今日のひとこと
2000年の3月より、海外出産・育児コンサルタントとして感じたこと、国際医療ソーシャルワーカーとして感じたこと、海外生活体験者として感じたこと、母親として感じたこと、女として感じたこと、そして何よりもノーラ・コーリ個人として感じたことを今日のひとことで毎週つづってきました。以下はバックナンバーです。
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2003.1.3.
ケア・ワールドを応援してくださる皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
今日、ニューヨークはちらほらと雪が降っています。去年の冬と比べるとだんぜん雪が多い今年です。そんな今日も街角ではクラックというメンバーがちらしを配っていると思います。クラックという団体は、子どもを育てることができない人たちに永久避妊あるいは長期避妊を勧める運動をしています。配っているちらしには永久避妊を受け、育てられない子どもを産むことにストップをかけましょうと銘打っています。さらに永久避妊(女性なら卵管を結ぶ手術、男性ならパイプカット)後に200ドルもらえると書かれています。これには驚きました。私はてっきり200ドルで永久避妊の手術を受けられるのかと思っていたらその逆だったのです。
永久避妊を勧める対象者は主に麻薬などのドラッグ中毒者、アルコール中毒者です。ピルなどを買うお金がない人たちです。精神病棟の救急チームに勤める病院のソーシャルワーカーの話ではこれらの女性はホームレスでHIV感染者でドラッグをしていて、もう赤ちゃんはほしくないと希望している人たちで、そのワーカーはクラックの団体の仕事を支持しています。これらの女性に生まれてくる子どもたちは結局フォスターホーム(日本では孤児院になる)をたらいまわしにされ、誰にも引き取られることなく社会に出て問題を起こし、刑務所行きというケースがとても多いのです。アルコール中毒の母親に生まれた子どもは脳障害があったり、発達も遅れていて結局は不幸な人生を担うことになります。
そのため、生まれる前にこの悲しい一連の流れを食い止められるのであればそれに越したことはないと思います。中絶よりはるかによいでしょう。しかし、問題は一度これらの手術を受けたら子どもがほしくなったときに元に戻ることはできないということです。本当に彼女達にとってこの選択が将来的にも正しいものかどうか。一度過ちを犯し、その道に入ったら一生出られないということでもないわけです。倫理が検討されるところですが、少なくともその背後に犠牲になっている子ヌもたちを目の当たりにすると、子どもを育てられない人は子どもを産む権利はないと私は主張せざるを得ません。皆さんはどう考えますか?
2003.1.10.
アメリカに来て二度目。娘がまた時間になっても家に帰ってこないという事件が起きました。私はそのたびに心が裂けるような心配にみまわれます。日本でも何度かこのようなことがありましたが、アメリカでは想像することがけたはずれに違います。つまり最悪のことを考えてしまいます。子どもの誘拐が多いことも聞いていますし、その子たちがどのような仕打ちを受けるのかもニュースで報道されます。さらにアメリカでは精神病院では収容しきれない軽い症状の精神障害を持った人々を社会が受け入れています。そのため、外から見てもすぐわかるけれども危害は与えそうにないというような人をよく見かけます。社会がそのような障害を持った人を受け入れるということはよいことだと思いますが、親の心配は増えます。
けれどもこのようにいてもたってもいられず、何も手につかない。食事ものどを通らない。このような経験を通して、子どもが行方不明になった多くの親の気持ちが痛いほどわかります。彼らは私のように1時間どころじゃなく、その後数時間、数日、数週間、そして何年と私が体験した同じ心配を抱えていくかと思うとその心配で一気にふけてしまうのも納得いきます。
親が子を思う気持ち。動物の母親が子どもを必死に守るあの姿勢、そのものです。親は何が何でも子どもを守る本能みたいなものがあるのでしょう。しかし、ある意味でこういう無条件に子どもを愛し、守りたいという強い願望を経験できるのは親になれたからこそ、そしてこれは特権かもしれません。悩む子どもがいる、それだけでも幸せなのかもしれません。とにかく生きててよかった。もうそれで十分。
もうひと言。最近崩壊家庭に育った大人たちと接し、子どもたちと接し感じること。それは安定した家庭を持つことの大切さです。わかっているようでいて、それが悪い結果にまわるとどうなるか。それを目の当たりにしています。結果から言うとその子どもの一生を左右するほどの影響力といわざるを得ません。子どものために分かれないことを決意しているカップルはたくさんいます。しかし両親のけんかを見て育つ子どもたちは自分達の家庭を築くむずかしさを通ります。安定した家族を築く大切さ、これは何度語っても語りきれないように思えます。
2003.1.10.
子どもを二人産んでからあるいは三人産んでから、もう子どもはいらないと考える方も多いと思います。しかし、今まで永久不妊は女性が不妊手術を受けるか男性が受けるかのチョイスしかありませんでした。ピルはホルモンですので、副作用が心配でした。
アメリカでは35−39歳の女性が不妊手術を受ける割合は41%といい、40-44歳の女性で不妊手術を受ける割合は50%だといいます。つまり40歳から44歳の間で計画外妊娠をする人が案外多いそうです。アメリカでは合理的なのでしょうか、年間70万人の女性が不妊手術を受けています。不妊手術はとてもポピュラーといえます。私の友人も3人目を産んだその日に同時に不妊手術を受けました。しかし不妊手術いろいろと都合が悪いものです。
しかし朗報です。今やもっと簡単に、しかも安く、永久避妊ができるようになりました。それは Essure というコイル状の2センチくらいのものを卵管に設置するのだそうです。これがやっとアメリカで認められ、現在オーストラリア、ヨーロッパ、シンガポール、カナダでも認められたそうです。外来で麻酔もせず、開腹もなく、30分くらいで終わり、ホルモンの心配もなく、処置をしてから45分後には自宅に帰れるそうです。その後も4〜6日間で回復するそうです。
実際にはこの小さなコイル状の物体を子宮口から入れて、卵管におさめます。その後細胞がその周りに増殖し、卵管を完全にふさいでしまうそうです。完全にふさがるまでは12週間かかるそうです。その間は普段の避妊が必要だそうです。
それにしても技術は進歩したものです。ピルの時代から永久避妊の時代に移ったのです。
詳しい情報は、 http://www.essure.com/consumer/c_homepage.aspx
2003.1.24.
大学院に行き始めて8ヶ月が経過した。なんともいえぬ殺人的スケジュールである。途中、途中で休みが入るからやっていけるものの、これはかなりのストレスで、ストレスによって殺されそうである。もちろん、私はフルタイムの学生といっても、月火木はインターンとして9時5時で現場で働く、母親としての役割り、英語の家庭教師としての役割り、家事炊事をきりもりする家政婦としての役割り、そして最後にケア・ワールドの運営にも当たっている。起きている時間をいかにやりくりするかがいつも大きな課題である。それでもやはり子どもたちがリストの一番上にきている。子どもが二人でよかったと思うことがある。しかし5人もいたら、今のようなスケジュールはこなさないかもしれない。
いよいよ授業が始まった。シラバスという授業がどのように進むかという予定表を渡され、提出しなくてはいけないレポートの内容と提出期限がかかれたものが渡された。ものすご〜〜いプレッシャーを感じた。こんなにたくさん読まなくてはいけないものがあって、しかも1週間に1冊という割合だ。しかもインターンとして仕事もして、レポートもとてもむずかしい課題ばかりである。ああ、どうやって、いったい。そう思う。しかも私は留学生として、英語のハンディがあるのだ。読むのもみんなと比べると格段とおそい。流し読みはできないし、しっかり読まないと内容が把握できない。レポートを書くにしても、いいたいことがあってもなんとももどかしい幼稚なことばしか並べられない。クライアントとカウンセリングをするにしてもひとことひとこと考えていうので遅いし、さらにものすごい集中力を要する。その上、話すばかりでなく、クライアントの心の動きを察しながらどのような適切なアドバイスをしていったらよいか頭の中で考えて進まなくてはならない。英語が母国語でないものにとってそれは至難のわざともいえる。
確かに多くの日本人と比べると私の英語はネイティブでも気がつかないほどパーフェクトだという。しかしことばとは話すだけのものではない。そこには思考があり、書くことがあり、読むスピードがあり、読みながらの理解力があり、ことばを道具として人をいやしたり、人を生かしたり、そんな役割りもある。だから私はいつも人に言う。私は自分の意志は十分に伝えられますが、やはり英語は一生の課題なんですと。
2003.1.27.
今日から新しいエージェンシーでの仕事が始まった。私は心がものすごく繊細なため、何かが新しく始まる前は不安で不安で、緊張からおなかがめちゃくちゃになってしまう。今朝もそんな緊張から1日が始まった。インターンで無報酬なのにさらに駐車料金も払わなくてはならない今度のエージェンシーは自分にとって負担であった。せめて駐車料金だけでももってもらえないだろうかと聞いていたが却下されてしまった。今、私は貧乏な苦学生である。駐車料金だけでも払うのが大変なのだ。この分ではせっせと毎朝お弁当を作って、いっさい外で昼を食べないようにすればなんとか交通費および駐車料金が捻出できるだろうか?
そんな心配をよそに、そこで私を待っていたのはものすごくすばらしい仕事であった。今度の仕事は精神的にあるいは肉体的になんらかの障害をもったティーネージャーの子どもたちが対象で、彼らの高校卒業後の進路をいっしょに固めていく仕事である。高校までは学校という中で、また子どもという身分で守られてきたところがたくさんある。しかし今後は大人の世界の中で彼らはハンディを持ちながらいろいろなサービスに支えられて自立をはかっていく。
ある少女は盲目であるが大学へ進む。家元を離れ、親元を離れ、寮に入るが、とても不安である。教科書を読んでくれる人がいるのか、授業ノートをとってくれる人がいるのだろうか。大学では障害者のためのサービスはどの程度充実しているのか。親も不安である。私は彼女のカウンセラーとして、エージェンシーから40キロ以上離れた彼女の家を訪問する。まさに1対1の個別カウンセリングである。
ある青年は精神病をかかえている。大学へは進まないため、仕事を探している。しかしむずかしい仕事は無理である。不安がふくらむような仕事もだめである。薬を服用しているため、ボーとする副作用もかかえている。せめて1日3時間程度からのスタートで受け入れてくれるところを探さなくてはならない。また、親の扶養から離れるため自分の医療保険に入らなくてはならない。どのような得点があるのか。そういうことも新たに学ばなくてはならない。私は彼が選ぶひとつひとつの決断をサポートしていく。
2003.1.31.
今、乾燥機を見に行ってちょっと外を見たら、なんとそこには警察の車が3台も止まっていた。あれ?どうしたのだろう?外には隣の家の1階に住むボブがいた。私はコートを着て、外に出た。ボブに様子を聞いた。思い出せば昨晩の12時半、大きな声で、"Get out! Get out !"と女性が叫んでいた。私は心配だった。ボブの話ではどうやら上の階のふたりはかなりけんかをしたみたいだった。それにしてもなんとか夜を越したのだった。警察の話では壁中血だらけだとのこと。相当、ひどいけんかだったことが伺われる。どうやら、彼は警察に取り押さえられたようで、彼女はひとり家に残っているようだ。
この家族は家族というより、住んでいる人は私の見る限りでは、白人のからだの大きい太った女性、比較的中肉中背の黒人男性、そしてときどきみる2歳くらいの坊やと6才の女の子である。6才の女の子は黒人と白人のミックス。しかし男の子は白人である。下の男の子は彼女のあとからできたボーイフレンドの間に生まれた子どもで、上の女の子は黒人の彼との間に生まれた子どものようだ。彼はタクシーの運転手のようだ。
しかし、昨日のけんかの一部始終を6才の女の子は見ていただろう。泣き叫びながら、「やめて、やめて」と叫んでいたとボブはいう。いったい彼女は何を見たのだろう。今の彼女の心の中はどんな状態だろう。学校に行っているというが、彼女は勉強に身が入るわけがないだろう。しかし先生はそれをきっと知らないであろう。
さらに階下に住むリンダは卵巣がんを手術でとりのぞいたばかりで放射線療法を行っている真っ最中で、精神的にもサポートが必要な状況だ。彼女はこれらの一部始終を下で聞きながらどう感じていたのだろう。
私はソーシャルワーカーとしていてもたってもいられなかった。けんかをしていた彼女をなぐさめてあげたかった。しかし隣の彼女のことを私はあいさつをする程度しか知らない。過去の私のおせっかいの経験からすると、状況をよく知らないで、突入するとへたに巻き込まれて危険な状況を生むことを経験している。今回はとにかくアンテナを張っておく程度にしよう。しかし将来、もし子どもになにか起きたら、あるいはあまりにも状況が激しくなるようであったら私は警察に通報する義務がある。これは家庭内暴力のカテゴリーに入る。
2003.2.7.
コロンビア大学の大学院の勉強量は半端でない。一番大切なのはよい教授に出会うことだと思った。今回は比較的自分のチョイスが尊重され、よい教授に出会えている。それゆえに大変満足である。しかしよい教授とはたくさん教えるのでなく、たくさん勉強をする機会を与えてくれる教授である。今、リサーチの教授はその最たるもの。ものすごい勉強量を与えてくれる。勉強するのは全部自分にかかっている。英語のハンディのある私にとっては少々あっぷあっぷ状態ではあるのだが、勉強はおもしろくてしょうがない。
今回は倫理の課題が出された。今、発展途上国などでアメリカのリサーチャーがさまざまなテストを人間に行っている。そのひとつにアフリカで行われているエイズ予防のための人体実験がある。これはエイズにかかっている母親に妊娠中から薬を与え、出産時にも与え、さらに生まれた赤ちゃんにも引き続き与えることによってエイズ感染が防げるとのことだ。確かにその動機は赤ちゃんをエイズから救うということでよいことである。しかし、この調査をするに当たって半分のサンプルはダミーピルというまったく作用のない薬を与えられるのだ。しかしそれを与えられていることは伝えられない。
それ以上に私が心配なのは、これらの発展途上国の女性はもうすでにエイズにかかっており、大変からだが弱っている状態かもしれない、さらに貧血気味かもしれないし、栄養面でもかけているかもしれない。そのような女性にアメリカで開発されたとても強い薬を与えて、副作用がないはずがない。しかし、それを副作用とわからないで調査に参加していたり、さらにそれに対応する薬を与えられるのかどうかも疑問である。またたとえ一部の赤ちゃんが助かっていっても、今後はどうなのだろうか。調査期間だけラッキーに当たった子どもだけが救われ、その後の子ども達にはフォローされるのだろうか。さらに、実験の条件として母親は母乳を子どもに与えられないのだ。これらの発展途上国の女性にとって母乳を赤ちゃんに与えることは大切な栄養補給となる。それ以上に母乳を与えてはいけないといえるだろうか。
確かに今や世界は狭くなり、アフリカでの実験が最終的には世界の子ども達を救うことになるかもしれない。かといってこれらの貧しいアフリカの人々たちが将来の子ども達のために犠牲になってよいのだろうか。検討しないといけない点を多く含む課題である。
2003.2.14.
コロンビア大学までの道のりはたいへん長い。私はニューヨークの郊外に住んでいる。水曜日の授業は9時きっかりに始まる。これは教授も念を押していた。しかし、その時間に間に合うために、私はまず6時半に起きて、7時半に家を出なくてはならない。マンハッタンまでは1時間半もかかるのだ。しかもいてつくような寒さの朝、マイナス8度の中を歩いていくのは容易でない。温かい季節にはバスを利用していたが、今ではバス停で5分立っているのが耐えられず、遠回りをしているので、それでまた時間がかかる。
そのようなわけで今日も授業に遅れてしまった。しかも空いている席は教授の横の席しかない。そのためにはみんなの前をまっすぐに横切って、「はい、私は遅刻しました」ともいわんばかりに席につかないといけない。それでも電車が雪のため遅れることは私の力の範囲ではない。やっとすわって前を見た。そこには部外者たる人がいた。
彼女は法廷などで話す内容を記録する機械を前にして、なにやらタイプをしている。その横にはノートパソコンが置かれている。そしてそのパソコンを真剣に読んでいるレベッカがいた。あれ?なんでレベッカ?レベッカはクラスでもちゃんと意見を述べていて、会話にも参加しているではないか?なぜレベッカ?休み時間に彼女のところに行って聞いてみた。
私は、今、障害を持った青年達が社会参加をしたり、大学へ行く過程を援助していることを伝えた。そして、そのような生徒のために大学に通うために障害者が必要とする機器を調べていることを伝えた。彼女は喜んで教えてくれた。耳が聞こえる人がタイプをしてそれをノートパソコン上に字として現れ、彼女はそれを読むことによって授業の内容がわかることを教えてくれた。なんと彼女は法的に盲目であることも私に教えてくれた。さらに、大学の障害を持つ学生のためのオフィスがこのアレンジをするのにすごく時間がかかったことも伝えた。そして最後に、「この援助を受けるのは私の権利なのよ。」と伝えたのがたいへん印象的だった。
2003.2.18.
海外に住まれている皆さんはその国で生活する中でいろいろな体験に遭遇すると思います。そこに生活をするということはそこで家具を買い込み、そこで家賃を払い、そこの光熱費を払い、その国に税金を納め、そこで車を買い、そこで美容院に通い、そこの学校へ子どもを通わせるということ。これらは旅行では決して経験できないことばかりです。しかしその他にもその国で病気になり、入院をし、手術をし、車の事故に出あい、罰金を払い、大家との論争があり、近所の人との論争があり、訴えられ、法廷で戦う、こんなこともあるのではないでしょうか。生活するということはいいことも悪いことも全部含めて暮らしの中で起こることを受け止めていくことでもあります。
私は先日、払ったのにパーキング・チケットを受け取りました。3時間しかとめられないことは承知で、ちゃんと3時間になる前に、コインを入れたのでした。つまりちゃんと3時間分入れたのにもかかわらずなぜチケットを受け取ったのかわからず、市に連絡しました。市ではただちにパーキング・メーターが壊れていないかをチェックするといいましたが、翌日、メーターは問題ないといわれ、裁判所に出廷することにしました。
罰金は10ドルでしたが、私はきちんとお金を払っているのに、なぜ自分は有罪だと認めなくてはならないのか納得がいかなかったので、10ドルといえども、自分の無罪を主張しに、今朝、出廷しました。Court Bに行くように言われ、その前に全身金属探知機で調べられました。法廷の中には次々と人々が現れましたが、ほとんどの人が低所得者のように写りました。しばらくして裁判官が現れました。彼女は黒いマントのような服を着て、堂々と、かつ親身な口調でこれからどのようなことが起きるかを説明しました。「起立」なんていわれたのは久しぶりでした。私は早く来たものの、順番は関係なく、パーキング関係の部類として呼ばれました。英語が母国語でない私は書状で自分の言い分を用意してきたものの、裁判官は時間がないから自分のことばでまとめていいなさいといい、私は戸惑いながらも結局書いてきたものを読み始めました。「ああ、ちょっと待って。ことばを挟むつもりはないんだけど、ここに3時間のメーターと書かれてありますよね。」とひと言言い、このようなメーターには続けてコインを足すことができないことを指摘してくれました。私はそのときに初めてこの国のルールというものがわかったのです。判決は case dismissed といい、無罪ではなく、知らなかったということで罰金免除。
その国のルールを私は何度も罰金という形で学んでいっています。くやしいけれども、それしか方法がないのです。いろいろと注意して読んでいても意味がわからないこともあります。すべていろいろな人の体験談から生活のルールを学ぶしかないのです。ここに来てまだ1年半の私にとって、生活の実体験はとても浅いものです。つらいけれども、くやしいけれども、お金を払って、場合によっては痛い目にあいながら、この国のルールを学ぶしかないのです。皆さんもそのような経験をされてるのではないでしょうか?ここに生まれた人たちにとっては当たり前のことが、私は初めて知ることなのです。時にはびっくり、目からうろこ。(もうかなりうろこが剥がれ落ち、もうこれ以上剥がれ落ちようがないほど)これが異国に住むという経験なのでしょう。そのためにも現地の人とコミュニケーションをとりながら現地の暮らしの知恵を学ぶことはとても重要だということがわかります。
2003.2.21.
ここニューヨークでは17日、1965年以来の大雪が降りました。その日はたまたま大統領の日ということで、幸いにして家にいた人が多かったようです。それにしても一日半振り続けて52センチほどこちらは積もりました。大都市は雪に弱いといいますが、その日は電車もバスもいっさい運行ストップとなり、もちろん車をガラージから出すことすらできませんでしたので、ほとんどの人は缶詰状態でした。それでも病院スタッフはどうしても勤めに出なくてはならず、ラジオでは緊急ボランティアをつのっていました。四輪駆動の車を持っている方は是非、XXXへお電話くださいとくり返し伝えていました。次の日は電車が運行し始めたものの日曜祭日運転スケジュール。それを知らずに朝の5時半にある駅に着いたナースはなんとあと1時間も待たなくてはならないと知り、がっかりしていました。
私はその日はえっちらおっちらと3時頃に1時間ほど雪かきをしました。うちは電動の雪かき機がないので、シャベル使用で、腕の筋肉がかなり鍛えられました。とにかくガラージの前の道を開かないと次の日は裁判所に出廷の予定だったのでした。だから何が何でも絶対にあしたは車を出さねばという意気込みでした。そのため、10時半になってまた雪かき。せっかく道をあけたのに、町の除雪車に雪を落とされていってしまいました。
まず町では町管轄の除雪車が出動しました。1日に何回も走っていました。しかし中には目的地に行くだけでなかなかうちの前の通りを除雪してくれません。その除雪車とはトラックの前にあのカーブした鉄の固まりみたいなものをつけたものです。その両端にはアンテナが立っていて大きな横に細長いシャベルの範囲をドライバーに示しています。私は子ども達と当日そりに公園に出向きましたが、ちょうど除雪車のわきを通ってものすごく怖い思いをしました。とにかく迫力があり、あの大きなシャベルでスピードを出して道路をひとかきしてしまいます。当日、路上駐車の車には黄色い縦の警告が出され、雪かきをするので車を移動しなさいとのこと。数日後には町が道を全部除雪し始めました。トラックとブルドーザーがセットで動因され、パトカーが2台道を止め、ドライバーはみんな迂回していました。
水曜日には大学の授業があったのでマンハッタンに出向きました。電車は30分も遅れ、また遅刻!マンハッタンでは路上駐車がものすごく多いので、車はすっぽり雪でカバーされていて、まわりの雪をうまくかき出さないととても道路に出られない状況でした。さらに雪が道の脇をふさいでしまっているため、車はかなり道の中央にはみ出して駐車されていました。なんと危ない!それでもなんとか駐車スペースを確保するために停めたのでしょうが、これではもうダブルパーキング状態です。(縦列駐車が2台並ぶこと)
今日はもう主要道路はきれいに乾いています。そしてその周りにはうずたかく積もった雪。これもたくさん塩を道路に撒いた結果です。我が家の車はその塩で真っ白になっています。とにかく雪には弱いニューヨークでした。
2003.2.28.
今、勤めているところは、障害者の自立を助ける機関である。そこのスタッフの一人にブリジェット(仮名)という女性がいる。彼女は月曜日だけボランティアで受付で働いてくれている。髪の毛の真っ白な彼女はもう大きな子どもがいる。そんな彼女のことばが印象的だったのでそれを伝えよう。このアメリカで運転を生涯しなかった人を探すのはたいへんむずかしいというほど、ほとんどの人は免許を持ち、さらに運転をしている。つまりこの国は運転ができないとたいへん不便な国であるから、免許を持つことはとても大切なことである。
しかし彼女はきっぱり、"I don't drive" と言った。私が次々と不便でないかと質問しても、彼女は自信満々に、「別に不便に感じたことはないわ。」といい続けたのである。公共の交通機関でいけないところがあれば、彼女はご主人に運転してもらうといい、友達が乗せてくれることもあり、さらに息子達が彼女を車に乗せてくれるから不便はないというのだ。
私はふと自分の姿勢を考えてみた。つまり私はアメリカに住み、からだが不自由でないのなら、運転をするのは当たり前という偏見を持って彼女に質問をしていたのだ。自分で運転できないことはさぞかし不便だろうと彼女から聞き出そうとしていたのかもしれない。しかし、彼女は断固自分の意見をゆずらなかった。つまり彼女は自分の選択で運転はしないと言い張っているのである。それは彼女が選んだチョイスであり、運転しないことに価値観を見出した彼女は、運転しないことはできないことでなく、運転したくないことであり、それを恥じることは何もないと伝えていたのだ。
私たちはいかに自分達の価値観でものごとを話し、場合によってはその偏見によって相手を尊重していないことに気づくと思う。自分で選んだ信念とはたとえ世界中の人が反対しようが、その信念を自信を持ち、ことばのベースにしっかり立つことに意義があるのだと思った。
2003.3.7.
自立。今、私の勤めているエージェンシーは障害者の自立をはかるための機関である。そのため、そこに勤めるスタッフの80%以上がなんらかの障害をもっているのだが、自立をはかるということにおいてはそのきわをいっているような印象を受ける。
まず勤務時間というものがはっきりない。つまり彼らは適当な時間に来て、適当な時間に帰る。フレックスタイムを設けているのである。障害を持っている人の多くは身体的な事情も含めて、なかなかフルタイムでは働けない。そのため、1週間のうち何日勤務するかも皆、それぞれである。しかも、みんなキュービカルという壁によって区切られたオフィスに入っているので、ドアこそないが、いったいみんなが何をしているかはわからない。
さらに驚いたのがランチタイム。中にはせっかくある広々としたキッチンでランチを一度も食べたことのない人もいる。彼らはレンジでチンをし、そこにいる人にあいさつはするものの、さっさと自分のデスクに持っていってそこでランチを食べている。それに対して誰も何いも言わない。また時間もまちまち。まず12時ぴったりに外に行ったり、キッチンで食べ始める人はいない。たいていみんな1:50にキッチンに現れたり、中には2時半、3時と遅いランチを食べている人もいる。つまりおなかのすき具合はみんな違うから12時にいっせいに食べることはない、いつ食べるかは自由、もちろんどこで食べるかも、どれだけランチの時間をとろうがそれも自由。
そして先日は雪だったので、エージェンシーはあいているのかどうか調べようと思ったら、「もしノーラが仕事したかったらどうぞ。」とのこと。つまりこれまた自己判断。車椅子の人などは雪かきがされていなかったらとうていオフィスにはこれない。中には遠くに住んでいる人もいる。彼女達もここにはこれない。しかし、来れる人はくればよいとの考えだ。結局はチームでの仕事でなく、個人の仕事のため、仕事さえこなされていれば、いつこようと、どのくらい働こうがまったく自由なのだ。自立、自由、責任ってこういうことなんだなとつくづく考えさせられる。
2003.3.14.
せっかく大学へきたのだから勉強ばかりに時間を費やすのでなく、友達との交流をはかれたらと思い、Asian Caucus と International Welfare Caucus に顔を出している。Caucus とはクラブみたいなものだ。School of Social Work では、他にJewish Social work Society, Women's Caucus, the Latino Caucus, the Social Administration Caucus, The Action Coalition for Social Justice Caucus, Black Caucus, the Bisexual Lesbian Gay and Friends Caucus などがある。ニューヨーク自体が多人種であるのが特徴だが、School of Social Work それ自体も実に多種多様な人々の集まりでできている。
さらに驚いたのがその中でもそれぞれのクラブのメンバーがまたそれに輪をかけたように多人種であることだ。このアジア人クラブでも、台湾人、香港人、フィリピン人、マレーシア人、インド人、韓国人、中国人、ハワイ人、日本人、さらにハーフの人もいる。そして英語にアクセントのある人もいれば、アメリカで生まれ育った人たちは顔こそアジア人だが、英語は流暢そのもの、そして彼女らがみんな英語でコミュニケーションをはかっていることが、当たり前のことでありながら、すごく不思議に写ることがある。
しかしそこには共通な悩みがあったり、問題があったり、ぶつかる課題があったりで、だからこそつながるものがある。このクラブでは自分のアジア人としてのアイデンティティーをとことん話しあってきている。私が驚いたことは何を隠そう、外国人である私がこのアメリカにアジア人として生活していることと同じことにこのアメリカで生まれ育った人たちも同じように感じていることがあったことだ。会う人が口を揃えてどこからきたの?と聞くことなどである。彼女達は皆、何年ここに住んでも、何世代アメリカで生まれてきてもやはり祖国からは自分を切り離すことができないということを一生背負うという。
皆さんもどこへいっても自分が日本から来たという事実をいやというほど海外では認識することでしょう。そのアイデンティティーは否定できないということ。しかし、滞在国で生まれ、その国の国籍をとった子どもたちはもう一つの列記としてアイデンティティーを一生、持ち備えることになるわけです。
2003.3.28.
アメリカに住んでいる私が、今回のイラク戦争についてどう考えているのかという質問が何人かから届いている。私の心に映る戦争は、犠牲者の姿である。家を追い出され、国を追い出され、6時間も眠ることができず、足にはサンダル、持ち物は手に持てるもののみ、写真のアルバムを残し、使えない現金を少し持ち、おなかをすかせた子ども達の手をひき目的もなくただ群集と共にひたすら歩く、泣く子もいない、ただ恐怖、未知への不安。家族の離散、親戚の死。
毎日の何気ない生活、朝ふとんの中から起き上がり、顔を洗い、朝食を食べ、学校へ行く、仕事へ行く、子どものおむつを替え、いつもの公園へ連れて行く、食事を作り、後片付けをし、テレビを見て、今日のできごとを夫と語る、疲れがほどよくきて床につく。こんな何気ない日々の生活を今、イラクの人たちは根こそぎに奪われてしまっている。
戦争とは普段の何気ない平和が乱されることだ。そしてそこに不安、死、不安定、恐怖、ショック、悲しみ、疲れ、飢えがやってくる。
私たちは子ども達に人のものをとってはだめよ、人の作ったものをこわしちゃだめよ、弱いものをいじめてはだめよ、手を出すんじゃなくてことばでいってごらんと言い聞かせている。こんな子どもでもわかっていることをどうして大人はわからないのだろうか。私たちはいったい子どもにこの戦争をどう伝えたらよいのだろうか?人は相手を傷つけるとそれが肉体的であろうが精神的であろうが、その傷跡は何世代にも渡って引き継がれていく。イラクの人々のアメリカに対する目を私は一生忘れないであろう。
2003.4.4.
日本人補習校。アメリカだけでも日本人補習校はなんと100校近くあるのです。そこの日本人の子ども達の実態はあまり一般的には知られていません。中学、高校になるとほとんどの子どもたちは現地で生まれ、現地で育った子ども達です。補習校にはもう15年17年と通っています。中等部、高等部となると日本に帰国する生徒のほとんどは帰国してしまったり、あるいは塾に通うようになり、補習校からは身を引いてしまうのです。さらに補習校には現地で育った子ども達の日本語力と日本の受験に向かう帰国組の子ども達とでは日本語力に大きなギャップが出てきます。そのようなことも原因でいわゆる永住組の子ども達が主になっていきます。
これだけ長い期間現地に住んでいれば当然日本語はほとんど話せず、英語は現地の子ども達とほぼ同等だと思われると思います。しかしこれらの家庭には共通点があります。これらの家庭のほとんどは両親共に日本人、あるいは母親のみ日本人というケースが多く、どの家庭でも日本語教育をしっかりと教育方針に子どもが生まれたときから据えてきました。私が驚くことはほとんど補習校しか通っておらず、家庭では日本語を日本人の母親あるいは父親としか話してないにもかかわらず、発音はとてもきれいで、しかも作文も書け、中学、高校の教科書も読め、漢字も書け、外から見たら日本で育った日本人かと誤解するほどです。中身はかなり現地の子どもでありながら、しっかりと日本人の部分を備えています。
皆さんの中には永住組の方が多くいらっしゃると思います。是非、バイリンガルに育てたいと思っていらっしゃるでしょう。しかし、子ども達にとってはバイリンガルという得点以上に、日本人、日本語は彼らのアイデンティティーなのです。そのためそのアイデンティティーをいかに育てるかは親に任されています。とっても大切なアイデンティティーです。漢字がたいへん、もうついていけないと弱音をはく時期にも必ずぶつかります。しかし、彼らにとって補習校はある意味で彼らが彼らでいられ、同じような境遇の仲間と時間を共有できる唯一の場であります。そのようなことも含め、是非継続にチャレンジしてください。最後に自称16年間補習校に通った中学3年の菊池くんの答辞をここに抜粋して記します。
「初めて一人で日本に行ったとき、そこは新鮮な驚き、感動の連続でした。僕は日本を訪れるまで自分から日本について知りたいと思ったことがありませんでした。中等部の歴史は苦手で、その授業中の僕の頭は寝ていました。いま、とても後悔しています。これから高等部に進むにあたり、新たな気持ちで日本を学んでいこうと思っています。現地校の友達にゲームや電子機器だけでない日本を伝えて生きたいと思います。
最後になりましたが、補習校の勉強にはあまり熱心とはいえなかった僕を温かく見守り、指導してくださった先生方に厚くお礼を申し上げます。そして、お父さん、お母さん、ありがとう。特に僕より長い間、補習校に通い続けたお母さん。今日はお母さんの卒業式でもあります。本当にありがとうございました。」
2003.4.11.
サイトの紹介依頼を受けた。そこのサイトは「お前はうちの子ではない 橋の下から拾って来た子だ」というタイトルのサイトである。なんとショッキングな題名だろう。しかし、なかには実際にそのようなことを親に言われて、その後何もフォローをせず、傷ついたまま大人になった人たちもいるのではないだろうか。このタイトルの本も出ているそうだが、それだけこのことばを言われ、育った人たちが多いということを物語っていると思う。
私たち親は時に子どもが負担になることがある。理由はさまざまであろう。望まなかった妊娠、孤独な育児、異国でのストレス・・・。子どもに絶対に言ってはいけないことがある。冗談でも言ってはいけないことがある。それが「お前はうちの子ではない 橋の下から拾って来た子だ」とか「あんたなんか生まれてこなければよかった」ということばではないだろうか。しかし、私の周りでもそのようなことばを平気で子どもに伝え、子どもを傷つけてきている人がいる。
自分ではどうしようもなく生きていけない子ども達にとっては親がすべてである。その親に自分を否定されることほど悲しいことはないはずだ。そして親もそれを承知であるからこそ、一番傷つけることばで攻撃するのだ。しかしあまりにも悲しい。夫婦の間でも、家族の間でもこれだけは絶対に言ってはいけないことというのがある。皆さんにとってそれが何であるかを考えてみるチャンスかもしれません。
私は以前養子を斡旋するところで働いていました。子どもたちは今大人になり、どの時点でどのように自分がもらわれてきたかを知ったか、また事実を知ったときのショック、本来だったらどうしてほしかったか、これから養子に出される子ども達には何を伝えたいかを話してくれました。どのような形でこの世に生まれてこようが、親にたくさん愛されて育ったことが一番大切であることを彼らは伝えたかったのではないでしょうか。
2003.4.18.
私が今、実習生として勉強している福祉事務所は、障害者を対象にしている。そこで働いているスタッフのほとんどがなんらかの障害をもっている。今日、車椅子の黒人のリチャード(仮名)に利用者(ここではクライアントのことをサービスを受ける消費者、つまり英語では consumer と呼んでいる)が突然、「ねえ、リチャードはどうしたの?」と聞いた。リチャードは素直に「刺されたんだ」(Stabbed) と答えた。「若い頃だったの?」と利用者。「うん、21歳の時。だから10年前。若いっていえるかな?」とリチャードは答えていた。
私ですらリチャードがどうして車椅子の生活に入ったかを聞くチャンスがなくて知らなかったにもかかわらず、この利用者が唐突に質問をした。みんなが正直に知りたいことを単刀直入に聞いたのだ。私は聞くときっとつらい過去を思い出していやだろうなと思って、チャンスを見ていたのに。初めて会うリチャードにこの利用者が一番誰もが聞きたい質問をしたのに驚いた。
そしてさらに驚いたのが刺されたという事実だった。リチャードはブロンクス区の社会的に決して豊かとは言えない地域で育った。そこでは10年ほど前までは人が銃で撃たれたり、刺されることがけっこう日常茶飯事にあったようだ。リチャードは当時を振り返り、自分がまだ若かったからあのような危険なことをしたと今は語っているが、私は「刺された」と聞き、あるイメージを浮かべた。それは私の今まで住んだ環境とはほど遠い別世界のことだった。けど今、いっしょに毎日顔を合わす、このリチャードはそのようなところに現実の生身の人間として生きてたのだ。
アメリカに来て、日本だけで暮らしていたら絶対に会うことのできなかった人たちに出会っている。彼らの体験談は何よりもリアルで恐ろしいほどビビッドである。今まで本や映像でしか知らなかった世界が私の目の前に今広がろうとしている。そして一部、自分自身も体験している。海外へ行くこと、ためらいも多いだろう。しかし、日本だけで暮らしていては決して経験できないものを自然と吸収していく。やっぱり人生、勇気を出して思いっきりチャレンジしないと自分を豊かにすることはできない。
2003.4.20.
ケア・ワールドでは世界の出産、子育てに関する最新情報を載せています。今回は HypnoBirthing についてお話しましょう。
Hypnosis とは催眠術という意味です。この自分で自分を催眠状態にするプログラムの目的は出産にまつわる恐怖と緊張をときほぐすことのようです。ここニューヨークでも一部の病院でこのプログラムが紹介されています。
自己催眠術ではリラックス、想像、イメージの誘導が主のようです。さて、それではラマーズとはどのように違うのでしょう。 Hypnobirthing では主に肯定的なことに焦点をあてるそうです。つまり、陣痛ということばを用いず、赤ちゃんが 「ママに会いたいという力を出している」 というように置きかえたりして出産にまつわる概念を痛みから遠ざけようというのがねらいのようです。
そのため、いきむということをほとんどせず、呼吸に合わせて赤ちゃんが自然に体内からすべり落ちるという経験が得られるとのことです。赤ちゃんにストレスを与えない誕生というところでしょう。いずれにしろ出産においてからだがリラックスすることが一番よいのは昔から知られていることです。これを強調したの hypnobirthing かもしれません。
2003.4.25.
ケア・ワールドでは世界の出産、子育てに関する最新情報を載せています。今回は 中絶 についてお話しましょう。
私は決して中絶を支持はしていません。しかし、どうしても中絶が必要な場合もあり、中絶手術による事故が多い中、今回の薬の服用のみで中絶が可能となったニュースは朗報だと思いますので紹介します。アメリカでは年間100万人の女性が中絶手術を受けています。
今回使用可能となった RU486 は、薬の服用のみで手術をせずに中絶ができるというものです。これは Mifepristone というanti-progestrone の中絶薬です。どのような作用があるかといいますとまず最初の日にドクターとカウンセリングを受け、その結果この中絶薬が使えるという判断がでたらまず3錠 Mifepristone を服用します。この薬の作用は子宮内膜をやわらかくする作用があります。
2回目のドクターへの訪問では Misoprostol という薬を2錠服用します。これは子宮を収縮し、流産を起こします。実際に胎児が外に出てくるのは家で行なわれます。その後3回目のドクターへの訪問は12日から14日後とされ、このときにドクターが最終的に胎児が体内からすべて出されたかを調べます。
副作用はほとんどなく、せいぜい下痢程度とのことです。
このように手術は行なわれず、さらに錠剤を飲むだけで中絶が行なわれるという画期的な医学の進歩です。これで中絶手術による事故が少しでも減ればと願うところです。
2003.5.2.
日本では地震災害に対しての準備が徹底しています。災害時の連絡方法は?避難路、非難場所を確認、非常持ち出し品のチェックリストなど心構えを徹底させています。それでは地震のない国ではどうでしょうか?安全対策は徹底していても、緊急時への対応をあまり意識していないかもしれません。
それではどのような災害があり、対策が一般的にはしかれているのでしょうか?サリン事件のような chemical threat の場合、その場をすぐ立ち去る、万が一薬品がかかってしまった場合は、まず水をかけて、からだの中に薬品が浸透しないようにする、医療機関へ出向くなど。
核爆弾の場合、できる限り厚い壁の裏に入ること、遠くにいること、放射能に触れている時間を最小限に抑えることなど。
爆発が起きたら、机の下などに身を隠す、建物から出る、エレベーターは使わない、火事などの二次災害が起きていないかをチェックする、緊急持ち出し品を持ち出す。
火事の場合、建物から逃げ出す、這って出口へ向かう、鼻と口をぬれた布でカバーする、出ようとするドアが熱かったら他のドアを試す、もしからだに火がついたら床にころがって火を消す、燃えている建物にものを取りに行かない。
がれきの下に埋もれてしまった場合、懐中電灯で場所を示す、ほこりが蔓延するのでなるべくからだは動かさない、鼻と口をおおって呼吸をする、パイプや壁をたたいて自分の位置を外の人に知らせる、笛があったらそれで助けを呼ぶ、大声で叫ぶとほこりを吸い込むので最後の手段として残しておく。
Biological threat とは、たんそ菌のような菌の蔓延をいいます。その場合、まずその場を去る、鼻と口を何かでおおう、関係機関に連絡をする。
上記の情報は、http://www.ready.gov/index.html を参考にしました。詳しくは左のサイトをご覧ください。皆さんそれぞれお住まいの地域によって対策がしかれていると思います。何が起きるかわからない今日この頃、予備知識を蓄え、今一度お住まいの地域における災害チェックをしてください。
2003.5.9.
世界中の産休を調べているが、アメリカはこの点において日本より遅れているように思える。少なくとも日本では産休が制度として確立している。しかしアメリカではどちらかというとそれぞれの企業によって取り決めがされている。それでも 1993年には Family and Medical Leave Act(FMLA) という規定が通り、1978年には Pregnancy Discrimination Act というのが確立した。
それでもこれらは決して十分とは言えない。 FMLAにしても50人以上の従業員がいる企業にしか適応されておらず、PDAにしても、対象が50人以下の従業員の中小企業とされているが、それでも6〜8週間がmedical leave という名目で産後とれるようになっている。つまりこれは自分が使う病欠も含むのだ。それでもニューヨークはよいほうで、5人以下の中小企業でも一応このPDAが適応されるので6〜8週間の産休の間にいくらかの給料が出されることになっている。それでも何パーセントかというのは法律で決まっているわけではない。
実際、アメリカでは多くの人が3ヶ月くらいで職場に復帰している。まず休みがとれるとわかってもその間に給料が100%出るわけでもない。そのため、病欠、休暇、個人の理由による休みをすべてそこに押し込むわけである。それでも足りないのが現実である。さらに、企業内のほかの女性たちが、つまりボスなどを含め、2ヶ月半くらいで職場復帰をしているとなれば、自分だけ半年もとるわけにはいかない雰囲気があるという。
日本はもちろん民間企業は厳しいにしろ、公務員の場合1年間の育休があり、ほとんどの人たちはそれを利用している。なんとも恵まれている。ちなみにイタリアでは産休は20週あり、その間今までどおりの給料が支払われる。ノルウェーは産休は52週あり、給料の80%支給されるという。皆さんのところはいかがでしょうか?
2003.5.16.
桜で代表される日本。さて、皆さんの国では桜の花が春の季節に見られるでしょうか?私はニューヨークにきたらもう桜はみられないと思っていました。もちろんワシントンDCの桜については聞いていましたが、ニューヨークは無理だろう、日本のいろいろな花は日本でしか見られないのだろうと見納めをしてきました。(ちょっと言いすぎかな?)しかし、驚きやニューヨークにはたくさんの桜が見られます。どこへいっても桜が見られます。しかも八重桜もとってもきれい。しだれ桜も見られます。地面にはたくさんのピンクの花びらが落ちていて、風と共に花びらが空を舞うこともあります。
ここは春になるとまずは 黄色のれんぎょがもの最初に春をつげ、magnolia というもくれんが咲き、それからすいれんの黄色い花、そして桜と咲きます。そしてチューリップ、藤、あやめやしょうぶ、しゃくなげも咲き、いろいろな花が一気に咲きます。木の葉っぱはほぼ2週間くらいで勢いよく出てきます。あっという間に回りは緑に変わりました。温度も朝は12度とだいぶほぼ毎日安定してきました。もう重いコートを着ることもなくなり、あのほほに寒い風を受けることもなくなり、春はやっぱりうきうきな気分になります。大学の卒業式もこの時期です。
そのようなことからこちらにきても桜が見られ、ちっともホームシックになりません。ホームシックになるのは母のレシピでごはんを作り、母を思い出すときだけでしょうか。さて、これから私はサマースクールで勉強します。週に2回、2コース取ります。そして週に2回は引き続きエージェンシーでカウンセラーとして勤めを続けます。まだまだ緊張が続きます。
2003.5.30.
先日ある育児雑誌に、「命が育つプロセスにパパがかかわらないのはもったいないことです。」と書かれていました。さらに、「パパにやらせたい」から「パパもしたらいいのに」へ思考を変えることの大切さも語っていました。確かに人間が育つプロセスをこんなに間近に、生々しく観察できるのは我が子しかいないように思えます。育児に男だからとか女だからはないように思えます。おそらくどの程度我が子を知っているかによってそれが決まるのでしょう。それは決して量ではなく、質であってほしいと私自身は思います。
2003.6.6.
大学院のサマーコースが始まり、今年は Social Work with Women というコースをとっている。先日の課題は Show and Tell であった。あはは、まるで幼稚園に戻ったようですよね。そうです、まさに原点に戻りました。課題は女性を軽視する宣伝を探し、その写真が何を世間に伝えているかについて発表することでした。
私は日本の育児雑誌とアメリカの育児雑誌の比較をしながら、日本ではいかに赤ちゃんとママの写真が圧倒的に多く、パパとの写真はあったとしてもおむつを替えたり、食事を与えたりという写真よりも、むしろいっしょに遊んでいる写真などが中心で、それに対してアメリカの育児雑誌は半分くらいはパパと赤ちゃんとの写真が掲載され、さらにパパが赤ちゃんに離乳食を与えていたり、健康に関するテーマのページでパパと赤ちゃんがグラビアとしてかかげられている違いに気づいたことを発表した。
皆さんの国の育児雑誌を是非見てください。そこにはその社会がどのように母親を見ているか、父親を見ているかがはっきりと象徴されているはずです。つまり家族という文化が現れているはずです。
2003.6.27.
サマーコースは実にきびしいでした。あと1週間で終わりますが、4ヶ月のコースを集中的に1ヶ月半で終わらせるため、ものすごいスピードで過ぎていきます。しかし、読む本の量にしろ、提出するレポートにしろ普通コースと同じなので、その大変さは皆さんも想像がつくと思います。いやいや、終わったらきっと気が抜けてしまうでしょう。
しかも今日のニューヨークはものすごい暑さでした。35度という記録。つい先日まで20度で肌寒いくらいだったのがうそのようです。この熱で気をつけなくてはいけないのは、赤ちゃん、子どもと老人だといいます。水分をおおめに取ること、なるべく暑い日中の外出は避けて、涼しい時間帯を見計らって外に出ること。エアコンはタイマーを利用して帰宅1時間ほど前にスイッチが入るようにして、日中誰も家にいないときは消しておくように。体力を極力消耗する活動は避けること。なるべく涼しいところで時間を過ごすこと。とアドバイスをしていました。皆さんの地域ではどのようなアドバイスが出されてますか?
2003.7.3.
驚くべき発見がニュージーランドから届きました。赤ちゃんの突然死の最たる原因が発見されたとの報告でした。これは Online Birth Center News からの発信です。その報告によると SIDS (Sudden Infant death syndrome) つまり突然死の原因は赤ちゃんが寝ているベビーベッドのマットレスから放出される毒性の気体を寝ている赤ちゃんが吸い込むことによって、脳の神経に影響を及ぼし、呼吸の一時停止を起こすということでした。
私はこれを聞いてとてもショックを受けました。皆さんもそうだと思いますが、赤ちゃんがほとんどの時間を過ごすマットレスに原因があったとは。このマットレスに含まれている毒性の化学物質とは不燃性のカーテンなどに含まれているものと同様のもので、マットレスが赤ちゃんの体温などで温められることによって中でかびが生えて、そのかびと化学物質が融合したときに毒ガスが発生するとのことでした。
そのため、その毒ガスの発生を防ぐためにはマットレスをきちんと気体を通さない布でおおうことが必要だということです。ニュージーランドでは1994年よりマットレスにカバーをするように運動を起こし、その後カバーをしたマットレスに寝ていた赤ちゃんからは1人として突然死がなかったとのことです。
詳しくは、http://www.healthychild.com/cribdeathcause.htm
2003.7.18.
今、2年ぶりに日本を訪れています。見るものすべてアメリカと比較している毎日です。一番うれしいことは新鮮野菜。しゃきしゃきとしたきゅうり。甘いみずみずしい桃。どこも傷んでいないほうれん草の葉っぱ。ああ、やっぱり日本はいいな〜。他には日本の親子の様子を観察しています。バスでの風景をお話しましょう。
大井町駅に向かうバスの中。まずお母さんは立っていて子どもに席をゆずる。おそらくアメリカでは母親が座って、子どもはそばに立たせておくかな?と思った。つまり飛行機で酸素マスクを最初に親が着用し、自分の安全確保ができて初めて子どもの安全を保障できるという考えと似ているだろう。日本では何がなんでも子どもが優先されることに気づく。
次にその子どもがきちんと席にすわっていない。立ってみたり、横すわりになってみたり。そのとき、その母親は「みんなちゃんとしてるわよ。「「みんなに笑われるよ」「運転手さんに降りてくださいっていわれるよ」と子どもにきちんとすわる指導をしていた。つまり他人あっての自分ということをその母親は子どもに教えていたのだ。他の人から笑われるからきちんとすわらなくてはいけないということ。他人はみんなきちんとすわっているからその子もきちんと座らなくてはいけないこと。さらに脅しを利用して、運転手さんに怒られるからきちんと座らなくてはいけないことを子どもに伝えているのだ。よくおまわりさんを持ち出して子どもにいうことを聞かせるのと似ているなと思った。つまりおかみを利用すること。しかし、おそらくアメリカだったら、きちんとすわっていないとバスが急に止まったときなど危険だからきちんとすわらないくてはいけないとしつけるのではないだろうか。つまり他の人がどう座っていようがそんなことは重要ではない。重要なことはその子どもが危険から自分を守ることを身につけるしつけの仕方である。う〜ん。やっぱり日本とアメリカはしつけのアプローチがかなり違うな、と感じた。
2003.7.25.
私の甥っ子は5歳である。その甥っ子の母である私の妹にいろいろと日本の子育ての様子を聞き、またまたニューヨークでの子育ての違いを感じている。まず、甥っ子が一人で近くの公園に遊びにいっていることに驚いた。そこに妹はいっしょにいかないのである。ただ、時々見に行っているとは言うものの、実際目を離さずにそこにずっといるというのではないという。そして甥っ子はその公園で小学生のお兄ちゃんたちと遊んだりしているようだ。ああ、日本はこんなに治安がいいのか。自分もおそらく子どもたちが小さい頃は一人で公園に行かせていたのであろうが、今の私の感覚は完全にニューヨーク。だからアメリカでは5歳の子どもが一人でプレイグランドで遊んでいるという光景を見ないだけに驚いている。
時々日本で起こる子どもの誘拐事件。抵抗も十分にできない5歳の子どもをさらうのはいとも簡単なはず。子どもに「知らない人について行ってはだめよ。」「さらわれそうになったら大声を上げるのよ。」と子どもに伝えてもそれで十分であろうか?いくら回りに小学生が遊んでいても、彼らに5歳の子どもがさらわれそうになったときに、それを防ぐ責任を押し付けられるだろうか。
そうとわかっていながらも、子どもを一人で公園に追いやらなくてはならない日本の状況に問題があるのではないだろうか。「そんな、四六時中、元気な子どもを家に置いておくわけにはいかないわ。」「べったりいっしょにいたら私もノイローゼになっちゃうわ。」「家の中は何しろ狭いし、男の子はうんと体を動かさないと」「私だって家でやることがあるし、自分の時間もほしいし、かといってそんなちょっとのことでベビーシッターってわけにはいかないじゃない?そもそも今までこうしてきてるけどちゃんと無事に帰ってきてるし」う〜ん、そうなのか、リスクをとっても、心配はしながらも、やはり子どもを一人公園に送ることは日本の母親にとってこれほど重要なことなんだ。そう納得した。
2003.8.1.
神経芽細胞腫の尿検査は、海外では行われていないということで有名ですが、今、日本でも、この検査を廃止しようという動きが見えてきます。神経芽細胞腫とは小児がんの一種で子どもの特有のがんです。主に副腎やあごから腰にいたる交感神経節に発生する固形悪性腫瘍で、発見が遅れると肝臓や骨などに転移し治癒が困難で予後不良となります。 しかし、一歳位までに早期発見し治療すれば、ほとんど治すことができ、予後も非常に良好です。体の深部にできるため診察で早期に発見することは難しいのですが、神経芽細胞腫はホルモンの一種であるカテコールアミンという物質を多量に産生し、その代謝物は尿中に排泄されるので、尿中のカテコールアミン代謝物を調べることで神経芽細胞腫を早期に発見することができます。そのため、日本では1984年から行い、だいたい生後6ヶ月の乳児を対象に、尿によるマス・スクリーニング検査を行い、早期発見に努めてきました。やり方はごく簡単で、1985年生まれの息子のときは、検査紙が出産した病院で渡され、それをおむつの中に入れておいて、尿がかかる。そしてそれを乾かして封筒に入れて、あて先の検査機関に送付するだけでした。異常があれば連絡があるとのことでした。
海外の様子を見ますと、アジアはほとんど行われていません。カナダでは1989年から1994年まで行われていました。しかし、ケベック州のみでの検査でした。イギリス、オーストリア、フランスでは1990年頃から1歳以下の乳児を対象に行われていました。現在では多くの国で廃止されました。ドイツでは1995年から2001年まで行われていました。対象は9〜18ヶ月の赤ちゃんを対象に行っていました。ただし、その有効性はあるものの、必要性においては疑問があがり、ケースとしてはまれであること、マススクリーニングによるコスト、さらに神経芽細胞腫は自然に小さくなることも多いということがわかりました。死亡率も低下し、マススクリーニングの過剰診断ということで、国の費用を用いる保健事業として継続すべきかということが検討されました。そのため、日本でもこの検査を廃止しようという動きがでてきました。
2003.8.16.
ニューヨークの大停電においては、ご心配おかけしております。実はニューヨークの大停電について初めて聞いたのは日本でのこと。私たちは成田空港を発ってニューヨークに向かうために、前の晩に成田近くのホテルに宿泊していました。15日の朝7時。娘がテレビをつけたらその報道がNHKのニュースで入ってきました。これはたいへん!今日、ニューヨークに発つのに!その後空港にいったら、JFK空港は閉鎖中とのこと。電気が復旧していない。そのため、シカゴに向かう可能性大とのこと。えええ?帰れないかも!
その後12時間のフライトの末、幸いにして停電中でありながらもJFKに機体は着陸。ただし、機体からはトラップという階段で降りなくてはならないとのこと。そのトラップが見つからないという。そうか、もしかしたらそんな年代ものは最近使ってなくてどこか倉庫の奥にしまってあるのかもしれない。どうでもいいから、とにかく探してくれと飛行機の中で待つこと1時間。幼い子ども達は時差で眠り始めてしまっている。日本時間で言えば夜中の12時。無理もない。そしてやがて空港内に。電気は非常灯しかついていない。ところどころと。それでも昼間だから太陽の光で建物内でも周りは見える。入国手続き。どきどきの一瞬である。審査官は暑さのせいか機嫌が悪い。私はとびっきりのスマイルを作ってみる。けど効き目なし。コンピューターは自家発電(power generator)でなんとか動いている。無事入国。
車に乗って一路ウェストチェスターの我が家へ。Hutchinson Parkway を通ったがすごい渋滞だ。それでも動いているからまだましだ。どうやら今朝になってマンハッタンに取り残されたものを迎えに行った車もかなりあったようだ。それにしても大都市での停電。ここハリソンでは年に2回ほどある停電で慣れていたが、これだけ大規模にマンハッタンにまで及ぶものは1977年以来とか。それにしても私は1965年の大停電も経験しているのだ。(骨董品!)オフィスはすぐクローズされ、人々は家路へと向かった。すぐには回復しないことを察してのことだろう。このあたりのあきらめきりが早いのもニューヨーカーらしい。エレベーターは止まったので20階でも30階でもみんな歩いて降りて行った。マンハッタンに住んでいるものは1時間でも2時間でも歩いて30度の暑い中を家路に向かったそうだ。地下鉄は止まり、2時間も中に閉じ込められた人たち。郊外へ向かう電車もストップ。結局歩いて帰れない彼らはマンハッタンで夜を明かすこととなった。公園のベンチやらホテルのロビーに横たえた。トイレには困ったことだろう。日本のようにどこにでもトイレがあるわけでないマンハッタン。結局ホテルのロビーは正解かも。もっと困ったのは食事だという。暑いからのども渇く。幸い、レストランは飲み物だけは供給できたが食事はできなかった。テレビで情報も聞けない。どうした?とマンハッタンの友人に聞いたところ、みんな道端で電池でラジオを聴いていたから情報は入ったという。帰り道どうだった?と聞いたら、みんなパーティー気分で見知らぬ人と会話を交わし、道端で飲んだりして何もすることのない時間をどうせなら楽しまなきゃと過ごしていたとのこと。このあたりもニューヨーカーらしい。
結局15日の午前6時少しづつマンハッタンに電気が供給されていった。しかし、会社に連絡もとれず、地下鉄も走っていないし、マンハッタン全域が回復したわけでないのならオフィスに電気が通じているかも不確か。それなら休んじゃえと考えるニューヨーカー。インターネットを使えなければ仕事にならぬ。とにかく電気がなければ町はデッドタウン同然。生き生きしていたのはこのときばかりとふとわいた休日を楽しんだニューヨーカーたちかもしれない。
2003.8.30.
イスラエルでのお産について調べていたところ、イスラエルではアロマセラピーがとても盛んで、それが出産時にも用いられていることを知りました。さっそく詳しいところをライデンさんにお聞きしました。それは妊娠中からアロマのオイルを会陰の周りにたっぷり塗り、会陰にそって親指でバターを塗るように押しのばす感じで5分から10分ほど毎日マッサージをするそうです。そして当然、出産時にもアロマオイルを振りかけて赤ちゃんがすべりよく出られるようにしたそうです。これから日本でも広まりそうですね。ライデンさんの体験談を以下、引用します。
「私はイスラエルに来る前に、英語はみんなしゃべれるから何か他に一つくらい資格をとっておこうと思い、日本でアロマコーディネーターの資格を取りました。イスラエルに来てポピュラーなのを知ってびっくりしました。マタニティークラスではマッサージの仕方を教わりました。それはお風呂上りなどにアロマオイルを会陰にそって毎日マッサージする方法です。そして、自分でオイルを調合しました。先生にも作ってもらえます。おなかが大きいと自分でマッサージをするのはちょっとたいへんです。また慣れるまではちょっとことがわからないかもしれませんが、私は妊娠6ヶ月くらいから週に3度くらい、出産の1ヶ月前は毎日行ないました。そのため、会陰切開はせずにすみました。
出産時にはちょうど赤ちゃんの頭が見えたときに、会陰に200ccから300ccくらいのたっぷりのアロマオイルを振りかけてすべりをよくして、皮膚を軟化し、保護できるようにしました。出産直前にオイルを使うだけでも、約30%アップの確率で妊婦さんは会陰切開をしないで済むそうです。」
会陰切開をとてもこわがっているママたち、また切られるのはやっぱりやだと思っているママ、さらに回復が早いほうがいい、痛みがないほうがいい、と思うママにとっては朗報ですよね。オイルも赤ちゃんにどうなのか心配だと思われますが、しっかりとした、信頼性の高い、安心できる製品を探すのが重要なそうです。ちなみにフランスのプラナロム社のものはオーガニックで成分表までついていて安心だそうです。オイルは痛みを鎮める作用もあり、精神を落ち着かせる作用もあり、これは是非是非今後日本でも海外各国でも取り入れられるとよいでしょう。
* ライデンさんへのお問い合わせは彼女のHPより。ケア・ワールドのリンク集の中近東にあります。
2003.9.19.
おそらく私が一番幸せを感じるのは、海外で生まれた赤ちゃんを抱いているときではないだろうか。
今日は V君についてお話しましょう。V君は生まれてすぐ食道と胃がつながっていないことが発見されました。これではミルクが飲めない!生存にかかわる。ということで生後4日目にして背中の部分から20センチほど開腹する大手術を行いました。その手術は食道と胃をつなげる手術でした。ママとパパの心配はそれはそれは相当なものでした。手術は無事終了し、成功しました。しかし、もう少し大きくなったら、食道を広げる手術をしなくてはなりません。
さらに、心雑音が聞こえるということも発見され、調べたところ、心臓のふたつの部屋を分けている壁に大きな穴があいているということでした。もう少し小さかったら成長と共にふさがるようですが、今のところその大きさは問題のようです。よい血液が半分ほど悪い血液のお部屋にいってしまうため、V君は呼吸することもおっぱいを飲むことにもたいへんな労力を必要とし、すぐ疲れてしまいます。母乳だけではカロリーが足りず、カロリーの高いミルクを飲んでいます。しかも、1日10回以上。ママはそれだけでもへたへたです。けれどもV君は一生懸命生きています。これからうんと強く、大きくなるんだと日々病気と闘っています。彼のがんばりがママのエネルギーになっています。皆さんも応援してあげてください。
2003.9.26.
アメリカの新学期が始まりました。日本とは違って、アメリカは9月から新しい学期が始まります。そのため、年間カレンダーというと、9月から始まって8月までなのです。今、大学院でカウンセラーの資格を得ようと勉強している私にも新しい学期が始まりました。
今年は大学付属の総合病院で医療ソーシャルワーカーのインターンとして仕事をします。私が配属されたクリニックは新生児スクリーニング検査で検査の対象となる疾患が発見された子ども達が訪れます。患者さんは赤ちゃんからティーネージャーまでさまざまです。
新生児スクリーニング検査とは、そうそう、皆さんの赤ちゃんが病院で足のかかとから採血された検査です。覚えてますか?生後5〜7日目に行なう先天代謝異常症の検査です。これは全世界でだいたい行なわれていますが、アメリカでは検査の範囲が州によってさまざまです。日本では先天性甲状腺機能低下症(Congenital Hypothyroidism)、先天性副腎過形成症 (Congenital Adrenal Hyperplasia)、フェニルケトン尿症(PKU)、メープルシロップ尿症 (Maple Syrup Urine Disease)、ガラクトース血症(Galactosemia)、ホモシスチン尿症 (Homocystinuria) が行なわれています。アメリカは多人種国家なので、黒人に多いSickle Cell Disease、Tandem Mass Spectrometry Screening も行なっている州があります。
私が接している患者のほとんどはフェニルケトン尿症の子ども達です。彼らのからだはたんぱく質のある成分を分解できません。そのため、食べられるたんぱく質の量はとても限られています。成長のために必要な栄養を含む粉末状の食事を水に溶いて1日何回かに分けて摂取します。普通の食事は食べる楽しみを補うだけのものとなっています。たんぱく質は豆類、お米、じゃがいもに至るまですべてといってよいほどのものに存在します。となるとほとんどのものが食べられません。食べられてもほんの数グラムから数十グラム程度です。口にするものすべてがチャレンジであり、親はたんぱく摂取量をこと細かく記憶しておかなくてはなりません。私たちが何でも食べられるということがいかに幸せなことかを認識しますよね。
2003.10.3.
私は、日本で生まれましたが、小学校をアメリカ、高校、大学をカナダで過ごし、20代後半から30代前半をシンガポールで、そして40代に入ってから再びアメリカに過ごしています。このように国、文化、言語を行き交う中で私は、自分が誰なのかをずっと見つめてきました。特に何人ということがとても大切な世間では、表面上はアジア人でも、それでもどこの国の文化を背負い、どこの国の言語を話す人なのかをみんな知ろうとします。これは世界のほとんどの人がちゃんとした根をはる場所をもつからです。つまり私はそのマジョリティーには属さない、マイノリティーになっていたため、自分探しを始めていました。
そんなある日、私はどの国にも属さない、どこの文化にも属さない、さまざまな文化と言語をブレンドした人物であることを確信しました。どちらかに属そうとするとどこか居心地の悪さを感じるということにも気づいたのです。そこで自分の第一アイデンティティーを名前に据えました。その名前がノーラ・コーリです。改名に当たるまでのいきさつは是非、プロフィールの 私の名前 をご覧ください。
アメリカに来てからというもの、自分の名前について聞かれたことがほとんどありません。日本ではむしろすぐ自分のアイデンティティーを知ってもらうために名前については聞いてもらったほうがよかったのですが。アメリカは個人が尊重される国であるため、さまざまな理由で改名が行なわれています。子どもにつける名前もイニシャルだけを正式登録して、そのあと、好きな名前を大きくなってからつけられるようにしたり、世間を騒がせた悪者の名前が上がってしまうとその名前をもつがこの国では不利と思えば改名したり、結婚を機に名字を変えるカップルはたくさんいます。1900年の前半、最初にこの国に到着した移民はアメリカっぽい名前にごく当たり前に変えました。去年は4,233件の改名の申請がニューヨークだけでありました。申請はいとも簡単で2ページの申請書に65ドルを添えるだけです。最終的には裁判官の許可を得ることになりますが、それでも95%のケースが受け付けられるといいます。
海外で生まれる赤ちゃんはその国でポピュラーな名前をミドルネームにつけたり、滞在国にちなんだ漢字を当てたり。名前の由来はその子のルーツを示すこともあります。滞在国で登録した名前が日本の戸籍に載せてもらえないこともあります。そのようなことから海外で出産された方は名前においては日本にいる時以上に考えてしまうこともありますね。
2003.10.10.
掲示板に perionatologist について記入がありましたので、今日は perionatologist についてお話しましょう。妊娠をした時、私たちは産科医、ファミリードクター、助産婦にかかることができます。しかし、合併症などが伴った場合、母体、胎児の健康が心配な場合、perionatologist が活躍します。Perionatologist は産婦人科医としてのトレーニングを終えた後、さらに2,3年の臨床特別研究員として実績を積みます。このトレーニングの過程で超音波画像を診断する技術も身につけます。胎児の脳、首、脊椎、心臓、胸、横隔膜、胃、腎臓、膀胱、へその緒、胎盤、羊水量の異常を発見できるようにします。これらの超音波画像診断は18週から20週当たりに行なわれます。
さらに、羊水検査の技術も習得しますし、へその緒から採血する技術や胎児にチューブを入れるそんな技術も習得します。そして、赤ちゃんが生まれたらすぐ neonatologists という新生児専門医に引き継がれます。場合によっては赤ちゃんがおなかにいる間に問題を解決するために母体に薬を投入したり、へその緒を通して赤ちゃんに薬を投入することもあります。
Perionatologist はハイリスク妊娠にもかかわりますので、双子や三つ子などの出産にも立ち会います。最近では増えている糖尿病を伴った妊娠患者にもかかわります。新生児専門医とはチームを組んでいますが、他にも genetic counselor という遺伝子カウンセラーともチームになって異常をもってこれから生まれてくる胎児について家族に状況を説明します。
2003.10.31.
赤ちゃんが生まれて最初に投げかけられることばを、皆さんは覚えてますか?「おめでとう、元気な男の子ですよ。」「お疲れ様、かわいい女のお子さんですよ。」アメリカでも誕生を報告するカードなどには It's a girl !, It's a boy! とこのように生まれて早々、最初のひとことが性別の発表であることに気づかれましたか?しかし、私が調べた、生まれて最初のひとことの中に、性別を伝えない国もありました。それはあえて一番大切なことではないと意識している人たちでした。
実は外観からは性別不明で生まれてくる赤ちゃんもいるのです。これらの人たちは intersex と称され、最初の手術は生後4〜15ヶ月に行なわれるため、子ども達の意思とは別にからだの大切な部分を整形されてしまいました。その手術はたいてい秘密とされ、場合によっては医師が親にも真実を伏せています。その手術を具体的にいうと、クリトリスが大きすぎたらそれを普通の大きさにしたり、小さすぎるペニスは女性の性器に変えています。決して生死にかかわるための医療的必要性のある手術ではないにもかかわらずにです。
ドクター側からすれば、単に患者のためにという目的なのですが、性器はからだの成長と共に変形していきます。膣の入口がなかった子どもは手術によって入口をあけたものの、成長と共に閉まっていってしまうのを母親は物体を入れて開かせる努力をしなくてはなりません。こんな屈辱的なことが治療として行なわれていてよいのでしょうか?子ども達は大人になるまで何度も性器を整える手術をくり返し行なわれ、その傷跡は見るに耐えないといいます。そもそも本当に必要な手術なのでしょうか?単なる整形手術なのであれば、それは必要でない手術といえるかもしれません。
彼らの多くは早ければ10才くらいで手術をされたことに怒りを覚えます。どうしてほっといてくれなかったの?性別は私が決めるものでしょ?自分が本当に誰なのかは私が決める権利があるでしょ?私の意志を無視してどうして手術なんてしたの?こんなからだになってしまってどうしてくれるの?自然のままにしておいてほしかった。ぼくの頭はぼくが男性だといっているのに、からだが伝えることじゃないんだ。このような訴えをしています。
生まれたとき私の子どもはロバート(男の子の名前)でした。しかし、手術の後、キャロリン(女の子の名前)として育てました。そして9才になった今、私の子どもは自分のことをマックス(男の子でも女の子でもよい名前)と呼んでいます。
もっと詳しく知りたい方は http://www.bodieslikeours.org
私たち親は子どものからだを本人の意思なしに勝手に整形してもよいのでしょうか?割礼はどうでしょう?子どもの意思なしに勝手に親の判断でこのようなからだの変形を行なってよいのでしょうか?海外で出産される方の多くが割礼についてする、しないを問われ、悩んでいます。もし自分だったらと赤ちゃんの立場に立って考えてみてください。
2003.11.14.
皆さんは先祖代々の遺伝子によって今日の自分があるということを意識したことがありますか?おそらく、私のここは父親似なのとか、この鼻は母譲りなのとか会話に出てくると思いますが、目に見えない遺伝というものもたくさんあります。その中でも、病気の遺伝子は、自分には現れなかったけど、もしかしたら私の赤ちゃんには現れるかもしれないというものです。このように果たしてどの確率で赤ちゃんに出るかを教えてくれるのが遺伝子カウンセラーの役目です。遺伝子カウンセラー (Genetic Counselor) とは比較的新しい職種です。今回はこの遺伝子カウンセラーであり、私が働く先天性代謝異常のクリニックでいっしょに仕事をしている Cynthia Livingston さんに遺伝子カウンセラーのお仕事についてインタビューしました。
たとえば赤ちゃんを産む予定のカップルの場合は、親戚にこのような病気を持っている人がいるが、子どもに現れる確率はどうなのでしょうか、という相談に載ります。まず家系図をみることから始まり、そこからどのくらいの確率でこれから生まれる赤ちゃんにその病気が現れるかを調べます。その次にさまざまな検査方法があることをカップルに伝えます。それぞれの検査についてその弊害、その結果をどう受け止めるかなどの相談にのるのがカウンセラーの仕事。どの検査を選ぶかは本人の自由。
またもうすでに妊娠はしてるけれども、おなかの赤ちゃんに病気があるかを知りたい場合も遺伝子カウンセラーは相談に乗ります。確率がどの程度か、どのような検査があるか、検査の危険性、病気の子どもが生まれても育てていけるか、それとも育てられない場合はどうしたいか、里子に出すか、それともまだ中絶できる時期であればその決断をするか、障害をもった子どもを育てるということはどういうことなのかなどを相談します。
ケア・ワールドには、もうすでに妊娠していて、胎児に障害があることが確認された時に相談にいらした方が何人か過去にいました。私はそのカップルにもう子どもが生まれてきてもすぐ亡くなるということがわかっているのなら命の限りの可能性をその子に与えたらどうかとアドバイスをしました。殺されるよりは、赤ちゃんの生きたいという生命力を尊重し、本人の力に任せたほうが親も納得すると思ったからです。生まれる前に命をたつということは、あくまでも親の決断になるからです。親はいつまでたってもその罪を背負って生きていかなければいけないことはあまりにもつらいと思ったからです。結果、その赤ちゃんは生まれて数時間後に天国に向かいました。その親は悲しみの中にいるものの、後悔はしていませんでした。
2003.11.21.
大学病院、さらに総合病院、さらに重度患者のみを扱う tertiary hospital となると一番深刻なケースばかりが集まってくるところとなります。今、私の勤める病院では他の病院と比べて生死をさまよう重症なケースが多いといわざるを得ません。その中で倫理を話し合うチームがいます。ここでは患者にとって、家族にとって quality of life つまり生きることの意味それ自身を問います。このチームはソーシャルワーカー、医者、看護婦などいろいろな専門職の人が集まってつくられています。
胎児に異常が発見されたとき、堕胎するかしないかのテーマはとても大きなものです。ただし、医療技術の発達する中、500グラムに満たない未熟な赤ちゃんですら生き延ばされる時代となりました。たとえ命は助かってもそのダメージはとても大きい場合が多々あります。たとえ呼吸をし、栄養をくだを通して胃に直接入れて子どもを生かされていてもそれが果たして生きているという本当の意味につながるのかという疑問です。
先天性代謝異常クリニックへ来る子ども達の多くは重い障害をもっていて、障害をかかえていきていくことの大変さを目の当たりにします。知能の発達の遅れのため、本人は何もわからなくても苦しみは存在しさらに子どもを世話する家族のたいへんな苦労、経済的負担は計り知れません。その結果家族がばらばらになったり母親が自殺をしてしまったりアルコール中毒に走ったり子どもを救うためというよりもそれをサポートする家族の方がばたばたと崩れていくのを見ると、いったい何が大切なのだろうかと考えてしまいます。
確かに経済的にも裕福で、24時間のナースを雇い、子ども専用の部屋を設け、夫婦円満でサポートしていける家族も存在します。しかし、問題を抱えて生まれてくる子どもの多くは、貧困家庭に生まれてくることが多いのです。母子家庭、他にも病気の子どもを抱えている、母親は働かないと食べていけない、子どもの薬を買うのもままならない、病院へ連れて行く車もない、母親自身も病気を持っている、医療保険に入っていないなどのケースでは世話をすることができない親ばかりを攻めることはできないと思います。ケースバイケースではあるもののケアをする家族のことを考慮せず、ただ生存だけを優先する傾向のあるドクターの使命にもう少し子どもの将来とその家族も含めて考えてほしいと思わざるを得ません。
2003.11.28.
このところなんとなく自信をなくしていた自分がいました。以前の私は怖いもの知らずで、無鉄砲でどんどん新しいものへいくらでも挑戦するタイプでした。しかし、今日は昔の自分を取り戻して、おもいっきって、知らないところへいってみました。そして、勇気を出して挑戦することで得られる自分の視野の広がりというものを経験しました。
おおげさに聞こえたかもしれませんが、なんてことはない、実はDean と呼ばれる、いわゆる学長の家に留学生の一人としてサンクスギビングに呼ばれました。誰も知らないけれども、他の留学生にも会えるなら、と思って出かけました。
この席で私が出会った人々はまったく自分の知らない世界の人ばかりでした。いったこともない国の人たち。聞いたこともない国からきた人たちでした。旧ソビエトから招待されいる学生が何人か来ていました。これだけ世界に興味を持ち、ありとあらゆる国について調べていた私ですが、タジキスタン、ウスベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンの今を私はほとんど知りませんでした。タジキスタンの学生はその国にはソーシャルワーカーが4人しかいないこと。そして彼女は帰国したらソーシャルワーカーを育てる教授になることを語ってくれました。アゼルバイジャンの医療制度のもとでは医療は無料といえども、医者にはお礼としてお金をつぎ込むことを語ってくれました。そこでは先進国並みのテクノロジーはないものの医者の知識が命を救うことを教えてくれました。ウガンダのジャーナリストとも話をしましたが、過去に自分の土地をいとも簡単に西洋人が取り上げていってしまったくやしさ、無力さを語ってくれました。貧しい人が90%以上占める国に住む現実も語ってくれました。
このように現地の人がその国について語ることほどインパクトのあるものはありません。皆さんは海外に住みながらめったと日本では得られない現地の人と語るチャンスを持っているのです。彼らからうんと現地の様子を吸収し、さらに日本のことも伝えてください。知らない世界を知り驚くと共に、彼らも日本という知らざる世界を皆さんから知り、人生の視野が豊かになっているはずです。どうぞ怖がらず、勇気を出して、現地の人に語りかけてみてください。きっと皆さんの世界はうんと広がり、人生がリッチになると思います。
2003.12.5.
ケア・ワールドのサイトを訪れてくださる方の中には国際結婚をされていらっしゃる方が大勢いらっしゃいます。私は隠れキリシタンごとき、隠れ国際結婚のようなものです。パートナーは純ジャぱ(純粋な日本生まれの日本育ち(社会人になるまで))それに対して私は国籍も日本、人種も日本人でありながら、人格形成時の大半を海外で育ちました。私の父親は「日本人であれば誰でもいい」とnon-Japanese との結婚に反対しました。今でもそのことばは深く心に残っています。
文化だけの違いではなく、肌の色の違い、あるいは祖先が来たところが違う、宗教が違う、食べ物が違う、ことばが違う、そういうことだけで二人の間の結婚を認めないご両親もいます。1960年代のアメリカではまだまだ白人とアジア人との結婚は一般的ではありませんでした。双方で inter-racial marriage (異なった人種間での結婚)を反対しました。けれども残念ながら今でもあまり変わってないかなと思うほどです。
日本人と non-Japanese の結婚もものすごく増えました。これだけ世界が狭くなった今日、私たちは世界どこへでも自由にいける時代になりました。日本へ来る外国人も増えました。そのような中で男女であれば、自然と恋愛感情が生まれて当然のこと。結婚につながるのも自然なことです。
結婚してさまざまな違いにぶつかっても、愛情さえあればなんでも乗り越えていけると私は信じています。愛ほど強いものはないと思っているほどです。愛に国境などないと何度聞いたことでしょう。しかし人間同士の結婚なんてたとえ文化や言語が同じでも、そこにはお互いに育った環境の違う他人がいっしょに暮らすのですから衝突があるのは当然です。国際結婚だとたまたま違いがはっきりわかることで原因を分析しやすく、少しハードルが多いというだけのことなのかもしれません。けどそのハードルの数ってやはりたいへんだと思います。それを克服していくには愛情しかないんじゃないのでは?
2003.12.12.
海外での子育てはとかくストレスが多いものです。それは周りに子育てをサポートしてくれる両親、兄弟、長いつきあいの友達などが存在しないからです。海外での子育てはとかく孤立しがち。現地で新しい友情を育てるのにも時間がかかります。慣れない子育てに加えて、サポートに欠け、さらには新しい環境で、異なる言語、異なる文化、考えの中、ストレスがあるのは当然です。しかしそのストレスを上手に調整していく必要があります。それでもあまりにも緊張が続くとどこかでぷっつんと切れることがあります。それが子どもに向かうこともあるでしょう。
子どもを必要以上に叱ってしまった、子どもに当たってしまった、子どもに平手打ちをしてしまった、子どもをベッドにたたきつけてしまった。海外のママたちの「ごめんなさい」の告白の声がケア・ワールドに届きます。アメリカの幼児虐待の実態は深刻です。先日は幼児虐待についてのテーマで小児科医であり、虐待された幼児を特別に看ているドクターの話を聞きました。傷を負った子ども達のスライドは目をしかめて見るくらい生々しいものでした。そこには熱湯につけられたからだ、手、性器、火のついたコンロに立たされたやけどの跡、噛みつかれた跡、うんと強く腕を握り締められた跡、何度もベルトで打たれた跡、びょうで刺された跡などが写しだされていました。Shaken baby といって赤ちゃんを前後に激しくゆすぶったあと、血液が脳の表面のある一部分にたまり、それによって神経に影響を与え、亡くなった赤ちゃんの脳内部の解剖写真もありました。
一番虐待を受けやすい年齢は6才以下といいます。6才以下という年齢はまだことばがあまり発達していない年齢であったり、「おうちのことを外に話しちゃ絶対だめよ」といわれたら、素直にだまっている年齢ともいえます。しかも虐待を受けやすい子どもは知的遅れのある子どもや身体的にも遅れを持った子どもが多いといいます。おむつがいくつになってもとれない、いくら食べさせようと思っても食べない、おねしょばかりをする、ミルクも飲まない、歩こうとしない。発達の遅れを伴う子どもを持つ親は子どもの遅れを受け入れることができないことが多いといいます。また親は子どもが実際に年齢相当のものができることは何かをしっかりと知る必要があります。
今、先天性代謝異常の子どものクリニックに訪れているクリスという虐待が疑われている子どもがいます。とても重い病気を持ったクリスはしょっちゅう病気になりがちです。母親はまだ若く、自分のしたいことがいっぱいあって、彼女が邪魔でしかたがないようです。彼女はしょっちゅういらいらしていて、その子が薬を飲まないことでものすごく腹が立つといいます。食べられるものも限られ、それを常に意識し、さらに食べる量をいちいちはかりで測ることもストレスだといいます。夫は協力的でなく自分の勉強だけに目を向けていて、それも彼女の苛立ちを頂点へ向けています。カウンセリングを勧めているものの、「私はいい母親よ」と聞く耳を持ちません。私たちは気をつけているもの何もできず、ただクリスがひどい仕打ちを受けないことを祈るばかりです。
2003.12.19.
海外赴任家族のほとんどがアメリカへ赴任という事実にも驚きますが、それだけアメリカは大きいからかもしれません。日本との経済関係で一番対象となる国だからかもしれません。さらにアメリカは先進国中でも最も進んでいるところもあり、そんなあこがれから渡米する人も多いでしょう。そこで今日はNYにおけるチップのあり方についてお話しましょう。
このクリスマスシーズン、いや、訂正訂正(NYではことばを選ばないとうっかり相手を傷つけてしまいます)今ではみんながみんなクリスマスを祝うわけではないので、ホリデーシーズンと言っています、さて、このホリデーシーズン、ニューヨークでは日頃お世話になっている人たちにお金を渡す習慣があります。そうです。ここを強調しないとチップはアメリカの文化であることも覚えておきましょう。
マンハッタンのようなアパートに住んでいれば、ドアマンに、ウェストチェスターの一軒家に住んでいれば、郵便配達の人、ゴミを集める人、芝刈りをしてくれる人、新聞配達の人でしょうか。おうちの中をきれいにしてくれるお手伝いさんを雇っていたらそのような人にも。さらに毎月お世話になっている美容院のスタッフに。
それでは本当はいくらあげたらいいのでしょうか?という質問に対してですが、それにはある程度のスタンダートというものがありますが、次のことを踏まえてからお伝えしましょう。
まず、どのようなサービスを受けているか、どの程度頻繁にそのサービスを受けているか、どの程度の期間そのサービスを利用したか、その地域ではみんなどうしているか、予算。そこで具体的に参考例として、毎日世話になる人たち郵便配達、ゴミ収集、新聞配達、スクールバスのおばさんは$10〜$30。月一回など時々利用する人たちは最低でも$20でだいたい1回来る時に渡す金額です。皆さんの場合はベビーシッターの高校生にはこの時期渡してもいいですね。ドアマンやアパートのスーパー(修理人)には$20〜$50が相場のようです。なお先生にはお礼としてちょっとしたお菓子が適当でしょう。
チップ制というのは日本では馴染みがないだけにまぎらわしいと思うでしょうが、やはりよくしてくれる人にはお礼の意味を含めて心づけはするべきだとニューヨークの人たちはいいます。チップを渡すべき時期に渡さないというのはその人のサービスに不満だということをつきつけているとも解釈されます。もしサービスに不満であったら事前に問題を解決しておくべきといいます。常によいサービスを保つことが彼らの義務でもあるからです。また、誰でも喜んでもらえればさらによくしたいと思うでしょう。ちょっとしたチップで一層アメリカ生活の内容が向上することも考えられます。人間やっぱりお金に弱いというか、それで価値を測るというか。民主主義の常識ですね。
ちなみにチップのお金のことをNYでは通称グリーンと呼んでます。それは米ドル紙幣の裏が緑で印刷されているからです。
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