今日のひとこと
2000年の3月より、海外出産・育児コンサルタントとして感じたこと、国際医療ソーシャルワーカーとして感じたこと、海外生活体験者として感じたこと、母親として感じたこと、女として感じたこと、そして何よりもノーラ・コーリ個人として感じたことを今日のひとことで毎週つづってきました。以下はバックナンバーです。
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2007年
2007.1.1.
〜 2007 〜
ケア・ワールドを訪れてくださる皆様、あけましておめでとうございます。今年も去年同様よろしくお願いいたします。2007年という新年。なんて新鮮な響きでしょう。いったい今年はどんな年になるのでしょう。まだまだ364日が白紙のまま。この白いキャンバスをどのように色を埋めていくかはすべて私達の手の中にあるのではないでしょうか。そう思うとなんともわくわくしませんか?私はそんな気持ちで今日の新しい日を迎えました。
私は決めました。今年も去年と同様、いやそれ以上にすばらしい1年になることを誓ったのです。きっとすばらしい年にさせると。そしてそうなるのもすべて私の姿勢いかにで決まるということを。
私の今年の抱負は周りの状況によって自分の気持ちが流されることなく、石のごとく自分をしっかり持ち、自分に自信を持ち、正しいと信じたことを貫くことです。
そんなことから「心に栄養」に姿勢の大切さについて書きました。
姿勢、心の持ちよう − 年をとるごとに私は考えさせられる。それはいかに私達の心の持ちようが自分の人生に反映するかということだ。
心の持ちよう − おそらく私にとって心の持ちようは実際に起きていること以上に大切だ。それは自分の生い立ちよりも、過去に起きたさまざまな経験よりも、自分の経歴よりも、自分が受けた高等教育よりも、持っているお金よりも、今ある状況よりも、過去の失敗よりも、今までの功績を反映する成功よりも、他の人の考えあるいは名言、あるいは成し遂げたこと以上に大切だ。それは自分の外見よりも、生まれ持った才能よりも、築いた技術よりも大切だ。私達がものごとに対する姿勢は会社を、家庭を壊すことすらできるだろう。つまりものごとへの姿勢次第で自分の人生を失敗へも追いやることができるし、成功へ導くこともできる。しかしその成功とはあくまでも自分から見た成功なのだ。
そしてすばらしいことは私達は毎日どのような姿勢や態度を持ちたいかを選べることだ。過去は変えることはできない。流産、解雇など避けることができない事件やできごとも起こるだろう。しかし私達は自分の心の持ちようをいかようにもコントロールすることができることだ。
私にとって人生は10%ができごとで成り立ち、残りの90%はそのできごとに対して自分がどのような反応を示すかによって決まると信じている。だから自分がものごとにどのように対応するかコントロールすることによって自分の人生を幸せにも不幸にも変えられるということだ。幸せはいかようにも自分の手の中にあるのだ。そしてもちろん、私はこれからもずっと幸せになることを選びたい。I choose to be happy.
2007.1.12.
〜 酔っ払いがいない国 〜
日本を訪れて印象的なのは酔っ払いがたくさんいることです。電車の中で真っ赤な顔をしている人、横たわって席に寝ている人、お酒くさい人、立ちながら眠っている人。繁華街を夜歩いていると、千鳥足で歩いている人、道端で吐いている人、支えられながら歩いている人、うずくまっている人、ベンチで寝てしまっている人。これらの情景は日本の文化のようなところもあるでしょう。特にサラリーマンの男性がおみやげを片手によろよろと歩いている姿などは本当に日本の光景のようにも思えます。
さて、一歩日本を出てみるとどうでしょう。ここアメリカでは酔っ払いをみかけません。日本のように酔っ払って醜態を見せようものなら周りが黙っていません。電車で酔っ払っていれば、すぐ次の駅で降ろされてしまいます。そこで待っているのは警察官。
今日は若い女の子が明らかに酔っている様子。あげくのはて電車の中で戻してしまいました。ニューヨークの郊外に向かう電車には常時2つくらいの車両に一人のコンダクターという車掌さんが乗っています。その車掌さんに乗客の人がすぐ通報しました。そしてもう次の駅では救急車が待っているという事態でした。電車は Medical emergency ということで10分ほど停車しました。そのアナウンスも5分ほど立ってからでした。彼女は2人の警察官と Paramedics (救急隊員)に連れられて電車を降りました。
驚いたのは乗客の人と車掌さんとの会話でした。結局、電車の中で起きたことは鉄道会社の責任なので、万が一戻したことで死んでしまったらそれこそ会社の責任になるからこのような処置をとるとのことでした。やっぱりここは訴訟の国なのだとつくづく感じた次第です。彼女のからだよりも会社の責任が優先されるのだとも受け止めました。
世界を見ると公の場でアルコールを飲んではいけないという法律のある国がかなりあります。つまり日本のようにお花見で公園でお酒を飲んだり、赤提灯でお酒を飲んだりが許されないのです。ましてや自動販売機でお酒が売られている国などめったにありません。たばこの自動販売機も見当たらないという国がたくさんあります。こう見て来ますと日本はとても自由で、その反面未成年の子ども達にとっては危険がいっぱいひそんでいる可能性も高いといえるでしょう。
アメリカも簡単に不法な薬が手に入りやすい反面、明らかに未成年の人たちに触れてほしくないものが目の前にない出してはいけないポリシーがあることはサポートしていきたいと思いました。
2007.1.19.
〜 命名 〜
日本人家族が海外で子どもを産んだときにつける名前で最も多いのはおそらく女の子の場合はりさちゃんではないかと思います。男の子の場合は特に限定できないと思いますが、やはり女の子の名前のほうが英語の名前に似た名前がたくさんあるのでチョイスも多いといえるでしょう。男の子の名前で英語名に近いものというのはけっこうむずかしいものです。時々問い合わせがありますが、本当に悩んでしまいます。例をあげると譲二(George)、譲 (Joe)、礼(Ray) 、力(Ricky)、修(Sam)などでしょうか。
アメリカに多いヒスパニックというスペイン系の人の中で今一番人気のある男の子の名前は Angel だそうです。スペイン語では g を h のように発音するのでおそらくアンヘルと読むのでしょうが、それにしても男の子に Angel という名前はびっくりです。私のイメージではどうしても天使となると女の子なのですが、実際中世の絵画を見ると確かに天使は男性なんですよね。
ちなみにアメリカで人気のある男の子の名前ベスト5は、Jacob, Michael, Joshua, Matthew, Ethanだそうです。私はあまりJacob, Ethan は聞きません。息子はJoshua ですので3番目に人気のある名前です。どこへいってもその名前が飛び交うので、空港などではつい振り向いてしまうほどでした。そして女の子の名前ベスト5は、Emily, Emma, Madison,Abigail,Olivia だそうです。しかし私はあまり Emma も Madison も聞きません。アメリカは個性が強い人が多いので、名前にしてもあまり偏らないのではないでしょうか。もちろん年代別に人気のある名前が違うのですが、私の周りでポピュラーな名前は、Cathy, Lisa, Debra, Amy, Tina あたりでしょうか。
2007.1.26.
〜 拉致 〜
先日、横田めぐみさんと家族のドキュメンタリーを映画館で見た。この映画はアメリカ人によって作られた。しかし実に詳しくよくできたドキュメンタリーだったと思った。それにしてもアメリカと日本とのこの問題へのアプローチの仕方の違いには驚いた。おそらくアメリカだったらたった一人のアメリカ人のために国が立ち上がってその人を探したことであろう。しかもただちにだ。そうでなかったら国民が黙っていない。それに対して日本はなんと20年近くかかったのだ。この拉致問題がどれほど重要なものかということを日本はどの程度意識したのであろうか。日本ではまだまだ一人の人間の命が安い、軽いというように思われた。
子どもを誘拐された親の気持ちというものがこの映画には痛いというほど訴えられていた。私は自分の娘が拉致されたことを思ったら涙が止まらなかった。特に両親のビデオメッセージにはたいへん心打たれた。本人がもしそのビデオメッセージを見たらという思いで両親はめぐみさんに語っていた。
さらに北朝鮮に対して私は非常に強い怒りを感じざるを得なかった。13歳の子どもをなぜ拉致する必要があったのか。なぜ子どもだったということに気づかなかったのか。もちろん大人ならいいのかという意味ではない。子どもはまだ自分でものごとを判断できる年ではないからだ。めぐみさんは連れ去られた船の中に閉じ込められ、そのドアを爪がはがれるほどにひっかいたという。そこには嘔吐物と血で床が汚れていたという。彼女はいったいどんな思いで母親を呼んだのであろう。どんなに心細かっただろう。まったく韓国語がわからない状況で何をされたのかも理解されず、どれだけ毎日、家に帰りたかっただろう。彼女が精神的におかしくなったとしても不思議ではないだろう。自殺をしたというがそれも疑い深い。彼女はまだ生きているのだろうか。生きていてほしい。そして日本に是非、帰ってきてほしい。私は祈り続けるつもりだ。
私達は海外で子どもを育てていて、子どもが現地の頭のおかしい人にさらわれないという保証はない。まだ海外に出て間もない頃であったら、ことばもわからないだろう。車に乗せられて連れ去られてしまったら、どんなに不安なことだろう。めぐみさんのものだという骨をDNA鑑定したそうだが、子どもの髪の毛くらいどこかに保管しておいたほうがよいと思った。しかし要は決して子どもを一人で外に出さないことだ。子どもと外にいるときは、決して目を、手を離さないことだ。子どもが連れ去られるのは実に一瞬だ。その一瞬がおきたら、子どもは二度と手元に戻らないかもしれない。二度と子どもを抱きしめられないと思ったとき、その手は絶対に離せなくなるだろう。
2007.2.2.
〜 日本語と英語を話す人 〜
先日、ニューヨークに働く女性の会に参加した。そこで出会った数名の人の会話に驚いた。というのも、いわゆるちゃんぽんで話しをしていたのだ。つまり日本語と英語を交えながらぽんぽんと変えて話して行ったのだ。その多くの人がアメリカの企業でもう20年近く働いているという日本人であった。日本の企業には働いたことがないという人もいた。しかし彼女らの英語は決してネイティブ並みの発音ではないのだ。もしかしたらそういう人ほど自分の英語を誇ろうとするのだろうか?そういう考えを私は察したくないがどうしてもそういう印象を受けてしまった。このようなちゃんぽんの話し方が日常の人もいるのだろう。これには驚きだった。いや、もしかしたら自分を振り返ってみると家族との会話においてはそうかもしれない。
実は私もかなりのバイリンガルである。というのも悪い意味で言っているのだ。つまり今は英語のほうがかなりすんなりと出てくるが、日本語だけでも十分話しができる。しかし自分にとってどのような話し方が一番楽かというと、やはり、両方で話すことなのだ。これはよくインターの女の子達に見られることだが、本当に英語で話しているなと思うと、今度は日本語で表現したほうがよいものは日本語になっていくのだ。自分の例をあげると、もういつ英語を話していて、いつ日本語を話しているかという意識すらなくなっているのが家族との会話だ。
しかし少なくとも、この会で、私は礼儀として日本語だけを話すべきだと思ったのだ。というのもみんなちょこちょこと英語を単語として使っているものの、英語で日本人に話すのは失礼のように思えたのだ。あたかも私は英語ができるのよ、というような印象を、どこかいばっているような、誇らしげに思っているようなところが出るのではないかと思ったのだ。ましてやnative並みの発音ができる帰国子女の人も何人かそこにはいる。彼女達は特にそのような印象を与えがちであると思う。そしてそういう私もその部類なのだが、やはり英語で話せると楽なのだ。そこがジレンマなのかもしれない。英語で話せたらとてもナチュラルなのだが、相手のことを思うとそこまで自分を押し通せない。ここが私の日本人の部分なのかもしれない。けど本来いろいろな話し方があっていいはずだ。相手にきちんと通ずるのであれば、自分らしい話し方をしてもいいのかもしれない。あくまでも目的は相手に言いたいことが伝わることだ。そこにフォーカスすればいいのかもしれない。
2007.2.9.
〜 手話 〜
私は根っからのソーシャルワーカーなのかもしれない。以前「海外子女教育」という雑誌に「Who's Who」のインタビューを受けたときに、ノーラさんほど大学時代から一つのプロフェッションを続けている人ってめずらしいよね。といわれた。私はそんな思いはまったくなかった。とにかく好きなことを続けてきただけだった。それが人を助ける仕事だった。高校のときに自分に適した仕事は何かというassessment をしたことがあった。そのとき、私は人を助ける仕事、人と関係を持つ仕事が向いていると出た。そしてundergraduate の大学を卒業するころに自分はソーシャルワークを生涯のキャリアにしたいと決めた。ソーシャルワークという仕事があることを知ったとき、これが私の理想としているものだと感動したのを覚えている。
常にクライアントの立場に立てる人間になりたかった。しかし、障害を体験することはできない。彼らになることはできない。彼らの体験を共有することも限りがある。それでもできる限り彼らの目線に立とうと努力した。そしてコミュニケーションにおいても同じだった。カナダに行ったときにはフランス語を学んだ。シンガポールに行った時は中国語をマスターした。そしてアメリカに来て、スペイン語をマスターした。そして今、ことばを話さない多くのクライアントとのコミュニケーションに欠かせない手話を学び始めた。新しい言語を学ぶことはなんとも楽しいものだ。彼らと話しができることが何よりもうれしい。そして彼らも喜んでくれる。彼らのことばを話せるということがこれほどうれしいことか。私は本当に幸せだ。
2007.2.16.
〜 人の価値観 〜
14才の母を見始めた。見るたびに私は涙が出る。何よりも14才という若さでこれほどのむずかしいことを考えなくてはいけない未希ちゃんの気持ちを思うと耐えられなくなる。彼女は実に自分に忠実に生きることを決めたのだ。彼女の生きる姿勢もそうだが、それにも増して母親の愛情というものにも感動を受ける。主人公の母親はあくまでも未希ちゃんを信じてサポートし続ける。そしてお互いに言っていることは正しいのだが、それぞれの視点で正しいのであって、これらを間違っているとか正しいとかいえない所が考えさせられるところである。
この世の中には正しいといえることが多くある。しかしそれはその人の価値観や世界から見て正しいということが多々ある。そのため一つのことを100人の人が聞いたら、100通りの捉え方があるということを私達は知らなくてはいけない。しかも、その100人がその日どのようなムードかによっても捉え方が変わるものだ。となると人の意見というのはあくまでも意見であり、そこに正しいも間違いもないということをいつも頭の隅に理解しておかないとならないだろう。そもそも私達はそんなに傲慢なものであってはならならい。神以外に誰も人を裁くことはできないはずだからだ。
残念なことは誰もが自分が正しいと主張してしまうことだ。確かにそれは自分の世界においての話しであって、一歩そこを出たら必ずしも正しいとは限らないということを理解できないのだ。そして正義感の強い人ほど、相手を倒してまで自分の価値観を押し通そうとする。そもそも世の中そうたくさん正しいことがあるわけではないのだ。だから言いたい人には言わせておけばいい。そしてそれを尊重することだ。私達は到底すべての人の考えを理解することすらできないからだ。
2007.2.23.
〜 うわさ好き 〜
人間とはもともとどろどろとした存在だ。つまり生まれてきたときは自分中心で、他の人のことへの配慮などまったくなかったはずだ。だから子どもの最初のことばは、自分を満たしてもらいたいがためにその欲求を満たしてくれる母親を呼ぶ、「ママ」であり、もう少し大きくなれば、子どもは 「わたし!」「ぼく!」「ぼくの!」「かなちゃんの!」というように自分中心にしか考えられない世界からスタートするのだ。
そして怖いことに大人になってもまだまだその自分中心な primitive な考えから脱出できない人が大勢いることだ。それはなぜか?それは成長できる余裕がなかったからではないだろうか。子どもが成長するには親からの十分な愛情の元、安心が不可欠だ。その安心がないと子どもは成長できないのだ。不安な気持ちではその気持ちを落ち着かせることに気がいってしまうだろう。そこには余裕がない。自分を成長させる余裕がないのだ。そのため彼らは自己を成長させることができず、その自己形成にかけた状態から他人への思いやりまで発展できないのだ。
そういう大人は人のうわさばかりをする。人のうわさをすることによって自分へのフォーカスが他人へと向くからだ。自分のことだけを考えていればいいのに、向きあうべき自分が嫌いであったり、問題が多すぎたりすると、そこに目を向けたくないのだ。だから他の人へと向くのだ。そしてたいていその対象となる人物は自分より優れていたり、自分が持っていないものを持っている。だからジェラシーの感情を持つようになる。そして自分が持ってないものを相手が持っていることが面白くないがゆえに相手をいじめ、不幸にすることによって彼らは自己満足をするのだ。それは自分の不幸に彼らを率いることでもある。
彼らは人の幸せを喜ぶことはできない。人が得たものを受け入れることができない。いつも人の幸せをねたみ、彼らの不幸を望むのだ。相手が不幸になれば自分の不幸が見えなくなると思うからだ。この世の中にはそのようなmiserable な感情を抱いている人が大勢いるのだ。そのため、心の健康な子ども達はとかくいじめの対象になるのかもしれない。私達が子どもを育てるときに大切なことは子どもにどんな風が当たってきても倒れないだけの強さを植え付けることだ。それは愛されていることの安心感、自分が受け入れられているという自信。そのようなものなのだ。それさえあれば子どもは少々の風では倒れない。そんな子どもを育てなければならない。
2007.3.2.
〜 非営利団体 〜
非営利という意味の捉え方はさまざまだ。特にアメリカと日本とでは大きな違いがあるようだ。アメリカでは大恐慌の前にはもっと国や州が貧しい人たちを援助することに参加していた。しかしその後、アメリカではもっと民主主義の本来の意味を尊重し、プライベート団体がどんどんと力を増し、自分達の望む団体を築き上げてきた。彼らは州や国の援助を受けている以上、政府の力によって支配されることを余儀なくされることに気づいたのだ。そのため、政府の援助を受けなければ、彼らの望むサービスを貧しい人たちに援助できると考えたのだ。しかしこれらの団体の運営に当たって資金は不可欠である。そのために必要だったのが charity だ。
日本でもチャリティーコンサートというようにだいぶ資金集めのノウハウをアメリカから学んだが、ここアメリカがメッカである。その背後にはキリスト教の教えがあり、つまり人を助けるものは自らが神によって助けられるという概念だ。そのため、人々は自分の収入の一部をこのような非営利団体のために納め、しいては天国に貯金をしたという意識を持つのだ。
そしてこれらのチャリティー活動はアメリカが代表的と言えるであろう。私が関わっている非営利団体で My Sister's Place という家庭内暴力の被害者を援助する団体がある。ここでは年に何度かギャラといって、資金集めのためのイベントを開く。まずこの団体をスポンサーしている個人や企業、団体などが毎年何回かに渡り、寄付をしている。これらの企業はこのイベントが開かれるとわかった段階で、Benefit sponsorship という中から自分たちが寄付をしたい額を選ぶ仕組みになっている。$50,000はChief Justice Sponsor これはこのイベントで一番よいテーブルを選ぶことができる。そこには20人の人を招待できる。さらにJournal の2ページ分の最高のセクションを与えられphoto essay が載る、さらにlogo in journal, My sister's place のニュースレターにプロフィールが載り、ウェブサイトでも紹介され、当日名前がみんなの前で発表されるとされている。つまり自分達が寄付した功績がみんなの前で、しかもありとあらゆる手段で公表されるということだ。たとえばMicrosoft 社であれば、額が多ければ多いほど宣伝効果を得ることができ、多くの寄付をするよい企業だということで名が知られ、結果的には会社の評判につながるということであり、おそらくそれが会社の発展にもつながるということだ。
他にも Platinum partner が$25,000、Gold Partner が$15,000、Silver Partner が$10,000、Bronze partner が$5000、そして他には宣伝を載せるにあたってフルページは$1000、ハーフページは$600、1/4 ページは$350、リスティングは$175。リーガルパートナーは$200、個人での予約は一人$250となる。つまりすべて宣伝料という捉え方もできる。しかもアメリカではこれらの寄付はすべて税金免除である。そのため企業としてはなるべく国に税金を取られないために寄付という形で対策をとっている。
さて、当日は有名なスピーカーを呼んで、多くの支援企業を募る予定である。平日の6時半に始まり、立食パーティーで、silent auction でさらに資金集めをし、夕食のパーティには参加したくない人たちは8:15からのスピーカーと coffee and dessert だけに参加できるオプションがある。服装は cocktail dress となっているからきちんとした格好でいかないといけない。テーブルも割り当てられ、そこはたいていスポンサーが買ったテーブルとなっている。
このようにアメリカのプライベート非営利団体(Private non-profit organization) は政府からの援助も一部得ているものの、ほぼ自分達で資金をこのように調達して運営に当たっている。それゆえに、DVの被害者などはいっさいお金を払わず、団体の援助を受けることができる。Legal service ですらも無料というのはそのような背景があるのだ。
2007.3.9.
〜 自分を信じる 〜
この世の中いったい何を信じたらいいのか迷う今日この頃だ。アメリカは危険といわれているが本当にそうだろうか?アメリカではしょっちゅう子どもが拉致されるから一人で遊びに出せないというがそうであろうか?川や空気はますます汚染されているといわれるがそうだろうか?アメリカは仕事がないといわれているがそうだろうか?私達は案外真実性に欠けた事をそうだと信じて、異常なほどの余計な心配をして生活していないだろうか?
アメリカではそんなに子どもが拉致されているわけではない。アメリカはそんなに危険なところではない。ほとんどのところが安全だ。川や空気は以前と比べてうんときれいになった。そして今では魚が住めるようになり、その魚を食べることもできるようになった地域がいっぱいある。仕事がないといわれていても、求人欄をみていると決してそういう事実とはうとい現実のように思える。
こうなると統計がこうだああだといっても実際はそうでないのかもしれない。私達が本当にわかる現実というのは自分の周りに起きている事しか判断できないのではないだろうか?統計がどうであろうと実際自分が目で見た状態がそうでなければ、それを信じてもいいのではないだろうか?そもそもその統計をどこでとったかもわかっていない。それなのに私達は統計が出るとあたかもそれが全国的のような印象で受け止めてしまい、怖いという事実だけを強調してしまうのではないだろうか。
そのためにも自分にとって必要な情報を自分の状況に当てはめてみて判断することが何よりも大切のように思える。
ちなみに私自身の状況においては自分が生活するせいぜい100キロ内に留めて置きたい。それ以上のことを日常心配したり、気にしたりする余裕がない。だからこうして適当に忙しいということはとても精神的に健康なことなのだ。まさにMind your own business. である。
2007.3.16.
〜 アイデンティティー 〜
先週、ニューヨークの総領事公邸にて「お母さん向け講演会」が開催された。「ニューヨークでの子育て」をテーマに桜井大使夫人の挨拶があり、その後教育相談室のバーンズ静子さんの講演があった。講演の後にニューヨークでの子育て支援に関わっている専門家およびリーダーの方々をパネラーとして質疑応答の時間が儲けられた。そして私は回答者の一人としてそこに出席させていただいた。
当日は慣れないマンハッタンを車で走った。初めてセントラルパークを横切り、67ストリートまで下った。セントラルパークを横切る道になかなか到達できず、一方通行の道を迷ってやっと向こう側に出た。しかしその間どきどきした割にはなんていことないあっという間の距離だった。公邸の前にはセキュリティーのおじさんが車の中で待機していた。入り口を開けてくれたのはバトラーだった。中はアンティーク調で落ち着いた雰囲気の照明がほどこされていた。化粧室の蛇口は金の金具で重々しかった。洗面台はきれいな絵柄のポーセリンだった。二階にはお茶とお菓子が用意され、抹茶ムース、チーズケーキなど小さいながらもとても味わい深いエレガントな飾り付けだった。
さて、質疑応答の時間でアイデンティティーが話題になった。お母様方は子ども達がどのようなアイデンティティーを形成していくのか興味を持ち、果たして自分が今していることは正しいのか不安のようだった。アメリカで生まれ、日本人コミュニティーの中でもはぐくまれるこれらの子ども達。彼らはまず二つの名前を持ち備えることが多い。ミドルネームはアメリカの名前。ファーストネームは日本の名前。そんなことも多い。となるとニックネームも含めて3つの名前で呼ばれるが大丈夫だろうかということがひとつ上がった。私は名前というのは本人が呼ばれてそれでいいのであればいいと思っている。つまり日本でも親からはおさむと呼ばれ、おばあちゃんからはオサムちゃんと呼ばれ、幼稚園ではあだ名で呼ばれているかもしれない。兄弟ではまた別な呼び名かもしれない。つまり状況に応じて、人に応じて名前などはどんどん変わっていく。日本でもそうなのだから、英語の世界ではこの名前、日本語の世界ではこの名前と当然あってよいと思う。
それがアイデンティティーにどのように影響するか。それはおおいに影響するだろう。たとえば英語の名前で呼ばれているとき、その子どもはアメリカの文化の中のサムかもしれない。そして日本語の名前で呼ばれているとき彼はおそらくオサムとして日本人らしく振舞うであろう。となると名前によって自分がその場所でどのように振舞うかにも影響するであろう。決して一つのアイデンティティーでなくてはいけないなどといったルールはないはずだ。
このように名前一つとってもアイデンティティーに影響する。ましてや二つの文化の狭間でいろいろな影響を受けながら育つ海外の子ども達はさまざまなアイデンティティーを自分の中に形成していく。その中でどのアイデンティティーを受け入れていくかであろう。この部分は好き、この部分はきらい。けれどもこの部分も自分とさまざまな葛藤を繰り返しながら最終的には「サム」「おさむ」が生まれるのであろう。ユニークな自分が生まれてそれでいいのだと言えれば最高だろう。自分らしさを受け入れ、ハッピーであることが大切だ。
2007.3.23.
〜 むずかしい子育て 〜
子どもが中学生になり、高校生になると子育てはますますむずかしくなる。小さい頃はおなかさえ満たしていればよかった。しかし思春期を迎えるとそればかりでは足らなくなるからたいへんだ。なぜこの時代、こんなに子育てがむずかしくなっているのだろうか。もう手に負えないとお手上げという声をよく耳にする。いったい昔の子育てとどう変わっているのだろうか?
いやいや、大いに変わっている。それもそのはず。一番の大きな変化は親という存在を子ども達は恐れなくなったからだ。皆さんは自分の親を思い出してほしい。ほらほら、こんなことばがあったではないか。怖いもののベスト3。そう地震、雷、火事、親父。とこのように昔、父親というのはものすごく怖い存在であった。しかし今は子どものご機嫌をとる父親、友達のような父親が増えている。それもそのはず、今や子育ては夫婦二人の参加が当たり前だからだ。父親がうんと身近な存在になった。たまに帰ってきて怒るとどなったり、平手打ちをするような父親はもういなくなった。となると子ども達は怖い親という存在がない。親をばかにしたり、ひどい口答えもするようになった。それは単にもう親を怖いと思ってないからだ。私達は怖い存在と思わなくなるとばかにしたり、口答えをするものだ。つまり同じレベルに考えるからだ。そして怖いと思う存在の人に対して我々は尊敬の意を称すのだ。だから今の子ども達は親を尊敬しないというのは親を怖い存在と受け止めてないからなのだ。
けれどもうれしいニュースがある。確かに子ども達は家ではもうどうしようもないという振る舞いをしていながら、外ではどうだろう?うん、案外彼らはまともなのだ。近所のおばさんとはすばらしいほどの敬語、丁寧語で会話をしている。あいさつもちゃんとできている。決して恥ずかしくない立ち居振る舞いであるのではないか。驚いてしまうだろう。つまり彼らはちゃんと外で生きるすべを学んでいて実行できているのだ。ただ家では問題だらけの行動を起こす。
それはなぜか?彼らは外で一生懸命大人ぶっている分、家に帰ってうんと甘えるのだ。甘えることによって生気を養っているといってもいいほどだ。だから急に赤ちゃんのような存在に彼らは戻るのだ。わがままを言ってみたり、考えられないようなことを言って親を困らせたり。つまりまだまだ成長していない部分を持ち備えていて、それを家庭では経験しているのだ。つまりそれだけ外の世界で求められる大人の部分が、期待される部分が大きくなったといえるのかもしれない。その分、家に帰ってしっかり赤ちゃんをやらないと外の世界でついていけなくなるともいえるのではなかろうか。
さて、ならどうしたらいいのか?口答え、親を尊敬しない。まず言わなくてはいけないことはきちんと伝えるべきだ。そして相手はぐちゅぐちゅまた言ってくるだろう。しかし親はそれに惑わされてはいけない。断固、自分の方針や家のルールに関しては妥当である限り曲げないことだ。そして相手がチャレンジして来てもその点においてはこちらも対応しないこと。ここでストップ。会話はおしまい。少なくとも彼らの耳にこちらの意向は入ったはずだからだ。あとは彼らがどう対応しようと彼らが決めることだ。そしてたいていはきちんと自分の中で考えをまとめられる力を持っているはずだ。だからそれを信じることだ。なんとか自分がしっかりしなくちゃこの子はたいへんなことになるなど責任を取らなくてもいい。そう思うとかなり肩の荷が下り、いらいらがなくなるのではないだろうか。不思議なことになんとかなるものだ。けっこうまともな大人に成長するものだ。
2007.4.13.
〜 英語 〜
さまざまな人種が住んでいるアメリカのような国では人種差別は許さない。そのため今回の Don Imus のことばに対してすごい社会反響が起きている。Rutgers という大学のバスケットボールの女性チームに対してのNappy headed hos のコメントだった。それは黒人をばかにし(racial slur)、さらに女性をばかにしたコメントだった。だから社会は黙っていなかった。しかし私がショックだったのはそのコメントを自分が拾えなかったことだ。それもそのはずどっぷりアメリカの社会につかっていなかったらわからないような表現だったからだ。しかもブラック・カルチャーを知らなければ、ラップでも聴いてないとわからないからだ。
私は英語においてはかなり努力し、すごく苦労して身に付けた。日本にいる間も努めて英語環境に自分の身を置いていた。小学校、高校、大学と英語圏で育ったもののそれでも日本語を話す両親に育てられ、さらに日本でも教育を受けていたわけだから日本語も強いわけだ。そのような自分が今はアメリカの社会でアメリカ人と共に仕事をしている。日本語を話す機会など皆無だ。1日の大半を英語で過ごしている。しかもマネジメントのレベルにいるため、話術がものを言う世界だ。相手を説得したり、自分の意見をきちんと述べたり、とにかく理解してもらわなくてならないので相当高度な英語力が求められる。
さらに書く力がないとこの仕事に就くことはできない。あらゆるドキュメントを書かなくてはいけないのでまたそこで書く力が求められる。もちろん私は日本語でも書くことは得意なので英語でも大丈夫かというとそうとは限らない。文章の構成などはともかく、表現力などが伴わないととても他のマネジメントスタッフと同等に仕事をこなすことは不可能だ。
しかしもっと驚くことはアメリカで生まれたアメリカ人だからと言って彼らがきちんとした文書を書けるかというと決してそうではない。日本語も同様だろうが、しゃべれるから書けるとは限らないのだ。そしてあまり教育レベルの高くない人たちの書いた英語を見たら驚くほどめちゃくちゃである。表現力も幼稚。文法は間違いだらけだ。それを日本で英語教育の基本を学び、後は切り刻んだように受けた英語教育を受けたこの私が添削しているのだ。そう、アメリカ人の英語を私が訂正している。こんなことがまさか起こるとは思わなかったがこれが現実だ。
ここで何を学んだかというと、英語という言語はどこで学ぶかではないこと。場所は問わない。ただきちんと正しく学んだかどうかなのだ。日本人はきちんと文法だけは学校で学んできているはずだ。だから英語で文章は書けるはずだ。ただアメリカ人のような表現がついていないだけなのだ。だからことばが正しくても通じないのはそれが理由だ。しかしアメリカ人の表現力を身に付けていけば、日本で学んだ正しい文法がついてきてそこで完璧に近くなる。だから多くの海外で仕事をしている日本人にはもっと自分達の英語に自信を持ってほしい。話せないから書けないわけではない。いや、むしろ書けることも重要なのだ。相手が流暢に話せるからと尻込みすることはない。4歳児同様、ぺらぺらしゃべれてもきちんとした文章をかけないのと同じようにしゃべれる人が書けるとは限らないからだ。
2007.4.15.
〜 洪水 〜
アメリカに来て日本では経験できないことをいっぱい経験させてもらっている。今日は洪水だ。昨晩から叩き付けるように雨が1日中降っていた。じょじょに降水量が増えていく中、うちの前の道路の状況が怪しくなった。まずマンホールがいっぱいになってそこから水があふれ始めた。排水溝はいっこうに水を受け付けないほどあふれ出していた。そしてじょじょに私の車のタイヤが見えなくなってきた。これは危ないと思い、車を安全なところへ移動させた。
それからうちの前の道路がじょじょに水で埋まっていった。とうとう真ん中もみえなくなるほど水で覆いかぶさってしまった。水はもっと集まり始め、とうとう地下のガラージにまで入ってきた。そこからはもう高いところから低いところへ流れるという水の原理からどんどんと地下室に水が入ってきた。最後にはもう胸のあたりまで水が上がってきた。そして水の元栓を閉じることになった。ボイラーも水浸しになっていてガスが危ないということもあったのでそれも切られた。かろうじて電気だけが使える状態で今夜を過ごすことになる。窓の隙間からは水が漏れ、その水が下に伝わってキッチンの床が水浸しだ。その水を雑巾2枚で15分おきにしぼる。
水が止まったのにはまいった。まず手が洗えない。夕食が作れない。歯を磨けない。そして何よりも苦痛だったのがトイレが使えなくなったことだ。そしてConEd に電話をしていろいろとアドバイスを聞いた。まず外の水を使えばいいということにひらめいた。水は捨てるほどあるのだから、バケツに外の水を汲んできてそれをトイレの水として流せばいいことに気づいた。そして窓の隙間から漏れる水もただしぼって捨てるのはもったいないのでその水も空のゴミ箱にためることにした。これできれいな水が確保できる。
けれども今回の教訓は必ず飲み水を用意しておくことだ。飲み水でなくてもなんらかの水は必要だ。ペットボトルに取っておくこと。そして停電にはろうそく。ろうそくをつけるマッチなりライター。トイレにいけなくなるということがいかにつらいことかがわかった。しかしまだ電気があるだけ救いだった。外に出されたのではなかったのでそれも幸いだ。神戸の大震災の被害者の苦労はとても理解できない。台風カタリーナにしてもしょせん対岸の火事だった。しかし今回は自分の身に起きたことだった。そして自分の身に起きたことこそリアルという実感がした。
2007.4.20.
〜 父親の役割り 〜
もう父親の役割りなど聞き飽きたかもしれないが、やはりまだ言い続ける必要があると私は思う。昔と現代とではどのように違うのだろうか?戦前の日本は特殊な家父長制度の社会で、母親にはなく父親だけがもっている権利がたくさんあった。それによってあれこれ決めるのに父親の許可が必要だった。ということは子どもの成長に必要な教育を父親が考えていた。しかしこの制度は差別的だったので当然廃止された。それと同時に父親の「こわい」という存在、父親の言うことは絶対に服従という社会の了解がなくなった。これからの時代はそれぞれの父親の役割りを考えなくてはならなくなった。つまり社会がそれを強める役割りがなくなったということだ。
昔は本当の意味で社会が子どもを育てていた。子ども同士が外で遊び、その中で社会のルールを学んだ。外にいることも多かったので周りの大人が悪いことをしたときは叱っていた。母親同士もしょっちゅう外にいたので井戸端会議をしながら悩みを話し、先輩ママからアドバイスを受けていた。しかしある意味で社会から隔離された環境では親が子どもをしつけなくてはいけない場面が増えたといえる。ましてや海外では特にそれが要求される。
日本でも海外でも子育て環境は大差ない。厳しい競争社会で学歴競争がどんどん低年齢化して、親が子どもにやらなければならないことが昔より増えています。時代と共に海外でも幼児のための塾などが増えている。インターネットの普及で情報は日本にいるときと同じくらい入ってくる。ましてや周りには日本の現状をタイムリーに伝わる環境がないため、入ってくる情報をまともに受けがちだ。となると親のプレッシャーやストレスが非常に強くなる。
それでいて子どもの成長とか、親が子どもにしてきた成果というのはなかなか文字や数字では表れないためきちんと育てているのか不安になる。それを海外では母親の肩に一手にのしかかってくると言っても過言ではないだろう。働きたくても働けない、外に出たくても外出が容易でない、夫は帰りが遅い、ほとんど家にいないとなると追い詰められてしまう。戸惑い、悩み、孤立していてはとても子育てが楽しいなどと思えなくなる。
そのためにもこれからの家庭では「俺は外で働く、おまえは子育てを任せる」といった二分法が成り立たなくなる。父親の協力とは単におむつを替える、食事を作るといった具体的な日常の分担だけを指すのではない。これからは夫婦の協力、相互理解のもとで子育てに関わらないとだめなのだ。お互いに思いやり支えあっていく関係が基盤になければならない。何よりもコミュニケーションを増やす中で二人でどのように子どもを育てていくかを話し合いながら進めていくことだ。
2007.4.27.
〜 慰安婦問題 〜
寝る前に MIXI に目を通す習慣がある。昨晩は慰安婦問題について読んだ。それを読んでから U tube を訪れ、そこから画像と録画を見たら眠れなくなってしまった。いったい何がそんなに disturbing だったかというとさまざまなことを考え始めてしまったことだ。まず戦争について考えた。いかに戦争がさまざまな非常識な行動や言動を正当化してしまうかという恐ろしさ。そして戦争を始めることを決定するトップの人たちを理解できないこと。そしてその多くが男性であること。それから男性の女性へ対しての見方についても考えてしまった。
さあ、戦争へ行くのは誰か?圧倒的に男性である。そしてもし女性が送り込まれたらこのような慰安婦問題は起きただろうか?男性はもともと aggressive な nature を備えているのではないだろうか?そのため女性が戦場へ行ったらいったいどのような戦いの展開が生まれるだろうかと想像した。おそらく彼らは脅える子ども達のそばに行って comfort するのではないだろうか。困っている老人がいたら手を差し伸べ、自分の食事を一部与えるのではないだろうか?おそらく女性が戦場に出たら、そこには平和が生まれるのではないだろうか。そして戦いはそれで収まるに違いない。男性は敵の国に入って人を殺すことに勝利を得ようとするだろう。しかし女性が戦場に出向いたら彼女らは平和を作っていくのではないだろうか。そしてそこには本当の意味での平和が存在するのではないだろうか。それは勝敗の世界ではなくなるはずだ。争いはなく、競争はなく、勝ち負けの世界がなくなるのではないだろうか。
いったい彼らは韓国や中国人の女性を目の前に何を考えていたのだろうか?それを聞きたい。悪いことだと本当にわかっていたのだろうか?彼らが自分の母や妹にそんなことをしただろうか?もしそう置き換えたら分かりそうなものだ。そんな2才の子どもでもわかるような常識をなぜ彼らは正しいことだと理解したのだろうか?いったい女性をどう見ているのだろうか?いったい敵国の女性をどのように見ていたのだろうか?明らかにそこにはrespect は存在しない。そこには勝った国の所有欲と所有という理由に基づく、俺のものなら何をしてもいいではないかという発想があったのではないだろうか。
となると人間の欲というものがいかにこの世で問題を起こしているかがわかる。たとえば性欲。これをコントロールするのが高等動物のはずなのに。そして食欲。これをコントロールできないから肥満が生まれた。お金に対する欲。これが家族を裂き、友達を裂き、あらゆるナイフとなることがある。これも賢く使わないと止めが効かなくなる。なぜ人は最低限生きるために必要なものだけで満足できないのだろうか?なぜもっともっとという気持ちがあるのだろうか。だからある意味でcapitalist の国はその欲を限りなく試せるという点では問題のある思想なのかもしれない。あくまでも socialist とのバランスが必要なのだ。何事もバランスなのだ。別に一つを極端に嫌っているわけではないのだ。すべてがバランスなのだ。その調整ができなくなったらそれは病気とも言えるのではないだろうか。病気には医者が必要だ。そして私は問題に対して声を上げて世界に気づいてほしいと思ってソーシャルワーカーになったのかもしれない。
なぜ私がソーシャルワーカーになったか。それはまさしく弱い立場の人たちこそ強いと信じているからだ。彼らこそ本当の意味での生きていることの価値や平和といった生きる上で大切なものを私達に語りかけているからだ。それをこの世に伝えて行きたいと思った。もし私がその媒体となれたらと思ったのだ。最初に私は移民のために働いた、次にminority のために働いた。次に障害者のために働いた。そして女性のために、赤ちゃんや子どものために、病気の人たちのために、動物のために、自然のために、oppressed された人たちのために働いてきた。今は心の病を患った人たちのためにと知的障害者のために主に働いている。私達ソーシャルワーカーはまさに社会の現象をきちんと分析しながらその動きに対して人間が人間らしく生きることをモニターするのが勤めなのだ。
2007.5.4.
〜 好きなこと 〜
人は自分が好きなことをしているときが一番輝いているのではないだろうか。それが職業となれば最高だろう。けれどもそもそも生きている時間のほとんどの時間を仕事に費やすのならやはり好きな仕事に就いたほうが絶対に幸せだ。それができている人がどれほどいるだろうか?ほとんどの人が生きるために、家賃を払うために、光熱費を払うために働いているというのなら本当に残念だ。つまり時間だけを切り売りしているのでは残念だ。
私が好きな Radio Station の中で Delilah の番組をもう5年ほど聴いている。彼女はなんと11歳の時にラジオのDJになりたいと決心したという。ラジオ局に足を踏み込み、その時に彼女はDJの仕事にほれ込んでしまった。それ以来今日に至るまで彼女はDJとして本当に好きなことをやっているという。Delilah の番組のいいところは人生についていろいろと考えさせられる点だ。さまざまな人生の拠点にいる人たちが彼女に電話をしてくる。そして今、何を通っているかを語るのだ。そして最後に曲をリクエストするなり、Delilah に選んでもらってかけてもらうという設定なのだ。それにしてもいろいろな人生があるものだと考えさせられる。本当に人の人生ほどさまざまでおもしろいものはない。
そう考えると私の人生も波乱万丈でまんざらではないのかもしれない。子ども達はだいぶ大きくなったもののやはり彼らの人生は始まったばかりである。私だけを中心に考えれば、私の人生はそろそろ終点に向かっているが、つまりもういつ死んでもたいして後悔はない。しかし子ども達の人生はまさに始まったばかりだ。まだまだ親として彼らを見守っていかないといけないのだろう。いろいろな場面でいろいろなアドバイスを求めるかもしれない。思春期の一番大変な時期を乗り越えてきたそしてこれからまだまだ始まるさまざまなチャレンジ。彼らはなんとかやっていくだろう。しかしやはり私の存在は欠かせないのかもしれない。そばにいてあげたいものだ。
私は比較的自由に子ども達を育ててきた。つまり決まったレールをしくこともせず、彼らにレールの引き方を教えてきた。そして彼らが責任をもって自分のレールを引いてきた。二人とも自分のしたいことをしっかりと持っている。それをゆるがすことはない。どんなにガイドしようとしても、彼らの決断は固い。そう思うと本当に自分の道は自分で選ばせて進ませるしかないのかもしれない。
2007.5.11.
〜 ティーエージャーの運転 〜
日本ではあまり心配しなくて済むことだが、アメリカでは見るからにして子どもが運転している光景を目にする。というのも私の住むニューヨーク州の法律では16歳になったら仮免許が取れて、18歳になったら大人の免許に切り替えられる。もっと早い州だと14歳から仮免が許される。というのもこの国は車社会のため、どこへ行くにも車が必要なのだ。もちろん、それなりに自分が運転しなくても人に頼ったり、バスや電車があればいけるのだが、それでもほとんどのところは車以外ではいけないところが多い。そのため、アメリカの親は子どもが自分で運転していろいろなところに行ってくれると自分の運転手としての役目が終わったと喜ぶくらいだ。
しかし16歳、18歳という若い時期に運転することはさまざまな問題がある。もちろん、責任のある子どももいるのだが、しょせん子どもである。まだまだ正しい判断ができないことがある。そのため、免許取立ての半年間は同乗者を1人に限るとか陽がくれたら運転してはいけないなどの制限も設けている。しかしこれもあまりにも制限が複雑で多くて、しかもしょっちゅう変わるので監督する側としてこれらの制限を覚えておくのはなかなかだ。
そして一番こわいのは飲酒運転だ。彼らの多くがアルコールに興味を持っている。それは法律で21歳になってからでないと飲めないという規制があるからだ。先日、私はカウンティー警察主催の講習会に出たが、天気が悪かったせいかたったの数名しか出席してなかった。そこで警察官の人が言ったことでいくつか印象的なことがあった。それは私達は赤ちゃんが生まれた瞬間から危険物にロックしたにも関わらず、家にあるビールやワインをロックしないということだ。確かに娘も冷蔵庫に堂々と入っているビールを飲んだっけ?冷蔵庫にあったワインが減っていたっけ?
最後に実際にアルコールが入るとどれほど判断がにぶるかということで飲酒運転のシミュレーションに参加した。これは自分でブレーキを踏んでいるのに実際にはかなり遅い反応をしている。さらに道を曲がるのにも反応が遅くなる。なかなかの経験だったが、これによって私はさんざん酔ってしまった。家に帰ってきて2時間ほどたいへんだった。
2007.5.18.
〜 戦争反対 〜
今、アメリカはイラクと戦争をしている。しかし毎日の生活の中で、この国が戦争に参加しているという実感はほとんどない。きっと日本と戦争をしている時もアメリカ人はこんな感覚でいたのだろうと思った。しかし日本に住んでいた人たちは実際に戦争をしているという実感を毎日感じていたのではないだろうか?まったく戦争とは無縁だと思う人はいなかったのではないだろうか?
これだけ多くの人が戦争を反対しながらなぜ戦争は終わらないのだろうか?幼稚園で習ったことがなぜ実行されていないのだろうか。けんかをしてはいけない、人を傷つけてはいけない。そういった基本的なことをなぜ守れないのだろうか?私は単純だろうか?しかしこれを言ったらもう終わりというようにやはりこれをやったらもう終わりということがあると思うのだ。その代表が核戦争ではないだろうか?核戦争は絶対に行ってはいけない。こんな常識的なことをなぜわからないのだろうか?にもかかわらずいつ行われるかわからないとほのめかす国がある。もし核戦争がいけないのが当然として受け止められるとしたら、戦争も同じではないだろうか?いったいどこが違うというのか。子供同士のけんかはいけないというのなら、大人同士のけんかも同じではないだろうか。つまりけんかはけんか。それだけの話しに過ぎない。こんな簡単なことなのだ。
イラクの戦士達は負傷を負った戦士に次のようなことばをかけをするという。「国に帰ったら何をするのか?」「家族はいるか?」「どんな楽しい思い出があったか?」これは彼らの意識を遠のくのを防ぐためだけではない。彼らが死の世界に引き込まれないようにするためだ。将来のある、いくらでも可能性のある若者をこのような無駄な死に追いやっては絶対にいけない。アメリカにしてもどの国にしても若い人たちはその国の未来であるはずだ。希望であるはずだ。彼らを大切にしなくてはその国の将来の政策も何も意味を持たないと思う。若いというだけで、それだけですばらしいのだ。だからその国の財産である彼らを無駄な死で亡くしてほしくない。戦争は絶対にやってはいけないのだ。いったいいつになったらこんな簡単なことを国のトップである人たちは理解するのだろう。おそらく自ら戦争の一線に立ったときではないだろうか。
2007.5.25.
〜 しっかり包装 〜
海外で日系書店があることはとてもうれしいことだ。海外にいても日本の本が読める。そればかりではない。読みたくない本でも、いや買いたくない本でも、だいたいの内容がわかったり、日本のトレンドが垣間見れるちょっとしたいい気分になれるひとときだ。そう、日本では本屋といえば立ち読みができる。コンビニには立ち読みに行くという人がいるほどだ。しかしこの立ち読み。本屋側からすればあまり歓迎ではない。当然、新しいきれいな本をめくられたり、あかがついたりするし、中にはつばをつけてページをめくる人もいる。つまり汚い本、あたかも誰かが読んだと思われる本は買い手がつかない。
特に海外では仕入れた分売らないと採算があわないということがある。そのためシンガポールの書店でも徹底してビニールで包装している。そのためどんな本だろうと内容を確認することができない。かといって買ってみたものの返すこともあまり喜ばれない。となるとやはりあの分厚いビニールの上から内容を一生懸命目を凝らして読み、そうっとなでながら、「ああ、内容を見たいな〜」と口に指をくわえてながめるしかないのだろうか。しかも売れ筋の本ほどしっかりとこのビニールで包装されているところがにくい。どうしても内容を見たくてもあれほど頑丈にしっかり手間と時間をかけて包装してあれば、見せてもらってやっぱりいいですとは言えない。このあたりの心理も見抜いてるな?
となるとだいたいの内容を調べた上で絶対に買うという意気込みで本屋に向かうのが海外での日系書店へ出向くときの心構えといえよう。それにしても日本の値段を知っているだけに海外でその1.5倍ほどの金額を払ってまで読みたいほどの本であるかどうか考えてしまうことがある。となるとやはり日本の本とは縁遠くなってしまう。まあ、海外にいるのだから、その時間をいかして、思いっきり現地の本を読めばいいのかもしれない。
2007.6.1.
〜 外でおしっこ 〜
東南アジアに住んでいた頃、かなりの割合で大人が子どもに平気で外でのおしっこをさせていた。もちろん年齢は小学生以下が大半だが、私はどうもあれを見ると眉をひそめてしまう。エチケットだからとはっきりと注意するシンガポール在住のアメリカ人もいたが、彼らも最初の頃だけで数年もすると見てみぬふりとなっていた。しかし東南アジアでは案外抵抗がないのだ。それもそのはず子どもの場合はそれが受け入れられている社会だからだ。それでも場所をわきまえなくてはならない。高級マンションの敷地内では絶対に許されるべきではないと思う。それはメードがよく心得なくてはいけないことだ。しかしマレーシアの片田舎ならこれは開放的でよい。
しかしもっと驚いたのはアメリカのきれいな公園でもアメリカ人の母親が子どもにおしっこをさせていたことだ。それからのこと、やっぱりトイレがないのが問題であり、子どもの場合はまったなしだ。だから国を問わず、いかなくちゃいけないときはどうしてもいかなくちゃいけなくなるのが子ども。
2007.6.9.
〜 クレジット・カードの番号を盗まれる 〜
生きているといろいろな事件に巻き込まれる。どんなに避けようと思っても、やはり事故には遭うし、病気にもなるし、こういったことは生きている以上避けようがない。そしてこのたびはである。そう、また事件に巻き込まれた。いったいどうやって?未だに解明されていない不思議な事件だ。(この事件に詳しい方は是非教えてください。)それは私のクレジット・カードの番号を誰かが盗んで、それでなんと15万円相当のものを買われた。それプラス実は1200円程度のものも後追加に買われていた。同じところでだ。場所は私の住むウェストチェスターから2時間近くかかるクイーンズの Elmhurst というところだ。そこの Best Buy というお店だ。
どうやってこのことが判明したかというと、まずCitibank から私の携帯に電話があった。その内容は「あなたのtransaction についてご相談したい。」みたいなことだった。私はさっそく自分のオンラインアカウントを開いてみた。そのstatement を見てびっくりした。なんと見覚えのない金額が表示されていた。まさか、ええ?私の身の上にこんなことが起きたのか?というリアクション。というのも数日前にM氏がまったく同じ問題で困っていたことをこぼしていたのだ。なぜそんな話題になったのかは定かではないが私はそのことを記憶していた。とにかくすぐ電話をした。Citibank は24時間7日間 (英語では twenty four-seven という表現を使って年中無休を表す)ラインがオープンしているので助かる。さっそく状況を説明した。なるべく落ち着くように自分に言い聞かせて話しを進めた。それでも相当気が動転していた。なんといっても15万円は大きなダメージだ。
スタッフ(アメリカでは associate という)の指示でまずその番号のカードをキャンセルした。そして新しいカードは金曜日(事件は6日の水曜日に起きた)に近くの支店に送るとのこと。私は仕事をしているので土曜日に取りに行った。新しいカードはすぐ用意されていた。親切に金曜日の日に私にわざわざカードが届いたことを連絡してくれた。そして次にまずファックスで状況をCitibank のSouth Dakota オフィスに連絡するように言われた。そこに私のサインをすることが重要だった。私はすぐ文面を作成し、ファックスを次の日に流した。そしてその手紙を郵送でも送った。そして45日後あたりには調査をした結果、番号が盗まれたことが判明されて初めてcredit(返金) されるとのことだ。
それにしてもどうやってこの事態を防ぐことができようか?私は一時、キャッシュばかり使っていたこともあったが、あまりにも面倒だった。それはおつりがじゃらじゃらと重たくなること。キャッシュを常におさいふに補充しなくてはいけないこと。さらに記録がレシートひとつなのでそれを捨てたら何も残らない。やっぱりキャッシュを使うことは時代に合わないと思い、再びカードを使い始めてこの結果だ。Citibank のスタッフはとにかくカードを自分の目から離さないことという。つまりレストランなどでも一度自分の手から離れたらその番号を誰かが書き取ってカード番号だけで買い物ができてしまうからだ。以前はカードを swipe してから必ずサインを求められた。しかし今ではオンラインの普及によってサインをしなくてもどんどん買い物ができるようになった。
今はかなりカードを使うことにナーバスになっているが、今後この利便性に勝るものはないと思うとやはり忘れた頃にはまたカードを使っているだろう。私の基本は10ドル以上の買い物はすべてカードで済ませている。おそらくキャッシュが一番いいのかもしれないが、食料を買う時も必ず100ドル近くはいく。そんなにキャッシュを持ち歩いていては危険だ。となるとやはり極力カード番号を守りながらカードを使うしかないのかもしれない。なんとも面倒でいて便利な世の中になったものだ。
2007.6.15.
〜 Supernanny 〜
子育てはどの国の親にとってもチャレンジである。ましてや初めての子どもとなればわからないことばかりである。そして子どもが2人、3人と増えれば母親一人ではてんてこまいであろう。今、子育ての真っ最中のものにとって、ああ、こんな毎日でいいんだろうか?と自分に問いかけているかもしれない。あるいは、ああ、今日もなんか怒ってばかりいたなと反省しているかもしれない。子育ては決して簡単ではない。肉体的にも精神的にもすごく挑戦される。子どもはばかではない。彼らは親の限界にいつも挑戦してくる。自分の思いを通すためにはああしてみたり、こうしてみたりと際限なく試してくる。だから親は切れる、怒鳴る、怒る、ひっぱたく、つねる、引きづり回す。
アメリカのテレビ番組で Supernanny という番組がある。私はいつもここでさまざまなことを教えてもらう。子どもを育てている親なら是非見てほしいと思う番組だ。この番組ではイギリスとアメリカでの子育て、こうあるべきというのがわかる。まず助けを求めている家庭での現在の子育て奮闘が描かれる。次に Supernanny (Jo Frost)が登場して状況を分析する。そしていよいよ介入だ。こうしよう、ああしようとアドバイスをする。最初は戸惑いを隠せない母親、父親もやがてその方針に添って自分を変えていく。そして戦いの末、ようやく理想の子育て像が描かれる。めでたし、めでたしと番組は終了する。
今回のファミリーはstay at home mom と働く父親に3人の子ども達。年齢は7才、6才、4才といったような構成。とにかく母親は怒鳴りっぱなし。子どもは口答えをし、言うことをまったく聞かず、完全に親をばかにしている。Maddy という長女はへらへらと笑っていて母親がかなり怒っていてもふざけっぱなし。部屋も片付けない。Maddy はやりたい放題にソファーのクッションをはずしてその上で飛び跳ねる。下の子ども達も同じような感じだ。そして父親は仕事から帰ってきたものの、ものの15分子どもたちのうるささにたまりかねて、ジムにでかけてしまう。1時間半も帰ってこない。その間、母親はまたもや戦争の中に放置される。
Jo はどうするか?まず家のルールをしっかりと提示する。言ってはいけないこと。やってはいけないこと。そしていけない行いに対して、子どもを naughty corner に立たせる。子どもは勝手にそこから離れてしまう。それでもまた根気よくそこにいなくてはいけないということがわかるまで親は体力勝負で子どもをそこに立たせる。つまりconsistency である。悪いことをしたらそれなりに罰が待っているということを教える。なんと3時間もかけた。次に部屋の片付けだがだらだらとせず、時間を15分と決めて親もいっしょに手伝わせた。これはゲームだよと言ってものの15分で実にきれいになった。次は母親の度重なる体罰について Jo は絶対に手を上げてはいけないと伝える。しかしその母親は自分の親がそのように自分を育て、それ以外のしつけの仕方がわからないという。そこでJoは手を上げそうになったら一歩退くことを提案する。さらに Maddy が長女ということで彼女ばかり怒られていた。そこでJoは母親とMaddy との二人だけの時間を提案する。そこには兄弟とのライバル争いがなく、Maddy は実に心穏やかに母親と接し始めた。そう、つまり彼女が act out するのは何よりも母親の愛情に飢えていたからだ。
そして父親。彼はもっと彼女を affection をもって接しなくてはいけないと伝えた。今まではがみがみ、いらいら、キーキーの妻をとても抱きたいという気持ちにならなかったという。けれども彼女が変わっていくことで彼は彼女を温かく包み込むようになった。彼女はそれだけでも十分だったようだ。そして父親も子ども達のしつけにかかわることをJoは強調した。そして子ども達にもどれだけ愛しているかをからだを持って示さなくてはいけないと伝えた。Hugs and kisses というゲームをした。相手を捕まえたらhug をしてキスをするといったゲームだ。
結局、子ども達が原因ではなかったのだ。親の接し方の問題だったのだ。親が変わって子どもも変わる。子どもは innocent ほとんどの場合そうだ。
2007.6.22.
〜 自分を大切にする 〜
若い頃、よく 「自分を大切にしなさい」と教わった。そのときはいったいどういう意味か理解できなかった。当時私はこわいもの知らずであらゆることにチャレンジしていた。それは私がフィギャアスケートで選手としてrequire されていたことだったのかもしれない。つまりジャンプでの着地などこわいと思ったらできなかったからだ。こわくてもやるといつも自分に言い聞かせていた。ジャンプは本当に怖いのだ。どういう着地が待っているかわからないからだ。実際に足首を何度も捻挫した。捻挫をするたびにcompetition には出られなくなったからだ。それは選手にとってものすごい痛手なのだ。けれどもそこでジャンプをしなければある意味で試合にも出られないのだ。どちらにしろ出られないようになるのなら挑戦したほうがよいと考えた。氷の上でのアイスダンスでもバックですべることは怖い。ちょっとでもエッジを間違えれば頭から氷の上にたたきつけられるからだ。
そんなわけで私はいつも courageous であった。怖いもの知らずと言われた。何でも経験してみたいという気持ちがとても強く、そんな私を見ていてそのようなアドバイスをした人がいたのだろう。しかし本当の意味で自分を大切にするという意味がわかったのはずっと後だった。今の私の理解は、自分を大切にするということは自分の気持ちに素直に生きるというように解釈している。自分に素直に生きるということが本当の意味でどういうことなのか。それは自分らしくいるということでもある。そこには真の開放感があり、自由がある。なんともいえない心の平安もある。
私達はこの社会において人との関係を絶つことはできない。どうしても人とうまくやっていかなくてはいけない。夫とも、子どもとも。まずは家庭から始まる。仕事ならますますそれは要求される。しかし自分を失わずにそれらの関係を持つことも可能なのだ。自分らしくいるということは利己主義を通すということではないのだ。それは自分が大切だからこそ相手の気持ちも理解できるというもっと奥深いstatement といえる。いずれにしろ自分らしくいることは生きるにあたってultimate goal なのではないかと思う。
2007.6.30.
〜 自信 〜
自分に自信を持っている人というのは見てすぐわかる。そこにはなんらかのオーラみたいなものを感じるからだ。そればかりではない、その人の落ち着き、その人の話す口調、すべてに表れる。おそらく多くの人のあこがれだろう。アメリカにいると自信を持った人が多いのに気づく。私はそのような自信というのは与えられたポジション、あるいは自分で得たポジションから得るものだと思っていた。確かにそれは一理あると思う。そのようなポジションを与えられれば、それなりの姿勢が生まれ、それなりの態度が望まれるからだ。人の地位がその人を形付ける。しかしそれは必ずしも管理職などの地位にいる人とは限らないというのにも気づく。郵便局の職員でもしっかりした女性が多い。いったい何がそんなに彼女へ自信をもたらすのか?
おそらくそれは彼女達が今まで培ってきたものに違いない。どのような人生を通ったのかはわからない、どのような教育を学校で受けたのかはわからない、そしてどのように家庭で育てられたかもわからない。しかしわかることは確実にその自信によって彼女達はハッピーな人生を送っていることだ。自分に自信があるからこそ自分で決断をし、自分の人生に対して責任を持ち、コントロールのたずなをしっかりもっているので、周りに影響されないのだ。まさにこれが理想なのかもしれない。まずは選択の自由が与ええられていること。そこからがスタートだ。そしてその選択権を利用できる立場でいること。そして選択をし、それに対して自分で責任を持つこと。そうすれば他の人を攻めることはないのだ。自分が選んだことだからだ。誰の責任でもない、自分だけの責任。自分が決めたこと。こうなるとやはり次の本のタイトルは「自分で決める、自分で責任をとる」そんなタイトルにしようかと考えている。
2007.7.6.
〜 日常を楽しむ 〜
私達は何か大きな特別なイベントを楽しみに待つ傾向がある。お正月、夏休み、友達の訪問、一時帰国。もちろんそれらも一つ一つ楽しみして悪いことはない。しかしそれだけが楽しみだったら人生はつまらないのではないだろうか。それよりも毎日の日常をいかに楽しめるかで人生の豊かさが決まるのではないかと思う。結局、日常なんてつまらないように思える。朝起きて、朝食を食べ、会社に出向き、仕事をして、たわいない話を同僚とし、帰ってきて、夕食を作って、ちょっとテレビでも見て、寝る。そんな毎日がこの地球上で繰り返し、繰り返し行なわれているわけだ。それはどの国でも同じであって、特に日常生活が著しく違うという国はないのがおもしろい。
となるとやはりこの日常をいかに楽しむかにかかってくるのではないだろうか。人生がつまらないと思っている人にとっては特にだ。まず朝どこも痛いところもなく、健康に起きれたことは大きな喜びだ。今日もおいしく朝食が食べられることが何よりもうれしいと思うことだ。そして食事をテーブルに並べられたことそれ自体とてもありがたいことだ。さらに仕事に行く足があることもありがたい。そして何よりも仕事があるということが何よりもうれしい。さらに孤独ではなく、同僚と日常のことを会話することができるそういった環境を与えられていることもなによりもうれしい。定時に家に帰られることも何よりも変えがたい。夕食を作る楽しみを持てる自分が何よりも好きだ。そして夕食後のリラックスできる空間と時間が与えられていることはなんて幸せなのだろう。そして今日もからだを横にして休め、安心できる寝床があることはなんて幸せなんだろう。
2007.7.13.
〜 危機 〜
私達の日常の中で危機感はどの程度存在するだろう。子どもが小さい頃は特にそれが多いと思う。たばこを食べてしまった。高いところから落下。コンセントに何かを入れてしまう。だからこそ緊張が耐えない子どもの頃だ。また職場においても危機がしょっちゅうのようにある場所がある。今、私が勤めている職場もそのひとつだ。知的障害を持った施設利用者は精神年齢がわずか1才とか2才なのだ。そのため、自分の思いが通らないと手足をばたばたさせて暴れだすことがあるのだ。50歳のケリーを押さえつけるのはなかなかたいへんである。私は小柄でさほど力もない。SCIP という自己防衛と暴れる施設利用者の押さえつけ方の技術を習得するトレーニングも受けているが、いざとなったら暴れている施設利用者の足を押さえつけるなり、など必要に迫れることもある。実際、かなりけがも負った。最初の頃は要領がわからずからだの一部にあざを負った。めがねは振り払われ宙をまうこともある。
そして病院に勤めていた時も患者やスタッフの安全のためにさまざまなルールが作られていた。それらのいくつかを紹介しよう。私が以前勤めていた総合病院はかなり大きな病院であったが、そこのスタッフすべてが、つまりボランティアも含めて、緊急時のルールを知っていなくてはならなかった。それもすべてコードと言って、患者や家族、訪問者が動揺しないように秘密の暗号によって動いていた。
まず火事が発生した場合、Dr. Fireside と叫ぶことになっていた。しかも冷静を保たなければならないのだからなかなかだ。RACE と覚え、それは R- Rescue 身の危険を避けるためにその人を火から避ける。 A - Alarm 一番近くにある fire pull station を引いて火事であることを知らせる。これが消防署に直接連絡が行くようになっているようだ。 C - contain 周りのすべてのドアや窓を閉めることによって、火が回らないようにする。そして最後は E - extinguish 自分で消せる範囲だと判断したら消火器を使って消すことを試みる。 この消火器の使い方は PASS と覚えるように言われた。それは P - pull pin, A - aim nozzle at fire, S - squeeze the handle, S - sweep side to side. これは日本も同じだと思う。まずピンを抜く、次にホースを火に向ける。次にハンドルを握って消化スプレーを出す。次に火元に向けて右左に動かして消す。
さらにホットラインの電話番号を覚えなくてはいけなかった。それはHazards, Security, Corporate Compliance, Emergencies であった。さらに面白かったのこの秘密のコードであった。これは受付から流される暗号だが、これはよくデパートなどでも使われている。
Dr. Fireside - fire alarm, Dr. Redstone - agitated patient, Dr. Strong - workplace violence, Code XX - cardiac arrest, bed management, disaster alert. Code Pink - infant abduction, Code Adam - child abduction, Code Grey - Wandering patient となっていた。つまり病院では赤ちゃんがさらわれたり、子どもの患者がさらわれたりするときにコードが使われる。たとえば部屋からどこかへ行ってしまった患者さんのことはグレーと呼ぶことになっていた。
2007.8.10.
〜 外出先での授乳 〜
皆さんは外出先で授乳するときはどのような工夫をしていますか?
また外出先で授乳することに対してどのような気持ちをいだいていますか?
日本では昔から母乳が盛んでしたので、都会を離れれば、お母さんは人前でも平気で赤ちゃんにお乳を与えていたものです。
しかし都会化が進むにつれ、人が増え、おっぱいを公の場で出すことにためらいが生じてきたと思います。
赤ちゃんにとっておっぱいは重要なごはんであっても、人によってはそれを性的な存在として見る人もいるわけです。
特にアメリカでは日本とは歴史が違い、母乳を与える人は貧しい人というイメージが以前ありました。今でこそだいぶ母乳支持派は増えたものの、いまだに外で授乳をしている人はあまり見かけません。それは生活様式が違うと言うことにも関係があります。車社会であること、スペースがたっぷりあること、そのようなことから公の場から離れて授乳する場所があるといえます。
先日、あるレストランでは、地下のホールに人がまったくいなかったので、そこを利用して授乳をしているママがいました。さらに彼女は赤ちゃんもすっぽりと隠れてしまう大きなカバーをかけていましたので、外からはまったくおっぱいが見えない状態でした。このようなゆったりとしたスペースがあれば授乳も可能なのだなと思いました。
2007.8.17.
〜 習慣 〜
子どもを育てているとどうしても大声で怒鳴ったり、しかったり、ヒステリックに声をあげてしまいます。どうしたら声を上げずに子どもを育てられるのだろうか。それは誰もが一度は思い悩むことではないでしょうか。「もういい加減にしてよ!」、「何度同じことを言わせるの!」、「さっき言ったでしょ!まだわからないの!」、「またやったのね。何度やったら気が済むの?」、「ねえ、また怒られたいの?」、「どうしてこんなにママを怒らせるの?」、「今、やったことがどういうことかわかってるの!」とこのようなことばに身に覚えがあるのではないでしょうか。しかし4人の男の子を育てていたり、年子の子どもを3人もかかえていて、やさしい小さな声で子どもを育てられるのでしょうか?
「ああ、また怒鳴ってしまった」、「もう怒鳴りたくないのに、やめられない。」、「今日こそ、今日だけでも声を上げない」と何度自分に言い聞かせたことでしょうか?怒鳴った後はいつも自己嫌悪、そして言われた側の子ども達も決していい気持ちはしていないはず。「ああ、またやってしまった。」。「もう絶対に声を上げないと誓ったのに」、「どうして自分はこうもだめなの?」。それではどうしてそんなに怒鳴ることをやめることがむずかしいのでしょうか?
そのひとつに習慣というものがあると思います。自分の母親がいつも自分に対してそう育てた。自分は怒鳴られて育った。自分の母親はいつもヒステリックに怒鳴っていた。そしておそらく自分の母親の母親も同じように育てたのかもしれません。つまりそれが普通と思っているとその習慣をくずすことはとてもむずかしいと言えます。けれども希望はあります。習慣を変えることは可能です。まずはその習慣を絶つという決心から始まります。その決心が一番重要なのです。もうしないときっぱり決断することです。しかし決断するだけでは十分でなく、それならどうしたらよいかという新しい習慣をそこに置き換えることです。怒鳴らない代わりにならどうしたらいいのかです。最初はむずかしくても、今度新しい習慣が身に付けばもう古い習慣は消えるはずです。それは新しい習慣がその古い習慣を置き換えたからです。
2007.8.24.
〜 子育てを学ぶ 〜
私達がどのように子どもを育てているか?多くの場合、本当に私達自身がどのように育てられたかをベースにしているのには驚くものです。つまり私達の親がどのように育てたかをそっくりそのまま自分達もしていることが多くあります。しかしそれがすごくいやだったといった場合、そのまったく逆をあえて選んでいることもあります。たとえばHさんの母親は常に彼女を怒鳴っていました。そのためHさんは子どもは怒鳴って言うことを利かせるものだと信じてやみませんでした。しかし同じく怒鳴られて育ったUさんは怒鳴られるのがすごくいやだったため、彼女はあえてそれを絶対にしまいと誓ったのでした。
このように私達は今までとは違う子育ての仕方をいくつかの方法で習得します。
1.メディア − テレビの影響はとても大きいと思います。たとえそれが現実でなくともあのドラマの母親のようになりたいと理想像をかかげることがあるでしょう。
2.本や雑誌 − 具体的な子育て方法を教えてくれます。特にこういうときにどうしたらよいかというような記事はためになります。
3.他の人をみて − これも参考になります。ああ、ああいう風に話しかけたらいいんだ。とか、あれじゃ子どもがかわいそうなどと他の人の子育ての仕方を見て学ぶ点は大きいでしょう。
4.常識 − どこというわけでもなく、自然にこういう場合はこう反応するといった部分です。
5.子ども達 − 私はけっこう子ども達からどうしたらよい親でいられるかを学びました。子どもそれぞれ違うようにその子にあった子育てが重要なのだと思いました。
さあ、皆さんはどうでしょうか?これといったことではなく、これらを総合して私達は親として成長していくのではないでしょうか?さまざまな方法で子育ての仕方を学び、子どもに合わせて自分なりの親としての対応を習得していくのではないでしょうか。自分の性格にマッチしているかどうかも重要な要素でしょう。たとえ天使のようなやさしい母親になりたくても、性格的にマッチョーであれば、それがその人の特徴として現れてよいと思います。結局は自分を偽ることはできないのです。子どもにとって最高の母親は結局は人間らしいバランスのとれた母親なのかもしれません。
2007.9.7.
〜 赤ちゃんの目の色 〜
産まれたばかりの赤ちゃんの目の色を意識したことがありましたか?アメリカでは生まれるとすぐ目の色、髪の色に周りの人が気づきます。ママの目の色ね、パパの目の色ね、あら、誰の目の色かしら?などとです。アメリカ人だからといってみんな目の色がブルーとは限りません。目の色は実に何種類もあり、hazel, blue, green, gray, amber, violet, brownなどが代表的です。私は幸いにして、さまざまな目の色を毎日見る機会があり、その種類の多いことと美しさにすっかり見とれる時があります。施設利用者のマークはbaby blue の目の色で、すごく澄み切っています。スティーブンはほとんど目が閉じたままなのですが、たまに開くとものすごくきれいなグリーンです。インド人であるにもかかわらず、ものすごくきれいなグレーの人も見たことがあります。さて、日本人は何色だか知っていますか? 日本人のほとんどはブラウンです。そのブラウンもとてもきれいだと思います。濃いブラウンから薄いブラウンまでさまざまです。それでもあまり目の色が日本で話題にならないのはなんといってもほとんどの人が同じだからでしょう。
2007.9.14.
〜 赤ちゃんの髪の質 〜
生まれたばかりの赤ちゃんの髪の毛はとてもソフト。中には髪の毛がないという赤ちゃんもいるでしょう。日本人の赤ちゃんはたいてい髪の毛が多いので有名です。中には生まれたときから髪の毛がふさふさに立っている子どももいます。そんな赤ちゃんは欧米の病院では、「ねえ、みてみて、この赤ちゃん、こんなに髪の毛が生えてる」と一躍有名になってしまいます。そして日本人の赤ちゃんのほとんどが髪の毛が生まれた時にもうすでに生えています。それに対して、欧米の赤ちゃんの多くは生まれたときは髪の毛がほとんどありません。産毛程度というくらいです。そして大きくなると髪の毛は生えてきますが、おもしろいことに白人の赤ちゃんの髪の毛は年代と共に色が変わるのが特徴です。特に赤ちゃん、小さい頃は金髪でも大きくなるにつれ、色が濃くなる場合が多々あります。日本人の赤ちゃんも多少薄茶色からじょじょにしっかりした黒に変わっていくでしょう。
さて、髪の毛の質ですが、これまたおもしろい多人種の国では見られます。まっすぐな髪の毛、カーリーな髪の毛、波うっているウェイビーな髪の毛、ちぢり毛といわれるキンキーな髪の毛。赤ちゃんの頃からもう髪の質まで決まっています。しかしどの赤ちゃんの髪の毛もやはりソフト、つまり比較的細いのが特徴です。そして赤ちゃんの頭皮から来るなんともいえないあの髪の毛のかおり。これはびんにつめておきたいほどいいにおいですよね。
2007.9.21.
〜 父親の子育て参加 〜
過去何十年と私は父親の子育て参加の大切さを訴えてきた。しかし、それは赤ちゃんのときばかりを指していたのではない。子育てとは子どもが巣立つまでを言っていたのだ。つまりほぼ18年間を通して父親は子どもの成長に関心を示し、彼らの成長の節々に関わってほしいと伝えていた。特に子どもが大きくなってきたら子どもの学校生活、子どもの教育に父親もおおいに関心を持ってほしいと伝え続けた。
今日、娘の高校の Open House に出向いた。日本人も何人か通っている学校だ。そこで驚いたのが、日本人の親はほとんどが母親のみの参加であったことだ。いったい日本人の父親はこの時間何をしているのだろうか?たった年に1度しかない Open House である。しかも7時から始まって9時に終わる時間帯に設けられている。仕事を5時に終えて、帰宅しても十分に間に合う時間ではないか。たった年に一度のことでも仕事の調整をつけることができないものか。特に子どもがわからないことばで苦労していたり、先生にいろいろと配慮をしてもらっている場合は、両親は先生に顔だけでも出すことが大切ではないか。両親で現地校に通わせていることをサポートしているという姿勢だけでも示すべきではないだろうか?子どもも両親揃って学校に出向いてくれることはうれしいことではないだろうか。たとえ英語がわからなくても、子どもが毎日通っている学校に足を踏み入れ、からだで雰囲気を体験してみることも意義があるのではないだろうか。
いったい日本の父親はなにを考えているのだろうか?大切なわが子の教育に関心はないのだろうか?どんな先生に教わっているのか顔だけでも見たいと思わないのだろうか?子どもが何を学び、それがどのように子どもの成長に影響するのか関心はないのか?本当に子どもを愛してるのか?もし愛してるのなら、たった年に1回の学校訪問になんとでも工夫して参加してほしい。会社にたった1度だけでも今日は残業できませんと言ってほしい。
アメリカ人は自分の誕生日、パートナーの誕生日、そして子どもの誕生日に会社を休むほどだ。おそらく日本人の間では考えられないことかもしれない。となるとやはり父親が子どもの授業参観日に仕事を早めに終わらせるというのは日本では考えられないことなのかもしれない。なんかとっても残念な気がしてならないのだ。けれどもこれも価値観の違いと受け止めるべきなのかもしれない。となると、父親の子育て参加などいつになっても実現しないのかもしれない。私の努力も無駄なのだろうか。
2007.10.5.
〜 人間はわがまま 〜
人間はわがままといったらそれまでだが、人は自分のもっていないものにいつもあこがれている。背が高かったらな、背が低かったらな、結婚していたらな、離婚できたらな、兄弟が多かったらな、一人っ子だったらな とこのようにだ。けれどもきっと背が高い人はぜんぜん自分が恵まれているとは思わないし、背が高いことが背の低い人にとってそれほどのあこがれとは想像もつかないでしょう。そんなものなのです。人はないものねだりばかりをしているのです。自分のもっていないものをほしがるのです。
だからお金もちになったらどんなに幸せだろう。好きなときにどこへでもいけて、おいしいものをいつでも食べれて。お金があったらなんでも手に入るだろうな。大きな家、かっこいい車。けれども本当にお金がある人たちが幸せかどうかなんてわかりはしません。ということは、私達は本当に手に入れても appreciate しないものに単に想像であこがれているのかもしれません。となるとなんと私達はおろかなのでしょう。そうです。おろかなのです。
結局、幸せとは自分の捉え方次第なのです。今ある状況が幸せと思えるかどうかであなたにとっての幸せが決まるのですから。誰が決めるのでもなく、幸せの定義とは、その人にとっての幸せで、周りの人が幸せとする幸せとはぜんぜん違っていいのです。あなたは幸せといえますか? それは捉え方次第。姿勢次第です。一人ぼっち。誰も私のことを思ってくれない。恋人も友だちもいない。自分は世界でもっとも悲劇のヒーロー。そんな風に思っていたら姿勢を変えてみてはどうでしょう? そして自分はこの世で一番幸せ者と自分を psych-up できたら、ひとつ成長した証かもしれません。すべて考え方しだいなのです。すべてこの小さな脳みそによってわたしたちの心は支配されているのです。だからこそ、この考えをコントロールしないといけないのです。
2007.10.12.
〜 男女の世界 〜
ものすごく当たり前のことだが、この世の中には男と女しかいない。どう考えてもその二つの性しか存在しないのだ。しかも、男がいて、女がいるということがものすごく大切なのだ。私は男女がいることはバランスがとれていることのように思えるのだ。
私は25人の部下がいる。ほぼ半数が男の子だ。どうして男の子というかというと、彼らはまだ若くほとんどが20代前半だからだ。私から見たら自分の子供のようなのだ。そんな彼らを私は本当にかわいいと思う。彼らは一生懸命だ。多くの子が人生の落ちこぼれのような奴だが、ここでなんとか更正してこれから新しい希望に向かってやり直そうと思っている。若いことのよさでいっぱいの彼ら。希望や夢ばかりでなく、過去の失敗を克服してきただけに、彼らはやさしい。
それに引き換えどうしてなのか、女の子は違う。彼女たちはうわさ好きだ、小さなことにこだわる。同性でありながら、どうしても受け入れがたい部分がある。かといって彼女たちが男の子からなにかを学ぶというわけではない。彼女たちは本当に女の子らしく素直でいる。それが彼らのカルチャーなのかもしれない。女であることを100%出し、それですごく満足している。もしかしたら、とても素直でいいのかもしれない。これこそが本来の姿といえるかもしれない。人の好みはさておいて、これで男女のバランスがとれているのかもしれない。
2007.10.19.
〜 虐待 〜
私の勤めている身体・知的障害者のデイケア施設である事件があった。私はその第一目撃者であった。私は某部屋の状況を観察しに入っていた。私がいることに気づいていなかったリーダーが部屋に入ってくるなり、ソファの上で横になってぐっすりと眠っているある施設利用者を「起き上がれ!」と言って、床に引っ張り落としたのだ。私は即座に「もっと丁寧に扱って」と言った。彼は私がいたことに驚いた様子だった。そして、「こういうやつらは時々ショック療法が必要なんだ」と自分を正当化した。その後、私はどうしても無理やり床に落とされたジェシーにあざでも残っていてはと気になって、私のボスに即座にメールで状況を伝えておいた。
そうしたら、すぐ上司が私を呼び、調査部にいくように言われた。私はそこで見たままを供述した。その後、リーダーが呼ばれ、部屋にいたほかの目撃者が呼ばれ、事情徴収がすぐ行なわれた。彼はその日、部屋に戻ってくることはなかった。そしてその日にすぐ停職が命じられた。そして3日後、彼は首となった。
自分を守ることができない知的障害者はとかく虐待の対象となる。それはもの言えぬ赤ちゃん、子どもと同じである。そのため、彼らに何か起きたら、まわりは黙っていない。今回も事実が判明した段階で、彼は即首になった。それだけ弱いものを虐待することは決して許されないのだ。容赦しない。もしかしたら、母親として、まわりに誰もいないところで言うことを聞かない子どもを必要以上に平手でひっぱたいたり、泣き止まない子どもをふとんの上にたたきつけたり、悪いことをいった子どものほほをつねったり、口うるさい子どもにあっちにいってと突き倒したり、泣き止まない子どもの口をタオルでふさいだりした覚えはないでしょうか? ええ、だってしつけのためにやったのよ、というかもしれません。しかしそれはしつけを超える行為です。まずそのような行為をしそうになったとき、子どもを預けた先の保育園で保母さんがそれをしたらあなた自身がどのような感情をそれを見て思うか考えてみてください。もし、そのように自分の子どもを扱ってほしくないと即思ったら、それを判断の基準にしてください。母親だから、父親だからと自分の子どもを虐待することは許されることではありません。外の人がやってだめなことは、うちの人もやってはいけないのです。
2007.10.26.
〜 母親の願い 〜
子どもがいる家庭ではつねになにかが散らかっていて、一日として整然とものが片付いている日がないといってもよいでしょう。出したものは出しっぱなし、遊んだものは遊びっぱなし、食器は片付けない、冷蔵庫は子どもの手あかでべたべた、おもちゃはそこら中に、ソファの下、靴の中。靴はぬぎっぱなし、服は床に置きっぱなし。起きている間はしゃべりっぱなし、兄弟けんかはしょっちゅう。いつになったら平和がくるの?!と思うくらい。もう子どもなんていや!と思う日もあるかもしれません。
では皆さんのお宅がいつもきれいであること、整理整頓とされ、モデルハウスのように整然とされていることを望みますか?もし、1日だけでもぴかぴかなきれいな家が与えられたとします。そうしたら、皆さんは本当に幸せになれますか?さあ、どうでしょう?けれどもそこには子ども達はいないでしょう。
あなたが子どもをほしいと思っていたあの時を思い出してください。そう、子どもが生まれたら、といろいろな夢があったのではないでしょうか?これが子どものいる家庭、そんなものもえがいていたのでは?けれどもそれに伴う現実は?もうおわかりのとおりです。だから皆さんは子どものいる現実を選んだのでもあります。子どもがいるということは、一日として片付くことがないということ。いつも片づけをしている状態が子どもとの生活。子どもは汚すのが当たり前。なにか問題があるのが当たり前。だって、それが子どもが子どもでいることなのだからです。彼らはまだ子どもだからです。そしてそれは皆さんが以前から描いていた夢そのものなのです。
だから子どもがどんなに散らかし、どんなに家を汚しても、どんなにうるさくても、にこっと微笑んで、ああ、これは今日も子ども達が元気でいる証拠。健康な証拠。人生を楽しんでる証拠。だからこれでいいんだ。子どもがいる暮らしって汚されること、壊されること、悩むこともいっしょにあってこそなんだ。そういった視点で家の状況を見てみてはどうでしょうか?そしてなによりも、これもすべて過去となる日がいつか来て、その日を思い返したときに、ああ、あんな時もあったんだな〜、なつかしいな〜と思うでしょう。そして、あの時があったからこそ子ども達が今、幸せでいるんだと思えるでしょう。皆さん、是非、子ども達に子どもらしく過ごせる時間を与えてください。子ども達が独立してからはうんとうんと子ども達がいない長〜い生活が待っているのですから。今をうんと楽しんでください。
2007.11.2.
〜 どろぼうに入られる 〜
どうしてなのだろう?私には到底考えられない世界だが、世の中には人様のものを平気で盗む人たちがいる。このようなことは幼児ですらわかることなのに、大人になってもまだわからない人がいるということはなんとも残念なことだ。今朝、オフィスに入ったら、なんと自分のデスクの引き出しのかぎがこじ開けられていた。これは悪夢に違いないと一瞬自分を疑った。なぜならば、以前に同じような夢を見たことがあったからだ。けれどもどうやらこれは現実のようだ。そうだ、現実に起きてしまったのだ。絶対に起こってはいけないことが起きてしまったのだ。
私は8つのクラスの経費を担当している。それは施設利用者のためのお金である。施設は非営利組織なので、ある意味で私達の税金なのだ。それを私はしっかりと二重に鍵を毎日かけて退社するのが習慣になっている。損害額は7万円!かなりの大金である。それをそっくりそのまま持っていかれた。しかも現金だけを目当てにした犯罪だった。そして私のオフィスばかりでなく、他のオフィスもやられた。しかも現金があるオフィスだけが入られたのだ。さらに他のオフィスでは携帯電話6つも盗まれる被害が出た。シェルター作業所もあるのだが、そこに作業中の高級ナイフのセットが5つほど外の林の中に捨てられていたという。
私はまず上司に連絡をした。おそらく指紋を採集するのではないかと思って、オフィスから出た。そして、警察にすぐ連絡し、指紋を採集する人、警察官、detective (刑事)の3人が施設を訪れた。事情徴収を警察官が担当し、供述を書かされた。その後、刑事に状況を説明した。背が高く、とても大きな人で、なかなか怖い印象を受けた。決してやさしくはなかった。次から次へと質問をしてきた。事情徴収とはこういったものなのかと知った。
犯人はスタッフ、あるいはスタッフに頼まれた人。明らかに現金がどこにあるかを知っているのだからスタッフしかいないはず。首にされたスタッフかもしれない。いずれにしろ、この先はもう警察の管轄範囲である。もう任せるしかない。早く犯人が見つかることを願う。そして今現在ここでいっしょに働いているスタッフでないことを願う。
2007.11.9.
〜 余裕 〜
このところなんとも言えない心の平和を感じている。まわりで何が起きようと、どんな人生の荒波が押し寄せようが、私の心はどーんっとすわっている。しかし、ここまでくるのにいったい何年かかっただろうか。自分に自信を持てるようになるまでいったい何年かかっただろうか。人が成長するのには本当に長い年月がかかるものだ。そして本当に成長したら私達はこの世から卒業できるのではないだろうか。いや、私はまだまだであろうが、これでもかなり成長したと言えよう。
このところ特に感じるのが、余裕を持つことの大切さである。仕事においても、余裕がないと正しい判断ができない、人の話を客観的に見据えることができない。特に私の役柄上、ちょっとでも間違ったことを口にするとそれは仕事を失ってしまうほどの重大さになる。間違ったことを言えない。口をすべらすこともできない。とても緊張の中に仕事をしている。きちきちとした生活では、人間がぎすぎすしてしまう。余裕の中には美しさがあり、やさしさがあり、思いやりがある。新しい話しを「心に栄養」に加えた。是非、読んでみてほしい。子どもと接するときに余裕のもつすばらしさを発見できたらと思った。
2007.11.16.
〜 休暇を楽しむ (その1) 〜
海外で生活をしていると、日本にいるとき以上に旅行をする機会に恵まれると思います。私も旅行は大好きです。休暇がとれると海外でも国内でもどこへでも行きたい気持ちでいつもいっぱいです。さて、皆さんはどのような旅を心がけていますか?以下は Tim Hansel 氏が、When I relax, I feel guilty という本に書かれていた、旅の心がけをもとに私のコメントを入れました。ヒントになればと思ってここに記します。
あまり待たないこと − 定期的に休暇を取ることを心がけましょう。あまり長いこと待たないことです。年間計画を立てるのもよいでしょう。就学中の子どもがいる場合は、子どもの休みにあわすことになると思いますので、計画しやすいでしょう。しかし、就学前の子どもでしたら、空いている時期を選びましょう。
やりすぎないこと − 待ちに待った休暇。しかも念入りに計画をしただけに時間いっぱいみたい、やりたいと計画するでしょう。しかし、計画しすぎは禁物です。結局、旅の楽しみは突然の期待外のことが起こることです。だから余裕をもって、あまりきちきちな計画は避けましょう。
期待しすぎないこと − あれもみる、これもするとパーフェクトな計画を実行したい気持ちでいっぱいでしょう。しかし、子どもが熱を出す、子どもが事故にあう、スーツケースが紛失する、飛行機が飛び立たない、など計画がくずれることは多々あります。そのためにもあまり期待しないことです。計画したことに執着せず、突然のイベントが起きてよかったと受け止めましょう。
2007.11.23.
〜 休暇を楽しむ (その2) 〜
先週に引き続き、今週も「休暇をいかにエンジョイするか」について書きましょう。今月、私はカナダに旅行しました。行きも帰りも飛行機が遅れ、またか、またかと先送りされ、ほぼ合わせて12時間ほど空港で過ごしました。いらいらして怒り出す人、なんとかフライトを変えて時間に間に合わせようとやきもきしている人、電話から離れられない人、さまざまなリアクションをみていました。そんな中、私はのんきに過ごし、なるようにしかならない、それならこの時間をおおいに有効にと思い、人間観察から、持ってきた雑誌をしっかり読み、周りの人とお話しをしたりして、長い時間があっというまに過ぎたように思えました。このような姿勢が旅には必要だといつも思うのです。さて、皆さんはどのような心構えを持っていらっしゃるでしょうか?休暇に入る前に次のようなことをチェックしてみてはいかがでしょう。
- あまり期待しないこと − 結果はどうなるかはお楽しみというくらいの心構えがよいでしょう。
- 以前の旅行で失敗したことを繰り返さないように
- 余裕を持ちましょう − 次から次へと数ばかりをこなす旅でなく、のんびりと風景を楽しむくらいの余裕を持ちましょう
- 自分ではどうしようもない状況はいくらでも起こります。そのような時は、「こんなこともあるさ」と笑い飛ばしてしまいましょう。
- いつもと違うことをやってみましょう。− まさかこんなことをするなんて想像もつかなかったといったものにチャレンジしてみましょう。
- 食べ過ぎないように − 旅行中だから特別と思って食べていると、帰ってからたいへんなことになります。旅行中だからこそ適当な量に抑えましょう。食べることは旅の楽しみと言いますが、それだけに集中しないようにしましょう。
- 運動も忘れずに − 車に乗りっぱなし、宿についたらすぐ寝るでは運動不足になります。国立公園でのハイキングなども盛り込みましょう。
- 長い休暇が無理ならば、短い休暇をいくつか取る努力をしましょう。− 特に子どもが小さい場合、二人だけの旅行は必要ですが、長い間留守にするのはむずかしいでしょう。そのためにも、週末旅行を二人で何度か計画するとよいでしょう。
- どうしても休暇なのだからと言いがちですが、あまり休暇であることにこだわらないように普段のように過ごす時間も大切にしましょう。
- 普段と違うことに挑戦してみましょう。− パソコンが中心の生活の人はパソコンから離れてみましょう。
- けちけちするのはやめましょう。− 旅のおみやげはひとつだけ奮発してみてもよいのでは?
- 楽しく過ごす努力をしましょう。− だまされた、食事がまずかった、宿がひどかった、旅にはこれらのできごとがつきものです。だからこそよい方向に考えるように努力しましょう。
2007.11.30.
〜 子どもは変わる 〜
三つ子の魂百までということわざは誰もが知っているが、確かに変わらない部分もあるが、かなり変わる部分もあるものだ。誰ということではないが、いろいろな子どもを長いこと渡ってみていると、この子はこんなに変わった、びっくり!という子がいるものだ。小さい時は怖いもの知らずのいじめっ子が大学に入ってからはもの静かで控え目な青年になっていたり、小さい時は想像できないほどのシャイないじめられっ子が、逆に大学では大学生のグループを率いるほどのリーダーになっていたりと。そして大人になってからもまた人は変わるものだ。私が思うには、まず生まれてから5才まで、そして小学校の6年間ほど、さらには中学、高校の時期、そして大学、そして社会人になってから、それから40過ぎてから人は大きく変わる時期があると思う。
つまりなにかというと環境なのだ。それぞれの時期どのような環境を与えられたかによって人は変わるのではないだろうか。それはちょっとした劇的な人との出会いであったり、違う土地への移動であったり、学ぶ環境あるいは仕事環境が大きく変化したり、さまざまだが、そういった環境の変化というものはものすごい影響があると思う。またなにか目標が変わる時も人は大きく変る。信念や価値観の変化も人を大きく変える。さあ、皆さんはどのようなときに自分は大きく変わったと感じましたか?もしかしたら、海外へ行ったことがきっかけだったでしょうか?それとも日本人とは違う異国の人と結婚したことがきっかけになったでしょうか?あるいは子どもが生まれ、母親となったとき、仕事を辞めたとき、仕事を始めたとき、何か資格を得たとき、念願の学位を得たとき、人生の伴侶に出会ったとき、・・・なんでしょうか?
2007.12.7.
〜 靴を脱ぐ習慣 〜
多くの人は、靴を脱ぐ習慣は日本だけと思っているが、とんでもない。世界を回ると実に多くの国の人々が家の中では靴を脱ぐ習慣を続けている。たとえばスウェーデンでは冬が長いので、彼らは外へ出るときはスノーブーツである。少なくとも寒いということでブーツを履いて出る。となると、家の中でくつろぐにあたって、そのようなブーツを履いているわけにはいかない。さらにおもしろいことにこの国では学校でも靴を脱ぐのだ。もちろん、スノーブーツのようなぽかぽかしたものを8時間も続けて履くことはできない。かといって上履きというものはなく、彼らはみんな靴下のままクラスの中を歩き回る。それでもさほど靴下が汚れないのはやはり清潔を保っているからのようだ。ならトイレのときは?と思いがちだが、日本ほどトイレは汚いところというイメージはない。学校のトイレでも個室になっていて、用を足したいという気持ちになったときにそれぞれで行くので、みんなが一斉に休み時間になるとトイレに駆け込むということがないのだ。その個室も廊下に3つくらいそれぞれのドアがあってついている。そんなトイレだから安心して学校でも大きいほうができるのだ。
それでも靴をはいたまま家に入る国も実に多い。潔癖症というか、きれい好きなGさんは、日本で育っているせいもあってか、どうしても「土足のまま」家の中に入ってくるということに慣れないという。そのため、アメリカ人のご主人と一番最初にもめたのが、靴を脱ぐという習慣をつけてもらうことだった。ご主人は相変わらず、靴を脱ぐことに抵抗があるようだ。靴下だけという状況がなんとも落ち着かないようで、とうとうモカシンというインディアンが履いていた皮でできた部屋履きを履いているそうだ。そう、アメリカ人の場合、靴をぬぐとそのまま靴下の状態で家の中を歩き回るのだ。日本のようにスリッパに履き替えるということはない。そもそもあのスリッパというのは実に危ない。ひっかけたりするからだ。さらに彼らのともすると大きな足に入るスリッパなどは売っていない。そもそもスリッパを履くという習慣はないのだ。だから日本のようなスリッパをアメリカで探すのはむずかしい。しかし、日本ははだしのまま、あるいは靴下のまま家の中を歩き回るのは子どもだけ。大人はたいていスリッパだ。まあ、家の中で靴を脱ぐ習慣ひとつとっても本が書けそうだ。
2007.12.14.
〜 滞在国で見つからないもの 〜
現地に着いて、日本でしょっちゅう使っていたものを探すという状況がしばしば起こる。さあ、ホッチキスの替えが必要、ポケットティッシュがなくなった、セロテープがなくなった、プリンターに使っていたA4サイズの用紙を切らした、お弁当に使っているアルミカップがなくなった、・・・とこのように日本であったらすぐそこのスーパーやコンビニでも買えるものが滞在国に着たら、急に 「探す」という大仕事になってしまうことがある。中にはなんでこんなものすらこの国にはないの?と思うようなこともあるだろう。そして、まだ滞在国に着いてまもないころは車がないので、はるばるバスで隣りの街にまで行って探すということもしばしばであろう。それが、なんと家から10分の雑貨店に売られていたりして、そちらのほうが安く、しかもすぐ手に入ったのにと後悔することもあるだろう。
しかし、ないからといらいらする前に、なぜないかを考えてほしい。つまりないということはそれに代用するものがあるか、あるいはなくてもその国では支障がないということに気づいてほしいのだ。たとえば、ポケットティッシュを例にあげてみよう。あればたいへん便利なものだ。しかし、アメリカでもそんなにみんながみんな絶対にポケットティシュをもっているわけではない。それは携帯ものというのは、基本的に歩き回る習慣のある国から来ていると思うのだ。しかし、アメリカではそんなに移動するにあたって歩くことはない。だから移動は車となれば、車に大きなティシュボックス一つあればいいということもいえる。しかし、移動もそんなに長い距離ではない。たいていどこかにいくにも30分以内の距離だ。そんな距離の間にティシュを必要とすることはないかもしれない。ということは車にも必要ないということだ。じゃ、アメリカ人はティシュを使わないのか?となると、では日本人はいったいどんなところにそんなにティシュを使うのか?という質問になる。鼻をかむにしろ、ちょっとどこかを拭くにしろ、アメリカ人はあのような薄いティシュを使わない。風邪をひくことも日本ほどひんぱんではない。それはスペースがあるからだ。そして風邪をひけば家で休める。日本ではそう簡単に仕事や学校を休まない。日本で言うキッチンペーパーをよく利用する。そしてそのキッチン・ペーパーの安いことに驚く。やはりなにもかも、やることも、発想もここはでかいのかもしれない。このように観察しだすと日本と滞在国の違いとはおもしろくてしかたない。
2007.12.21.
〜 ディジタルの世界が及ぼす影響 〜
携帯電話でメールを送ることはもうめずらしい光景ではなくなった日本だ。そしていまや携帯は小学生にまで浸透した。しかし、将来が懸念される。特に人との関係をうまく結べない人たちが増えるのではないかが心配だ。私達は人と会うことをしなくなった。メールを送っておけばとりあえずお互いが何をしているかが伝わる。しかしそこには人間としての話しのやり取りや、人間的な触れ合いが存在しない。
実際どうなっているかというと、最近では親友と呼べる人が減ってきたという。本当に困ったときに、心から事情を打ち明けられる人がいないという人が増えてきている。海外に出ても、日本の友人とメールを毎日のように交わし、さみしさはそれでまぎれるという人もいる。国際電話も安くなったし、スカイプにお互いはいっていれば、日本であろうが、どこであろうと、無料で話ができる。あえて狭い日本人社会で気を使って友達を作ることもない、子どもを通しての友だちしかできないし、やがてここを去るのだし、と努力して友だちを作ろうとしない人が増えているのだ。
確かにパソコン、テレビ、DVDや携帯はビジネスや私生活においてもたいへんな便利さをもたらした。しかし、その反面パソコンや携帯のおよぼす悪影響にも目を向けなくてはいけない。特に人との関係のおいて。誰にも話す人がいないからカウンセラーに話すということは、頼られてうれしいのだが、本当に他に話す人はいないのかということをどうしても聞いてしまう。カウンセラーとは限られた形でしか話せない。しかし、親友だったらいつどんな時でも話を聞いてくれるはずだ。聞いてもらえるだけでも、かなり悩みは解消するはずだ。
2007.12.28.
〜 平和 〜
平和であること。ほとんどの日本にいる日本人は平和の価値を日頃意識的に理解していないのではないだろうか。なぜなら、平和の価値は、平和の中ではなかなか理解できないからだ。平和の価値は、その平和がなくなったときに、もっとも理解できるからだ。
このたびパキスタンにおいて、ブット元首相が暗殺された。私にとって、とてもショックな出来事であった。というのも、私は女性のリーダーをとても尊敬しているからだ。ブット氏のように国のために自分を犠牲にして活動を続けた勇敢なる女性を私は賞賛する。だからこそ、彼女の死は私にとって、未来に対する希望を失いかけたように思うのだ。
平和を保つための代償というものはそういうことなのだ。平和を保つためには多くの犠牲がその背後にあったり、多くの人がその平和を保つために日々努めているのだ。平和が当たり前だと思ってほしくない。平和は多くの人たちによって作られているものであって、たまたまそこに存在しているものではないということを新しい年に向かって認識したいものだ。平和である日本はすばらしいのだ。平和であるアメリカもすばらしいのだ。自分自身が毎日平和を感じられることはこれまた何にも替えがたいすばらしいものなのだ。
