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今日のひとこと

2000年の3月より、海外出産・育児コンサルタントとして感じたこと、国際医療ソーシャルワーカーとして感じたこと、海外生活体験者として感じたこと、母親として感じたこと、女として感じたこと、そして何よりもノーラ・コーリ個人として感じたことを今日のひとことで毎週つづってきました。以下はバックナンバーです。

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2002年

2002.1.1.

ケア・ワールドのお友達の皆様へ

新年あけましておめでとうございます。今年も昨年にも増して多くの情報を収集し、皆様のお役に立ちたいと願っております。私自身は微力ではありますが、皆様からのサポートによってこの団体は成り立っております。今年もケア・ワールドをどうぞよろしくお願いいたします。

さて、日本のお正月とはうってかわって、こちらNYはもうすでに2日から仕事開始です。子ども達も学校へ行きました。そしていったい私はどこで新年を迎えたのでしょうか?実は、なんと予想外に中米のパナマで迎えました。31日の日に飛行機が飛び立ち、私達は1日をNYで迎えるはずでした。Times Square のどんちゃん騒ぎを経験できるかな?と期待していたところ。。。。ちょうど飛行機が離陸した直後ボン!という音と共になにかものすごく変な異臭が機内を立ち込めました。

その直後機長からのアナウンス。今、かなり大きな鳥(鷹でした)がエンジンのファンにぶつかり、そこに吸い込まれたとのこと。さらにエンジンがかなり振動したので、これから陸に向かうとのこと。離陸のとき私は無事を祈っていました。どうして祈りが通じなかったのかな?と思うほどパイロットの人たちのことを祈っていたのです。それなのに。しかしこれもよい方向への神様の計画でした。着陸し、エンジニアの人の立会いのもと、どうするかが検討されました。しかしファンのプロペラが欠けてしまっていること、さらに一部のねじがゆるんだとのこと。エンジンを直してすぐ飛べるのか、それともアトランタから飛行機を夜運んできて、次の日に備えるかの選択でした。結局空港でさんざん待ったあと、フライトはキャンセルされました。

デルタ航空で宿泊代と食費(昼、夜15ドルまで、朝7ドルまで)、国際電話(3分無料)をもってくれ、結局新年をパナマで迎えました。夜はタイタニックの映画を見て感動の涙を流し、新年はホテルの窓から舞い上がる花火を鑑賞しました。

So what did I learn from all this? 人生は予期せぬ出来事の繰り返しです。しかしそのひとつひとつのsurprise をどう受け止めるかにかかっています。海外生活においては旅行同様、ハプニングの連続です。しかし旅行はもともとハプニングを楽しむものだと私は思っています。予期せぬ出来事が何を私達にもたらすか。皆さんも海外で妊娠するとは思っていなかったでしょう。しかしどうでしょうか?すべてにおいて肯定的に見れる人は人生の幸せを多く体験できる人だと思います。人生は旅、ハプニングで成り立っているようなものです。それなら大いにこのハプニングを楽しもうではありませんか。

2002.1.3.

〜 過酷な人生から人は多くを学ぶ 〜

最近、メンタルヘルスのカウンセラーについていろいろと考えたり、読んだりしています。気になるのが海外においては案外女性が心の病気にかかる人が多いというデータです。しかしこのデータで気になるところは、男性のほうが実際は多いものの海外の狭い日本人社会では症状に気づいてもそれを表に出せないのではないかと推測しています。

岡山労災病院の神経科の下山 敦士氏のことばを今日はシェアします。「人の心は人の心によって癒される」。よいカウンセラーは多くのつらい経験をし、さまざまな人生の試練に遭い、追い詰められたほどの経験をもった人で本当に人の心の傷が理解でき、愛のある人だと思います。心を癒すことはからだを癒す以上にむずかしいものです。

この地球での生活は実は試練の連続なのです。幸せな人はほんの少数なんです。そして大多数の人たちはみんな不安でつらく、苦しく、さみしく、孤独なのです。そのためみんなそこから救われたいと願うのでしょう。それが人に愛されることであったり、頼りになるお金であったり、頼れる存在であったり、しかしこの地球上に存在するものはすべてもろいものばかりです。お金も一夜にしてなくなったり、人への信頼も一晩にして裏切られたり。心が風邪を引くと元気がなくなり、もう絶望的になります。海外での生活では多かれ少なかれ、どこかでそういった追い詰められた状況に出会うものです。しかし人はそこから強くなると思います。自分にとって何が大切なのか、それを考えるチャンスを与えられるからです。

私は3年おきの引越しを通して、この変化がいろいろなよい意味で私を成長させていると思います。新しい人との出会い、柔軟なものの考え方、価値観の変化、ものごとをポジティブにとる姿勢。だから途上国が好きなんです。あのなんともいえないなんでもありの世界が先進国にはもう見つからないのです。ああ、パナマは楽しかった!

2002.1.4.

〜 子どもに守られている私たち 〜

今日はちょっと実用的なお話をしましょう。海外に住んでいると日本に住んでいるとき以上にどことなく緊張しているのを皆さんは感じていると思います。さらに万が一何かが起きるということもいくらでも考えられます。家に泥棒が入った、街でひったくりにあった、家が火事になった、交通事故にあった、子どもが入院した、実に予期せぬハプニングは起きます。私のように人生の半分近く来ますとかなりのことを経験してきます。

しかし皆さん、皆さんのお子さんが実は guardian angel であるということに気がついていますか?子どもの乗り物が散乱している家には泥棒は近寄らないといいます。子どもがいる家庭はたいてい日中母親がいるので泥棒は入りにくいといいます。街でもしゃれたショルダーバッグよりも子どもを抱かなくてはいかないママはからだに身につけたリュックをしょっています。誰も知らない土地でも小さな子ども達の世話に追われ、さみしさにひたる時間もありません。子どもの学校を通して友人関係が広がり、友達もできてきます。その人達から情報が入るので、安全対策などの予防手段も早く身につきます。子どもが後ろにすわっているから運転には細心の注意を払います。

このようにあまり気づかれていませんが、皆さんのお子さんは海外で皆さんを守ってくれているのです。子どもってすばらしいですね。まさに子ども達、ありがとう!です。

ちなみに財布を盗まれた知人からのアドバイスをお伝えします。まず財布に入っているすべてのカード類のコピーを裏表とっておきましょう。またそれぞれのカードを紛失した場合のコンタクト先を記録しておきましょう。それを大切なところに保管します。次に万が一お財布を盗まれた場合、これらのカード紛失・盗難連絡先にすぐ連絡しカードが犯罪者によって使われないようにストップします。アメリカですと社会保障番号を悪用されることもあるのでそこにもストップをかけます。最後にクレジットカードをチェックしている会社として、次のところへ連絡をいれます。まあ、くれぐれもお財布を盗まれないように気をつけましょう。

Equifax: 1-800-525-6285
Experian (formerly TRW): 1-888-397-3742
Trans Union: 1-800-680-7289

2002.1.11.

先日、Citibankの口座から毎月不明の金額が引かれているので、これはなに?と質問したところ、Cash backは5件までは無料、ただしそれ以降はサービスチャージがかかるというのだ。えええ?そんなこと誰も教えてくれなかった?そんな制度があることすら思いもよらなかった。なんでそういう説明を最初にしてくれなかったの?と相手を攻めても知らなかった自分が悪いというように答えが返ってくる。

海外へ行くと私達が日本で慣れていて、ほぼ常識あるいは当たり前に思っていたことが実は存在しなかったり、海外で常識であることが私達にはまったく未知の知識となることが多々あります。このようなことはもうただ失敗から学ぶしかないと思いました。

それだけ日本の常識、海外の非常識、海外の常識、日本の非常識という図式になるのでしょう。ちなみにアメリカでなぜ赤ちゃん用の綿棒が売られていないかといいますと、アメリカ人は耳かきを子どもにする習慣がないからです。彼らは医者にいって耳のそうじはしてもらうのです。そのため、アメリカの常識でこぶしより小さいものを耳に入れるなといいます。つまり耳には何も入れるなということです。

そしてどうしてないのか、あるいはどうしてそういうものがあるのかといろいろ調べていくとその国の習慣、文化、医療に対する姿勢、考え方、価値観というものが見えてくるものです。皆さんも是非納得のいくまで説明をもとめてみてください。きっとその国のおもしろさが見えてくるでしょう。

2002.1.18.

新しい土地で新しい学校。新しい友達、新しいことば。学校へあるいは幼稚園に行き始めた子ども達にとって最初の1年は本当に苦労の年だと思います。まだ小さいから早く慣れるなんてあくまでも神話。子ども達は子ども達なりにものすごくつらくって、それでもがんばっている。がんばりがわかるし、つらさもわかる。だから親子で涙しています。今回いろいろなことがわかりました。完璧を求める子どもこそくやしさがいっそう大きいこと。明るい子どもほど性格が変わるほど落ち込むこと。当然です。だって前の自分をもう出せなくなっちゃってんですから。ありさちゃんなら絶対大丈夫よといわれたその有沙が一番不適応を起こしています。彼女なりに抵抗し、学校を休んだり、授業をさぼったり。もしかしたら今が一番スランプなのかもしれない。私と彼女との時間がものすごく増えました。今はそばにいてあげることしかできないのだから。

そんなつらいさみしい気持ちをいやすものが我が娘の場合は動物でした。イライラしてて、悔しくて、さみしくって、日本に帰りたくて、そんな涙を全部我が家のハムスターは吸収してくれています。どんなにさわられてもいらいらをぶつけられても、小言ひとつ言わず、娘の思うように遊ばれて。動物って本当に心を癒してくれます。

息子の場合は音楽でした。彼は好きなアーチストのCDを買ったり、テレビの曲ばかりが流れるMTV(Music television)を学校から帰ってくると放心状態で見ています。いや、聞いています。そして最近ギターを始めました。彼にとって音楽は心の癒しなのでしょう。

2002.1.25.

皆さんが力を与えられるなと思うものはなんでしょうか?私にとってはやはり一生懸命にがんばっている人だと思います。そういうめざす人、勇気を与えてくれる人がいますか?私はある程度目標にしようとしている人が何人かいます。彼らは人間的にもすごく魅力的です。私のような凡人をひきつけるものがあります。人よりもがんばっている人、一番をめざそうとしている人です。彼らには凡人にはないパワーがあります。いったい何が原動力となっているのだろうかというとたいていは貧困です。貧しい中から、苦しい中から、絶望的な中からはいあがろうとする力です。それは生きるパワーそのものでもあります。

生きようとするパワーが私たちを奮い立たせるのです。赤ちゃんや子どもは特にそうです。私たち大人のようにすぐあきらめたりしません。彼らはただ生きようとするだけだからすごいパワーを出すのです。病に戦い抜いてそして生き抜いていく。生きる力を持っている人は美しい。

だから貧しい人たちは届かない富を得たいがためにがんばり、魅力的になります。しかしいったん富を得、すべてのものを自分のものにしたときその魅力はすっかり薄らいでしまうものです。私たちは常にハングリーでなくては魅力を失ってしまうといっても過言ではないでしょう。そのために富は分配しなくてはならない。常にハングリーの状態にしておかないと私たちは魅力を失ってしまうのでしょう。

2002.2.1

私のお気に入りの番組の中で The Baby Story というのがあります。これは毎日2時から3時まで放映されていてちょうど私のランチの時間に当たるので毎日のように見ています。たいてい2つのbirthing story を伝えるのですが、となると私は多いと一週間に10件、1ヶ月で40件くらいのお産を見ていることになります。毎回教わることがいっぱいあるのですが、今日のストーリーはレズビアンカップルの間に生まれた赤ちゃんの話でした。

新生児室に入れるのはご主人だけですと言い渡されたとき、彼女は"I'm her partner. There is no husband." といったことばがとても印象的でした。アメリカではレズビアンの相手のことをたいていパートナーといいます。その彼女はこれで二人目の子どもに当たるのですが、今回もしっかりと検診にもずっと付いていき、出産は帝王切開であったにもかかわらずしっかり立ち会っていました。最後のへその緒をカットするのも彼女の役目でした。おそらくママ役とパパ役というのが自然に決まっているのでしょうが、彼女達の場合もかなりはっきりしていました。きっとパパ役の彼は一生子どもは産まないのでしょう。

しかしいったい何が違うの?と思ったとき、私には彼女達のことが奇異に写るよりも、何も違わないじゃないという気持ちで見ていました。レズビアンカップルに対していろいろな世間の見方があると思いますが、私が出会ってきたカップルはすべてとてもすばらしい人たちばかりです。世間から理解されないこともあり、それを超えてきただけに彼らの目はなんて温かいのでしょう。このような温かいカップルのもとに生まれてきた子どもは幸せに育つと確信しました。

2002.2.8

私はいろいろなところで声をあげてきました。主に出版物を通してですが、いろいろなことを訴えてきました。しかし時々自分が頭に思っていることがはたして、どれだけ読者に伝わっているだろうか、どれだけ説得力があっただろうか、どれだけわかってくれただろうかといつも思っています。特にそれが子どもたちの代弁をしているときです。それはなかなか親は子どもの立場に立って考えれないからです。

特に私とはまったく違う価値観をもっているような人たちが読んでいるかもしれないと思うとますます不安はつのります。それでもいい続けなくてはいけないことはいい続けなくてはと使命を感じることがあります。

子どもはいろいろな性格があります。勉強の嫌いな子、好きな子、そういった性格もよく見てあげないと
一概に親の理想だけで教育を進めるのは子どもにとってたいへんな負担となります。

子どもは結局最終的には自分にあった道を選ぶと思います。そうさせてあげなくちゃいけないし、それを喜ばなくてはいけない。

けれども親はこれは将来のオプションのための下準備といろいろとします。その下準備はもちろんよかれとしたことですが、案外それが子どもにとって将来をめちゃくちゃにするような結果にもなりえます。それをどう見極めるかがみんなきっとわからないんだと思います。

私も例外ではありません。私もしょせん親です。子どもに一番いいことを望んでいながらも、気づかないところで子どもたちを追い詰めているのかもしれません。愛情だと思ってやっていても子どもたちを傷つけていることもある。それに気づくだけでもいい、けれども気づかないこともある。

教育の結果は先が見えないだけにむずかしいものがありますね。

2002.2.15.

皆さんはお子さんにどのような靴を買ってあげていますか?欧米では生まれたその日から靴下をはかせ、さらにお外へ行くときはたとえベビーカーに入っているだけの赤ちゃんでも靴をはかせています。靴の文化というほど彼らにとって靴は足の形成に大切だという考えです。

ドイツに行って驚いたことは皮でできたとても底のしっかりした靴が売られていたことです。しかも種類はあまりなく、色もあまりチョイスはありませんでした。しかもものすごく高い。高いといってもそれは日本との比較です。それでもドイツ人ですら子どもの靴はすぐはけなくなるのに高いと言っていたからやはり高いのでしょう。しかしはきごこちはばっちしといった感じでした。ぴったりしていてしかも足のくるぶしのあたりがしっかりとサポートされていました。

日本でははだし育児が昔から尊ばれ、これまた土を踏むことによって鍛えられていったのでしょう。土踏まずということばがあるように、たくさん大地を踏んできた子どもにはこのアーチがしっかりと出来上がっています。歩くことの大切さ、これは足の形成にも影響を及ぼすのでしょう。日本では子ども用の靴を作り出したのは明治以降とのことです。まだまだ歴史は浅く、それ以上に靴に対する認識がまだ日本では母親の間に根強く浸透していません。それでも今はだいぶよい靴も出てきました。日本人の子どもの足は甲が高く、幅広とのこと。多少曲がる靴。底のヒールが少しはある靴。靴先が広がった靴。底がしっかりした素材のもの。そんなものがよいようです。日本では何度も靴を履いたり脱いだりしますのでひも靴は面倒ですが、しっかりとしまるマジックテープのものがよいようですね。

さて、私もパソコンの前にすわってばかりいないで、ちょっと歩いてきますか・・・

2002.2.22.

日本ですでに妊娠をし、アメリカで出産を迎える方に朗報!!ここ数年に渡り、各グループ医療保険が妊娠してアメリカへこられる方にも分娩費用がカバーされるようになりました。これはすごい前進です。今までもうすでに妊娠していると保険がカバーしないという理由で日本での出産を決意されていた方には本当に喜ばしいニュースだと思います。ただし保険会社によって異なりますのでこのあたりはきちんと該当するかよく調べてください。とにかくアメリカには保険会社が2000あると言いますから。

アメリカの医療費はばかにできません。保険がカバーしてくれなかったら本当に病気にもなれないという実態です。シンガポールでもだいたい小児科医にかかると5000円、日本でも5000円くらいだったと思います。しかしこちらでは2,3倍かかると見たほうがよいというのが私の結論です。

そのため分娩費においても日本でだいたい30〜35万だとしますと、こちらではその二倍、ないしは二倍ちょっとの60〜100万円かかるように思えます。アメリカではチョーリッチな人たちからたいへん貧しい人たちまでいます。これらの貧しい人たちの多くは医療保険にも入っていません。どうしようもなくさらに貧しいと保険が適応するので、その極貧困になる手前の人たちが一番の痛手を受けているのではないでしょうか。特に子どもたちがきちんとした医療を受けられないのは悲しいことです。

アメリカの医療費も日本の医療費も莫大で赤字で問題だらけといいますが、まだ日本は国民皆保険があるだけに救われていると思います。アメリカが経済的に豊かな国であると言われていますが、実際に見てみると貧しい人たちがいっぱいいます。それでも1セントがマンハッタンの道端にそこら中にころがっているのがなんとも理解できません。

2002.2.26.

皆さんは分娩台の上に仰向けになって背中を上げた状態で出産されましたでしょうか?実は私もすご〜〜く、お産に対して無知だった頃、それが当たり前だと信じていました。あの分娩台もいけませんよね。そもそも病院で産むこと自体いけなかったのかも。テレビの影響もいけませんよね。お産のシーンなどみんなだいたい同じ。分娩台に仰向けになってあああん、とかうううん、とか「いた〜〜い」とか言って産んでますよね。けれども赤ちゃんにとっても母親にとってもあの仰向け状態で生むのは実際は決してお勧めじゃないんですよね。

それもそのはず。あのように仰向けに寝そべった状態では産道の30%がつぶれてしまっているんです。そうですよね。考えてみてください。私たちが背もたれに仰向けによっかかったとき、産道を横からの断面図で見たら、一番出口のところが確かに完全につぶれてますよね。重力がかかるからです。(排便の格好を思い出してもわかると思います。ちょっと汚かったかな?)そのような状態から赤ちゃんの頭が回転してでてくるんですから、どう考えてもつらいわけです。30%も産道をつぶしてるんですよ!それでやれかんしを使う、やれ吸引だではたまったもんじゃありません。

私たちができることはいかに産道をフルに開かせてあげるかということです。そのためにはやっぱり動物に戻るのでしょう。ひざまづいてお産!横になってお産!しゃがんでお産!そこらへんに行き着くのでしょうね。まだこれからの方、是非お試しを。まあ、それでもお産は他に予期せぬことがいっぱいですが、まあ、少しでも赤ちゃんが楽に生まれれば。

2002.3.1.

以前から私が気になっていた人にOprah Winfreyというアメリカの黒人女性がいました。彼女については女優さんかな、と思っていたのですが、トークショーなどに出ているところからみて、いや彼女はなかなかの大物だぞと感じていました。そして最近、彼女について読む機会がありました。

彼女は幼い頃から話すことに対して非常な才能を持っていました。話し相手がいないときは家の豚にスピーチをしていたほどといいます。その彼女のことばで印象的だったのは、

「自分が持ってないものに対して不平をいうな。あるものを生かせばいい。ベストを尽くさずそれ以下に満足しているのは罪である。すべての人はその人なりの才能に沿った偉大な力を持っている。その偉大な力とは自分と他者に対する接し方で決まる。」と語ります。

さらに、彼女の目標は常に同じ、それは「自分が持っている最高のものを出し切って、最高の自分になること。」と言います。子ども達はそれぞれの才能を持っています。それを周りが気づき、本人が気づき、本人の自覚からそれを伸ばしていく。すべて本人次第。そのように育てるのが私たち親の役目なのでしょう。

私自身はどうだろう。本当に自分の持っているものをよく知っているだろうか?それを本当に生かしているだろうか?いや、今、それにじょじょに気づいているのかもしれない。これでいいんだ。私は私。他の誰かになることはできない。私にしかないものそれをこれからどんどん伸ばそう。自分を生かしていこう。

そして子どもたち。彼らはどんな才能を持っているのだろうか?動物を心から愛するやさしさ、音楽をことなく愛すその心。ああ、彼らはすばらしいものを持っている。皆さんのお子さんはどうでしょう?今はなかなかわからないかも。けれども生まれたときからそれは備えているのでしょう。あとは発見されるのを待っているだけなのかも。

2002.3.8.

A Beautiful Mind という映画を見た。この映画は天才数学者が持病の精神分裂症と戦いながらも最後にはプリンストン大学の教授にまで上がり、さらにノーべル賞を獲得するというストーリーである。この映画はビジュアルな面でのエンターテイメントではなく、むしろ天才と狂人は紙一重ということを考えさせられるストーリーである。

私は脳の複雑さについて常日頃驚かされている。夢、ストレス、錯覚、ノイローゼと私たちの脳はさまざまな状況に影響を受けやすい。それだけに健康な精神を保つことがいかに大切かということだ。しかしからだの健康はいくらでも情報がありながら、心の健康についてはあまり語られない。私たちはいつどこで心の病に陥るかわからない。自分は絶対大丈夫という人でも心の病にはかかる。特に異国の地に放り投げられた状態のストレス度は大変高く、それらにどの程度ついていけるか、適応できるかは常日頃どの程度精神の健康を保ってきたかにかかると思う。さらに少しくらいの心の風邪は時々かかっていておいたほうが免疫ができ、練習ができる。

楽観的な人は適応力があるとか、完璧主義者は自分を追い詰める傾向があるとかいうが、結局はどのような性格であろうが、人は精神的な健康さえ保たれていれば、状況によって対応できる力を備えていると信じている。そのためにも心が風邪をひいたかな?とくしゃみをした段階ですぐ初期症状に対処することだ。かかえきれないストレスはやはり荷を降ろす必要がある。人間はそれほど強くはない。

2002.3.18.

週末は都会を離れて、"Women Unlimited"という私の所属しているグループの女性達と過ごしました。年に二回グループはこのような retreat (都会を離れる)を過去30年間続けてきました。(都会の方では毎月1度集まっています。)そのため、初期の頃からいる人たちはもうすでに70歳を超えています。途中から入った人たちの娘も参加しているくらいですので、若い世代は30代くらいです。それだけの年齢幅がありながらもなんの壁も感じることなく、なんでも話しあえる仲です。私は新米でありながら、すぐ彼女達に受け入れられました。今や本当になんでも打ち明けられる仲間です。

そんな彼女らはものすごい歴史をしょって生きています。Pat は4歳の時にどのようにイギリスからボートに乗ってアメリカまでたどり着いたかの話をしていました。Jay はポーランド、イスラエル、イギリスでの出産の話をしてくれました。さらにアルツハイマーのご主人の介護の話。Bettyは2度の再婚を経て、2度目の結婚は慎重に考えるべきと失敗談を話してくれました。Ellyはドイツ人のご主人を亡くしてからどのように3人の子どもを育ててきたかを話してくれました。Loisは37歳にしてご主人を亡くしてそれから2人の子どもをかかえながらアメリカを転々として仕事についていた話をしてくれました。Audreyは南アフリカからアメリカへ渡ってくるまでの話をしてくれました。どの話も一冊の本が簡単にかけそうな興味深い話ばかりです。彼女らの話を聞くと本当に人生ってものすごく重みがあるんだなと感じます。

彼女からすると私などはひよっこに写ってしまいます。それでも私は彼女達からたくさん話を聞きたくて、「〜が40歳の時ってどんなだった?」と質問を繰り返していきました。いくらでもいくらでも話は続きました。今回のテーマは transition でした。「移行期」とでもいいましょうか?皆さんはどんな過去にピリオドをつけてきましたか?今はどこにいますか?これからはどこに向かっていきますか?自分の明日、自分の数ヵ月後、自分の数年後は見えますか?

2002.3.22.

皆さんは日本人という外国人として海外で住んでいらっしゃるわけですが、周りの現地の人たちが皆さんをどのように見ているか考えたことがありますか?ここアメリカはものすごいracial tension (人種間の緊張)があるところです。それはいやがおうでもひしひしと感じています。それは主にお互いを知らないからというところにいきつくとおもいます。特に知ろうという姿勢をもっていない人たちや勉強しようと思わない人たちはそれが強いと思います。しかししょせん人間なんです。相手を知ると同じことで悲しみ、同じことで喜び、表面的な違いなんてたいしたことではないと気づくはずです。それなのに人間はおろかですから、その人を本当に知ろうとせず、表面的なことだけで、モスレムはみんなタリバンと同じだと誤解したり。

私が時々見る番組でAnanda という番組があります。今日はそこにracial hatred を備えた人を出してまっこうから言いたいことを言ってもらうというセッティングでした。その黒人男性はいかにアラブ人がきらいかということをめんめんとつづったのです。それがアラブ人の女性のヤスミンさんにアラブ人の生活やら食べ物を紹介され、お店に行ったりしてものをみたり、最後には彼女の家に招かれて食事まで出されました。そして最後にあれほどアラブ人をきらっていたその黒人男性はヤスミンさんをハッグして、今まで自分が持っていた偏見をわびたのでした。自分は何も知らなかったと。

けれどもこのヤスミンさんは英語がとても上手でした。英語が上手であるからこそこの黒人男性を説得するだけの力があり、心もあったのです。この情景を見ていて、私は、やはりことばだと実感しました。私はバイリンガルの大切さを強調していますが、本当にことばで伝わらなくてはわからないことがいっぱいあります。そのためにも皆さん、周りの現地の人を積極的に家に招き、日本人を知ってもらい、日本を知ってもらい、しいては自分を知ってもらうように努力してください。さあ、隣のサラはいつ我が家に遊びに来てくれるかな?忙しそうでいつ電話してもいません。

2002.3.29.

ああ、びっくりしました。昨日、いつものように自分のこのページを開いたところ、「ない!」どこにも「ケア・ワールドのHPがない!」というこの事態。「えええええ、どうしよう!」とパニくる私でした。(性格が表れていますよね。)そしていろいろ調べたところ、Angelfire からの連絡があり、bandwidth の容量を超えているという忠告でした。私は自慢ではありませんが、技術系ではありません。そのため、このサイトを維持するためにも何人かのサポートのもとで実現されています。そして今回も本当に助けてもらいました。ありがとうございます。

うれしいことにこのサイトを訪れてくださる方が日によっては300件を超えているとのことでした。そのため、サーバーからアクセスするに当たって、メモリーの容量があって、フリーのサーバーの場合はそれが制限されているのです。そのため、個人の小さなところでしたら、フリーのまま十分にまかなわれるのですが、ケア・ワールドはおかげさまで大好評で、人気度抜群ということでそれを超えてしまいHPをシャットダウンされてしまったのです。とてもうれしい知らせだったのですよね。皆さん、ありがとうございます。私もこれでまたひとつ勉強させていただきました。

またページが開かず、ご迷惑おかけしたことをお詫びいたします。今後も是非、ケア・ワールドをよろしくお願いします。

ニューヨークにもじょじょに春が訪れています。れんぎょも咲きほこり、クロッカスも地面から白、黄色、紫とたくさん顔をのぞかしてます。木々の芽も少しづつではありますが、ふくらみをもって色も変わってきています。あともう少しで長い冬も終わりを告げるのでしょう。そして春。楽しみです。

2002.4.3.

人はいくつの悲しみを乗り越えられるのだろう。生まれて死ぬまで私たちの人生はチャレンジの連続です。こんなに悲しいこと、つらいことはあるだろうかと思われるような試練にも出会います。異国の地でひとりぼっち、我が子の死、家が火事でなくなる、異国の地で解雇される、夫と死に別れ、借金が返せない、家を追い出される、明日の食べるものがない、恋人との別れ。いったい私たちは何度涙を流してきたでしょう。

しかしこれらひとつひとつを乗り越えていかなければならないわけです。避けて通れないことが多すぎます。そして立ち向かい、克服し私たちはじょじょに強くなっていくのでしょう。そして天国にはそういう試練を通り、力をつけてきたものだけがいけるところなのではないでしょうか。

人の不幸など誰にもはかることはできません。ある人にとって絶望的なことでも、もう一方の人にとってはなんて幸せなのというものであるかもしれません。一人の深刻な悩みもある人にとってはなんて贅沢な悩みと写るかもしれません。いったい何が一番絶望的といえるものなのでしょうか?そのようなものは本当に存在するのでしょうか。

絶望的、最悪、明日の希望もない、そんなことを口走ってみたところでそれでも今日生きているではないですか、今日どこも痛いところはないではないですか。食べるだけのお金はあるではないですか。からだがあれば何とかなるではないですか。それでも人は死を選ぶことがあります。だから私たちは決して人の不幸を批判できないのだと思うのです。

そんな最悪と思うとき、私は自分がいかに恵まれているかをひとつひとつ数えることにしています。愛する人がいる、愛されている、健康である、今日もごはんが食べれた、雨風をしのぐ屋根がある、安心して寝られるベッドがある。ああ、私はなんて幸せなんだろう。

2002.4.5.

春が確実にここ、ニューヨークにもやってきています。運動不足にならないように一日一度は外を歩くようにしていますが、今日はデジカメを持って、近所の春を写してきました。黄色いレンギョ、しだれ桜、名前もわからないブルーの小さなお花、梅。日本にもあるような植物がここにもちゃんと生きています。

季節は何千年、何億年とくり返し到来し、土の中に眠っていた植物は温かくなると必ず芽を出します。こんな自然の法則に囲まれ、この地球上で確かなものはもしかしたら自然しかないのではと思うくらいです。私たちは明日の命もわかりません。明日の運命もわかりません。私たちが確かと思ってすがることができるのはこの自然しかないんじゃないかしら?となるとこんなに頼りのない私たちの明日にいったいどんな希望を持てるのでしょうか?

人は、常に確かなものを求め、それにすがろうとして、捜し求めています。しかし、どんなに探しても見つからない。これだと思ってもはかなく消えていく。子どもも思うようには育たない。自分の健康も一生問題なしというわけにはいかない。いつまでも生きていてほしいと願う親や友人もいつかは目の前から去っていく。となると私たちの人生なんて本当にもろいものなのですよね。そして私たちは弱いもの。頼りないもの。

これだけ人生を長く歩いてくると(といってもまだ半分かな?)本当にいろいろなことが見えてくる。世の中で一番尊いものがなんであるか、人生において優先すべきこととはなんなのか、試練は自分を成長させてくれるもの。私もやっとこの年になってちょっとだけ成長してきたように思える。無鉄砲だった10代、向こう見ずでつっぱしった20代、がむしゃらだった30代、そして今、ちょっと落ち着いて自分を客観的に見られるようになった40代。こう見るとやっぱり今が一番かもしれない。キャリアにおいてはまだ達成できてないことがある。私の夢はまだ実現してない。けれどもまだまだ生きる。50代はきっともっとすてきな私がいるのかもしれない。皮膚は老化し、目も見えなくなっていく、おなかの脂肪はぶよぶよ。けれども自分の知性、心の姿、感性、人の気持ちをくむこと、こんなものがすごく磨かれていってるように思える。人生ってすばらしい。成長するってすばらしい。生きていることってすばらしい。

2002.4.12.

今朝、ラジオではトイレット・トレーニングの話をしていました。きっと今日もトイレット・トレーニングで悩んでいる海外のママもいることでしょう。ラジオではどうして、用を足した後に "Bye, Mr. Poo-Pee"といって水を流すことがテーマに上がったのです。そして視聴者からいろいろな意見が寄せられていたのですが、その中に、子どもがそれをもてあそぶからという意見があったり、あの水が吸い込まれていく様子は子どもにとってはものすごい恐怖なのだとか、流れていった先はどこなのだろうとか、なかなかおもしろいでした。

皆さんはどのように子どもにトイレを紹介しましたか?私が海外での子育てを調べ始めてから、このトイレット・トレーニングについての見方が大きく変わりました。私は以前、トイレット・トレーニングは自立に向けての最後の関門だと思っていました。一人で寝返りができて、一人で歩けるようになって、おっぱいから普通食に移行して、一人で食べれるようになって、話せるようになって、そしておむつが取れたらと少しづつ自立に向かいます。そしてこの最後のオムツが取れたら私はどんなに楽になるだろうとそう思っていました。しかしこのトイレット・トレーニングという節目がない国があるということを知って私はびっくりしました。発展途上国の多くの国では、子どもはパンツもオムツもしてないのです。そのような国ではトイレット・トレーニングなんていうコンセプトすらないのでした。そしてママたちはそんなことで悩みもしない。

地球規模でおむつはずしを見たとき、オムツすら最初から存在しないという視点があり、となるとオムツはずしもない、と知ったとき、かなり気持ちが開放されました。結局私たちが子育てで悩んでいることとは先進国に住むものならではの悩みがいかに多いかということです。文明の発達によって、近代化する社会の中で、私たち親はより多くのことで子どもについては悩みを増やして行ったのです。あああ、私もご多分にもれず、我が娘の学校のことで悩んでいます。学校のない国の人から見たらいきっとそれは悩みにも写らないのでしょう。しかしどこの親も同じ、きっと彼らは他のことでもっと悩んでいるのでしょう。

2002.4.17.

ニューヨークは急に温かくなりました。いや、異常なほどの気象現象。ここ数日真夏日のごとく、30度ほどの暑さです。子ども達は水着で芝生に出て水遊びをしています。それでも我が家の前の公園では八重桜が9本ほどあり、それがこれから咲こうとしています。この公園には子どもの遊び場が隣接していて、日中、天気がいいとたくさんの子どもたちとベビーシッター、あるいは親が車で乗り付けてきます。

けれどもこの公園、トイレがありません。そのため、おむつをつけていない子どもはどうしてもいきたくなると、いつもあのもみの木の後ろに回って、プレイグランドから死角になる位置で用を足しています。ちょうど私の家の目の前にこのもみの木があるので、ちょっとしたしぐさですぐ何をしているかが観察できてしまいます。

私は以前、先進国の人たちはちゃんとしたマナーがあるから、子どもに外で用を足させるなんてしないのかと思い、我が家の子どもたちにもきびしく「大丈夫?」と家を出る前に念を押してでかけていました。しかしイギリスでもドイツでも、そしてここアメリカでもやっぱり子どもは子ども。どんなに親が頭では「こんなところでは困る〜〜」と思っていても、自然の呼び出しがあれば、それは子どものこと。やっぱりところかまわず出るものは出なくてはならない。ということで、古今東西、出るものは出る。特に子どもは我慢ができない。ということです。

2002.4.19.

最初の子どもを帝王切開で産むと次の子どもも絶対に帝王切開でしか産めないと思っている人はけっこう多いと思います。しかし、帝王切開は問題があったときのみに行われるものであり、もし二度目のお産が医療上問題がなければ、下からのお産を試みることはできます。帝王切開からの回復は時間もかかりますし、からだへのダメージも大きいため、多くの方は次の子どもは下から生みたいと望んでいます。

さて、ここで気をつけなくてはいけないのは、子宮が破裂する危険性があるということです。しかしその場合の多くは陣痛促進剤などの使用によって人工的にお産を進めたケースだそうです。そのため、帝王切開を一度経験したというだけで一応はハイリスクとなるので、ドクターと念入りに話あった末に下からのお産をチャレンジすべきといえそうです。

以前、私は医学的に必要でない帝王切開はすべきでないと思っていました。しかし、ドクターの立場からすると場合によっては、リスクをとる下からのお産よりは最初から自分がコントロールにまわれる帝王切開という見解が少しづつ理解できるようになってきた今日この頃です。

2002.4.26.

先日、ジャパンタイムズから本が届き、この新しい本を手にした時、初めて自分の本が刷り上ったときの感動を思い出しました。私は小さいときから自分の思いを字につづってきた人間です。おそらく根っからのライターなのかもしれません。小学校の卒業作文では評論家になりたいと書いていましたが、もうその頃から自分の考えや意見をなんとか世間に伝えたがっていたのかもしれません。私の多くの意見はたいてい日本では受け入れられないようなユニークなものが多かったと思います。高校の頃は世の中のことで疑問に思ったり、こう自分は考えてるというようなことで頭がいっぱいでした。その頃、日本語でその思いを伝えたくて、日本語が通じる人であれば、両親も含め、その場で自分の意見を聞いてもらっていました。

そんな地道な下積みの成果からでしょうか、社会人になってからはいろいろなところに投稿してきました。初めて自分の声が印刷されたときの感動は今も忘れていません。自分の意見が載った雑誌を5冊ほど買ったのも覚えています。その頃からすると今はおかげさまでいろいろなところで意見を述べさせていただいております。しかしいつの時も自分の声が反映された印刷物を手にするとき、心臓が高鳴るのを感じます。

本が出来上がるまでは長い長い道のりです。今回も調査を重ね、文章を書き、推敲し、何人もの人に読んでもらい、やっと 「英語のできる子どもに育てる」 (ジャパンタイムズ)が出来上がりました。バイリンガルに育てるにはどうしたらよいか、気軽なバイリンガル子育てのノウハウを書いたものです。下に詳しく内容を紹介してます。是非、英語に接してるお子さんがいらっしゃるお友達に紹介してあげてください。

ここ  をクリックしてください。

「英語のできる子どもに育てる」

2002.5.3.

文明の発達と共に、技術の発達と共に私たちは自然の生活から遠ざかってきています。以前は水を汲みに川まで歩き、重いバケツを持って家まで戻りました。食料の獲物を捕まえるには何時間と歩きました。しかし文明の発達と共に私たちは歩く生活から車での生活に変わりました。楽な生活は逆に私たちをむしばんでいきました。

私の利用している銀行は人が集まるショッピングセンターにしかありません。そしてそこは広大な土地が必要なので人々の住居からは離れたところに作られています。当然車でしかいけません。その銀行も振込み、入金、出金、すべて車に座った状態でドライブ・イン形式でことが済みます。子どもに目を向けてみると、小学校は歩ける距離の1キロ圏内はスクールバスが走っていませんが、実際歩道がないので、危なくて子どもを歩かせることができません。さらに12歳以下の子どもを一人でなんか歩かせないので、どうしても親が車で送り迎えをしてしまいます。おけいこごとといえば、すべて車で行く距離のところばかりです。子どもは学校から帰ってくるとテレビの前で平均4時間半過ごすと言います。特に親が働いていて、どこにも連れて行ってもらえない場合、家にいるしかありません。しかも子ども番組のCMの40%はからだに毒な食べ物のCMだといいます。

我が家で一つだけずっと守ってる子育て方針があります。それはテレビは1時間まで。それから息子には毎日1.6キロの距離を歩かせています。寒い冬はとてもかわいそうですが、私は心を鬼にして彼の健康を思って、外に出します。

今、アメリカでは小学生の肥満が大問題になっています。学校内に甘い飲料水の自動販売機を置かないようにしようとか、太り気味の子どもの親に学校から通知を出すなど試みられています。10歳の段階で肥満の子どもは70%は大人になっても肥満を引きづると言います。2,3歳の頃までは自分で食べる量を調節できるのですが、小学校に上がる頃から社会的プレッシャーでコントロールできず、食べてしまうそうです。皆さんのお子さんは大丈夫でしょうか?肥満は高血圧、糖尿病、心臓発作、いじめ、自己嫌悪を招きます。是非、皆さん自身、栄養バランスのよい食事、たくさんの運動を心がけてください。

2002.5.10.

ケア・ワールドの読者の方から次のような情報をいただきましたので、ここに掲載いたします。

「チャイルド(インファント)カーシートが正しく装着されているのは、125台の車の中でやっと1台だというのです。(これはNJ州でのとある町での報告) 驚いてしまいました。 私も出産前にカーシートをどうやって取り付けたらいいのか自信がありませんでした。 病院の看護婦さんに聞いたけど「それは私たちの責任ではない」ということで、どこにいけばいいのかもわかりませんでした。 自己流で取り付け半信半疑のまま半年以上も経ってからこの記事を見つけました。 子供の月齢も進んだので新しいカーシートが必要になったのをきっかけに、その雑誌に紹介されているチャイルドシートセイフティに連絡をとってみました。

 私の地方では消防署で熟練されたテクニシャンが正しくインストールしてくれました。 大の大人が2人がかりで取り付けてくれました。 2人で取り付けなければいけないそうです。 そして、1歳未満までは必ずリアフェイシング(後ろ向き)にすること、そして1歳をすぎても体重が許すまでリアフェイシングにするように言われました。 取り付け方は思ったよりもずっとシートを寝かせた状態でした。 こういうふうに取り付けられているのはあまり見ることはありません。意外でした。 自己流でとりつけたカーシートを最初、おねえさんが見たときは「これじゃとても危険だったわよ」と一言。 震える思いがしました〜〜。

http://www.nhtsa.dot.gov/people/injury/childps/Contacts/index.cfm

のページで、住んでいる町のジップコードを入力すると連絡先が出てきます。それに、無料でやってもらえました。 チャイルドセイフティのcdロムももらえました。 もっと早く知っていたらよかったです。
最初アメリカに来た時は、スーパーの中でも箱の破れた商品が棚に並んであるのを見たりしてなんていい加減な国だろうアメリカって、と思っていましたが、命を守る!ということに関してはとても徹底しているんだなって思います。 やはり訴訟大国だからでしょうか。そんなこんなの経験でした。」

カーシートの義務付けは厳しいものの、そのつけ方についてはあまり語られていません。某レンタカー会社でも取り付けをしてくれるということを宣伝文句に出しているほど。本当はきちんと設置されて初めて命が守られるのですよね。Mさん情報ありがとうございます。皆様からの情報、お待ちしてます。

2002.5.17.


世の中フェア?どうでしょう?それは誰の目から見てでしょうか?私は地球人の目からしたら決して世の中フェアにはできてないと思います。生まれ落ちたところを間違えたと思ったら、もうスタートからしてフェアではないでしょう。しかし人の道がフェアかどうかなんて結局は誰が評価できるでしょうか。もしたった一人評価できる人がいるとしたら、それはやっぱりこの世の存在でないところでしょう。

生後数ヶ月でお父さんが死に、女手ひとつで男の子を育てあげた人。その息子はサラリーマンとしてある日突然疲れ、会社を辞める。しかし妻子は愛想を尽きて、彼の場を去り、結局離婚。とんとん拍子で月200万円も稼ぎがある日々から突然リストラ、すべてのものを失い、収入も失い、ドン底の生活に入る人。肩書きも、名誉も、家も、家具も、健康すらもすべて失ったとき、人は何が人生において一番大切かを考えるでしょう。

もし、愛情、友達、家族、健康、前向きな姿勢、ユーモアがあれば、すべてがあるに等しいのではないでしょうか。これらはお金では買えるものではありません。形あるものはすべてなくなります。お金も、家も、家具も、ものも。それら全部なくなっても希望があり、前向きな姿勢があれば、きっとすべて持っているに等しいのかもしれません。

夫婦のよいところはお互いに支えあえる存在です。片方が壊れても、もう片方が補える。結婚の誓いはそのよいときも悪いときもといいます。けれども双方が独立していないとそれはなりたちません。夫には好きな道を選択させ、また妻にもちゃんと自分の人生を歩ませてあげなくてはいけないでしょう。

2002.5.24.

皆さんは、小学校でやってたドッジボールに対してどういう思いがありますか?私は、受けるのが下手で、投げるもの下手でしたので、もっぱらちょろちょろと逃げ回るばかりでした。そして案外当たらず、最後まで残るのですが、もう1人、2人となると、絶対に当てられました。そしてボールを当てられた時ってものすごく痛かったんです。たいてい背中を向けたので、背中がじんじん痛くて。そしてめずらしく受けたときは突き指をしたり、そして何よりも私は胸で受けたときに乳房を痛めた(きっと乳腺が衝撃によって爆発したんだと思います。)つらい経験もあります。

そんな痛い思いもさることながら、あのゲームはなんて残酷なんだろうと思うのです。ゲームという名のもとにあるいじめそのものではないでしょうか?まず一番弱いものから当てられます。一番人の助けを必要とする弱い存在のものから除外されていきます。みんな誰が弱いかはっきりわかっています。「ゆかちゃんを当てろ!」これって弱いものいじめだと思うほどです。

しかも、ボールをぶつけるターゲットが人間であることも気になります。友達と協力し、相手をいたわるということを教えるのが学校であるはずのに、これでは、強いものが優位に立つためには、弱いものは邪魔だから、弱いものは除外し、消し落とし、という教育ではないでしょうか?ドッジボールは強いものにとっては楽しいゲームかもしれませんが、いつもターゲットとして最初にボールを体当たりにぶつけられる弱いものにとってはとっても苦痛なゲームだと思います。教育という現場においてこのような不利な思いをする子どもが生まれてよいのでしょうか?私は疑問です。

2002.5.31.

皆さん、安産の定義ってなんでしょう?早く生まれてきたから安産?あまり苦しまず、コントロールできたから安産?安産の定義って特にないと思います。自分が納得がいくお産ができて、それに満足であれば、いいお産、結局は安産だったといえるのではないでしょうか?言い換えれば、「安」は安全であって、安心できて、よいお産ができたら、それで満足な安産といってもいいのでは?

けれども実際には早かったお産を一般には安産といったり、あまり苦しまず、陣痛も長くないそんなお産のことを安産と世間では言っています。けれども早ければ必ずしもよいお産とは言い切れないと思います。つまり時間をじっくりかけても、産道が十分にやわらかくなり、赤ちゃんが出てくる準備が整ったときに陣痛が始まり、陣痛の波に乗ってお産ができれば、それで安産でしょう。 ▲ トップへ

2002.6.7.

マンハッタンを歩いていると実に多くの子どもを見かけます。こんなところに?と思いがちですが。先月から私は学生(大学院生)に戻ったのですが、今、社会環境がおよぼす人間の行動学というコースを取っています。二日目の授業では、私が得意とする 観察 を行いました。コロンビア大学からわずか1ブロックのハドソン川の公園にはいくつかの児童公園があり、年齢層に分かれています。私は黒人のソーシャルワーカーであるキャンディスと組んで(彼女は精神薄弱の大人の社会復帰を助ける仕事についています。)、0歳児から4歳児のプレイグランドで観察をしました。

ほとんどの子どもが白人でしたが、ちらほらとアジア人もいました。黒人の子どもはひとりとしていませんでした。つまりここら辺に住んでいる子どもたちの親は収入もかなりある比較的裕福な層であることがわかります。さらに、それを裏付けるようにその白人の子どもたちを世話しているナニーと言われる人がたくさんいたことでした。彼らは公園の隅に固まって楽しそうに会話をしていましたが、彼女達はほとんどが黒人でした。このような環境に育っているマンハッタンの子どもたちはけっこうタフで、元気に遊びまわっていて、日本の子どもや郊外に住む子どもたちとほとんど変わらないようにみえました。年齢層なりの遊びをし、大人に対する反応もたいした差が見えませんでした。しかし表面的にはわからない部分で子どもたちの都会という環境が及ぼす精神への影響や肉体への影響は必ず表れていくのだと思いました。

2002.6.14.

ニューヨークに来てからいろいろ苦労も多かったけれども、今は後悔していない。特に大学へ行き始めてから目からうろこという毎日である。ハーレムで人間ウォッチングすることもとても勉強になっている。夜間のクラスが終わり、ハーレムの横断歩道を渡るときは特に注意をしている。どこから車が急に飛び出してくるかわからないからだ。救急車のサイレンがよく鳴っている。バスを待ちながらサンドイッチにかじりついたり、電車の中でサンドイッチをほおばり、電車を待つプラットホームでおにぎりをかじる。夜間のクラスは6時半から始まるので終わるのは9時だ。それから1時間半かけて家に帰る。生活はめちゃくちゃだ。夜のマンハッタンやハーレムはちょっと緊張する。スカースデールについてももうバスはない。

クラスメートのほとんどが仕事をしている。しかも現場で働いているソーシャルワーカーばかりである。仕事についている彼らは輝いている。携帯に電話が入り、ケースの子どもが逮捕されたとメッセージが入って授業中に席をはずしたり、精神薄弱の社会への復帰を助けているクライアントにあしたは残りの5ドルを全部使っちゃだめよと話していたり。

しかし私はなんて恵まれているのだろう。彼らは仕事を持って大学院に通っている。私はケア・ワールドの運営とデータ収集、連載の執筆、メールでのカウンセリング、そしてもちろん母親としての日常の仕事、しかしそれだけなのだ。隣に座ってるエリザベスは2ヶ月の赤ちゃんと3歳の男の子がいる。その子どもたちを預けてはるばる隣の州のニュージャージーから学校へ通っているのだ。彼女は虐待幼児を守る仕事についているソーシャルワーカーだ。

以前はテレビや本だけの世界が今私の目の前で現実として繰り広げられている。現場に現実的にいるということはすごい刺激だ。テレビを見てるんじゃない、現実を見ている。ニューヨーク、マンハッタン、ハーレム、そこはブラウン管の中でなく私が今、現実に立っているところなのだ。彼らと同じ空気を吸い、スピーカーから流れるレゲーをいっしょに聞いている、彼らのきれいに編んだ髪が手の届く位置に見える。ああ、ニューヨーク、すごい刺激だ!すごいエネルギーがここにある。人生、感激だ〜〜!!!

2002.6.21.

今日は偏見について考えてみたい。私たちは多くの偏見を植え付けられてきた。特に親から受け継いだ偏見は多大である。日本ではそれほど人種によっての偏見ではなく、むしろ階級による偏見であったり、しつけのレベルの偏見であったり、ことば遣いでその階層を決め付けていたり、通っている学校によって、卒業した大学によって、働いている会社、住んでいる地域によっての偏見ではないだろうか。アメリカのような国では人種、民族、宗教が加わる。

偏見とは恐ろしいものである。私たち親の重要な役割りの一つに子どもたちに偏見を植え付けないということだ。性別に対しての偏見も同じである。女の子だからおままごとなどでお母さんを演じさせたりすることは、女性を将来、男性に頼って夫に従順に生きていくことが正しいという価値観を植えつけてしまう。

子どもたちは今どのような役割り遊びをしているだろうか?男の子と女の子をいっしょに遊ばせるとそれがはっきり現れる。「お父さん、ごはんできたわよ。」、「ママ、お茶入れて」。子どもたちは親をそっくりそのまま演じているのだ。しかしこれが子どもたちの将来の性別役割り分担の基礎を築いてします危険性がある。女性はどの国でも比較的しいたげられた立場にある。その男性と対等でない立場からいつまでも這い上がれない理由のひとつに、小さいときに女としての男性より劣っている、女は男に守られるべき存在という概念を植え付けられているからだ。

人は能力においては平等のはずである。同じ仕事をして男女という違いのみで給料が違ってくるのは性の差別なのだ。私たちが育てている子どもたちにはありとあらゆる職業選択の自由があってほしい。そのためには私たち自身が今、その見本を示さなくてはならない。持っている能力を社会に貢献する。保育施設の充実。ワークシェアリングで子どもを家で見ながらも数時間外に出て働く。労働形態の選択。働く能力があり、働く環境があるのなら、ありとあらゆる形で社会的貢献をするのはこの社会に営むものの義務といえよう。経済的な見返りは私たち女性に尊厳を与える。そのためにも家で子どもを見ていることも社会への貢献とみなされるべきであり、それなりの経済的報酬もあれば、私たちはもっと自分達の今の立場を受け入れられるようになるのではないだろうか。そのためにも外国での駐在員主婦の就労禁止は、その基本的概念から外れているといってもよいだろう。

2002.7.5.

母の使っていたエプロンをつけたら、母の香水のにおいがした。母の作ったきんぴら、ひじき、買ってくれたつけもの、冷凍庫にあるうなぎ、そして日本から運んでくれた数々の日本食。今やこれらすべてが母を思い出す。母がニューヨークを去るその前の晩、私は母があした去ることを想像するだけで涙がこみあげてきた。恥ずかしかったのでぐっとこらえたが、胸が痛かった。次の日母は日本へ帰った。

私と母は決して仲がよい間柄ではない。若い頃、私は自分の人生の選択を母のひとことで決められたことがとても腹立たしかった。行きたくもなかった私立の女子高、やりたくなかった中学受験勉強、行きたくなかった夜と土日の塾、つけてほしくなかった家庭教師。褒められることもなく、きびしく育てられた。しかし私はいつも母に認められてもらいたくて勉強に励んだ。それしか自分を認めてもらえる材料がないと思ったからだ。私は子どもへ献身的な友達のお母さんがうらやましいほどだった。私の母は自分のやりたい道をまっしぐらに進んだ人だ。我が家は母中心に回っていた。そのため、彼女の機嫌を伺いながら、私はいつもびくびくし、ことばを選んだ話した。しかしそんな母でも私にとってはたった一人の母である。しかもかけがいのない母である。私は母に対して好きという感情はないが、なにか大きな羽の下にそっと守られているようなそんなどうしようもない安堵感を彼女からは得ている。ことばでは常に批判的な母だが、それでいて私は彼女の愛情をやはり感じる。

皆さんも異国の地においてお母さんの存在を改めて感じていることだと思います。特に遠く日本から来て、そして去っていくお母さん達。おふくろの味をたくさん作っていって食べさせてくれる。孫をうんと甘やかして帰っていく。皆さんも私と同じような思いをこの夏、経験したでしょうか?母が去って1日目。私はすっかりブルーです。娘いわく、「もうおばあちゃんいないね。なんかさみしいね。」

2002.7.12.

私は一歩早めに夏休みに入りました。日本からアメリカへ、そして同じNY内での引越しを経験して、また私の人生はさらに豊かになったのかな?確かに新しいことを経験することはすべてそれなりに人生のプラスになるはず。引越しはネガティブに見ればいくらでもやっかいなことが上がる。住所変更は毎年増えるし、さらに日本の銀行口座などの住所変更、仕事関連への住所変更、家が変わり、住居地区の管轄が変われば、電話番号の変更、インターネットのDSLの変更、ケーブルテレビの変更、新聞配達の変更、水道の変更、電気やガスの変更、NYの銀行の住所変更、送られていた購読紙の住所変更、運転免許証の住所変更、まあきりがない。しかもわずか1年での引越しであったため、ついこの前にやったばかりという感じで疲れました。

しかし、ここハリソンという地区は大好きになりそうです。今、一番気に入っていることは、歩いて5分のところにハリソン住民のスイミング・プールがあることです。とてもきれいな水で、管理もよし。かっこいいライフガードもいるし。早朝は7時半から9時までの大人の時間。昼間は子どもたちに占領され、夜は7時から8時までの大人の時間。健康を取り戻せそうです。他には駅まで歩いて8分というところがたいへんな魅力です。今まではバスの本数がなくてとても不便でした。

確かに引越しはたいへんだし、必ずしもいつも向上するわけでもない。けれどもこうして3年おきの引越しを通じてわたくし、国際ジプシー代表として言えることは、「どこも住めば都。そしてハウスをホームに変えるのは気持ち次第と工夫次第。」とうとう人生、24回目の引越しを経験した。しかしさらにまだあと2,3回は引越しそうだ。ああ、我が人生、適応力を常に試されてきた。

2001.7.15.

日本で渡航前セミナーの講師をしていた時、よくある質問の中に、「アメリカの現地校に入るために、結核でないかを調べるのにレントゲンを撮らされると聞きましたが、本当なのでしょうか?」というのがあった。私たちは最初スカースデールの学校に子どもを入学させた。そのときはスカースデール居住区では結核でないかを証明することは必要でなかった。しかし今回隣町のハリソンへ移ったら、さっそく新しい学校から、身体検査を受けに行ってくださいと伝えられ、それと共に「ツベルクリン検査を受けてください。もしポジティブでしたら、レントゲン検査を受けて、結核でないことを証明してください。それが完了して初めて入学を許可します。」と言い渡された。

日本では生後3ヶ月でBCGを受けているので、小さな子ども達の場合、ツベルクリン反応でポジティブに出てしまう。そのため、ここハリソン居住区に来た幼児はツベルクリン反応でポジティブが出たら、本当にレントゲン検査を受けに行って、結核でないことを証明しなくてはならない。

私は、私たちの入っているPHCS の保険を扱う医者をやっと見つけて、木曜日に二人の子どもを連れて、Dr. Li li Kung に会った。そこで血圧を調べ、背骨がまっすぐか調べ、耳を診て、のどを診て、服の上から聴診器を当てられ、靴と洋服を着たまま体重を測り、靴をぬいで身長を測り、尿検査を受け、血液検査を勧められた。他にはアレルギーがあるか、薬に関してアレルギーがあるか、今、薬を飲んでいるか、親戚に癌、糖尿病、他ないか、何か心配なことはないかを聞かれた。そして肝心の予防接種終了証明書を書き写した。これが重要なのだ。他のものは忘れてもいいから、英文での予防接種記録は絶対に日本から持ってくることだ。

そしていよいよ注射!息子はナーバス。娘はにこにこ!ちくりと刺して薬を入れたらぷくーと盛り上がった。ちょっとそのあと血が出てた。48時間後にドクターに反応を見せに行くのだったが、土曜日、娘は日本語補習校だったのでいけないと言ったら、月曜日でいいとのこと。(かなりこのあたりもいい加減。アメリカのいいところかな?)そして今日、連れて行った、どきどきしながら、ドクターは測りもせず、ただちらっとみて、"OK, negative" とひと言。私、「ヤッター!」レントゲンを撮らずに済んだ。これで一件落着。実は私は日本でBCGを拒否していたのだ。だから娘は生後2日目以降、息子は6才以降受けていなかったのだ。けれどもまさかその当時アメリカに来るとは思っていなかったが。。。

2002.7.19.

昨日、ちょうど体外受精についてテレビでみていました。今やアメリカでは体外受精で生まれている子どもがものすごい数であることには驚きます。まず、卵子提供者から薬(排卵を誘発させる薬)によって10個くらいの卵をいっぺんに産ませ、(普通は毎月1個ですよ。)それをからだの外に取り出し、シャーレに入れて、精子と受精させるわけなのです。この排卵誘発剤を点滴で入れるときは圧迫感を感じるそうです。

その精子はご主人の精子なのですが、その精子もスピンにかけて3層に分けられ、一番上の精子は死んだ精子、次の層の精子はあまり活動的でない精子、そして一番下の層にある精子が一番元気な精子で、それをスポイトで吸い上げ、シャーレの中の卵子のところへ流します。次に受精が起きるのを待つのですが、受精卵は8つ。そのうちドクターは4つを選びました。選ぶとき、ドクターは患者さんに受精卵の写真を見せて、このうちの4つを体内に入れるがどう?と質問していました。

選ばれた4つの受精卵は母親となる患者さんの子宮内にうまく着床するか4週間後に血液検査で妊娠が確定したかをチェックしていました。

今や不妊治療の技術も発達し、かなりの不妊症患者が赤ちゃんを産めるようになりました。不妊治療にかかる時間、費用、失敗したときの精神的なショック、処置などたいへんなものです。しかしそれでも赤ちゃんがほしいと願うのは当たり前です。赤ちゃんは何よりも変えがたいというほどです。今、不妊で悩んでいてもあきらめずに、この時代だからこそ、医療技術の発展にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

私のところへも不妊治療の相談、海外での卵子提供者についての問い合わせ、海外へ卵子をもらいにいくケースなどいろいろな相談があります。今までかかわってきた中で赤ちゃんの誕生に結びついたケースもいくつかありました。

2002.7.26

私は生命の誕生にはものすごく興味がある。そのため、今の仕事にかかわったようなものだが。医療の分野にもものすごく興味がある。だから医療ソーシャルワーカーをめざした。昨夜は Secret of Sex というタイトルで多くのことを学んだ。妊娠初期における胎児の発達がいかに複雑か。この時期が女になるか男になるかのせとぎわだ。XXであれば女。XYであれば男。しかもこのYという染色体は実に小さなものらしいが、大きな役割りを果たす。皆さん、知ってましたか?生命の源は女性だったんですよ。女性から男性に変化したのです。だから男性には乳首がついているでしょ?

異常現象に外観はまったく女性、しかし染色体がXYの人がいる。彼女の場合は染色体は男性のため、子宮と卵巣がない。そのため、赤ちゃんを産むことができないのだ。

また気持ちがどうしても男性という女性も登場した。彼はテストステロン(男性ホルモン)を注射した。半年後に脳まで男性化した。まず筋肉がついてきて、握力が強くなった。脂肪が腰の辺りに集中していたが、それが分散されるようになった。さらに肩幅が広くなった。当然ひげもはえてきた。そして声変わり。つまりpuberty(思春期) を迎えたのだ。女性が受け止めることが上手な感情を彼はうまく受け止められなくなった。そして女性が得意なvisual で理解することが弱くなった。走る速度も以前より速くなった。ホルモンひとつによってこうまでもからだは変化していくのだから驚きだ。

もっと驚いたのは指の長さでどのホルモンが優性かがわかるということだ。薬指とひとさし指の長さを見てください。皆さんはどちらの指が長いですか?もし薬指の方がひとさし指より長かったらそれは胎児のときにテストステロン(男性ホルモン)の影響を強く受けたという証拠だそうです。すると心臓も大きいので活動的な特徴が見られるそうです。この研究をしている教授がものの見事に毎回誰が競争で一番になるかを指の長さの計測で当てているのですから驚きです。生命ってなんて神秘なのでしょう。

ケア・ワールドは7月24日から8月3日までお休みに入ります。メールのお返事はそれ以降となりますのでご了承ください。

2002.8.2.

今年の夏休み、皆さんはどこへ旅に出かけられましたでしょうか?短い海外での滞在期間を利用して、うんと欲張った旅行計画を立てられた方も多いのでは?私の父は1960年代にアメリカに滞在した時、本当に欲張って北はメイン州、南はジョージア州、西はカルフォルニア州など多くの観光地を回りました。しかし、当時私は小学校の低学年、うっすらと印象的なものは覚えているものの、それがどこであるかなどの地名はまったく覚えていません。しかし、その当時、車の中で缶詰状態で何時間と過ごした時の中で家族の絆は強まり、親は子どものことをよく理解したのではないかと思います。

今年、我が家はバージニア州を中心にアパラシアン山脈、バージニアビーチ、ウィリアムスバーグなどを見学しました。シャナンドー国立公園では鹿や熊に出会い、ブルーリッジの連峰はとてもきれいでした。しかし、私が一番心に残ったのは、家族のことでした。1日800キロ近く走る日もあり、車の中で家族4人、何時間と話をしてきました。子どもたちはいっしょに付いてきたという方がまだ強いのであまり見学したところは記憶に残らないかもしれません。それでもほぼ24時間べったり過ごした1週間は得るものがあったと確信しています。

息子は家族での旅行は今年最後かもしれません。きっと来年は自分で行きたいところへ旅立つでしょう。この16年間を振り返ってみるとやはり家族でいる時間というのは短いものなのかもしれません。そのためにもまだいっしょにいる間にたくさんのことを子どもに伝えていかなくてはいけないのだと感じました。今を生きるっていうことはこういうことなのでしょう。この今はもう二度とこないのです。

2002.8.9.

最近、夜遅くのラジオ番組で LOVE LINE というのを連夜聞いていました。これはいろいろな年齢層の人たちが避妊について、男女関係について、性好みについて、親子関係について相談してきて、それに対してドクターと司会者が中心となって答えるという番組です。ある時は現場の専門家を招いて専門的な知識を伝えたり、とても勉強になる番組です。

特に相談者の中にはティーネージャーが多く、みんな「これって本当?」という疑問を投げかけてきます。これを聞くといかに間違った知識が世の中に氾濫しているかがうかがわれます。「初めてのセックスで妊娠しないって本当ですか?」「精液って本当に栄養があるんですか?お肌にいいって本当ですか?」その他にもアメリカならではの法律がからむ質問もあります。「ぼくは16歳で24歳の人とからだの関係を持っていますが法律的には付き合えないのですか?」この質問に対する答えは、彼女が本当に16歳という子どもを相手にからだの関係を持っていたとしたら、彼女は犯罪者として訴えられてしまうのです。

お酒の質問では、だいたいのアメリカの州では飲酒できる年齢は21歳と定められています。しかし実際には15歳くらいで一度は飲んでいます。車を運転できる年齢も州によっては15歳ととても若いのです。ニューヨーク州は16歳ですが、もう息子も運転しています。しかしものごとがきちんと判断できる年齢ではありません。高速道路はだめ、9時以降は一人での運転はだめなど制限はされています。それでも危ないなと思うと、本当に「あ、子どもが運転してる!」という顔立ちです。

娘もつい先日13歳になり、我が家にはティーネージャーが2人となりました。むずかしい年齢ですが、小さいときからの親子のコミュニケーションが今、試されているように思えます。子どもは精神的に独立しようとしている。しかし親は子どもが小さいときのように制限したり押さえつけようとする。これでは反発されるのは当然です。いかに相手の心理を理解するというところにかかってきています。それには十分なるコミュニケーション以外にないと思ってきました。だから今、皆さんのお子さんは小さいからこそ、そこからのスタートなのです。お子さん達のハートをしっかり今から捕らえておいてください。

2002.8.16.

ニューヨークに来てから何が一番の驚きかというと、次から次へと自分の常識が試されることです。これは海外に住む皆さんが経験することだと思います。車の後ろのナンバープレートからアライグマのしっぽがたれていたり、5ヶ月の赤ちゃんをかかえて海外からシングルマザーとして大学院で医療を学びにきていたり、電話が鳴っていても自分の気分が乗らなければ電話にでなかったり、お客さんに応対しながらも携帯電話で友達と永遠と話している店員がいたりと。自分の持っている常識からまっこう向き合い、さらにその常識を打ち破るということのくり返しです。つまり自分の常識が常にチャレンジされています。

それでもこの世の中は回っているのですから不思議です。いや、むしろそういうことは小さなことなのかもしれません。もしかしたら常識なんてたいしたことじゃないのかもしれません。こうあるべき、こう期待しているからこうなってほしいなんてかえってないほうが楽に生きて行けるのかもしれません。

だから海外ではそういう自分の今まで持っていた常識をうんと捨てて、まっさらでスタートしたほうがいいのかもしれません。今までの自分の常識があるとかえってそれが邪魔して、心が動揺してしまうのかもしれませんよね。海外ではまさに毎日が発見、毎日が驚き。しかしこれも3,4年すると感じなくなってしまうかもしれませんから、今、このように反応できる自分の置かれている時期を大切にしたいと思います。

皆さんの土地ではどんな驚きがありますか。

2002.8.19.

人間のからだは神秘に満ちています。私はその魅力に幼い頃からひかれていました。小学校の頃のお気に入りの本は、Human Anatomy, Your Body, 人体、などでした。その頃から医療にかかわる仕事に就きたいとずっと思っていました。

今日は熱について考えてみましょう。子どもの熱。我が子も一番熱が高かったのはやはりインフルエンザにかかったときでした。みるみるうちに熱が上がる。最高で42度も上がったときがありました。さすがに意識がもうろうとしていました。熱が下がらない。これもこわかったです。長かったときは解熱剤で少し下がってもまた薬が切れるとがーんと夕方当たりからあがる、こんなことが1週間近く続いたときは怖かったです。

怖いと感じるのは、この子は死んでしまうんじゃないかという恐怖感でした。死ぬはずはないといってもやっぱりけいれんを起こしたとき、意識を失い始めたときは、おろおろしました。

風邪の熱は悪いウィルスと戦っているからというから心配しなようにとよくいわれます。またむやみに下げないようにともいわれます。それでも親としてはやっぱり熱が下がらず、我が子がもうろうとして苦しんでいる姿を見るに耐えないのです。

この熱、いったい最高いくつだと思いますか?限界は42度といいます。これ以上上がらないので、体温計も42度までです。それはからだのたんぱく質が42度以上になると固まってしまい、元に戻らないからだそうです。つまり42度になると人間は昏睡状態に陥り、意識障害が起こします。そしてゆえに死ということです。ちなみに最低はどの程度でしょう?31度だそうです。(参考資料 : 「そこが知りたい!人体の不思議」かんき出版)

2002.8.23.

出産準備教室などで何度もくり返し伝えられていることがあります。それは、できるかぎり赤ちゃんをおなかで育ててあげてください。ということです。言い換えれば、未熟児で産まないということです。もちろんやむを得ないこともありますが、あえて自分からそのような状況を作らないことということです。現代の医学では500グラムで生まれた超未熟児でも生きるといわれていますが、そうはいっても確率からすると25〜27週で生まれた赤ちゃんでもせいぜい50%くらいでしょう。

妊娠中で最もといってもよいほどこわい病気に妊娠中毒症があります。以前英語では toxemia といわれていましたが、今では pre-eclampsia と呼ばれています。この pre とは実はギリシャ語で急攻撃という意味があります。つまり予想できないということです。症状としては高血圧(high blood pressure)、むくみ(edema or swelling)(elevated enzymes)尿たんぱくの増加(protein level in urine elevated)などです。とてもわかりやすいのは高血圧です。ひどい場合だと下の読みが70だったのが急に数時間で110に上がることもあります。90以上になったらまず危ないということです。特に血圧が高くなると、母子共に危険になり、たいていは緊急帝王切開で赤ちゃんを取り出し、母親の病状が進むのを妊娠を中止という形で対処します。赤ちゃんが小さく生まれることもあります。

なぜ妊娠中毒症が起きるかはいろいろな説があります。なかには男性の精子に対して免疫ができていないのが原因で、ペッサリー(diaphragm)やコンドームを避妊として使っていた女性に多いという説もあります。他には産婦の血液と胎盤に neurokinin (NKB) が異常に高く、それが原因ではないかという説もあります。

いずれにしろ、妊娠中毒症は母子共に危険な状況に落とし込みます。気をつけろと言われても、何の問題もなく妊娠を経過していた女性にも起こりうるというのですから、防ぎようがありません。いかに健康でいることくらいなのかもしれません。

2002.9.6.

人間はもともと面倒なことはきらいなものです。現状維持が一番心地よいかもしれません。しかし、人間はいろいろな経験を通して成長していきます。成長なんてしなくていい?今のままがいい?う〜〜ん。それも人生かもしれません。しかし自分の意思とは反対にたくさんのチャレンジが降りかかってくる場合もあります。そんなとき、皆さんはどのようにそのチャレンジを受け止めますか?

チャレンジと書いたのはそれ自体がつらいからです。夫が急に自殺をした、夫が事故にあって意識が戻らない、夫が会社を首になった、せっかく授かった子どもが死んでしまった、昨日まで元気だった子どもが死んでしまった、英語もできないのにアメリカに転勤になった、衛生面でたいへん気を使う途上国への転勤が決まった。

私の人生も火の海に飛び込んだような、誰も救ってくれない荒波に放り投げられたようなつらいことがいっぱい起きています。しかし、そのたびにこれで私はまたひとつ人の痛みを理解することができるようになったんだと思うようになりました。自分が経験してみないと絶対にわからないことが世の中にはいっぱいあります。私はそんな貴重な体験を得ることができたんだ、ラッキー!!と思うようになりました。このつらさを体験できてこそ、この同じ経験をした人の気持ちが私にはわかるようになった。それは人生においてとっても貴重なこととすら思うようになりました。

きっと皆さんの中には、今の自分の人生は最悪、もうこれ以上のつらい思いはないというような状況を通過しているかもしれません。そんな時、この経験こそが貴重な体験、そしていつかこの体験があったからこそ、これから海外へ来る人たちの支えに自分がなれるのだと思える日が訪れることを信じてください。人生のイベントに無駄はないといいます。だからそれを信じて現状を受け止め、これもきっと自分を大きく成長させ、心を豊かにさせるのだと思えるといいですね。

2002.9.9.

9月11日が間近に迫ってきています。ここ、ニューヨークではたくさんの追悼式が計画されています。私は、コロンビア大学で行われる追悼式(Memorial) に参加する予定です。実際、事件が起きた場に住むものにとって、あまりにも衝撃が大きく、心のよりどころをどこかに探さないといてもたってもいられない気持ちがします。直接、遺族と会ったり、話を聞いたり、ニュースで語る姿を見るたびに、遺族ばかりでなく、ニューヨーク市民全体がこの事件にかかわったと感じます。今、新聞では遺族の方々の1年後の心境などがつづられています。それを読むと本当に心が傷みます。その心の傷は決して1年たってもいやされないものだということがわかります。

特に夫を亡くした後に生まれたたくさんの赤ちゃん。世界貿易ビルで働いていたほとんどの人はまだ働き盛りの20代、30代の人々でした。彼らはちょうど家族をスタートする時期にあり、子どもたちもまだまだ小さかったり、これから生まれるという人もたくさんいました。これから子どもたちはパパなしで生きていかなくてはいけない。ママはパパなしにこの子どもたちを育てていかなくてはいけない。きっと子どもたちはお父さんの記憶はなくなるでしょう。ある母親は、「子どもへの感情が離れてしまってしまった。」とそのどうしようもない心理状況を話していました。

当日、「夫がベッドサイドテーブルにただ何気なく置いておいたヤンキーズの試合のチケットそして15ドルのキャッシュ。それを1年間どうしても触れない。」といいます。家の周りを見れば、夫の思い出に埋め尽くされているといいます。いっしょに選んだカーテンを見ても、一度も替えたことがない電球を替えることでも彼を思い出すといいます。ただ、「もう普通の生活に戻りたい。もう9・11の犠牲者として周りから見られたくない」といいます。

けれども彼女達はじょじょに立ち直っています。「確かに傷口はなまなましいです。けれどもほんの少し、かさぶたが作られていっているように思えます。」「まだ自分の方向は定まっていません。けれども今は、さなぎからかえろうとする蝶のような心境です。」

夫は健在。今日も元気に仕事にいってくれている。彼が生きている。けんかもできる。好きだということも伝えられる。家族がある。そんな当たり前のことが本当は一番の幸せなのかもしれない。夫を失った多くの遺族の人たちは私たちにそんなことを伝えようとしているのかもしれません。

2002.9.13.

私は以前、人生相談をしている先生に講義の投書を出したことがあります。内容はあまり覚えていませんが、その先生が相談者に対して、とてもばかにした言い方をし、その人を見下げるような態度で具体的なアドバイスを一方的に状況も考えずに押し付けていたからです。民放ラジオの人生相談を聞いていても、たいへん心が傷みます。確かにアドバイザーは人生経験のある人たちかもしれません。しかし、彼らはちっともカウンセラーとしての技術を備えていません。つまりカウンセラーとしてのプロではないにもかかわらず、アドバイスをしているのです。そのアドバイスの方法が間違っているので私はとても聞いていてつらいのです。

相談者の人たちは力を得るばかりかとても自分の力のなさ、あるいは自分が間違っていたということを反省するような余韻を残され、その電話を切っていきます。それがカウンセラーとして正しいことでしょうか?私はカウンセラーとは、その相談者の持つ本当の力を引き出してあげることだと信じています。相談者は皆、自分のうちに秘められている力があるのです。ただそれに気づいていなかったり、それをどのように生かしたらいいのかわからないでいる場合がほとんどです。

そのため、カウンセラーの一番の仕事は状況を明るみに出させ、その問題に対する解決策を共に考え、最終的には相談者本人に自分が一番適していると思われる解決を自分の力で見出せるように導くことだと思います。それこそがこの先の人生で最もその人が必要としている力なのです。それは継続の力ともなりうるのです。

素人カウンセラーにだまされないでください。力を与えてくれないカウンセラーは最低のカウンセラーです。こうしなさい、ああしなさいと解決策を強制するカウンセラーも信用しないでください。皆さんは自分の気持ちに正直になってください。アドバイスを受けたあとどのような気持ちになったか。それによってそのカウンセラーを判断してください。よいカウンセラーはカウンセラーが話している時間より皆さんの話を聞いている時間のほうが長いはずです。

2002.9.20.

避妊。このトピックはとかく敬遠されがちですが、赤ちゃんをまだ作れるものにとってはたいへん重要なトピックです。そしてケア・ワールドを訪れる多くの方々に当てはまると思います。それでも避妊についてかなり親しいお友達とも話したことがないという方がほとんどではないでしょうか。避妊について話し合うのは主にパートナーとでしょう。おそらく日本ではセックスの話題はプライベートとみなされ、パートナー以外の他人とは話すべきトピックではないとみなされているのかもしれません。

海外ではどうでしょうか?北米はほとんどの人がピルのひとことのようですが、中国でもピルはたいへん浸透しているようです。さらにアフリカの一部の国でもピルを政府で供給しているというから驚きます。さて、避妊剤の最新情報を入手しました。これはからだにバンドエイドのように貼るタイプの避妊パッチというものです。貼る湿布剤といったら想像しやすいかな?とにかく4センチ四方くらいの小さな薄いパッチをからだのおなかでもおしりにでも貼ってよいそうです。しかもそれを1週間つけっぱなしで、泳いでもシャワーを浴びても簡単には取れないそうです。詳しくは下記サイトへ。

http://www.orthoevra.com/index.html

それにしても便利なものができたものです。以前はからだの中に埋め込むものが画期的と思っていましたが、それを超えるものが出たわけです。これならピルのように飲み忘れという心配もないし、からだの中に入れるという抵抗もありません。医学の進歩はすごいものです。

2002.9.27.

9月より私は大学院生として、2年間の修士コースを始めた。このプログラムでインターンとして現場で働くことが要求されている。私は Family Services of Westchester というエージェンシーで Adoption Unit という養子をアレンジする仕事に就いた。

ケースをいくつも読んできた。そして、実際に養子を受け入れる家族が子どもを育てるにあたってふさわしい親であるかを分析し、判断する。これがソーシャルワーカーの仕事なのだ。ケースは単にケースとして読むのでなく、実際に家族をインタビューする。本などで読むケースと実際に扱うケースではかなり違う。そこには人間がいる。温かみのある人間と触れ合う。彼らの語る人生物語はまさにリアルなのだ。

子どもがほしいがために、自分を着飾る人もいれば、自分をそのままにさらけ出す人もいる。まったく赤の他人で、初めて会う私であるにもかかわらず、夫婦の出会い、親との関係、兄弟との関係、などあからさまに語っていく。かなりプライベートなことでも必要なことは伝えなくてはならない。犯罪歴はあるか、拇印を提出した形跡はあるか、以前幼児虐待をしたレポートは州に残っているか、どのような仕事をしているか、収入はいくらかなど。

子どもをほしいと思うものは必ずしも夫婦ばかりではない。同性愛者、シングルの人、離婚歴のある人。けれども彼らが本当に子どもを育てるにふさわしければ、彼らは子どもを得ることができる。それを決定する大きな役目を私たち、ソーシャルワーカーを果たさなくてはならない。とてもむずかしい決断を要求される仕事である。子どもの幸せが私たちの手中にあると言ってもよいからだ。

2002.10.4.

養子縁組を手配する部署にソーシャルワーカーのインターンとして就いて1週間が過ぎた。私はこの部署に就けて本当に恵まれたと思っている。私はアメリカ人家庭を訪問をし、飾り付けや家の中の様子に魅了する反面、果たして養子を迎えるに当たって親としての心構えなどの準備ができているかを審査するソーシャルワーカーなのだ。こんなチャンスがなかったらアメリカ人家庭に踏み入ることもなかっただろうし、アメリカ人夫婦の様子、アメリカ人の家族の真の姿なども知ることはなかっただろう。本当にインターンの仕事は価値ある仕事である。

そしてここ数日何を学んでいるかというと、やはりどの家庭にも問題は存在するということだ。パーフェクトな家庭なんてありっこないということを実感している。つまり家庭自身、そんないつもハッピーでありえることはないということだ。どんな家庭も時には嵐が到来し、谷底につきおとされることがある。そしてパーフェクトな母親も実在しないということだ。こんなおもしろい表現があった。何がノーマルだって?ノーマル(普通)とは乾燥機の表示のことだと。つまり normal mother なんて存在しっこないという主張なのだ。

母親像?母親、それは子どもの教育のことを真剣に考え、子どもがつらいとき自分もつらいと涙を流し、思いっきり理由もなく子どもを愛す存在。そして苦労して、たくさん笑って、時には大声を怒鳴り上げて、失敗から学び、進歩が見れる日もありながら、後退している日も迎えている。ものごとうまくいかなくていらいらすることもあるし、そのことでわんわん泣きたいと思うときもある。けれどもできる限りのベストを尽くしている人だ。そして時に、ああ、これでよかったんだ、やっぱり母親になれてよかったと思える存在なのだ。

2002.10.11.

私は、現在、あるアメリカの自然派助産婦の方々のグループに入っています。そこで私はさまざまな国のお産のあり方について記事を掲載していました。そのグループの中に私が心から尊敬する助産婦のグローリアさんがいます。今回のニュースレターで産後の子宮回復について書かれていましたので、概要を皆さんとシェアしてみたいと思います。彼女の細やかなわかりやすい、女性の立場から書いた表現がなんとも温かいと思いました。

「お産のあとの出血はだいたい14日くらい続きます。この日数はあくまでも母親がよく休んだ場合です。最初の24時間はかなり赤い血液が大量に出ます。もし厚めのナプキンが1時間に2つ以上必要でしたら、それは危険信号です。そのような場合は、からだを休めて、赤ちゃんにはおっぱいを吸ってもらって、ドクターに連絡をしてください。赤ちゃんを肌が触れる距離に常に置いておき、からだを休ませることを中心にすえてください。

この時期、かたまりが体内から出されます。大きいとオレンジくらいの大きさのものもあります。しかしその後はじょじょに出血も少なくなります。3,4日経過しますと、出血も少なくなります。4時間以上で1枚のナプキンがしっとりするくらいです。血液の色も赤からピンクに変わり、じょじょに白っぽくなります。この時期に再び血液が赤くなるようでしたら、それはもう少しからだを休めたほうがよいというサインです。そうして24時間たって、母親が十分にからだを休め、赤ちゃんにおっぱいを吸ってもらっていれば、血液は茶色になっていくでしょう。14日くらいたてば茶色い出血もじょじょに薄い色となるでしょう。

ここでからだを休めることと赤ちゃんにおっぱいをたくさん吸ってもらうことを強調したのは、おっぱいが吸われることで今まで小さなすいかくらいのサイズであった子宮が西洋なしくらいの大きさに戻っていくからです。さらに休むことを強調したのは、9ヶ月近くかけて影響を及ぼした下半身の骨がもとに戻っていくからです。そのためにはからだを横にしてゆっくりと骨が戻っていくのを見守るのがベストだからです。体内の血液の流れも、じょじょに赤ちゃんのいない状態のからだにあわせていくため、からだを休めることは大切だということです。」

アメリカ、ヨーロッパではすぐ退院、すぐ赤ちゃんを外へ連れ出す、無痛分娩だったのですぐ生活に戻る、母親は1ヶ月で仕事に復帰などと聞きますが、この時期無理は禁物です。くれぐれもからだを十分に休ませてもとのからだへ戻してください。なんてったって9ヶ月かかってからだは変化していったのです。それを元に戻すのにも時間がかけてあげたいものです。

2002.10.18.

ニューヨークはすっかり寒くなりました。今朝の気温は6度でした。おそらく中国の北京はもっと寒いのではないかと思いながら、今月の出産体験談、中国を書いていました。すごい、すごい。やっぱりすごいとしか思えません。もちろん日本も昔はかなり今の中国に似たところがあったことでしょうが、それにしても中国はそれに活気が加わるような気がします。ただ、お金がないというだけの問題ではなく、やはりそこの人間の今日まで培ってきた精神が病院での患者の態度というところに出てくるように思えました。

これだけよい医療に恵まれて育った日本人にとってはやはり耐え難い待遇と受け止めざるを得ないと思いました。もしチョイスがあるのなら日本に帰りたい、そしてチョイスがあるから日本に帰るという方が駐在員の場合は多いのが現状です。ただし、中国ばかりでなく、現地の方と結婚された多くの日本人女性は途上国において現地の人と同じ待遇の元で出産をよぎなくされています。

このような試練を二人で乗り越え、愛は高まると思います。それでも血液検査1つ受けるにも、まず受付で検査代を支払い、そしてラボへ行き、そこで待って待って、順番を割り込まれ、ことばが話せないと自己主張もできない。そして検査をして、結果を待ち、それを持って次へ。そこで尿検査といわれ、また受付で検査代を払い、そしてまたラボへとくり返し。

けれどもこれが当たり前、これしか知らないという世界にいる人たちがいかに多いことか。私はいろいろな国の医療を見てきたが、それらを通して、人間の価値、人間としての尊厳、プライバシーへの配慮、人権などいろいろなことを考えざるを得ない。

2002.10.25.

今、アメリカでは、スナイパー事件のニュースが報道されています。容疑者が逮捕されたとのこと。無差別連続狙撃事件です。スナイパーとは長距離射撃で人を殺している犯人のことを指してます。装備を備えたスナイパーの射程距離は500ヤード(約457メートル)に及びます。これはフットボール場5つ分に相当する距離です。特にワシントンDC近郊において発生していました。ニューヨークも車ですぐの距離ですからいつスナイパーがこちらにいつくるかわからないのは不安でした。

これは日本では決して起こらないという保障があるわけでもないので(事件は連鎖反応があるので。)、アメリカにお住まいの方はもちろんのこと、海外にいる方も日本にいる方もどのような安全対策が必要かを頭に入れておくとよいと思います。我が子を守れるのは親しかいません。

1.外出中は、常に動くようにすること。動いている対象は立ち止まっている
場合に比べ狙うことがより困難になります。


2.もし、狙われ易いと感じる地域の1ヶ所にどうしても留まらなくてはなら
ない場合、その場所の暗いところに座るか留まるようにすること。


3.外での移動は、ジグザグに早足で歩くこと。


4.外に立っていなければならない場合、何か防護できるもので自分と狙撃者
が潜めそうな広い場所の間をカバーすること。例えば、ガソリンを入れる際、
車とガソリンポンプとの間に立って低くかがむこと。


5.もし、広い場所で発砲された場合、地面に伏せて自分がいた所から転がる
ようにして避難すること。一番近くの自分を保護できるものを探し、速やかに
その方向に向かいジグザグに走り逃げること。


6.外出中は、常に周囲に目を配ること。不審な車両や行動に注意するととも
に、近寄ることなく警察に通報すること。

2002.11.1.

皆さんは、「今、子育ての真っ最中です。」と聞いたらどのくらいの年齢の子どものことを想像しますか?私は長い長いこと、子育てと聞いたら、0歳から5歳くらいかと思っていました。しかし、とんでもない。子育て真っ最中は子どもたちが完全に家族を巣立つ時まで続くんだということを確信してきました。

それに気づかせてくれたのは先輩のお母さんでした。彼女はもう子どもたちは巣立ち、22歳と25歳。その彼女と話していて、私が自分の子どもたちの年齢を言ったときに、彼女は、「そう、まだ子育ての真っ只中ね。」と言ったのでした。

私の子どもたちはティーネージャーです。そのような子どもたちを持つ私から言うと、子どもの年齢がまだ2歳、3歳というお母様方へは、つい、「あら、まだ子育て真っ最中ね。」なのでした。それがなんと、もっと先輩のお母さんから見ると、ティーネージャーの子どもをもつ私こそがまだ子育ての真っ最中に写っていたのです。

本当にそうかもしれない。手のかかる年齢は過ぎたかもしれないけれども、今、実際に心のケアに大変な心配りが必要な年齢です。おそらく手のかかる頃よりもずっと私の頭の中には子どもたちのことが深く、常にのしかかっているという状況です。だから子育てはやはり子どもが完全に自立するまでを言うのかもしれません。この1年は本当に長かった。けれどもあと10年して振り返るときっと今の時期はあっというまの子育て期間と写るのでしょう。それはそこに到達したものにしかわからないものかもしれません。

皆さんにとってこのおむつを替えている毎日が永遠に続くように思えるかもしれません。しかし思い起こしてください。おっぱいを上げていたあの時期がついこの間のように思えませんか?そのためにもこのひとときはこのひとときしか味わえない。だからこそ貴重。一秒一秒、子どもたちの時間を楽しもう。そう思いませんか?

2002.11.15.

娘の学校のPTAが毎年発行している生徒の住所録があります。今年は新しい中学校に入ったため、どのような住所録かと興味を持ちながら開いていました。先日、娘がとても沈んだ顔で、「だからやなんだ。」とつぶやいていました。何かと思ったら、「ありちゃんのところ離婚してるの?」と聞かれたそうです。そしてその原因が今日やっとわかりました。

なんとそこの住所録には子供の名前はもちろんのこと、母親のフルネームと父親のフルネームが記されていました。しかし夫婦の名字が同じ場合はファーストネームのみでした。我が家は夫婦別姓のため、夫の名字と私の名字とはまったく違うものです。そのため、日本人のお友達はきっと我が家は離婚夫婦だと思ったのでしょう。しかし、このことは今日に始まったことではなく、日本でもかなり昔から娘は体験していることでした。

その住所録はアメリカの家族を象徴しているようでした。1.男性の姓を女性の姓にハイフンでつなげた母親の名前と男性は結婚前と同じ名字の夫婦 2.女性の姓と夫の姓をハイフンでつなげた夫婦。3. 女性の旧姓はそのまま。男性の旧姓もそのままという夫婦。(我が家のケース) 4. 女性の名前だけ (おそらくシングルマザー)5.男性の名前だけ (おそらくシングルファーザー) 6.男性の名前がふたつ (おそらくゲイのカップル) 7.女性の名前がふたつ (おそらくレズビアンのカップル) 8. 子どもも夫婦もそれぞれ全部違う名字 (う〜〜ん、どういう家庭かな?) 9. 子どもだけ違う名字で夫婦は同じ名字 (フォスターケアの子どもかな?) 10.. 夫婦それぞれのファーストネームのみ (日本人のすべてがこれに当てはまります)

私が娘に、「あら、けれどもアメリカではうちみたいな夫婦別姓のママ、パパがたくさ〜〜んいるじゃない?」といったら、「けど日本人の中には誰もいない。」とふくれっつらで部屋を出て行きました。ああ、やっぱり娘は両親が普通と違うということを認めてくれてないんだなとつくづく思いました。こんなことで娘が傷ついていたとはまったく気づきませんでした。「みんなと同じがいい。」きっと今、娘はそのような価値観の中で安心を求めているのでしょう。それに対してこの母親、「みんなと違わないと安心できな〜〜い。」さらに、彼女は日本人としてのアイデンティティーをとても大切にしていることがわかりました。私はマルチ国籍なアイデンティティーに価値をおいている。

2002.11.22.

私たちにはどうして子どもが与えられるのでしょうか?そして家族によってはどうして「普通でない」子どもが与えられるのでしょうか?

人々は文化という名のもと、常に最新技術を求め、人間にできないことはないという意気込みの元、地球という自然を征服して来ています。医療技術もますます改善され、今ではおなかの中にいる間に、この「普通でない子ども」たちが生まれてくることを防ぐ技術まで発達してきました。しかし、その結果何が起きたのでしょうか?私たちの心はすさみ、汚れ、何もかもが完全でないと気がすまない世代を生み出したのではないでしょうか。

完璧な子ども、最高の教育、出世がのぞまれる。多くの人たちは子どもの幸せ、強いては自分達の幸せは完璧な子どもを育て上げることから始まると思っています。しかし、子どもは私たちの思うようには決して行動してくれません。いらいらするのはそれが理由でしょう。本来子どもは私たちに一番大切なことを常に教えてくれてるのです。つまり、自然に逆らってはいけないということ。自然をそのままの形で受け止めること。これが人生の最大のレッスンであるというぐらいのことを私たちにいつも教えてくれているのです。

子どもが生まれてから多くの人が自分自身が成長したというのはそのためではないでしょうか。ダウン症の子どもと接してみるとそれがよくわかると思います。彼らは天から送られた天使なのです。天使は私たちに生きることの本当の喜び、人間の人生における一番の幸せを教えてくれます。

羊水検査の結果、子どもが完璧でないと知ったとき。皆さんはどうしますか?

私の子育ての原点は、次のことばです。

「OOちゃんが生きていること、それだけで私は幸せ。」

2002.11.29.

アメリカでの生活で欠かせないことは、人と接することなくしてサービスを受けるということがひとつ上がると思います。たとえば、今朝は銀行へお金を下ろしに行きました。(NYのいいところは、週末、祭日でも24時間週7日間お金を自分の銀行から引き出した場合手数料がいっさいかからないことです。日本では少なくとも2年前まではある時間以降、また週末などにお金を引き落とすと手数料をとられていました。)銀行のATMに入るためにはカードをswipe (磁器を機械で読み取る)します。そうするとドアのロックがカチッと開きます。そして中に入り、今度は端末の前でカードをswipe してお金を引き出したり、小切手を入金します。すべて人と接することなくサービスを受けられます。

さらに次にガソリンを入れにいきました。アメリカの生活では是非ともこのセルフサービスをマスターすることを勧めます。セルフですと多少安くなります。まずこれもクレジットカード支払いの場合、カードをガソリンのノズルがついているスタンドでswipe してスタートを押し、ガソリンを自分で給油します。今日は風が強く、立ってレバーを押さえているのもけっこう寒かった。自分の入れたい量だけ入れてレバーを離すと止まります。そしてレシートが機械から出てきて、出発。これまた人間と接することなくサービスを得ることができます。

電話に関しても音声案内にそって数字をプッシュしていくと必要な情報を得られます。光熱費の支払いも、電話の支払いも自動引き落とし、あるいはインターネット上で支払いができます。こうなると私たちの時間は余計なところに費やす時間が減ったものの、また人件費削減が成り立っているものの、人と接することなくして十分生活ができてしまうということになります。それって恐ろしいと思いませんか?今の時代は自分自ら人との接点を求めていかないと人間と話したりすることなく一生を終えることすら可能になりそうです。

特にことばがわからない国での生活において、ことばを使わずに生活できることは便利かもしれませんが、赤ちゃんとの二人だけの生活で海外生活を終えるのではあまりにもむなしいと思います。自分から一歩を踏み出さないと誰も皆さんに気づいてくれないはずです。勇気を持って人との接点を求めてください。みんな忙しそうに見えても、けっこうみんなさみしいものです。皆さんの「どう、元気?」の電話をあの人は待っているかもしれませんよ。

2002.12.6.

とうとう師走の到来。今年も残り数週間となりました。皆さんは年末に向けてどのような準備を始めたのでしょう?私の母はクリスマスレター書き、プレゼントのショッピング、プレゼントの発送、クリスマスのクッキー作り、クリスマスパーティーの準備、年賀状作り、家のデコレーションなどなど。毎年この時期になるといかに忙しいかを書き綴ってきます。それでも長々としたメールを私と子どもたちに書いてくるのでやはり時間はあるのでしょう。彼女にとっては忙しいのが生きがいです。だから私は彼女の幸せをいつも見守っています。

ただし、年末はいや!という方には次のようなストレスフリーな休みいかがですか。1.お正月はおせちなんて気張らずにKFCのチキンにアイスクリームはいかが?2.夫に何がほしい?と聞かれたら迷わず、子どもから解放された一人の時間!、からだのマッサージ、二人だけのロマンチックなディナー。3.何がほしい?って親、兄弟、友達に聞かれたら迷わず、キッチンとお風呂場を掃除してくれるメードさ〜ん!4.クリスマスと新年のごあいさつはいっしょ。メールで写真も添えてBBCで100人の人にいっせいに送りましょう。4.お正月男性軍がテレビの前を陣取っていたのなら、今年からは男性軍が片付け担当、女性軍はこたつに入ってテレビを見ながらむしゃむしゃ食べて、おしゃべり。5.やることリストの隣にやらないことリストを作りましょう。6.新年の抱負はもっとリラックス、心配をあまりしない、家族との時間を楽しむ。(Babytalk Dec/Jan 2003 参考)

2002.12.15.

海外に住むこと。それは他人の家におじゃまするようなもの。そんな風に私は捉えています。すべての人が私たちを歓迎してくれるわけではありません。アメリカは人種のるつぼではあるけれども、必ずしもこれらの人種がすべて和気あいあいと平和に暮らしているわけでは決してありません。いや、むしろ仕事の世界など、競争のあるところに入ってみるとその人種差別のすさまじさをもろに経験します。

日本人がアジア人としてどんなに教養を身につけ、どんなに経験を身につけていてもどこかしらで人種差別を味わうと思います。ガラスの天井といいますが、アジア人としてどうしても超えられない壁があるのも事実です。そのため、女性の大統領が出れば、女性ということで、黒人の上院が出れば、黒人ということで周りからの注目を浴びます。私たちの肌の色が原因でどうしても足を踏み入れられない世界が存在するのもここアメリカです。

それでもアメリカでは人種差別を受けたらそれに対して抗議をし、立ち向かえる機会があります。その道のりは厳しいながらも、アメリカは機会均等の概念が社会の根底にあります。立ち向かい、戦うことは容易ではありません。精神的にもかなりタフで、いったい誰のためにということを常に自問自答していかないと戦えません。そのため、多くの人たちはあきらめています。あきらめず、戦った人たちだけが最終的には勝利を収めます。たとえ勝利を収めてもまだ戦いは続いているという印象です。帰国したとき私が一番先に感じることは、日本では自分の肌の色が原因だろうかと意識しなくて済むことです。

2002.12.20.

秋学期が終わり、私は今までできなかった読書、読む機会がなかった教科関係の記事、見たいと思っていたカウンセリングのビデオなどを少しずつ消化しています。その中でも読みたかった本のひとつに女性の生きかたを書いた本があります。今、それをテープで聞いています。キッチンで片づけをしながら、料理をしながら毎日、1章、1章と聞いています。これはなんてよい方法なんだろうと思い、まさに女性の生き方を理解した人がいかに多くの女性に読んでもらおうかと思った方法だと納得。

その本は家族を持ち、男性とのintimacy (精神面や肉体面での触れ合い)を持ちながらも自分の道を探っていった人たちのエピソードを集めたものです。女性は出産、子育てという人生の中で人類全体では避けて通れない節目をかかえ、なおかつ自分としての生きる糧を探っていると本は強調しています。私たち女性は男性を優先にいかに生活しているか。たとえば、父親は子どもに何かせがまれても、「ちょっと待って。これが終わってから」といいますが、母親は、今やっていることの手をすぐ休めて子どものケアにかかわると言います。つまり男性の場合は自分優先が許され、女性の場合は自分のことはいつも後回しとcondition (からだに組み込まれている)されてきたというのです。

夫が海外へ転勤、国内転勤となれば、いつも女性がuproot (根こそぎ)を迫られたといいます。その地でできた友達と別れ、慣れた買い物環境を離れ、社会の輪から自分を引っこ抜いて新しい土地で再びすべてをやりなおすというのです。しかし、著者はこれらすべての過去の fragment、 ばらばらのような破片をcompose 総合的にまとめてそれを生かすことが女性はできるというのです。男性の視点から見たらまったく一貫性がないようであっても、女性は女性の与えられた人生の中でそれでも着実に成長に向かっている。無駄はないといいたいのでしょう。

自分自身の人生もまず高校のときに将来何をしたいかと考えたとき、私はやはり自分が女性であるがゆえに備え持つtrait、生まれ持った素質をみつめました。さらに自分の人と接することが大好きな性格を見ました。そして将来、子どもを産み、家族を持つ中で続けていけることは何だろうかと真剣に考えました。さらに子どもが生まれてからも自分を失わないために必死になってなんらかの社会貢献を維持しました。夫の赴任地の移動から3年おきに変わる断片的なものであったにしろ、私は自分を失わないように必死にその興味にしがみついていたように思えます。人生に無駄はない。いつもそう自分に言い聞かせ、この一時滞在地も将来に結びつく、自分の人生のキャリアの糧になっているのだとそう信じています。皆さんは振り返ってみて今、人生のどんな節目にいるのかしら?今後どんな自分が見えますか?是非聞かせて下さい。

200212.27.

私が一番興味のあるテーマは世界です。私は世界中にいろいろな価値観を持った人がいることをしり、いろいろな生活があることをし、いろいろな習慣があることをし、いろいろな気候があることを知り、生きているうえで何が大切なのだろうかということをいつも考えさせられました。

私の生涯のテーマである国際比較、文化比較。これは常に日本との比較であったり、今現在住んでいるアメリカとの比較であったりします。その比較の中で今日は貧しさということを考えました。貧しさってなんだろう?その定義はいったいなんだろう?と。私たちは貧しさを経済的な貧しさに直結します。しかし貧しさの定義は必ずしも経済的な貧しさのみではないと思います。これはむしろ金銭的に裕福な文化を持ったものからみた貧しさではないでしょうか。

エチオピアでは今日の食事すらまともに口にすることができません。ブータンでは子どもたちが常に下痢、鼻水をたらしています。それでも生活は機能しています。彼らは確かに私たち先進国から見ると貧しいでしょう。ものをもっていません。お金もなく、教育も得られません。しかし、彼らのいったことばに私は感動しました。「私は世界の平和を望む」と。彼らは生まれた地域を一歩も外に出ていません。50年間同じところで畑をたがやし、家族を守り、子どもを育てる。ただそれだけの人生です。そのようなマイクロな世界に生きていながらも、彼らの心は世界の平和を望んでいるのです。

ああ、なんて自分の心が貧しく見えたことでしょう。彼らの心は豊かです。決して貧しくありません。子どもたちの遊ぶ声がし、自然の中で遊びを発見し、なんとか食べていけていること。これら最低限のものを備え、彼らは幸せなのです。足が真っ黒な子どもたち。洋服はつぎはぎだらけ。食べるものは生きていくだけの十分なもの。それでも子どもたちの目はかがやき、生き生きしています。笑顔があります。

私たちは最低限必要なものだけで生きていけるはずです。自分の身の回りを見回してみてください。なくては生きていけないものはいくつあるでしょう?必要ないけれどもあるものがどれだけあるでしょうか。私の大好きなことば、"Blessed are those who need the least" (必要最低限のものだけで幸せを感じられる人は本当に幸せな人である。)

2002.12.31.

ニューヨークに来てここに集まるさまざまな国の人たちの存在に圧倒しています。こんなすばらしいチャンスがあるのだから、現地の人たちの出産、子育てを知りたいという気持ちになりました。なんでいままで気づかなかったのだろう。もちろん私の専門は海外での日本人の人たちの出産体験でした。だからNYに来てからも海外で出産、子育て体験をした人たちをずっとインタビューしてきました。

しかしここにきて、ふと気づいたのでした。そうだ、現地の人たちの話をもっともっと聞こうと。そして今日はガーナで5人の子どもを育てたジャネットさんをインタビューしました。これがまたおもしろいおもしろい、そして子育ての知恵がふんだんに入っていました。ああ、こんな風にしたらいいんだという子育ての知恵。たとえば赤ちゃんを母親の足の間に寝かせてからだを洗ってあげることなど。

そのような生活の中で十分探せる子育ての知恵を知ったら、新生児を迎えるにあたって必要な育児製品なんで買い揃えるのは本当に必要なのかという疑問がわいてきました。赤ちゃんを寝かせる場所だってちょっとしたコットに入れているとのこと。

そして海外の皆さんが苦労して手に入れようとしている母子手帳。なんと今やインターネットで電子母子手帳が誕生したほどです。ここには赤ちゃんの写真も入れられますし、一人だけの母子手帳でなく、日本にいるおばあちゃんやおじいちゃんにも赤ちゃんの成長記録を伝えることができるってことではないでしょうか?グラフの身長記録も簡単に記録できそうです。URLは下にあります。 

http://www.noduletown.com

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