今日のひとこと
2000年の3月より、海外出産・育児コンサルタントとして感じたこと、国際医療ソーシャルワーカーとして感じたこと、海外生活体験者として感じたこと、母親として感じたこと、女として感じたこと、そして何よりもノーラ・コーリ個人として感じたことを今日のひとことで毎週つづってきました。以下はバックナンバーです。
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2004.1.1.
あけましておめでとうございます。2004年も引き続きケア・ワールドをよろしくお願いいたします。皆さんにとってどんな2003年であったでしょう?おそらく中にははじめての海外生活を迎えた方もいらっしゃるでしょう。私は、ニューヨークにきて3年目に入りました。ますますこの国が好きになっています。大好きな英語を思う存分話せること!自らを飾らずに本来の自分でいられること!さまざまな文化や価値観がミックスされた自分をこの国は受け入れてくれること!そんな寛容さがあるアメリカ。
今年も大学院のソーシャルワーク修士課程では多くのことを学びました。春には実習のコースでは自殺者のカウンセリング、危機の状況の下にいる人たちのカウンセリングについて学びました。夏には女性を対象としたカウンセラーとしての技術を学びました。さらに臨床心理士のコースとして精神分裂症、神経症、人格障害、躁うつ症、感情障害についても学びました。秋にはアメリカの医療システムと医療保険について学び、実習のコースではインタビューの技術、子どもとのプレイ・セラピーを学びました。またあらゆるカウンセリング療法についても学びました。来年からは多人種、多文化な背景を持った人たちのカウンセリングについて学び、夫婦のカウンセリングについても学びます。さらに私が医療ソーシャルワーカーとして一番興味のある病気を持った人たちとその家族のカウンセリングについても学びます。特に死を迎えている患者さんとその家族をどのようにサポートしていったらよいかについて学びます。
教室では常に熱の入った討論が行なわれ、私にとっていかにうまく自分のアイディアを相手に伝えるかはチャレンジでしたが、今はほとんどなんでも自由に英語で言えるようになりました。表現の上達もさることながら、この2年間でレポートを書く力もかなりつきました。本を読むスピードも内容を把握する力もつき、これから仕事をしていくに当たって十分な準備ができたように思えます。英語の上達も実際に読み、書き、話し、使うことにあると実感しました。
実習ではソーシャルワーカーの人たちに囲まれ、彼らからソーシャルワーカーのあるべき姿勢を学びました。いつも底辺に生きる、社会から一番見放されていたり、一番弱い立場の人たちをサポートすることを使命に生きている。クライエントを信じ、クライエントの目線に立ち、クライアントの心のそばに自分を据え、クライアントの持つ本来の強さを引き出す。どんなにどん底にいるように見えても、救いようがないように多くの人が見捨てても、人は生きようとする不思議な力を備えているものです。私はその人のもっている見えないパワーをみつけ、伸ばすお手伝いができたらと思っています。そのためには自分自身の生活においても常に前向きにポジティブな思考をもっていないといけないといつも彼らに教えられます。 ニューヨークにいるノーラ・コーリより
2004.1.2.
毎月連載で書いているものがいくつかあります。その中でも私が特に熱い思いをもって書いているのが、「帰国キッズからみた日本」のシリーズです。このシリーズは海外で育って日本に帰ってきた話ができるくらいの子どもから小学校低学年くらいまでの帰国キッズがなにとはなしに発したひとことを集めました。そのひとことは彼らの目に写った日本をあらわすものです。
特に帰国キッズにとって日本は帰る国ではなく、初めて訪れる異国なのです。彼らから見たら日本は滞在国と比べてとても奇異な国に写っています。日本のお風呂の入り方、和式トイレの使い方、人の行動、日本に帰った母親のひところ、祖国をなつかしむ思いなどどれも彼らの純粋な心が現れています。このたび連載先の あかまんまみーあ がお勧めサイトに紹介され、特に帰国キッズから見た日本が取り上げられました。うれしかったので、皆さんとシェアさせてください。
「調査隊が今回注目したのは、この「帰国キッズから見た日本」。
このコーナーに登場するのは、海外で暮らし、日本に帰ってきた子どもたち。純粋な目と豊かな感性で見つめる「子ども」が、私たちには普通に映る日本を鋭くついてくる。これは、国内唯一の海外出産・育児コンサルタントであり、国際医療ソーシャルワーカー、バイリンガルコンサルタント、医療専門通訳などをこなすノーラ・コーリさんのコラムである。「なぜ、日本人はあまりあいさつをしないの?」、「なぜみんなと同じでなければならないの?」、「なぜ太陽は黄色ではなく赤なの?」……。私たちが当然のように捉えているものも、海外で暮らした子どもの目を通して見ると、不思議がいっぱい。やはり子どもはその純粋さ故に色々なことを教えてくれる、と実感してしまう。子どもがいる人もいない人も、これから子育てをする人も、子どもの持つ感性の素晴らしさを知ることのできるサイトだ。」
「あかまんまみ〜あ」を紹介しているサイト http://www.magazo.jp/ です。
トップページの右上にインデックスが出ています。ぜひご覧ください。
2004.1.9.
新年を迎え、もう4日目にして赤ちゃん誕生のお知らせがフィンランドよりここケア・ワールドに届きました。マキコさん男の子の誕生おめでとうございます。フィンランドではなんと慣例で2ヶ月の間に赤ちゃんの名前を決めればよいとのことです。となるとまだまだ名前を考える時間がたっぷりありますよね。どんな名前がつくのかな?
また先週は赤ちゃんの洗礼式に招待されました。私は God Mother として招待され、とても光栄でした。今後彼が両親にはぐくまれていく中で、私は助言者としてこの家族を見守っていくことを心に誓いました。
ケア・ワールドにはたくさんの誕生のお知らせが届きます。しかし、うれしいニュースと共にもう子育てがやになった、子育て放棄したい、自分の子どもがかわいく思えない、自分の思う通りに子どもが育ってくれないという SOS も届きます。先日、鮫島氏の書かれた 「わたしがあなたを選びました」という詩を読み、とってもすてきな詩だなと思い、心の栄養に加えました。そこには子ども達は実は私たち夫婦を選んだと書いています。つまり私たちは選ばれたのです。そして彼らは自分の選択に間違いはなかったと思っているのです。私たちは本当にそれに応えているでしょうか?
私は子ども達は天国にいて、神様は地上にいるどの家庭に、どの夫婦に子どもを送ろうかと考えていて、神様は私たちをこの子に選んだのだと信じています。一番最良なマッチができるのも神様だからと信じています。ということは、私たちにこの子達を育てられないはずがないのです。どんなに障害が重い子どもでも、どんなに苦労ばかりかける子どもを与えられても、神様が私たちなら絶対に育てられると知って与えてくださった。信仰心の薄い私ですが、子育てにつらくなったときこのことが私を一番励ましてくれます。
2004.1.16.
結婚するにあたって資格は必要ではありません。また親になるのにも資格は必要ありません。それはどうしてだと思いますか?それだけすべての人に平等に与えられたチャンスだというふうにもとらえられます。けれどもアメリカでは2組のカップルのうち1組は別れてしまうというデータがあります。原因はさまざまでもやはりそれだけ二人なかよく何年も暮らし続けることはむずかしいということです。本来ならすべてのカップルに将来長続きをする秘訣のような講座を受けるのがいいのでしょうが、あつあつのカップルにそのような必要性は理解できないでしょう。けれどもカップルの人生にはさまざまな障害があります。それらをひとつひとつ乗り越えるに当たってちょっとしたガイダンスがあると助かります。そのようなガイダンスを海外にいると身近な両親、兄弟、友達などから日本語で得られないだけに海外で子どもを育てたゆえに仲が悪くなるというケースも多々あります。
さて、今日は2回にわけて、ノーラ・コーリ、couples therapist として、皆さんの結婚に対する姿勢の誤解をといていきましょう。
1.愛さえあれば、生涯幸せでいられる。 (いいえ、愛だけでは一生涯の幸せは保障されません。)
2.心を常にオープンにしていっさいの隠し事なくして、お互いに正直であれば相手にどのようなことがおきても結婚は乗り越えられる。 (いいえ、私たちは一番大切な人にも言えないことがあっていいのです。)
3.いつもいっしょにいたいという気持ちがあるべきである。(いいえ、自分だけの時間をほしいと願うようになります。)
4.お互いを支えるに当たってどのような課題においても同じ立場をもつべきである。(いいえ、それぞれの考えをもち、それをお互いに尊重するのが大切です。)
5.問題が起きたときは誰にその原因があったかをつきとめるのが大切である。(いいえ、相手を攻めるだけでは解決が得られません。)
それでは来週は残りの4つをいっしょに考えてみましょう。
2004.1.23.
東京には朝日、読売、産経、東京、日経など新聞の種類がいっぱいあります。しかし、ここ大都市と言われるニューヨークでは代表的なNYタイムズのみです。これにひってきするパワーのものはないということ。そしてそこに結婚・お祝いというセクションがあります。ここには新しくカップル(結婚したとは限りません)宣言をした人たちが写真と共に発表されています。もちろんこれは本人達の希望で載せられていますが、必ずしも二人で写真を出すとは限りません。
さらにそこにはニューヨークのなんでもありカルチャーを現すように人種だけを見てもインド人の男女のカップル、ヒスパニック(スペイン語を話す民族)系と白人(ヨーロピアン系)、黒人男性と白人女性、インド人女性と白人男性。さらに年齢を見ると25歳などは若い方で42歳女性と25歳男性、50歳男性と36歳女性とさまざま。さらに二人の女性同士のパートナーシップ宣言もあります。Valerie (女性)はユダヤ教の牧師、お相手のLeah はマネージャーとして広報部に働く。そして彼らの両親の仕事についてまで書かれてありました。ということは認められた仲。さらに両親からも二人は祝福されているということです。
そしてさらにそこのコーナーには熟練カップルのパートナーシップの歴史が書かれています。つまりこれから新しく出発する彼らにカップルでいることの現実を提議しているように思える記事が載っています。タイトルも Susan Shapiro and Charlie Rubin 、気づきますか?名字はそれぞれでいっしょではありません。その記事には二人がどのようにいろいろなカップルにある障害を乗り越えてきたかがつづられていました。
カップル(夫婦)には必ず危機がきます。子どもが亡くなる、障害をもった子どもが生まれる、夫がリストラされる。妻が癌になる。海外でテロに会う、夫が人質にとられる。夫が自殺未遂をする。夫が精神病にかかる。妻が海外にきてうつ状態。どちらかが浮気をする。愛人の子どもをみごもる。経済的危機に陥る。地震に会う、火事ですべてをなくす。いったい皆さんはいくつの危機に立ち向かったでしょうか?危機とまでいかなくても、夫は自分の仕事のことばかり、子どもの教育方針が一致しない、子どもが不登校、家のことと子どものことがすべて女性だけの肩に、妻は金銭感覚がない、子どもの面倒を見ない妻。けんかをしない夫婦なんて本当にめずらしい部類だと思います。夫婦はけんかをして心にためていたことをうっぷんに吐き出してそして歩み寄れることもあるでしょう。
隣のリンダとボブは結婚50年。長続きの秘訣は?と聞いたら、「不満をからだにためないことよ。」と教えてくれました。今日も隣から大きな怒鳴り声が聞こえてきます。もしかしたらストレスをためこまないことかもしれませんね。けど夫婦の仲なんて本当のところは外からみただけじゃわからないものです。
2004.1.30.
今回は結婚講座第二回目です。今回も結婚に関する誤解を解いていきましょう。
6. いっしょに暮らしていれば自分の考えていることなどいちいち口に出さなくても相手に伝わるはず。(何年いっしょに暮らしていても、相手の心など的確にわかるわけがありません。熟練夫婦でもコミュニケーションは大切です。)
7. 似たもの同士、ふたりはぴったり、最高のマッチと信じて結婚したのだから、二人の関係をあえて磨く努力などすることはない。(夫婦の関係は常に努力して向上させる必要があります。関係がいいように見えるときでもです。私のダイエット同様、いいかなとほっておくとすぐリバウンド!)
8. 二人の共通した趣味があれば、結婚は長続きする。(共通の趣味など案外少ないものです。それだけには頼れません。)
9. 二人の関係さえ確かであれば、親戚も友達もいらない。(私たちは一人で生きているのではありません。間接的であってもいかに友達やら親戚などから支えられ、育てられているかがわかるでしょう。)
2004.2.4.
学習障害ということばはご存知だと思いますが、いったい何をいうのでしょうか?学習障害とは知能的にはまったく問題がなくても、脳の神経経路の障害のため、読む、覚える、などの情報プロセスなどができない病気です。たとえば、一度にたくさんの情報を記憶したり、瞬時にいくつかの情報をプロセスできなかったりが症状です。字を読んでいるが理解していない。そこには音しかない。しかもひとつひとつのことばを拾うのに時間を要する。しかし、しゃべることは得意で、さらに読んであげた後、内容を質問するとすべて理解できている。思い当たるお子さんはいますでしょうか?学習障害を持っていてもなんとか人生を歩んできた人たちはたくさんいます。台本が読めない俳優、音符が読めないすばらしいミュージシャンなどがその例でしょう。
しかし、学習障害とわかるまでの過程はとてもつらいものがあります。どうして読めないの?さっき教えたばかりでしょ?これが 「あ」 これが 「よ」、と親はいらいらしてしまいます。学習障害という診断が下されないと、「ぼくはどうせばかなんだ」とか「いくらがんばってもどうしてもできない」と自分に対する自信もなくすでしょう。教室という周りの目から常に自分ができないことがさらされる環境で屈辱的な日々を送ることになることでしょう。なんとか小学校は出席日数で卒業できてももう中学では追いつきようがなく、中退し、ぐれてしまう可能性もあるかもしれません。
このような悪い結果を招かないためにも早期発見が大切です。できたら幼稚園の段階で、少なくとも2年生までにこの脳の障害が発見されないと、その子の後々の生涯にまで影響します。そのためにも親の行動が不可欠です。早く見つけてあげてください。専門家に診断を依頼して、処置をとってください。治療をきちんと行なえば、脳の障害はなくならなくてもその子どもは特別な訓練を通して読めるようになり、読めなくてもテープなどを利用して授業にもついていけるようになり、算数なども理解できるようになります。もしかしたらと思い当たるふしがあったら、早めに行動し、希望をもってください。
2004.3.5.
妊娠中、からだはどんどん新しい血液を造って、赤ちゃんを育てていますし、赤ちゃんがどんどんママの血液を吸収していってしまうという表現を使うこともあります。そんなことから妊娠中はとかく貧血になりがちです。たかが貧血と思われるかもしれませんが、貧血を軽く見ないようにしましょう。
私は妊娠はしていないものの、子宮筋腫をもっているため、最近になって忙しさ、心配事が多いことからでしょうか、子宮筋腫が大きくなってきたようで、なんと3週間も続けて出血が止まりませんでした。あまりにも長引くのでドクターのところで貧血を調べたところ、正常値が11.7に対して、私は9.7という値でした。ドクターからはすぐ連絡が入り、鉄剤を飲むように勧められました。
顔が青白い、下のまぶたが真っ白。とにかく力がわかない、階段を上るだけで息切れがして鼓動が早い。ふらふらする。そんな症状があったら貧血を疑ってください。
軽度(ヘモグロビンが正常の70%以下)の貧血では必ずしも症状はあらわれません。また、慢性の貧血は徐々に進行するため、自覚症状のない場合もあります。一般的には顔色が悪く、まぶたの裏が白くなったり、口の中全体の赤みが減ったりします。
ヘモグロビンが正常の59%以下になってしまうと、体内の酸素を補うために、多くの血液を送らなければならず、心拍数が増加したり、少しの運動をしても息が切れたりします。
ヘモグロビンが正常の40%以下になってしまうと、頭痛や、めまい、耳鳴り、集中力の低下、不眠になります。また、身体のすみずみまで酸素が行き渡らないため、疲れやすくなったり、手や足が冷えたりします。
ヘモグロビンが正常の30%以下になってしまうと、食欲がなくなったり、吐き気やむかつきなどがあらわれます。女性の場合は鉄欠乏性貧血が圧倒的に多いようですが、妊娠中の貧血もそれが多いといいます。そのような理由から定期的に血液検査をするわけです。
それではどうして貧血だと疲れるのでしょう?それは体内の各臓器や組織に酸素を供給する血液中のヘモグロビンが減少して、体内が酸欠状態になっているからです。この酸素を全身にくまなく運搬しているのが血液中の赤血球です。赤血球の主な働きは、赤血球の中のヘモグロビンという赤い色素が肺から酸素を受けとり、体内の組織に酸素を運搬し、組織の機能を維持することです。貧血とは、赤血球の数が減少したり、または赤血球自体の酸素を運搬する能力(ヘモグロビンがこの能力を担っている)が低下したりすることをいいます。元気がないのは酸欠だからです。そのためにも食物ばかりでは供給が追いつきませんので、鉄剤を飲むように勧められるでしょう。
もちろん食べ物にも注意し、ほうれん草、ブロッコリー、レバー、牛肉を取り入れ、さらに生活習慣も見直しましょう。無理をせず、十分な睡眠もとるようにしましょう。
2004.3.14.
海外への移動や国内での移動が多い転勤族ですと、ペットを飼うむずかしさに直面します。私の家族も2,3年おきの移動で、しかも行く先々が持ち家ではなくたいてい賃貸でしたので、ペットを飼うことをためらっていました。しかし6年ほど前にやっとマイホームを購入し、まずはハムスターを飼うことから始めました。その後、2,3年の命が絶えてはまた新しいハミーちゃんを世話していました。そしてアメリカに来て、娘のかつての願いから今、猫か犬を家族のメンバーに加えることを検討しています。私たちは買うことでなく、adopt (飼い主から捨てられたり、飼い主がどうしても飼えなくて手放したペットをもらうこと)することに決めました。
今日我が家から一番近い Humane Society という動物保護施設に犬や猫を見に行きました。その建物は空き家になった大きな倉庫のようなところでした。外見からはとても古く、またみすぼらしい外壁の傷んだような建物でした。そして中に入ってもきれいというにはほど遠い最低限のものが揃った施設でした。決して裕福な団体でないことは明らかでした。入口には Spring Wishing といって、寄付をつのっている品物がリストとして上げられていました。シーツ、毛布、缶きり、などが書かれていました。
猫の部屋が三つほどそして犬の部屋は1つ。他にケネルといって犬のケージがずらりと並んだ大きな部屋がありました。私たちは最初猫の部屋に入りました。そこには大きな部屋に10匹ほどの猫が放し飼いにされていました。しかしどの猫も引き取り手がなかなか見つからない障害をもった猫、肥満の猫、耳がアンバランスにたれている猫、あごがない猫などでした。ボランティアのジョンと1時間ほど話していましたが、中にはここにもう5年以上も暮らしている猫もいるそうです。
さらに犬のケネルに行きました。私はさらにショックを受けました。においもかなり強烈。けれどもこれだけ犬がいれば当然のこと。ケネルの中で糞尿をし、具合の悪い犬はもどしていたりしていました。スタッフも足りないのでそれほどひんぱんにシャンプーをすることもできません。犬を散歩に連れて行くボランティアも数が限れているためどうしてもケージの中で便をしてしまいます。犬のほとんどは大きな犬、雑種、片目がつぶれた犬、老犬、戦いに出されて傷をたくさんおおった犬などでした。
もう家に帰ろうとしたとき最後の部屋を訪れました。そこにはキャンキャンとしっぽを激しくふる落ち着きのない犬がいました。名前を見たらケンタッキー、私は直感的につい木曜日に娘が確保した迷い犬と同じ名前だと気づきました。そしてその次の瞬間、娘が、「あのケンタッキーだ!」といって、首輪も同じ緑色であり、さらに足をみたら、確かにあの迷い犬の白い前足でした。スタッフに尋ねたら、「飼えなくなって連れて来られた」とのこと。あの日、飼い主を探し、その人と話をしただけにショックを隠しきれませんでした。なんで?どうして?こんなにフレンドリーなパピーをどうしてそう簡単に捨てちゃうの?!私は怒りを隠しきれませんでした。許せません。絶対に許せません。ペットを飼うということは一生その命の責任をとることです。彼らは何もわからず、今日もただ愛されることだけを待っているのです。あまりにも悲しい一日でした。
2004.4.9.
今、インターンとして働いている先天性代謝異常症クリニックでは、毎日のように新しい患者さんを迎えています。ソーシャルワーカーとしての仕事のひとつにこれらの新しい患者さんの家族の歴史を聞くことがあります。そんな中、私は家族とはなんだろうということを何度も自分に問いただしました。
今日は生後7日のニック君がクリニックを訪問しました。ママはアンジェラ。姉のジェシーは10才。家族の木をえがくとき、私はなるべく大きなスペースに広げて書くようにしていますが、ニックのファミリーに関してはもうそこら中が埋め尽くされるほど家族構成が複雑でした。まず驚いたのはこの二人の兄弟は異父兄弟であること。異母兄弟というのはむしろ少なく、たいてい母親は自分の子どもを育てます。つまり兄弟の血のつながりが片方だけの場合、シングルマザーによって育てられていることが多いということです。ジェシーはいっしょに住んでいない弟と姉がいます。その姉はなんと17才。かなり年齢が離れていますが、なかには姉といっても母親にでもなれる年齢の人もいます。そして弟は6才。どうしていっしょに住んでいないの?と聞くと、彼らには別のお母さんがいて、お父さんがいっしょだとのことでした。そのため、時にはその兄弟と遊ぶために夏休みなど2週間ほどその家庭に入るそうです。
お父さんのことを聞いたら白血病で亡くなったとのこと。けれども長いこと刑務所に入っていたのであまりいっしょに過ごした記憶がないとのことでした。さらに刑務所といえば、このニック君のパパはいっしょに住んでいるの?と聞いたところ、今は刑務所に入っていて、今年の8月に出所するとのこと。去年の7月から刑務所で過ごしているらしい。どうして刑務所に送られたの?とこれはママに聞いたところ、暴行とのこと。どうやらけんかをして、相手を傷つけたみたいでした。つまりアンジェラは妊娠中まったく彼の支えなくして過ごしたのです。もっと驚いたのはその彼はアンジェラより15年近く若いこと。
アンジェラの家族について話を聞いたところ、兄弟は5人。しかも5人とも全員父親が違うとのこと。私はびっくりしてしまいました。家族の木もさることながら、いったい家族ってどうあるべきなのかと思いました。両親がいて子どもがいてという典型的な家族は彼らの世界にはまったく存在しないということ。それが当たり前な世界に住んでいるということ。そのような人が私の目の前にいる。世界のまったく違うところに住んで、私がまったく知らないそこの価値観で生きている人が私の目の前にいる。
私は世界の人々とはいつもその国に生きている人と考えていました。しかし同じ国においてこれほどまでにも世界観の違う人と共存しているということはアメリカにきて一番学んだことです。アンジェラもジェシーもそのような複雑な家庭構成に育っていながらもとっても心温かく、おおらかな性格ですてきな人たちでした。
2004.4.16.
医療技術の発達は確かに多くの命を救ってきました。しかし医学の発展と共にまた問題も起こってきました。体外受精について考えてみましょう。今では受精卵の細胞の一部をとって赤ちゃんの性別までわかるようになりました。その結果、男の子がほしければ男の子の受精卵だけを子宮に戻すことすらできるようになったのです。
皆さんはどう思いますか?それは技術の間違った使い方だと思われるでしょうか?男の子を3人授かったアンナさんはどうしても女の子がほしくて自分の成熟した卵子を体外でいくつか受精させてそれぞれの細胞を調べ、女の子の受精卵だけを子宮に戻したのです。しかも双子がほしいと望んでいた彼女は受精卵を二つ子宮に送ったのです。今、彼女は待望の二人の女の子を待っています。
文明の進化は性別までもコントロールできるようになってしまったのには驚くばかりです。ただし、それで本当によいのだろうかという疑問を持つことも今後の医療の発展において正しいのではないかとつくづく考えるようになりました。アメリカの病院では倫理について討論する組織があります。今後彼らの活躍する場面はますます増えていくのかもしれません。
2004.4.30.
お子さんが幼稚園や学校から帰ってきて、「みんな、ぼくのこときらいっていう」、「私はみんなに嫌われてる」っていってきたらどう対応しますか?親としてはこのようなことばほど心が傷むものはありません。「どうしよう、いじめられているのかしら?」「どうして仲間に入れてもらえないのかしら?」といろいろな考えが頭をめぐると思います。
もちろん子どもの中には一人でいることが好きな子どももいます。一人でいることがなんの苦でもなく、むしろそのような子ども達は一人でも十分楽しめますし、周りの友達の力を借りなくてもなんでも自分でまずやるような力をつけています。それに対して、一人で遊んでいるけれども本当はお友達の輪に入っていきたいと思っている子どももいます。このような子どもは社会性を延ばしてあげる手助けが必要なのかもしれません。そして最後に、仲間に入りたくて一生懸命努力するけれどもどうしても友達ができなくてさみしい思いをしている子ども達がいます。
それではどうしたら一人でいても平気な子どもと独りでいるのがさみしい子どもを見分けられるのでしょうか?それは案外簡単です。赤ちゃんだった頃を思い出してください。お子さんは誰にでも愛想よかったでしょうか?それとも引っ込み思案?人見知りが激しかった?それとも誰にでも喜んで抱っこされていましたか?誰にでもにこにこと笑うタイプ?そうですよね。もう赤ちゃんの時から性格って決まってるんですよね。
となると仲間はずれにされがちな子どもをどのように助けたらいいのでしょうか? 1.まず子どもの立場に立ってみましょう。その年齢の時自分自身はどうでしたか?お子さんとの違いはどのようなところですか?2.次に先生や友達、他の親からお子さんの様子をどのように観察しているか聞いてみましょう。3.幼稚園や学校以外に同年齢の子ども達と交わる場を与えてみましょう。4.仲間はずれをしていたり、一人の子どもをいじめているような時は大人として仲介にでましょう。5.恥ずかしがりやな子どもでしたら仲間に入っていく手助けをしてあげましょう。6.他のお友達とうまくいかないような子どもでしたら、どうしたらいっしょに遊んでもらえるのか、相手の立場にたつことを教えてあげましょう。
(参考資料: Westchester Family April 2004)
2004.5.14.
このようなこともあるのでしょうか?娘の通っている日本語補習校にシンガポールで生まれたSちゃんがロスから引っ越してきました。実は娘もシンガポール生まれ。そして同い年。ということはもしかして同じ時期にシンガポールにいて、会っているのではないかということになり、私が誰?と娘に聞くと I さんだという。「知ってるわよ〜」と伝え、娘に I さんとはシンガポールで同じ育児サークル仲間だったことを伝えました。娘は、「じゃ、Sちゃんは私の幼馴染み?」と聞いてきました。う〜ん、確かに何十年と会っていなくとも、彼女達はれっきとした幼馴染みといえるでしょう。「そうよ。」と応えたら、娘はそれはそれはうれしそうに、「私にも幼馴染みがいたんだ。」と円満の笑みで答えました。私はもう次の瞬間、(夜遅かったので)メルアドをクラスリストから探し当て I さんにメールを入れました。
そして数日後、私達はみんなで会うことになりました。あった瞬間、「あ〜、全然変わってない〜。」とお互いに15年間の歳月をかみしめました。いやいや、変わっているはずなのに、あの15年前に一瞬のうちにタイムスリップして戻ったような気持ちを抱きました。温かい午後だったので、林の中を歩きながらママ同士は15年間のそれぞれの歴史を語りました。お互いに本当にいろいろあった15年間。そして今が共通しているでなんともいえない絆を感じました。Sちゃんも娘も2001年に11歳でアメリカにきて、苦労をして現地校へ通い、アイデンティティーに悩み、ことばのことで悩み、子ども達同士も、共通するものを持っていました。
皆さんはきっと今、滞在国で育児サークルなどに入っているかもしれませんが、そこで得た友情はかけがいのないものだと思って間違いないと思います。つまり異国の地において誰にも頼れない中で彼女達と語った初めての海外での育児の悩みや喜び、少ない日本人の間での情報交換、小さな子どもを抱えてあまり出歩けない共通の仲間、海外でのはじめての出産を共に通った仲間、親戚や親友から離れていたがゆえにこぼした悩み、今思うと本当に彼女達に支えられてあの滞在期間を終えることができたのだと思います。ですから10年後、あるいは20年後、もしかしたらまた海外で彼女達に会う機会があるかもしれません。そんな機会を抱いて、連絡先だけでも交換し続けてください。そして、今はたくさんの思い出写真を撮っておいてください。
2004.5.21.
皆さんは人生の中で一番うれしかった日を覚えていますか?私の人生の中でもいくつかそんな日があります。そのような日のひとつに2004.5.19.が加わりました。この日、私は20年来の夢だった社会福祉学部の大学院を卒業しました。私がこの年になって再び大学に戻った理由は、1.海外に住む人々の心のカウンセラーになりたい 2.病気や障害を持った人々に生きる希望を与える仕事につきたい 3.社会福祉学で修士を得たい ということでした。
40を超えて再び学生になること、20年以上の学問へのブランク、膨大な量の本を毎週読むこと、2週間おきにレポートを書き上げること、神経障害児を専門とする研究生としての課題、二人のティーネージャーをかかえてのフルタイムの学業、ケア・ワールドを運営し続けること、海外出産・育児コンサルタントとして記事を書き続けること、週3日の現場でインターンとしての実務経験、主婦業、日本からのお客さんの接待とチャレンジはいっぱいありましたが、なんとも充実した2年間を過ごしました。それだけにたった一枚の紙ではある卒業証書ですが、とても重く感じられました。
そしてこの卒業証書の重みはなんといっても私の家族、愛する人たち、ケア・ワールドの皆さんの励ましと協力があったゆえのものだと信じています。皆さん、本当にありがとうございました。
コロンビア大学の卒業式は笑い、ハプニング、喜び、叫び、音、感動で満ち溢れていました。日本と違って一粒の涙すら出る場面がなかったように思えます。予行練習もなしのぶつけ本番で予定の時刻より1時間ほどオーバー。学部全体での卒業式では8000人の卒業生が集まり、各学部によって空中に投げるものが決まっていて、歯科は歯ブラシ、医学部はゴム手袋をふくらませて、看護科はおもちゃの聴診器、経済学はおもちゃの札束、法学部は白と青の風船、そして社会福祉学部は虹色の綿のボールでした。スピーチも卒業生を笑わさせるものばかりでした。社会福祉学部だけの卒業式も行なわれ、ここでは空中から白とブルーの風船が最後に降ってきてそれをみんなで割って騒いでいました。日本では別れが強調されるのに対して、アメリカは旅立ちをみんなで喜ぶ分かち合うといった印象を受けました。
以下でコロンビア大学の卒業式の様子が見られます。ハプニングは突然学長のスピーチの最中に起きたことです。1:04 あたりに出ています。5.19.をご覧ください。
http://www.ccnmtl.columbia.edu/projects/broadcast/commencement2004/
2004.5.28.
先日、ニューヨーク州の隣の州であるニュージャージーの出産・子育て事情を視察に現地に出向きました。まず最初に2才半の子どもから小学校6年生まで受け入れている育英学園を訪れました。岡本学園長の案内で園内を見せてもらいました。決して広い敷地内ではありませんが、子ども達は明るく学んでいました。全日制の学校、現地校に通っている子どものためのアフタースクール、さらには土曜日の補習校と親御さんの細かいニーズに対応してのプログラム作りで子ども達の日本人としてのアイデンティティーが築かれていくのがわかりました。各クラスとも20人以下でクラスによっては二人の日本からの先生による指導でなかなか行き届いたよい教育環境という印象を受けました。
次に日本人開業助産婦はアメリカでは2人というそのうちの一人である永門洋子さんの勤める Childbirth Center を訪問しました。どの程度自然なお産をサポートしているのかを尋ねたところ、残念ながら日本で行なわれている自宅分娩、水中分娩、バースセンターでの出産などは2年前に廃止されたそうです。それは何か異常があったときの保険があまりにも高く、助産婦さん数人ではあまりにも負担が大きいことから決断されたそうです。今では何か異常が起きた場合にすぐ対応できる Holy Name Hospital で助産婦の介助によるお産を行なっているということでした。そして日本人の中でも無痛分娩の希望者がとても多いということも語っていらっしゃいました。
最近では、海外において自宅分娩をさせてくれる助産婦さんを紹介してくださいという問い合わせもあり、私も現地のラレーチェリーグや助産婦リストを調べたりと助産婦さん探しはなかなかたいへんです。たとえ見つかったとしても病院でのお産が主であったりとなかなか日本人の希望する自然なお産を海外で行なうのはむずかしいといえます。それでもまったくないわけではなく、自宅での満足いくお産を行なっている人もいます。助産婦探しはやはり地道に時間をかけて、たくさんの人に助産婦を探しているという声かけをして、口コミや体験者の語る評判で探すしかないようです。
2004.6.5.
一週間ほどアメリカのロスを視察にいきました。ロスといっても日本人が多く住んでいるトーランスという地区を中心に日本人のコミュニティーを調査しにいきました。一番驚いたのは日系スーパーが充実していることでした。そしてそれに伴い、さまざまなサービス機関が整っていることでした。これでしたら日本にいるのと大差変わらぬ生活が日本語で十分できるという現地の日本人のことばが理解できました。他にも日系幼稚園、塾、全日制日本人学校、日系の医師のいるクリニック、日本人が多くお産をしている病院、などなどたくさんのところを訪れ、そこで働いている人たちとの交流を持ちました。
日系幼稚園を訪問し、子育て中のママ達との交流を通じて感じたことは、子ども達もさることながらそこへ送るママ達の様子がよくわかりました。これだけ日本と変わらぬ生活ができるようであってもしょせん異国、ママ達の多くは海外ならではのいろいろな悩みをかかえ、それを話す糸口を探していることがわかりました。また永住されている方も多く、彼らの思い悩むことと、短期間の方々とのトピックにかなりの差があることもわかりました。しかし小さな子ども達を日本人として育てるという同じ接点をもちながら交流の場は貴重であることもわかりました。
お産においてはカルフォルニアにおける究極の自然分娩についてアメリカ人の助産婦さん、出産準備教室の先生、お産を介助する専門の人、母乳育児の会の母親などから情報を提供してもらいました。自宅分娩、水中分娩、アクティブバース、家族をひきいてのお産などカルフォルニアでも可能であり、これが法的にも認めています。評判のよい助産婦さんはやはり口コミで、電話帳などには載っていません。つまり彼女達はあえて公に宣伝をしなくても、口伝えで、経験者が名前を広めてくれるからです。それだけにその分野に足をつっこまないと彼女達の名前を得ることはできないということでもあります。
自然なお産とひとことにいっても場所から方法からいろいろな意味があると思います。病院において自然な形でお産をしたい場合は、助産婦さんに病院に来てもらい、介助してもらうことが可能です。またバースセンターのようなところで助産婦さんによるお産も可能です。バースセンターを選んだ場合はより医療の介入が抑えられます。またあまり日本では知られていない Doula というお産をサポートしてくれる人も利用できます。この場合、Doula を病院に呼んだり、自宅に来てもらうこともできます。しかし自宅分娩を選んだ場合は、助産婦さんに必ず家に来てもらう方が安心です。ただし、助産婦さんの中にも traditional midwife といって特に助産婦としての資格(ライセンス)をもっていないが、お産の数をこなしている日本でいう産婆さんのような存在の人にお産を介助してもらうこともできます。
ただし、日本人のママ達に聞いたところ、彼女達の間で自宅分娩、あるいは助産婦さんによるお産を行なった人はほとんどいませんでした。彼女達のほとんどは病院による無痛分娩でした。アメリカで無痛を経験できるのにあえて痛みを伴うお産を選ぶこともないという意見も聞かれました。ましてやロスでは有名な病院では日本人の通訳スタッフもいるのですからそのようなサービスを是非受けたいという希望も聞かれました。また日本語による出産準備教室も病院主宰の場合が多く、そのようなことからもやはり産婦人科医による病院での痛みのないお産がポピュラーのようです。ことばもさることながら、やはり医療保険も大きな位置を占めると思います。助産婦によっては保険を扱わないこともあります。その場合実費で30万から35万円は覚悟しなくてはなりません。たとえ保険がカバーしても一部という場合もあります。
ちなみにロスにおいて自宅分娩、より自然なお産をサポートしてくれる助産婦さんの名前と電話番号もいただきましたので、英語に自信があり、自然なお産しか考えられないという方はケア・ワールドまでご連絡ください。
2004.6.11.
世界中の予防接種について調べていますが、最近アメリカで予防接種が新しく加わりました。これは Meningococcal vaccine と呼ばれるものでいわゆる髄膜炎としてよく知られています。これはバクテリアによって起こる病気でアメリカでは2才から18才の子どもがかかるバクテリアによる髄膜炎の中の代表といえます。髄膜炎は脳や脊椎の膜に起こる炎症です。アメリカでは毎年2600人の人がこの Meningococcal disease にかかっています。そのうち10〜15%の人が抗生物質などの治療を受けても死亡しています。生存する人の中でも10%の人が腕や足を失ったり、耳が聞こえなくなったり、神経系が影響を受けたり、知的障害、ひきつけ、発作などを起こします。
この病気は誰でもかかりますが、特に1才以下の赤ちゃん、ひんぱんに旅行をされている方、また病気を持っている人がかかりやすいといいます。さらに大学に入ったばかりの学生、特に寮生活をしているものはかかるリスクが高いとされています。(ただし、3ヶ月以下の赤ちゃんにこの予防接種は勧めていません。)
そこででたのがこの病気の予防接種です。これはMeningococcal disease のうちでも4つのタイプの病気を予防できます。2才以上の子どもは1回の接種、3ヶ月から2才の間の子どもは2回、これを3ヶ月待って2回目を受けます。
おそらくアメリカのキャンプに子どもを送る方、さらに大学生や大学院生はこの予防接種を受けるか受けないかについての問い合わせを受けたと思います。2003年の8月よりこのことについて話が出始め、今年になって本格的になり、予防接種は強制はしないが、どのような病気であり、予防接種があることを知っておくことを親、あるいは本人が承諾することが義務付けられました。
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皆さんは「セサミ」という親子で楽しむ子どものファッション誌をご存知ですか?このたび7月号の175ページにニューヨークでの子育て事情について記事を書きました
2004.6.25.
今、やっと身辺整理ができるようになりました。身辺整理なんていうともう天国へ行く準備のように聞こえるでしょうか?この2年間、大学院に通っていて、ほとんど落ち着いて何かを片付けるということができませんでした。今日、今まで集めに集めていた資料を整理しながらこの2年間を振り返ったら、どっと疲れを感じました。この2年間、はっきりいって疲れを感じる余裕もなくただがむしゃらに走ってきました。ずっと緊張の2年間で息を抜く暇もなく、張りつめた状態でした。こうしてこの2年間の歩みを見ると、いかに自分が張り詰めた生活を強いていたかをつくづく感じました。だから今やっと疲れを感じられるようになったのです。
海外生活もそんなものじゃないでしょうか?車を運転していても絶対に事故にあってはいけないという緊張。だまされないように常に相手のことばを疑ってかかる毎日。訴えられてはいけないから訴えられないような行動に気を配る毎日。異国の地において訴えられる恐怖との戦い。相手の言われていることがわからないときのあのこわばった自分の表情。一体何をしたのかわからずにとがめられる時の戸惑い。間違ったことをしてしまった時に弁護できない自分への苛立ち。どんなにがんばっても現地の人とは対等に扱われないせつなさ。差別を受けたときのもっていきようのないくやしさ。
日本にいる人たちがあこがれる海外生活。そのあこがれの生活と隣り合わせにある現実とはつらさ、苦しみ、せつなさ、あわれさ、悲しみ、落胆なのです。もちろんそんなことは帰国後限られた人にしか話さないでしょう。そしてよい思い出だけを心に包んで日本の人たちに伝えているかもしれません。いや、人間はよくできています。つらいことなどは全部脳裏に隠れて何年も姿を見せなくなるかもしれません。忘れてしまうこともあるでしょう。けれども現実にあったことはやはりどこかで顔を出し、それに向き合った時にもしかしたら私の感じたようにどっと疲れとして現れるかもしれません。そんな時自分の中でどうそれをどう受け止めるか。これが私達に与えられた課題なのかもしれません。
2004.6.28.
海外生活のイベントのひとつが日本からのお客様です。今月は私の母が東京から10日間ほどここニューヨークを訪問しました。目的は我が家の二人の子ども達の卒業式に出席するためでした。振り返ってみると私がカナダで高校を卒業した時は、誰一人家族の出席がなく、さみしく迎えたものでした。子ども達は両親以外にも祖母に来てもらえて本当に幸せでした。
皆さんはご両親が訪問した時はどのように過ごされますか?一泊の旅行でしょうか。まだ子どもが小さいうちは、このときとばかりに子どもをおばあちゃんに預けて夫婦だけで夜のお食事かしら?生活の場を理解してもらうためにスーパーにいっしょに買い物に行ったり、いっしょに学校や公園に出向いたり。私の母は短い滞在期間中に主に和食を作っていってくれました。私が何度挑戦しても出ないあのおふくろの味をたくさん残していってくれました。きんぴらごぼう、ごぼうと牛肉、ハヤシライス、てんぷら、レバーの煮込み、しらたきの煮込み。
母が去ってから、冷蔵庫をあけるとそこには母の愛情が漂っていました。残していった数々の品物。どれを見ても母を思い出す材料ばかりです。そんな母も年をとり、あと何度海外へこれるでしょうか?いつまでも元気でいてほしいと願うばかりです。皆様もお母様、お父様が見えた時は、その貴重な時間をおおいに満喫してください。そしてたくさんのよい思い出をお子さんと共に残していってください。
2004.7.2.
アメリカはそれぞれの州がひとつの国のように、州ごとにさまざまな法律が作られています。また州の中でもそれぞれの郡によっても当然いろいろな決まりがあり、こちらウェストチェスター郡では水銀入りの体温計を販売してはいけないという決まりがあります。違反をすると150ドルの罰金が科されます。
水銀の体温計はこわれやすく、こわれた場合、その片付けがむずかしいからです。片付けたと思っても少し残っていればそれは空気中に蒸発し、それは汚染された気体となりからだに害をおよぼします。さらに水に流したりすれば、それは水を汚染し、結果的に水中の生物を破壊するほどの力をもっています。それは1本の体温計に入っている1グラムの水銀で校庭の広さ2枚分くらいに住むすべての魚を絶滅するほどの破壊力があるのです。そのため小児科医のオフィスからはもう水銀の体温計が姿を消しました。そして各家庭の水銀入りの体温計は郡で回収しています。といっても日本ではもうだいぶ昔からデジタル体温計がお目見えしていました。おそらく皆さんのご家庭ではデジタル体温計でしょうか?
それで思い出したのが小さい頃、5才の妹が家で体温計を割ってしまった時のことでした。今でも私は鮮明に覚えています。今思えば恐ろしいことに、妹は体温計を割ってしまったことで親に叱られると思ってそれを隠していました。しかし床のころころとした水銀を見た母はすぐ気づきました。私はその水銀の生体のおもしろさに惹かれ、つまもうにもつまめず、またいくらにでも分散する水銀がおもしろくてそれで遊んだものでした。それにしてもガラスの破片はどうだったのでしょう?全然覚えていませんが、水銀の体温計の話で30年以上も前のできごとが記憶からよみがえりました。
2004.7.16.
夫は家族のためにといい、妻はあなたのためにといい、母親は子どものためにといいます。どうしてこうお互いに負担をかけるのでしょう。負担をかけらたほうはどのように受け止めるでしょう?子どもは、「別に産んでくれとは頼まなかった。」というでしょう。相手のために生きているっていうことはある意味で迷惑ととらわれることがあるのではないでしょうか。子どもを生きがいとしてきた母親。彼女はきっと自分の子どもを自分の理想に近づけようと必死な努力をするでしょう。それって、その子らしい生き方を許さないことではないでしょうか?母親が望むその子の人生は必ずしもその子どもにとって一番幸せな人生と断言できるでしょうか?「ママはね、徹さんに一番いい道を選んであげるからね。だからこうやって塾へいって、いい大学に入れば、きっといい会社にもは入れるし、いいお嫁さんをもらえて、幸せな家庭が望めるわ。ママはね、あなたにとって一番すばらしい人生を準備してあげたいの。」とこれが親の愛情だと誤解していないでしょうか?
それではもし子どもがその親の期待に応えなかったらどうなるでしょう?人のために生きるということは必ず見返りを求めることにもなりえます。「これだけあなたにお金をかけたんだから、ちゃんと勉強してよ。」と。子どもは素直ですから、素直な子どもほどそれに応えようと必死に自分の意思とは逆であっても母親を喜ばせようとします。それでも母親の望む結果に少しも近づけなかったとき、その母親は自分の努力が評価されなかったと落胆し、自分に対して苛立ちを覚え、さらに自分の期待に応えなかった子どもを攻めるかもしれません。自分の努力を子どもを道具に他人に評価してもらいたい母親。子どもは母親の通信簿ではないのです。
母親は子どもを生きがいにしてはいけないのです。たまたまその子どもが世のためのすばらしい結果をもたらしたらそれはあくまでもおまけなのです。皆さんはもうすでにその子どもの人生において最高のプレゼントを与えているのです。それはその子どもに命を与えたことなのです。そのためにも子どもには子ども自身の人生を選ばせ、自分の力で歩ませてあげてください。皆さんの役目は遠くから見守ることだけなのです。それしかできないのです。ひやひやしながらも愛情たっぷりのまなざしでそっと遠くから見てあげるだけで十分なのです。だからこそ自分のために生きましょう。
2004.7.23.
ここウェストチェスターに新しく Full Circle Family Care という自然、癒し、健康、誕生から老いに至るまでの一環したケア、女性をキーワードにこの施設が6月に誕生しました。ここでは助産師、ナース、総合医、栄養士、理学療法士、ソーシャルワーカーなどの専門スタッフを中心に、他にいもヨガのインストラクター、チャイルドバースエジュケーター、母乳コンサルタントも備えて運営に当たっています。この施設を視察すると共にさまざまなプログラムの中でも誕生から生後3か月までの赤ちゃんを持つママ達の子育てグループに参加しました。
今回のテーマは Changes in Roles and Relationships といって赤ちゃんが生まれることによって自分自身がどのように受け止められるようになるかについて話し合っていました。キャリアウーマンからママに、妻から妻プラス母親に、義理の父母との新しい関係などについて話し合っていました。
クラスが開かれている部屋は天窓からうんと太陽がさす、とても快適な空間で行なわれていました。床は清潔な板張りで、アメリカではめずらしく入口に靴を入れる布製の棚があって、そこでぬいで中は土足厳禁になっていました。結局赤ちゃんがはいはいをしたりする空間だからそのような工夫がされていました。背もたれのついたこたつなどに置くいすが円を描くように並べられ、それぞれのいすの前には青い長方形の長い薄いフォームが置かれていて、そこに赤ちゃんを寝かせられるようになっていました。
1時間半のクラスですが、最初の15分くらいはお互いに自由に交流を持ち、その後リーダーの導きによって、質問が投げかけられ、それについてみんなが自分の意見や今、通っている経験などを語り合っていました。リーダーのママ達を会話の中にひきつける能力もさることながら、ママ達も積極的に思いを語っていました。いいたいことはいっぱいある、けれどもわかってくれる人に聞いてもらいたい。そんな気持ちが伝わってきました。「私は、なんか夫がうらやましく感じるの。だって、彼は仕事にいけば赤ちゃんからは解放されるじゃない?けど私はこの子と24時間、離れられないの。たったの5分でもいいからゆったりとシャワーを浴びたいわ。」「義理の母が私の子育ての仕方に対してやたらと文句をつけるのよね。私の頃はこうだったとか、けど私は自分でいいと思った方針を選択したからほっといてほしいのよ。」「おっぱいあげるってやっぱり考えるわよね。だってアメリカじゃ、女性のおっぱいって赤ちゃんのものっていうよりもセックスアピールの象徴じゃない?だからやたらとおっぱいあげられないわよね。」「ねえ、その哺乳瓶どこで買ったの?オンラインで買えるの?サイト教えて」「夜通して寝たらいい赤ちゃんっていうけど、赤ちゃんにいいも悪いもないはずよね。そんなレッテルつけてほしくないわよね。夜中泣くのは赤ちゃんとしては当たり前のことじゃない?」
東西問わず、やはりみんなママ達は多かれ少なかれ同じことに悩み、同じものを求めているんだなとつくづく感じました。大きな違いとしてアメリカ人はけっこう個人的なことでもオープンに話を持ち出すということでした。それゆえにお互いに得るものが大きい。一人の話が比較的長い。話の途中に上手に他の人が自分の意見を重ねて行き、話しが流れている。このあたりの文化の違いは感じました。日本ではレクチャータイプで何かを学び、親しい友人同士でお茶をはなさんで自分の意見を語るというのが主流なのでしょう。人前で自分の私生活や感情をあまりオープンに語らないのが日本の文化なのでしょう。
2004.8.1.
7月31日、25回目の引越しを終えました。なんでノーラさんはそんなに引っ越さなくてはいけないのだろうかと疑問に思うでしょうが、これが私の運命です。自称グローバルジプシーと呼んでいますが、皆さんの中にも同じような運命をたどっている方がいらっしゃるのではないでしょうか。引越しは確かにたいへんです。しかし子どもの年齢が上がると共にものは増えますが、その分、子ども達は自分のものを片付け、梱包し、運ぶようになりました。年齢が小さい時はものがなかった変わりに子どもの世話に手がかかりました。つまりいずれにしろ子どもがいれば同じということですね。
今回の引越しは今までの中で最悪でした。というのも引越し業者が現れなかったからです。あれだけ念を押して前の晩に確認の電話までこちらから入れたのですが、当日どろんでした。一番忙しいはずの日に何もせずひたすら待ってた6時間は悪夢以外に表しようのない精神的な苦痛でした。結局夕方になって私達だけで荷物を運ぶことを決心しました。その日の9時近くになって業者から連絡が入り、バージニアから今帰ってきたところだが、明日の8時にくるがいいかといいます。どのような理由で私達の約束をすっぽかしたのかは真相定かではありませんが、きっぱり断りました。(私の推測ではバージニアの仕事のほうが割がよかったのでしょう。そしていまさらこちらでは他の業者が見つかるわけがないのを知っていて明日に我が家を回そうと思ったのでしょうか?)
31日には大家に家を明け渡す約束でしたし、さらに1日からは新しい家族が引っ越してくるので、夜中までかけ、まるで夜逃げをするようにひたすら我が家のオデッセ(車種名)で何十往復もし、家具を運び、それでもまだ一部残っていたので、次の日にすべてを引き上げると大家に伝え、その日の作業を終えました。しかし、危機を乗り越えた我が家族は一段と絆が強まりました。家族が一体となって、危機脱出のためにお互いに励ましあい、気持ちをひとつにして、力を出し合い目的に向かったことは、何にも変えがたい経験でした。海外ならではの産物でしょうか?
アメリカは世界をリードする先進国と言われています。しかしここ(特に大都会において)で生活をしてみて一番感じることは、この国は先進国と途上国の隣り合わせであることです。それはこの国がたくさんの途上国からの移民で成り立っているからです。彼らのメンタリティーが単にアメリカに来ただけですぐ変わるわけがありません。さらにアメリカは移民の祖国の文化を維持することをサポートしていることにもあります。この進んだ部分と遅れた部分のギャップが大きいのです。これでアメリカに暮らす皆さんの多くの疑問が解明したのではないでしょうか。しかしアメリカの底力とはこれまた将来ベターライフに這い上がろうというハングリー精神によっても支えられているのは無視できません。
2004.8.14.
本日、我が家に新しいメンバーが増えました。4ヶ月の子猫です。まだ名前は決めてないのですが、今のところ、夏に来たのでサマーと呼んでいます。どういう縁か、おそらく縁なのでしょう、その子猫の誕生日が私と同じなのにはびっくり。アメリカではどこで猫を買うのかわからず、ペットショップといっても Petco などでは小動物や魚ばかりで犬や猫はいません。大きなモールにやっと見つけたペットショップでしたが、犬や猫を売っているペットショップの数はものすごく少ない。それならいっそうのこと、たくさん宣伝している、「おうちを探しています」に応えようと、数ヶ月前からここウェストチェスター郡の動物シェルターに足を運んでいました。
我が家から一番近いシェルターはハリソンにあるのですが、そこの衛生管理には少々問題あり。建物に入るなりぷーんとものすごい臭い。さらにスタッフがものすごく少なく、管理人のおばさんはいつも不平不満ばかりをいっている。そこで比較的管理がしっかりしている New Rochelle のシェルターで選ぶことにしました。ここは清潔で衛生管理がしっかりしていて、まだ免疫力の低い月齢の低い子猫は隔離されたところで育てられていました。そしてそこからやっと月齢に達し、外に出られるようになった子猫の中から我が家のサマーを選びました。
サマーが出てくる前に、私と娘はスキッパーに決めようと思っていました。スキッパーはケージにすりよって、ものすごくフレンドリーで遊び好きの猫だったからです。しかしひっかくわ、噛むわ、娘の腕が血だらけ。それに対して隔離飼育室から出されたばかりのサマーはケージの奥のトイレの砂の中にいました。取り出しても腕の中からすり抜けようとする。けれどもそのまんまるい大きな目に一目ぼれ。もうサマーしかいないと決めました。
決まったものの、オフィスの人にいうと、サマーの登録カードがみつからないというのです。待つこと1時間ほど、やっと獣医さんが、Tabby (猫の種類)は2匹だけれども一匹は雄だからきっとこのサマーじゃないかということでやっとそのカードだろうとのこと。しかし果たして本当にそれがサマーかは定かではないが、私としては早くつれて帰りたい。そこで adoption fee の75ドルプラス去勢手術をした後に戻ってくる預かり金の40ドルをクレジットカードで支払い、サマーは予防接種 (Rabies とDistemper)をおしりにいっぺんに2本打って、さらに Dewormer という虫下しを口から飲んでから渡されました。予防接種は15ヶ月になる前にすべてばんばん打たれます。まるで海外育ちの日本人の赤ちゃんと同じだなと思いました。
サマーは元気です。夜になってやっと食事もとるようになり、娘にすり寄って、ひざの上にくつろぐまでなつきました。さて、息子が大学に旅立ち、我が家を巣立ち、代わって私の海外での子育ての開始です。どんなイベントが待ち受けているでしょう。楽しみです。
2004.8.27.
海外での育児で一番私がいつも心配しているのは「孤立した子育て」の危険性です。日本では密室育児と言われますが、日本ですら赤ちゃんが生まれることによって女性は社会から遮断されてしまう可能性があるのです。ましてやそれが海外であるとまずことばの壁から情報がたたれます。さらに情報を得てもことばの壁、および文化の壁から現地の人が出向く集まりなどにも参加しずらいという実態があります。国によっては交通機関を自由に利用できないため、出ることが困難になります。車社会ですと、運転ができないと足を奪われたほどの気持ちになります。さらに現地に着いたばかりの時期はまったく誰一人として知り合いがいないという状況で、にっちもさっちも動けない状態に陥りがちです。船便が届いても、泣く赤ちゃんにまずごはんを作らなくてはいけないという現実の生活から入ります。夫は仕事へ、自分は慣れない異国で右も左もわからない状態で小さな赤ちゃんの世話を任される。誰も助けてくれる人がいない。これはとても心細いものです。
こればかりは時間が解決してくれるしかありません。それならその間どうやって過ごしたらよいのでしょう。健康な人間はやはり人とのつながりによって生き生きしてきます。刑務所に独房があるのを知っていますか?そうです、人間にとって人との関わりをたたれることほどつらい拷問はないのです。まずは外に出ることによって他人と会釈するだけでも、お店の人と会話をするだけでもいいのです。次に赤ちゃんとでかけられる集まりを探してみましょう。引越しの片付けは急ぐ必要ありません。タウン誌、日本食スーパーの掲示板などに集まりの案内がないでしょうか?インターネットでその町に住む人を探してみましょう。まずは日本人とのつながりでよいのです。少しづつ慣れたら現地の人とのつながりを求めればよいでしょう。最初から肩肘張って絶対に現地に溶け込むと意気込まないほうがよいと思います。かえって遠回りをしてしまいます。
精神面での健康がないと、外に出る意欲もわかなくなるものです。妊娠中のあなたでしたら、人とのふれあいを求める中でまだ余裕があったら、なにか打ち込むものを探しましょう。現地の食材を工夫したお料理でもいいですし、趣味の何かでもいいですし、楽器に親しむのもよいでしょう。子どもが家を出たらあなたでしたら、現地のボランティア組織に連絡をとってみましょう。何をやるかというよりも人とのふれあいの中でなにかコミュニティーのために動くとよいでしょう。
皆さんの滞在国ではどの程度殺虫剤について話題が上がっていますか?先進国だからきっと規制がきびしいのだろう、なんて安心していませんか。先進国であっても、規制があるようでいてもその規制が実際に執行されていなければまったく意味をなしません。
2004.09.10.
皆さんの家の周りは緑がいっぱいでりすなどがいて自然がいっぱいだと感じられているかもしれません。しかし、蚊はどうですか?ハエはどうですか?ありはどうですか?日本と比べるとこれらの害虫がうんと少ないと感じられていませんか?それって表面的な自然であって、本当の自然ではないのかもしれません。つまり本当に自然が保たれているのであれば、それは決して人間にとっては住みやすい環境とはいえないのかもしれません。自然と人間との共存はそれほどむずかしいのです。
ニューヨークの郊外は緑がいっぱいですが、きれいに手入れをされた緑の芝生では除草剤がばんばんまかれています。殺虫剤も木やしげみにまかれています。スーパーでは殺虫剤のあらゆる種類が棚を飾っています。ある大手のファーストフード店では衛生基準を満たすために、殺菌、除菌、害虫除去のために化学物質をまき、それが隣のペットショップにまで流れ、鳥が全滅したという事件がありました。さらには訓練の浅い若いアルバイトの青年が殺虫剤の扱い方に慣れておらず、ライセンスももっておらず、木に殺虫剤をまいた直後、化学物質による中毒で亡くなったケースもありました。
スーパーなどの棚に売られているから、家庭用の殺虫剤だからと安心しがちですが、決してそうとは限りません。殺虫剤、除草剤を使用する場合は注意書きを隅から隅まで熟読して、使用法に従い、保存管理方法、使用済みの処理法など、使うものも、使った後の処理を扱うものにも危険な状況を作らないようにいまひとつ、おうちの中のものをチェックしてみてください。特に殺虫用スプレーは赤ちゃんやペットがいるところでは使わないように。
2004.9.17.
皆さんはどの程度本を読まれますか?いまやテレビが発達し、DVDが簡単に借りられますし、パソコンの前で時を過ごす時間も増えました。そうなるこのところあまり本を読んでいないことに気づかれることでしょう。しかし、本は画面がものすごいスピードで展開していくテレビなどと比べて、私たちに考えるチャンスを与え、想像力を高めてくれます。海外の地域によっては電車で移動することも少ないので、その分、日本にいたときより活字から遠ざかっていらっしゃる方もいるのでは。また子育て中はとてもじゃないけど忙しくて、疲れて本は読めないというママもいるでしょう。
しかし、私たちの本に対する姿勢こそ子どもたちの本好き、本嫌いを決定するのでは?最近ではちょっと絵本の読み聞かせがブームになっています。これをきっかけに絵本の楽しみ方について考えてみては?
絵本は遊び道具の一部です。ただ買い与えればいいものでなく、絵本はお母さんといっしょに楽しいひとときを過ごすためのものと考えてはいかがでしょうか。「いないないば」の本にしてもアクションとママの語りかけなしにこの本は楽しめません。絵本を楽しむときに、子どもの心が動き、揺さぶられ、楽しいと感じられたらママ自身も絵本を楽しんでいる証拠でしょう。
絵本はあえて最初のページから最後のページまで絶対に読まなくてはならないというものではありません。子どもがあきたら、そこでやめてもいいし、子どもが読みたいと思ったところから読み始めてもいいと思います。大切なことは読み手も、子どもも楽しんでいるということだと思います。
また絵本はいくらでもことばを足すことができます。まだ読める段階でないので、ママやパパがおおいに子どもにその場、その場で子どもに問いかけてよいでしょう。「あら、羊さんどこいっちゃったのかな〜?」というと子どもは必死になってそのページの羊さんを探すでしょう。もしかしたら次のページにいるのかな?どんどんめくってしまってもいいでしょう。落ち着きがないとか思わないで、この子は次に何がくるのかとってもこの本に惹かれてるんだと解釈しては?この段階ではまず絵本に親しむことでしょう。そしてやがて年齢とともに話の展開が理解できてくるとページめくりは減るでしょう。
本自体を動かしてもいいでしょう。たとえば飛行機が飛ぶ場面では、その飛行機のページをあたかもその飛行機が空を飛んでいるように動かしてもよいでしょう。アクションが伴うとさらに楽しいものです。
日本語の本がないなんて弱音をはかないでください。滞在国の本を日本語で読んであげてもいいのですから。特に絵がきれいなもの、楽しいものは惹かれますし、日本にも訳のある本でしたら、内容がわかるでしょう。「あれ、ママ、タイ語も読めてるんだ」なんて驚かれるかな?
息子は大好きな本があって、それを毎日のように読んでとせがみました。私は読むたびにことばを変えてみたりして変化を出していましたが、やがてそれもばれて、「ちゃんと読んで」と書かれたとおりに読めというのです。ある日、息子が一人で読んでいるとき、まだ文字もわからないのに、本に書かれたとおりに丸暗記していました。今でもその本だけは私の宝となっています。皆さんもそんな宝の本に子どもが出合えるように今から本に親しませてあげてください。
2004.9.24.
帰国したら日本で子どもがいじめに会うんじゃないか?というのは多くの海外日本人ママが心配していることです。7,8年前にはかなりいじめが深刻化しましたが、最近では対策もとられ、どのように対処したらよいかを話し合ってきました。そんな私も国際いじめ会議などの通訳を勤めたり、常にいじめの情報には目を通してきました。
親としては、子どもが誰かをいじめているというと普通、子どもに対してお説教をしたり、「弱い子をいじめちゃだめでしょ。」とか「もう1週間、テレビはなしよ。」などと罰を与えているかもしれません。しかし、どうやらそのような説教じみた話も、こうすべきだとかこうなるのよなどという上からの押さえつけはあまり効果がないように思えます。どうやら一番効果的なことは、いじめる側もいじめられる側もそれぞれが相手の立場にたったときにどのように感じるかについて徹底的に気持ちを体験させ、そこからじゃ、君はどうする?どうしてほしい?と本人が考えて答えを出すことが一番ではないでしょうか?
このような親の質問の投げかけ、思考の誘導、本人が感じ、考え、答えを見出すというプロセスはなかなか技術を要するものであり、訓練が必要だと思います。そのためにも常日頃から、本人に質問を投げかけて考えさせるという訓練をすることではないでしょうか。特に大きな子どもですと、親から何か命ぜられたり、支持されることに反発を覚えるので、そのためにも本人が納得した答えを行動に起こすほうがよいと思います。
このように相手の立場にたって気持ちを理解したり、自分の感情の変化に気づいたり、それによって行動を起こした場合にどのような結果になるか、そして最後にじゃ、一番よい答えはなんなのかと考えるプロセスは早ければもう4歳くらいで習得できるのではないでしょうか。この訓練を続ければ、人に頼らず自分で解決する自立性が生まれるのだと私は信じています。皆さんも子どもに教訓を伝える前に、子どもたちが何を考えているのかを質問の投げかけから始めて、探ってみると意外な成長に驚くと思います。
2004.9.29.
先日、アメリカでの子育てをテーマにしたセミナーが開催されました。ニューヨークまではいけないけどトピックスに興味があるという方にセミナーで話したことをまとめてみます。
アメリカと日本を比較してみると、いろいろな子育てにおける違いが見られます。「ベビーカーで外出するといろいろな人が助けてくれる」しかしこんなアメリカが好きと思われるところでも裏を返せば、日本のようにどこにでも自動ドアがないから重いドアを誰かが押さえてくれないといけないのはアメリカの不便さ?日本はベビーフレンドリー、おむつ替えの台があったり、どこも自動ドア。けれども日本だから好きと思われるそのような面は、人とのコミュニケーションの機会を奪い取ってしまってるのではないでしょうか?子どもを気軽に預けられるアメリカが好き。夫婦でコンサート、ママはスポーツジムへ。けれどもどこへでも子どもが歓迎される日本は子どもにとっては天国でママは安心。
このように比較していって何が見えてくるかというと、アメリカにはアメリカという文化、習慣、生活形態、価値観に沿った子育てが存在しているということ、そして日本には日本の子どもに対する社会の見方、家族における子どもの位置、その土地や気候にあった子育てが存在しているということ。つまり、違いは一目瞭然であるけれども、それは甲乙がつけられない、つまりどっちがいいとか悪いとかいえるものでなく、ただ国が違えば子育ての仕方も変わるということであり、その両方の文化の板ばさみの中で子育てをしている日本人の皆さんは、実は両文化のよい子育てを取り入れながら、自分なりの子育て方針をたて、それに自信を持てばよいということです。
今、日本で子育てをしているお母様方の多くが悩んでいる、どう育てたらいいのかわからないという迷い。情報過多の中で何がわが子にとって一番なのか選べない悩み。それがアメリカではあらゆる可能性が開かれる環境があり、余裕がある中で子どもとしっかり向き合い、子どもを知ることができ、それゆえに我が家の育児方針がたてやすい環境にいるわけです。そのような環境が今、与えられているということを認識し、子どもと自分にとって一番の子育てを選んでいく訓練をここにいる間に養い、それを是非日本に持ち帰っていただきたいと私は願います。
2004.10.1.
よく子どものためにがんばれたという声を聞くが、本当の意味でそれを理解できるのは、自分自身がそれを感じてはじめてわかることだと思う。本当に親というものは、底知れぬ愛情を子どもにいだくものである。もしそれがないというのであれば、それはとても残念なことであり、恋人とも違う、もっともっと無条件な愛情というものを子どもには感じるのではないだろうか。だから赤ちゃんの時期があり、そのなんともいえない無邪気な、心の純潔な時期があるからこそ、思春期になってあれだけ反抗したり、道をそれそうになっても親はその子を手放さないのだと思う。
そんな子どものためならまた無条件に親はエネルギーを発するのではないだろうか?少なくとも私はそれを何度も経験してきた。そしてそれが生後1ヶ月で高熱を出し入院したときのあの頃だけでなく、子どもの成長の節々で親は常に子どもを守るために限りないエネルギーを発するのだ。子どもが巣立つまでの18年間をひとつの節目としてゴールを定めたのなら、その18年間はなにがなんでも子どものために親は勤める。お金がなくなったときに、リストラにあったサラリーマンが部長の座を退き、タクシーの運転手を始めたのもそれは子どもへの愛情、家族のためではないだろうか。子どものためならなんでもできるって本当だと思う。
海外で子どもが慣れない土地で、慣れないことばで、慣れない環境でがんばってる。わからない英語で最初はあれほど泣いていたのに、3年たってうんとがんばった結果ここまで成長した。自分の力で成長したのもそうだろうが、それ以上にあれだけいやがっていながらもがんばったその成果はみんなが評価すべきだ。特に親はそれをうんとうんと評価すべきだ。よくがんばったね。すごいよ。ママはXXちゃんを誇りに思うよ。とうんとほめてあげるべきだ。そしてその子はこの先人生においてさまざまな壁にぶつかっても、海外でがんばれたことを評価されたことで自信を持ち、あらゆるチャレンジに向かいあい、克服していくであろう。
泣いていた3年間であっても、その時間は決して無駄ではないのだ。トンネルの中を走っているときは、周りが見えない、先が見えない、進歩がないようにみえる3年間であっても、実は着実に子どもは成長していってるのだ。人生に無駄はない。私はこのことばを実感せざるを得ない。親にできることは、その子を愛し、しっかりと受け止め、励まし、そして見守ることだけで十分なのだ。あとは本人の力を信じること。これと決めた育児方針、教育方針をたてたら、最後の最後までよほどのことがない限り貫き通すことも大切だ。子どもの人生はまだ始まったばかりである。そのスタートが海外であっても日本であっても基本的には同じなのだ。要はどの国おいても、つらいときも、うれしいときも家族いっしょにいることだ。
2004.10.8.
異なる文化、習慣、価値観をもつ人たちと生活する中で、私たちは共通点を見出しながらも、相違点を多々発見するものです。その発見も新鮮なうちはまだしも、度重なる行き違い、考え方の違いによる摩擦や衝突にでくわすと、「ああ、もう日本に帰りたい」という気持ちになります。その背景には、自分がcomfortable なものの考え方に相手をなんとか従わせたいという気持ちの表れでもあります。けれどもそれはしょせん無理でしょう。
本当の意味で、culturally competent な人間、つまりさまざまな文化の狭間に自分を置きながらも、相手の見方を尊重し、かつ受け入れ、そして共存していくために必要な能力を備えた人間とはどのような人間をさすのでしょうか?
Cross & Brazon 氏らによると、それは ・ 違いを認識し、受け入れられる人 ・ 自分自身がどのような文化によって育まれ、さらにはそれが自分の価値観にどのように影響しているかを理解している人 ・ 違いがもたらすすばらしさが理解できる人 ・ 常に相手の文化、習慣などを知りたいという気持ちが働いている人 ・ 文化の異なる人が生きる生活システムの中に自分の身を置き、適応できる人 と記しています。
さて、皆さんはどうでしょうか?自分と異なる文化の人を受け入れることはとてもむずかしいことです。私は相手の価値観、習慣などを理解するにはその人といっしょに寝食をともにしなければ本当の意味では理解できないと思うほどです。夫婦でも寝食ともにしていてなおわからないことがあるくらいですから、他人となればもっとむずかしいはずです。それだけむずかしい課題の中で仕事をし、生活をすることは並大抵なことではないのです。そのような環境の中にいる皆さん、きっと日本のよさも見つめなおしているのではないでしょうか?
2004.10.15.
おそらく私は人一倍正義感が強い人間だと思う。それは私が育った環境が影響しているのがよくわかる。その発端はアメリカのニューヨークでの学校生活から始まった。私は小学校1年生のときにニューヨークに渡り、現地校に入学した。1960年当時はまだ黒人差別の余韻が強く残っていた。私の住むリバーデール地域は白人住居区で黒人はほとんどいなかった。それでも学校側は黒人にもよい教育環境をとブロンクスの南の地域から黒人生徒をバスで連れてきていた。しかし、同じ学校にいながらも彼らは同じ黒人同士で食事をし、遊んでいた。
人種差別をなくした社会を望んだマーチン・ルーサー・キングの影響も強かった。そして私自身も人種差別を受け、さらに体験的に差別の世界で生きていくことを実感した。そのようなことも含め、人種差別はあってはならないと思うし、それを平然と行う人間に対して私は怒りを感じる。
今日こんな話を読んだ。修学旅行のプログラムの一部にみんなでテーマパークに行く計画がされていた。しかし、先生はある13才の黒人の男の子に彼だけがいけないことを前の晩に告げ、いっしょにホテルの部屋で待機していようと伝えた。まだ差別が公然とされていた頃で、彼は一人部屋に入って泣いていた。そんな彼をみた白人の友達が、じゃ、ぼくもいかないと言い出し、次から次へとテーマパークへ行かない白人の子どもたちが名をつらねてきた。その子が得たことは人種差別への戦いは武器や争いでなく、このような心によって勝利を勝ち取ることだと学んだという。
黒人の差別に対する怒りはものすごいものがあると感じる。それはパワーでもあり、怒りという戦いにいどむためのすごい原動力でもある。そのようなパワーの存在するニューヨークに住み、彼らと仕事をしたり、活動をしていくなかで、この国は歴史上、取り返しのつかない大きな失敗をしてきたのだとつくづく感じる。
2004.10.29.
生きていること、それ自身が常に学びであり、成長なのです。私も毎日のように驚くこと、気づくこと、はっとすることを感じています。常に自分の持っていた今までの価値観やものの考え方が180度くつがえさえることがあります。ということはいかに私たちの偏見がまだ知らぬ世界を見る視野を狭めているかということでもあります。
先日、ブラジルの友人が訪れました。私は彼女が自分の文化に対してものすごく誇りを持っていることに感動しました。彼女は二言目には「私の国では〜」というのです。そしてそのことに誇りを持って話すのです。たとえば子どもを他人に預けることに関しても、彼女は絶対に他人には預けないと主張していました。おそらくアメリカ人の発想でしたら、預けられない母親は子離れができてない人とレッテルをつけるかもしれません。しかし、相手の文化を尊重するということは、そのような考えを受け入れるということです。つまり私たちの価値観で相手の考えを批判するのではなく、そういう考えもあっていいのだと認めることなのです。
ソーシャルワーカーは、偏見をもたず、常に自分の価値観を問うように訓練されています。しかし実際には、ほとんどのソーシャルワーカーが白人であり、彼らはなかなか少数民族の価値観やものの考え方が理解できないと話しています。しかしたとえ根底で理解できなくても、少数民族の人たちの生活の仕方を受け入れないとそれは将来、ソーシャルワーカーの存在すら否定することになりかねません。しかも、州の認定心理療法士の資格も少数民族のソーシャルワーカーが受けるには高額で、ことばがむずかしく、一番必要とされるソーシャルワーカーがこの試験に合格できないというからまわりが起きています。
異なる民族の人たちと協調して生きていくことはむずかしい課題であり、長い年月を要し、改善に改善を積み重ねていかないと実現しないことだと確信する今日、このごろです。
2004.11.8.
ニューヨークマラソンは世界的にも有名であるが、ここニューヨークに住んでいて、ニューヨークマラソンを見ない手はない。私が、マラソンを見に行きたいといったら、周りの人は、「そんな人が走っているのを見て、何がおもしろい」と反応された。しかし、マラソンはただ走っている人を見るものではない。そこにはドラマがあるからだ。2004.11.8.のNYタイムスにこんな記事が載っていた。ビルは52才。彼は今年で15回目のマラソンへの参加である。スタティンアイランドをスタートにブルックリン、クイーンズ、ブロンクス、そしてマンハッタンと5つの区にまたがる40キロほどの行程を走る。時間制限はない。彼は朝8時に出発し、夜の7時に完走した。一番早い人で2時間で終えるところをなぜビルはそんなに時間がかかったのか?
ビルは重症な脳性小児麻痺をわずらっている。普段、モーター付きの車椅子で生活しているビルは今回のレースには車椅子での参加。しかも後ろ向きにすわって、足で一歩一歩道路をけっての走行である。だから町ではもうサインをとりはずし、道路掃除が始まり、車も走行できる状態になってもビルは減速することなく、変わらぬペースで地面をけっていった。そして完走。なぜ走るのか?という質問に対し、彼は、「やめられないんだよ。とにかくチャレンジだからね」と笑みを浮かべて答える。そう、彼はまさにチャレンジャーなのだ。
さらにそんな彼を、応援していた道路わきで発見して以来過去6年間彼を励まし、全行程をサポートしながらいっしょに走ったデレックにも拍手を送りたい。彼ばかりでなく、この日までビルのそばにいた人は何人もいる。彼のパーソナルトレーナーのリプズイーは「ビルはいつも幸せな顔をしている」という。なんという前向き思考だろう。
すべてがこの小さな頭の中で決まるのではなかろうか。私たちは本当に不幸であろうか?早く日本に帰りたい、現地の人がいやだ、友達がいない、ことばが話せない、お金がない、夫婦仲がうまくいってない、子どもが問題ばかり起こす。私たちは本当に多くの悩みをもっているように思えるが、本当にそれらはビルからみて悩みに写るだろうか?
2004.11.19.
障害を持った子ども、病気を持った子どもを対象とするソーシャルワーカーとして、どうしても子どもの死と向き合わなくてはいけないときがある。このたび11月18日にMarfan Syndrome という先天性の病気をもったDちゃんを天国へ送った。私はDちゃんの両親を主にカウンセリングしていた。19日の晩、Dちゃんの母親から連絡があった。「Dが天国へいきました。最後は私の腕の中でした。」という報告であった。そして21日にお通夜があり、私はその場に出席した。
アメリカで初めて行くお通夜でいったい何を持って言ったらいいのか、何をもって臨むべきなのか、どのような心の準備が必要なのか、なんと彼らを励ましたらいいのか、わからないことだらけであった。しかし、気持ちだけはあった。Dちゃんに最後のお別れをしたかった。だから当日午後12時にFuneral Home とよばれる場所へ出向いた。
日本のようにお線香の香りがすることもなく、その場は静粛でなんともいえない重い空気がただよっていた。しかし入り口にはDちゃんの写真を真ん中に貼った大きなポスターがかかげられていた。それはDちゃんからのメッセージであった。今まで4回の手術に耐え、そのたびに元気になっていったこと。自分は決してあきらめないファイターであったこと。けれども今回だけはもうからだが持たなかったこと。そして面々とお世話になった人たちへの感謝ということで名前が連ねてあった。病気と共に闘ってくれた医師ら、入院中の看護婦、家でケアをしてくれたナースの名前、そしてさまざまなサービスにつなげてくれたサービスコーディネーター、精神的な支えとなったソーシャルワーカー。そう、そのソーシャルワーカーの名前の中になんと私の名前を見つけた。しかも一番上に書かれていた。私は当時インターンの身分でたいして力になれなかったと思っていたが、毎週彼らの家を訪問し、一番身近な存在だったのかもしれない。
中に入るとそこにはいすがいくつか列になって並べられ、周りはDちゃんの思い出の写真で埋め尽くされていた。彼女の描いた絵、大切にしていたおもちゃ。そして部屋の中心にDちゃんは寝ていた。そしてそれをそっと見守るように両親がソファにすわっていた。私はDちゃんの母親をそっと抱きしめ、”I'm so sorry"と伝え、今、Dちゃんは苦しみから解放され、神様の腕の中にいるわねと伝えた。そしてDちゃんのほうへ向かった。2才だった小さなDちゃんは一番小さなお棺に入っていた。きれいな白いドレスと白いシルクの長い手袋をしていた。私はなんども彼女の手に触れ、その手をなでていた。その手は冷たく、私がいつも触っていた小さくてぷくぷくとした温かい手ではなかった。こみ上げてくる涙をおさえられず、最後の別れを告げた。
5才の姉にあたるRちゃんは何度も妹のもとへ足を運んでいた。しかし訪れた友達と夢中になっておしゃべりをする場面もあった。いったい彼女は妹の死をいま、どのように受け止めているのだろうか。残されたものが一番つらいのかもしれない。
2004.11.26.
11月10日、友人のSのもとに女の子が生まれた。彼女は糖尿病の持病を持っていて、気をつけていたものの、血圧が上がりすぎ、2週間の入院の後、10日に計画分娩で出産。そして驚いたことにリアちゃんの体重は10ポンド、4540グラムである。チョー巨大ベビーだ。顔も生まれたての赤ちゃんというよりはもう3ヶ月くらいの赤ちゃんの顔。
そんな彼女に誕生プレゼントを選びに、今日Buy Buy Baby という店に出向いた。アメリカには赤ちゃん製品を専門に扱っている店がいくつかある。日本でも私は赤ちゃん本舗にかなりお世話になったが、こちらにはBuyBuyBaby のほかに有名なのはBabys R Us がある。
欧米では赤ちゃんを迎えるにあたって、赤ちゃんの部屋を整える習慣がある。その子だけの一室のため、親は壁をぬりかえ、ベッドやおむつ替えのスタンド、ロッキングチェアなどの家具を準備する。そして一番の楽しみはベッドのふとんセット、おむつ入れ、カーテンとすべてを統一することだ。中には壁のボーダーまでもマッチングさせるケースもある。
そしてお店でもセットとしてベッドのふとんセット、ベッドの周りにつけるキルティングパッド、おむつ入れが統一された柄になって売られている。そのため、私はベッドにかけるおむつ入れを個別で買おうと思ったがそれができないことがわかった。
しかし他のものはだいたいそろった。まずベッド、チャイルドシート、ストローラーにとりつけられる Lamaze というブランドのぶらさげるおもちゃが3つセットになったもの、歯がため用の透明なリングの輪の中に6色の動物が入ったもの、同じくストローラーなどにとりつけるリングのセット、色だけでも10色もあった。ピンク、白、パープルのよだれかけ、旅行先で病気になったときに必要となる7つ道具(つめきり、体温計、薬計量スプーン、鼻汁吸引するもの、スポイト)おしゃぶりを落とさないための洋服につけるクリップ。これは6色もあったのでどのくまさんにしようかと迷ったがどの洋服の色にも合う白に決めた。車の窓からの直射日光をさけるためシェード。手づかみで食べられる時期がきたら食べ物を直接マットにおいてつかえるテーブルマットでさらにこぼしたものを受けられるポケットがついた黄色いかばさんのゴムのような樹脂でできた吸盤付きのマット。はいはいを始めたら必要となるコンセントのカバー。そして最後に2歳くらいになってトイレが使えるようになったら、外出の時に、外のトイレの上における折りたたみ式の補助シートを買った。
これで1年間、成長と共に新しいものを出していけると思った。どうだろうこの考え。きっと洋服やブランケット類などはたくさんもらうだろから、生活に密着したものばかりを選んだ。そしてなによりも買い物が楽しかった。新製品、いまどきの育児を反映するハイテク品。18年前、息子を育てていた頃のことをひとつひとつ思い出す機会も与えてくれた。そして何よりもその店であったたくさんの赤ちゃんをあやす機会を与えられ、また彼らからたくさんの笑顔と元気をもらってきた。
2004.12.3.
先日出産した35才のアメリカ人と話していて彼女のあまりにも合理的な育児への取り組みに驚きを隠せなかった。確かに多少ハイリスクであった彼女だが、最初から帝王切開を選んでいた。さらに母乳も上げるつもりはまったくないという考えだ。最近アメリカでは帝王切開が増えていると医療関係者の間で話し合われていたが、その実態を間近で見たような気がした。
90年代、私は帝王切開の後、経膣分娩を試みることを考えてもよいのではと伝えていた。しかし、最近、切開後の経膣分娩をさせてくれるドクターがアメリカや海外の多くの国で少ないということがわかってきた。特にアメリカにおいては、子どもに何か異常を持って生まれてきたり、母親が分娩により問題が起こると出産に立ち会った産婦人科医が訴えられるケースがたいへん多い。医療業界の中でも産婦人科医が訴えられるケースが一番高いといい、ADHD(多動症)なども分娩時に問題があったのではないかと、子どもがのちのち診断された10年後に当時出産に立ち会ったドクターを訴えるケースも増えている。さらにはそのようなことゆえに産婦人科医になることを断念する医者の卵も多いという。
帝王切開後の経膣分娩についても、子宮破裂や出血多量などで問題が多いケースがあり、多くの病院や産婦人科医は訴えられることを避けたいがゆえに帝王切開を以前経験した妊婦には再度帝王切開で出産することを強く勧めている。また妊婦側でもすんなりと受け入れるケースがほとんどだという。いまや子どもの数も多くないがゆえに子どもが無事生まれればの選択を優先するようだ。さらには自然分娩を試みる場合、ハイリスク妊婦であるとそれなりのエキストラバックアップスタッフを確保するため、その時間的コストと医療スタッフのスタンバイコストも考えると最初から計画分娩で帝王切開による出産を行ったほうが医療側、患者側の双方にとって納得の行く処置だという。それでも二度の帝王切開はいやというかたくなな女性は病院の駐車場で生まれるぎりぎりまで待機したり、家庭分娩を選んでいるが、それはリスクがあまりにも高いと医療関係者は問題点をなげいている。
つまりあらゆる面で先をいっていたアメリカがまた一歩後退というかまるで10年前、20年前の慣わしに戻っているように思える。現に助産婦による家庭分娩、助産婦によるバースセンターでの分娩などはごく一部の自然派をサポートする女性の間でしか人気がない。助産婦による出産といってもいまや病院での出産であり、さらに無痛分娩も多い。人間の生活が自然から遠のけば遠のくほど、女性のからだもそれにそって変化し、自然といわれていたお産もじょじょに自然から遠のいていっているのかもしれない。そのため、自然なお産を迎えるからだと気持ちができていない時に自然なお産だけを求めること事態矛盾が生じているのかもしれない。
2004.12.10.
子育ては一生勉強。特に子どもが目の前にいるこの時期、私たち親は常に勉強しなくてはならないと思う。子どもの育て方についても一度読んだから、一度聞いたからもうなんでもわかったと思わず、機会あるごとに子育てについて学ぶべきだと思う。なぜならこのような教訓は必要なときに効力を発揮するからだ。必要でないときに聞いても頭に入らない、ましてや行動に現れない。子育てに悩んでいるときに勉強するとすぐ今日からでもその教訓をいかせる。しかし、悩む前に対策を打っておくことも大切だ。
子育ての一番の目標は何だろう?それは子どもが自立できるようになることだ。つまり成人したら家から出て自分の足で生活していけるようにすることだ。そのためにはどうしたらいいか?そのプロセスは生まれたその瞬間から始まる。
赤ちゃんが泣く、親は飛んでいく。さあ、もうこの時点で子どもは親をコントロールできることを学ぶ。つまりこんな小さなときから子どもは親をコントロールするようにプログラムされているのだ。泣いてもこないとわかると子どもはじゃ、どうしたらよいかを考える。まあ、しょうがないか、このおしゃぶりをしゃぶって寝よう、と。つまり人生のつらいことを自分で対処できるようになる。そのためには、甘やかさない。親は子どもが自分で問題を解決できる力をつけるためにガイドするのが役目。つまりどうしたらいいか悩んでいるときには聞いてあげる。
甘やかさない親に対し、子どもはいじわる、最低な母親というだろう。けれども言わせておけばいい。親はとかく自分のしつけの仕方を周りの人の目を気にしながら行う傾向がある。甘やかさないしつけにもっと親は自信を持つべきだ。実は子どもは自分で解決する能力を実は備えている。それを親が先走って解決しようとするから子どもはいつまでたっても自立できなくなる。つまり自分で自分の行動に責任をとらない子どもに育てるといつまでたっても成長しない。
子どもは常に親のリミットにチャレンジする。私たちの役目はどこまで許するかという線を常にひいておいてあげること。それによって子どもは安心する。安心があって初めて子どもはチャレンジにのぞむことができるようになる。
日本の子育てがこれだけ問題として表面化しているひとつの原因は豊かさにある。豊かさの中でがまんを教えることはむずかしい。しかしこの我慢、感情のコントロールができないと、成長につながらない。甘やかさない!他の家庭と比べない!我が家の育児方針をつらぬく精神的な強さを持つ!ことを伝えたい。
2004.12.24.
世界の暮らしをライフワークとして研究し続け、常に興味を持ち続けている。そんな中、住みやすい国というのは本当にあるのだろうかと思い始めた。中国のいなかでは職がなく、せいぜい1日働いても100円程度しか収入が得られない。それゆえに夫婦は子どもを老夫婦に預けて都会へ出稼ぎにいくという。母親は上海の工場へ、父親は北京の工事現場へ。正月だけでもいなかに戻って子どもに会いたくても6月まで続けて就労しないと7500円を給料から差し引くという。
どの国でも親の子どもへの愛は大きい。子どもの将来のためならなんとしてもその子の希望をかなえてあげたい。そう願うのは万国共通だ。中国でも年間教育費が5000円かかるという。夫婦の全収入が年間3万円とすると教育費がしめる割りあいは大きい。さらには父親が持病をもっており、その治療費も必要なため1日500円稼げる出稼ぎはやむをえないという。
つまり彼らがこれほどまでに身をけずってまで働く最大の理由は教育と医療なのだ。ふと考えてみたときそれはなんら先進国と変わらないではないかと思った。アメリカでは医療保険が毎月10万円をしめる。さらに教育費は私立大学で2時間の授業が3万円もするのだ。子どものためと思えばどんなにでもがんばれると思っても、高額な家賃を払い、毎月ある程度の豊かさを求めたら最低限でも70万円も必要とする国なのだ。
毎月収入がなければ生き倒れが生じてもおかしくない。毎月の支払額を見て頭がおかしくならないほうが変なのだ。こうみてくると数字の桁数だけは違っていても基本的には先進国も発展途上国も大差ないのではないかと思ってきた。
そうなると大切なことは人にとって何が幸せかというところに尽きるのではないだろうか。人にとって幸せとは?考えさせられる。 ▲ トップへ
