今日のひとこと
2000年の3月より、海外出産・育児コンサルタントとして感じたこと、国際医療ソーシャルワーカーとして感じたこと、海外生活体験者として感じたこと、母親として感じたこと、女として感じたこと、そして何よりもノーラ・コーリ個人として感じたことを今日のひとことで毎週つづってきました。以下はバックナンバーです。
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2005.1.1.
〜 新しい希望をいだいて 〜
世界各国の皆様、あけましておめでとうございます。今年もケア・ワールドをよろしくお願いいたします。さて、皆さんは2005年、どのような目標をたてられたでしょうか?抱負をたてるのは苦手、どうせ三日坊主に終わるからなどと考えていらっしゃいませんか?しかし、目標をたてることはよいことだと私は思います。それは、人はその目標に向かって希望を見出し、生きる目的を探し、それに向かってエネルギーがわいてくるからです。
そしてたとえその目標が今年達成できなくても、また来年少しづつがんばれば、いつしかその目標に達成できると思うのです。目標は高ければ高いほどいいのかもしれません。すぐ手の届くような目標では、その過程で得られるものが少ないかもしれません。つまり目標をたてることもさることながら、その目標に向かうまでのプロセスで得られるものがものすごく大きいと私は信じているからです。夢は大きく、目標は高く。こんな気持ちで今年もスタートしてみませんか?
今、ドン底のような状況なら、あとはもうそこからは這い上がるだけです。今回の東南アジア津波による被害者もすべてを失ったといっています。家族を亡くし、何もかも失ったあと、その悲しさにひたることも大切です。しかし、残ったものに課されたことは、生存したものの未来の再建でしょう。そのために、彼らは希望をもつことでしょう。これをチャンスと思い、国が一体となって、一から土台を築いていくでしょう。私たちは自然にだけはどうしても逆らえないものがあります。そんなとき、自然の偉大さを身にしみると共に、自然と共存していく大切さを知らされます。
今回被害にあった国々のことは対岸の火事でなく、いまや世界中で復興に協力しなくてはいけないわれわれ一人一人に責任があると思います。特に元気である国は弱った国を援助する義務があるでしょう。人を助けることは自分も助けられることです。日本は特に自然災害の多い国です。いつ私たちが援助を受ける側に立つかわかりません。ならいま、できるときにすべきだと思いました。
ケア・ワールドでは、スリランカの孤児院再建のための資金を送りました。
2005.1.14.
〜 ニューヨークの刑務所を訪れて 〜
皆さんは刑務所を訪れたことがありますか?私は何度も刑務所を取材したテレビ番組を見たことがありました。しかし実際に行ったのは今回が初めてでした。その世界はお茶の間でくつろぎならブラウン管で見るのとはまったく違ったものでした。
今回の刑務所訪問の目的はゴスペル仲間との参加でした。参加の動機は単なる好奇心でした。2600人を収容する巨大な敷地に位置する10階建てのこの刑務所はニューヨーク市の郊外にありました。1985年以来麻薬、覚せい剤の罪で15年の刑が執行されて以来収容者がいっきょに増え、アメリカ全土に300近い刑務所が存在するのです。
車で敷地内に入る第一関門では厳しいチェック。さらに建物に入る前にも荷物をすべてロッカーに入れ、ほとんど身一つで入ります。IDの運転免許証も預け、金属探知機はベルトの金具にすら反応する敏感なもの。司令室にはたくさんのテレビモニターが並んでいて、部屋のすべてが写っていました。ドアはすべて自動。しかもそのドアは10センチの厚さ。鉄格子のドアは古い棟に1ヶ所のみ。ほとんどのドアはガラスばりで相手が見えるようになっていました。隠れるところはないという感じでした。ドアとドアの間にはたいていスペースがあり、次のドアがあくまでそこで待機します。
開閉の音も不気味に大きく、長い廊下に響き渡りました。廊下の壁の色は薄いブルーでなんの味気もない廊下でした。私は遠くに見えるショッキングオレンジの上下を着た収容者を初めて見たときは、「あ、本ものだ」と現場にいることをつきつけられた気持ちでした。
トイレの番を待っていたとき、彼らが自由に廊下を行き来しているわきで私は一人緊張していました。廊下のすべてに監視官が立っていたにもかかわらず、襲い掛かってきたらどうしようなどとからだがこわばっていました。
集会室に彼らが入ってきたとき、彼らと目が合わせられないくらい私は彼らを偏見の塊で見ていたのです。しかしそんな緊張した私に彼らは、「ようこそ、ようこそ、今日は来てくれてありがとう。」と温かい目で私を見つめ、大きなごつい手を差し伸べて握手をしてくれました。その時私は彼ら以下の自分に気づき、どうしようもなく恥ずかしい思いにあおられました。彼らは私以上に強い信仰を持ち、希望にあふれ、社会に復帰したら多くの人に正しい道を歩む大切さを語り継ぐと自信を持って語ってくれました。私は彼らに何かを伝えようといったにも関わらず、逆に彼らに多くの教訓を教わって帰宅したのでした。私と彼らとは実際なんの違いもなかったのです。むしろ私は彼らの強い、純粋な信仰に圧倒し、心打たれ、涙があふれたのでした。
2005.1.21.
〜 海外で求められるとっさの判断 〜
娘の高校は早く始まる。6時15分には起きて、7時12分に来る黄色の大きなスクールバスに乗る。今朝、娘が「ねえ、起きて、起きて、外見て、消防車でいっぱいだよ。警察の車もうちの drive way(家の玄関から外の道に通じる私道) に止めてるよ。」と私を起こしにきた。私はとっさに外を見た。そこには道路をうめつくすように消防車、警察の車、緊急レスキュー隊の車が止めてあった。
「隣の家だよ。」という娘?え?どっちの隣だろう?それは左隣りの家でのことだった。どうやら止めてあった車3台のボンネットの部分が全焼である。そしてオディセーと白いSUVは レッカー移動 されていくところだった。マイナス10度の中、黒い服に黄色の太い線をまとった冬用のジャケットを着た大きな消防士のおじさんが数名。警察官がまた数名。そして捜査班の刑事まできていた。
娘が一番心配していたのは、道路が閉鎖されてたので、スクールバスがあと10分後に果たしてきてくれるのかどうかということ。私も心配になって娘と外で待っていた。指先があっという間に凍っていくいてつく寒さ。1分でも立って待っていられないくらいの寒さだ。娘は友達と相談して閉鎖されている道路の角まで行って待つことにした。とっさの判断。
バスは時間通りに来たが、私はパトカーで閉鎖されているいつもの道路をどうやって迂回していくのだろうと思っていた。驚いたことにバスの運転手(女性)は、パトカーにすわっていた警察官を呼び出して、子どもたちがこの路線で待っているから、道路をあけてくれとお願いしたのだ。たとえ道路がふさがっていても、一応通れないわけではなかった。その場に応じてとっさの判断を下さなくてはならなかったバスの運転手はえらかった。そのバスだけが通行許可を得ていつもどおり子どもを拾って学校へ向かった。
さて、いったい何が隣りの家で起きたのか?どう見てもこれは放火しかない。ということは彼女たちは誰かにうらまれていたのか?隣りの家族に関して私はまったく面識がない。会ったことも話したこともない。ここに引っ越してきたのが8月だが、隣りといっても家と家の間は少なくとも10メートルは離れているので、人間関係が希薄なニューヨークのこと、あちらからあいさつに来ることも、こちらから行くこともなかった。けれどもそこには3つ子の赤ちゃんがいてさらには上にも子どもが2人くらいいる大所帯で、常に人の出入りが激しい家庭であることは知っていた。
どのような事情であろうかわからないが、異国の地でもし隣りの家が火事になったり、自分の家が火事になったっ場合、とっさにどのような判断を下さないといけないのかを考えさせられた。そして思ったことはニューヨークのこの時期、まず防寒である。この寒さの中一歩でも外にはだかででたら凍え死ぬ。そして我が家の場合は猫をいっしょに連れ出す手段を考えることだと思った。そして逃げる先はとりあえず車の中だろう。
2005.1.28.
海外で子どもを育てている多くのご家族が車社会で成り立っている国に住んでいると思います。ここ、アメリカも典型的な車社会です。発展途上国の国々でも運転手を雇って、日本人は車での移動が中心のところもあります。ましてや子どもが小さければ車での移動が一番便利ということであえて海外で運転を始めるママもいます。
しかし車は便利であると共に、メンテナンス、事故、安全性など気を配らなくてはなりません。子どもは必ずカーシートに乗せる。裁判沙汰になるまで発展する可能性のある交通事故。後遺症が残る交通事故、車の故障など海外であっても起こりえます。
今朝、私は1時間半ほど離れた友人を訪れる予定でした。家を出発してまもなく、なんか音がおかしいことに気づきました。そしてますますその音がおかしくなることに気づき、(教訓:おかしな音はすぐにキャッチしよう)道路わきにはいってチェックしたところ。え〜〜!パンク!久しぶりのパンク。しかも一人のときに。なんとも心細かったです。無知だった私は、すぐAAA(JAFアメリカ版)を呼べばよかったのに、つれあいの指示で近くのガソリンスタンドまで走ろうと試みました。(教訓:よほど危なくない限り、車は動かさない)しかし、あまりにも走りにくいので止めました。案の定、タイヤは軸からはずれていました。
AAAに電話(教訓:携帯電話は必需品、AAAの番号と会員番号は常に持参)。緊急事態だというのに、「もう少しお待ちください。」の指示。やっとつながり状況を説明。どこにいるのか?どの道に近いか?(教訓:地図をもとう)スペアタイヤはあるか?(教訓:車が何を備えているのか知っておこう)照会番号を与えられ、どこの会社のトラックがレスキューにくるかをメモ(教訓:零下ではペンが使えない。えんぴつが必要)
ハザードランプをつけていたら、近くを通った警察の車(パトカーではない)が声をかけてくれた。「どうした?」そしてパトカーを送るといわれた。え?なんでパトカーがくるの?パトカー参上。開口ひとこと。「ここにずっと止められないですよ。」(心細いのに同情してよ。おまわりさん、車が動かせないのわかってるのに)といいたかったが、彼の立場としては、交通のさまたげとなる車の移動が仕事。これからAAAのトラックがくることを伝えたら、「じゃ、あと15分待つから、こなかったらこちらでレッカー車に連絡して移動してもらいます。」とのお告げ。AAAに電話、事情を説明し、もし15分以内にこなかったら近くのトラックを呼ぶが、そちらに請求してもいいかを確認。(教訓:お金を払う前に誰がもつかを確認)
待つこと20分。幸い、AAA管轄のトラックが近くにいたため早く着いた。スペアタイヤにすぐ変えてくれた。「ちょっと参考に教えてほしいのですが、このサービスはいくら?」と聞いたら、AAAからは1件たったの1200円しかもらわないそうな。え?一桁違うのでは?しかし件数が多いのでカバーされるとのこと。なるほど。もしAAAのトラックがこなかったら、他の業者にその場で払わなくてはいけなかったので知っておきたかったが、参考にならず。(教訓:支払い方法を確認)
しかし、一番つらかったことは氷点下11度という寒さの中で不安と緊張の中待つこと。(教訓:しっかりした防寒具を)指は凍り、足は凍り、寒さのあまりまともに口が動かなかった。それでも納得いくまで質問攻めでなんでもわからないことは聞いた。(教訓:やっぱり滞在国の言語をマスターしよう)
2005.2.4.
海外での苦労はみんなレベルこそ違うが、多かれ少なかれ、そのたいへんさは身にしみている。ことばだけではない、やはり、その国の人とはぜんぜん文化的にも、歴史的にも、背景も、生きてきた時代も違うのだ。そのような人たちといっしょに競争をしたところでしょせん日本人は負けてしまう。だから、どんなに教育程度が高くても、やはり現地の人とは同じように競争に参加できないのだ。もちろん、中には成功しているように見える人もいる。しかし、それはそれなりにかなりの努力の持続が要求される。そして果たしてそのエネルギーがどこまで続くかも問題だ。
そして避けられない人種差別。これはどうにも否定できない事実だ。人種差別といえば聞こえが悪いが、結局はアメリカ人はアメリカ人を選び、同胞を選ぶほうがなにかにつけ楽なのだ。つまり、日本人が日本人を雇ったら信頼性が早く芽生えたり、ことばの面で苦労がなかったり、以心伝心のコミュニケーションも成り立つのだから、障害が少ない状態で仕事をしたほうがどれだけ会社の運営にもよい影響を与えるかが想像できる。
日系移民はやはり同族同士で助けあうのがベストと察したのだろう。それは歴史を見ても明らかだ。どの移民も最初は、一番低い仕事からスタートし、そこで同族を雇い、そして次の世代を育てていく。しょせん最初の世代は、どんなに祖国で成功していようが、財産を持っていようが、教養があろうが、しょせん、そのような要素は新しい国ではすぐには認められない。
しかし、日本へ帰ることが選択としてない場合、それはつらいながらも、子どもたちのため、あるいは、自分の決断を通すためにも貫き通さなければならない。アメリカにきて、どうしても自分の居場所を確保できなかった多くの人たちに出会ってきた。そして彼らは、いまさらもう日本へは戻れない。ここで死ぬまでがんばるしかない。もちろん帰れたら日本へ帰りたいと。
祖国のよさ、自分の国のよさ、自分の家のいごこちのよさ。そういうものは外に出て、海外に出て、初めてわかるものだ。日本がどんなにいやでも、海外で移民として食べて行くむずかしさをつきつけられるとそれを感じざるを得ないのが現状だろう。
2005.2.11.
妊娠中の薬や授乳中の薬というものは気になるものです。飲んだ薬はすべて赤ちゃんに届くと思うと、そのような行動をとることによって、大切な赤ちゃんに害を与えることになるとなるとママは自分を責めるでしょう。そのためにも授乳中の薬についてよく知っておくことが大切でしょう。
インフルエンザの季節がやってきました。日本でも海外でもインフルエンザウィルスはくしゃみや空気感染によってママもかかれば、子ども達もかかります。それではまず予防接種を受けておいたほうがよいのでしょうか?はい、授乳中のママでも予防接種は受けられます。ただし、一番外に出ている率の高いパパや学校へいっている上の子どもたちにも予防接種を受けておいてもらったほうがよいでしょう。
万が一かかってしまった場合、ママは授乳を続けられるのでしょうか?はい、特にやめる必要はありません。母乳の中にインフルエンザウィルスが混じりこむことはありません。むしろ母乳から得られる免疫を取り入れていれば、赤ちゃんは軽症ですみます。咳が激しくてマスクをしても、ウィルスはマスクを通して感染するので、意味はあまりないようです。
インフルエンザで薬が出た場合、授乳中でも飲んでいいでしょうか?はい、かまいません。それは吸入の薬であれば、体内に吸収される量は少なく、母乳にはほとんどでないからです。内服薬でも同じで母乳への影響はほとんどありません。薬によっては、回復をほんの数日縮める役割しかないものもあるので、むしろ自然治癒で回復したほうが、薬を飲んで心配するよりはよいかもしれませんね。
ママが寝込んだらミルクに変えるべきでしょうか?いいえ、母乳は続けられます。慣れないミルクに変える方がたいへんでしょう。それよりはむしろ寝たまま授乳し、そのまま横になっていればよいでしょう。私も咳がひどかったときは、子どもまで授乳中いっしょにゆれていました。長くても1週間、そのために断乳してしまってはもったいないような気がします。インフルエンザに負けずに授乳を続けてください。
(参考サイト : 日本ラクテーション・コンサルタント協会)
2005.2.18.
妊娠すると必ずといってよいほど、妊娠中毒症についての注意をうけます。まず、その恐ろしさです。妊娠中毒症は英語では、preeclampsia といわれています。昔は toxemia of pregnancy と呼ばれていました。この症状はだいたい5〜8%の妊婦に起こるといいます。症状の特徴は、高血圧、むくみ、そして尿にたんぱくが出ることです。そのためにも、毎回の検診で血圧を測り、尿検査をすることは大切です。
しかし、この原因はよくわかっておらず、少なくともどうしたらよいかについてはいくつか提案は上がっています。たとえば、塩分をあまり多く取らない、普段の運動を欠かさない、極端に体重を増やさないなどです。横になるときは、左側を下にしたほうが、胎児への血液の流れをさまたげないといいます。塩分は減らす必要はないそうです。それは塩分と水は今までのように普通に取っておかないとからだが水分を保てなくなるからです。
また、妊娠中毒症のリスクの高い人というのは、少し知られてきていて、最近の傾向としては、不妊治療を受けて多胎児をかかえている人といいます。よくせっかく授かったのに、3人のうち、2人を堕胎を進められたが、納得がいかないと思われる方も多いですが、結局、妊娠中毒症のリスクが高くなり、それが母子に影響するからなのです。他には20歳以下の妊婦、高年齢妊婦、肥満妊婦といいます。
いずれにしろ、症状が重すぎる場合は、どんな段階であっても、赤ちゃんを母体から出すことしか治療法はないので、それを避けるためにも、なるべく早めに妊娠中毒症の兆候をキャッチしなくてはなりません。血圧を調べることはもちろん、むくみの様子にも注意を払って妊娠中をお過ごしください。
2005.2.25.
いったいどうしてしまったのだろう?この世の中、本当にどこかおかしくなっている。何世代も自然に行ってきたことがどこか狂ってきている。そんな気がする。子どもを育てること。こんな簡単で自然なはずの作業をどうして素直に受け止められないのだろう。こんなことでいいのだろうか?私は、アメリカの中流階級の女性のことを言っているのだ。
アメリカは先進国として、あこがれの国、理想の国、見習うべき国として長年日本から慕われてきた。しかし、実際にこの国に来て生活してみると、理想と現実のギャップが大きいのに気づいた。まず一番の問題は、産前産後休暇である。これはないに等しい。権利としてあるのはわずか12週間。ほとんどの母親は産後1ヵ月半あまりで仕事に復帰している。次に、働く母親が安心して子どもを預けられる施設がないことだ。手軽な金額で充実した施設はないに等しい。さらに、学童保育が存在しない。あったとしても学校内にあるのは、一部の私立学校のみ。中流階級の人が利用できるのは学校の外。そこまでまた誰かが連れて行かないといけない。さらに費用が高い。
結局、上層、下層階級の人には利用しやすくできている施設が、中流階級の家族には手付かずでいる。結局、彼女たちは家にいることを強いられる。しかし、子どもはパーフェクトには育ってくれない。夜中に起きる、熱を出す、けがをする、思わぬときに排便、洋服は汚す、家は散らかす、食べない、食べる、思うように食べてくれない、学校で問題を起こす、次から次へものをねだる、今買わないといけない、今、医者に連れて行かないといけない、毎日のお弁当、毎晩の夕食、抱えきれないほどの洗濯物、洗ったら干して、さらにたたんで片付けて。何一つ生産性がないように思えて、自分がなんのために高等教育を受けたのか、あきれてしまう。本を読みたい、勉強をしたい、仕事をしたい、けれどもできない。その間、夫は100%仕事に打ち込める。彼がうらやましいが、ねたみにかわる。
結果的に、家にいて子どもと夫の世話にあけくれる毎日にいらだちを覚え、常にいらいら状態。これで夫とはうまくいかない。離婚。シングルマザー、もっと厳しい現実。仕事と子育てはさらに両立しない。いらいらで食べまくる。太る。女としての魅力を失い、ただ生きるために毎日を過ごす。女として満たされない不満。仕事にも影響。いったい私の人生はなんだったの?と思うのも無理ない。
彼女らは、自分をせめてきた。そのような選択をした自分が間違っていたと。しかし、私は、社会制度に問題があると思う。アメリカは基本的に資本主義なのだ。お金があるものだけが幸せを得られる。まったくないものはそのおこぼりがもらえるのだ。一番厳しいのは真ん中の層なのだ。そこから這い上がるためにみんな必死なのだ。けれどもそう簡単ではない。苦しい現実。けれどもアメリカは資本主義を変えようとは思わない。この自由こそがこの国を象徴しているからだ。
2005.3.4.
ケア・ワールドへの問い合わせから世界の情勢がよくわかる。最近、気がついたのは、インドネシアのバリ島からの問い合わせである。出産、医療、教育などの問い合わせ。他には現地の夫とその家族とのもめまいにまでにいたる。私は、以前バリ島を訪れたことがある。その時、ビーチにのんびりと8ヶ月の娘と遊んでいたときに、地元の男性がナンパしてきたのだ。こんな子どもがいる私になぜ?と思ったのだが、本人は本気であった。当時、本当にナイーブであった私は、彼がシンガポールにときどきいくので、住所を教えてというので、住所を教えてしまった。まさか、本当に我が家を訪れるとは夢にも思っておらずにしてだ。
ところが、その彼が数ヵ月後に我が家の玄関に現れたのだ。私はびっくりした。そもそもその人が誰かもわからなかったのだが、私がバリ島を訪れたときに、住所をもらったというのだ。あ?そうか。と思い出した。それにしても、当時住んでいたシンガポールのマンションはセキュリティーがものすごく固いはずなのに、住人の許可をえずにまあ、よく敷地内に入れたこと。これにもびっくり。
とにかく、その後、わかったことだが、バリ島のインドネシア人は、日本人女性に迫って、なんとか交流を持とうと必死であるということだ。そして、現にそのような出会いの中で、愛がめばえ、結婚した例もたくさん生まれた。現地の生活に入り、日本人女性がそこで日系インドネシア人を育てている。
しかし、そこでの生活は現地レベルで、なかなかたいへんな生活でもある。よい家族に恵まれる場合もあれば、そうでない場合もある。愛をもって生活を始めたものの、やはり理想とは違っていたり、コミュニケーションの問題が生じたりと、日本へ帰るケースも多い。そしてその子どもたちは、インドネシアと日本の間を何度も往復するケースもある。けれども彼らはインドネシア人でありながらも、日本人としてのアイデンティティーを必死に保とうとしている。それは将来のことを考えてだ。彼らの日本語教育、日本の文化を学ぶことはとても深刻な課題だ。
2005.3.11.
また移動の季節が近づいてきました。これから異国へ出発される方々は不安を隠しきれません。不安を持つことは当然です。まったく行ったことないところもさることながら、観光ではいったことがあるけれどもというところでも、生活となるとまたぜんぜん心配することが変わります。
海外で生活することと、旅行で行くこととはまったく違うのです。旅行へ行くのはあくまでも、一時的です。3日、1週間と期限がわかっています。さらに、いずれ日本に帰るのだからという気持ちで旅の恥はかきすてというほど、限られた時間内で多くのことを吸収しようと思うから、そこには普段にはないエネルギーがみなぎるのです。時間も限られていますから、見なくちゃ損、経験しなくちゃ損という気持ちが働いて、勇気もわいてきます。だから道を聞くのもこわくないし、現地の交通機関にチャレンジするのも、目的地に向かいたいという動機が強いから、こわいもの知らずでためらいがありません。
それが生活となると、なにごとにも臆病になってしまうのはなぜでしょうか?私は、シンガポールについてタクシーに乗るのもこわかったのを覚えています。アメリカにきてからも、家の前を走っているバスに乗るのもこわかったのです。なんでそんなことにこわがるのか自分でもわからないほどでした。日本にいるときには、渡航先の心配事がいっぱいで、洗濯物はどうやって干すのだろう、日本からものほしをもっていくべきなのか、掃除はどうやってやるんだろう、掃除機はもっていくべきなのか、リサイクルのものはどのように出すんだろう、そんな現地に行ってから心配すればいいことを、日本から持っていくものはあるだろうかということが気になって、生活の基本の部分にたいへん気をとられていました。
けれども、そのようなことはいかにささいなことで、現地にいけば、十分わかることで、そんな心配よりもっと心配しないことがあることがわかりました。特に駐在員で海外へ渡るときは、任期がわかりません。わかる家族もあるでしょうが、場合によっては、そこに永住を考えてしまうこともあります。そのためには、どのような人生を自分は歩みたいのかをはっきり自分の中で理解しておき、その理念にもとづいて、もっていくもの、もっていかないものを決めればいいのだと私は思いました。
私の所持品は私の生き方を表します。私の所持品は、私の人生において、何が大切かをもの語っています。だから、何を持っていくか、何をおいていくかは自分の生き方を見つめなおすチャンスなのかもしれませんね。一番いいのは、日本においておかなくてもいいというチョイスがあることかもしれません。それが理想ですね。
2005.3.18.
娘の通うニューヨーク補習授業校の卒業証書授与式が13日に行われた。娘はあわいピンクの大きなリボンがついたワンピースを選んだが、回りの人たちがブレザーだとか、黒を基調にした服を選んだことをとても気にしていた。しかし、ふたを開けてみたら、やはりここはニューヨーク。おなかを出した子、日本の高校の制服のようなブレザーとチェックのスカートにハイソックスの子、黒いイブニングドレスのような子、肩がうんと出たドレスの子とさまざまであった。
式は現地校を貸しきって、ロングアイランド校(LI校)、ポートチェスター校(A校、WT校)が合同で、日曜日の10:15amから始まり、1時間半ほどで終了した。最初に9時に集まって式のリハーサルがあった。壇上には大きなアメリカの旗と日本の旗がかかげられていた。すばらしいお花がいけてあって、これはとても日本的と感じた。最初は開式の辞、次に日米両国の国歌斉唱、そしてすぐ卒業証書授与だった。
生徒たちは壇上にひとりひとり上がり、名前を呼ばれたら元気よく、返事をし、真ん中まで出て行って、礼をして、左手、右手と出して卒業証書を校長先生から受け取った。名前が上がると、人気のある子は大きな声援を受けていた。ピーピーと口を鳴らすものもいた。「カッコいい!」とか名前を大きく呼んだり、その子の人気が手に取るようにわかった。それはアメリカの卒業式だった。証書をもらってそれを大きく上に上げる子、ガッツポーズをとる子、みんな実に純粋でユニークだ。この子達は本当に二つの文化で育った子たちだった。日本の厳粛な卒業式など経験したことのない子どもがほとんど。君が代もためらわず大きな声でくったくなく歌う。彼らの多くはアメリカで生まれ、アメリカで育ち、長い子は12年間通して補習校に通った子達だった。
答辞は、彼らの12年間、ないしは10年間を物語っていた。多くの別れを経験してきた子たち。だんだん人数が少なくなっていくクラスに残った行った子たち。現地校と補習校との両立に悩みながらも戦ってなんとか卒業までこぎついた子達。けれどもそこには涙はなかった。みんなアメリカの卒業式らしく、明るく、大きな課題をやっとの思いで成し遂げた達成感のような喜びをわかちあっていた。
2005.3.25.
海外にお住まいの皆さんの多くはおそらくとても国際的な環境で子どもを育てていると思います。香港にしろ、ドバイにしろ、たとえ大多数の人が現地の人でも、日本人は外国人としての扱いや生活スタイルを選ばれているでしょう。また、ニューヨークやロンドンのように多民族の集合体に住む方もいらっしゃるでしょう。いずれにしろ、そこにはなんらかの差別があったり、偏見が存在することでしょう。
子どもたちの将来を考えたとき、私たちは彼らに人種差別の弊害、間違った偏見は人を傷つけ、自分をも傷つけることを徹底的に教えていかないといけないと思います。
いろいろな人がいることを認めることさらには受け入れること。これは一番むずかしいことだとおもいます。それは人はみんな自己中心に考えがちだからです。
ある意味で自分を大切にするということはとても大切なことなのですが、それと矛盾して他者をみとめることがむずかしくなるのです。だから人生は常にそのふたつの葛藤だと思います。自分を守ることによって、結局は自分の中に偏見すら植え付けてしまう。
これがわかるのには、ただ年齢を重ねることだと思いがちですが、人の成長は年齢ではないんですよね。それぞれがさまざまな過去をひきづっていろいろなスピードで人は成長します。大人のはずなのにまだこんなことをするなんてと思いがちですが、結局、それぞれの成長スピードを認めないといけないんですよね。
けれどもその成長とは、また皮肉なことに、多くの困難や苦しみから生まれるのです。歌にもあるように、「涙の数だけ強くなれるさ」。けどこの苦しみ、傷みってみんな避けたいことですよね。だから人生は、矛盾といえば矛盾。両極端であって、それをバランスよく保つことを求められるのです。
人にはそれぞれつらいことと楽しいことがバランスよく人生に組み込まれていて、つらいことを避けることができないことがあります。もしかしたら、皆さんも海外に出て、今、そのような時期を通っているかもしれません。そんなとき、今、この苦しみは実は自分を大きく成長させてるんだとちょっと思うことができれば、きっとこの時期を乗り越えられるパワーが得られると思います。どうぞ、がんばってください。そしてつらくなったら、いつでもメールください。私のことを海外の母だと思ってください。時にはきびしく、時にはやさしく。私は、そんな存在でありたいと思います。
2005.4.1.
帝王切開の部屋というサイトに出会いました。リンクの出産・子育てをご覧ください。このサイトにある「私の勲章」には傷跡の画像が載っています。さらに、「複雑な気持ち打ち明け掲示板」という帝王切開に対する気持ちがつづられています。
私は、世界の帝王切開を調べたり、聞いたり、見たりする中で、いろいろなことを考えさせられました。あえて帝王切開を選択する人たち。楽なお産ということで、あるいはお金があるからという理由で帝王切開を選ぶ人たち。世の中にはいろいろな理由で帝王切開を選ぶのだなと知りました。
しかし、ほとんどの国では医療上の理由がほとんどです。やむなく帝王切開。緊急で赤ちゃんを救うため、納得がいっても、予定帝王切開で心構えができていても、やはり女性にとってからだの一部を傷つけられることは心の傷ともなります。
私たち女性はもっと自分のからだの美しさに気づき、手術を行うドクターにできる限り傷跡が残らないようにお願いしてもいいのではないかと思います。選択肢があるのなら、是非お願いしてみてください。たてに切るのか、横に切るのか(海外の多くの国ではビキニラインの横です。)。たてならどうしてか、横にビキニラインで切ることはできないのか?閉じるときは縫うのか、ステープルか、テープか?傷跡はどのように残るのか。自分の体質の場合はどのような結果が予想できるのか?1年後、2年後、10年後、20年後はどのようになるのか?
たて傷は勲章かもしれません。母親が子どものために犠牲になることは美しいかもしれません。けれどももしそれが避けられるのであれば、できる限りの対策をほどこし、納得の行く勲章にしてください。そのためには知識と情報が必要です。自分のからだは自分で責任をとり、自分のからだになされるすべてのことに納得がいかない限り誰にもさわらせないという気持ちも大切でしょう。からだを大切に。女性としての美しさは女性として生まれた特権です。それを奪われないように、なんとしても守ってください。
2005.4.8.
私たちは人に自分を認めてもらいたいという強い欲求があります。それを最初に認めてくれるのは母親だといっても過言ではないでしょう。しかし、そのような受け入れを十分に幼少時代に受けられなかった人は大人になってそれを周りの人に求めます。
私たちは知らぬうちにそれを子どもに求めていることもあります。子どもにきらわれたくないからといって、その後の行動を起こす母親が目立ちます。子どもにきらわれたくないために、子どもの言い分を受け入れてしまうのです。本当はこれこれこのようにしつけをしたいと思いつつも、どうしても嫌われたくないという気持ちが先行してしまい、子どもに好かれる母親がよい母親と思い、よい母親になるためには子どもの意向を受け入れるべきだと、子どもを許してしまっている親がいるのが気になります。
しかし、それは親としての責任回避ともいえます。というのも、親としての役割はなんでしょう?それはきちんと子どもがりっぱな社会人になれるようにしつけることではないでしょうか?しつけることは、子どもに嫌われるのを覚悟に行わなくてはならないことだと思います。子どもに嫌われることを恐れないでほしいです。だれでも自分の悪いところは指摘してもらいたくないですし、こうしろ、ああしろと自分を正されることは不愉快です。しかし、まだ何もわからない子どもにとってそれは必要なことです。だから親は堂々と毅然とした態度で、自信をもって子どもをしつけていいのです。親によって更正され、人との関係をうまく調整できる人間に育てることは親の務めです。世界一ひどい母親といわれてもいいではないですか。皆さんが正しいことをしたことに自信をもっているのなら。それは子どもが大人になって、いや、親になって初めてわかることかもしれません。けれども今はわからないのです。
嫌われたくないから、子どものよき友達でいたいから、だからいうべきことも言わないでは、親としてどうでしょうか?親は子どもに嫌われてもしかたないのです。それは親だからです。大親友ではないからです。極端な話、親は子どもの大親友にはなれないと思います。なってはいけないと思うのです。子どもは親以外のところで大親友を見つけるべきです。親の役割は大親友をよそおうことではなく、子どもをきちんとしつけるところにあり、それは子どもが親をきらおうとなんであろうが、愛情があれば、子どもとの関係は決してしつけたことで、あるいはしかったことでくずれるものではありません。
2005.4.15.
イギリス、フランス、ドイツに行ったママたちは現地の子どもたちが早く寝ることに驚いています。これらの国では幼児、および小学校の低学年であれば、早ければ7時、遅くとも8時には寝ています。それでもだいたいどの国でも子どもは早く寝ています。11時、12時に寝る子どもがいる日本の方が異常なのです。
パパの帰りが遅いから、パパのお迎えがあるからと子どもを親のスケジュールに合わせた生活をさせていませんか?夜の9時、10時というのに幼い子どもたちが大人といっしょにまだ外にいるのは気になります。
子どもを親の都合で就寝時間をゆうに超えて起こしておくのはよくないと思います。成長ホルモンが活性化するのも寝ているときです。脳も睡眠によって次の日に備えることができるのです。早期教育と叫びながら子どもに十分な睡眠を与えず、脳の健康な成長をのぞむのは矛盾してます。ねずみの実験で十分な睡眠を与えられないととても攻撃的になるという結果がでています。それはまさに最近の切れる子を象徴してないでしょうか?
今、多くの日本人の子どもたちは睡眠不足です。「うちの子、ぜんぜん早く寝てくれないの」と嘆く母親がいますが、それは違います。早く寝かせていないのです。子どもに眠れる環境を与えるのは親の役目です。時間がきたから子どもが自発的に寝ると思ったら大間違いです。子どもは親といっしょにいつまでも起きていたいのです。それでも親は子どもを寝かさなくてはいけないのです。しつけがそこにあるのです。口だけで言っていても子どもは動きません。習慣として根付くまでは親が根気よく働きかけないとなりません。面倒でもそれが親としての責任です。
ドイツ人の子どもが7時半になったらさっさと部屋に入って寝たといいますが、これはしつけと毎日の努力の結果です。親がそうしつけたのです。日本人の子どもたちが早く寝ないのではなく、親がそうしつけてないだけなのです。子どもは寝ます。うんとからだを動かしていたら、疲れて寝ます。どうぞ、皆さん、もう一度子どもの就寝環境、生活のリズムを見直してみてください。子どもにとって規則正しいリズムの整った生活習慣は心とからだの成長にとても大切なものなのです。大人の都合で子どもを振り回さないでください。もしかしたらママももう少し早く寝るとさわやかな明日を迎えられるかもしれませんよ。
2005.4.22.
日本の企業からの派遣で海外へ渡る場合、どの程度まで会社はその家族のもろもろの面倒を見るかというのは、とても重要なことだと思います。彼らは会社のために海外へ行くのであって、個人の旅行とはまったく意味が違います。ということは、引越しに関わる費用、ある程度の住居費、家族移住に関わる費用とリストはいくらでも追加されていくが、結局は日本での生活との格差がどの程度なのかによって、負担となる部分はやはり会社がもつべきだと私は思う。
たとえば、日本では必要のないカルテの翻訳、医師からの紹介状の英訳、予防接種の英訳、渡航前に受けておくべき予防接種などは当然会社が持つべきではないだろうか。
しかし、だからといって赴任に伴うプライベートな部分は会社が関与すべきでない分野になると思う。その中に現地でのお産をが入ってくるのではないだろうか?よく聞くことばとして、「会社がアメリカでの出産を認めないので」とか「会社は日本で産むようにというので」とかいうことだ。会社は個人のプライベートな決断までコントロールする権利はないと私は思う。つまり、その人がどこで産もうが、いつ産もうがその家族が決めることではないだろうか。そのような決断に会社が介入すべきだろうか?
おそらく、日本でのお産を勧める会社は、表向きは、日本の方が安全だ、助けも得られる、衛生面でも安心などと家族の身になってアドバイスをしているように聞こえるが、それは会社にとっても負担が少ないことからではないだろうか。会社によっては海外出産をした家族の親が手伝いに行く場合、旅費をもつところもある。海外で出産した場合、サポートが少ないとどうしても、ご主人が長期の休みをとらなければならない。となるとその分、仕事へ影響する。日本であれば実家に戻って、無料で母親がサービスを受けるだろう。さらにお産をカバーする保険に入る場合、それなりに医療保険のコストが上がるのを計算しなくてはならない。となると企業にとって、海外出産はそれほどお荷物であり、迷惑なのかもしれない。
しかし、そのような会社の一方的な損得をベースにした考えで、現地でのお産をあきらめることがあるだろうか。現地でのお産のメリットは、デメリットと比較して大きいものがたくさんある。夫にお産に立ち会ってもらえる、産前産後夫と半年間も離れることがない、生地主義ならその国の国籍も手に入れるチャンスを得られる。実家での仮住まいは落ち着かない、現地へ小さな赤ちゃんと戻るのはたいへんだ。企業のアドバイスもいいが、誰の立場にたって語っているのかをよく検討してほしい。
2005.4.29.
子どもが迷子になることはよくあります。あれだけ目を離すつもりはなくても、一瞬のうちに子どもが消えることがあります。私も何度かつらい経験をしました。迎えに行くからそこで待っててねといっても子どもは親を探しにその場を離れます。結局一番いいことは絶対に目を離さない、手を離さないということに尽きると思います。
子どもが外国で迷子になった経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。そんな体験談がありましたら、是非、教えてください。私が今まで調査した国では、子どもをさらってその臓器を高い値段で売るという恐ろしいものから、子どもを外国へ養子に売り飛ばすというのもありました。そのため、必ずしもお金目当てばかりではないということです。
最近の新しい迷子予防用品には次のようなものが出回っていました。
1.Who's Shoes :というのは、マジックテープで運動靴のくつひものところにつけるもので、その中に子どもの名前、親の名前、緊急電話番号、医者の名前と電話番号、もし持病をもっていたら病名あるいは障害名、生年月日の情報が記されています。
2.Angel Alert :これは、2つの装置で成り立っていて、モニターの役目を果たします。親がreceiver を一つ、子どもが transmitterを一つ持ち、子どもが親から9メートルほど離れると音がなる仕組みになっています。もちろん、混んでいるところでしたら、さらに距離を短く設定することができます。また子どもが危機に面したときに、引っ張れば音が鳴るものもついています。
いろいろな商品が出回っていますが、やはり一番よい予防策は子どもから目も手も離さないことでしょう。
2005.5.6.
アメリカでの性犯罪者の公開については日本で聞いていたが、実際にここに住んでみて、その報告があり、さらにはすぐ近くに性犯罪者がいるという実感はここにきて初めてわかった。先日、Board of Education から手紙が、Parent / Guardian of (学区) Student at : (住所)でここに届いた。あけてみたら2つの手紙が入っており、1つは Superintendent から、もうひとつは、(地区) Police Department の Chief of Police から来ていた。その1通には、Megan's Lawに基づいて、ここの学区には7人の性犯罪者がいるということが書かれてあった。性犯罪者についてフリーダイヤルに電話をして聞きだすことができる。しかも性犯罪はとても重い刑で、登録は一生涯義務付けされていて、常に住所を明らかにしていないといけない。つまり一度性犯罪で捕まったら一生、自分は性犯罪を犯しましたと公表しなくてはいけないのだ。これだけでも罰である。彼らは刑にふしたあともこのように罰を一生受けるのだ。
それでは、子どもを持った親はこの報告をどのように受け止めたらよいのか。つまり、性犯罪者はどこにでもいる。だからこそ、親は子どもから目を離してはいけない。一人歩きをする子どもには、知らない人に付いて行ってはいけないというようなことをしっかりと教えることだろう。しかし、それだけでは十分でない。私たちは常に知らない人と話しているから。むしろ、よく知っている人、たとえば学校の音楽の先生とか身近にいる人でもあるのだ。つまり、音楽の先生は音楽を教えるが、生徒のはだかの写真を撮らない。こういうその人とその人の役割について子どもたちに教えることなのだ。普段隠しているところをさわられたり、写真を撮られたりするのは間違っているというようなことを教えることだ。
アメリカに限ったことではない。日本では多くの子どもたちの口が封じ込められている。「秘密だぞ。絶対にかあちゃんに言うな。言ったらしょうちしないぞ。」と脅かされたら、弱い立場にいる子どもは絶対にいうことを聞く。けれどもアメリカに性犯罪を犯した人の絶対数は多いと思う。社会問題も日本の比ではない。だからこわいアメリカといわれてもしかたがない。けれどもそれだけでここアメリカをみんなが去るだろうか。危険なことは承知の上、犯罪に巻き込まれないように予防するしかない。日本から無防備にきた日本人は、その点、狙われやすいかもしれない。そのためにも十分、アメリカの事情を知って、子どもを守りながら安全に暮らしてほしい。
2005.5.13.
皆さんは心拍蘇生法(CPR) についてご存知だろうか。私は医療に携わっていることもあって、CPRのトレーニングを定期的に受けている。これは時々復習しないと本当に忘れてしまうからだ。前回は、息子と横浜で受けた。今回はグリーンバーグ警察署の現役の警官がインストラクターであった。日本では消防署所属の救急救命士だった。まずなぜ現役の警察官かというと、別に警察官でなくても、インストラクターとしてのトレーニングを受け、American Heart Association から資格を得た人ならよいのだが、彼は、16歳の時分から、救急救命にかかわっていた。当時はボランティアとして救急車に乗っていたのだ。その後、このCPRを教える道に入ったのだ。
「海外で安心して子育てをする本」の本にも記したが、ことばがよくわからない国で住む親のすべてにこのCPRを学んでほしいとせつに願う。それは、子どもがおぼれた、子どもがのどをつまらせた、電気ショックを受けた、くもやはちにさされてショック状態になった、何が起こるかわからない。そんなとき、一番身近にいるのは親だ。しかも、たとえ救急連絡をしても、ことばがうまく話せなかった場合、その場でまず蘇生をするように言われても、どの程度できるだろうか。
子どもの命にかかわる。そのためにもすべての人にCPRを私は勧めたい。日本のときは受講料なしであったが、ここアメリカに来て、今回はAmerican Heart Association 主催の乳幼児と子どものためのCPRコースを受けたが、なんとこれが有料であったのには驚いた。アメリカもだんだんと民営化されてきて、なにもかもが高級化してきて、専門性が追求されてきて、儲けを念頭においているのか、なんでもお金をとるようになった。昔は博物館のほとんどが無料だったのに、今は最低10ドルはとる。あのよきアメリカの時代は消えつつあるのだろうか?
2005.5.20.
JR事故の犠牲者の方々のご冥福を、心からお祈りいたします。しかし、この事件は世界各国に伝えられ、それぞれの国でいろいろな反応があったようです。私もたったの90秒、遅れていたことでこんな大惨事を起こしてしまうなんてと思っていました。しかし、1秒ですら正確さを求めるのは日本人ならではだと思いました。機械の精密さは1ミリ以下の正確さ。電車の時刻に関しても、日本ほどスケジュールどおりに走っている国はないといってもよいでしょう。つまり生真面目さ、正確さ、機敏さ、これは堂々たる日本の文化なのです。そしてこの文化が浸透していたからこそ、日本は経済大国へとのし上がったのです。ただしやっぱりバランスが必要だと思いました。
ちなみにここニューヨーク郊外の電車はまず10分遅れても誰も騒ぎ立てません。15分遅れても仕方ないと思います。たとえ30分遅れても、まあ、しょうがないと思う程度で誰も鉄道会社に文句をいうことはありません。つまり、電車がやむを得ず遅れることは当然あってしかたないと思っています。そのため、駅員も遅れたことであやまることは決してありません。
ドイツ人は職住接近型、家族中心型、旅行は長期滞在型で最低6週間の休暇をとる、バケーション先ではひたすら本を読んだりとのんびりと過ごし、お金を使わない、公園で1日中寝転がって過ごす、芸術を楽しむ、エスカレーターでは歩かないと聞きます。
余裕について考えたとき、海外にいる皆さんの多くは余裕があると感じているようです。家が広い、土地が広い、国が広い、人が少ない、競争がない、あまり行事がない、親戚づきあいがない、電車じゃなくて車での移動となると当然渋滞などもあれば遅れても仕方がない、なにごとも定刻には始まらないことが多い、遅れてきても誰もとがめない、日本ほどの正確さを求められない、平気で講演やイベントが延期されたりキャンセルされる、銀行でもスーパーでもデパートでも並ぶ並ぶ−けれども誰も文句をいわない、他人に声をかけられる、ちょっとしたことをほめる、後ろの人にドアを押さえる、赤ちゃんに声をかける、花の香りに気づく、くしゃみをすれば誰かが bless you といってくれる、、、、これが余裕でしょう。
日本は経済的にはとても余裕がでてきました。そろそろ心の余裕を取り戻す時期にきているのかもしれません。
2005.5.27.
人は本当のことを言われると頭にくることが多い。素直に、確かにそうだ、このあたりは反省しなくてはとすぐ思えればよいが、ほとんどの人は、まず否定に走る。「だって、あなただってそうじゃない。」「そんなことはないわ。子どもを思ってるからこそじゃない?」「どうして?私は子どものことを一番に考えて行動してるのよ。どこが悪いの?」批判に聞こえることを素直にそうだと受け入れるには相当大人でないとできないくらいだ。
しかし、時には厳しいことばも教訓として受け入れないといけないことがある。それに気づかない場合は、なかなか受け入れられないだろう。しかし、いつか、何らかの形でそれは痛い形となって伝わってくるかもしれない。
普通に子どもを育てるってことが今、むずかしくなってきている。私たちにはあまりにも多くのチョイスが与えられ、金銭的余裕があればなおさらだ。もっと不幸なのは、小さいうちにその子の生まれ持った才能がきわだって目立つときである。才能の開花を親が伸ばすのがつとめと思われているが、果たしてどうやって、どの程度までその才能を伸ばすために自分の家族および、その子の取り返せない子ども時代を犠牲にするかである。
今まで成功した人たちは、子どもが3才の頃から親があれだけ熱心に努力したからだという。スポーツ選手にしろ、テレビの子役にしろ、楽器の名手であるにしろ、親は子どもの夢を果たすという名目の元、実は自分が満たすことができなかった夢を子どもを通してたくし、結果的にその子の子ども時代を奪い、さらには家族全体が普通の家族としての営みをまったく通らずして、その子を支えたのだ。家族旅行、のんびりと空をあおぐ、家族で夕食を共にする−そんな普通のことをしないで育った子どもはどのように自分の新しい家庭を築くのだろう?
なにごとも極端になるのは禁物だ。普通じゃないと思ったときに、ちょっと立ち止まってほしい。塾からおけいこごとへ、今日はこれ、あしたはこれと土日も休むこともなくスケジュールがびっしり。経済的豊かさは幸せを約束するものではない。その豊かさをどのように利用するかだ。豊かになったから親は子どもにお金をかけてきた。いい学校に入れるために母親はパートまでするようになった。しかし子どもは生まれ持って自然なもの、自然に普通に扱わないとどこか狂ってしまうのではないだろうか?
2005.6.3.
2005.6.2.のニューヨーク・タイムズ紙にニューヨーク市における自宅分娩の話が載っていた。自宅分娩はアメリカではあまり人気がない。それもそのはず、アメリカ人は痛みはとりのぞくもの、あえて招くものでもなく、耐えるものでもないという発想があるからだ。しかも、ここは何事も訴える社会だ。そのため、自宅分娩はリスクが高いと思われると、赤ちゃんに万が一のことがあったら助産師が訴えられてしまう。となると助産師もあまり積極的になれないようだ。訴えられたときのための保険もばかにできない金額で、中にはそのような保険に入っていない助産師も多いという。つまり妊婦さんとの信頼関係があれば訴えられないという。
自宅分娩を希望する女性の多くは自然派志向のようだ。特にヨーロッパ人にはその自然志向派が多いように思える。またマンハッタンの女性はユニークな人も多い。夫ではなく、恋人。上の子どもは前のご主人との間に生まれた子どもでなく、前の恋人との関係から生まれた子ども。けれども今度の子どもは今の恋人との間にできた子とか。家族はとても多様化しているマンハッタン。さらに自宅分娩を望む彼女たちはやはり病院の医療介入、特に帝王切開を避けたいと思っている人たちだ。確かにこのところマンハッタンにおける帝王切開率はのぼり気味のようだ。高齢出産も多いし、マンハッタンに働く女性はばりばりなキャリアウーマンも多く、時間も不規則、さらにストレスの多い毎日を過ごしているという印象を受ける。
さて、データだが、マンハッタンの助産師が自宅分娩の請求コストはだいたい4000〜7000ドルという。日本円にして、37〜66万円くらいだろうか。それにしても高いと思うのは私だけであろうか。しかし、ほとんどが保険によってカバーされるので、家族への負担額はさほどでないようだ。いくら実際に払うかはまだ問い合わせていない。アメリカ人の友人にこのことを話したら、ニューヨークタイムズに電話をして取材記者に聞いてみろという。ああ、なるほどそうか。記者はそんな身近な存在なのかとうなづく。
ニューヨーク市には現在資格を持った助産師で自宅分娩をする人は9人いるという。これは9人しかいないととるべきか、それとも9人もいるととるべきか???14年の経験ある助産師のBさんは1ヶ月4〜6ケースの自宅分娩を手がけるという。これを病院の産科医の15〜20ケースと比べている。またニューヨーク市では1996年に750ケースあった自宅分娩は2003年のデータでは443ケースに落ちているという。しかし、ニューヨーク州全体では多少増えているようだ。
2005.6.10.
世界の離乳食を調べる中で、いつ離乳食をスタートするかという質問に対して、さまざまな回答が寄せられた。その中でもおもしろかったのが、極端な例だ。つまり、もうすごく早くからはじめる国と、極端に遅く始める国だった。なかには、離乳食たるものは存在しないようなところもあった。つまりおっぱいから急に固形食へスキップするところもあった。つまりあのどろどろの時期をもたない国もあるということだ。
となると、日本では普段の日本食同様、やはり離乳食に母親がエネルギーをかける割合がものすごく大きいことにきづいた。きれいに皮をむいて、ゆでて、こして、うらごしをし、それはそれは手作りにこだわったりとなかなかのエネルギーだ。これこそ母親の愛情というところだろうが、当の赤ちゃんはどうだろうか?まあ、母親の自己満足といえよう。瓶詰めのベビーフードは手抜き?と思われがちだが、栄養面からも衛生面からもさほど悪い評価はない。となれば、その人のスタイルといえよう。
いずれにしろいつスタートというのは大きな課題だろう。一般的には4ヶ月から6ヶ月の間といわれているが、それが果たして4ヶ月半かそれとも5ヶ月半ではじめるのか正確でない。となるとなにを目安にすればいいのか?それはやはり個々の赤ちゃんというしかないであろう。というのも、まだ頭がすわらないうちになにかを食べさせようということ自体無理だし、なにをいれても舌で押し出してしまうのであれば、これまたまだ受け入れる段階ではなかろう。
となるとやはり赤ちゃんが自主的にスプーンを口にもっていったときに、くちびるにさわったところであーんと口をあけたときではなかろうか?さらには、周りの家族の人たちが食べている様子を目でいっしょうけんめい追っていたり、自分も食べたいなというようなそぶりをみせたときかもしれない。
さらに、気をつけなくてはいけないことは、さあ、もう大丈夫かな?と思って急にいろいろと食べさせたいこと。これはゆっくりがよいのであろう。つまりひとつはじめたら3,4日みて、そして次の新しい味を紹介するとよいだろう。食べることが楽しいということも是非伝えたいものだ。そのためにも家族団らん、みんなでいっしょに食事をする時間を最初から1食だけでももうけたいものだ。
2005.6.17.
日本語の補習校は全世界に197校もあるという。ニューヨークにもいくつかの補習校があり、娘はそのうちのひとつ、ウェストチェスターにあるA校という名前の学校に通っている。このA校とは中等部と高等部がいっしょになった学校である。しかし、この同じ建物中には、WT校という初等部がいっしょに存在する。
年に1度ほどこのニューヨーク補習授業校の作文コンクールの入選作品集が発行されるが、これまたとてもおもしろい。やはり海外にいる子どもらしいトピックが目立つ。たとえば、ピアスをはじめてした体験、日本での小学校での体験入学の話、人権といわずヒューマンライツというトピック、日本ではあまり聞きなれないキックボードなどの遊び、サマーキャンプのことなどだ。
特に日本語があるにもかかわらず、英語で題を選んでいるところもおもしろい。魚釣りとはいわず、フィッシングと書いたり、日本語の文章で書くのに題名だけ英語で KNOCK と書いたりだ。
そして、彼らがアメリカにいるのだなというのが強調されるのが地名や友達の名前だ。そこには、「コロンバスでーのお休みに、かぞく4人でケープコッドへいきました。」とか、「ぼくはジュルーに、「オーケー」といって、ジュルーはぼくたちにバァーイって言って電話を切った。」
さらにおもしろいのは、彼らのするどい観察力である。そして豊かな感受性。どのようにものごとをとらえているかが読んでいておもしろい。アメリカのこともさることながら、むしろ彼らにとっては日本のことを書くほうが題材としてはおもしろいようだ。それも驚きといえよう。まあ、当然といえば当然だが、彼らはそれだけこちらは日常で、日本こそカルチャーショックなのだ。
2005.6.24.
ちょうど10年ほど前あたりでしょうか、日本では、指示待ち人間が増えているという傾向が見え始めました。おそらく今もあまり変わらないと思うのですが、この指示待ち人間とはどういう人間を指すのでしょう?私の理解では、人に考えてもらって、いわれたことだけ、あるいは言われたとおりにしかしない人間ではないでしょうか?
しかし、指示待ち人間を育てたのは誰の責任でしょうか?言うまでもなく、それは日本の教育と各家庭でのしつけによるものではないでしょうか?日本の教育はさておいて、家庭を見てみましょう。
私たちは子どもたちに自分で考え、選択するというスペースと時間を与えているでしょうか?おけいこごとにしても、隣のさくらちゃんがピアノを始めたからじゃ、うちもとか、啓介くんはスイミングにいってからだが丈夫になったからじゃ、うちの純一もとか。みんな塾に通っているからうちもとか。夏は誰もがアメリカではサマーキャンプにいくのが当たり前だからうちもとか。こうみますと、子どもに本当に何をしたいかという選択権を与えているでしょうか?特に夏休みにおいては、彼らが自由に使える唯一の時間です。それすらも親の勝手に決めたスケジュールでいっぱいに埋めて、退屈させてはいけないと意気込んでませんか?
子どもからしたら、1日ボケーっと何もしない日もとても彼らにとっては貴重な時間かもしれません。学校がある期間中は、やれ英語、やれ体操教室、やれ塾、やれサッカーと1週間びっしりのスケジュールだったはずです。せめて夏休みだけでもゆっくりさせて、自分で何をしたいのかを考え、選ばせて上げる機会を設けてはいかがでしょうか?
そんな、まだ小さいのに何があるのかもわからないから、こっちで計画してあげなくちゃ無理よ、とおっしゃるかもしれません。それではせめてママが調べたものを教えてあげて、その中から選ばせてはいかがでしょうか?そのためには、いろいろな場に子どもを連れて行って体験させて、世の中にはどのようなものがあるのかを知らせてあげることだと思います。それは急に選べるものではないでしょう。動物保護センターでボランティアをするにしても、以前にそこに行っていれば本人も選べるでしょう。バイオリンのコンサートに足を運んでいれば、バイオリンを弾く楽しさがわかるでしょう。
子どもは、自分がしたいものは本能的に感知しています。いやなものは誰が強制してもいやなのです。それを無理にやらせても結局は無駄になると思います。本人がやりたいと思うものこそ、なんらかの実を結ぶものです。何もしないという選択肢があってもいいではないですか?何もしていないその毎日でいろいろなことを考えているのかもしれません。それがいつ花を開くかは親が決めることではありません。子どもたちの毎日は彼らのものです。良かれと思って親がすることが必ずしも本人に通ずるものでないこともあるのです。だから彼らの選択できる力を信じ、自分でしたいことを選ばせ、やらせることも重要だと思います。
夏休みが近づいています。子どもたちが楽しかった、充実していたと本人自身が納得できる夏休みを作らせて上げてください。
2005.7.1.
夏休みに入ると、じょじょに帰国したり、また海外でも他の新天地へ引っ越していく人たちがいる。これだけ世界が狭くなると常に移動することが当たり前になっていくことがある。会社では有能な人材をこちらにあちらにと移動させ、また自ら進んで海外へ新たなチャレンジを求めて移動するものもいる。これが仕事だからとあきらめの気持ちで家族はついていく。ましてや子どもたちにはその選択の余地はほとんど与えられない。
昔、日本人は一ヶ所に定住していた。それは農耕民族であったからだ。農耕民族はそこの土地で畑を管理し、毎年同じようにして作物を種から収穫へと育てていった。日本人はつまりもともと定住型なのだと思う。それに対して、遊牧民は飼っている家畜のえさがなくなれば、次の場所へと移動していった。そのため、簡単なテント、質素な家財で移動しやすい環境を作っていた。けれども彼らは群れて移動していた。ということは、人との別れというものはさほど経験しなかったわけだ。
しかし、今は、家族単位、あるいは単身赴任の場合は、父親、つまり個人での移動となる。もちろん、大学への留学などというのもやはり個人での移動だ。そこには当然別れた生じる。子どもたちも同じである。個人として、いままで所属していた学校なり、同年齢の仲間たちに別れを告げていく。
これが毎年のようになったり、あるいは、2,3年おきということであったら、どのような影響が出るのだろうか。このような研究を行っているところは多いが、そのような子どもたちが大人になったとき、どのような影響を背負って現在を生きているかがとても興味深い。単に異文化で育ったというばかりでなく、常に移動する、常に別れを経験して育つということがどのような影響を子どもたちの将来に与えるかだ。
おそらく何百とあるうちのひとつに決断するむずかしさというのが上がると思う。それは、彼らはさまざまな経験をし、さまざまな国に住み、さまざまなことばを話し、選択肢がとても多いからだ。それゆえに将来の仕事などなにを基準に選んだらいいのかとても迷うと思う。しかし、その反面、自分でなにか決断することが許されなかった過去があるゆえに、決断を迫られたときにどこか不慣れな居心地の悪さを感じるのかもしれない。つまり自分の人生にあまりにも決定権が与えられなかったからだ。
これは大人の元帰国子女にもいえる。再び海外へ駐在で渡った元帰国子女は、以前は父親の決断で、今は夫の決断で。そこには彼女自身の決断がどこにもないのだ。人は決断する権利を奪われると決断することに弱くなる。このような弊害は無視できないと思う。
2005.7.8.
子どもの頃は、みんな自分が誰であるかがよくわからないものです。しかし、10代の半ばあたりから、いったい本来の自分は誰なんだろう、どういう人間なんだろう、どういう価値観を持っているのだろうと、自分探しをはじめます。しかし、本当にこれが自分だと、自分のことをよくわかるものはどれだけいるでしょう?
皆さんはどうでしたか?当時を振り返ってみてください。自分という人間をわかっているようでいて、まだまだう〜ん、どうなんだろう?とどうもつかみどころのない自分を描いていませんでしたか?それはどうしてでしょう?
私が思うところ、人は、小さいとき、まだ自分がわからないころ、周りの人からさまざまな評価をされてきたと思います。「あなたは、本当に絵が上手よ。」「あなたは、とても積極的でいいわ。」「ゆうちゃんって本当にひょうきんよね。」「やさしいのね、さっちゃんは。」「気前がいいわよねありちゃんは。」「頭がいいわよ。ちーちゃんは。」とこのようにポジティブなこともある反面、「あんたは本当におっちょこちょいね。」「まあ、さとるはあくまでも平均人間ね。」「やすしは、頼りないけど、あつしはしっかりしてるわ。」「リサは算数だけは弱いね。」「まりちゃんは、すごいはずかしがりやよね。」とネガティブな自分の部分も言われてきたのではないでしょうか。
よく考えてみると、このようなことはしょっちゅう、周りから言われてきませんでしたか?そうです。これこそが皆さんにつけられたレッテルなのです。そして、どれだけそれに影響を受け、それを信じて今日の皆さんがいるかということを私は指摘したいのです。たとえそうでなかったとしても、親が言ったから、先生が言ったから、自分が信用していて、自分のことをよく知っている人から言われてたから。だからこそそれが自分だと受け入れていたでしょう。
しかし、実際とどう違いましたか?本当にその人が言ったとおり、自分は恥ずかしがり屋だったでしょうか?算数が本当に苦手だったでしょうか?必ずしもそうではなかったと思います。確かに多少あたっているものもあるとしても、すべてにおいてそうではなかったでしょう。変わっていった自分もあっただろうし、レッテルにはまったまま育った自分もあったでしょう。
こわいのはそこです。そのレッテルはなんの意味がなかったり、真実性にかけていたり、でもなおかつ自分はそうであるとしっかり思いこんでそれをベースにした自分を作ってしまっていたこと。
そのため、今、皆さんがお子さんのことについて、言っていることばがいかに将来のその子を形付けるかを立ち止まって考えてから言ってほしいのです。本当に何気なく口走った彼女のこと、彼のことが間違っていれば、それをベースに彼、彼女は自分を作り上げてしまう可能性が大きいと思います。ポジティブがすべていいのでもありません。しかし、ネガティブなことに関しては、今一度、頭で考えてから発してほしいと伝えます。
2005.7.15.
私が生まれた当時、どの家庭にもテレビがあるというような時代ではありませんでした。そのため、テレビを見たいがために隣のおうちに遊びにいっていたものです。しかし、娘は生まれたときに家にテレビが2台ある時代で、しかも小学生の段階からインターネットを始めていました。今では携帯電話が一人一台が当たり前、個人のデジカメを持っている。そんな時代になりました。
しかし、その反面、過去のよき時代?を知っている私にとって、今の子どもたちの生活、いや大人も同じです、この忙しさは人間としての本来あるべき生活とかなりかけ離れてしまっているように思えてなりません。このまま間違った選択をしていくとどのような社会が生まれ、どのような人間が将来育つのか危機感を感じています。
24時間携帯電話はつけっぱなし。通話中でも相手からの電話がかかれば中断してその人と話をする。メールにはその日のうちに答える。留守電を設置しておけば家に帰ってきてすぐ留守電の数だけ電話をかける。ちょっとでも外出でパソコンから離れていると、帰ってきて真っ先にメールをチェック。自分できちんと生活をコントロールできない子どもでは、起きたらネット、朝食を食べたらまたパソコンの前、勉強しなさいといえば、ネットで調べるといい、お昼よと呼べばものの10分でそそくさと食べてまたパソコンの前にすぐ戻る。家族団らんのときでもパソコンが立ち上がりっぱなしなので、誰かがチャットにくると呼び出しのベルがかかり、中座して、「あれ、だれがきたかな?」とチェック。もうパソコンやめなさいと10時に強制的に消すと、今度はテレビの前に直行。
確かにお友達とつながっていたい気持ちもわかるけれども、ちょっといきすぎではないだろうか。つまりもう子どもたちの生活そのものが、いや、大人も同じ、世の中の便利な機器によって支配されているように思えます。特にパソコン。子どもが小さいと、海外にいるとどうしてもパソコンだけが世界とのつながりになったり、日本の友達とのつながりであったり。それもわかりますが、それにあまりにも時間をとられて、本来、外に出て現地のお友達を作るべき時間を犠牲にしていませんか?それに気づいてほしいのです。子どもと向き合う時間もおろそかにするほどパソコンの方が大切になっていませんか?それでは、子どもたちが自分からはなれていってしまっても無理ないのでは?
どうぞ、皆さん、子どもたちが家にいる時間というのはたったの18年ちょっとなのです。人生80年としてもたったの4分の1、しかも一番よき時代でもあるはずです。それがたったの4分の1しかなく、あとの4分の3は誰と過ごすのですか?何をするのですか?
子どもとの18年間、その時間は子どもが生まれたときは果てしなく先のことに思えますが、実は子どもが15才にもなれば、あっというまに過ぎていきます。そしてその15才に到達するまでがなんと早いことでしょう。そのためにも生活上でのしたいこと、すべきことの優先順位をしっかりたてほしいと思います。家庭にいる場合は特に自分の時間配分をきちんとコントロールできていないとどこかで生活に偏りがでます。そしてそれが子どもたちに影響しないように今一度パソコンとの付き合い方を見直してください。
2005.8.12.
25日間、日本へ一時帰国へ行ってまいりました。今日は戻って2日目。5時くらいになるとなんともいえず、からだが眠くなります。今朝は5時に目が覚め、時差でやられています。しかし、一時帰国はたいへん有意義なものでした。私はだいたい2年に一度の割合で戻っていますが、2年もたつといろいろと変化が見られます。
公共のトイレ:日本はどこへ行ってもトイレに不自由しません。どの駅にもトイレはたいていあります。さらにデパートとなれば、ほとんどの階にトイレがあり、しかもどこでもおむつを替えられる交換台が設置され、トイレの中といえば、子どもをすわらせておける小さないすがコーナーにあるのがもう一般的です。高速道路のレストエリアでは、必ず赤ちゃんと入れるトイレが明記されています。
子連れコーナー:日本はお母さんと子どもたちが大切にされているなと感じたのが、スターバックスにあったお母さんたちが赤ちゃんを連れてでもくつろげるスペースでした。ここは低いソファーが用意されていて、子どもを安心してそばにおいておけるスペースが確保されていました。
バリアフリー:この10年で多くの駅のホームと改札口のフロアがエレベーターもしくはエスカレーターでつながりました。これならベビーカーに子どもを乗せたままでも上がり降りができます。さらにバスに乗るときも乗車口が低くなって、ベビーカーをたたまずそのまま乗れるようになっています。
お店の対応:赤ちゃんがいるとわかれば、ハイチェアを出してくれたり、子どもが退屈しないように、お絵かきのセットを無料でくれたり、子どものためのお皿と子ども用フォークとスプーンを頼まなくても用意してくれたり、お子様さまさまのように対応してくれました。
赤ちゃんを見る周りの目:東京あたりではまだまだペースが速いですが、それでもだいぶ周りの人の赤ちゃんを見る目に余裕ができてきたように思えました。私は赤ちゃんが大好きなので、赤ちゃんに微笑みかけると、必ずお母さんにも目を向けます。特に話しかけるわけでもなくても、彼女たちが私の微笑み返してくれる様子から、だいぶこのようなかわしあいができてきているのだと感じました。
いろいろな国でどのように子どもたちが社会に受け入れられているかを見てきましたが、日本ほど母親と子どもを温かく受け入れてくれる国はないのではないかと思う今回でした。ハードの面では確かに、ソフトの面ではまだでは?という意見もありましたが、日本ではむしろソフトの面が先にあり、そのあとハードが続いてきたのではないかと思いました。皆さんはどのように感じられますか?
2005.8.19.
子どものしつけ なんてテーマはもううんざりするというお母様方も多いのではないだろうか?そう、あまりにも多すぎるし、読みすぎているようにも思える。けれども読んでいながらしていっこうに何も変わっていないと感じるのはなぜだろうか?
いったいどうして疑問に思われていることが正されないのだろうか?「子どもが夜、寝てくれない」、「お菓子ばかり食べて、ごはんをちゃんと食べてくれない。」、「ゲームばかりしてて、外で遊ばないの」、「朝、起こしてもぜんぜん起きてくれないの。」、「でかけるっていってるのに、ちっとも用意しないの。」こんな不満を子どもにいだいていませんか?
私がいいたいのは、親の権威はどこへいった?ということです。いま、子育てをしているママの中で気になるのが、子どもにびくびくしている、子どもの自主性を重んじるといって実は完全に子どものいいなりになっている、子どもになにかを強いることができない、子どもの反応を気にするあまりいうべきことを言っていない、子どものご機嫌取りをするといったことです。
子どもがごはんを食べてくれないではなく、親が子どもにごはんを食べさせるのです。お菓子ばかり食べてるというのであれば、お菓子は与えないのです。夜寝てくれないというのであれば、夜時間になったら、寝かせるのです。子どもの自主性を重んじてますからというのであれば、どの点において、待てばいいのか正しい判断をすること。なにもかも自主性に任せていたらそれは放任主義です。
ひきこもりに関しても、「家族といっしょに食べないで一人でこもって食べるんです。」なら、強制的に家族といっしょに食べるようにさせればいいのです。親ならそういっていいのです。「部屋から出てこないんです。」なら、ドアのロックはぶちこわして、ついでにドアもはずして部屋から出すのです。こういうことを小さいときからしてなかったから、甘えをずっと許していたから図体がでかくなった18才ではもう手遅れなのです。
だからいまからでも遅くはありません。親なら、いや親だからこそ、子どもにしなくてはいけないことは、「〜しなさい。」といっていいのです。「〜してほしいな。」「〜してくれる?」じゃないのです。ただし、子どもは親に命令してはいけません。それが親と子どもの関係なのです。そこにははっきりとした一線があるのです。子どもに遠慮などいりません。まだ善悪も判断できない中途半端な大人、あるいは完全な子どものうちはです。私たちが大人としての権威を示さなくては子どもは方向性を失ってしまうのです。
皆さん、もっと子どもに対して堂々とした姿勢を、威厳を示してください。車の助手席はママの席。リビングルームのアームチェアはお父さんの席。子どもは床。家族には上下関係が存在するのは当たり前。子どもとは対等、友達関係ではいられません。まず両親、そして子ども、そして最後にペットです。
2005.8.26.
現在では、突然死が心配されているため、赤ちゃんをうつぶせに寝かせないようにとどの国でも奨励しています。つまり背中を下にして寝かせるようにということです。子育てのルールや習慣というものは年代によって変わるのは実におもしろいものです。このうつぶせ寝においても、だいぶ変わってきました。
私が育った1960年代はうつぶせ寝は絶対というほどにさせませんでした。そのためでしょうか、絶壁の人が多いといいます。寝かせ方だけが原因ではないとは思いますが、その影響も多少あるでしょう。
しかし、私が最初の子どもを育てた1980年代はうつふせ寝が浸透していました。うつぶせ寝にすると頭の形がよくなる。まるで白人のように細長くなるということで、皆が競って赤ちゃんの頭を欧米人のようにたてに細長くさせる努力をしました。しかし、どんなにがんばっても、結局、遺伝的なものですから、結果的には、日本人の頭蓋骨は赤ちゃんのときのうつぶせ寝くらいでは、欧米人のようにはなりません。
さらに、1990年代に入ったら、突然死のことが問題になり、うつぶせ寝にするときは、硬いマットレスの上で、周りにタオルなど呼吸の妨げになるものは置かないようにと指導されました。さらには、国によってはもう絶対にうつぶせ寝はだめというところもでてきました。
しかし、いま、じょじょに背中でばかり寝かせておくと頭の後ろがすっかりぺちゃんこになるということで、気になった母親たちが声をあげはじめ、アドバイスを求めています。そこでロスの Cedars Sinai Medical Center の John Graham Jr. MD 医師によると、まだ完全に頭を持ち上げられない新生児はうつぶせにさせると苦しがるかもしれないが、それでもなるべく早いうちからうつぶせの状態をためすとよいと言っている。つまりうつぶせ寝というのではなく、頭のうらがつぶれないようにするために、1日4回、最初は5分くらいから始めるとよいといっています。これを自分ではいはいできるまで続けるとよいとのことです。
つまり、うつぶせ寝はいけないといわれて、まったくうつぶせのポジションもとってはいけないのかと多くのママたちが、うつぶせにすることをこわがってしまったのだと思います。もちろん、起きているときは、ママもそばにいるのですから、みている所でうつぶせのトレーニングをさせれば大丈夫でしょう。これは首がすわるよい訓練にもなるはずですし、赤ちゃんの見える世界も変わってきっと楽しめるでしょう。
2005.9.2.
ハリケーン・カテリーナというものすごい台風がニューオーリンズに上陸した。3万人という住人を避難させなくてはいけない事態になり、いま、テキサスのヒューストンの大きなドームに準備が進められている。ここで日本との避難者の扱いの違いにいくつか気がついた。
まず日本人の場合は、体育館にふとんを敷いていた。しかも、そのふとんを家族のメンバーで寄せ合って敷いていた。それに対して、アメリカでは一人ひとりの区画をわざわざ白いテープで仕切ってその上にそれぞれ1つのコットという簡易ベッドを並べていた。
食べ物に関しても、日本はおにぎりだとか、けんちん汁だとかやっぱり料理に要する時間がかかるものが多い。それに対して、アメリカでは基本的に料理に手間のかからないサンドイッチなど手にとって簡単に食べられるものが多い。
次に気がついたことは避難者の肌の色だ。彼らのほとんど、本当にほとんどが黒人であった。堤防が壊れた地域は、海面マイナス何メートルという地域である。そこは、もしお金があったら進んで住みたいとは思わない地域だ。しかし、収入の少ない貧しい層の人たちは、そのような住居区を選ばざるを得ない。それゆえに、ニューオーリンズではそこに住むのは黒人層なのだ。
日本において、地震やつなみは場所を問わず起こる。しかし、それが日本で起こる以上、被害者はすべて日本人。しかも収入による階級層がはっきりしていない日本では、ニューオーリンズのような現象は起きない。店のものをこのときとばかり盗んだり、いらいらから発砲するようなことも日本では見られない。つまり、ニューオーリンズではどのような庶民を対象にしているのかがはっきり現れていた。しかし、日本ではそのような人種的な違いは決してみれないし、ましてや階層的な違いも現れない。
このように観察すると、いかに日本という国は単一民族の結束が固いかがうかがわれる。そしてこの単一民族ということばを使ったときには反論を得たが、他にことばが見つからないくらい、日本は北海道にアイヌ人がいるが、それでもほぼどこへいっても、くわしい話を聞かない限り、みんな髪の毛が黒くて、日本人の顔をしていて、日本語が通じる。日本はそういう国なのだ。つまり多民族国家に住み、価値観の違いが始終ぶつかりあう世の中に住んで、常識がみんなばらばら、違う言語が飛びかう、そういう国ってテンションがいつも高くて、ダイナミックだと思う。
2005.9.8.
我が家の息子も娘も保育園育ちである。ずっと私が仕事を持っていたからである。子どもが病気をしたとき、一番困ったのを覚えている。特に大阪に出張、クライアントと会う予定、出版社にはじめての企画をプレゼン、講演にいく、どうしても断れない、など休めない事情はいくらでもあった。そんなとき、特に朝、子どもが高熱、子どもが吐いた、前の晩眠れずに咳をしていたなど子どもをどうしても保育園に預けられない事態になったときは実に困った。
近くに親戚はいない。私の母は仕事をもっていた。義母はからだが弱かった。妹も仕事を持っていた。まだ引っ越したばかりの頃は頼れる友達もいない。やっぱり友達には病児は預けられない。しかも彼女のところにも小さな子どもがいた。ベビーシッターは予約でないとすぐはきてくれない。夫は「なんでおまえの仕事のために俺が仕事を休まなくちゃいけないんだ。」という姿勢。自分の仕事の方が重要という姿勢、出張もある彼。途方にくれたが、いらいらしても、泣いてもいられない。9時18分の急行に乗らないと間に合わない。
やむをえずだまって保育園に預けたときもあった。けれどもそういうときは必ず迎えに来てくださいの電話がはいった。どうしても今すぐには帰れないということで友達にその後預けたときもあった。小学生のときは一人で家においておいたこともあった。もちろんしょっちゅう電話を入れた。いっしょにいてあげられず胸がはちきれんばかり罪悪感をもって子どもを預けたこともあった。そんな時、病児保育があったらとどんなに望んだことか。
今、日本では厚生労働省が子育てと就労の両立支援策として実施している「乳幼児健康支援一時預かり事業」があり、2002年5月末では全国で211ほど用意されている。増えつつある。施設によっては行政からの委託を受け、その区に住んでいれば利用額が1日2000円くらいですむ。生後7ヶ月から小学校3年生までというところもある。年齢はやはり1才児が一番多く、続いて2歳、0歳だそうだ。保育園と連携した施設もあり、ドクターがバックアップしているとなると安心だ。
中には働いていない母親でも利用することがあるという。つまり、子どもが3人もいると病気の子どもだけに関わっていられないという。ましてや前の晩寝ずの看病をした後は、他の子どもの世話も病児の世話もできず、お母さんが倒れてしまうという。昼間ちょっと寝れば夜に備えられるという。
しかし、病気の子どもを親元から裂く国は豊かな国といえるだろうか?子どもからしたら、病気のときほど心細いときはないはずだ。両親のどちらかがその子についていて上げたらどんなに子どもの心も守り、からだも早く回復することだろうか。病児保育には多ければ6人も病児を預かるという。ということは、子どもは他の病気にもさらされるわけだ。
世界の子育て支援を研究してきて、フランスでは最高3年の育児休暇がとれる、北欧は夫婦あわせて何年か育児休暇がとれるほか、子どもが病気のときは有給休暇をもらえる。しかも両親どちらがとってもよい仕組みだ。日本でも1年の育児休暇がとれるはずなのに。アメリカでも親の介護、子どもの病気で有給休暇を年に何日か取れる。講演者が突然子どもの事情でキャンセルすることもある。このように見てくれるとやはり子どもの立場にたった対応が一番望まれるのではないかと考えた。
2005.9.16.
この地球上では、たいへんなお産を経験している人たちがたくさんいる。私はいままで主に日本人の海外のお産を扱っていたため、ほとんどの方は、たとえ発展途上国であってもトップの金持ちがかかる病院でのお産が主である。彼女たちがなんとか無事に出産できるのもお金があるからだ。お金があるから医療にかかれる。しかし、同じ国でありながら、お金がないものは、ひどい場合はのたれ死になることもある。
皆さんは膀胱直腸膣ろう(Fistula)という症状を知っているだろうか?私は知らなかった。今回エチオピアへ行かれた助産婦さんから教えてもらった。これはお産が進行しない場合、赤ちゃんは骨盤のところでつっかえて、出よう、出ようにも出られず、結果的に赤ちゃんは亡くなってしまい、赤ちゃんの頭で圧迫された直腸と膀胱の間にある組織の血液の流れが遮断されて、組織が死んでしまい、その結果膣と直腸、あるいは膣と膀胱の間に穴があいてしまう状態をいう。場合によっては両方に穴があくこともある。その結果、おしっこも大便も膣の穴に流れてしまい、垂れ流し状態となる。
エチオピアでは15歳前後で結婚し、すぐ子どもができるため、まだ骨盤が十分発達していない状態で分娩を迎える。未熟なからだにお産がついていかず、このような結果が起こるわけだ。しかし、彼らはこの症状を治すための手術代も払えず、結局、家族から捨てられ、コミュニティーからも捨てられ、やっとたどりつくチャリティー団体でも手の施しようがないようだ。Fistula についての詳しい説明とスライドショーは以下にある。 http://www.endfistula.org/index.htm
今後これらの症状が起きないためにも国でさまざまな対策を講じないとならないが、他にも多くの問題をかかえるこのような貧しい国では、命が軽く扱われているのがなによりも悲しい。
今、先進国とアフリカの一部の途上国とでは大きな差ができている。しかし、地球がひとつとなって生き延びるためには、途上国の状態は無視できないと思う。それではまず私たちになにができるかという第一歩が、現実を知るというところではないだろうか。
2005.9.23.
小児病院から : ことば
ことばがなかなか思うように通じない国で子どもが病気になって入院することはなかなかえらいこっちゃである。しかし、どんなに気をつけていても病気や事故にあうことがある。私が子どもたちを訪問するニューヨーク郊外のM小児病院では、英語以外の母国語を話す子どもたちが多く入院している。
ニューヨークという特徴からして、多くの民族がごったになって住んでいる。いつも10人ほどを1日に担当するが、そのうち毎回2,3人は母国語が英語以外である。
がんのため化学療法を受け、頭がつるつるになった4歳のベネッサちゃんはギリシャから着たばかりだ。彼女に話しかけたら、"No English" と私に言った。けれども二人で粘土をしていると彼女はどんどん言いたいことをギリシャ語で話す。通じないのがわかっていても、話さざるを得ないのだ。
ハイチからわずか半年前に来たサマーラちゃんは14歳。にこにこしたとてもフレンドリーな彼女はフランス語。いっしょに折り紙を折りながら私がつたないフランス語を話すとそのたびにすごく喜んでいた。やっぱり少しでも話せると親近感をもってくれるのだと感じる。彼女は糖尿病で、お母さんはハイチにいて、おじさんが面倒を見ているそうだが、いいたいことも言えない、ナースの言っていることもわからない、一人でどんなに不安になることだろう。それでも持ち前の明るさで彼女はいつもにこにこしている。英語をマスターするのもきっと彼女なら早いだろう。
メリッサちゃんは7歳。彼女の母親はキューバを逃れ、ベネズエラへ亡命した。そこでご主人と出会い、アメリカに渡った。メリッサはアメリカで生まれたので英語が達者だが、親と話すときはスペイン語にスイッチする。私はそこで煙にまかれてしまう。
ホゼは2歳。まだ話すというより単語で自分の意思を伝える程度だがそれが全部スペイン語。彼のお母さんはグアテマラからきているが、ご主人とは離婚している。7人の子どもを祖国に残し、20歳の娘と3人でアメリカに暮らしているが、彼女はスペイン語を話すドクターが担当していた。
病院のソーシャルワーカーはどの言語を話す患者さんを担当するかわからない。少なくともNYで働くには英語のほか、スペイン語は絶対に必要だ。それプラス何か基本的なことが通じる言語をもうひとつかふたつ持っていると役立つであろう。しかしそれ以上に、ことばが通じない人といかにコミュニケーションをとろうとする技術と心が要求される。
注:子どもたちの名前はプライバシー保護のためすべて仮名になっています。
2005.9.30.
助産院で赤ちゃんを亡くしたママのブログに出会った。子どもを失った親の悲しみが面々とつづられていた。その気持ちは、なかなか子どもを失った当人でしかわからないものだ。彼女は明確にその素直な気持ちを伝えている。そして周りの人に、どういうことばが傷つくのかをきちんと伝えている。
カウンセラーとして、赤ちゃんを海外で亡くした多くの親をサポートしてきた。医療ミスのケースもあった。日本にしろ、海外にしろ、力のある医師側と場合によっては情熱しかない親側の対立は長引く。けれどもそれは親として亡くなった子どものためにしなくてはいけないこととも思える。そしてもちろん自分のためにでもある。
裁判で医療従事者の判決が出ない限り、ある意味で、子どもを亡くした親の本当の意味での赤ちゃんの死は受け止められないのだ。医療従事者にだまされた、殺されたという怒りや恨みの感情をいだいたままでは、子どもはいつまでも葬られない。親の心の中に平安が訪れるのは、裁判できちんと決着がついたときだ。そのためにも納得のいく判決へ運ばれることが重要だ。
アメリカで一時はやった助産院での出産はじょじょに姿を消していった。いまや助産師によるお産も病院で行われている。一時はやった水中出産のプールも今は倉庫と化してる。日本では今ちょうど助産師の力と声が強くなり、自宅分娩、助産院でのお産が増えつつあるように思える。アメリカでなぜ助産師による助産院でのお産が減ったかと言うと、あまりにもリスクが大きすぎたからだ。それは、助産師の技術ばかり問われたのではなく、もう自然ではない今の環境、自然ではない私たちのからだ、自然ではない私たちの生活に超自然であるはずのお産だけを無理に当てはめようとしているからではないだろうか。
特に私たちのからだは自然と言えるだろうか?畑仕事をしていれば自然とからだを動かしおなかがすいてごはんを食べよく眠れた。今はお金を払ってまで自然な生活を体験しようと、妊婦にぞうきんがけをさせるところもある。パソコンの前にすわることが中心の仕事。どこへでも車での楽な生活による運動不足。働いていればお金があるので外食中心のカロリーの高い食事。ストレス解消に多くとる糖分。外で買ったお惣菜の塩分の多いこと。調子が悪いとすぐ薬に頼り、忙しくて自然治癒を待つ時間がない。
また日本人に多いお医者様や専門家へのまかせっきりの姿勢。質問をする患者は厄介な患者というレッテル。(アメリカの消費者や患者は怖いというほどの印象だ。)情報はすべてインターネットで自宅から。そして疑いを持たずそれらの情報をうのみにする。自分でその情報を本当かうそか考えてもみない、調べてもみない。いや、もうこの世の中は一人では調べられないほど複雑になりすぎた。
医療ミスで赤ちゃんを亡くしたママたちから私たちが学べることは、何事も納得のいくまで質問をするということかもしれない。そして記録をとっておく。そして納得のいくまで自分でも調べるということ。医療従事者も人間、恐れるな。今、日本の教育に求められている事は、知識を一方的に与える教育を改め、もっと子どもたちに考えさせる時間の余裕と能力を養う技術を身につけさせることだ。
2005.10.7.
日本では妊娠中にお産のことについて学ぶ教室が多くのところで開かれている。これを昔は母親学級と読んでいた。それは産むのは母親、子どもを育てるのも母親という母親だけの世界と妊娠、出産は見られていた。しかも、この教室が開かれる時間帯が昼間ということもあって、母親の参加がほとんどだった。しかしやがていや、父親も参加させないとだめということで、土曜日などに父親も参加する両親学級なんていう名前で新たに夫婦参加型のものが流行った。これがだいたい20年前といえよう。
私は、そのような限定はしなかった。それは父親がいなくても出産するシングルマザー、レズビアン同士の出産など必ずしも父親がいるとは限らないし、そのパートナーが結婚していなかったり、男性でないということもあるからだ。そのため、私はもう17年ほど前から出産準備教室という名前にこだわってきた。
日本でも最近じょじょにその名前が浸透してきたようだが、いまだに母親学級という名前が堂々と使われているところもある。まあ、要は内容だ。この内容においても日本はどちらかというと知識詰め込み型でこれはまさに日本の先生が生徒へ教えるという形態をそのまま持ち込んでいる。これらの一方的な知識提供型はすわって聞いているだけではたいへん疲れる、退屈するという欠点がある。やはり参加型がなによりも自分の思考回路を刺激するし、なんといってもそのような場面では頭に知識がしっかりとはいってくる。それは考える教室だからだ。
栄養指導においても、まずインストラクターからの問いかけではじめるとよい。栄養のことでどのようなことを悩みましたか?どのように克服しましたか?誰かに相談しましたか?どんなことを試みましたか?と質問はいくらでも上がると思う。このようなテーマにそった質問からそのテーマについて話していくとよいのだ。このように質問を投げかけることによって自分たちで考え、さらに自分たちに体験を語ることによって他の人も学ぶと言うグループの最大目的が果たされる。
情報だけだったら自宅でいくらでもインターネットで得られる。いまやグループの本来の目的を重視すべきだ。さらに強調したいのは、日本人の受身的姿勢を改めること。聞いて知識を得るだけでなく、自分もグループに知識を提供するという姿勢。これによってもっと自分から話すようになると思う。
私がセミナーで一番苦労するのが、みんなに話してもらうことだ。1対1ならいくらでも話すのにみんなの前、他人の前ではどうしても自意識過剰になって相手がどう思うだろうということがひっかかってしまうようだ。自分のためなのだから、そしてみんなのためなのだからもっともっと話すこと、質問することに積極的になってほしい。
2005.10.14.
小児病院から : 知的障害をもった子どもたち
入院する子どもたちの中には知的障害をもった子どもたちがいる。かなりとはいえないが、少なからずとも割合的には多いといえよう。その原因はさまざまだが、やはり肉体的な障害と知的障害がいっしょに存在することは多い。
今日は二人の知的障害をもった子どものケースにたずさわった。ビッキーちゃんは14歳。しかしおそらく彼女の知的年齢は3歳くらいかもしれない。病室にはお母さんとお父さんがいた。彼らは自分たちの好きなテレビ番組を見ていて、ビッキーちゃんはつまらなそうだった。私が「ゲームでもする?」と声をかけたら、「うん」と答えた。そして「おりがみ折りたい?」といえば、「うん」と答える。要するに彼女はなんでも「うん」と答えるのだ。そして本当に私が何を言っているかは理解していないようだった。とにかくいっしょにゲームをしたが、自分の番ではないのにどんどんこまを進めてしまう。自分は赤なのに、黒を時々もってしまう。4つつなげちゃだめなんだよといってもぜんぜんわからずゲームはすべて私の勝ちになってしまった。やっぱりこのゲームは彼女にはむずかしすぎた。けれども彼女とかかわれた時間の方が大切だったと思った。
マリちゃんは9才。彼女はロシアで生まれた。生後4ヶ月のときに養子としてアメリカ人の今のお母さんに引き取られた。お母さんはシングルマザーとして48歳のときに彼女を迎え入れた。マリちゃんは血液透析をしていて、なおかつ知的障害ももつ。透析のための大きな透明の液体の入ったいくつもの袋につながれ、その周りしか歩けない。だからこの9日間は部屋から外に出たこともない。ピエロによるマジックショーの誘いを受けても彼女は病室を出て見にいくこともできない。
塩分はいっさいとれない。しかもここ数日、戻しているので、固形食はいっさい食べられない。おなかがすいても液体ドリンクのみだ。少し打ち解けるようになって、マリちゃんはとうとう爆発した。「なんで食べられないの?こんなの拷問よ。この前は透析してても食べられたのに。こんなのや!もういや!食べたい!」と。
親と離れている時間が多い子は、案外早く私と打ち解ける。最初はいっしょに本を読んだり、テレビを見ながら会話をしたり、折り紙をいっしょに折ったり、ゲームをしたりと信頼関係が築き上げられていく。終わりの方になると彼らは心を開いてくる。わがままも始まる。愚痴もこぼす。スタッフにされたいやなこと、治療のいやなこと、外に出たいこと、お母さんに会えないさみしさ、夜が一番さみしいことなど。この病院はものすごく子どもを主体としているが、それでも浣腸をされることはすごく苦しい、採血は毎回痛い、苦い薬は飲みたくない。この小さなからだで彼らは耐えている。その心を支えるのには彼らの心と同じレベルにいなければ到底つとまらない。
2005.10.21.
〜 あえてシングルマザー 〜
アメリカに来て養子を斡旋するエージェンシーに勤めたときはゲイやレズビアンのカップルが海外からあるいは国内から子どもを迎え入れることに驚いていた。しかし、いまや養子よりも自分の子どもを産める場合はおおいに人工受精がサポートされている。
今回考えさせられたのはあえてシングルマザーを選ぶ人たちの話だった。このところ気になるのは30を超え、40も超えると結婚を断念する女性が増えてきていることだ。私の周りにも離婚した後は結婚しないとか、最初から結婚はあきらめたという女性が多い。しかし、特に結婚をしなかった彼女たちは子どもがほしいという。母になりたいと言う。そしてそれをかなえさせたのが、精子銀行の存在だ。
彼女たちは理想の男性を精子銀行のデータから選び、彼らの精子を安ければ150ドルほどで買い、自分の卵子と受精させ、子どもを産む。男性の精子の価値も背が高い、ハンサム、教育が高い、りっぱな職業、髪の毛の色はブロンド、目はブルーなどで値段が決まる。
しかし子どもたちはどういう気持ちなのだろう?大きくなったときにどのような気持ちになるのだろう?やはり養子と同じように自分の父親を探すのだろうか?
それにしてもこの世の中ますます伝統的な家族というあり方から離れていく。いったいこの地球はどうなってしまうのだろうかと思うほど人間が自然の摂理をどんどんコントロールしてきている。シングルマザーをあえて選ぶ人たちについても、子どもたちは父親なしで育つ。父親を知らないで育つ子どもたちが増えると言うことはどういうことだろう?母親だけで子育てをするということはどのようなストレスがその子たちの成長の上で影響するのだろう?女性が一人で一生暮らすのはさみしくないのだろうか?さみしさをまぎらわすための子どもなのか?いったい彼女たちはなんのために子どもがほしいのだろう?自分のためか、それともこれから続く世代を思ってか?父親の存在を知らず、夫婦という存在を見ず育った子どもたちは自分たちが家族を作ろうと思ったときに何をモデルにするのだろうか?
私は決して一人親で育つ子どもたちが不幸だとは言っていない。一人親でもりっぱに育つ子どもたちはたくさんいる。私が心配なのはそのような子どもたちが増えることを心配しているのだ。しかしこれも時代の流れだろうか?ある意味であれほど子どもをほしがっていた未婚の女性たちにも子どもを産めるチャンスがきたということだ。夫婦で子育て方針が違うというようなストレスは彼女たちにはない。
このような社会進出を遂げた女性と対等な関係で夫婦を築こうと思わない男性にも問題があるのかもしれない。
2005.10.28.
小児病院から : 病院の食事
病院とかかわりの多い中、さまざまな国の病院の食事を見たり、研究したり、聞いたりしてきた。実際、出産体験談のアンケートの中には病院で出た食事について記してもらうセクションを設けている。世界の病院食のコレクションが増えていくのはうれしい。
先日、アニータちゃんの食事に付き合っていた。彼女は16歳の黒人の女の子。大きなからだをしている。病気はSickle Cell Anemia という日本ではあまり聞きなれない病状だ。今回はcrisis で入院したというが、彼女はひどい腕と足の骨の痛みにうなされていてモルヒネを点滴で投与しながら痛みから食事がほとんどとれない状態だった。少しでも食べてほしいと願う看護師の要望で私がコーチングとして付き添っていた。
彼女がここ数日食べているのはチキンナゲットのみ。それしか食べられないと言う。今日の昼のメニューはチキンナゲット7つほど、フライドポテト、チョコレートプディング、2%の牛乳200cc。野菜はほとんど選んでいない。選ぶと言ってもメニューにはあまりない。時々痛い痛いを連発しながら、目をしかめ、ひたいにしわをよせ襲ってくる痛みに耐えるアニータ。彼女は全部指で食べ、スプーンもフォークも持たない。そもそもマックで出るような食事はスプーンやフォークを必要としないから納得だ。横になっていてはまともにフォークで食べ物を運ぶこともできない。だからこれでいいのかもしれない。
指には心拍を計る機械が巻かれ、そこでは酸素のレベルも調べられる。酸素が減ると機械はビービーとけたたましい音がなる。そのたびに彼女は酸素マスクをつけて酸素を補わなくてはいけない。しかしその酸素マスクをしながら食べるのは容易ではない。そのため、マスクをあてながら時々口にチキンを入れると言う状態で30分くらいかけてやっと食べた。
ブルーの重たい保温トレーの上には(重たい理由は熱湯が入っているから?)白いせとものでできたお皿が置かれ、ブルーのふたがついていた。これをナースが温めてもってきてくれた。しかし食べ始める頃にはまた冷えていた。プディングは小さなプラスチックの入れ物に入ってふたがしてあった。ミルクは紙のテトラパックに入っている。
食事を担当する人はひとりかと思っていたが、おもしろいことに食事の配膳をするのは私服の黒人の男性で選択した食事のメニューを集めるのはうわっぱりを着たインド人の女性であった。
次にあしたのメニュー選びをした。朝はコーンフレーク、パンケーキ、ミルクというように簡単だ。それでも飲み物など選ぶところは6種類くらいある。さらにcondiments といって、いっしょに添えてほしいものたとえばケチャップ、マスタードなども選べるようになっている。そして昼食はチキンナゲット、フライドポテト、サンドイッチ(これもツナ、卵、チキン、ハムなどから選ぶ)。そして驚いたことに夕食と昼食ではほとんど変わらないこと。もちろん彼女に選ばせたが、その選び方も栄養を考慮したものとはほど遠かった。メニューにないものまで頼むその度胸にはあるものから選ぶ日本人の子どもたちとは違うなと感じた。彼らは食べたいものを食べる権利があると主張する。それでも私のアドバイスに沿ってフルーツジュースを余分に頼んでいた。
ここは小児病棟だから子どもたちが好きそうなものしか出ない。栄養補給というよりは楽しんでなんとか食べることの方が優先されることもわかる。しかしそれにしても野菜が日本と比べるとものすごく少ない。サラダとかがない。温野菜は1種類かろうじてある程度。それもぐたぐたに煮た姿かたちのほとんどわからないもの。フルーツも缶詰のものがほんの少々カップにはいってくるだけだ。確かにアメリカ人の子どもたちはビタミン剤で口から食べられない栄養を補給しているのはわかっているが、それにしてもチョイスとしてもなく、最初からあきらめているその姿勢に疑問を感じた。野菜はとても病気の子どもたちに大切なのに。やはり考え方が根本的に日本とは違うことを感じた。
Sickle Cell Anemia :赤血球が草を刈る鎌状の形からつけられた病名。問題はその赤血球が十分に体内に酸素を送ることができない病気。時には血管内で詰まってしまう。症状としては疲労、短息呼吸、関節の腫れ、骨の痛み。黒人の間でとても多い病気。
2005.11.4.
〜 小児病院から : 付添い人 〜
私の通っているMF病院は新しい小児病院である。ここでは全室個室となっていて、付添い人は24時間子どもと一緒にいられるようになっている。多くの場合、付添い人はベッドに変わるソファで子どもと同室で眠れるようになっている。さらにここの病院のもうひとつの特徴は、遠くから来ている人のために同じフロアに家族が泊まれる施設が備え付けられていることだ。
付添い人といえばまず母親と考えがちだが、必ずしもそうではない。アメリカは家族関係がとても複雑で、女性がいるから必ずしもその人が母親とは限らないので、必ず患者さんからみて誰なのかを尋ねなければならない。マイケルは15歳、彼はほとんど骨と皮の状態である。付添い人はおばあちゃんだという。彼の母親は病弱な彼を育てられず、バージニアへ行ってしまった。私が一番感動したのは、もう命があまりないマイケルととても明るく接することだった。彼女の口から発せられることばはすべてポジティブで、明るい。私が図画工作が好きなことを話すと彼女の家は工作品でいっぱいで天井は特に埋め尽くされるほどのモービルで飾られていることを話してくれた。寝たきりのマイケルにとって天井がすべて自分の世界なのだ。おばあちゃんはきっと心配なことがいっぱいあるはずなのにこのくったくのない姿勢はいったいどこからくるのだろう?しかしその彼女の姿勢がそっくりマイケルに移っていた。彼はもうこの先長くないのにとても明るい。つらそうなんだけれども目がうんと希望を見ている。だから話していて彼の障害など目に入らなくなるのだ。
付添い人がいない子どもも中にはいる。生後6週間の小さなブルックの母親は刑務所で刑に服している。ブルックは髄膜炎におかされての入院だ。女の子だからたくさんのおさがりのピンク系の服が紙袋いっぱいにつめられていた。アメリカでは刑に服している母親が子どもを産んだ場合1年間は赤ちゃんといっしょに過ごすことが許されている。それは母乳を与えるなどの点においてはとても重要なことだと思うが、その弊害はいずれ赤ちゃんを手放さなくてはならないことにある。彼女がもし8年間の刑に服していたとしたら、1年後に絆ができた赤ちゃんと果たして別れることができるかどうかだ。そのためかはわからないが、ブルックの場合は母親のもとへは戻らずおばさんのところに引きとられていくという。
ジョーダンは15歳。すっかりひげも生えていてもちろん声変わりもしていて見た目はほとんど大人である。しかし彼は19歳以下なのでここの小児病院に入院している。見た目はともかく、ジョーダンはまだ子どもである。どんなことするのが好き?
と聞いたらビデオゲームだと言い、どんなビデオゲームが好きなの?と聞くとあれほどぐったりとしていたジョーダンの目が輝き始め、自分が好きだったビデオゲームの話をしだした。私はなるべくいやなことやつらいことは相手から話して来ない限り話題にしないようにしている。それは私が彼らと接しているときは痛い治療や長い闘病生活という現実から少しでも気をそらすためにいるからだ。そんなジョーダンに見舞い客の話が上がったときに彼の家族構成の複雑さを知った。彼は兄1人に5人の姉がいるという。一番上の姉は32歳。他の姉はもうみんな独立したそうだ。そして彼は28歳の兄とその妻といっしょに住んでいるという。そのため、見舞い客はその兄が主で彼は仕事を終えてからの4時以降しかこれないとのことだ。陽が沈む夕方あたりが一番さみしいというが、兄が来てくれるのはうれしいという。そんな彼の母親は2年前に亡くなっている。心臓発作ではあったが、彼女も彼と同じように糖尿病をわずらっていたという。少し元気になって歩けるようになったらXXXX号室のタイラー君といっしょにビデオゲームをするといいよと勧めた。個室であるがゆえに案外他の患者と接する機会がないのだ。
入院患者は子どもたちであるが、もうこのように小さなときからすでに複雑な人生を歩んでいる。病気と言うことがきっかけでさらに家族が複雑になり、こわれていく家族もある。これらの子どもたちと接するにあたって単に表面的なからだの症状ばかりでなく、しっかりと子どもたちの心の状態にも目を向けなくてはいけないと思う。しかし、私のできることは本当にそのほんの一部にしか過ぎないのだと感る。無力のように思えるが、この子達一人一人を健全に育てていくには多くの人のチームワークが必要なのがわかる。だから子育てにおいても母親一人で子どもを育てようなどとは決してうぬぼれないほうがよい。子どもが健全に育つのには多くの人たちとのかかわりがあり、そこでそれぞれの人たちの役割が果たされてその子どもの肉となり、知恵となって育つのだ。孤立しがちであると感じたら子どもたちを多くの人の輪の中に連れて行くべきだと思う。ことばが壁などと恐れることはない。人間という点では皆同じである。母親とは違うふれあいですらその子どもにとっては成長の栄養となるからだ。
2005.11.11
〜 母乳育児 〜
母乳育児は基本的にはとっても簡単なはずなのに、とてもむずかしくしたのはなぜでしょう?乳首は消毒しなくてはいけない、3時間おきにぴったり与えなくてはいけない、寝ていても起こしてあげなさい、乳腺炎のときは母乳をあげてはいけない、かぜをひいたときにはあげてはいけない、授乳前と授乳後で体重を量ってどれだけ飲んだかを確認しろ、母乳が足りない分はミルクで補え、などなど
けれども昔、正しいとされていたことが、今ではもう誰もそんなことはしていないということもいっぱいあります。まず、母乳が足りない場合に安易に糖水やミルクを与えてはいけないと言われるようになりました。また飲んだ量の確認も、病院で行っているところは減りました。授乳前の乳頭消毒も、母乳には殺菌、免疫作用があるので必要なといわれるようになりました。乳腺炎であっても母乳の質には変わらないのでしぼって与えてよいとされています。母親がかぜをひいても母乳には抗体があるから続けてよいと言います。
このように見てきますと、昔のやり方しか知らない自分の母親の時代と今ではだいぶ違ってきているのがわかります。ましてや海外での母乳育児となるとまた日本と違うところもでてきます。まず海外では特に先進国ですが、母乳育児は絶対というほどではなく、母親のチョイスとされています。よいとわかっていても、与えられないという人を尊重します。だから母乳で育ててなくてもその人をとがめるような風潮はありません。また日本では比較的見られる授乳風景ですが、先進国ではめったに見られません。かといって母乳育児をしていないのかというとそうではなく、プライベートなところで、周りの人にはほとんどわからないように与えています。乳頭を消毒するという行為は20年前からありません。また薬においても授乳中でも子どもに害のないものであれば、積極的に服用続けています。
そして断乳ですが、これは世界的に見ると卒乳は4歳くらいといわれています。これはもちろん発展途上国も含まれているからです。それだけ発展途上国に住む人々の数が多いことがわかります。しかし、先進国では卒乳がとても早いのが特徴です。これは、やはり仕事に復帰する母親が多いことにあり、さらに、父親やベビーシッターが子どもを見ることも多いので、父親の子育て参加、ベビーシッターのヘルプにはミルクがかかせないということでもあるようです。
あまり気負わず、母乳育児を楽しめるといいですね。海外であるから知らぬが仏でうまくいった人たちもいました。
2005.11.18.
〜 働くか家にいるかの選択 〜
子どもが生まれてからも仕事を続けるか、それとも一時期家に入るかの選択はとても大きなものがあると思います。私もかなり迷いました。しかし、まず大きなおなかをかかえての都市中心部への通勤が負担であったこと、生まれる前には予想もつかなかった息子の先天性の病気。このようなことから、私は、子どもが私を必要としたときにすぐ行動を起こせる体制での仕事に切り替えました。それ以来、もうその仕事のスタイルを貫きました。そして、息子も大学にいくようになり、娘もあと3年したら家を出ます。そろそろ、家の外にオフィスを構えてもいいかな?と思う今日このごろです。
そして、おそらく日本人の場合はたいてい子どもが生まれると、家に入るケースが多いと思います。それは日本の社会構造がそのほうが有利にできている理由が大きいと思います。さらには、生まれてからの最初の3年間は特に重要だということもいわれてきていますし、そもそもこんなかわいい時期は短いですし、それを他人に渡してしまうなんてあまりにももったいないと思う人もいるでしょう。また海外転勤が多いからひとつところに落ち着かないということもあるでしょう。まあ、ほかにもさまざまな理由があるでしょう。
しかし、赤ちゃんの世話というのは、あまり評価されるものでもなく、家に入ってしまうと孤立してしまう可能性もあり、さらには、収入のないうしろめたさ、夫へのねたみまでもってしまうことがあります。せっかくもっている才能や技術を眠らせておくのはもったいないともう一度仕事に戻ろうと思う人もでてきます。
日本ではだいたい子どもが小学校にあがるとき、そして次が中学にあがるときとその節目がみられます。やっと手が離れたからとか、やっと自分だけの時間ができたからということです。そのため、だいたい平均すると日本人が仕事に復帰するのは10年くらいといわれています。それに対して、アメリカでは5年というデータがでています。それはなんといってもアメリカの仕事環境にあると思います。受け入れ側も大きく影響します。ここではまず夫婦共働きがとても一般的です。よほど小さな赤ちゃんがいない限り、なぜ専業主婦なの?といわれてしまうほどです。さらには、年齢制限がないこともプラスです。家事が楽。手伝ってもらえる人がいる。特に父親もいっしょに子育てにかかわっている。このようなことが大きいと思います。
それでは、実際にまだとても仕事には戻れない状態のとき、どう自分にこの専業主婦という状況を受け止めたらいいのでしょうか?まず、専業主婦になることを自分自身で納得すること。自分のチョイスであり、夫やほかの人が押し付けたことでないことを自覚すること。次に、常に夫とのコミュニケーションの中で、それぞれの役割を確認していくこと。自分のプロフェッショナル性を保つために、時間を見つけては勉強するなり、同じフィールドで活躍している人たちと連絡をとるなりして、まったくその世界から自分を切り離さないこと。そして、最後に、いずれ職場に戻るのだから、この今という短い時間をおおいにエンジョイする心構えを持つことだと私は思います。
*カウンセリング室にはこのような迷い、葛藤をかかえた相談を多く扱っています。もし、皆さんの中で、どうしても今の状況を受け入れられないという方がいらしゃいましたら、どうぞ一度カウンセリング室にお問い合わせください。
2005.11.25.
〜 スクールバスの中でのいじめ 〜
いじめは大きな問題である。 しかも、そのいじめがスクールバスの中で行われている場合である。バスは密室であ る。動いているという危険性もあり、子どもたちは自由に逃げたりできない。まして やシートベルトでしばられていたら、逃げるにも逃げられない。もちろん、立っては いけないことになっている。しかも、毎朝、毎夕、同じ子どもたちといっしょにの る。そして、そのいじめをする子ともと毎日顔を合わせなくてはならない。これほどいじめらた子にとって、苦痛なことはない。
私たちは、アジア人ということだけで、ターゲットになることが多い。 何も悪いことをしていないのに、肌の色が違うというだけで、誰でもいいやというと きにターゲットになりやすい。 バスで上級生などにいじめられた子どもが泣いて帰ってくる。あるいは、バスに乗る ことをこばむ。登校拒否をする。そのような場合、どうしたらよいのだろうか?
学校としての取り組みは、今までもいろいろと試されてきた。バスドライーバーに責 任をとらせる、いや、バスドライバーは、運転に集中しなくてはならないので、とて もバスの中まで監督することはできない。 では、バスに乗る大人を雇ったらよい。それを試みた州もあったが、ものすごいお金 がかかった。 バスに監視カメラを設置する。しかし、いじめる子どもは、カメラを意識して、カメ ラに写らないところでいじめをする。 提案としてあがっているのは、高校生や上級生を乗せて、監督したその仕事を学校の 単位として認める。あるいは、もうリタイアした人をボランティアとして募ってバス に乗ってもらう。
しかし、根本的なところで、つまりいじめの原因が解決されない限り、本当の意味の解 決はない。症状だけを抑えても、結局、大きな問題は解決されていない。そのいじめ をする子は、バスでなかったら、また別なところを探していじめを繰り返すだろう。 問題はなぜそのようないじめをしなくてはいけないかということだ。いじめをする子 はたいてい何かしら問題がある。何か心の不安定があり、それを隠そうとするため に、力づくで相手をいじめることによって、自分をみんなに認めてもらおうという心 理が働いていることが多い。
そのため、まず子どもがいじめられた親として何をしたらよいのか?
・ 子どもの話をよく聞いてあげる。どちらが悪いことにあまり焦点あてず、何が起 きたのか、状況を教えてもらう。周りの子どもたちやバスドライバーの様子も聞きだす。
・ いじめはあってはならないことを伝える。
・ いじめた子はなにかしら問題があることを伝える。
・ いじめられるおまえが悪いなどとは決して言わず、なんとかしようという希望を与える。
・ 学校の先生、学校のカウンセラー、バス会社、バスドライバー、いじめた子の親 など知らせるべき人たちのリストをつくる。誰にどのようにアプローチするかはむず かしいところだが、少なくとも、学校の先生には伝えるべきだ。
・ 学校側ではいじめる子を呼び出すなりして、問題を解決する方向へなんらかの形 で運んでくれるであろう。そう望みたいところだ。
2005.12.1.
〜 養子を迎える 〜
結婚した夫婦がどうしても自分たちの子どもを産めないことがある。これはある意味で自然の摂理とも言えるだろう。男と女がいっしょになって当然のように妊娠するかと言うとそうとは限らない。日本では、子どもを養子に迎えることがあまり周りから理解されないように思える。それはなぜだろう。やはり家とかにこだわるのだろうか?それとも、どのような夫婦から生まれたかわからないから遺伝などを恐れるのだろうか?けれども、そのようなこだわりを持つことは、本当に子どもを心から無条件の愛をもって接しているようには思えない。もし本当にその子どものことを思ったら、どのような過去があろうと、子ども受け入れられるのではないだろうか?家のこと、遺伝のことなどは、確かに考えるべき要素かもしれない。しかし、それ以上のものが家族というものにあるから、子どもから得るものがあるから、人々は子どもを迎え入れるのではないだろうか?
その点、アメリカ人はそのようなこだわりをあまり持っていないように思う。健康の子どもはもちろんのこと、多少障害のある子どもですら受け入れる。アメリカのK家の夫婦は再婚同士である。サラには、前の関係で設けた14歳の娘がひとりいる。しかし、ジョンとの間では、1年以上たっても妊娠することができなかった。病院で調べたところ、問題はジョンにあった。それから、二人は、二人の養子を迎え入れることを検討し始めた。1年半にもおよぶエージェンシーとのやりとり、そして国との書類交換。やっと子どもたちに会える日がきた。子どもたちそれぞれのスーツケース、そしてジョンとサラのスーツケースをつめて出発した。17時間かけて、旧ソビエトの国、カザフスタンへ向かった。そこのベビー・ハウスにレイチェルとトッドはいた。子どもたちが慣れるまで15日間与えられる。そして、現地の家庭裁判所で最終的に、養子としてもらえる許可をもらう。裁判所に行ってからさらに15日間待つ。やっとその許可が下りたとき、その女性の裁判官は、彼らに、「この子達は、私たちの国からの贈りものです。」と伝えたと言う。なんというすばらしい暖かさのこもったことばであろう。
2歳のレイチャルはあっという間に英単語を覚えていった。そして、トッドも最初はむずかっていたものの、やがて、新しい家族に慣れてきた。そして、サラの娘も妹たちをとてもかわいがった。やっとこれで家族ができあがった。ジョンは、子どもたちに、彼らがどこからきたかを毎年プレゼントと共に贈るという。カザフスタンの文化、そこの人々について語るであろう。
アメリカには、望まぬ妊娠で生まれた子どもが大勢いる。これらの子どもたちが、本国において、養子として迎えられるケースは、とてもむずかしい。それはたいてい、一番養子として受け入れられやすい赤ちゃんの時期は、母親が手放さないからだ。やがて物心がついた頃に、彼女はやっぱり育てられないと手放す。しかし、まず猶予期間として、フォスターファミリーに送られる。フォスターファミリーを転々とするうちに、子どもたちの心はずたずたに壊されていく。精神的に不安な彼らは、学業がおもわしくなくなり、非行に走るというパターンができあがる。そうなると、もう彼らを引き取ってくれるところはなくなっていく。これが典型的なパターンである。親にチャンスを与えるのもよいが、子どものことをもっと優先に考えてほしいものだ。
2005.12.8.
〜 インターネットにコントロールされる人生 〜
インターネットが始まってもうかれこれ10年以上がたつ。おそらくインターネット革命のもたらした影響は計り知れない。今後もこの情報システムは続くであろう。いや、技術の進歩によって、さらに複雑になるだろう。それに伴い、私たちの生活がどのように変わるのかがむしろ心配である。私は、ケア・ワールドを1998年にネット上に立ち上げた。それまでは、静かな存在であった。知る人ぞ知る存在で、その後もどのように伸びたかわからない。しかし、ネット上に登場してからは、一気にその存在が世界中の人たちに広まり、その価値が認めらた。そのため、インターネットの威力は重々承知だ。
しかし、問題は、私たちの生活がPC(パソコン)の存在によってかなり振り回された部分があるのではないかということだ。私自身の生活を振り返っても、娘は私がパソコンで仕事をする足元で遊んで育ったところがある。毎日の生活が、PCで世界の情勢を知るために、新聞を読むことから始まる。仕事はもちろんほとんどがパソコンである。メールで海外在住者との連絡をとる。インターネットで調査をする。PCで原稿を書く。PCでサイトを運営する。さらに実生活においても、今日の夕食の献立をネットのホームページを参考にしてたてる。光熱費などの支払いもすべてネットですます。いかに家で全部済ますことができないか、パソコンで処理できないかということをまず考えている。旅行に行くときも、ホテルの予約も、レンタカーの手配、飛行機のチケットにいたるまで全部PCでこなす。
となるといったいいつPCから離れているのだろうと考えてしまった。そう、小包を出しに郵便局へ、お金を下ろしに銀行のATMへ。これだけはどうしても出向かないとだめだ。PCからはお金がでないから(あはは)。あとは、食料品の買い物だろうか。そして、人に会うこと。めっきり減ってしまったのが、やはり紙の本を読むこと、テレビを見ること、外に出ること、人と会うことではないだろうか。コミュニケーションがないというのではなく、今まではローカルの人たちとの交流が主であったのが、世界の人たちの交流に変わったことであろう。
しかし、常にチェックを入れなくてはいけないのは、子どもたちと触れ合う時間、家族との団欒の時間、家族との食事の時間、食事を作る時間、愛する人たちと外へ行く時間、家の中を整頓しておく時間、からだを運動で動かす時間、友達と会って話す時間、地域や子どもの学校での活動の時間、ではないだろうか?やはりこれらのことがきちんとできていないと、どこか狂ってくるように思える。
コンピューター中毒ということばも生まれた。もう10年前からこの中毒にかかった人たちをカウンセリングしているセラピストも誕生した。さて、ここに「おいしいものはほどほどに」のチェックリストをInternet/Computer Addiction Services in Redmond, Washington より一部、引用しよう。
1. どのくらいパソコンの前にすわるかわからない。
2. 仕事でない趣味に走るとコントロールが利かなくなる。
3. PCの前にいるとなんとなく落ち着く。PCのアクセスがないといらいらしたり、落ち着かなかったり、ハッピーでなくなる。
4. PCのコネクションがなくなるとパニック状態になる。
5. 家族や友達とのコンタクトを失う。
6. PCで何をしているかを家族から秘密にしている。
7. 仕事に影響している。
8. PCに費やす時間が多いことで罪悪感を感じる。
9. 夜型人間になっている。
10. 長時間PCの前にすわっていることで、からだに支障をきたしている。(肩こり、ドライアイ、視力低下、睡眠不足、運動不足、腰痛、体重増加)
11. アウトドア活動、社交から離れる。
12. ハンドルネームを使うことによって別の自分が作られている。
PCの前に座りすぎと考えている方は、是非、このリストにどの程度自分が当てはまるかをチェックするとよいでしょう。せいぜい子育て中は、子どもがいないときに、子どもが寝ているときに、育児ストレス解消程度に、PCを楽しみましょう。
2005.12.15.
〜 お金ってなんだろう? 〜
年末を迎えるにあたって、いろいろなことを考えさせられる。町では、買い物商戦が始まっている。この季節、アメリカでは、クリスマスということにかけて、売ろう売ろうという意気込みである。アメリカ人の子どもたちは、クリスマスの時期になると、ひとつではなく、いくつものプレゼントをもらう。友達に間でも同じだ。夫婦の間でも、1年に一度ということで、プレゼントのシャワーをする。しかし、クリスマス明けには、品物の返品、交換で専用のレジができ、そこに並ぶ長蛇の列。一度あけてみたものの、サイズが合わない、色が気に入らない、もう持ってるので返したい、そういったたぐいでいっぱいだ。しかも、レシートがあれば、現金に返金できるので、それを求める人もいる。
私は、20年以上、文通を続けているアフリカのジンバブエに文通友達がいる。彼の半生ほどをみてきたが、ここにきて、インフレが激しく、切手代もままならなくなってきている。世界では、インターネットという文明が広まったが、彼らにはまったく縁のないものでしかない。生きるにあたって基本的な、砂糖、油、せっけん、はみがきなどの生活必需品ですら、彼らは買えないという。今まで、いろいろなものをジンバブエの子どもたちに送ってきたが、以前はカメラ、フィルムといったものが、最近では、生活必需品や衣類がほしいと言ってきている。私の力には限界がある。しかし、何もしないわけにはいかない。そのため、物資よりも、今度は国際マネーオーダーで、現地で自由に使えるお金がいいかとも思った。しかし、どうやらその物資すらないのであれば、買うにも買いようがないことに気づいた。それでも、彼は、アメリカで起きた、ハリケーン・カトリーナによって被害を受けた人たちのことを心配してくれているのだ。なんて心に余裕のある人たちなのであろう。野菜は全部自給自足だそうだ。にわとりも飼っていて、それを年に1度だけ食べるという。毎日のようににわとりを食べている私たちとはなんと大きな違いであろう。国による貧富の差とは、そういうことなのだ。
そして、ここアメリカ、物資があふれ、途上国や戦争などで安定を失った国と比べて、ここの実態はなんと説明できよう。どんなに貧しい、ホームレスでも、ジンバブエの彼らよりは恵まれている。けれども、彼らの心はどうだろう?経済的な貧しさと共に、心の貧しさとも共存しているのではないだろうか?宝くじで大当たりをしたある人の話を読んだ。彼は、今まで労働者として何年も働いていて、突然、億万長者となった。家を購入し、海外旅行へファーストクラスで飛び、仕事をやめ、新しい妻を迎えた。何もかも幸せをお金で得たような彼だったが、それもわずか2,3年。別れた奥さんから、慰謝料の莫大な請求がきて、さらに、娘の養育費、および大学にいってからの教育費まで請求してきた。彼は仕事もやめたため、暇ができて、今まで試してみたかったドラッグに手を出した。しかし、そこから雪だるま式にお金がドラッグの常習で消えていった。お酒を大量に飲み、パーティーを開いては、人々をお酒におぼらせ、結局45年という若さで彼はこの世を去った。もし、宝くじで当たらなかったら、彼はあと20年は生き延び、地道に生きていただろう。
お金はすべてでないと私たちは肝に銘じて知っている。しかし、それがすべてと思ったときに、私たちはお金のパワーに破壊される。お金は使いようによる。使い方を知らないと、本当に、天国へも地獄へも追いやる力がある。宝くじで大当たりをした彼は、結局、今までかかえていた問題を、お金を得ることで解決できると思ったら、逆に利用され、問題が大きかっただけに、お金が入ることで、さらにそれが増長される結果となった。お金はほどほどがよい。自分で管理できる範囲がちょうどいいのだ。将来のためにとたくさん貯めこんでも、結局は、使う前にこの世を去るかもしれない。それならば、将来のことは、将来考えることにして、今を生きたほうが賢明かもしれない。やはり、私の大好きなことばに行き着いた。そう、「明日、死ぬかもしれないと思って、後悔なく、今日を生きよう。」そう何度も自分に言い聞かせながら、絶対に明日も生きていると確信を持って私は今日、生きている。なんとおろかなものであろう。
2005.12.22.
〜 コリック 〜
赤ちゃんがどうしても泣き止まない状況を訴えると海外の小児科医はよく、コリックだといいます。さて、このコリックとはいったい何を指すのでしょうか?日本ではあまり聞きなれないことばだと思います。まず理由のわからない泣きで3時間以上も続くことで、それが週に3回あり、3ヶ月近く続く場合を指します。しかもそれが他に何の問題もないような健康な赤ちゃんに起る場合です。コリックはだいたい10%か多ければ健康な赤ちゃんの半分が経験すると言います。
さて、このコリック対策において、ニューヨーク市ではおもしろい話がたくさん聞けます。とにかくここニューヨーク市は200の言語が話されているといわれ、60%の両親あるいはどちらか片方の親が海外で生まれているといいます。それだけ、泣き止まない赤ちゃんに対しても祖国で伝わるさまざまな対策法が聞けます。
まずコロンビア人はシナモンティー、エジプト人はローズウォーターを使ったレシピを試しています。ラテン系のママたちは、スペアーミントの植物を煎じたものを与えています。他にもアニセの種、ウイキョー、カモミールなどを煎じて与えています。また gripewater というコリック専門の万能薬もインターネットで販売されています。しかしものによってはアルコールが5%も入っていたとか。では当然寝るはずですよね。
中国人は鍼を、ハイチの人は赤ちゃんのおなかを帯のようなもので押さえつけながら巻きます。メキシコ人は赤ちゃんが身動きができないほどぐるぐるに巻きます。他にもメキシコでは、背中をさかんにさするそうです。また腰のあたりに赤ちゃんをフットボールをかかえるように抱きながらあやすそうです。インド人は、オイルマッサージが効果的だといいます。アフリカ人はタカラガイのブレスレットを赤ちゃんにつけます。トリニダッド・トバゴではとうがらしのこしょうをお茶にしたものを与えると言います。ハーブ茶もなかなかよいそうです。おまじないをかける民族もあったり、指圧を試みるところもあるようです。夜のお風呂という説もあります。
アメリカ人は必死におしゃぶりを加えさせますが、火がついたように泣いている赤ちゃんはそんなことでは収まりません。そして日本ではおそらくひたすら抱いてあやすことではないでしょうか。
親としては、なんとかして赤ちゃんをなだめたいため、なんでもすることでしょう。小児科医の立場からすると、からだの外のことはまあ、認めるが、からだの中に入ることに関しては必ずドクターに伝えるようにとのことでした。
私が一番気に入ったのは、赤ちゃんを抱いて、ママはヘッドフォーンをつけて好きな音楽を聴くというものでした。いずれにしろ、これが一生続くわけではないので、ああ、どこかつらいんだろうなというくらいの心構えでこの時期を乗り越えるのが一番かもしれません。皆さんは、各国で赤ちゃんを育てながら、コリックのときは、どんなことを現地の人から教わりましたか?是非ケア・ワールドにも教えてください。
2005.12.30.
〜 銃の国、アメリカ 〜
日本に住んでいるいた頃、私たちがアメリカへ行くと言ったら、「ええ、じゃ、銃に気をつけてね。」とか、「こわい国なんでしょ?」という反応を11歳の娘は友人から得たといった。私にとって、アメリカはそんなこわい国という印象はなかった。むしろ、自由の国アメリカ、リッチな国アメリカ、なににおいても先進国として自信に満ちた国だと思っていた。銃のことは知っていた。実際に友人宅で銃を見せてもらったこともあったし、子どもたちもそこで銃を実際に手にしていた。
けれどもここニューヨークに住み始めてから、もっと身近に銃を感じるようになった。マンハッタンへいけば、ハーレム街ではときおり銃声が聞こえた。そのときは、からだに恐怖が走った。自分もこれに巻き込まれるかもしれないという切実感が走った。それは、まさに自分の生死がおびやかされるような思いだった。以前マンハッタンをタクシーで走っていたとき、銃を使ってのカーチェイスに遭遇した。この時も怖かった。そして身近で警官が容疑者を逮捕し、手錠をかけるところも目の当たりにした。我が家の二階の窓には弾丸が貫通したあとが残っている。それだけ銃はここでは身近だ。
日本は銃による死亡が比率にして39件に対して、アメリカは1100件という。それはなんと28倍である。そしてその原因はやはり銃があることではないだろうか。銃がなければ、人を銃で殺すこともなくなる。そして弾丸も簡単にそこらへんのスーパーで買えるのだから驚きだ。あの弾丸1個がわずか17セント、つまり20円たらずと聞いて私はびっくりした。ということは17セントでひとつの命を打ちのめすことができるということだ。たったの17セントが命と引き換えになるとも考えられる。
けれども銃も弾丸も結局は、それを操作する人間がいるから事態が起きる。それではなぜアメリカではこんなに銃による死亡が多いのだろう。これはあくまでも推測だが、おそらくそれは怒りからくるのではないだろうか。この国では怒りを持った人が大勢いるように思える。それは、多人種、多文化から生まれるこの国のすばらしさの裏を悟ったものであり、それは、多人種間の緊張でもある。わからない相手と共存していることそれ自体が緊張の連続であり、場合によってはそれが裏目にでることがある。そしてそれが簡単に爆発する環境がこの国にはあるのではないだろうか。
医療を受けたくてもお金がなくて受けられない人がおおぜいいるそんな国を豊かと言えるだろうか?1時間5万円の人と1時間わずか5ドルしかもらえない人がいて、こんなに貧富の差がある国を豊かな国と言えるだろうか?1週間に80時間働いても、まともに家賃を払えない人がいる国を豊かな国と言えるだろうか?そして何よりもなんでも黒人男性を犯罪者とでっちあげる国を豊かな国と言えるだろうか?
そんなことまで発展して考えてしまった。今年最後の今日のひとことがこのような暗いトピックで終わってしまったが、このことを認識することによって、よりよい2006年を築く努力へと向かえればと願うばかりだ。 ▲ トップへ
