今日のひとこと
2000年の3月より、海外出産・育児コンサルタントとして感じたこと、国際医療ソーシャルワーカーとして感じたこと、海外生活体験者として感じたこと、母親として感じたこと、女として感じたこと、そして何よりもノーラ・コーリ個人として感じたことを今日のひとことで毎週つづってきました。以下はバックナンバーです。
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ケア・ワールドを応援してくださる皆様
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
昨年は、執筆、インタビュー、パネルディスカッション、カウンセリング、とさまざまな機会を与えられ、世界の出産、子育てはもちろんのこと、アメリカにおける日本人の子ども達のことばや帰国した子ども達のことばについてもお話をさせていただきました。カウンセラーとしてもまた一歩前進する機会を与えられました。また、ニューヨークでは、現地のスタッフと共に障害者施設で施設利用者の世話にあたり、充実した忙しい毎日を送っています。
今年心がけたいことは、あまり忙しく過ごさず、少し余裕をもって、ストレスフリーの生活を送ることと思っています。きっと今年もすばらしい一年になると信じています。たくさんの出会い、たくさんのできごと、たくさんの変化、本当に新しい年を前にわくわくします。どうぞ皆様もすてきな1年を迎えられますようにお祈りしております。是非、みなさまの近況と共にお写真も添えていただけたらうれしいです。
詳しい写真付きのごあいさつレターは以下のURLでご覧ください。
http://www.caretheworld.com/pdf/2007greeting_j.pdf
1.4.
〜 期間限定 〜
時間とは恐ろしく早く過ぎてしまうものだ。特に何かに夢中になっているとき、楽しんでいるときはなんと早く過ぎてしまうものだろう。新しい年を迎えて、もう4日がたった。そしてその4日間はもう過ぎてしまったのだ。一分一分がどれほど大切か、それを思うと本当にどう使うかにかかっている。それでも何もしないでゆっくり過ぎていく時間を見ているのも大切だと思う。
海外での生活は期間限定という人がほとんどである。そのように時間がもう決められているとその限られた時間を最大限に生かさなくてはいけないという強迫観念すら感じるのではないだろうか?実際、借金をしてまで旅行、旅行と滞在期間を埋め尽くした人もいた。赤ちゃんが小さくても、このチャンスとばかり、生後4ヶ月の赤ちゃんですら衛生面で心配なブラジルの奥地まで挑む人もいた。滞在国にいると息詰まるということで、臨月でも海外に保養という形で出向く人もいた。おそらく日本にいたら、赤ちゃんがいれば、近場だけとか、せいぜい1泊旅行とか控えていただろう。しかし、海外では「せっかく来たのだから。もう二度とこういうチャンスはないだろうから。」とどこかパワーを得てしまう。
しかし、若いから無理も利くものだ。たとえ飛行機の中、道中、子どもが泣きっぱなしで、親は抱っこしっぱなしでも、それでも行くと決心したら行けてしまうのが若さと決意なのかもしれない。期間限定はある意味でできないとためらってしまうこともできるに変えてくれる大きな賜物なのかもしれない。
1.11.
〜 海外での孤独 〜
サンクスギビング、クリスマス、新年の頃は家族がいない海外の日本人にとってはとてもさみしい時期となる。つっぱって日本を出たものの、いざ異国の地で誰も知らない、いや現地の知り合いは何人かできても、彼らは彼らの家族のもとへこの頃になるといってしまう。単身赴任で現地入りした人、留学してから初めての年越し、家族だけ先に帰国して取り残された海外子女たち。一人で過ごす新年、一人で過ごすクリスマス。まわりではみんなパーティーなどをして仲間と過ごしているのに自分は一人。とこのようにどんどんネガティブに考えていってしまう。
しかし、ものは考えようである。そもそも人間なんてしょせんみんな孤独なのだ。たくさんの人を知っているだろうと思われるポピュラーな人ですら、案外電話をかけてくる人もいなかったり、こちらから電話をぽんとかけられるような親しい人は身近にいなかったりと、そんなものなのだ。本当に身近にいるいつでも電話をかけられるような相手はせいぜい一人くらい、あるいは5本の指に入るくらいいれば贅沢といえるほどだ。そういう人が大半と思えば、自分一人ではないと気持ちが軽くなるのではないだろうか?
では、そういう自分が哀れと思う気持ちが生じたらどうしたらよいのだろうか?まず、そういう気持ちを持たないこと。お正月に日本に電話をかけなくてはいけないと思うかもしれないが、みんなが集まっている声を聞いてつらくなるようだったら、少したって、みんながいなくなって両親二人だけになってさみしくなった頃を見計らって電話をするのはどうだろうか?休みが増えて時間がありあまっていてどうしようもないのなら、趣味なり、やっていて楽しいことをリストとしてあげてそれを上から順に実行していく。親しくなりたい友だちがいたら、その人にカードを書くのはどうだろうか。友情は時間をかけてその人を何度も思って育てるものでもある。人のために自分を役立たせること。困っていそうな人を探してその人のところに出向いてみてはどうだろうか。いっしょに食事をと誘ってみてはどうだろうか。考えたらいくらでも思いつくと思う。とにかく、ポジティブな姿勢で今しかできないことをすることを提案する。
1.18.
〜 いい加減 〜
どうも日本人の性格なのだろうか?とても生真面目な人が多いように思える。世の中けっこういい加減でも回っていくものだ。そう悟ったら少し気が楽になるのではないだろうか。会社にしても、きちきちっと動いていても動いてなくてもなんとか仕事は回っていく。もし今、これをしなくても、だからどうなるのか?としなくてもなんとかなることが多すぎるのに気づく。となると、本当にしなくてはいけないことは限られていく。だからそれでいいのではないだろうか。もう少し、羽目をはずして、リラックスしてもいいのではないだろうか?もちろん、バランスは必要なので、羽目のはずしっぱなしでは困るし、常にいい加減でも困るが、ある程度、そうバランスを見計らっていながら、ところどころで大切なもの、どうしてもしなくてはいけないこと、それとまあ、きちんとしなくてもなんとかなるものを見極めるその見解力が今、必要とされているのではないだろうか?東南アジアにしろ、アメリカにしろ、案外いい加減だな〜と思うことがいっぱいある。それでも世の中なんとか回っているものだ。もっとリラックスして、のんびり過ごそうではないか。
1.25.
〜 どう生まれるか、どう生きるか、どう死ぬか 〜
私はどのように生まれるかというテーマに20年近く関わってきている。しかし、一番のテーマはやはりどう生きるかなのだ。人はもういつ天国に招かれてもよい年齢に達すると、命の終わりについて考えるようになる。そういう時、どう死ぬかというテーマを考えるのではなく、残りの人生をどう生きるかに焦点が自然と当てられていくのではないだろうか。人の人生は実にさまざま。本当に人生模様というものは見てて飽きない。こんな生き方もあるのか、こんな生き様もあるのかと。しかもそれを直接その道を歩んできた人から聞くのはなによりも興味深く、印象的だ。結局どう生きたかはどれほど貯金があったかでもなく、どんな車を持っていたかでもなく、どんな家に住んでいたかでもなく、どんな功績を収めたかでもなく、栄光でも、名誉でもなく、どれだけ自分の時間を必要とする人のために費やし、どれだけ自分の愛情を注いできたかにかかってくるのではないだろうか?
時には時間を止めて、何が真実なのか、何が本物なのかを考えてみるべきだろう。相手がどう感じているか、相手の立場に立ってみる。案外それは自分しか見てないときはわからないものだ。相手に聞くのもよかろう。相手がどう感じてたかなど驚くことがあるものだ。だから今日、子どもにもっと質問をしてみよう。どうしてそういったの?どうしてそう思ったの?どうしてそうしたの?と。きっと子どもの視点は私達大人とはぜんぜんちがったものだと思う。そして彼らが私達に教えてくれるものこそ、本物なのかもしれない。すぐ怒らないことだ。怒りそうになったらまず深呼吸。子どもは実にかわいいものだ。本当に神からの使い、天使だ。だからたっぷり愛情を注ごう。
2.1.
〜 子どもを最後まで育てる 〜
母親にとって一番悲しいことはなんだろう?それは我が子との別れではないだろうか?その別れが死であるかもしれない、子どもを少年院に送ることかもしれない、子どもを施設に送ることかもしれない、病院に残すことかもしれない、手術室に送ることかもしれない。とにかく母子の別れをあげたらきりがないほど多くある。それだけ悲しみがあるということだ。そんな別れの中でも子どもを刑務所に送ることを考えてみたい。
ティーネージャーの子ども達がおおぜいいる少年院。彼らは間違いを犯してそこに入れられている。しかし、彼らにはもう一度更正して、世の中に戻るチャンスを与えるべきだと私は信じる。子ども達は多くの失敗や間違いを通して成長するのだ。たいてい自分達の犯した間違いがどの程度なのかも判断できないのがティーネージャーだ。だから一度の失敗で彼らの生涯を台無しにしてはいけないと思う。特にティーネージャーは親の愛を必要としている。子育ての最終仕上げがその時期なのだ。だから親は必要だと私は思う。
そのため、私は個人的に子どもが成長する20歳くらいまでは絶対に親のそばにおいて、愛情を注ぎ、人生の指導をするのが親の務めだと思う。子どもを早ければ9歳から、手にあまるからと15歳から寮に送る親もいるが、早めに巣立った子ども達が大人になって問題を抱えているケースがあまりにも多い。ティーネージャーを育てることは確かに大変である。しかし、それは私達親も最終段階で成長する機会を与えられていることでもある。このティーネージャーを育てる時期を本当に越えないと親としても達成しないと思う。だから手放さないでほしい。手に負えない子どもこそ、親を必要としているものだ。ラストスパートだからこそ、親は子どもにギブアップしないでほしい。この山を越えたら、必ずと言ってほど、子どもは返してくれる。
2.8.
〜 子どもと薬 〜
薬は一概に避けるべきものではない。場合によっては使わざるを得ない。しかも使い方が重要である。どんなときに使い、どんなときは自然治癒に任せるか。このあたりを親は判断しなくてはいけないのでなかなかたいへんだが、からだが自然治癒の能力を持っているのであるからある程度はからだの回復力に期待したいものだ。鼻水、下痢、咳など風邪にまつわる症状はある程度自然に治したいものだ。からだを休ませる、水分を十分与える程度でかなり治る。
さて、今月アメリカでは市販されている咳止めや風邪薬について、2歳未満の小児には投与すべきでないとの勧告を発表した。これはたいへんなことだ。というのも、2才未満の子どもの多くが風邪を引きやすく、多くの親が、咳にしろ、熱にしろ、子どもが苦しい姿を見るに耐え難いがために、投与しているからだ。しかもこれが声明にかかわる重大な副作用が起こりえると称している。しかし、どんな薬もそのリスクはあるものだ。しかも今回は市販の薬とされ、風邪の治療で使われる充血除去剤、去痰薬、抗ヒスタミン薬、咳止め薬などが含まれ、こうした薬には、稀ではありますが死亡やけいれん、動悸、心拍数の増加、意識レベルの低下などの副作用が報告されているという。ここまで言われたら親としてはなんとも不安である。
おそらく今回の勧告は2才以下の子どもに関しては全体的に薬は避け、自然治癒を見直すようにと訴えているように思えるものだった。大人も同じである。先週、私が体調をくずしたとき、上司は仕事に来るなと顔を合わせるたびに伝えてきた。そのためにsick days という休日が年間10日もあるのだ。やはり、人間、そんなにがんばれるものではない。体調を崩したときはやはり仕事を休み、からだを休むことが大切なのだ。仕事は待てる。なんとかなるものだ。しかし、からだはきちんと治さないと長引いてしまい、それが長年積み重なると大きな病気に通じるものだ。
2.15.
〜 ジェンダー・フリー 〜
ジェンダー・フリーということばを耳にしたことがある人はけっこういるのではないだろうか?少なくとも、モラハラよりはポピュラーになっているだろう。さて、ジェンダー・フリーとはどういう意味だろうか?
私達は、女の子はこうあるべき、男の子ならこうだという固定観念に生きていないだろうか?男なら社会に出て仕事をすべき、女なら子育てや家事に専念すべきという、すべき観念のことを指す。まあ、一言で言えば、「女だから、男だから」という表現を意識的に使わないようにすればいいのだ。さらに、社会の意思決定、経済力などさまざまな面に男女という性差別を持ち込まないことである。強いては昔の男性優位の社会構造を見直し、もっと男女平等な社会構造に作り変えていこうという動きでもある。
そして、女らしさ、男らしさということにこだわらず、自分らしさを出すことに重点を置くことだ。ランドセルひとつとっても、女の子は赤、男の子は黒。絵の具道具にしても女の子はピンク、男の子は青。子どもの洋服の色も同じだ。とこのように、女の子だからとか男の子だからではなく、この子がこの色が好きだから、この子がこうしたいからというように子どもの選択肢を尊重してあげることだ。ここから初めて個性というものも誕生し、違いを認めるおおらかさという自由な風が日本の社会にも通るのではないだろうか?
ちなみに私も自分の好きな色を女の子という理由だけで選べなかったくやしさが記憶にある。
2.22.
〜 小さなできごと、大きな喜び 〜
私の住んでいるニューヨークでは冬の間、大雪が降ることがある。今日もそんな日だった。昨日はとてもよい天気だったのに、今朝起きたら、天気予報通りに10センチほどの雪が積もっていた。車の上は真っ白なふっくらした雪がこんもりと乗っかっていた。
朝起きて一番の仕事はその雪を車から下ろすことだった。そして、夕方になって、次の作業は車の前の雪を取り除くことだった。どこにでも車ででかけるこの地域では、車が出られないとにっちもさっちもいかないのだ。そのため、男手のない我が家では、私が除雪をするしかない。しかし、はじめたものの、40代後半のからだには雪かきの作業は厳しい。腰がすぐ痛くなるからだ。日頃鍛えていないのがこたえる。
そんなところに、3人の子ども達が、通りかかり、「手伝ってあげようか?」と言ってきた。おこづかい稼ぎかな?と思って、「いくら?」と聞いたら、「いらないよ。だって退屈でしょうがないんだもん。だから暇つぶしに。」と言ってきた。そして、私は、「まあ、そうなの?ならお願いしようかしら?」と言って、ほとんどもう終わっていたので、仕上げの部分だけお願いした。
その間、15分くらいだっただろうか、13歳のセシリアちゃんと、10歳のアーノルド君、そしてセシリアちゃんの友だちのリリアちゃんと雪かきをしながら会話を楽しんだ。「冬休みはどう過ごしてたの?」の私の問いに、「5日間はお父さんのところにいたの。そして残りはお母さんのところ」とても典型的なアメリカ人家庭の子ども達の答えだ。そして子ども達は替え歌を歌い始めた。その歌のおかしなこと。げらげら笑ってしまった。しかもリリアちゃんはとても歌が上手で声がきれいなのだ。将来、アメリカンアイドルで歌唱賞でもとるのではないだろうかと思うくらい。終わったところで、子ども達にごほうびにグラノラバーを渡した。「あっ!アーモンドだ。」と喜んでいた。
雪かきはうんざりと思いながら始めた除雪作業だったが、子ども達とのふれ合いの中で、「ああ、子どもって本当にいいな。」「子どもに囲まれた生活ってこんなに幸せに満ちてただろうか」とわが子育てを振り返った。そう、真っ只中にいるときはなかなか見えないものだが、失ってみると本当に子どもがうちにいるうちが一番幸せなのではないかと思うものだ。あと数ヶ月で我が家の娘は巣立っていく。きっと私はとてもさみしい思いをするのだろう。
2.29.
〜 天使を天国へ 〜
新しい命の誕生をテーマにする仕事についてかれこれ20年近くになる。命の誕生は本当に喜ばしいことであり、最高の喜びとも言える。しかし、その反面、思わぬできごとも起る。出産に起る事故、妊娠中からわかっていた障害を持って生まれてくる赤ちゃん、死産、生まれてきて数時間しかがんばれなかった未熟児、異常を持って生まれたが1歳の誕生日を1日前にして迎えられなかった赤ちゃん、そして逝ってしまった母親、海外で残されてしまった父親と生まれたての赤ちゃん。今まで本当にさまざまなケースにたずさわってきた。
そして、赤ちゃんの死ほど、理屈ではないものはないのではないだろうか。私はこれだけはケースバイケースとしか断言できない。海外という異国の地における赤ちゃんの死は特につらいものがある。まわりに支えてくれる友達がいない、親戚や家族がいない。せっかくgrieving をガイドしてくれる専門の人がいても、ことばがわからない。思いが伝わらない、心の状況をうまく表現できない。結局、多くの場合、両親たったの二人だけで通らなくてはならないこともあるからだ。そのため、お互いしかいない。そして、その絆はとても強くなる。それでも、grieving はとてもむずかしい。ものすごく努力を要するものだ。
この世の中には自分の力ではどうしようもないことがいっぱいあるのだ。それをいかに受け止めることができるかどうかだ。そして、天使を天国へ送ったあと、どうやって生きて行ったらいいのか途方に暮れるが、そのとき、そのときの感情を受け止め、そのときそのときで対処していくしかない。何年かかるかなど誰もわからない。その人が決めることだからだ。簡単な formula などないのだ。みんなそれぞれだからだ。そのためには自分に正直に向き合うことだ。自分の心の変化を敏感に受け止めてあげることだ。
3.7.
〜 鯉のぼりとひな祭り 〜
ジェンダー・フリーの話しに引き続き、日本の伝統行事に焦点を当ててみましょう。さあ、鯉のぼりとひな祭りを見てみましょう。鯉のぼりは男の子の行事、ひな祭りは女の子の行事と皆さんは教わったのではないでしょうか?空飛ぶ鯉のように強く、おひな様のようにしたたかにと。鯉のぼり、ひな祭りまで否定したら、日本の伝統や文化を否定することではないかという意見もあるでしょう。しかし、ジェンダー・フリーを唱えるから鯉のぼりやひな祭りがなくなるのではありません。単に鯉のぼりを女の子が祝っても、男の子が祝ってもいいではないですか、と言いたいのです。つまり、空飛ぶ鯉のように強くなりたい女の子がいてもいいですし、美しさにあこがれる男の子がいてもいいのではないかということです。いかがでしょうか?きれいなひな壇を飾りたいと思っていた男の子もいたのではないでしょうか?それならば、自分の気持ちに正直に祝えばいいのです。男だからだめとか、男だから女々しくてはいけないとか、そんな人間の感情まで男女という枠で否定しないでほしいということです。そのため、5月5日が子どもの日になったことは喜ばしいことです。
3.14.
〜 女性、主婦が子育て、介護 〜
引き続き、ジェンダー・フリーについて考えて見ましょう。さて、私達は、母親が子どもを産むのだから、母親が育てるべきと考えていないでしょうか?父親が子どもを育ててなにが悪いのでしょう。さらに、母性本能が子どもを育てるとか思っていないでしょうか?そして、介護においても同じです。細かい配慮やケアは主婦の担当と考えていませんか?世話をする人は、できる人でいいのではないでしょうか?必ずしも主婦だからとか、女性だから介護はあなたの役目、「俺には関係ない、金は出すが手は出さない」なんておかしいのではないでしょうか?介護を女性ができて、男性ができないはずはありません。単に自分の父親の汚いおむつを替えるのがいやだから、嫁さんにやらせてるのではないでしょうか?「一生懸命自分を育ててくれた父親だから、俺が見たい」と思ったら、自分が世話をすればいいのです。赤の他人の嫁さんは義理のお父さんに対する感情がないのですから、いやな仕事と受け止めてしまうのではないでしょうか?
裏を返せば、男親は子どもを育てられない?父親は父性本能がないから子どもを育てられない?男性は細かい配慮やケアに欠けるから介護はできない?と言っているのではないでしょうか?それって男性にとって屈辱な表現ではないでしょうか?しっかり子どものことを見れる男性の保育士はおおぜいいます。男性だからといって女々しいという印象がありますか?男性の看護士はどうでしょうか?看護士は女性にしかできないと思っていませんか?そうでしょうか?今でもナースの90%は女性です。いつになったら半々になるのでしょう。
3.21.
〜 こうあるべき? 〜
こうあるべきという固定概念を廃止しよう。駐在員の妻なんだからとか、もう40も半ばなんだからとか、あなたは母親なんだからとか、女なんだから、時代が時代なんだからといったそういった「〜だから」こうあるべき概念を押付けないでほしいと私は訴えたい。
たとえば、今はなんでもディジタルになっているからといって、私はアナログの部分で好きな部分もあるし、残したい部分もあるのだ。それを尊重してほしい。なにもかも全部ディジタルに変えないでほしい。
そう、チョイスを与えてほしいのだ。どちらでも選べるチョイスを。すべてバランスであり、すべて自分の好みが尊重されることの大切だ。あるひとつのものに偏らないでほしいのだ。
そして自分らしさを尊重してくれること。それが私にとってはとっても大切だ。私がこうだから、こうさせて。けどあなたを傷つけてるわけではないでしょ?とこの線だ。本来、日本人ならこういう状況のときはこうすべき。けれども私はこうしたいからこのアプローチを受け入れて。そう伝えたいのだ。そう、女だからじゃなくて、日本人だからじゃなくて、マイノリティーだからじゃなくて、「私」だからこうしたいのという部分で受け止めてほしいのだ。自分らしく生きさせて。とそう伝えたい。それができたら、自分らしく生きれたら、人は幸せになれるんじゃないかな?
3.29.
〜 Earth Hour 〜
今日、午後8時、世界中で1時間、消灯という行事が行なわれた。さて、皆さんのお住まいのところではいかがだったでしょうか?まず全世界で29日の8時から9時までの1時間のみ、まったく電気を使わないということになりました。私はそれをラジオで聞いたのですが、その後、ネットを開いたらグーグルの画面が真っ黒になっていて、グーグルでも earth hour をサポートしているということが知らされていました。グーグルで announce しているのであれば、さぞかし多くの人に情報は伝わっていると思いましたが、どうだったでしょう。
目的はなんといっても conserve energy なのですが、本当にどの程度か。むしろお祭りのような行事と受け止めたほうがよいでしょう。実際にもっと具体的に enforce しない限りは、 save energy は簡単ではありません。そして、娘と二人でこの時間を過ごしました。まずはそこら中にろうそくの灯をともしました。なんとロマンチックなこと。娘は大喜び。目もあっという間に慣れていきました。そしてそこから得たものは、会話をする時間でした。1時間以上みっちり私達は語り合いました。8時前にはパソコンに向かっていた娘。もしこの時間がなかったら引き続き、パソコンと向き合ってたでしょう。それから、本を読むことも、テレビを見ることもできなかったので、おのずとからだを動かしていました。 Ancient times にはこのように夜は火を囲んで、みんな、話をしていたのでしょう。適当にからだも動かして、なかなか健康的な生活です。心身ともに。結局 earth hour はたったの1時間ではありましたが、電気の大切さもさることながら、家族で語り合う幸せを教えてくれたのでした。
4.4.
〜 子どもが思い通りにならないとき 〜
望んでいる学校に合格しなかった、望んでいる学校に願書を出さなかった、期待していた成績に達さなかった、テストの成績が上がらない、新しい学校に馴染まない、英語がちっとも上達しない、アメリカ人の友だちができない、などなど 私達、親は多くのことを子ども達に知らず知らずのうちに期待しています。しかし、その期待を子どものことを思ってとか、子どもを愛しているからこそということばでくるめてしまっています。
実はそれはその子をその子として受け入れられなかったに過ぎないのです。子どもの選択を尊重してあげられなかったということの表れでもあります。子どもは自分で選択をしなくてはいけないことがあります。そのときに、子どもが選択したことに対して親が不満になることがあります。つまり、どうしてこっちを選ばなかったの?とです。しかし、子どもは自分で自分のことを決めなくてはいけないときがあります。親に決めてもらってはいけないことがあります。それは自分で選んだことに対して責任を取らなくてはいけないからです。それをしなかった子どもは親を責めます。親に責任を取らせます。そして、親はどうかというと、自分が子どものためによいと思って選んだことに対して、それがうまくことが運ばなかった場合、後悔し、自分を責めるようになります。その結果、ハッピーではなくなるでしょう。
私達の子どもは私達の所有物ではないのです。私達の望むように、期待するようにはならないのです。子どもはれっきとした一個人なのです。母親だからといって、子どもの将来をコントロールすることはできないのです。コントロールしようとして、うまくいかなければそこには不満、苛立ちしかありません。どんなに私達が正しいと思って子どもを育てても、子どもは間違った選択をすることがあります。しかし、それは親の責任ではないのです。そこで自分を責めてはいけないのです。できる限りのサポートをし、よい環境を与え、最善を尽くしたのなら、親としての務めは果たしたのです。だからもし、間違った選択をしても、いつもと変わらぬやさしい愛情をもって引き続きサポートしてあげましょう。本人がその過ちに気づき、自分で立ち上がり、もう一度やり直すことを信じるのです。
4.11.
〜 日本は異常? 〜
人々はいかに日本以外の国が特別だとか、違っているとか、変わっているとか、そんな風に驚いたり、コメントしているけれども、現地の人からみたら日本ほど驚きに満ちた国はないのではないだろうか。つまり滞在国において驚く同じ量、あるいはそれ以上のことに外国人は日本のことを驚いている。
そう、つまり滞在国がそんなに変わってるのではなく、実は日本が異常であったり、非常識であったり、普通じゃなかったり、特殊だということだ
つまり見方を変えれば結局そういうことなのだ。そして、世界をみてもやはり日本は独特なのだ。食べ物にしろ、時間の概念にしろ、仕事に対する姿勢、宿題に対する考え、ものの捉え方にしろ、まじめさとか、いや、きまじめさとか、すべてにおいてといえるほどだ。
そもそも、仕事を週に3日も11時とかなどは外国の多くの国では信じられないことだという。日本の企業においては、それが普通ということが、海外では異常と見られている。なぜそこまで毎日のように働かなくてはいけないのか。世界的にみてもそれは普通じゃないと言うことに気づいてほしい。会社とはなんなのか?仕事に対する姿勢は時間的なものだけで測られるものなのか?きちんと仕事をこなすということは本当はどういうことなのか?さらに、自分の時間というものにどれほどの価値を置いているか?家族との時間をどのように捉えているか?子ども達との時間をどう思っているのか?海外のお父さんは日本同様に長時間働いている。中には日本のスタッフが海外のスタッフに対して嫉妬心を持っているからという理由をあげる人もいるが、それはなんとも悲しいことか。
海外であろうと、国内であろうと、みんなもっと自分の時間に対して欲をもってほしい。自由時間でできることをもっと大切に思ってほしい。Quality of Life をめざしてほしい。
5.11.
〜 川の流れのごとく 〜
妊娠中はとかくからだを動かさなかった人も多いと思う。普段運動が好きな人にとっては動けなくなることはたまらなくつらいことだろう。しかし、産後はまた運動を開始できることはうれしいことだ。まあ、回復具合と照らしあわすことは大切だが、それでもまずは歩き始めることからスタートだ。
運動することの大切さの本当の意味はなんであろうか?それは血液の循環をよくすることが第一ではないだろうか?つまり、からだの70%は水分だという。そもそも血液の流れをよくするということは、体中に栄養分を運ぶということでもあり、いらなくなった毒素やら廃棄物を流れによって排出するということだ。川の流れと同じで停滞すると水はくさってきて、沈殿物が増えていく。そこには毒が蔓延するだろう。となると川の流れは常になくてはならない。きれいな水を保つ川であるためには。川を血管にたとえてみれば実に簡単にわかる。そう、水は常に流れてなくてはいけないのだ。
5.17.
〜 運動の大切さ 〜
どうしても子育てに自信がない、赤ちゃんが泣き出すだけで不安に襲われる、将来ちゃんと育てられるか心配でしょうがない、ちゃんと大きくなっているのだろうか病気じゃないか、母乳が出ないのは母親失格?涙もろくなっている・・・ 産後はとかくうつ症状や心配や不安が多いものだ。それは産後のブルーにたとえられるように、確かにホルモンのバランスがくずれていて、もとのからだに戻るために調整中だからということもある。
産後のブルーを乗り越えるいくつかの方法があるが、一番簡単で安い方法のひとつに運動がある。多くのママたちが案外運動をしていない。運動はどの程度?と聞くとたいていお散歩に出るくらいという答えが返ってくる。それだけでもいいといえるが、できたらもう少し汗ばむくらいの運動を望みたいものだ。
というのも、うつからの回復で運動がけっこう効果的だからだ。それは運動によって serotonin とdopamine のレベルが上がるからだ。しかし、そのほかにも
- かぜをひかなくなる
- 体重がもとに戻る
- 食欲がない人は、食欲が出るし、食欲おおせいの人には食欲を普通に戻す
- よく眠れるようになる
- 気持ちが明るくなる
- 前向きになる
- 消化がよくなって、便通もよくなる
- 記憶力がよくなる、反応が鋭くなる
- 汗をかくことで、からだの廃棄物や毒素を外に出す
- 肺活量が増える
- 元気になれる、活発になれる
- 老化現象を抑えられる
- 強くて丈夫な骨が作られる
本当にこれだけあげたら、もうパソコンの前になどすわっていられないであろう。さあ、立ち上がってからだを動かしましょう。
5.23.
〜 病気にならない生き方とは 〜
5月18日にニューヨークの日系人会で行なわれた新谷弘実ドクターの講演会に出席した。このタイトルに引かれてか、60名近くの日本人が会場に集まった。新谷ドクターは長年人間の腸を見続けてきた人だ。彼は人の腸を見れば、その人の食生活がわかると言う。腸を見れば病気を当てられるという。さらにその人の寿命まで分かってしまうという。そして彼はあらゆる症例を出しながら、どうしたらそのような病気にならないかを伝えた。まず
食べてよいもの : 野菜、果物、穀類(玄米、五穀米)、豆類(納豆はよい)、海草類、(enzyme はよい)
食べないもの : 動物の肉、牛乳、チーズ、ヨーグルト、工場で作られるもの(ベーコン、ソーセージなど添加物が多いもの)、油、マヨネーズ、ポテトチップス、ドレッシング、生クリーム、ケーキ、アルコール、スポーツドリンク、ソーダ(コーラなどの甘い炭酸水のことだが、これらは30%が砂糖)、薬(下剤は腸がただれる)
こういう悪いものを食べていると結局は病気になる。切れやすくなる、うつになる。ストレスもよくない。
さらに水を飲む大切さを伝えていた。
水は毎食前に350〜500cc、浄水した水を飲む、さびの入った水はよくない、つまり水道水はよくない、寝る前4時間は食べない、食後1〜2時間たってから1〜2カップの水を1時間毎ゆっくりと飲む。となると1日最低1リットルは飲むようになる。水は血液の流れをよくして、胃腸を洗浄し、尿を出し、呼吸にもよく、 気にもよい。
コーヒーエネマはよい。800〜1000リットルの35〜36度くらいのコーヒーを肛門から入れる。毒を出し、腸にへばりついている宿便などを取り除くらしい。しかし、勇気がいるように思う。腸を常にきれいな状態にしておくと健康でいられる。
新谷ドクターの7つの健康維持要素は、
1.幸福感(愛されている、愛してる、感謝する)、2.よい食べ物をからだに入れる、3.排便、4.運動、5.水を飲む、6.深呼吸をする、7.休息、寝る
ドクター新谷のからだは40歳という。その彼の生き方は、ステーキは年に2回だけ。薬は死なない限りは飲まない。さあ、皆さんも健康な生き方を選んでるでしょうか?
5.30.
〜 失敗の繰り返し 〜
先日、ある人に「ノーラさんは本当にたくさんの苦労をしてきたんですね」といわれてしまった。それを compliment と取るべきか、それとも悪くとるべきか少々迷ったが、事実である。私は本当に多くの失敗をしてきた。多くの間違った決断をしてきた。だから私は人のことを批判することはできないし、人のことをとやかく言う資格もない。しかし、おもしろいことにそういった失敗を繰り返しながらも、その失敗が幸せにつながったことも多い。今年、娘に次のことばを送った Let your obstacles become the new opportunity.娘は若くしてけっこう人並み以上の苦労を通った。今はまだ自分の苦労を人のせいにしているが、やがて次のことばを理解できる年齢になるときがくると思う。そのことばとは、It’s not what happens to you in life, but what you do with it. さらに What you focus on is what you become. ということばも娘の卒業にあたって送った言葉だ。それはたとえば100のことが今までできていたかもしれない。しかし障害をもったことでそのうちの10が奪われてしまったとする。あるいは失ってしまったかもしれない。それでも残り90あるではないか。つまり失った10に焦点を当ててそれを思いつめるのでなく、残りの90に目を向けて、その90できることを喜び、一つ一つを実行に移すことだ。
だから人生はやはりトータルでみないとわからないものだ。つまり、その最終地点はこの世を去るときではないだろうか?私はもういつ死んでもよい年齢に近づきつつある。その終わりの地点が見え始めると、残りの人生をどのように生きるべきか真剣に考え始める。この残りの人生をどのように過ごしたいか?そう考えていったとき、この人生で一番大切なものは何かという課題にぶつかるわけだ。そしてそれがわかったときに、どれほどそれに時間をかけるかということになるのだろう。
6.7.
〜 書評 : 「Q & A モラルハラスメント」 〜
モラルハラスメント(モラハラ)ということばがまだ世間一般に知られていない頃、(いや、まだあまり知られてないかもしれない)熊谷さんは被害者を救いたいという一途な願いをもってモラル・ハラスメント被害者同盟を立ち上げた。その後、彼女のサイトを訪れた被害者たちはその実態を認識し、自立へ向かった。「Q&A モラルハラスメント」は多くの被害者女性の疑問をひとつにまとめた一冊と言えよう。
この本はモラハラについて本当に困ったとき、迷ったときの答えが載っている。モラハラに関する質問には体験者ならではの答え、および弁護士やカウンセラーなどの専門家からのアドバイスも載っている。モラハラの理解はむずかしい。どこまでが愛情によるアドバイスでどこからが支配を含むモラハラなのか? なぜ自分が被害者だということに容易に気づかないのか? 加害者が変わったら問題は解決するのか? なぜ加害者と別れることがこれほどにむずかしいのか? 加害者が反省を見せたらどう受け止めたらいいのか? などモラハラから逃れることがむずかしいだけに専門家のアドバイスは具体的である。
本の購入はモラルハラスメント被害者同盟のホームページから
6.13.
〜 Free Hugs 〜
マクドナルドの宣伝に Free Smile というのがあったが、今日見たクリップは Free Hugs というものだった。ある男性がとおりを歩きながら、大きなプラカードをもって、そこに Free Hugs とかかれてあって、とにかく Free Hugs がほしい人を募っていたのだ。しかし、通りがかりの人はみんな、この人はちょっと頭がおかしいのではという目で通る。けれどもなかには、ええ?本当にいいの?という形で hug をもらいに来る人もいた。そしてターゲットは10,000人。そうその目標に達したのだ。
私は Hug の習慣が大好きである。日本ではまだまだ一般的ではないが、あの hug のあとはなんともいえない満足感、充実感、うれしさがみなぎるものだ。ほっとするような。皆さんはどうですか? Hug を多く受ければ受けるほど長生きするように思うのは私だけでしょうか?
6.20.
〜 Challenge Day 〜
久しぶりに感動した。というかまた涙が出たといったほうが正解かもしれない。日本もアメリカも同じだが、高校生はたいへんである。いじめはどちらの国でもある。アメリカはそれに加えて人種差別やら家族の崩壊率も高く、21世紀のティーネージャーは本当に生きることがむずかしい。本当はみんな一枚皮をはがせばまったく同じなのに。いじめる子も実はとっても弱い自分がいたり、つらいことがあったり、そしていじめられる側はとても悲しかったり、そのことですごく思い悩んでいたり。
みんな同じように悩んでるんだ。みんなつらいんだ。だからもっとみんなにやさしくなろうよ。理解しようよ。というのが Challenge Day の狙いなのだ。ある高校で始まったことだが、これが広まるとよい。まずは warm up から始まって、肌が触れ合うようなゲームをする。次に cross the line といって、「今まで、太ってることで冷やかされたことがある人」、「いじめられたことがある人」、「家がお金がないから、自分の肌の色が違うから、めがねをかけているから、矯正をしているから、そんな理由でいじめらたり、いやがらせを言われたことがある人」というように自分に該当したら線を越えて向こう側へ行くのだ。それにしても、自分の肌の色によってなんらかのいじめや差別を受けたという人が多かったことに、線の手前に残った白人の子ども達はどう感じたのだろうか?
思い出すと実は私もこのゲームをコロンビア大学の大学院のオリエンテーションで行なったのだ。今でもはっきり思い出す。見も知らぬ人たちと心のうちを開けるのはとてもむずかしかった。しかし出てくる出てくる、正直に心を開くとどろどろとした苦しみやら悲しみ。こんな質問があった、「もし本当の私のことを知ったら、私は実はこうこうなのだ」というところ。日本人は本当の自分というものをどれほどオープンに出せるものだろうか?日本人はどの程度偏見というものを持っているのだろうか?
6.27.
〜 卒業式 〜
アメリカは今、卒業式の季節だ。卒業式のいいところは、とてもよいお話が聞けることだ。先日、こんな話を聞いた。Find a job that you can’t wait to go back on Monday and have a family that you can’t wait to go back to on Friday. うん、なんてすばらしいことばだろう。このような理想な仕事についている人は本当に恵まれている。多くの人が、仕事に行くことをひどくきらっていたり、日曜日の夜になると憂鬱になったり。だから今、月曜日、仕事に行くことが待ち遠しくて、金曜日になると早く家族といっしょに時間を過ごしたいと思うのであれば、あなたはとても幸せだ。もし、今、そう思えない状況ならば、是非、仕事を変えるべきだと思う。仕事はいくらでもある。いくらでも変えられる仕事がある。けれども家族はあなたの選んだ家族だ。そして家族は変えられない。家族を大切にしてほしい。けれどもそう思えるのもよい仕事があってだと思う。
