想像もつかなかった。赤ちゃんのほんのちょっとしたにこっ!で「ああ、笑った、笑った」なんて大げさに喜ぶ自分になるなんて想像してなかった。赤ちゃんの寝顔を何時間もベビーベッドのふちに寄りかかってみつめるなんて想像できなかった。

こどもが生まれる前は、

寝ている赤ちゃんをただずっと抱いていたいなんて思ったこともなかった。こどもが病気で苦しんでいるときにこんなに自分の心までもが引き裂かれる思いをするなんて想像できなかった。こんな小さな命が私の生活すべてに影響するとは思いも寄らなかった。こんなに人を愛せる自分があるとは知らなかった。なによりも母親になれたことがこんなにうれしいと思えるなんて想像もできなかった。

こどもが生まれる前は、

自分の心が自分のからだの外に存在できる気持ちはわからなかった。おなかをすかせて泣いていた子どもにおっぱいをあげ、そのやすらかな顔を見てこんな充実感を味わえるなんてわからなかった。親子の絆と言うものもどんなものかわからなかった。こんな小さな命がわたしをこれだけ必要とするとは思いもよらなかった。

こどもが生まれる前は、

夜中に何度も赤ちゃんの寝息を確かめるなんてことはなかった。温かさ、喜び、愛、心の痛み、母親である満足感、神秘さ、そんなものを知る余地も無かった。

こどもが生まれる前は、

自分の中にこんなにたくさんの感情があり、こんなに感受性豊かな自分がいたとは知らなかった。

作者不明ですが、ノーラ version

ちょうど恋人と出会って、愛というものを始めて知ったときのように、赤ちゃんはこんなに小さな存在でありながら、一番よくいろいろなことをわかっていて、私達にものすごい宝をくれています。よくこれだけは母親にならないとわからないと言いますが、それは本当に母親にしか分からない特権だと思います。私達は我が子の為に最高のものをのぞみます。しかしもうすでにその最高のものを先に与えられているのかもしれませんね。 Nora

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穴のあいた桶

ある召使いは川の水を毎朝、毎夕、マスターの所へ持っていきました。2つの桶を棒の先にそれぞれかけて天秤のように肩にかついでいました。

一つの桶は完全でしたが、もう一方の桶にはひびが入っていました。そのため完全な桶に入った水はすべてをマスターのところに届きました。しかしひびの入った桶の水は長い道中に水が漏れ、マスターの家につく頃には汲んだ桶の半分になっていました。このような状態が2年も続きました。つまり2つの桶いっぱいに水を汲んでいたにもかかわらず、実際には村長の所へは1杯半しかもっていけなかたのです。

ひびが入っていない桶は自分が注いだ水すべてをマスターのところに持っていけることに対して誇りに思っていました。しかしひびの入った桶は自分が完全でないことでマスターを喜ばすことができず、仕事も半分しかなすことができなくて気持ちがすさんでいました。

2年間そのような自己嫌悪な気持ちを持ちつづけ、ある日、川の水を汲む召使いに向ってこう話しかけました。

「私は本当に皆さんにご迷惑をおかけしていて、申し訳ないと思っています。」

召使いは、「なぜだね。」と聞き返しました。「いったい何がそんなに申し訳ないと思っているのかね。」とさらにことばを足しました。

「私はこの2年間本当に心苦しい思いで過ごしてきました。なぜならば私の体の脇にあるこのひびのせいで本来ならもっとたくさんの水を運ぶことができるのに、脇からぽたぽたと下に水が落ちてしまい、わずか半分しかマスターの所に届けることができないからです。さらにあなた様があの長い道のりを1日に2度も往復しなくてはいけないのは私がせいだからです。」

召使いはひびの入った桶に対して同情しました。そして、言いました。

「ひびの入った桶さん、今日またあの長い道のりをマスターの家に向って歩くときに道路の脇にある美しい花を見てごらん。」

そしてひびの入った桶は丘の上をのぼりながら後ろを振り向くと、実に美しい花の長い列に感動しました。しかし側道の片側、つまりなんと自分の側にしか花の道ができていないことにも気づきました。その花を見て、確かにひびの入った桶の心は慰められました。しかしやはりマスターの家につく頃には水は桶の半分にも減っていて、自分の桶としての役割が果たせていないことに、またがっかりした気持ちになりました。そして召使いに水が半分道路にこぼれてしまったことをあやまりました。

召使いはひびの入った桶に向かって、こう言いました。

「ひびの入った桶さん。あなたは気がついたでしょ。花が植えられていたのは側道の片側だけだったことを。つまりもう片側には花がひとつも咲いてなかったでしょ。それは君の欠けていると思っていることを私が知っていて、なんとかそれを生かそうと思ったからなんだよ。ぼくは君の側の側道に花の種をまいたんだよ。そして毎日、水を運ぶたびに君はあの種に水をまいていたんだよ。そしてこの2年間、ぼくはあそこに育った花をマスターの家の玄関に生けていたんだよ。だから君が今の君のままでなかったら、マスターの家に訪れる多くの訪問客の心をあれほどまで満たしてはいなかったョ。もちろんマスターと家族も君のまいた水で育った美しい花を毎日眺め、それはそれは心が満たされていたんだよ。」

作者不明

私たちは皆それぞれ欠点を持ち合わせています。ああだったらよかったのにとかここがどうしても自分の中で受け入れられない、こんな自分が嫌いだ、という思いは誰にもあります。さらにこどもに対してももう少し要領がいい子だったら、もう少し勉強してくれたら、もう少し落ち着きがあったらとこどもに過剰な期待を寄せてはいないでしょうか。つまり私達も子ども達も人間は誰もがあのひびの入った桶なのです。完璧な人間、完璧に近い人間などはいないのです。

しかし私達のことを本当に心から愛してくれる存在の人は、たとえどのような欠点を持ち合わせていようが私達を私達のままに受け入れてくれます。自分の目からしたら否定的にとらえられる性格でも愛してくれる父母、真の友はこの性格すらも生かしてくれます。逆にそれをよい方向へ用いてくれているのではないでしょうか。子ども達に対しても同じです。変えることのできないもって生まれた性格こそ彼らのかけがえのない個性なのではないでしょうか。どうぞそれに気がついてその個性を受け入れ、むしろ生かしてあげてはどうでしょうか。 Nora

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人生について学んだこと

私達の人生において、何人かのいやだなと思う人に出会うことも大切なことかもしれません。なぜならば本当にいい人だなと思った人と出会ったときにそのありがたさがわかるからです。

海外での日本人社会はとかく狭いものです。人のうわさが好きな人、干渉する人、新しい人にいじわるする人、とかく人間関係で悩みます。また現地の人に日本人だからとだまされたり、足を引っ張られたり、ものを盗まれたりすることもあるでしょう。しかしどの国でもいい人はいます。けっこうすぐそばにいて皆さんが気づいてないだけかもしれません。Nora

幸せと思ったその扉が閉ざされるとき、新しい扉は開かれているものです。私達はその過去の幸せにあまりにも未練がましくしがみつこうとするため、閉ざされた扉ばかりを見つめ、せっかく開かれた新しい扉の中にあるものを見ようとしません。

異国に立ったとき、最初はものめずらしさからその国への興味を持ちますが、やがて日本との比較が始まり、いやなことが目について来ます。けれども現地には長年つちかわれたその国のやり方と言うものがあり、それが現地では一番効率がよいということもあります。まずは受けいれてみてはどうでしょうか。 Nora

私達は家庭、愛する人、友などを失ってみて、はじめて今までそこに自然にあったありがたさを知るものです。けれどもまた、それらのものが現われるまでいかにその存在のすばらしさに気がつかないこともあります。

日本にいたときはわずらわしいと思っていた親戚づきあい、姑の存在、仕事関係の義理づきあい。けれども海外では結婚式の案内をもらっても出られない、おばさんが入院したといっても見舞いにも行けない、法事は行きたくないと思ってたのに海外では妙に顔を出してみたくなるもの。 Nora

夢を追えばいい。行きたい所に行けばいい。なりたいものになればいい。なぜなら私達はこのたった一度の人生しか与えられず、さらにやりたいこともたった一度の生きているチャンスにしかないからです。

日本ではとかく回りの目が気になるものですが、海外では回りの人に逆に刺激されて多くのことにチャレンジできるような気がします。だからこそ、こどもがいるからといってあきらめないで、回ってきたチャンスを逃さないようにしてください。きっとその体験が日本で実となることでしょう。 Nora

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決して忘れないで

私たちの存在そして心そのものが人々へのプレゼントであること。

人生はいくらにでも自分の思う方向へ導かれることを。

今日、一日を精一杯に生き、あしたはまたあしたで心配すればいいことを。

不満なことを数えるのでなく、ありがたいことを数えること。

どんなにつらい状況に遭遇しても、必ずいつかは乗り越えられることを。

ほとんどの悩みの解決策は私たち自身にあることを。

夢を追うことをやめないで。

決断は自分で下さなくては。ただ待っていてはだめ。

自分の中にある可能性を信じて。常に自分の中にあるベストをめざして。

心配することほど無駄なエネルギーはないということ。

ほしいものが手に入らないことも、実はいい方向に向かっていることを。

人を憎めば憎むほどその憎しみが私たちの心をむしばんでいくことを。

いつもあまり真剣にものごとを捉えなくてもいいことを。

笑うことを忘れないでね。

ほんのちいさな心遣いでも本当に他の人をなぐさめることを。

幸せは与えることによって得られることを。もらうことによってではないことを。

人生の宝とは人であることを。ものではない。

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