今日のひとこと
2000年の3月より、海外出産・育児コンサルタントとして感じたこと、国際医療ソーシャルワーカーとして感じたこと、海外生活体験者として感じたこと、母親として感じたこと、女として感じたこと、そして何よりもノーラ・コーリ個人として感じたことを今日のひとことで毎週つづってきました。以下はバックナンバーです。
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2006年
2006.1.6.
〜 何が起こるかわからない明日 〜
世界の皆様、あけましておめでとうございます。今年もケア・ワールドをよろしくお願いいたします。ケア・ワールドは今年で18年目を迎えました。この18年間に多くの方に出会い、私自身も成長しました。サイトもコンテンツを増やし、よりいっそう皆様の海外生活のお役に立てればと思っております。
今日のひとことも毎週更新していきますので、いっしょに考え、いっしょに悩み、そしていっしょに海外での生活を楽しみましょう。そう、日本にいても海外にいても、事件は起こり、怖いことは起こります。それをどう受け止めるかにかかると思います。旅行中に強盗にあった家族、旅行中にパスポートと現金、すべての貴重品を盗まれた家族、帰国する引越しの最中に母親が骨折してしまったケース、子どもが乗っていた車が事故にあい、帰らぬ人となってしまったケース、母親が育児ノイローゼになり、子どもをおぼらせて殺してしまったケース、世界貿易センタービルのテロ事件で夫を亡くしてしまったケース、急に夫に離婚を言い渡されたケース、子どもが拒食症で虐待として訴えられたケース、交通事故の処理で何年も裁判が滞ってるケース、今までに多くのケースにたずさわり、カウンセラーとして心のケアをしてきました。どれも決して忘れないケースであり、その後のフォローも定期的にしています。
しかし、このようなことが決して自分の身には起こらないという保障など何一つないということです。これは国内外を問わずです。あしたの自分の命もわからない。今日、何が起こるかもわからない。平和に迎えた朝なのに、今日は平和に暮らせると思っていたのに、午後には自分の人生が180度変わるような事件が起こるかもしれないのです。私たちはそんな不確かな世界にいて、それでいて、そのようなことは何も考えずに生きているわけです。夫があしたいなくなったら自分はどうやって生きていくのだろう?と何年も考えてこなかったこともあるでしょう。赤ちゃんが生まれたばかりの頃は、この幸せがずっと続くような思いでいたと思います。
それではいったい私たちは、この新しい年を迎えるにあたって、どういった心構えで明日のぞんだらよいのでしょうか?答えは皆さんそれぞれだと思いますが、私の答えはただひとつです。それは明日もわからないのだから、今日を一生懸命、精一杯生き、後悔しない1日とするということに決めています。それを意気込まず、いかに自然体でするかがおそらく私にとっては課題だと思います。
今朝も実は怖いことがありました。自分はなんて無力なのだろうと考えさせられた事件でした。それはまんまと人にだまされてしまったのです。信頼できる銀行、信頼できる組織と信じていたのですが、それを装った悪魔にまんまとだまされてしまいました。IDを聞かれ、パスワードを聞かれ、そこまで悪魔は私の情報を把握していました。しかし、その先、私のクレジット・カード番号を聞き、さらには銀行の暗証番号まで聞いてきたところで、おかしいと感じたのでした。しかしその時点ではもうすでに遅し、最終的には暗証番号は渡さなかったものの、その前に渡した情報はすべて相手に伝わってしまいました。私はすぐにパスワードを変え、さらには、クレジット・カードもキャンセルしました。しかし、対応の早いこと。即その場でカードはキャンセルされ、新しいカードは明日届くとのこと。それには驚きました。しかし、ここでいかに自分もこのような事件に簡単に巻き込まれるかを知り、さらにはクレジット・カードの管理をもう少し厳しく対応しようと学びました。失敗をして初めて学ぶことのなんと多いことか。人生は失敗の繰り返しと受け止めるべきなのかもしれません。
2006.1.13.
〜 ニューヨーク日本人医療支援ネットワーク 誕生 〜
1月12日ニューヨークにおいて、日本人医療支援ネットワークが誕生しました。ケア・ワールドもメンバーに加わりました。第一回目は日本総領事館の会議室で行われました。そこに揃ったメンバーは、ニューヨークにおける6万人の日本人のために医療関連業務に携わっている33名の代表者でした。
日米カウンセリングセンター、HIV一次医療クリニック、乳がんの会、ボランティアの会、日本人のためのソーシャルサービス組織、日本語による心理療法クリニック、家庭内暴力を受けた女性のためのサービス、日本人教育相談室、すくすく会育児支援団体、ヤング乳がんサポートの会、ニューヨーク市保健局、日本人看護婦の会、日本人ソーシャルワーカーの会、日本人医師の会、アートセラピーの会、心臓移植サポートの会 など
そのうちのいくつかを紹介しましょう。Asian & Pacific Islander Coalition on HIV/AIDS ではHIV検査のサービス、教育、カウンセリング、研究を行っています。日本人の利用はだいたい毎年100人ほどが検査を受け、そのうち男性は6割、女性は4割とのことです。Heart to Heart は心臓移植のために日本から来た患者さんと家族がニューヨークでの手術と治療期間、生活面でサポートをしています。日米ソーシャルサービスでは日系・日本人高齢者への支援活動をしています。芸術療法士の会ではアートセラピーを中心に、折り紙でのセラピーにも取り組んでいるようです。私も小児病院の子どもたち一人一人に鶴をいっしょに折ってプレゼントしていますが、コミュニケーションを図る最高のチャンスになっています。Young Japanese Breast Cancer Network は若い時期に乳がんになった女性をサポートしています。
私は5年間ニューヨークに住みながらも、ほとんどのところは名前だけしか知らず、その裏で働く人たちの顔がまったく見えないままでした。また初めて知った団体もあり、びっくりしました。私も、これからさっそく看護師の会、(ここはソーシャルワーカーも参加しているので)、それともちろんソーシャルワーカーの会にも参加しようと思います。
このネットワークのひとつの目的はテロ事件のような緊急時にニューヨークにおける医療従事者がいっせいに力をひとつにして日本人コミュニティーのためにサービスを提供できるようにするためでもあるそうです。私は個人的に、ケア・ワールドでテロ事件数日後にホットラインをオープンしました。日本総領事館に連絡し、ケア・ワールドでも日本人コミュニティー特に小さなお子さんのいらっしゃるご家庭を支援することをお伝えしました。
今回米国日本人医師会会長の本間教授によってこのネットワークが立ち上がり、このようにニューヨークにおける医療従事者の顔が揃い、うれしいのひとことでした。この会が今後発展していくことを希望するばかりです。
2006.1.20.
〜 添い寝 〜
このところ日本の添い寝が海外でも見直されているが、たたみにふとんを敷いて寝る日本の文化とベッドの上でねるほとんどの国の文化とではかなり状況が違うと思う。それに加えて、子どもを中心とする日本の文化と、夫婦が家族の中心ととらえる海外の多くの国ではこれまた添い寝に対する考え方が変わってくると思う。
相談の中で、子どもが寝てくれない、夜中起きて困るという問い合わせがものすごくあります。これはもう20年前と変わっていません。なぜこれほどに日本人の親は子どもが寝ないこと、子どもが夜中何度も起きることに悩むのでしょうか?
この問題を話題としてあげるのに実は、本が書けてしまうほどなので、今日のひとことでは言い尽くせませんが、ひとことでいうと、(病気でないと言う前提は言うまでもありませんが)子どもが親に振り回されているという現状です。子どもはいくらでも親を試そうとしています。それが彼らの役目なのです。それをノーというのがまた親の役目でもあるのです。しかし、そこで子どもがかわいそうだからとか、情緒不安定になるからとギブインを続けていたら、子どもは、ああ、この人はぼくの命令に従ってくれるなと悟り、さらに要望をエスカレートするのです。添い寝をいつまで続けるかはだいたい子どもの様子を見て親が判断すればいいと思います。
さて、添い寝ですが、アメリカでは今や子どものベビーベッドを親のベッドルームに入れている人もいます。これは添い寝とはいわないと思いますが。Co-sleepというそうです。しかし、これを彼らが長いこと続けることは疑問です。まず彼らは夫婦としての生活を優先するでしょうから、子どもの目の前で夜の生活はちょっとためらうでしょう。そんなことをしたら、幼児虐待で通報されてしまうでしょう。さらに、ベッドの生活ですからキングサイズにしろ、やっぱりひとつのマットレスの上ですから、狭いですし、落ち着きません。子どもを真ん中に入れてしまったら、それこそ夫婦の距離ができて、これは結婚生活に支障をきたします。結局、添い寝といっても親のベッドルームに子どもを一時的に置くという程度で、やがて夜通して寝るようになって、子どもも自分の部屋で寝ることに納得し、おっぱいが終わった頃にはちゃんと子ども部屋に戻している家庭がほとんどです。
それに対して日本人の添い寝は、親の間に子どもを入れるパターンが多く(いわゆる川の字)、しかもベッドでしたら、とても端には置けないので、真ん中となると、子どもはちょっとした親の寝返りで起きてしまいます。そもそも添い寝の目的は、目を覚ましたときに親がいることで安心ということなのですが、今や夜の生活が長い現代人にとって、子どもが浅い眠りから目を覚ましたときに親がその隣りで寝ているということはまれでしょう。となると、どうしてもギャーと泣いて起きてしまい、またなだめるのに一苦労。ましてやベビーベッドに入れてなければ、勝手にはいはいでもしてベッドから落ちてしまい危険です。さらに子どもが歩けるときまで添い寝をさせていると、起きたら自分勝手に歩き回ってしまうでしょう。これではたまったものじゃありません。ある程度の年齢に達したら子どもは子ども部屋に移すしかないのではないでしょうか?それとも50年前の暮らしに戻りますか?ということは、親も子どもと同じ時間に寝るなり、ベッドからふとんの生活に戻ることになります。添い寝だけとりあげて、それを現代のモダンな生活スタイルに当てはめてもぎくしゃくしてうまくいかないだけだと思うのです。添い寝と現代の生活スタイルをどのようにうまくかみ合わせるかがこれからの課題でしょう。
2006.1.27.
〜 クレジット・カードの魔力 〜
クレジット・カードはとても便利です。しかも、近年のネット上での買い物では、クレジット・カードなしではこの時代にそぐわない生き方になるほどです。しかし、クレジット・カードで実際にお金がないにもかかわらず、先の収入を見越して、商品をいま、手に入れるというメンタリティーは多くの人々を不幸に陥らせたように思えます。
まず、大学に入ると同時にもうクレジット・カード会社が次から次へと学生にカードを作るようにと勧誘のダイレクト・メールがはいってきます。その数といったら、すごいものです。ほぼ毎週といってもよいでしょう。そのきっかけが銀行に口座をつくり、そこで最初のクレジット・カードを作るからです。情報はまずそこからもれるようです。そして、クレジット・カード会社でも宣伝にかける費用が膨大だといいます。アメリカ人は平均7つのクレジット・カードを所有しているといいます。
しかし、まだ仕事も始めていない学生相手に、人生経験の浅さにもつけこんで、どんどん買い物をさせるのが狙いです。その後、仕事についてももうすでにその頃にはかなりの利息も払わなくてはいけない状態での返済のスタートです。現実的に考えてもそれは無謀な話です。結局は借金地獄に陥るのがおちです。仕事についた後でもまずは家賃、光熱費、通信費とどんどん払っていったら返済にあてるお金はほとんどないでしょう。
クレジット・カードは、実際にあるお金以上の範囲で買い物をさせるのが何よりもの目的です。そのわなに知らず知らずのうちにはまって、最終的にはそこから脱出できない生活になることはこわいとしかいいようがありません。しかも、へたをすると返済に35年かかるといいますから、そうなると、一生返済に追われるということにもなりかねません。借金があっては死ぬこともできないということでもありましょう。それにもまして、毎月、毎月、請求書がくるたびに、資金繰りをめぐってプレッシャーがかかっていくはずです。それを一生通るつらさはどんなものでしょう?
子どもたちに今からお金の使い方をきちんと教えていかないとたいへんなことになります。彼らが大人になるにあたって、お金は避けて通れない課題だからです。おこづかいにおいてはどのように渡すのか、労働に対する報酬にするのか、それともサラリーとして渡すのか。どのような計画をもってお金を使わせるのか、その管理のしかたも教えなくてはいけません。また前借りを要求してきた場合、どのようにお金を返すつもりなのかなどの計画もきちんとプランとして子どもたちにたてさせなくてはいけないと思います。返済できなかった場合はどのような結果が待っているのかも教えなくてはならないでしょう。そして場合によっては、前借りはいっさいさせないというスタンスをとってもよいかもしれません。皆さんはどうしてますか?この機会にちょっとお金の管理について見直されてもよいかもしれません。特にクレジット・カードについての入門講座を取り入れてください。お金を賢く使う、これは親として子どもにしつけなくてはいけない大切なことだと思います。お金は汚いものではありません。生きるうえでとても大切なものです。だからこそその賢い使い方を教えるのが親の責任ともいえましょう。
2006.2.3.
〜 日本、イギリス、フランスで出産 〜
このたび、一冊の本が贈られてきた。題名は、「子供の生きる国 :産んで育てて、ニッポン、イギリス、フランス」。著者は薗部容子さんだ。私もたまたま、イギリス、フランスの出産事情を現地で視察する機会があった関係上、彼女の体験談を裏付ける材料が揃っていて、この本の伝えるところがよく理解できた。
日本での育児はなぜ疎外感を感じるのだろうか?それはこうでなくてはいけないという型にはまった育児を強いられることが多いからではないだろうか?つまり、母親はこうあるべき、赤ちゃんはこう育てるべき、子どもを優先した生活に親があわせるのが愛情という風にだ。それに対して、イギリスやフランスでは、母親あっての子どもという位置づけである。それは、子どもの存在を無視するという意味ではない。軸の中心がどこにあるかの違いだと思う。そして、子育てにルールなんてない。あるのは、その家庭にとって一番よい方法を見つけ、他人がとやかく口出しをしないというスタンスではないだろうか。つまり、母親一人一人が自分で勉強し、自分で決断し、我が子の場合はこの育て方が一番適していると判断したとき、たとえ相手が子育てのプロであろうとも、その母親の考えを尊重するという姿勢でもあると思う。
育て方にルールなどはないはずだ。子どもそれぞれ個性があり、母親の生活にしろ、その家族のあり方にしても千差万別なのだ。それを尊重しなくてはいけないということ。けれども日本人の育った環境を見ると、自分に責任を持つということを教えてきていない。そのため、自分で調べ、自分でこれと思ったことを選んでも、自信がもてないのだ。そもそも、自分で決めてもよいということすらわかっていない人もいるのでは?ゆえに自信をもてないから、周りの意見にいつも左右されてしまう。だめな母親と保健婦さんにレッテルを貼られればそうと信じて落ち込んでしまう。冷たい保健婦さんを攻めるのでなく、そういわれたことに対して、「私はあなたのいうような母親ではない。私はこの子のことを一番よく知っていて、一番よいことを選んでいる。」と堂々と言い返せる姿勢が今の日本人のママたちには求められているのではないだろうか?
その点、イギリス人もフランス人もそういった自分を信じる、自分に自信を持っていると言うベースがもうすでに出来上がっている。それゆえに、今の子育て支援のシステムがうまく働いているのだと私は思う。つまりイギリスやフランスからハードの部分を学ぶことは大切だが、それ以上に、日本人の若いママたちの意識や姿勢が今後、変わることによって、これらの海外で機能しているシステムが本当の意味で、未来の日本の子供たちへの貢献となると信じてやまないのだ。
薗部さんがイギリスとフランスで学んだ一番大きなことは、おそらく自分を信じることではなかっただろうか。彼女の添い寝への思い、泣く子どもの接し方など彼女は日本とイギリス、フランスの文化の違いを理解したうえで、なぜ自分の育児方針が自分にあっているかのスタンスを変えていない。彼女が海外で学んだことは、自分を信じる強さだと私は感じた。
海外での子育ては文化が違うだけに日本とは違う点がものすごくある。夫婦のあり方も違う、子どもの位置づけも違う、教育方針も違う、ことばも違う、愛情表現も違う、価値観も違う。現地で子育てをしながら、その違いだけに目をみはり、自分の子育てに疑問をもったり、迷うのではなく、自分と子ども、子どもとわが家族にとって、何が一番適しているのかという原点に常に立ちながら異国での子育てにいどむことが一番問われているのではないだろうか。
2006.2.10.
〜 女性のキャリア 〜
子育ての真っ最中にはあまり考えられない自分の人生について時々時間を設けて考えてほしい。子どもが生まれたら会社をやめて家に入って子どもを一人前に育てる。これが私たち日本の女性に求められた理想的な姿ではなかっただろうか?しかし、子どもが育ったあとどうしたらいいのか?もう母親としての役目は終わる。子どもが18で家からいなくなったとしたら、自分はまだ40代、人生のまだ半分しか来てない事になる。
さあ、その40年をどのように過ごしたいだろうか?子どもがいなくなってから考えるのでは遅いのではないだろうか?人はそれぞれの人生があり、それなりにみんな納得をさせるのだと思う。自分夫といっしょにどこへでもついていくことを決心した結果、自分の世界は広がった。確かにキャリアはつんでこなかったかもしれないけれども、キャリアを積んできた人たちは得られなかったものを私は得たわ。と堂々と胸を張ってもよいだろう。
しかし問題は、キャリアを持ちたかったと思っていた人。持つことが十分できたが、それを夫や子どものためにあきらめざるを得なかった人たちだ。彼女らが母親としての役目が終わった後の40年をただ妻としてだけに生きるのはあまりにも長すぎる。そんなとき、キャリアを捨てたことへの後悔が顔を出す。人生やっぱりやり直しは利かない。もちろん、小さな規模ではいくらでもやり直しは利く。しかし、私がいうのは、キャリアにおいてだ。40を過ぎてから医者になろう、弁護士になろう、と思ってももう無理だ。しかも、たとえ学校に戻っても、年齢という大きな壁にぶつかる。年齢にはどうしても勝てない。確かに60になってから医者になった人をえらいというかもしれない。しかし、記憶にしてもものすごく衰えてきている、国家試験を受けるにしても、体力的に8時間続けて集中することなど無理である。絶対に限界というものにぶつかる。
キャリアがほしかった彼女たちが、家に一度入ってしまうと、なかなか社会に出られなくなる。社会に出られたとしても自分が本当に満足のいく、第二のキャリアを歩むことはとてもむずかしい。できないとは言わないが、果たして20代から着々とキャリアを積んできた人と肩を並べられるかと言うと、とてもかなわないと思う。となるととても中途半端な40代以降の仕事に写るような気がする。
日本の制度の中で、子どもを育てながら仕事を続けることはとてもむずかしい。ましてや転勤族家族ではもっと困難であろう。しかし、家に入ってしまったがゆえに受けなくてはいけない代償はあまりにも大きすぎるように思えてならない。今、日本のキャリア思考の母親が自分の人生に不満をいだいているように思えてならない。夫だけキャリアを存分生かしてと嫉妬心すらもっている。そして子どもができたからと子どもを攻めては子どもがいい迷惑になる。夫の転勤についてきたからと夫を責めるのも間違いだ。
日本の教育も責任があると思うが、やはり男女問わず、自分の人生のキャリアを小さいうちから全うすることを教えなくてはいけないのでは。つまり、キャリアとは人生の目標でもある。その目標なしで人は生きていけない。子どもはやがて家を出る。それまでの借り物だ。女性は自分のキャリアを持ち、そのわきに結婚があり、出産があり、子育てがあるのではないだろうか?子どもが生まれて最初の1,2年は一番世話がかかる時期である。母親がそばにいてほしい。しかし、そのまま10年、20年と母親だけでいてよいだろうか?女として、人間としての生きる道はどうなのだろうか?
2006.2.17.
〜 子どもの肌のケア 〜
日本はたいへん湿気が多いのが特徴ですが、それでも冬になるとかなり乾燥します。また、アメリカや大陸に住んでいる皆さんは、その土地の乾燥状態に驚かれていると思います。それは日本とは比べ物にならないからです。食べ終わった後すぐ食器を水で流さないと、食べかすが乾燥してちょっとやそっとではとれなくなります。何かにさわると静電気が飛びます。暗ければ、電気の青い色すらも見えるくらいです。あかちゃんの髪の毛は細いので、これまた静電気が激しく、帽子でもとろうものならば髪の毛が立つほどです。
それでは冬国での乾燥対策はどのようになされているのでしょう?さらに気になる乾燥肌とのつきあいはどうなのでしょう?まずとても寒い国ですと、部屋の中は快適な温度に設定されています。だいたい20度前後に設定しておくとよいでしょう。25度は熱すぎます。半そででいられるほど熱くすることもないでしょう。そもそもエネルギーの無駄だと思います。セントラルヒーティングですと、自動的にその温度を保つようにします。温度調整の装置は、最新のものですと、時間ごとに設定できますので、夜の10時から朝の7時くらいまではちょっと低めにして、朝方はちょっと高めにして、夜の8時ごろからはまた低めにしておくとエネルギーの節約にもなるでしょう。
乾燥しすぎないように、加湿器を入れることをお勧めします。これはいろいろな種類が売られていますが、私がお子さんのいるご家庭にお勧めするのは、ミスト式のものが熱くならなくてよいと思います。万が一お子さんが手で触れても危険がありません。お水を入れておくタンクはときどききれいにしましょう。案外さびがでていたり、水のぬめりでばい菌が繁殖していることもあるので要注意です。
私たちの肌も冬はかさかさになるほどです。しょっちゅう、ローションを手につけたり、からだにつけたりして対策を講じますが、やはり水分をとること。そう、内側から水分を補給しましょう。あかちゃんも同じです。あかちゃんの皮膚は薄いので、大人よりも乾燥しやすいでしょう。かさかさ肌をほうっておくと肌荒れや湿疹のトラブルにつながるので、ベビー用のローションがよいでしょう。
また衣類ですが、静電気を起こしやすい素材は避けたほうがよいでしょう。また洋服の後ろについているラベルはけっこう肌を刺激します。いらいらしているようでしたら、そのラベルを取り除いてみるとよいでしょう。
寒いからと家の中ばかりにいないで、日差しがでている時には、子供たちといっしょに外に出てみましょう。雪すべりも楽しいですし、いっしょに雪かきをさせましょう。ちょっと家の周りを散歩するだけでも気分が晴れるし、外の空気を吸い、肌に刺激を与えることは健康につながります。風邪をひかないからだ、丈夫な肌を鍛えるためにも、外に出ることはよいことです。皆さんの国ではどのような過ごし方をしていますか?
2006.3.3.
〜 すべてが違う日本 〜
海外で生活をしていて一時的に日本に戻ってくることを、一時帰国といいます。それに対して日本に完全に戻って、滞在国には戻らない状況を本帰国といいます。これも海外へ行って初めて知ったことばでした。そして一時帰国は海外生活の一部といってもよいほど必ずや経験するものです。それは本帰国とはまた違った感覚です。今、私はそんな一時帰国を経験しています。この一時帰国も半年に一度と1年に一度、さらには3年、5年に一度というのではぜんぜん感じ方が違うものです。それでも日本は何もかも滞在国と違うと感じる方は多いのではないでしょうか?
東京は一種独特なところです。世界でも類を見ないところです。それでは私が感じた東京近郊を皆さんにお伝えしましょう。ここではエネルギーを感じます。すごく元気をもらう気持ちがします。周りからエネルギーを感じます。次に、生活が忙しいと言うことです。洗濯物を外に干すという習慣がニューヨークではありませんでした。すべてドライヤー任せ。干したのはいいものの、雨が降る予定を知っておかなくてはなりません。ということは常に天気予報に気を配って生活していないといけないということです。ニューヨークでは車での移動でしたので、天気予報をチェックすることはあまりありませんでした。
次に何もかも小さいということが上がります。洗濯機も小さいので、ひんぱんに洗濯をしないといけません。冷蔵庫も小さいので頻繁に買い物にでかけなくてはなりません。車での生活でないため、どこへも歩くので、歩くのに時間を取られます。けれども太りません。食料にしても手で持って帰れる量しか買えません。だからいつも新鮮です。重たいものはやはり近くで買うしかありません。それも計算にいれます。これだけ生活が違うと、考えていることも変わっていかないといけません。
歩く生活と車でどこへでも移動する生活とでは大きな違いがあります。人との接触もかなりあります。電車に乗ればすぐ隣に人がいます。孤独感がありません。外を歩いていても交差点などでは前から歩いてくる人にぶつからないように気を使いながら歩かないといけません。歩道がないところも多く、そのようなところでは車がびゅんびゅん自分のからだの脇を過ぎていき身の危険を感じます。自転車で駅まで行っても止めるところを考えなくてはいけません。どこへでも駐輪できるわけではありません。アメリカでは車で15分30分でどこへでもいけますが、東京では目的地に着く時間から逆算して何時の急行に乗って、どこで乗換えをして、どの出口から出てと先、先まで考えなくてはなりません。これは頭の体操です。少々なことでは東京人は頭がぼけないと思いました。
やはり外国から帰国すると生活に慣れるまでがたいへんというのはこのような大きな違いがあるからです。けれどもその国それぞれのよさがあります。今は海外から帰国される方が多い季節です。どうぞ皆さん、この変化を大いに楽しんでください。
2006.3.10.
このたび、NOVAより フラヌール ニューヨーク というニューヨークへの旅行の本が出版されました。私はそこの基本情報の文と写真を担当いたしました。私が小さく写真に載っているページがあります。さあ、どこでしょう?探しに書店へ足をお運びください。そう、ニューヨークに行くのにこういう本を探していたという方は是非、お求めください。
〜 日本の常識 その1 〜
けっこうたびたび帰ってくる日本であるにもかかわらず、いつも日本の常識を来るたびにリマインドされます。それでは、私が日本の皆様からご指摘を受けた、東京で生きるための東京の常識をいくつかご紹介しましょう。
1.エスカレーターでは立ち止まっている人は左に立つ。右は急いで登っていく人たちのために空けておかなくてはいけません。 − ニューヨークでは両方にみんな突っ立っています。その方が多くの人が乗れると思うのですが・・・。
2.からだの不自由な人のための優先席の近くでは携帯の電源を切っておかなくてはいけません。− 知らずにぴこぴこしてたら、ご老人に叱られました。けれども昨日ニューヨークから来て知らなかったのに・・・。
3.歩くときは左側通行。−へたに右側をがんばって歩いているとみんながわざとぶつかってきて、左を歩けとからだで示してくれます。つまり流れに沿って歩くことがとても重要です。まるで群れをなす魚のようにです。
4.赤信号では渡ってはいけません。 − 赤信号で車が来ないのを確認して、一人だけ渡るとものすごい視線を背中に感じることになります。
5.もう乗れそうもない車両にも乗れます。− もう絶対に乗れるはずがないと思われる満員電車でも強引に乗るとなんとみんな奥につめてくれます。日本人はとても親切ですね。ニューヨークだったら、「次の電車に乗れ」と怒られます。
6.12歳以下の子どもが保護者なしに電車に乗っています。しかも不安な顔ひとつせず、ニコニコと楽しそう。 − これは見慣れていません。あれ?大丈夫なのかな?とついおせっかいな気持ちがわきます。
7.犬が放し飼いでお散歩 − これは長野で見た光景でしたが、一匹でお散歩。まあ、なんと飼い主孝行な犬なのでしょう。
8.電車が遅れると鉄道会社があやまります。 − 人身事故、天候などでダイヤが乱れるのは、鉄道会社の責任ではないのに、それなのに、丁重にあやまるのはなぜなのかしら?ニューヨークで以前バスを1時間も待たされたときに文句を言ったら、「そんなことを言ってもぼくの責任じゃないよ。」とあっけらかんと言われた。会社と個人は別という考え。日本は個人が会社を代表する。
2006.3.17.
〜 日本の常識 その2 〜
けっこうたびたび帰ってくる日本であるにもかかわらず、いつも日本の常識を来るたびにリマインドされます。それでは、私が日本の皆様からご指摘を受けた、東京で生きるための東京の常識をいくつかご紹介しましょう。
9.バスや電車の中ではお静かに − ニューヨークの人たちはしゃべるのが大好き。誰とでも話してしまう。そんなことからけっこうおしゃべりがどこからともなくいつも聞こえているような。
10.レストランでもたばこを吸えますよ。 − これは吸う人にとっては天国でしょう。
11.切符は降りるときまで取っておかなくてはなりません。 − ニューヨークではメトロパスを入り口で出すだけなので、そのあといつもすぐ財布にしまっていました。しかし、東京では出口でまた切符を要求してきます。ということは気が変わったら、目的地を変更できるということですよね。まあ、東京はなんと便利なんでしょう!
12. 花粉症の季節ではみんなが立体マスクを − 7人がけのうち1人は必ずといってよいほど立体マスクをしています。あのマスク姿を最初見たときはぎょっとしました。
13.電車に乗るときは必ず何か読み物を − けっこう退屈します。ほとんどの人が何かしら読んでいる。かなり読書時間が確保できます。まだまだ本が売れるかな?
14.電車の中で携帯のメールはOKのようです。
15.女性専用車両 − 快適です。差別?いいえ。赤の他人とからだが触れ合うことほどストレスはありません。自分の夫にすらあれほど擦り寄られたり、ぎゅっとからだで押されたことはありません。それを毎朝経験するのは耐えられません。これがNYの日常の光景であったら、多人種の中で身の危険を感じるのでは?相手がナイフでもつきつけてきたらどうしよう?逃げ場がありません。
<車 編>
1. 間に入れてくれたらお礼にハザードを1回点灯
2.夕方、曇り空、雨でも日中はライトをつけません。
3.車が右折した後、左車線を走りました。 − おおっ!と一瞬びっくりして、心臓が止まりそうでした。
2006.3.24.
〜 マンハッタンに育つ子ども達 〜
このたびマンハッタンのど真ん中で開かれた子育てグループ、すくすく会のお母様方にお話しをする機会を与えられました。日系人会の11階のお部屋はママと赤ちゃんでエネルギーが充満していました。部屋の隅に並べられたベビーカーのその数だけにも圧倒しました。ああ、こんなにたくさんの日本人の赤ちゃんがマンハッタンで生まれ、マンハッタンで育っているのだと実感しました。
子供たちの年齢は主に2歳以下、赤ちゃんが主で、日本人ママも半分くらいは永住組、半分は駐在組。マンハッタンに住んでいるのは主に駐在組、近郊のクイーンズ、ブルックリンから来るのは主に永住組。しかしわけへだてなく子どもたちもママも交流を持っている姿がほほえましく思えました。
すくすく会はニューヨークでの育児支援活動として、医学的、社会的な専門知識を学びながら楽しく育児をしようという主旨で生まれました。会には小児科医をはじめ、ソーシャルワーカー、助産婦、看護婦などが毎月テーマに添った話しをしながら、ママたちの相談にのるという流れです。アメリカで生活する不安、ことばの問題、二つの文化で子どもを育てるむずかしさ、医療や文化の違いと戸惑いや悩みはつきないものです。ここではそういった共通の悩みをもちこめる場としての役割りがあると実感しました。運営に関わっているボランティアのママたちも日本では看護師であったり、作業療養師であったり皆さんプロフェッショナルであるのには驚きました。しかも会は米国日本人医師会からの後援があり、NY日系人会が協力していました。これも場所選びで悩みがちな子育てサークルにとっては強みといえましょう。
そしてこの会に呼ばれ、私は子育てを楽しむというテーマで、どうしたら子育てが楽しめるかと言うお話しと共に、今、いかに子育てを楽しむことがむずかしくなっているかについてお話しました。しかし、場所を問わず、いまや自然な子育てがなかなかできない環境にいると思います。その自然とは単なる外にある自然ではなく、私たち人間として自然に生まれ持った本能に従って子どもを育てることです。私たちは、スピード化された現代に生き、何事も数字で結果を出され、責任が一人に集中しがちな社会に生き、周りの人との関係が希薄になっている中で、自然であるはずの子供たちを無理に不自然な環境にどんどん追いやっている傾向にあると感じます。自然であるはずの子どもたちはそこで一生懸命反発を始めています。「ママ、僕たちをそんな風に扱わないで」と言っているがごとくにです。しかしそのサインをママたちはずっと無視してるのではないでしょうか?そのためにももっともっと子供たちから発信されるサインを読み取っていこうということを強調しました。子ども達のそのサインこそ子育ての楽しさを教えてくれる一番の手がかりなのです。
2006.3.31.
〜 小児病院から : 子どもたちが元気でいること 〜
病気の子ども達を見ていると、いかに子ども達が元気でいることを前提に私達の人生設計ができていたかということに気づきます。そういう私も息子が持病をもっていたことで外でのフルタイムの仕事をやめたほどでした。私の親友がよく口にすることばに、「病気になったらだめだね。」ということばがあります。本当に、病気がきっかけでさまざまな波紋をもたらすということです。人はどんな苦難にもチャレンジしますが、それでもやはり一人の人の病気は周りの人を犠牲にします。
TさんはY君が人工呼吸をつけてから、フルタイムの仕事をあきらめなくてはなりませんでした。彼女はシングルマザー。フルタイムをあきらめたことで医療保険がなくなりました。他の会社からの恩恵もなくなりました。しかし、彼女は週に2日だけ11時間働くことでなんとか雇用をつなげています。将来、Y君がいなくなってもなんとか仕事をつなげておくためでもあります。彼女が働く日はY君が学校へ行っている日で、夜は宿直のナースに来てもらっています。やっぱり一人で障害を持った子どもを育てることは本当にたいへんです。
A君は13歳のハンサムな青年です。Juicedという車のゲームを私といっしょに遊びました。A君は Crohn's disease という病気を持っています。先天性の疾患で10年以上原因がわかりませんでした。彼には2人の兄弟がいますが、兄も弟も聴覚障害を持っています。そして最近になって父親が事故で障害者になってしまいました。彼はもう仕事ができず、朝起きられない日もあります。そのため、2年ほどかけてやっと障害者年金を得ることができるようになりました。そして家族を今支えているのは母親。けれどもA君の3週間の入院で仕事を辞めざるを得ませんでした。A君は遠くフィラデルフィアから来ました。とても通える距離ではありませんでした。
G君は病院のビデオを片っ端から見ています。9歳の少年です。いっしょにビデオを返しに行って新しく借りてきました。その間、彼はお父さんが病院へ面会に来ることばかり話していました。新しいビデオをいっしょに見始めたのが11:15.お父さんからの電話があり、G君は、「あと5分で来るって」とお父さんからの電話をうれしげに話してくれました。しかし、30分が経過してもお父さんはやってきません。私はお父さんが来るまでいっしょにいてあげるねと約束したのに、だんだんその場を去るのがつらくなりました。彼の顔にも影が。そして不安が。G君のお父さんも2時間もかかるところから来るのでした。お母さんは?と聞いたら、彼女はジョージアにいると言います。つまりお父さんが3人の幼い子ども達を引き取ったのです。G君には妹が2人もいます。だからみんなまだ小さいわけです。G君のパパはシングルファーザー。仕事をやめるわけにはいきません。
病院ではさまざまな家庭の子どもが入院しています。付き添っている人も必ずしもその子どもの母親とは限りません。私はいつも、「お母様ですか?」と聞くようにしています。おそらく日本ではほとんどしなくてもいい質問かもしれません。しかし、アメリカでは決してその人が誰かを自分勝手な推測で決め付けられません。子どもが入院したときほど親が二人揃っていてよかったと思うことはないのではないでしょうか?しかしそのようなケースを望めないとき、シングルペアレントの親はみんながんばります。与えられた環境を最大限に生かし、この危機をどのように乗り越えたらよいかを必死になります。二人でもフーフー言っているのにと健康な子どもをかかえてため息をつきますが、子どもが入院する、病気になるということがいかに毎日の生活のバランスを一気にくずすことか常にどこか頭の隅においておくべきことだと思いました。
2006.4.7.
〜 家族全員で食事をとること 〜
子どもの塾が夜なので、子どもは塾で食事。パパは帰りが遅いので、帰宅してから食事。小さい子どもは早く寝るので、早めに食事。ママはまだおなかがすいていないので上の子どものお迎えに合わせて食事。これが孤食の実態ではないでしょうか?
帰宅は早いアメリカのパパ、おけいこごとなどは夜にないし、塾にもいかないアメリカの子供達。なら当然家族でいっしょに夕食を食べているだろうと思うと大間違い。ニューヨークではこのところばらばらで食事をすることが問題化してきています。まず夫婦共働きは当たり前になりつつあり、それゆえに、おけいこごとの時間がづれこんでいます。10歳の子の太極拳のレッスンが5時半から7時半までとか。高校生の場合、スポーツの試合が他校であれば、帰りは夜10時ということも。いったいいつ夕食を食べるのか?と聞けば、みんなそこらへんのマックへ行ってとりあえず腹ごしらえとか。ママは夜のミーティングが増え、食事を後に食べることも。パパは残業が増え、以前より働かないとよい暮らしができません。こうなると家族でいっしょに食べられるのが週に何回あるかという計算になります。食べる時間も夜遅くなったり。中にはまず母子で食べて、それからパパが遅く帰ってきて食べるときに家族がまた集まるという家庭もあります。
しかし家族いっしょに食べることはとっても重要です。まず子供達が何をしているのか、何を考えているのかがわかります。それによって非行に走ることが減ります。そして学校の様子もわかるので、ちゃんと勉強に追いついているかも把握でき、問題が起きても早く対応できていれば、成績も上がってくることでしょう。
このように食事をいっしょに食べる大切さを奨励するために地域によっては、1ヶ月に一度、まったく夜の予定がない日まで地域こぞって作る始末です。マンハッタンで働いていればママの帰りが7時ということもざらです。そのためいっしょに食べるとなると9時を回ることもあります。結局みんなもっともっと働かないとここニューヨークでは生きていけないということでしょう。友人も仕事を2つ持ち、さらに土日まで働いています。どうしてそこまで?と聞けば、彼女はシングルマザー、さらに周りのスタンダードに合わせるためと言います。つまりいい生活を子供達に与えたいからとのこと。
昔は日曜日にはみんな教会へ行くので、お店は午後にしか開きませんでした。しかし今は教会へ行く人も減り、さらにさまざまな宗教の人がいるので、お店も朝から開いています。おけいこごともだいたい学校が終わった4時から6時には終わっていましたが、今では連れてくる親に合わせて夜まであります。結局、大人の都合で子どもの自然なスケジュールを乱してきたのではないでしょうか?なんと readysetrelax.org などというサイトが誕生するほど。Overscheduled kids, hyperparenting このあたりでも検索できます。
忙しくなると、私達はこの世で大切なものを失ってしまいます。特に消費社会の先進国ではお金が第一と考えがちです。しかし、生きていくだけのお金があればと自分に言い聞かせることも大切ではないでしょうか?何もかもお金でしょうか?お金に代えがたいものがいっぱいあるはずです。それを犠牲にしてないでしょうか?まずどうして子ども達を産んだのですか?ものに囲まれて育ってほしいからですか?それが幸せですか?子供達が一番求めてるものは、パパやママの時間ではないでしょうか?
2006.4.14.
〜 桜 〜
海外へ行ったら桜が見られないのだろうと考える日本人の人がたくさんいます。実は私もその一人でした。現在、アメリカのニューヨークに住んでいますが、来る前は日本でああ、もう桜も見納めかと思って出発しました。ところがびっくり。最初はアメリカの桜はワシントンDCだけにしかないのかと思っていました。しかし、ニューヨーク近郊、マンハッタンも、ニュージャージーもフィラデルフィアにも桜の木がたくさん植えられています。たいていはお庭に1本、2本と植えられていますが、並木に使われているところもあります。桜を何百本と植えた公園もあります。しかもどれもなかなか見事です。ただし樹齢何百年と言うものはなく、比較的若い木が主です。しだれ桜も八重桜もたくさんあります。そしてもくれん、れんぎょ、つつじもたくさんあります。日本で春に木に咲く花がいっぱいあります。
だから皆さん、日本にしかないものと思っているものでも案外海外の滞在先にもあるものです。探してみてください。皆さんの地域で、きっとないだろうと思っていた日本でよく見かける植物でなんと滞在国にもちゃんとあったというものがあったら教えてください。
2006.4.21.
〜 仕事と育児の両立 〜
子どもを産んでからも仕事を続ける人の中には、仕事と育児の両立について悩みます。しかし仕事プラス家事プラス育児というのが現状ではないでしょうか?そしてこの両立ということばについて今日は考えてみたいと思います。
両立とは二つをバランスよく保つということではないでしょうか。けれども仕事と育児を両方とも支障なく成り立たせることって可能でしょうか?私は可能ではないと思います。仕事はお金をもらっているので絶対に手を抜くことができません。そして子育てもその子どもの一生がかかっているからやはり手を抜けません。となると手を抜けるのはせいぜい家事だけです。けれども子育ても仕事も同じくらい大切ということであれば、やはり子育てはフルタイムの仕事になると思うのです。そのフルタイムの仕事をすべて母親だけに任せるのはやはり間違っています。
フルタイムで仕事をするのであれば、子育てのフルタイムを二つに割ってパパとママとでハーフタイムづつ子育てに関わる。これがやはり理想な姿だと思うのです。けれども日本の多くの母親は父親のハーフを期待できないため、仕事をハーフ(パートタイム)にして、子育てをハーフにしてやっとフルになっているんだと思います。まあ、50、50というのは家事においても子育てにおいてもありえませんが、それでもそれがどれだけ50,50になっているかは、お互いに自分達が呼吸できる余裕があるかないかで図れるのではないでしょうか?つまり子育てが楽しいと思え、仕事も楽しいと思え、自分達の生活においても精神的にも肉体的にもハッピーであるかどうかということでしょう。いや、なかなか理想は簡単に語れますが、現実はむずかしいです。そんなことからみんなどの家庭においても試行錯誤を繰り返しているのでしょう。
また女性がきちんと責任のある仕事を任してもらうためには、どうしてもパパの育児参加が必要です。それでも子育て中は何が起こるかわからないというハプニングもいっぱいです。そのためにも周りの協力なしでは絶対にまっとうできません。多くの人に支えながら子育てをする。これでいいのです。夫婦だけでがんばることもありません。
そしてママは両立、両立とがんばらないことです。両立なんて最初から無理。そう思ったほうが気が楽になるのではないでしょうか?家事はやらなくてはいけない最低限でかまわない。仕事は責任をもってきちんとこなす。そして子育てはみんなに関わってもらう。これでいいと思います。子育てを一人で抱え込まないようにしましょう。
2006.4.28.
〜 知的障害者も恋愛、セックス 〜
過去、いや、今でも実は知的障害者が妊娠しないようにほぼ強制的に不妊手術が行われています。これについて皆さんはどう思われますか?彼らの知的レベルが幼稚園児くらいであるのなら、子どもをもっても責任をもって育てることができないだろうという考えです。あるいは、彼らがレイプされる確率が多いのなら、そのような形で万が一子どもができてしまったら厄介だから不妊手術は妥当という考えです。いろいろな意見があると思います。
アメリカではつい最近まで知的障害者を施設などに閉じ込めてきました。しかし、今ではよりいっそう普通の生活ができるようにとコミュニティーに戻しています。そしてもし親がより普通な生活を彼らに望むのであれば、恋愛やセックスにおいてもやはり普通の人並みに経験してもいいのではないかという考えに気づいてきました。そこで知的障害者のために働いている機関では、性教育から始まり、避妊についても指導し始めました。今まで家で家族と暮らしていた人たちも、知的障害者だけが集まっているグループホームというところに引越しをする人が増えています。一人完全な自立とまでいかなくても、生活指導者兼寮母の人といっしょに生活をすれば、なんとか自立もできます。
知的障害者も恋愛をしたいと思う気持ちはわれわれ健常者と同じはずです。そして恋愛をすれば、それがもっと親密な関係に発展するのも自然の成り行きではないでしょうか。さらにそれがセックスという形で現れても、あくまでも責任をとれればそれでいいと思います。ただし、その責任とはもし子どもを育てるだけの能力や生活力がなければ避妊をするなり不妊をすることでしょう。ただし育てられるというのであれば、周りの人たちに助けられて子どもも育てていいのではないでしょうか?皆さんはどうお考えでしょう?私の考えはちょとtリベラルでしょうか?もし自分が知的障害者の両親のもとに生まれたとしたらどのように思われますか?もしご両親が愛し合っていれば、そしてもし周りの人たちの協力のもとであなたを育てることができるのであれば、この世に命をもらったことを感謝しますか?ご両親の決断を受け入れられますか?
2006.5.5.
〜 思春期の子どもを育てる 〜
ケア・ワールドは海外で就学前のお子さんを持たれるご家族を対象ですが、今日は、思春期のお子さんをもたれるご両親のためにお話をします。私も今現在、思春期の娘(16)を育てている真っ最中です。彼女はありとあらゆるチャレンジを私に与えてくれました。はらはらどきどきの連続のここ数年間です。しかし最近になって少しづつ彼女の成長が見られるようになりました。
おそらく今、思春期真っ只中のお子さんを育ててらっしゃる皆さんは毎日が悩みの連続かもしれません。あるいはいい時もあれば最悪と思われる時もあるでしょう。思春期の子どもたちは小さな大人ではありません。彼らは大きな子どもなのです。まだまだいろいろなことがわかっていない、子どもです。しかし、本人はりっぱな理屈もいえますし、かなり自分は大人だと思い込んでいます。そこが思春期の子ども自身にもある葛藤なのです。
たとえば、「私は高校卒業したら、すぐ結婚して子どもを産んで、ヤンママになるの。大学なんて行かない。仕事する。子どもには苦労をさせて人生のたいへんさを教えるの。」と言ったとします。親としては、大学へ行く費用も貯金していていける身なのになぜ?仕事に就くといってもそんなに簡単に経験も学歴もなくていい仕事につけるわけがない。けれども子供たちは本当にそう考えてないかもしれません。単に私達を試しているのかもしれません。つまり親がどれほど成長しているかを見てるのです。子育ては自分育てというのはそこなのです。私達は試されてるのです。だからここで一応、高卒の現実を話してもよいでしょう。しかしそこで子どもが本当にそうすると信じて動揺しないことです。そこがポイントなのです。堂々と彼らが正しい選択をすることを信じることです。それは皆さんが今までどのようなことをどのように子どもと接してきたかにかかってきます。
子どもが生まれてからの5年間は母子の絆を定着するのにとても大切だといいます。しかし、それと同じくらい私は子どもが巣立つまでの最後の5年間はとても大切だと強調したいと思います。つまり子どもたちはこの最後の5年間でもう一度最初の5年間を通るのです。つまり欠けていることがあったら、それを補う最後のチャンスなのです。そしてもし忘れていたら、母親との絆をもう一度確認する最後のチャンスでもあるのです。しかしそこを素直に幼児のようには甘えられないためその葛藤からさまざまな行動に出るわけです。そこで私達がしっかりそこを理解し、ああ、今、あの時期をもう一度通っているのだなと理解してあげないと単に無理なことを要求したり、突き放してしまうのです。
そのためこう思ってみてはどうでしょうか?私はこう考えています。今の時期は子ども達が生まれ変わる最後の通過点と見ています。そこにはちょうどちょうがさなぎから出ようとするときのもがきがあり、苦しみがあり、長い時間があるわけです。そう、お産にたとえてみてください。ちょうど今、お母さん自身は陣痛を通っているのだと。子どもも苦しんでいて、母親も苦しんでいる。けれどもその苦しみを通るからこそそこに新たな誕生があるわけです。
もう少しの辛抱です。この陣痛が一生続くわけではありません。この陣痛は必ず通過する。そう自分に言い聞かせれば少しは楽になると思います。そして何よりも子ども達がその産道を通過したときにすばらしい大人となって巣立つことを希望として想像してください。私は娘が高校を卒業することを夢にいだきました。卒業式を常に頭に描いています。
今のさまざまな問題も通過点と捉え、驚かないことです。もうどうしよう、どうしようと、パニックにならず、子どもに対して怒鳴らないことです。堂々と落ち着いていることが何よりも子どもが求めている親の姿なのです。ここで動揺したら、子どもはますます不安になってしまうのです。本来なら見習いたいべき存在がそのようにパニックを起こしていたらなおさら、何を信じ、誰を信じたらいいかわからなくなり、さらに子どもは信じたいと思う存在を求めて、ますます悪い行動へと向かっていきます。これでもか、これでもかと私達をチャレンジするでしょう。子どもが聞きたいのはノーというひとことでもあるかもしれません。また正しい生き方を親から示してほしいのです。そのためには皆さんがお手本とならなくてはなりません。皆さんが自分自身の生き方に対して自信をもっていなかったり、不安だったりすると子ども達はもっと不安になり、自分の将来のあり方に希望が持てなくなるのです。子どもたちが自分の将来に希望を持てるためにも、皆さんの自分自身の生き方をたまには振り返ってみるとよいかもしれません。
2006.5.12.
〜 あまりにも熱心になりすぎて 〜
いったい何が原因なのだろうと私はいつも原因追究、現状分析をする。それはそれが私のカウンセラーとしての重要な役目でもあるからだ。今回もマンハッタンの上流階級の人たちの子育てについて考えさせられた。彼女らは仕事についていない人たち、いわゆる専業主婦。彼女らの子どもの早期教育に対する熱には目をみはるものがある。驚きである。
赤ちゃんが生まれたと同時に、ほぼ入院中の病院から子どもを早期教育プログラムに登録したり、順番待ちのウェイティング・リストに名前を入れたり、ちょっと異常ではないかと思う。お教室そのものよりも、むしろ周りの熱で子ども達をお教室に入れているように思えてならない。となると自分の意志はどこにあるのだろうか?こんなに周りの意見にだけ流されている彼女ら。アメリカの個人主義的な教育の成果はどこへ行ってしまったのだろうか?
いまや、家にいる母親は子どもと家にいられなくなってきたのではないだろうか。つまり都会の小さなアパートに子どもと二人だけでいると時間をもてあますばかりか、とても社会から隔離された思いが強くなり、それにいたたまれなくなるのだと思う。そのため、早期教育プログラムといえども、本当に子どもを思っている部分はどのくらいなのだろう?そもそも1歳以下では、このようなプログラムに入れたとしても、成長や発達においては普通に家にいて育った子どもと大差変わらないという結果もでているというのだから。どう考えてもこれらのお教室に通う目的は母親の社会性を保つためではないだろうか。
しかしそれでは周りが納得いかないがため、子どもをだしにするのではないだろうか。けれどもまたその理由もすごい。子どもがこの早期教育のプログラムに入っていれば、この先にある延長上の幼稚園に入りやすくなると言う計算もあるようだ。それは本当に子どものことを思ってであろうか?彼女らは、そりゃわが子に一番の環境を与えたいでしょ?そう思うのが親として当たり前じゃないの?というけれども、そのことばの裏には、やはり、自分への満足感が潜んでいるのではないだろうか。つまり自己評価を求めているように思えてならない。わが子はこんなすばらしい幼稚園に入れたのよといった自慢材料になるのでは。そしてそこからよい小学校、よい中学校、よい高校に有名大学。
そこに子どもが自由に生き、自由に選択し、自由に個性を伸ばす環境はあるのだろうか?もうすでに親がしいたレールをただ走っていればいいというような設定が強制されたように思えてならない。彼女達が自分が得られなかったものを子どもに託していることもあるだろうが、そこまで熱心になるのは有り余った自分のエネルギーを発散できるターゲットが子どもに向けられたのではないだろうか。彼女らは働く必要が特にない。夫が稼いでいる収入で十分に食べていける。けれども今後子ども達の手が離れたとき、彼女達は今のペースを保てるかどうかが疑問だ。長い目でみたとき、自分も子どもの将来も考えて決断してほしいものだ。
2006.6.2.
〜 BookExpo2006 America 〜
先月ワシントンDCで開かれた BookExpo 2006 America に参加した。これはアメリカおよび世界中から出版社が集まり、そこで最新作の本を発表する場である。今回私のミッションは某出版社からの依頼でアメリカでこの秋に出る新作で日本の読者が興味を持ちそうなものを選んでくるという課題を与えられた。
まず驚いたことは参加者が厳選されることであった。つまり誰でもこの展示場に入れるわけではない。そしてその登録費がなんと70ドルもすることであった。これには驚いた。
しかしそれだけの価値があった。それはまずアメリカの出版業界を知ることができた。そこには1500以上の出版社が軒をつらねていた。そしてサイン会が随所で行われていた。つまり作家の直筆のサインをいただけるということだ。しかもその本はAdvanced copy ということでまだ正式には出版されていない書評用の本として無料配布されていた。
いつも私はサインをする側であるが、今回はサインを求める側にまわり、作家とちょっとした会話をかわしたり、誰宛にサインをしてほしいのかを伝えたりし、ひとときを過ごせた。もちろん人気作家の前には長い列。
また展示会ではいかに短い時間に自分達の本を売り込むかと言うことが課題である。彼らはまず相手が誰かを探り、次に何を求めているのかを的確につかもうとする。もちろんこちら側でも何を目的にそこにきていて、どのような出版社であることかを説明したり、どのような本を探しているということを伝えなくてはならない。これをわずか5分以内でかわすのであるから相当な英語力がないと早口を聞き取ることもできなければ、こちらの要望も相手に伝わらない。
展示会は3日間行われたが、単にブースを回るだけではなく、登録者は各テーマに別れたセミナーに参加することもできる。ここでは最新のインターネットを利用しての本の販売について、中国のマーケットをどのようにゲットするか、スピリチュアルをテーマにした本についてなどのテーマがあった。わたしはそのうちの2つに参加したが、やっぱり本を読む人口は女性のほうが圧倒的に多いような印象を受けた。
皆さんは文字離れしていますか?アメリカも同じです。しかし、私は本が大好きです。書くことも寝ること以上に好きですが、本も手放せません。新しい本を手にするとわくわくするのですが、皆さんはそんな読みたい本に出会ってますか?
2006.6.9.
〜 ことばかけの大切さ 〜
私達が何気なく子ども達にかけていることばはその子どもの成長に大きく影響します。それを教えてくれたのが水の結晶でした。よくネガティブな人とはつきあわないようにと言いますが、本当に人を傷つけることばというのは私達のからだすらもむしばんでいくのですよね。よくストレスで病気になるといいますがそれは本当だと思います。
皆さんは水からの伝言という本をご存知でしょうか?その本には水がいかにことばかけ、音楽などに反応するかということを水の結晶が表しています。「ありがとう」「きれいだね。」「〜しようね。」といったことばかけに対して水は実に美しい結晶を作ります。逆に「ばかやろう」「むかつく、死ね」「〜しなさい!」ということばかけに関して、水はばらばらにくだけた結晶を作りました。
これはいったい水が何を物語ってるのでしょう。私達のからだの70%が水だといわれています。その水が私達の発することばかけでこれほどまでに影響を生み出してるのです。私達のからだが健康で心を幸せな状態で過ごすにはなんといってもからだの水とのよい関係を保っていなくてはいけないということではないでしょうか。
水槽の金魚に語りかけること、植物に語りかけること、猫に語りかけること、まだ物言わぬ赤ちゃんに語りかけることがなんかばかばかしいと思っていませんでしたか?しかしこれは事実なのです。まさに「ありがとう」「きれいだね。」「えらいね。」「がんばってるね。」「よくやったね。」ということばかけがからだの全器官に影響するわけです。
子どもをほめて育てろとここ数年いわれ、やっとその大切さが認められるようになりました。しかし、私が育った40年ほど前には自分のこどもをほめるなどということは親としてはずかしいことだとされていました。それはむしろ子供自慢というようにネガティブにとられていました。子どもによい成績を取らせるためにも「こんなんじゃだめじゃない。100点とらなくちゃだめでしょ。」というように叱咤激励の叱咤を強調し、その子にだめだということを伝えながら、それをばねに子どもが努力することを望んだのです。しかしすべての子どもにそれが通用したわけではありませんでした。
そのため、その当時の子ども達はほめられることなく、自分の功績に対して認められることがなく育ちました。特に長男、長女は親に甘えることが許されませんでした。愛されたという実感もありませんでした。そして大人になったそのような子ども達が今、必死になって親に認められようとしています。親がもう他界している人たちもどこかに自分を認めてもらいたいという気持ちでさまよっています。その不安さはあらゆる人間関係にも影響します。
「ありがとう」の結晶
「ばかやろう」の結晶
もう聞き飽きるほど聞いたかもしれませんが、しっかりと子どもを愛し、その子をその子として受け入れ、時には甘えさせてあげ、何か達成したときはしっかりと認めてあげてほめてあげましょう。「心を愛と感謝で満たせば健康で幸せな生活ができ、恨みや不満、悲しみで満たせばもっと憎まなくてはならない状況や悲しみに満ちた世界が現れるだろう。あなたが感謝そのものになったとき、あなたの体を満たしている水は、どれだけきれいになることでしょう。そのときあなたは、光輝く結晶そのものになるのです。」(江本勝)
2006.6.16.
〜 落ち着きのない子 〜
今、ADHD(注意欠陥・多動性障害)についていろいろなところで語られています。うちの子は落ち着きがないからもしかしたらADHDではないかと心配される親御さんは後を耐えません。カウンセリング室にもよくその相談があります。ということはそれだけ落ち着きのない子どもが多いということでしょうか?そもそも子どもなんて落ち着きがないのが普通じゃないでしょうか?子どもらしい子どもこそ落ち着きがないのではないでしょうか?つまりいろいろなことに次から次へと興味を持って、あっちへいったり、こっちへいったりと自分の世界をどんどん開いていこうとする。それが子どもだと思います。ましてや5歳以下でADHDじゃないかなんて考えるのは早すぎます。5歳くらいまではそのくらいの子どもらしさがなかったら気持ち悪いほどです。落ち着きのある子どもなんて気持ち悪くありませんか?
問題が起きるのは社会や学校などの集団でどうしても適応できないときではないでしょうか?つまり40分授業にちゃんとすわって過ごすことができないとか、そういうときに先生から忠告を受けて親は初めてもしかしたらわが子はADHD?と思うのではないでしょうか?しかしそれはある意味で社会や学校のシステムに問題があって、その子自身には問題はないのかもしれません。つまりその子の多動性をひとつの個性と捉えたときにその個性をどのように社会のシステムの中で生かすかが課題となると思うのです。しかし学校に行かなくてはいけないし、そこは30人の教室ということがほとんどでしょう。
ADHDには Ritalin という薬が効くとされています。しかしどの程度問題なのかでそれを薬無しで果たして環境を変えることでコントロールができないだろうかということです。そもそも大人でもADHDの人は5%もいるといいます。しかし彼らは特に薬を処方されることなく、落ち着きがないとは言われつつも思春期にはなんとか自分を環境に適応してきました。人間にはそういった適応力があります。それを親がADHDではないかと病名ばかりに捕らわれて、本人が自分で克服する力を抑えてしまっていると私は思っています。
私の身近にも明らかにADHDである人がいます。しかし彼女はそのADHD性を今の仕事に十分生かしています。彼女は人の何倍もするべきリストをこなせます。さらにすばらしいアイディアをすぐ実行に移せる才能を持っています。この個性と言われる多動性は彼女にとっては才能のように見えるのです。彼女は協調性を押し付けられる職場では無理だとわかりました。そのため自分の才能を自由に発揮できるような職場を選びました。そのようなところでこそ彼女の創造性が生かされました。小さい頃、彼女の親は問題児とされた彼女を守ってきました。母親は彼女を信じ、才能を伸ばすことをサポートし、周りへの心遣いも忘れませんでした。やはり彼女のお母さんがえらかったと思います。私達はどれほど自分の子どもを信じられるでしょうか?問題ばかりに目が向いていないでしょうか?むしろその問題と社会がいういところを彼女の才能、個性と捉えられないものでしょうか?そう思えたとき、その子の個性を親が受け入れ、認めたときに子ども大きく羽ばたくと思うのです。どうぞそのチャンスを逃さないでください。
2006.6.23.
〜 Inflammatory Breast Cancer 〜
皆さんはInflammatory Breast Cancer という乳がんをご存知でしょうか?ほとんどの人がこの乳がんを知らないのではないでしょうか?しかしこれも乳がんです。しかもしこりのない乳がんです。しかもマモグラムでも超音波でもわからないそうです。抗生物質を飲んでも治りません。
症状は、
・ 急に乳房が大きくなる
・ 赤みをおび、あざのようなものができる
・ 乳房あるいは乳首が異常なほどかゆくなる
・ 乳房の組織が厚みを帯びてくる
・ 激しい痛みがある
・ 乳房が熱を帯びている
・ リンパ腺が腫れる
・ 乳首が乳房の中に入る
・ 乳房の表面にくぼみが見られる
もし上記のような変化が見られた場合は急いで医者に見てもらってください。若ければ20代前半の人もかかっています。恥ずかしいなどと思わず、ちょっと変と思ったら医者に見せてください。
2006.7.7.
〜 子どもたちとお風呂 〜
皆さんの国ではどのようなお風呂がありますか?韓国のお風呂、中国のお風呂などはどうなのでしょう?世界を点々と旅をしている私ですが、それでも日本のお風呂は一種独特だと思います。湯船に入る。湯船の外でからだを洗う。昔はシャワーもなかったのですから、あまり気軽にからだを洗うこともできなかったのでしょう。
ところで赤ちゃんとのお風呂はどんなお風呂の形態があろうと、やはり一仕事です。ましてや子どもが二人で二人を母親一人で入れるのはなかなかの苦労が伴います。まだおすわりのできない赤ちゃん、おすわりのできる赤ちゃん、たっちの赤ちゃんとそれぞれに対応していかなくてはなりません。さらに上の子どもがどの程度自分で自分の世話をできるかによっても母親の負担が変わります。
海外はどうなのでしょうか?まずほとんどの場合母親一人で入れていますが、それでもかなりの頻度で父親も手伝っています。そこが大きな違いでしょうか?さらに本当に小さいうちはまだ大きなバスタブには入れず、ほとんどを台所のシンクの中で済ませてしまいます。そのままシンクに栓をして底に入れる人もいれば、シンク専用のベビーバスに入れる人もいます。
この話しを日本人のママにしたら、そんな食べ物を洗ったりするところで、赤ちゃんのおしりをつけるなんて想像できないというのです。ふむふむなるほど、これは海外と日本との清潔に関する概念の違いだということをつくづく感じました。日本人の多くは実に実に清潔や衛生を重んじる国民だと感じます。おっぱい前に乳首を消毒することにしても、ミルクは飲ませる前に新しく作ることにしても、ベビー専用のものをすべて用意することにしても、お口拭き用とお手手拭き用のタオルを別にしたり、新生児でも毎日お風呂へいれたりと。いったいこの強迫的ともいえるほどの衛生に対する姿勢はいったいどこから来てるのでしょうか?
おそらくそれは日本の気候と関係が強いと思います。日本の湿気の多い、じめじめとした気候です。これは大きな違いといえます。つまり細菌は明らかに温かい温度と水と栄養によって増えるのです。日本はその条件を満たしています。しかし、乾燥した国では日本ほど神経質にならず、もう少しリラックスしてもいいかもしれませんね。
2006.7.14.
〜 Bone Density 〜
アメリカの医療は確かに最高の水準といえるでしょう。しかし現実的にはその恩恵を得られるのはお金のある層の人に限られるという制限が大方あります。すべてとは言いません。それはものすごく貧しい人は逆に生活保護を受け、Medicaid という保険に入ることができ、そこで最高の医療を受けることも可能だからです。しかし中層階級の人たちは保険に入ることができないこともあり、もし入れても、制限があるため、最高の医療を受けたくても、自費負担が多すぎてためらってしまうということがあります。しかしそれでも医療保険には入っておかないと、万が一手術や入院というときに莫大な費用を請求されることになります。
そのようないきさつから私は2003年に婦人科健診を受けて以来、最近まで入っていた保険のカバー率が低かったため、毎年行うはずであった婦人科検診を受けることをためらっていました。しかしもう2004年の乳房の手術からすでに2年もたっていたので、今度の新しい保険では婦人科健診がカバーされるようになったので、さっそくマモグラムと骨粗しょう症の検査を受けることを決めました。決めたものの、Women's Imaging Center という検査機関に予約をとるのに3ヶ月近く待たされました。この日をキャンセルしたら今度はおそらくまた3ヶ月先と思い、この日は絶対に予定を入れないでいました。
Women's Imaging Center はWhite Plains Hospital の管轄で、たいへんきれいな施設でした。そこに集まっていた女性はほとんどが中流から上流階級の人たちでした。もちろんほとんどが白人ということです。保険の差というのはこういうところに現れるのかと感じた次第。骨粗しょう症の検査は初めてでした。スカートははいたまま。ファスナーがあった場合は、もし右利きだったら左にファスナーを寄せました。そしてどこをスキャンするかというと主に骨盤と背骨でした。仰向けになってひざを箱に上げて腰の上を機械が動いていきます。痛くもかゆくもなく数分で終わりました。
次は大嫌いな Mamogram の検査。これは乳房のレントゲンです。日本ではそれほど痛いという印象はなかったのですが、アメリカではかなり乳房を圧迫します。上から押しつぶすことと横から押しつぶすことの2箇所からレントゲンをとりました。本当に痛い〜!と叫ぶほどまでつぶされます。私は事前にレントゲン技師に痛いのはいやだからと伝えていましたが、彼女は容赦なく、I have to compress と言って機械でぐんぐん私の乳房をつぶしていきました。私も容赦なく、"It's painful !""It hurts"と思いのたけをぶつけましたが、きっと慣れているのでしょう。反応なしでした。けれども我慢すれば数秒で終わります。そして結果もすぐでます。Radiology のドクターが結果を伝えてくれます。"You are fine." というGood news を伝えられ、ほっとしました。何千人という女性が乳がんの疑いをかけられる中、このニュースは何よりです。またあと1年はほっとしていられるでしょうか?何も異常がなくて本当によかったです。
2006.7.21.
〜 小児病院から : 海を渡って 〜
タランちゃんは3歳。けれども年齢よりからだは小さい。右目には大きなパッチをし、片方の目でしかみえない。彼女の頭にはがんによって腫れた大きなこぶがある。化学療法の副作用で髪の毛は薄い。そんなタランちゃんは元気に歩き回る。病室に私が足を踏み入れたら、待ってましたとばかり外に出たがった。二人でラウンジを散策したり、本を読んであげたりした。そんなタランちゃんは明日、手術を控えていた。それなのに今日は点滴のくだを腕から抜くというのだ。細い腕からはずすだけだったのに、タランちゃんは自分に何が起きるのかわからない不安から精一杯の抵抗をしていた。このように小さな子どもの場合、またことばがわからない子どもの場合、何か医療スタッフにからだをさわられることはそれ自体が恐怖である。タランちゃんも力の限り抵抗した。点滴のくだも無事とれたあと、私はタランちゃんに折ったおりがみの鳥を渡した。
そしてタランちゃんとずっといつもいる介護者と話しをする機会があった。母親にしてはずいぶん年をとっていると思ったので、日常会話から彼女の話へと移行したときに、私は「お子さんは何人いらっしゃるんですか?」と聞いた。そうしたら、真っ黒な肌をした彼女は、「21人」と答えた。私は一瞬耳を疑った。けれども確かに彼女は21人と言った。そして話しを聞くと彼女は今、ハイチで orphanage のスタッフでいるという。orphanage とは孤児院のことだ。そこに21人の何らかの障害を持った子ども達が収容されていて、12人のスタッフが彼らと関わっているという。ハイチはフランス語のはずだったので、なぜ彼女はそれだけ流暢に英語を話すのかを尋ねた。そうしたら、なんと彼女は22歳の時にハイチからニューヨークに来て、26年間もブルックリンで過ごしたという。そのため彼女の5人の子ども達もみんなここにいるという。彼女だけがハイチに戻ったのだ。
しかし今回はタランちゃんの手術のために再びニューヨークの地を訪れたという。そしてタランちゃんはGive a chance という貧しいからだに障害をもった孤児をアメリカの最高の医療で治療をするチャンスを与えるプログラムでここに来ていることを教えてくれた。つまり彼女は何万人という中から選ばれた貴重な命なのだ。介護者であるルーシーいわく、「この子はもしこのプログラムで救われなかったらもう4ヶ月前には亡くなってたんですよ。」と語られた。そうだったのか、今日こうして彼女の命があるのも善意あるドクターによって可能となったのだとつくづく思った。ルーシーは明日の手術を不安に思っていなかった。なぜ?と聞いたら、「神様が始めたことだから必ず成功に終わらせてくれる。」と語った。タランちゃんが無料で治療を受けられることもさることながら、彼女を見守るルーシーの信仰の姿勢に打たれた。
2006.7.28.
〜 小児病院から : 心臓の手術 〜
大きなベッドの上で小さな3ヶ月の赤ちゃんがぐずり泣きをしていた。私はさっそく病室に入って赤ちゃんをあやした。いったい何が不愉快なのかまったくわからなかった。いずれにしろ、彼女は苦しそうな顔をしてぐずっていた。もしかしたら寒いのではないかと思った。私はスカートをはいていたが、実にスースーと涼しい部屋だった。そこには空気洗浄機が音を立てて回っていた。さらに青い伸び縮み可能なくだから酸素の冷たい風がベッドの上に流れていた。その赤ちゃん、セシールは上半身裸。おむつ一枚にただうすいネルの布がかかっているだけだった。手足をさかんに動かしているので、その布もほとんどからだにかかっておらず、上半身のほとんどがはだけていた。これでは寒いだろうと私は判断したが、よく赤ちゃんは暑いからというので、もしかしたらそれで上半身はだかなのかと思っていた。
からだを見たら胸にはちょうど20センチほどのたてに切った痕が痛々しかった。赤ちゃんの場合はとても早く回復するが、それにしても縫ったあたりは青とピンクで皮膚が盛り上がっていた。そして胸の数ヶ所に心電図をとるためのシールが貼られていた。足の指には酸素をモニターする装置がつけられ、点滴の管もつながっていた。この二つをつけたまま彼女を抱くのはむずかしかった。しかし泣いても誰も彼女をあやしてくれる人はいなかったので、私は時間が過ぎていたが、抱いてもよいかとナースに聞いた。そしたら彼女は、"Sure" と言って、さらに "would you be comfortable enough to feed her?" とミルクをあげてくれないかと聞かれたので、私も "my pleasure " と言ってセシールを抱いた。
ミルクはほとんど飲まなかった。ナースもかなり困っているようだったが本当に何度トライしてもだめだった。けれどもまだぐずっているのでおしゃぶりを与えてみた。そうしたら疲れ果てたのか目を閉じて眠りについた。しかし酸素を測定するビーパーはがんがん鳴るし、しかもそれを見に来たナースの声でセシールは目を大きく開いて起きてしまった。セシールは私の腕の中で何度も眠ったり、起きたりを繰り返した。こんなに小さな命でも病院での生活には敏感に反応している。大きな音がすれば驚き、誰かの声がすれば目を開いてしまう。触られたらまた起きてしまう。ほとんどからだ全体で心臓の鼓動がしているようなセシールだが、落ち着かない病院で自分の周りで何が起きるのかわからない不安と共に今日も彼女は回復への道を歩むのだ。
2006.8.4.
〜 ペットとの生活 〜
娘は大の動物好きだ。彼女は獣医になろうと思っているくらい、動物と会話ができる。小学校2年生からハムスターを飼い始め、16歳の誕生日に私は彼女に猫をプレゼントした。しかし、その猫は私の猫というつもりもあった。それは、万が一、彼女が飽きたときに、私が責任を持って最後まで面倒を見る覚悟でいたからだ。我が家の猫はサマーという。夏に来たからサマーだ。縁というものは不思議で、彼は私と同じ誕生日である。だからこそさらに親しみが湧くものだ。シェルターで拾ってきたときはまだ生後4ヶ月だった。
サマーとの生活にさみしさはない。いつもそばにいてくれるからだ。私が行くところどこへでもついてくる。トイレにもついてきて擦り寄ってくる。仕事をしているときも、いつも足元で寝ている。そんなサマーはとても臆病で、とても人の前には出てこない。彼の隠れ家はクローゼットの奥の小さなくぼみのコーナーだ。ちょうど彼のからだがすっぽり入るくらいのスペースに昼間は寝ている。娘がいれば、夜は彼女のベッドの足もとのところで寝ている。そして朝は一番に起きて、彼女を起こすのが日課だ。
ちょっとここでサマーのホームページを紹介してしまおう。http://catsummer.exblog.jp/
そんな目に入れても痛くないような我ペット。彼との生活があったからこそ、キミとボクを見たときは最初から最後まで涙が止まらなかった。もし猫との生活を経験したことがある人であったら、是非お勧めのビデオクリップだ。日本にいる娘にも見てもらい、早く、ニューヨークのサマーのもとに帰ってきてほしい。http://universal-radio.jp/
2006.8.11.
〜 カーシートとベビーカー 〜
1988年にケア・ワールドを設立して、もうすでに17年近くなる。当時、日本にはない海外のさまざまな育児製品を見つけては日本に紹介していた。しかしインターネットでの販売などで世界が狭くなるにつれ、だんだん日本でも海外の育児製品が手軽に手に入るようになった。それでもその国ならではというものはいつも見つかる。しかし、必ずしもそれが日本で使えるとは限らないし、その国で便利であっても日本では不便と言うものもある。さらにその国では受け入れ体制ができていても、日本ではそれがないということも多くその場合、機能の一部しか使えないこともある。その一つにアメリカで売られているベビーカーシート兼キャリアがある。
これは生まれてすぐから利用できる多機能に渡って利用できる赤ちゃんのキャリアとも言えよう。バスケットのように持ち運ぶための取っ手がついている。この取っ手の向きも持ちやすいように工夫されている。まずこのキャリアは専用の土台にカチッとつければ、カーシートとなる。次に寝かせたままそれをはずすと持ち運び用のキャリアとなる。思えば息子が小さい時は、車の中でカーシートの上で寝てしまい、到着するといつも起きてしまったのを覚えている。このキャリアであれば、寝たまま移動できたのだ。次にそれをベビーカーとして車輪のついたフレームにカチッと固定すればベビーカーに利用できる。さらにこのキャリアは飛行機の機内にも持ち込め、これまたシートベルトできちんとくくれるようになっている。またスーパーのショッピングカートの子ども用の座席の上にもしっかり固定できるように対応している。レストランの幼児用の拝チェアにもこのキャリアを乗せられるタイプのものがある。
しかしこれを利用できるのも2.3キロから9.1キロまでの乳児に限る。そのため、あっというまに大きくなってしまうが、それまでとても便利。ほぼ毎日使えるので、そのことを考慮すれば期間が短くてもおおいに活躍する。使わなくなったら誰かに回してもいいと思うので、利用できるときにおおいに利用するとよいだろう。ただし合わない場合もあると思うので、その場合は無理をしないように。ものとしてはFAA Certified と記されているものがお勧めだ。これは日本のJIFのようなものだ。
2006.8.18.
〜 小児病院から : 温度の感じ方の違い 〜
M小児病院にはさまざまな人種の患者さんが集まっている。私は常々病院の中は寒いと思っていた。その理由としてやはり外気による温度の変化をコントロールすること、外部からの害虫やら細菌やバクテリアの進入を防ぐこと、細菌の繁殖を防ぐこと、建物を維持するためにも常温はとても都合がいい。しかも温度調整がまだ未熟な患者さんもいるし、特に病気の間は温度調節すら負担になる子どももいる。そして子どもは一般に大人と比べて体温が高い。そのようなことを総合してこの温度が設定されているのかと思っている。しかし温度の感じ方というのは人種によってさまざまだ。
アジア人の患者さんは異常なほど寒さを訴えることがある。先日韓国人の患者さんの父親と話す機会があったが、彼は真っ先に部屋の寒さを訴えてきた。窓際の天井から冷たい空気が入ってきて、それが出入り口のファン気孔から吸い上げるようになっていた。彼はそのファン気孔にキッチンペーパーを当てて少しでも空気の勢いを抑えていた。彼の言い分は、白色人種は肉などを中心に食べるから、からだが黄色人種に比べて常に温かいという。そのため、彼らにとってこの温度は快適といえよう。しかし黄色人種はからだを常に温めることに専念する。特に産後のからだや病気のときのからだだ。産後は韓国では3ヶ月間、母親は外には出ないで安静を保つ。水にすら触れない。シャワーも浴びない。冷たいものは食べない。それに対して、アメリカ人は産んだ次の日に冷たいシャワーを浴びる。そして1週間もしないうちに赤ちゃんを連れて外出する。飲み物も平気で冷たいものをがぼがぼ飲む。これでは何年かしてからだに支障が出るであろう。と彼は主張していた。
これを聞いたとき、まるで日本人と同じ考えだと気づいた。日本では女性はからだを冷やしてはいけない。病気のときは温かくして過ごせという。確かに野菜を中心としたアジア人のからだは温めることが重要なのかもしれない。中国人は外でランチを食べるにしても必ず温かいものを食べる。アメリカ人のように冷たいサンドイッチなどは口にしない。常にからだを温めることに専念する。一理あるのかもしれない。
2006.8.25.
〜 小児病院から : ユダヤ人 〜
一つの人種を取り上げるのには多少抵抗があるが、それぞれの患者さんに合ったニーズに応えることは医療スタッフにとって大切な役割りだと思う。なぜなら患者さんやその家族が快適に入院期間を過ごせないということは回復にも影響するからだ。M小児病院の近くにOrthodox Jewish というコミュニティーがある。彼らは外の世界に影響されない自分達だけの世界で暮らしている。コミュニティー内で結婚するため、近親結婚が多い。そのため、さまざまな遺伝的異常があり、この病院にも多くのOrthodox Jewish の患者さんがくる。
まず見た目に大きな違いがある。女性は結婚したら地毛を外に出してはいけないため、全員かつらをかぶっている。スカートも足をすっぽり隠したような長いスカートだ。男性は皆もみ上げをカールにしていて、頭はほぼ借り上げられていて必ず黒い帽子をかぶっている。自由なのは子ども達だけだ。それも男の子の場合はせいぜい3,4歳までだ。
そんな彼らのニーズはなんなのだろうとこちら側として気に留めておかなくてはいけないことを聞いてみた。彼らはYiddish (ヘブライ語)の音楽しか子どもに聞かせないようだ。ベッドの柵にCDがくくられていたが、そこからは確かにヘブライ語での子どもの音楽が流れていた。さらにコミュニティーではテレビが禁止され、子ども達は映画やDVDを見てはいけないことになっている。そのため、病院に来たときは特別なのだそうだ。なぜなら各個室に大きなフラットパネルのスクリーンがあり、子ども達は自由にDVDやテレビを見ることができるからだ。
それにしてもOrthodox Jewish の暮らしは俗の世界をシャットアウトすることに力を入れていながら、どうしてもこのニューヨークで暮らすにはインターネットのない世界で暮らすのはむずかしいという。子ども達も彼らの通うユダヤ人専門の学校ではインターネットを利用していない。家にある場合も子どもは使えず、大人でもフィルターをしっかりとかけるように言われているそうだ。避妊も禁止されているため、子どもはだいたい7,8人は産む。避妊が許されるのは何かからだに問題があるときのみだそうだ。さらに驚いたことはアメリカで生まれ、ここで育っていくにも関わらず、英語を教えることに制限がある。まず女の子は学校で英語を4時間も習うが、男の子はその4分の1の時間しか与えられない。彼らはしっかりとヘブライ語を学ぶ。なぜ女の子は英語をもっと習うのかと聞いたら、彼女達は外の世界との交渉をしなくてはいけないからだという。なるほど。子どもを看ているのはほとんど女性だ。もちろん食べ物にしても Kosher という祈りのささげられた肉しか食べない。
このように特別なコミュニティーの人々と接することができるのも、どの人種でも病気になったり、事故に合うことは避けられないからだ。今後、彼らがどの程度外の世界から遮断された生活を送られるかは疑問だが、一つの信念を通すことの強さを彼らは私に教えてくれたように思える。
2006.9.1.
〜 小児病院から : 子どものための定住 〜
先日、ポーランドから来たという患者さんとの出会いがあった。アイラという少女は今度中学3年生になるという。彼女は脳性小児麻痺の患者さんでもある。しかし今回は脊髄からの液のもれが原因で入院した。治療としては抗生物質を点滴によって投与するとのことだが、そもそもこの脊髄の話しがおもしろかった。以前、彼女は経口による薬で筋肉をリラックスさせていたのだが、今は、おなかからポンプによって少しずつ脊髄に直接投与される薬によって改善されている。その改善というのも今まで左手で自分の目にかかる髪の毛を拭い去ることもできなかったのにある日、突然、彼女はその動作を行ったという。お母さんがそれを指摘したそうだが、それは今まで14年間一度として自分の手で髪の毛を触ることもできなかったアイラにとっては奇跡というできごとだったという。このように医療の技術的な発達は多くの喜びと幸せをこれらの子ども達に送ってきている。
そんな彼女は3歳のときにポーランドからきた。そしてこちらに来た理由はなんといってもポーランドでは期待できない医療をここアメリカで受けるためだった。彼女はポーランドを訪問したくても、からだが硬直した状態で、車椅子のため、渡航がとても困難だという。そのため、3歳でこちらに来てから一度もポーランドを訪問していない。彼女の願いは祖国ポーランドを見ることだ。いつかそれがかなえられればいいのだが。そしてこのように子どもの疾患や障害、持病のためにこの土地を永住の地として選ぶ家族がとても多い。日本人でも多くいる。アメリカの医療とサービスの充実さはとても日本では得られないというのが彼らの感想だ。確かにここは整っている。彼らの保険もとても充実している。ほぼ医療費は国が負担してくれる。サービスのチョイスも多く、リハビリ療法も納得いくという。これらのサービスを祖国で十分得られないということはなんとも残念だ。
2006.9.8.
〜 カウンセリング室から : 実感できたとき 〜
私達は多くの教訓をことばとして聞く。特に子育てにおいて多くの先輩ママたちが私達に教訓を伝えてきた。しかしその教訓を何度聞かされても、何度頭の中で覚えていてもそれが実感として実生活の中で体験的に理解するときがこない限り、実際その教訓が意味をなさないことがある。皮肉なことにその教訓を10年、20年と聞いていていながら、やっと40になって、やっと50になってわかることがある。ああ、どうしてもっと若いときにこのことばを実感として分かることができなかったのだろうとすごく悔しく思うこともあるだろう。しかし、ものごとにはすべてタイミングというものがある。30のとき、その人はまだそれを聞き入れる耳が育ってなかったのだ。だからこそ時間がたってやっと50でやっと60で、いやなかには70、80くらいで、「ああ、そういうことだったのだ」とわかることがある。
年齢ではない。決して年を食えば成長するわけではない。私の知っている人でも年齢はいっているが、まだまだ理解ができていない人がいる。そのような人はまさに私に多くのことを教えてくれた。そう、つまりすべてタイミングなのだ。まだその人は、そのチャンスを与えられてないということだ。しかしその人を攻めることはできない。なぜならば、みんなそれぞれ成長のスピードが違うからだ。だから私達は人に対して寛容でなくてはならない。その人が歩む人生を距離をもって、批判することなく、見守ることだ。その過程をいかに支えてあげることが真のやさしさなのだ。
2006.9.15.
〜 カウンセリング室から : 耐えること 〜
カウンセリング室には多くの悩めるティーンを持つ母親が苦しみを訴えてくる。登校拒否をする子どもを持つ親。彼女は目を真っ赤にして涙を流し続けています。自分のからだを絶えず傷つける子どもを持つ親。彼女はありとあらゆる相談先を血眼に探し続けている。暴力をふるう息子を持つ親。彼女は息子を抑えようと必死で行き詰っています。
今の若い世代の子ども達の多くが体験的に学ばなくてはいけないことは耐えることだ。彼らは耐えることにとても弱い。人生は決して楽ではない。勉強はもともとそんな楽しいものではない。宿題をこなすこともつらいだろう。なんでこんな役に立たないことまで学ばなければいけないのかと彼らはいうであろう。しかし役立つか役立たないかはまだわからない。とりあえず高校までは役立ちそうもないものも学び、試練を通るのは、その試練をとおる訓練の場だからだ。
子どもの頃は多くの場面で親によって守られ、助けられ、ある意味で甘やかされてきたであろう。しかし、じょじょに人生の厳しさに向かっていかなくてはならない。それが始まるのが中学生くらいだろう。もうこの時期にさしかかるとさほど親に甘えてばかりもいられなくなる。自分でじょじょに決断をし、自分で行動を起こし、自分で責任をとり、進まなくてはならない。確かに痛いだろう、つらいだろう、しかし前進しなくてはならないのだ。英語でいえば、"Suck it up, and move on."
子ども達はつらいときにそれをこれはどこにいようと人生の中で通らなくてはいけない試練だと受け止めず、自分の責任として乗り越えなくてはいけないと受け止めず、誰かにそのつらさの責任を転換させようとする。それが一番手っ取り早いからだ。自分で責任をとるということはとてもつらいことだからだ。だから誰かの責任にしてしまえば自分でその責任の重さが向かってこなくてすむから楽なのだ。だから「誰だ!私をアメリカに強制的に連れてきたのは!」、「なんでこんな現地校にいかなくちゃいけないのよ!」、「英語なんて大嫌い!日本語だったら絶対に勉強できるのに、誰よ、こんな英語で勉強しなくちゃいけないって決めたの!」「あんた達が勝手に離婚したから私がこういう目にあってるんでしょ!親なんてかってよ!」、「どうしてくれるのよ!私の青春を返して!」、「私がこうなったのも、全部あなたたちのせいよ!」と多くの場合、攻められるのは親である。
しかし多くの場合、そんなひどい環境に置かれているわけではない。学校へ行きたくてもいけない子ども達のことを思っただろうか?アメリカにきたくてもそのチャンスが与えられず、一生懸命アルバイトでお金を稼いでいる子ども達を知っているだろうか?よい環境に育っていればあらゆる機会を与えられたのに、そのような環境すらない子ども達を知っているだろうか?スクールバスもなく、寒い冬でも1時間ほど歩いて通っている子どもがこの世の中にいるのを知っているだろうか?
成長する過程でつらいこと。それはどの地においても、どの環境においても避けられないことなのだ。日本にいたら、ことばがわかるから絶対に乗り越えられると思いがちだろう。しかし今、与えられた環境を変えることができないのであれば、それがその人に与えられた試練なのだ。だからおそらくことばは単なるexcuse の一部でしかない。海外という環境の中で与えられた試練はまた別なことばという試練も含むだろうが、しかしそれ以外の試練もそこには絶対にある。それは日本でも別な試練が必ず待ち受けているからだ。それを彼らは見ることができない。すべて親のせいにしているから、自分自ら選んで海外へきてないから、親を攻める。
なら親はどうしたらいいのか?もっと堂々としていればいい。できる限りのことをすべてしているのであれば、それでいいのだ。あえて悪い環境を与えているのではないのであればそれでよい。子どもが苦しむのは成長過程の一つとして避けられないのだ。私達はただ見守るしかないのだ。つらいだろう、攻められるであろう、しかし彼らが通らなくてはいけない試練を通らせてあげなくてはいけない。それが結果的には彼らのためだからだ。自分も攻められるのがつらいだろう。しかしこれまた親も耐えなくてはならないことだ。子育てとは親育て。そう自分自身もまたここで成長しているのだ。彼らを助けてはいけないときもある。ただその試練を通る過程を見守っていなくてはならないときもあるのだ。
2006.9.22.
〜 障害者と共に : 脳性麻痺 〜
私は医療ソーシャルワーカーとして、CP(脳性麻痺)およびさまざまな身体、および知能障害を患った人たちのために働いている。Day Habilitation Program というセクションには8つのクラスがある。一クラスに約14人ほどの人達がいて各クラスにはスペシャリストという先生と助手が2人ほどいる。そのため、私は112人ほどの障害を持った人たちのゴールに向かったプログラムがきちんと目的に向かって機能しているか管理している。それプラス24人ほどのスタッフを監督している。この仕事をしていて一番重要なことはサービスを受けている消費者(consumers) を熟知することである。
まずは医療の分野ではどのような慢性疾患を持っているのか知らなくてはならない。多くの人は脳性麻痺を患っている。しかしそれだけというケースはめったになくて、それと共にいくつかの二次障害をもっている。まず脳性麻痺について今日は語ろう。皆さんは脳性小児麻痺ということばの方が慣れているかもしれない。それはほとんどの脳性麻痺が出生前や出生時、あるいは出生直後に、脳が外傷を受けて筋肉の制御ができなくなり、けいれんや麻痺、そのほかの神経障害が起こるからだ。脳性麻痺は乳児1000人につき2〜4人の割合で起こるが、早産児にはその10倍の確率で起こる。超未熟児の間では特に多くみられる。
脳性麻痺は病気ではなく、状態である。筋肉の動きをつかさどる脳の部分(運動野)が損傷を受けるのだ。脳の損傷は胎児の時期、出生時、出世以後、そして乳児期の初期に起こるので、そうなると妊娠中にも風疹、トキソプラズマ、サイトメガロウィルス感染症などで脳の損傷を受ける可能性があるということだ。出生時に多いのは、脳への酸素の供給が不足するからだ。早産児に多いのは脳血管の発達が未熟な上に出血しやすいからという。他にも原因はさまざまだが、特定できないことも多い。
私の働く施設では子どもから大人までの脳性麻痺のクライアントがいる。彼らに共通する症状は軽いぎこちなさから、筋肉が硬くなって衰弱したり、けいれんによる手や脚のねじれでギブス、ウォーカー、車椅子などを利用している。ほとんどのクライアントは容易に話すことができない。話すための筋肉をコントロールできないからだ。そのため知能障害がなければ脳性麻痺の弁護士すらいるのだが、話していることがどうしてもわからない。コミュニケーションボードを使う人や手話を使う人もいる。脳の非運動野も影響を受けていることもあり、その場合、精神遅滞、行動障害、嚥下障害、視力障害、聴力障害、てんかんなどの障害がみられる。私の働く施設では90%のクライアントが知能障害を持っており、その度合いも mild から profound といってかなりの重度までいる。
治療は不可能でも、自立に向けて理学療法や作業療法、ギブスを用いて筋肉のコントロールと歩行を改善したり、みんなリハビリに徹している。手術をするクライアントもいたり、けいれんの多いクライアントは抗けいれん薬が処方される。筋緊張の薬もある。たくさんの薬を飲んでいるクライアントもいて、薬を変えるとその副作用で1日寝ていることも起こる。しかしどんなに重度の障害をもった人たちでも Quality of Life を得る権利がある。彼らの声に変わって私達スタッフはいるのだと思う。汚れたらおむつを替える、口が汚れたら拭く、音楽をかける、声をかける、話かける、外に連れて行く、社会に出す、痛みを取り除く、きちんとした服を着させる、ひげを剃ってあげたり髪の毛をきれいにとかす、楽しいことをする、安全で安心した環境を与える、愛情ある人たちにケアをしてもらう・・・こんな私達が当たり前として得ているものを彼らも当然ほしいのだ。
2006.9.29.
〜 障害者と共に : 嚥下障害 〜
脳はすべての司令部であることは誰もがわかる。脳はさまざまなメッセージを神経を通して伝えるのだが、その神経がやられている人はメッセージを受けられないため、からだが動かない。そのためからだを動かさなければ筋肉が硬くなってしまう。それが続くと衰弱し、ほぼ筋肉がないように脚や腕が細くなる。しかし筋肉は腕や脚ばかりではなく、からだのすべてにわたってあるため、特に食べ物を胃に送ったり、体内での移動をつかさどる筋肉が弱っていると、食事もままならないわけだ。
そのため、施設でスタッフが一番気にかけるのが食事だ。食事は1時間はゆうにとってあるが、それ以上かかることもある。スタッフが少なければ一人のクライアントに30分以上はかかってしまい、二人で10人ほどを食べさせるのは容易ではない。ものをかんだり、飲み込んだりする一連の食べるという動作が容易にできなかったり、とても時間がかかるクライアントは嚥下障害がある。口や胃からの分泌物がつまりやすくなる。これを誤嚥という。誤嚥は肺を傷つけて呼吸障害を起こす。これを繰り返すと肺に永久的な損傷を与える。よくのどに食べ物がはいって肺炎を起こすというのを聞くだろう。つまり食道と気道の切り替えがうまくできないのだと思う。そのためスタッフはとても気を使って食事を与える。
どのようなスプーンを使うのか、どのようなコップを使うのか、どのような状態に変えた食事をどのようなタイミングで与えるのか。このようなことをすべて考慮しなくてはならない。皆さんは今、赤ちゃんに離乳食を与えているとよくわかると思うが、固形食→角切り→細切れ→ひき肉状態→どろどろ状態 と大きく分かれる。さらに飲み物も水のようなさらさら→ネクターのようなどろっとした状態→はちみつのような状態→プリン となる。おもしろいことにどろっとした状態に変えるためのパウダーもある。それをまぜるとあっというまにネクター状に変わる。これをゆっくりと口に流し込むのだが、上からどの程度飲めているか確かめるのはなかなかむずかしい。そのため透明のコップでしかもクライアントは頭を後ろに傾けることができないので、コップのふちがえぐかれているのでそこに鼻がはまるようになっている。
ことばをほとんど話さないクライアントにジュースかそれとも食事がいいか聞きながら食べさせる。クライアントにとってチョイスを持つことは彼らの権利なのだ。だからスタッフの都合上、あるいはスタッフの勝手な判断でどんどんなんでも口に流し込めばいいというものではない。しかもよく見ていれば、ことばを話さない彼らは目を使い、声を使い、表情を使い、手を使い、ちょっとしたからだの向きなどによって私達にコミュニケーションを送っている。それをきちんと読み取るのもスタッフの役目だ。彼らは話さないかも知れないが、話しているともいえる。
スタッフは薄いビニールのエプロンをかけ、手には Latex-freeの使い捨ての手袋の使用が義務付けられている。食事を口から得ることができるクライアントはまだとても幸せなのだ。どろどろとしたベビーフードのような食べ物でも、彼らにとって舌で味わい、舌で感触を楽しみ、鼻でにおいをかいで食べること。これだけでもとても生きている幸せなのだ。これを奪われると G-tube といって胃に直接栄養を流し込むことになる。それは安心かもしれないが、食べるという人間の基本である楽しみはそこにはない。だから食べられることの幸せをできる限り彼らにもっていてほしい。皆さんはお子さんに離乳食を与えているとき、どんなことを考えながら与えてますか?
2006.10.13.
〜 乳幼児と妊婦の社会環境 〜
名古屋工業大学工学部 社会開発工学科4年生の井上さんという方から卒業研究に向けてケア・ワールドにいらっしゃる皆さんに以下のようなアンケートの協力のリクエストが入りました。彼女の卒業研究テーマは乳幼児と妊婦を取り巻く空間だそうです。もしテーマに賛同される方は下のサイトからアンケートに進んでください。
「現在少子化、高齢化が進み、ハードビル法や交通バリアフリー法が施行され、バリアフリー化が社会的に浸透しつつあります。またバリアフリーからユニバーサルデザインへと移行し様々な人々が快適に利用できる施設・設備の設置が行われようとしています。しかし現段階で、これらの対策の主人公は高齢者・身体障害者であって、建築空間・都市空間においての彼ら以外の弱者については既往の研究も少なく、現状把握がまだ十分に為されていないのが現状です。例えば妊婦さんは、その過程が十ヶ月であり、日常生活中に行動制限を受けたとしても、一過性のものであると考え重要視しないため、問題が表面化せず周囲にも認知されにくい状況にあります。また乳幼児帯同者は、乳幼児を帯同していることにより行動制限を受けたとしても問題の所在は建築・都市の現状にではなく、制限を受ける帯同者自身にあるかのように考えられてきました。
そこで名古屋工業大学大学院工学研究科では、昨年から、妊婦さんと乳児・幼児の帯同者へのアンケートを始め、妊婦さんと乳児・幼児の帯同者が建築空間・都市空間において受ける行動制限を明らかにし、その改善策を提案しています。
今回は、去年の研究をうけ、日本と、海外での現在、10年前、20年前の状況を比較し、それぞれの国での、習慣、文化、法律、施設・設備などの背景の違いによる影響についての考察を進めていきたいと考えています。
今回、少しでも多くの妊婦さん、乳児・幼児の帯同者からのご意見を収集したいと考えまして、下記のように、インターネット上でのアンケートのサイトを作成いたしまして、世界中から少しでも多くの回答をいただけたらと考えております。」
http://www.kitalab.jp/
2006.10.20.
〜 母の子への想い 〜
子どもを手離さなくてはいけない状況に置かれる母親は意外と多い。どうしても自分では育てられない状況。14歳で妊娠、結婚している人との間にできた子ども、未婚での妊娠、アルコール中毒のため、重度の知的障害であるため、経済的にどうしてももう一人は育てられないから。子ども達はさまざまな家庭に引き取られていく。親戚に引き取られる子ども、施設に送られる子ども、里親のもとに出される子ども。いずれにしろ母親の手から引き離されていく。母親のそのときの思いはことばに表されないくらいつらいものがある。しかし少なくとも彼女らは彼らに命を与えたのだ。中絶を選ばず、命を選んだ。だからそれだけでもものすごく勇気のいることをしたのだ。
母親は子どものことを決して忘れない。時には苦しくなるほど子どものことを思い出してしまう。どうしているだろう?わが子はちゃんと愛されているだろうか。きちんと育ってくれているだろうか。健康でいるだろうか?里親からいじめられてないだろうか?ちゃんと食事を与えられているだろうか?自分のことをどう思っているだろうか?これだけ思っていることを感じてくれているだろうか?洋服はきちんと与えられているだろうか?さまざまな心配をする。しかし何よりもひと目でも子どもに会いたいと思っている。ひと目でいいから、遠くからでもいいから子どもに会いたい。子どもを見たい。その思いにつぶされることもある。
そんなとき、彼女らは泣くしかない。泣いて、泣いて、泣きはらして、そして子ども達が愛されていることを祈るしかない。「自分は子どもをものすごく愛していた。手離したくはなかったのだ。それをわかってほしい。ただどうしても育てられなかった。だから攻めないでほしい。許してほしい。ごめんなさい。こんな母親は失格よね。攻められてもしかたないよね。けれども許してほしい。君たちをそれでもすごく愛している。それだけは知ってほしい。私はいつもあなたたちのことを心に思っているからね。」と彼らは天に向かって今日も祈る。
2006.10.27.
〜 おむつ替え 〜
子どもは汚いから嫌いという人はけっこういる。「だって、子どもってよだれをだらだら流してて、汚いじゃない。」「うんちなんかされたら耐えられないわよね。」「あの食事のときのべとべとの手」「口の周りなんてすごいじゃない。食べたものがこびりついていて、それが乾いてそこら中につけていて、洋服なんかにもべったり。ああ、いやだ。」こういうことを言う人はたいてい子どもを実際育てたことがなかったり、子どもが身近にいない人ではないだろうか?けれどもそんなことを言っていた人でもいざ自分の子どもが生まれると、ちょっと離乳食が自分の手についてもそれをぺろりとなめてしまったり、平気でびちょびちょのよだれかけも手にすることができたり、うんちのオムツ替えも「おお、くちゃいね。」と語りかけながらも淡々とその作業をこなしていくものだ。
それはどうしてできるのだろうか?どうしてこうも自分は母親になると変わってしまうのだろうか?実に不思議である。それは自分が母になった証拠でもあろう。そしていつまでもうんちのおむつ替えをいやがるパパ達。子どもがかわいくないのかな?愛情があれば、よだれも、うんちも、おしっこも汚いとは思わなくなるほど感覚がにぶるものだ。実に不思議だ。
そもそも赤ちゃんなんてものすごくきれいだと思う。きれいなのだ。赤ちゃんのよだれがちょっとついてもぜんぜんへっちゃら。すごくきれいではないか。あのかわいい小さなお口から流れるものに汚いものはないはずだ。歯もあのよだれがあるからきれいに保たれている。うんちだってちゃんと食べたものが消化されているすごい証拠ではないか。健康であるということの証拠ではないか。今日もちゃんとうんちが出た。ああ、うれしい。そう思えないだろうか?健康なうんちがでたらうれしいと思えないだろうか?自分でうんちも出せず、常に浣腸をしなくてはいけない病気の子どももいる。これらの親にとって自分でうんちができる子どもをたいへんうらやましく思うほどだ。
そして何よりもうれしいことは健康な赤ちゃんであれば、おむつを替えてもらうのはせいぜい3年間だけであろう。その3年間を長く感じるかどうかだが、一生と比べたら、その3年間はなんと短い期間なのだろうと思う。3年もすればもうその後一生おむつにお世話にならなくて済むのだ。私は一生おむつの世話になっている人たちを世話している。彼らは肢体不自由者である。知的障害者でもある。20代でまだ若いハンサムなビリーは一度もおむつから解放されない。60歳のブランカは1年も生きないと言われ、60年間おむつの生活だ。40歳のデイビッドもからだは大きいがおむつにしっかりうんちをしてくれる。おしり拭きでは足りず、紙おむつをぬらしてうんちをふく。しかも背中までべっとり広がっていることもある。彼らのおむつを替えるのは重労働だ。汗びっしょりになる。おしりを持ち上げるなんて到底無理。ずぼんを履かせるのもころがしながら片方ずつ進めていく。そして何よりも車椅子からおむつ替えの台に移動するときの大変さ。二人から重い人だと3人がかり、あるいはリフトを使ってのおむつ替えだ。二人で移動させるときは落としたらたいへんなので緊張する。介助者の腰に響く。それを1日最低5回。一生続く。
赤ちゃんのおむつ替えなんてそれに比べると Nothing に思える。赤ちゃんは軽い。簡単に持ち上げられる。ずぼんも簡単にぬがせられる。靴もなんて小さくてかわいいのだろう。ひとつひとつ、何を見ても私は微笑んでしまう。おしりもなんて小さくてやわらかくてかわいいのだろう。おちんちんもなんて小さいのだろう。おしりふきも小さいワイプで十分だ。うんちでもせいぜい2枚あれば十分きれいになる。そしてなんて小さなおむつだろう。おしりも軽く持ち上げられる。すいっとおむつを下にしける。ああ、なんて楽なんだろう。なんて簡単なんだろう。赤ちゃんのおむつ替えなんて大人の障害者のおむつ替えと比べたら NOTHING !!!である。赤ちゃんのおむつ替えは楽しいと私は思う。
2006.11.3.
〜 悩む 〜
人間は考える葦といった人がいる。そう、人間と動物との一番の違いは私達は考えることができることである。そして考えれば考えるほど、考えられる人ほど悩むのだ。頭が賢い人ほど、知能の高い人ほど考えによって押しつぶされそうになることもある。それに対して動物はどうだろうか?知能の低い人たちたちはどうだろうか?彼らは本当の意味で幸せだ。なぜなら悩まなくてすむからだ。ただこの世に命を与えられ、食べることも心配せず、排泄の処理も心配せず、ただ生きているだけで彼らの存在が位置づけられ、その存在が認められ許されるからだ。彼らには何も心配がない。どうやったら食べていけるだろうかとか、どうやったら友達といい関係を保てるかとか、資金をどのように運用しようかなどなにも悩むことがない。ただ神に自らの運命をゆだね、ゆったりした気持ちで生きている。
それに対して知能の高い人は不幸とも言えるかもしれない。彼らは周りに期待される。もし期待されなくても、自分で自分を追い詰めてしまうことがあるからだ。こうあるべき、こうなるべきとその理想を高くもってしまう。そしてそれに近づくことができないと自分を攻める。そして悩み、場合によっては自分を自殺に導いてしまうことがある。頭がとても切れる人たちがどうして命を自ら絶つかがこれでわかるであろう。そう、高等動物ほど不幸になる傾向があるのだ。
それでは私達高等動物の役目は何であろうか?それはまぎれもなく、与えられた知恵と頭脳を世の中のために役立てることであろう。そしてないものに自分の持っているものを与えることではないだろうか。だから不幸ではなく、私達は私達なりにものすごく恵まれ、ものすごく幸せと受け止めるべきだ。気持ちの調整もできる。問題に対しても解決の道を見出すことができる。
Yさんという17歳の少女がいる。彼女は今思春期の真っ只中。そんな青春真っ只中にいて楽しいはずの彼女がものすごく悩んでいる。「なんでもっと楽しめないの?今一番花じゃない」という周りの大人を横に、彼女は「単純な人は悩まない。私は考えてしまうから悩み、苦しむ「とひとこと言った。そう、彼女は賢く、頭が切れ、ものすごく深いところまで人生のことを考えられるだけに自分を追い詰めてしまう。何もかもに恵まれ、誰もがうらやましがる生活を送っているはずの彼女が自分は世の中で一番不幸な存在と自分に言い聞かせてる。それはどうしてだろうか?
それはやはり考える頭脳を普通の人以上に持っているからだ。知能が低い人たちは幼稚園すら行くことができなかった。ましてや小学校、中学校、高校などまったく縁がなかった。しゃべることもできない。自分の意志もほとんど伝えられない。歩くことも、自分で食べることもできない。何年もおむつのまま。笑みを浮かべることすらできない。まったくコミュニケーションをとれない。彼らはただ目を開き、痛みに対してはもがき、時々意味のない声を発する。今日生きたことそれ自身が彼らにとっては一番の幸せだ。それが何よりも貴重なことなのだ。そして愛すべき存在である。そう、私達の子どもが生まれたときに、「生きていること、それだけでうれしい。」と言ったように。
2006.11.10.
〜 けん玉 〜
先日、モザンビークの子ども達の記事を読んだ。それは日本から派遣された海外青年協力隊の窪田氏の記事であった。彼はスーツケース半分にけん玉を詰めてモザンビークに理科の楽しさを教えにいった。彼はモザンビークの子ども達にけん玉の楽しさを教えた。ほとんどの子ども達はちょっと試しても飽きてしまった中、ある中学三年である21歳の青年はとても興味を示した。彼は一生懸命練習をし、7時間以上の記録を現地で出した。それをきっかけに日本で行われる世界大会に招待された。電車すら乗ったことがない彼が日本へ出向き、世界記録を出した。
その彼が得たものは自信と誇りであった。たったひとつのけん玉との出会いが彼の人生を変えたのである。たったひとつのけん玉ですら人の人生を変えることができるのだ。ましてや物質には十分に恵まれている国で育っている人たちはいくらでも生きる希望がありそうである。それなのにあとをたたない自殺には理解できない。日本はそこまでも精神的に貧しくなってしまったのであろうか?すべて考え方次第なのだ。そしてその自分の価値観にいかに自信をもてるかなのだ。周りがどう言おうといいではないか。その強さがあるかどうかなのだ。人はいかようにも生きていけるのだ。自分の生き方を選ぶことができるのだ。自分らしく生きることを選べるかどうかにすべてがかかっているのだ。
2006.11.17.
〜 家庭内暴力は誰の問題なのか 〜
昨年に引き続き、また今年も私は 男性による男性のための 家庭内暴力を考える セミナーに参加した。毎年感動して帰ってくるのだが、今年もまた考えさせられた。今年はバスに引き連れられてたくさんの加害者、あるいは加害者になる可能性が将来あるかもしれないという男性が参加していた。彼らの多くが黒人であった。1時間のレクチャーが2回に分かれた企画されていたが、彼らは10分と一ヶ所にすわっていられなかった。話しがつまらなくなるとやじを飛ばしたり、席をたって講堂を出てしまう、席を変える、友達とおしゃべりという始末である。しかしそんな彼らの発言こそ、そこの会場が待っていた発言であった。
「そんなこといったって、女性が俺達を挑発してくるんじゃないか。」「なんだこりゃ、つまり俺達男性へのバッシングかよ。」「そんなこといったって、これが俺達のカルチャーだろ?俺達のカルチャーすら否定するのかよ。」「現実はね〜、やっぱり男じゃないと生きてけないんだよ」、「ラップの歌詞だっていいこともいっぱい言ってるじゃないか。全面的に否定するなよ。」というような発言が飛んだ。しかしそんな彼らもレクチャーの最後にはやっとメッセージが伝わったようで静かになっていった。レクチャーをしたのは190センチに近い黒人男性で、元フットボールで活躍した有名な選手、Don McPherson だった。そんな男がむんむんとした世界にいた彼がこのテーマを取り上げたのだ。その筋肉むきむきの彼が、自分はフェミニストだと語った。それはどういう意味なのだろうか?
つまり男性は、男性のこうあるべき姿というものに縛られ、彼らは自由を失った。男性は泣いてはいけない、男性は気持ちを表現してはいけないなど人間としての基本的なあるべき姿すらも否定されてきたのだ。涙を見せれば、泣くなと言われ、感情を殺し、そういったことの積み重なりが怒りとしてからだの中に蓄積されていったのだ。そしてその理想に行き詰ったときに彼らはその怒りを女性に向けたのだ。だから男性は理想の枠に縛られているがゆえに怒りが多いという。しかし Don いわく、そのような男性としての要素をキープしながらも、かつ涙を流し、気持ちを表現し、相手を思いやることができるという。それこそがwhole な人間だというのだ。
女性は1970年代に解放をかかげ、自由を得た。つまり女性は一歩進んでいたのだ。彼女らは男性の特権ともいえるものも女性にと訴えたのだ。そして今日がある。女性は社会に出た。女性は選挙権を得た。女性はリーダーとなった。男性の領域であったさまざまな職に就くこともできるようになった。しかしこのように男性、女性というジェンダーにこだわらず、もっと自由に自分自身でいることが受け入れられる社会が存在するのが一番の理想なのかもしれない。
2006.11.24.
〜 どこにいても 〜
日本で渡航前セミナーで海外生活アドバイザーとして活躍していた頃、先進国へ行かれる方と後進国へ行かれる方との間に明らかなギャップがあるのに気づいていた。先進国へ行かれる方はどことなく誇らしげで鼻が高い様子が伺われた。それに対して後進国へ行かれる方はどことなく引け目を感じているような姿勢が受け止められた。私は両方の国を経験していたので、その気持ちが手に取るようにわかった。しかし私はどこの国へ行こうとそれはその人の人格とはなんらかかわりのないものだと思っている。当然のことだ。後進国へ行ったからとその人の価値が下がるわけではない。ご主人の仕事ぶりが評価されることでもない。にもかかわらず、後進国へ行かれる方々を影で批判したり評価したりする人がいたことは事実だ。
どこへ行こうとそれはその人の姿勢次第ではないだろうか。その国で何を得たいのかという気持ちの持ち方次第ではないだろうか?先進国へ行っても、何か得よう、何か残そうという気持ちのない人はそれまでだ。それに対してどこに行こうと常に何かを得よう、何かを与えようと思っている人たちは必ず収穫を得て帰国している。そしてどこに行こうと本当によかったというポジティブな印象を持って戻ってきている。どこへ行こうと何をしたいかという気持ちがあり、目標があれば、必ず得るものがあるはずだ。
バングラデッシュに駐在員の妻として二人のお子さんを連れて行ったYさん。彼女はまず自分の看護師としての資格を生かしたいと思って、DVのシェルターで看護にあたった。そしてそこからさらにシェルターのさまざまなプロジェクトに関わるようになった。そこで現地の人々と接し、自分の持っているスキルを生かし、維持し、さらに現地の改善に向け働き、それらの経験をすべて日本へ持って帰ってきた。今彼女は日本でバングラデッシュのための活動を支援している。彼女の娘さんはその姿勢を見て、将来はバングラデッシュに赴任地を希望するかもしれない。
2006.12.1.
〜 自閉症をもった子どもの親 〜
自閉症をもった子どもとの人生とはいったいどういうものだろうか?こればかりは実際に障害をもった子どもを持たないとわからないものだと思う。私達にはわからないことがいっぱいある。そのうちのひとつが自閉症の子どもとの生活ではないだろうか。彼らは普通の生活がまずできなくなるという。仕事もやめなくてはならなくなる。普通に子どもといっしょにショッピングに行くことすらできない。一時も離れられないと夫婦二人だけという時間を持つのがとてもむずかしくなるという。夜もなかなか通して寝なかったり、寝たと思ってもいつ起きてどこかへ移動していくのかわからなかったり。とにかく普通の夫婦でいられなくなるという。外にでても周りから冷たい目で見られる。しつけられていないと親が責められる。よいとされる教材となればいくらかかってもいいからそれを買い求める。あれもよい、これもよいと買い集めたものでリビングルームは自閉症児のクラスのように化す。
しかし一生のことを考えてみると、彼らが死んだらいったい誰がこの子の面倒を見るのだろうかと途方にくれるという。自分はこの子が生きている以上死ねないという。そして普通の人が通る結婚、出産、子育て、教育、そういった普通のライフイベントを全部 実現しないこととして受け入れなくてはいけないという。お金もものすごくかかるという。国からの援助があるものの、やはり普通以上に出て行くものが多すぎるのだ。普通にバスを乗れない。普通に歩けない。となるとタクシーに乗ったり、特別なタクシーを頼まなくてはならなかったり。家の修理にかけるお金もない。海外旅行へ行くなど夢の夢。
私が勤める障害者施設では自閉症の大人が通っている。そして彼らの親に会うことも多い。そのほとんどの人が今はもう70、80の老人である。今でもなんとかことばを話さない子どものために一生懸命代弁しているが、ある母親は、「もう私は若くありません。この先もあとどれくらい生きることができるかわかりません。今日までこの子のためになんとか生きてきました。いやこの子が生きている限り死ねないと思っていました。しかしもうからだも思うように動かなくなり、もう限界がきました。なによりももう疲れました。」と涙を流していました。
これらの障害をもった母親をカウンセリングする中で、悩む節目というのがあるのに気づきました。まず初めて自閉症だと診断されたとき。その後はだいたい健常児と同じ時ですが、やがて教育システムを卒業して大人のシステムに移行するとき、そして今まで家にいたのにグループホームに移るときだと私は見ています。そのたびに喪失感を彼らは通るのです。それは何度も「本当にこの子は普通の幼稚園にはいけない、普通の小学校には通えない、決して大学へいくことはない、一生結婚できない、決して子どもを産めない、とわずかながらも期待していた奇跡を失うような思いと共に現実を受け入れ、その子が生まれてきた本当の意味を見出す作業でもあります。
苦労ばかりのように思う自閉症児。それでも彼らが与えてくれているもの、すごく貴重なものがあるのです。しかも彼らはそれを毎日私達に教えてくれるのです。ただ私達は健常児とばかり比較してそれを見ようとしないのです。いや、見えないのです。彼らには彼らなりに生まれてきた理由がちゃんとそこにはあるのです。それを見えるようになれば、たいへんなことばかりにフォーカスせずに前に進むことができると私は思うのです。決して口でいうほど簡単ではありません。それでもそんなに最悪な事態ではないということを伝えたいのです。
2006.12.8.
〜 みんな個性を持っている 〜
自分だけの子どもを見ているとその子の個性というものがなかなか見えてこないものだ。しかし他の子どもと比較すると自分の子どもがその子達とどう違うかが見えてくるものだ。実は子どものときほど個性が出ているときはないのだ。大人に近づくにつれ、だんだんみんな個性を失っていく。いや個性を上手に隠してしまう。自分らしくいることをやめてしまうのだ。それは周りが受け入れないと判断するからだろう。それってなんて寂しいことだろう。早ければもう幼稚園児がそれを始めている。
知的障害者を見ていると彼らは本当に個性の固まりといえる。彼らは周りの人に合わせるとか、周りの状況を判断してそれに応じて自分の出方を調整するというようなことをまったくしない。彼らはまったく素なのだ。つまり彼らそのものが出ているからだ。だからデイケア施設ではものすごい個性が蔓延している。その個性がばんばんぶつかりあっているといっても過言ではない。
個性ってこういうものなのかということも彼らは教えてくれる。いつも髪の毛をくるくるさわっているMaryLee, 「アサーイ、アサーイ」と1日中言っているMartha,何を聞いても 「ノー」としか言わないKaren, 怖くなると手の甲を噛みだすTerry, 両手を広げて上下に動かすことであいさつとするEsther, 額と額をこすりつけてあいさつをするIvan, 元気?と聞いているのではないのにいつも「元気よ」と応える Tamara、突然大声をあげる Rocky, きらきら星をする Frank, いつ話しかけても「今度ミーティングがあるの。」としか応えないBetsy、毎日「今晩は何するの?」と聞く Samantha, 1日中バスが通るのを見ている Matthew, トイレから先は絶対に行かない William, 左手にいつも旗かハンカチを握っている Ed, 片方の靴を必ず脱いでしまう David, 洋服を抜いてしまう Steven。彼らはまさに自分だけの世界にいるとしか思えないことがある。つまり自閉とも少し似ている。
彼らのほとんどは話さない。けれども彼らは自分の意志を表示する。顔をこちらに向けたり、目でこちらを見たり、微笑んだり、いやなときは目を大きく見開いたり、いやなときはからだが震えたり、足ががたがたしたり、指でほしいものを指したり、私の手をとったり、自分でそこへ行ったり、歩ければ私をあるところに連れて行ってくれる。目があったらそれこそすごいのだ。微笑んだらなおすごい。ましてや私に手を差し伸べたらもっとすごい。このように彼らなりにからだ全体でコミュニケーションをとろうとする。ことばではわからないことがほとんどだ。だから手話を使う利用者もいるが、私の手話も限られているし、彼らの手や腕の動きは筋肉の硬直によって思う存分使えないのだ。そのため「おはよう」でもぎこちないとわからないことがある。
しかし考えてみたら私達は赤ちゃんを育てているとき、彼らの目や泣き声、表情などの細かいメッセージで彼らの意志をキャッチしていたものだ。施設利用者も結局は同じなのだ。ことばこそ話さないがみんな一生懸命コミュニケーションをとろうと計らっている。もっともっと彼らと時間を過ごしたい。ひとつのことを伝えるのに場合によっては10分近くかかることもあるからだ。コミュニケーションボードというものがあるが、それですらスクリーンが変わるのに時間がかかり、彼らはいらいらしてしまう。話せたらどんなに彼らのフラストレーションが取り除かれるかと思うことがたびたびある。ああ、彼らと話したい、コミュニケーションを取りたい!
2006.12.15.
〜 現代の矛盾 〜
以下を日本語に訳そうと思ったが、英語でこそずばりとメッセージが伝わると思って、訳すのをやめた。このエッセーは実に私達の現在の生き方を問いかけている。一年を締めくくりに当たって適切だと思い、選んでみた。いったい私たちはどのような人生を送りたいのだろうか、生きたと実感できるには何が大切なのか。もしかしたら技術の発展は私達の人間的なベースを破壊し始めたのではないだろうか。だからこそ本来の人間の生きるべき姿を一番教えてくれる赤ちゃん、子ども達、動物、そして知的障害者から学ぶべきことはいっぱいあるのではないだろうか。
なんでも早く、早くと結果を急ぎ、私達は待つことの大切さを失った。
なんでも手に入るようになったが、本当に必要なものが何だかがわからなくなった。
時間をセーブできるようにいろいろな便利なものがでているのに、それに引き換えなぜこんなに時間がないと感じるようになったのだろう。
「あら、まだX時?」と時間がゆっくり流れているのに気づいたのはいつだっただろう?
専門分野が細かく分かれてよくなったはずなのに、返って複雑になって問題が増えたように思うのはなぜだろう?
便利な道具が増えたにも関わらず、なぜそこから得られる満足感がないのだろうか?
よく効く薬もできてきたのに、どうして健康な人が減ったのだろうか?
みんな長生きをするようになったが、果たして充実した日々を送っているだろうか?
ハードにばかり目が行き、ソフトの面を見過ごしてきた。
メールのコンタクトリストの数は増えたけど、本当に友と呼べる人はいったい何人いるだろう?
毎日一生懸命忙しくはしているものの、なんかこれといった達成感が得られないのはなぜだろう?
性能のよいコンパクトな車ができたのに、なぜ一つ壊れるとなかなか問題が解決しないのだろう?
世界の平和をこれほどまでに唱えながらもなぜ家庭内ではけんかが耐えないのだろう?
休みも増え、余裕を唱え、レジャー施設はりっぱになってきたのにどうしてそういうものからいまいち満足感が得られないのだろうか?
グルメ思考で食べ物のバラエティーは増えたのになぜか栄養面では偏ってきている。
飲みすぎをやめよう、吸い過ぎもやめよう、お金の使いすぎもやめよう、使い捨てもやめよう、急ぐのをやめよう、怒るのをやめよう、夜遅くまで起きているのもやめよう、テレビばかり見ているのもやめよう、その代わりもっと笑おう、もっと人と話そう、もっと耳を傾けよう、もっと読もう、もっと考えよう、もっと助け合おう、もっと愛しあおう、もっと祈ろう。
The Paradox of Our Age
We have taller buildings but shorter tempers; wider freeways but narrower viewpoints;?
We spend more but have less; we buy more but enjoy it less;?
We have bigger houses and smaller families; more conveniences, yet less time;?
We have more degrees but less sense; more knowledge but less judgement; more experts, yet more problems; we have more gadgets but less satisfaction; more medicine, yet less wellness; we take more vitamins but see fewer results.?
We drink too much; smoke too much; spend too recklessly; laugh too little; drive too fast; get too angry quickly; stay up too late; get up too tired; read too seldom; watch TV too much and pray too seldom.
We have multiplied our possessions, but reduced our values; we fly in faster planes to arrive there quicker, to do less and return sooner; we sign more contracts only to realize fewer profits;?
We talk too much; love too seldom and lie too often.?
We've learned how to make a living, but not a life; we've added years to life, not life to years.?
We've been all the way to the moon and back, but have trouble crossing the street to meet the new neighbor.?
We've conquered outer space, but not inner space; we've done larger things, but not better things; we've cleaned up the air, but polluted the soul; we've split the atom, but not our prejudice; we write more, but learn less; plan more, but accomplish less; we make faster planes, but longer lines;?
We learned to rush, but not to wait; we have more weapons, but less peace; higher incomes, but lower morals; more parties, but less fun; more food, but less appeasement; more acquaintances, but fewer friends; more effort, but less success.?
We build more computers to hold more information, to produce more copies than ever, but have less communication; drive smaller cars that have bigger problems; build larger factories that produce less.?
We've become long on quantity, but short on quality.
These are the times of fast foods and slow digestion; tall men, but short character; steep in profits, but shallow relationships.?
These are times of world peace, but domestic warfare; more leisure and less fun; higher postage, but slower mail; more kinds of food, but less nutrition.?
These are days of two incomes, but more divorces; these are times of fancier houses, but broken homes.?
These are days of quick trips, disposable diapers, cartridge living, throw-away morality, one-night stands, overweight bodies and pills that do everything from cheer, to prevent, quiet or kill. It is a time when there is much in the show window and nothing in the stock room. Indeed, these are the times!
by Bob Moorehead
2006.12.22.
〜 ノロウィルス 〜
日本では今、ノロウィルスという感染力の強いウィルスにみんな神経をとがらせている。それもそのはずだこれらのウィルスはなかなか手ごわい。そもそも便、吐物から感染するのだが、これらが人から人への接触感染以外にも空気中に舞うことから空気感染をするのでやっかいだ。私は長年病院に勤め、さらに今勤めている障害者施設は基本的に病院と同じ衛生面での決まりがある。特に施設利用者の下の世話をするときは必ずビニール手袋が義務付けられている。これは食事を与える時もけがをしたとき施設利用者に触れる時も同じだ。しかし普段接しているときは特に手袋はしていない。それでも見方によってはとてもこわいことが考えられる。
リリーはしょっちゅうお尻に手を入れてしまう。どうやらおむつが蒸れたりするとかゆくなるようだ。もちろん場合によってはそこに便がついていることもある。その手でそこら中を触る。スキッピーはしょっちゅう手を前のところに入れてしまう。これまたどういうわけか。そう考えてみると子ども達はしょっちゅうお尻を手でかいてみたり、トイレにいけば手を洗っていなかったり、大きいほうをした後でもちゃんと拭いていなかったり。拭き方がいい加減であれば便が手につく可能性もある。また赤ちゃんを世話しているものは気がつかないとちょっと足やお尻を持ち上げたときに尿や便に触れることがある。赤ちゃんのだから汚くないと思いがちだし、自分の子どもであればいちいち手袋などはしない。しかし便や嘔吐物、よだれなどから怖い病気が感染することが多いことを決して忘れてはいけない。神経質になるほど世話をした後は手を徹底的に洗わなければいけないし、うがいも大切だ。
これから乾燥した季節。特にウィルスの感染には気をつけたいものだ。
2006.12.29.
〜 言っていることがわからない 〜
施設には多くのノンバーバル(ことばを話さない)利用者がいる。ことばを話さない理由のほとんどが脳障害による発達の遅れ、口の周りやあごの筋肉の影響だ。声がまったくでない人もいる。かろうじて あー、あー、という人、いつも バー、バーと言っている人。まったく意味不明な音を発している人。同じようなことばを繰り返す人とさまざまだ。ことばを話さないのなら手話、絵か筆談かと思いがちだが、脳性小児麻痺を患った施設利用者は指がひどく内側に曲がっている。これは足の指も同じだ。そのため手を使ったコミュニケーションはできない。かろうじて手を多少上げられる程度という人もいる。そのためことばを話さない場合、スタッフはその人の表情、目の表情、指差し、手差し、足指し、身振りなどから相手の感情や意志を読み取る。
しかしちょっとことばが話せる利用者の会話が一番むずかしいように思える。とにかくことばが聞き取りにくいのだ。しかししょっちゅう聞いていると聞きなれてしまいはっきりとそのように聞こえてくるものだ。チャーリーは本当にわからない。しかし彼につきっきりの介護士は通訳のごとく、彼のことばをピックアップして伝えてくれる。さすがだ。ことばとは聞いていればわかってくるものなのだ。これはコミュニケーションを重ねることで自分の耳が訓練されていくことでしか解決できない。
赤ちゃんの初めてのことばがまさにそうだ。発声がうまくできていない頃は、あー、あー、うー、うー、しかいえないものだ。そしてまだ口の周りの筋肉が発達していない頃は本当に何を言っているのかわからない。しかも相手に自分の言っていることが通じないと子ども達はいらいらしてかんしゃくを起こしてしまうほどだ。それでも母親は毎日赤ちゃんのことばを聞いているからわかるのだ。何を言っているかを通訳みたいに教えてくれる。ことばとは単にクリアじゃないとわからないということではなく、全体を見て捉え、耳がなれてくるとどういう時にどの発音をするのかがわかってくるものだ。
