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今日のひとこと

2000年の3月より、海外出産・育児コンサルタントとして感じたこと、国際医療ソーシャルワーカーとして感じたこと、海外生活体験者として感じたこと、母親として感じたこと、女として感じたこと、そして何よりもノーラ・コーリ個人として感じたことを今日のひとことで毎週つづってきました。以下はバックナンバーです。

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2001年

2001.1.2.

ケア・ワールド サポーターの皆様、あけまして おめでとう ございます。2001年もどうぞよろしくお願いいたします。今年はここ横浜で静かに正月を迎えています。今年はどんな年になるのかなんとなくまたわくわくです。毎年月日が流れるのが早くなっているようですが、こうやっていつのまにか年齢を重ねて、人生を豊かにしていくのかなと思います。おそらく招くも、招かずも、自分の人生は常に波乱万丈だと思っています。おそらく今年もいろいろなチャレンジが襲いかかってくるでしょう。しかしどのようなチャレンジが訪れようが、私はそれぞれのチャレンジをポジティブに受けとめ、まっこうから向かい、必ず克服できるんだということを自分に言い聞かせていこうと思います。その原動力がある限り私は絶対に大丈夫だと思うのです。

親はこどもを選べない、こどもは親を選べない。夫婦ですら、お互いに成長すれば変わっていく。そういったどうしようもない状態に置かれながら、なんとかこの家族という単位を維持して行かなくてはいけない。いやなら分かれてしまえばいい、無理にいっしょにいることもないという考えが最近では浸透しています。それゆえの家族崩壊ではないでしょうか。けれども離散家族をしたところでやはりまた新たな家族を求め、同じ壁にぶるかるのです。現代社会は楽なほう、楽なほうへと向いていますが、私はやはりある程度の耐えることを身に付ける必要があると思います。耐えることを苦痛と思わず、次のステップへのチャレンジだと受けとめ、相手を受け入れ、共存の道をいっしょに見出していく。このような姿勢が問われるのではないかと思うのです。皆様はどのように思いますか?

2001.1.12.

赤ちゃんってものすごい人を引きつけるパワーがありますよね。私は電車に乗るとあえて赤ちゃんのそばにすわるんです。バスに乗ってたっていても赤ちゃんをあやせるような位置に立ちます。ぐずっていたり、泣いていたりしたらなおさらそばに引きつけられます。うちに赤ちゃんがくればもう抱っこはもちろん、ぴったりくっついてあの赤ちゃんの独特のあま〜いかおりをかいでいるのが好きなんです。なんかそばにいるだけで安心するんですよね。こんな余裕がでてきたのももしかしたら子育ての初期の段階がなつかしくなっているのでしょう。

さて、リクルートから出されている 「赤ちゃんのためにすぐ使う本」 2月号の特集 「気になる育児のうわさ、ウソ?ホント?大研究」 にコメンテーターとして載せていただきましたので、是非、書店にて探してみてください。(15日発売予定)  歩行器はいいの? 「だめ」と言わないしつけって? 出産準備リストってどこまでそろえるの? 薄着は健康にいいの? 3才までは母親が育てる? おしゃぶりは歯並びに悪いの? 泣かせっぱなしは? 抱き癖ってよくないの? 一番風呂ってからだに悪いの?などに答えています。

2001.1.25.

今朝もニュースをいろいろと聞いていて気持ちが落ち込みました。特に赤ちゃんの虐待ニュースは私を うつ な気持ちに落とし入れます。 何も罪のない9か月の赤ちゃんを踏み殺すなんて。 私はこの世の中本当におかしくなっていると感じざるを得ません。 つまりだれでもその母親と同じような状況に陥る可能性大ということです。 そのような今の社会、私達の命に対する教育、もちろんいくらでも社会のせい、他人のせい、親のせい、と向けることもできるでしょう。 しかしどんなに親が子育てに失敗しようが、私たちは大人になっていくらでもばんかいはできるはずです。 いや、そうしなければ我々は救われません。社会が悪いと思ってもそのなかで、なら自分は正気にいきていくためには何ができるかを問わなくてはならないのではないでしょうか。 社会が変わるのには時間がかかります。一番身近な自分から変えるのがなによりも早道なのです。そのためにも気がついたら助けを求めるなり、自分なりの生き方をしっかりと見つめてみてください。 (抽象的でちょっと今日のひとことはわかりづらかったかな?)

2001.2.4.

皆さんは 小さい頃、何になりたかったか 覚えていますか? 私はよくこども達に将来は何になりたいの? と質問してきました。とにかく毎日のようにコロコロ変わるのでそれがおもしろくて聞いていたようなところもありました。最近では娘は獣医になりたいといっています。動物好きな彼女なら、らしいかな?という感じです。息子は以前、救急救命士になりたいといっていました。実際救急救命士に合わせて話しを聞かせたり、実際にCPRや人工呼吸の講習に参加させて資格をとらせました。しかし彼はレゴが大好きで建築家向きのようです。今はゲームソフトの制作を手がけたいと期待に胸ふくらませています。私はやはりこどもの興味の持っているものというものは大きくなってもそうは変わらないと思っています。もしできたら本当に好きなものを将来の仕事として持ってほしいと思っています。

私ですか? 私は小学校の1年の頃から書くことが好きでした。またいろいろと考えたこと、思いなどをつづってきました。小学校6年のときには評論家になりたいと「私の将来の夢」というところに書いています。 そして今、やはりその仕事についています。けれども他にも小学校3年のときは医学書が好きで将来は医学関係の仕事につきたいと思っていましたし、やはりそれも達成しました。さらに福祉、人権、平等なども私の関心ごとでした。小学校4年のときにMartin Luther King 氏のことばに感銘しその道をめざしました。結局、こどもの今は将来に直結しているんだなと思いたいのです。そして今のあの姿勢、興味をしっかり受けとめてあげたいと思っています。

2001.2.10.

困ったとき私達はどうするでしょうか?私はこどもに常日頃、自分で考えるようにと育ててきました。人を頼るのでなく、自分は何をしたいのか、どうしたいのかで決断するように仕向けて来ました。しかし最近になって私は人を頼る大切さも教えていこうと思いました。それは人生の岐路においては自分ひとりでは解決できないことが多くあるからです。また自分ひとりの知識ではとうてい情報として足りないことがあるからです。人生の先輩は多くの経験と知識をもっています。私達はとうていひとりでは生きていけないんです。つらい状況にあるときこそ人を頼っていいのです。そのための友であり、プロがいるのです。

海外というまったくわからない土地、生活は、学校は、食べ物はとわからないことだらけです。そんな時自分ひとりで問題を抱え込まず、頼れる人をどんどん頼っていってください。そんなときに友のありがたさ、インターネットのありがたさを身にしみて感じるはずです。みんなお互いに支え合いながら生きているんです。相手に迷惑だろうかなんて思わないで。なぜならその相手だって私達と同じように悩み、人に頼って生きてきたからです。

この世の中はあまりにも複雑になり過ぎて来ました。だからそれ専門のプロが生まれてきたのです。そのプロを頼っていくのが賢い人生選択なのだと思います。そう、私も海外の出産・育児のプロとしての意識を高め、常に勉強し、自分の得た知識をどんどん必要な人に分けていきたいと思います。情報は自分で貯め込んでいるだけでは生かされません。情報は与えることによってさらに広がるのです。

2001.2.18.

自分は本当にちっぽけな人間だと思っています。おそらくこの地球上では点のような存在で、宇宙に出ればちりのひとつほどの小さな存在だと思っています。町を歩いていてもこの全世界の人口に埋もれてしまえば、私などを知る人などひとりもいないというほどちっぽけな存在だと思っています。

けれどもそんなちっぽけな人間が愛する人から見れば一番価値のある人間であり、一番大切な存在となっているのです。つまり私達は把握できないような世界や宇宙などの大きな存在に自分の価値を見出すのでなく、たったそばにいる一番愛する人に思われ、認められるだけで十分ではないでしょうか。他に何を望むというのでしょうか。

今回、アマゾンの出産・子育てベスト4(2001.2.18.現在)に「海外で安心して子育てをする本」が選ばれました。これはとても誇りに思うべきできごととしてうれしさでいっぱいです。その反面それに浮かれることなく、これからも常に一番皆さんの身近な友として使命を果たしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

2001.2.24.

先日、交通事故に遭遇してしまいました。あまり公表したくはないのですが、ひとつだけ皆さんにどうしても伝えたい事があります。わずか15キロ程度の徐行運転でも50キロくらいの走行で相手が直角に追突してきた場合、中のものは固定されていないと完全に破壊されるという事です。

私はショッピングの帰りでステーションワゴンの荷台には、食料が箱の中に詰めこまれていました。車の衝突で食料品はすべて天井と高部座席に舞い上がりました。もしこれがチャイルドシートに固定されていない子どもだったら、ひどい損傷を受けていたと思ったのです。豆腐は粉々にまるで液体のように窓ガラスにはりつきました。卵も全部割れて破裂状態でした。いちごやトマトはあとかたもなくつぶれました。

子どもの命を守るのは親の第1のつとめです。チャイルドシートに乗せるとこどもがいやがるから、こどもが泣くからと自由にさせている親がいますが、こどもの命を奪われる事と泣く子をすわらせるのとどちらを取りますか?日本ではチャイルドシートが義務化されました。それでも尚、座らせていない無責任な親もいます。義務化されるのは当然だと思いました。こどもは軽いのです。あっという間に宙に浮き、幸いであれば車内で打撲、最悪の場合はフロントガラスを突き破って相手方レーンの車に引かれ、即死です。自分たちが安全運転をしていても相手が猛スピードでぶつかってくることがあるのです。

どうぞ、是非、私のこの体験を無駄にしない為にも今日から泣きわめく子どもにチャイルドシートに座る大切さを言い続け、しつけを始めて下さい。ひとりでも多くのこどもの命を救う為に、私はこれからもチャイルドシートの大切さを訴え続けていきます。ちなみに私はなんとか生きています。頭部打撲、顔面打撲で1週間の安静です。車はめちゃくちゃになりました。

2001.2.28.

ご心配おかけしております。おかげさまでだいぶ頭の重いのも取り除かれ、また夜更かしの日々に戻りつつあります。それにしても健康について考えさせられました。私達は健康な時はそれが当たり前と思って生活しています。しかしちょっと動けなくなるともう私みたいに常に動き回っているものにとっては、すごい苦痛です。PCの前に座れない、長時間同じ姿勢でいられない、頭が痛い、頭が重たくて頭を持ち上げていられない、横になってもすっきりしない、寝てもだめとどうしようもありませんでした。気ばかりあせってもとしっかり本を読みました。読んだ本は三沢直子さんの「殺意をえがく子ども達」という本で、行き詰まっている現代の子育ての原因を探った本でした。その中で彼女はもっと子ども達に子どもらしいゆったりした時間をと訴えていました。幼児期からおけいこ事でぎっしりのスケジュールです。まるでサラリーマンのような忙しさ。何か毎日入っていないと落ちつかないような。それって子どもでなくお母さんがですよね。日本は忙しさを美徳にしてしまったようですね。暇であることに対してとても否定的です。けれども暇っていいかえれば余裕があるってことでとてもポジティブなことなのにね。忙しいことは心を亡くすと書きますよね。子ども達の心を見失わないように、ママ、パパの忙しさもほどほどに。

2001.3.2.

3月3日はおひなまつり。皆さんのご家庭ではおひなさまを飾っていますか?特に海外にいると、日本のこのような行事にうとくなりますね。もし思い出してもうまにあわないというかたがいらっしゃいましたらせめてお子さんのためにおり紙でおだいりさまとおひなさまを作って上げられたらいいですね。

4ヶ月の赤ちゃんの首を締めて殺害されたニュースをみて、考えました。38才で8年たってやっと授かった待望の赤ちゃん。それなのになぜ?と私達はとても理解できないといいます。しかし私にはわかるような気がします。彼女にとって赤ちゃんは待ちに待った赤ちゃんだった。けれども現実と理想とではかなり違っていたのでしょう。

子ども達は常に私達をチャレンジしてきます。完璧にやろうと思う親ほどこどもに手こづります。神様は人間にバランスを与えようとして、完璧な親にはその完璧さをチャレンジさせるようなこどもを与え、ちょっと気楽な親にはしっかりしたこどもを与えるのではないでしょうか?

しつけとは決してこどもを完璧な人間に育て上げることではないのです。親も敢然たる一貫性をもってしつけるなんてことはできないんです。それなのに育児書は私達、親をものすごく追い詰めます。母親はこうあるべき、こどもはこう育てるべきと。

けれども子どもなってひとりひとり違い、状況状況で違います。だから、バランスが保てればいいのです。時には締めるところを締め、見逃すところは見逃す。このような柔軟性が子育てには必要なんではないでしょうか。

2001.3.6.

「なにごとも自分の受け止め方次第」

なにごとも前向きに捕らえる事ができる人はかなり自分の人生をハッピーにできると私は思います。考えようによっては本当に受け止め方次第ではないでしょうか?海外から帰国したGさんはPTAの奥様連中からきらわれていました。そのきっかけは最初のミーティングで欠席する事を伝えなかったと言うささいなことで、そのようなことを伝える事を知らなかったゆえに起きた誤解だったのですが、それ以来、彼女は日本の学校の常識をしらないと言うことでいじめを受けていました。ちょうど卒業式が終わった翌日、打ち上げ会をしたそうですが、Gさんがいないところでその日は決められました。さらにGさんは水曜日はいつも出られなかったのです。Gさんは自分の知らないところで、出られない日を相手が知っていながらその日を決めたこと明らかに自分がいじめの対象となっていることを肌で感じていました。この相談を受けた前向き思考のTさんは、Gさんに言いました。「あら、心の狭いいじめるような人達となんでいっしょに過ごしたいの?ちょうどよかったじゃない、あの人達はあなたに来てほしくないからあえてあなたがこれない日を選んだんじゃない。」それを聞いたGさんはいじめられていたことにくよくよしていた自分が情けなくなりました。Tさんはさらに、そんなことでくよくよする時間があったらもっとためになることにその時間を使いなさいよ、忙しかったらそんなこといちいちかまっていられないわよ、とアドバイスをして去ったそうです。

2001.3.8.

「もし、あのとき〜」と考えるのはやめよう

日本人は比較的反省が好きなようです。反省をする事によって今度はよりいっそうよいものを作ろうと言う取り組みなのでしょう。これは良いことだと思います。つまり過去から学ぶと言うことですよね。

けれどもわたしがいうもし、あのときというのは、何か悪い結果が出た場合の話しです。私達は、もしあのときこうしていればよかったと回避できなかっただろうかと思い巡らすでしょう。けれどもそんなことを思っていてもちっとも生産的じゃないですよね。それよりも、ま、いっか、お金で済むことならばと割り切って、今ある貴重な時間を次のステップのために費やしてはどうでしょう。

そもそも、その時は一生懸命に考えてくだした判断だったはずです。たとえ何か損をしたという気持ちが起こっても、どうしようもないことなら、どっかでふんぎりをつけないと、過去にばかりこだわって泣いていても、何も生まれません。

2001.3.12.

時が気持ちまでをも変える

私達は海外赴任!と聞かされた時、まず第一にどのような反応を示したでしょうか?人間はとかく現状維持をまずは選ぶように思えます。やだ、いきたくない、やだ、いってほしくない。今の状態を変えてほしくない。変えないで。しかし時は私達の心までも変えていって行きます。よく考えてみたらやっぱり付いていく方がいいかもしれない。いっそうのこと、応援してあげよう。と変わっていきます。

そして現地に着いてからも最初は今までのやり方が身についているので、新しい生活がそれはそれは不便でしかたありません。いままでこうしていたのに、なんで今度はこんなに面倒なの?それが不思議、ものの数週間で今度は現地での新しいやり方が自然と身につき、それに慣れてしまうものです。慣れてしまえばしめたもの、もうそこにはいままで感じていた苦痛、面倒くさいがなくなっているのです。

皆さんも全員がこのような経験を通ったのではないでしょうか?そのため、私は新しい土地で過ごす時はすべて現地のやり方をまずは取り入れようと思っています。日本と比較しているといつまでたっても現地のやり方が見えてこないものです。実際現地のやり方のほうがずっと合理的で、経済的で、その土地になじんだものにもかかわらずです。

人間は案外、適応力があります。どうですか?皆さんも自分の適応力を試してみませんか?案外、知らなかった自分を発見したり、見えなかった現地の生活が見えてくるものです。

2001.3.19.

教育システム違い

アメリカのニューヨークのある地域の教育システムについて調べていたところ、1月1日から12月31日の間に5才になったこどもは9月の新学期からキンダーガーテンに入れるということでした。そのことを我が娘に当てはめてみましたところ、娘は現在11才。今、小学校5年生です。しかし4月から日本の学校では6年生になります。しかしもし9月にアメリカへ行くようなことになれば、彼女は5年生から8年生までのmiddle school という中学校へ入学する事になります。しかも6年生をスキップして、7年生になるのです。つまり彼女は7月生まれですから、この年に12才になる子どもは9月から7年生に当るのです。ということは彼女は2001年という1年間になんと5年生、6年生、7年生という3年間を経験してしまうということにもなりうるのです。これってあり?ところ変わればといいますが、それにしても1年間に3学年をofficial 上、通ると言うことだけでもなんか脅威的な体験だと思いませんか?そういう私も実はうん十年前に年長さん、1年生、2年生を1年間で経験した身でした。あれ〜〜〜、そうだったんだ、今ごろ気づいた!!海外で育つ子ども達って本当に他の人達には絶対経験できないようなことを経験することがあるのですよね。その中で常に自分は違うということを植えつけられていくのでしょうね。そういう私もやはりシステムから違う事、システムに納得がいかないこととは常に戦っています。何も知らず、それが当たり前と受けとめられていたらどんなに楽かと思います。しかし私の人生やっぱり波乱万丈。そういう★に生まれてきたのだろうとポジティブに受け止めることにしましょう!!!悲観的になっていたらやってけな〜〜い!

2001.3.25.

銃社会のアメリカ

やはりアメリカは銃社会だということを否定できないと思います。いろいろなことが銃社会という前提でたてられているからです。銃をもつ家にはこどもを遊ばせに行かさない、銃を見たらこどもはどうしたらよいかというビデオをこどもに見せる、ポリスに止められたらまず手をハンドルの所にあてて、外へ出ない、110番で警察を呼んでも警察官に向かって走ってはいけないなどアメリカという銃社会に住むためのノウハウを身に付けなくてはいけない。しかしこのようなことを日本で普通に生活していてまったく知らなかったことばかりである。それだけに私達はその国へいったらいろいろな現地の常識を身につけていく。そして不思議なことに帰国してからもそれがなんとなく習慣づいていつまでも残っている。

私もシンガポールの6年を生活経験し、いまだに水道からの水はのまず、一度沸かしたものしか口にしなくなっている、お風呂に入る習慣がなく、1年を通してシャワーである。子ども達は1年を通してはだしが大好き。なんとなく人を疑うというか他人を用心する癖。賞味期限をしっかり見る癖やタクシーのドアを閉めてしまう(これはだいぶ治ったが)帰ってきた当初はものすごくシンガポール常識を日本に持ち込んでいたのを覚えている。皆さんは帰国してからのお子さんにまつわるどんなエピソードがありますか?よかったら掲示板にでも書いていってください。

2001.4.2.

日本では4月が新学期です。そして新しい年が始まるといいます。どうりでその締めとなる2,3月が忙しかったわけです。もう何年も日本に住みながらも、今ごろ気づきました。

桜も咲きほこり、実にみごとです。たった1年に一度しかこれを味わえないのもなにか不思議。けどそういうことって実はいろいろあるのかもしれません。1年に1度だからと私達はその一瞬を大切にします。けれども1年に1度が実は年中たくさん詰めこまれていたりして。それを貴重と思えるからこそまた違った目で見れるのでしょうね。

そういえば初めてのって赤ちゃんを育ててる時はたくさんありましたよね。私も日記を広げると子供達の初めてでびっしりでした。初めてのお風呂、初めてのお買い物、初めてのお泊りなどなど。まだまだ初めてが続いているようです。ただ書き留めなくなったかな?どうだろう?私の初めてはなんだろう?うん、あるある、私にもまだまだたくさんの初めてがある。ああ、生きてるってイイな!

2001.4.5.

他人にぶつかった時は、あんなに丁寧に相手に対して尊敬の念を持ってあやまるのに、なぜいざ我が子となると、「ほら、どいてよ。じゃま、じゃま」なんて言ってしまうのでしょう。仕事に時間をとられてこどもをないがしろにしていないでしょうか。仕事はなんとかなるものです、しかし家族はどうでしょう?こどもはどうでしょう?あの小さな心を私達は傷つけていませんか?こどもが悪さをするとき、言うこときかないときって案外、「ママ、こっちを向いて。」と叫んでいるような時のように思えます。こどもの言い分を聞いてあげてますでしょうか。本当に理解してあげてますでしょうか。彼らは彼等なりに考えています。そしてなんとかそれを伝えようと私達の注意を引こうとします。それなのに私達は案外コミュニケーションの時間を設けようとしてないのですよね。

FAMILY という文字をよくみてください。この頭文字は Father and Mother, I Love You. という子どもからのメッセージだと誰かが言っていました。私達は子ども達を愛しているともちろん思っていますが、それ以上に子ども達も私達親をとても心配し、とても愛してくれてるのです。4才の時に「世界で一番大好きなママへ」と書いたあの時の気持ちはいつまでも続いてるんですよね。

2001.4.11.

人生は苦しみや悲しみに満ちています。そんなことがほとんどの中でつかの間の幸せや喜び、楽しみがあるのではないでしょうか。もしそう思えたら、なんでもがんばれるような気がします。だって、仕事だって5日間あって、休みはたったの2日でしょ?やっぱり理にかなっています。人生なんて苦しみの方が多いんだと思う。

自分が一番つらい、自分ほど不幸なものはいない。そう思うことってありますよね。けれども周りを見ればもっとかわいそうと思える人が大勢いる。そうなると自分が今悩んでいることなんてなんて彼らから見たらちっぽけなんだろうと思えてくる。基本的には自分を愛してくれる存在がいるかいないかではないでしょうか。あとのものはなんとちっぽけなおまえけの幸せなんだろうと思うんです。

だから自分が一番不幸なんて思うのやめようではないですか。そう思っている時間がもったいないじゃないですか。人生は限られた時間しかない。あしたの命も分からないのなら泣いてすごしてはもったいない。どんなにつらくても生きていくしかないのなら、どうせ生きるなら楽しく前向きに生きてみたい。もしかしたらこうして生きてること自体最高の幸せをもう手にしているのかもしれないんだから。

2001.4.16.

このたびURLのアドレスを変更しました。 http://www.angelfire.com/wi/caretheworld/index.htm 皆様にはお気に入りの設定変更、リンク変更などでご迷惑をおかけしますが、変更のほどよろしくお願いいたします。ついでにメールも変わりましたので、caretheworld@hotmail.com のEmail アドレス変更もお願いします。今回アドレスを変えた一番の理由はサーバーの変更でした。サーバーが変わることによってサービスに変更が出るものの、やはりもう少し永久性の高いフリーメールとそれに伴うフリーHPを選びました。皆様には広告が最初に画面に飛び出すなど見苦しい点もあるかもしれませんが、お許しください。これはすぐ X を押せば、消えます。またこのたび、この新しいアドレスでHPを作るソフトから移行するにあたって友人の協力なくしては完成しませんでした。ここに感謝の意を表明したいと思います。CMで「ものより思い出」というのがありますが、ものやお金よりもっともっと大切なものがあるにもかかわらず、頭で分かっていながらなんと私達は誘惑にかられることでしょう。今回も友の献身的な知識の共有と惜しみなく時間を人の為に与えることに心打たれるばかりでした。心からありがとう。

2001.4.28.

今日のひとことはマザー・テリーサから引用します。「大切な事は、どれだけたくさんのことや偉大なことをしたかではなく、どれだけ心をこめてしたかです。」私はこのひとことを読んで、これからのIT時代に求められるものは心の余裕だと思いました。メールは便利ですが、早すぎます。たったの2日返事が遅れただけで催促のメールが入ってきます。情報量も莫大です。これを全部入力していてはとうてい時間が無くなります。それでは自分が何ができるかという原点にたったら、やはりそのひとつひとつをどれだけたんせいこめて、心をこめてしていくかにかかってくると思いました。ファーストフードレストラン、ファミリーレストランの味はどことなく心がこもっていません。ごはんもはかりにはかって何グラム。味はすべての店で統一され、とにかく大急ぎにでてきます。しかし私はあえて家庭的な小さなレストランを選びたい。多少ひとつのメニューが高くても、客の顔を見ながら盛付けをしたり、味付けをしたり、時間がかかり、心が通う。

私は自分の作成する小冊子ひとつひとつにその読む人のことを考え情報を足していくことにしています。すべてが手作りです。けれども心をこめ、時間をかけて作っていきます。今回小冊子の料金を300円値上げしました。それは小冊子こそ中身が濃く、皆様のニーズにあったものを提供していると判断したからです。

2001.5.1.

いよいよ5月を迎えました。季節的にはとってもさわやかで新しい芽がふき、花もきれいです。忙しい毎日の中でふと空を見あげる時間、犬に声をかける時間、雑草を見つめる時間が心の余裕なのでしょう。それが持てる人は幸せ。けれども持つ時間を作れる人はもっと幸せかもしれません。時間はすべて私達の手中あります。

海外引越しはストレス度の中でも上位を示します。ほとんどトップといってもよいほどでしょう。それを克服できた人間はやはりひとまわり成長すると思います。なによりも人生を複雑にしないことでしょう。最低限必要なものだけで暮す。これで引越し荷物が簡単にまとまります。割り引きポイントカードなどもすべて購買力を高める戦略です。それを使う為にさらに時間を取られます。通信もひとつにしぼる。利用期間、請求書送付日すべて異なります。カードはひとつ。世の中便利になりましたが、それはすべて継続ということを前提にしているのです。一歩づれると複雑度はきわめて高くなります。

私の理想はやっぱり寅さんかな?かばん一つで何も縛られずに生きていく。ここに人生の意味が見出せるような気がします。とにかく今は最低限のことだけをしていこう。疲れたら休めばいい。無理ならやめればいい。お金で解決できるならそれでよしとしよう。

2001.5.6.

・ 子どもを育てることは確かにお金がかかります。幼児の段階で英語、スイミング、バレエ、お絵描き、公文とおけいこごとに費やすお金って相当ですよね。最低限の義務教育は国がお金を出していますが、それ以外の情緒的なもの、文化的、芸術的な発達に関しては個人で負担することが多いように思えます。本来子ども達は国の宝のはずなのに、やはり日本はそのあたりは個人主義なのかもしれませんね。

・ 以前私は背の順に対して、これは差別だということで新聞に投稿したことがある。5.6.付けの朝日新聞で同じ投稿が載っていた。背の順に関しては私の原稿を読んでもらいたい。内容的には同じなのだが、背の順がどれほど心理的に子どもの成長にダメージを与えるかということを訴えたかった。なぜ背が小さいことがいけなくて、背が大きいことがいいのか?人間的にどうだというのか?私は背が小さい。それをいやというほど意識させられて育った。けれども大人になってからはそれほど気にならなくなった。それはもっと自分と言うものが背以外で評価されることが分かったからだ。娘も小さい。かなり意識している。けれどももっと彼女にも内面で評価されることに価値を見出して欲しいと願っている。それにはやはり環境の変化を望む。5年ほど前に投稿して日本全国に訴えたのに、何も変わってないのだろうか?なんかがっかりした。体重順に並ばせるっていったら?みんな怒るでしょ?・ ハンセン病は昔、らい病とも言われた。彼らは施設に送られ、その囲いの世界で人生を送った。無知とはなんと恐ろしいことか。教育はお金がかかるというが、無知でいることはもっとお金がかかることだとどこかで読んだ。無知でいることは、人を傷つけることでもある。自分自身を追い詰めることでもある。ハンセン病は遺伝病と信じられ、彼らは子どもを産む権利すら奪われた。9か月で堕胎を強制された女性。家族から絶縁された者。親の葬式にも来るなと言われ、参列の後ろにひそかに立っていたもの。からだに関すること、病はその人のせいではないのに。

2001.5.16.

今日は船便の引越し日でした。朝、9時に引越し業者の方がみえて、3時に終わりました。やはりプロ、手際の良さといい、あのかさばるガラクタ類をいったいどうやって真四角の箱に収めるのかと見てましたが、目を見張る仕事ぶりに圧倒しました。なにごともひとつのことを極めると言うことはすばらしい感動的なものにつながると感心していました。

さて、掲示板をご覧になった方はもうご存知だとは思いますが、このたび私の夫の転勤により、私達家族もニューヨークへ引っ越す事となりました。突然の海外赴任とでもいいましょうか、具体的にいろいろなことが決まるまでは実感がしませんでした。しかし今日、引越し荷物が家を離れ、初めて、ああ、やっぱり、とうとういくんだなという実感が沸いてきました。最終的には、飛行機に乗らないと実感はわかないとおもっていましたが、それ以前にとうとうきてしまいました。

まずは報告があり、こどもの学校をどうするか決め、それから情報集め、夫が先にいって家を決め、次に引越し日が決まり、出発日が決まり、車を売って、家の借り手を探して、諸々の手続きをして、あますところ16日となりました。この数日間でまだ残っている大きな課題をいくつかこなさなくてはなりません。与えられた限られた期間だけにどんどん推し進めて行かなくてはなりません。

もう海外赴任はないだろうとたかをくくっていたところ、突然の辞令。人生まったく予想がつきませんね。ましてや私の人生などまったく計画がたちません。それでも私はこのパソコンさえあれば、世界どこへいっても仕事は続けられると思っています。ホームページも存続しますのでよろしくお願いいたします。

2001.5.20.

以前から子どもがいつか親を越すということばを聞いていましたが、本当に親を超えてしまうことがあるのを最近実感しています。一番最初にそれを感じたのは息子が8才の時、一輪車をあやつるようになったときでした。こればかりは私はできませんでした。そして次は鉄棒の逆上がり、これも私はできませんでした。

今、息子は15才。昔でいえば、もう一人前として働くこともでき、自分で稼ぎ、自立できる年齢というわけです。最近ではまともに対等に大人として話せるようになりました。いっしょに話していてももう大人レベルです。さらに人間関係においても息子のほうが上だなと感じることもあります。それはいやなことを言われたり、不当で頭に来るようなことがあっても、彼はちゃんと相手を許し、流して、次のことへ頭を切り替えて、進めるのです。「あの時間はもう無になったよ。」とひとこと。私は感心しました。ぐちゅぐちゅといつまでも傷ついて涙している私とは正反対でひとまわり大人の彼をただただびっくりしてながめていました。

皆さんのお子さんはまだ小さいかもしれません。しかし皆さんが今子育てをしている毎日が積み重なり、それが彼らを大人へ近づかせているのです。すべてが積み重ねです。毎日が繰りかえしのように思える時があります。おむつの交換、外遊びの相手、食事を食べさせていること、シャワーを浴びさせ、寝かせる。けれどもその日々の繰り返しの中で子どもは確実に精神面での成長も身に付けていっているのです。何気ない私達の生き方の価値観、人への接し方、夫への思いやり表現、子どもとの時間の過ごし方、食生活のあり方、そのようなことすべてが彼等に伝わり、それが実となって大人に向っているのです。

2001.5.28.

いよいよあと数日でアメリカへ発つ。ほとんどのものを船便で送ってしまった後我が家はキャンプ生活だ。今日はマドレーヌを作った。なんてことない、ホットケーキミックスで簡単に作れるものだ。しかしものがない中ですべて工夫に工夫を重ねる。シロップはない、ならはちみつで。バターがない、けどマーガリンがある。ケーキの型がない、ならアルミカップ、けどアルミカップがない、ならアルミ箔があるからそれでカップの型を作ろう。焼き上がった、けどオーブンミットがない、ならぬれた雑巾をふたつにおってオーブン皿を出せばいい。子ども達に出すお皿がない、なら切った1枚の紙がお皿変わり。小さなフォークがない、なら冷めるのを待って手で食べてればいい。

海外生活なんてこんなもの。日本では実に便利なものが氾濫している。本当の所すべて便利さを追求したものがほとんどである。しかしそればかりに頼っている私達はそれがないとなんとも不便に感じ、替わりとなるものを探す能力すら失われる。我が家の同居人はみんな不平不満たらたらだ。不便なような生活から工夫を見出すこの技術を楽しんでいるのは適応力抜群の私だけのようだ。彼らは不幸だ。しかし楽しんでいる私は幸せだ。

2001.5.30.

先日、テレビでの番組を見て、ものすごく感動したことがあった。それは12人のこどもとその両親の話であったが、テレサちゃんという子と勇くんを中心にロケが追った番組であった。お兄ちゃん達はアメリカでほとんど日本語に触れずに育ち、真中の子ども達はどちらかというと英語を母国語として、それに日本語がよい時期に足されていた。さらにチビちゃん達はすっかり日本で育っていたので日本語がメインであったのであろう。兄弟12人の中で言語のばらつきがみれるというのは実におもしろい。

もっと驚いたことは親が日本の学校教育に疑問を持ち、子ども達全員、まったく日本の子ども達と隔離されてアメリカのホームスクーリングをアメリカ人教師によって受けていることだ。そしてさらに日本語もマスターするために公文を家庭教師に来てもらって行なっていることだ。日本語を話す友達とつきあえばもっと早く日本語が日本に住んでいて上達しそうと思うが、彼らは彼等だけの世界に生きている。

その彼らがインドへボランティアへいくというセッティングがあるのだが、これはやっぱりおまけみたいなものだ。しかし彼らは着実にグローバルな世界にはばたいていくのが目に見える。神様はきっと彼等に十分な教育費も用意しているのだろうなと番組を消した。

2001.6.21.

ケア・ワールドを応援してくださる皆さん、お久しぶりです。やっと更新できるようになりました。といってもまだ自由にできるわけでなく、日本にいるケア・ワールド専属のウェッブ・アドバイザーに頼んでこの文章をアップしてもらっています。

NYに来て3週間が過ぎました。実にいろいろなことを見たり、感じたりしています。まだまだ日本との比較の毎日です。これはアメリカがいい、あれは日本がいいなどなどです。きっとこういった比較を感じられる時期もまもなく薄くなっていってしまうのでしょう。必死に感じたことを書きとめています。アメリカと一言で言っても、とにかくここは大きな国です。州によって違うだけでなく、コミュニティーによって違うだけでなく、本当にもっとローカルな部分で大きく違うということがわかってきました。

人間も違います。このスカースデールの人達がアメリカを代表しているともいえません。それでもやはり彼らもアメリカ人なのです。運転が遅いとブーブー鳴らす人がいれば、スーパーの中でくしゃみをしたら、すぐ近くにいた二人の女性が私に"Bless you" (アメリカではくしゃみをすると、神様の恵みがありますようにと言います。そして私は、"thank you" と言いました。)と言ってくれました。こんな時、ああ、本当にアメリカに来たんだな〜と感じます。そして帰国子女でもある私にとって今、何が一番うれしいかというと、英語が話せることです。気持ちがいいほどです。そうそう、日本人が帰国して日本語が通じるのが最高!と言ったあの気分と同じかな?ああ、いったい私は本当に何人なんだろう?

2001.6.29.

ここニューヨークのスカースデールに住み始めてもうすぐ1ヶ月を迎えます。今は地理感覚を身につけようとまず生活に必要なものがどこで求められるかを探しまわっています。今日、家の周りを走っていたら、日本人のいくつかの家族がTag Sale (この地域ではフリーマーケットのことを Tag Sale と言っています。)を行なっていました。何を売っているのかな?もう帰国なのかな?とふと本の箱の中をのぞいたら、なんと私が書いた 「海外で安心して子育てをする本」の本がすべて25セントという箱の中で売られていました。娘に伝えたら、「あ、マミーの本だ。教えてあげたら?」と大喜び。「すごいね、マミーの本があったよ。アメリカに。」と娘も喜んでくれました。私自身もなんとなく感無量でした。自分の書いた本というものは自分の分身のようなものです。きっとこの本を日本かアメリカで買って使ってもう役目を終えたのだろうなと思い、帰国する際にまた次の人に受け継いで行ってもらえるんだ。そう思ったら本当にうれしくなりました。

自分があの本の著者であることを娘がいうように伝えてもよかったかな?とも思いましたが、今はまだ隠蓑をかぶってもう少しこちらに慣れてから正体を明かそうと思っています。けれどももし私に気づいてくださいましたら声をかけてください。顔がわからない?そうですよね。プロフィールの中に写真があります。

2001.7.6.

アメリカの子ども達の食生活においては以前からとても理解できないことがたくさんありました。日本では野菜や果物、お肉やお魚から自然に必要な栄養分を取るように小学校の頃から給食という教科(これをあえて教科といいます。)で徹底的に指導します。しかしアメリカでは一時、子どもにきらいな食べ物を強制してはいけないというような風潮があり、そのようなことから食物から栄養が取りにくいものに関しては、ビタミン剤などで補う習慣ができてしまったのではないかと考えています。

現在アメリカのスーパーにいって驚くことはチョイスが多いのはただテイストの種類だけでなく、カルシウムが入っているかいないか、fat free であるかどうか、 sugar free であるかどうかなどの表示です。特に現在ではこのカルシウムに集中されいて、小児科医でもカルシウム入りのオレンジジュースを買うように勧めていました。子どもは当然今、成長期ですのでカルシウムを必要としていますし、私自身これから骨量が減るといけないので、チーズ、ヨーグルト、牛乳、アイスクリーム(これを勧める所がおもしろいでしょ?)、を多めに摂取するように努めています。

私も以前は自然に食物からのビタミン、ミネラル、カルシウムの摂取を心がけていました。しかし自然な食物からではどの程度十分に取れているのかが測れません。それよりはある程度目で測れるような形でのこれらの栄養素の摂取も時代に合うのではないかとちょっと試してみる予定でいます。これもアメリカチャレンジかな?

2001.7.14.

何事も一番最初が一番こわい。こわくて、不安で、どうしてもその第一歩が踏み込めない。これが私の性格なのだ。だから目の前のバス停からバスに乗ることすら、なんと1ヶ月もかかった。マンハッタンに行くことだってとても最初からひとりでなんて自信がなかった。シンガポールにいったときも2才の息子を連れてタクシーに乗ることすら最初はこわかった。だまされたらどうしよう。変なところへつれていかれたらどうしよう。英語が通じなかったたらどうしようと。本当に最初が一番こわい。

けどなんてことはない、もう次からはいままでもう何年も使っているようにバスに乗れたりするのだから不思議だ。これが観光でその土地の公的交通機関を使うのと住むのとの違いではないだろうか。住む時はなにもかも緊張の連続で、これから先のことがあるからそのエネルギーを確保する為に少しづつという見構えをしてしまうのだろう。しかしこれが旅となると時間は待っていない。限られた時間内で決めたものをみないとせっかくの休みが無駄になる。だからその勇気もでるし、旅は恥捨てとなるのだ。

2001.7.20.

このNYに来て驚いたことの一つとして、Nanny の存在をあげたいとおもいます。Nanny とは子どもの世話をする人のことを指します。今は夏なので、公園にはたくさんの子どもと共に Nanny たちも訪れます。Nanny同士で話したり、Nanny の子どもを連れてきて預かっている子どもと一緒に見ている人もいます。たいてい肌の黒い人かヒスパニック(スパニッシュ系)の人です。おもしろい朝の光景があります。この町からは白人がマンハッタン行きの電車のプラットホームにずらっと新聞とコーヒーを片手に並んでいて、ダウンタウンから来た電車からはわんさかとこのNanny達が降りてくるのです。なんとも異様な光景といいますか、その対象がおもしろいです。

NYは共働き家庭がものすごく多いです。それだけ仕事のチャンスがあるということもあるでしょう。しかしそれ以上にやはりdouble income でないと生活は豊かでないと彼らはいいます。どこまで豊かさを求めるのだろうと私は疑問に思います。彼らは車を二台持ち、大きな家に住み、Nanny まで雇えるくらい裕福です。それ以上、何が必要というのでしょうか?おそらく母親も働くのは女性も社会人として自分の能力を社会に貢献したいのでしょう。パパもママも昼間子どもと外に出ていたり、夕方早い時間に帰ってくるところをみると、それなりに働きながらも子どもをケアできる体制が整っているんだということをつくづく感じます。

2001.7.23.

今、私が参加している医療従事者が中心となったメ―ルマガジンで話題になっているのが、代理母についてです。医者という立場から、医療をサービスとして提供している立場から、また看護する側から、また一人の母親として、あるいは不妊治療を経験したものからといろいろな意見が飛び交っています。私個人の意見を述べさせていただきます。(長くなりそうかな?)十代の時、子宮後屈ということで赤ちゃんはできにくいと言われました。これが第一の不妊症へのショック。もしかしたら女として子どもが産めないかもしれない。そして次は二人目が授からず4年たってやっとできるまでの課程。回りからは二人目は?のシャワーを浴び、心傷つきました。

ほしくても産めない人はたくさんいます。まるで結婚したら産まれるのが当然と言う言い方を結婚式ではしますが、あれって絶対にタブーだと思います。それってプライベートなことだと思いませんか?夫婦の寝室まで他人は足を入るなと言いたい気分です。

そして子どもがいない生活のどこが悪いのですか?それもひとつの生き方としての選択肢だと思います。私は日本ほど夫婦という単位を見て、「お子さんは?」「いないの?じゃ、そろそろね。」と決まったように聞く文化はないと思います。アメリカ人ももちろん聞きますよ。けれどもそれが第一声ではありません。まずはその人自身について聞きます。

これだけ子育ての環境が悪化する日本において、もしかしたらこのひどい世の中に子どもを送らないと決心する選択肢も子どもの幸せを祈ってかと思うことがあるほどです。幼児虐待で親に殺された子ども、親が遊びたいがために車に置き去りにされた子ども、無理心中でいっしょに命をもっていかれた子ども。できちゃった結婚であんたのために結婚したくもない相手と結婚したのよなんて子どもが迷惑です。子どもがほしくなかったら徹底的に避妊をするべきです。子どもにとっての一番の幸せは、きっかけがどうであろうが、愛情をもって育てられるかどうかだけだと思います。親の資格?それは愛があるかないかではないでしょうか?

2001.7.27.

当然と言えば当然なのですが、今の私の目はまだ日本の目です。見るもの、聞くもの、感じるものすべてが日本との比較です。そしてニューヨークに来て、何もかもが日本と違うというのが実感です。なにもかもが違うんです。同じものなんて探すほうがむずかしいくらい。そして違いがわかってもどうしてなんだろうという疑問が必ずといってよいほどついてまわるんです。その解答がなかなかでないのです。時間がかかるし、アメリカ人に聞かないとわからなかったり、聞いても彼らから答えがでないことがあります。

最近ちょっと読み始めた本で外国人がアメリカを訪れた時に知っておかなくてはいけないことを読んでいます。これがおもしろいのです。私の疑問とするものの答えがけっこうここに載っていました。どうしてチップ制度があるのかとかどうして州によって税金が異なるのかとか。子ども達はどのようなところでは歓迎されないのかなどなど。

まあ、そんなわけでいろいろと日本との違い、ニューヨークっておもしろい!!というのを書き始めました。

これからも連載でどんどん書きつづけていくつもりです。そう、まだ日本の目を持っているうちにです。この目がなくなったら、もう私はアメリカを発見できなくなるのですから。わかりますか?この表現?私はたとえば大好きなんです。つまり今は今まで慣れ親しんできた黄色のめがねをかけているんです。けれどもあと半年ももしかしたら1年くらいかなしたら新しくかけ始めた緑のめがねに慣れて来ちゃうんです。そうしたら黄色のめがねで見えていたものがもう見えなくなっちゃうんです。だから今のうちに全部書きとめておきます。

それでは、こちらのサイトです。左の帯のニューヨークっておもしろいをクリックしてください。

http://yousworld.com/ny/

2001.8.10.

新しい土地に引っ越してきて不安を感じているのはママだけではありません。実は赤ちゃんを含む小さな子ども達ですら環境の変化に伴うストレスをからだで訴えています。

「夜中に何度も起きるんですよ。」、「以前より夜泣きが激しくなって、私はこの一番たいへんな時期に寝不足です。」、「寝言でママ、ママと叫んでいます。」、「夜中に私のふとんに入ってきて指をしゃぶりながら、いつもの癖で私の耳たぶをさかんにさわっています。」

そうなんです。子ども達はそのようなかたちで、「ママ、知らないところに来て、ぼく達も不安だよ。」と訴えているのです。ママ達の不安はそっくり子ども達にも伝わるのです。けども、ママも「私だってわからないことばかりで不安なの。友達なんて誰もいないし、聞きたいことはいっぱいなのに、誰にも聞けない。けど次から次へとやらなくちゃいけないし」とママ達の心もがたがたです。

こんな時の特効薬?特効薬があったらいいですね。けどそれはただ時間が解決するしかないのです。誰もが最初はまったく孤独。なにも分からないところからの再スタート。けれども転勤族はまわりのちょっとした温かい励ましのことばがあればなんとかやっていけるのです。愚痴も吐きたいし、緊張がきれて泣くこともある。そんな時、日本にいる家族でも友達でも誰でもいいから受け入れてくれればそれであしたのエネルギーが沸いてくるものです。

2001.8.12.

〜 妊婦の心のケア 〜

ケア・ワールドは何をケアしているかというと、心のケアだと思います。海外でのお産で一番皆さんが日本との違いに感じることは、妊婦の心のケアがしっかりされているということです。心とからだがひとつであるという概念においてはまだまだ日本は途上国です。

妊娠中に素人だから、はじめてのお産だからと、医療関係者に見下された経験はありませんか?健康な赤ちゃんが生まれるためには健康な母体がなくてはなりません。しかしからだだけの健康だけで十分でしょうか?妊婦の気持ちを受け入れ、その気持ちを大切にしてくれることで初めて自分のお産に満足できるのではないでしょうか?情報がたくさんあればよいお産ができるわけではありません。お産のすべてを知ることなんて無理なのですから。けれども自分の気持ちに素直に反応できてそれを受け入れてくれる医療スタッフがいれば、心の傷がなければ、赤ちゃんを愛すこともとても自然にできるようになると思います。

妊婦を一人にしないで!!と私は訴えたい。妊娠中はしっかりと理解してくれる人に支えられたい。陣痛が始まったらいつも誰かそばにいてほしい。お産のときは最大限励ましてほしい。異常が起きたら納得のいく説明で安心を与えてほしい。赤ちゃんが生まれたら、絶対に私の赤ちゃんを奪わないでほしい。そのやすらぎの顔を見るからこそママになる実感を与えられ、家に安心して向うことができるのです。

2001.8.19.

ケア・ワールドのホームページがテレビで紹介されます。「そんなに私が悪いのか?」という最近話題になっていることをテーマに取り上げ、固定観念に基づくイメージや新しい視点から、再度その是否を論議するトークバラエティ番組に登場するとのことです。今回は海外で挙式をする方、出産をする方、海外のブランドを取り上げて日本人の外国に対する概念を視聴者に提供することを考えているそうです。

 <番組名>  「そんなに私が悪いのか!?」  <放送日時> 8月20日(月)19:00〜20:00 (テレビ朝日)  <出演者> 古舘伊知郎・中井美穂・おすぎ・杉田かおる・西城秀樹・デヴィ夫人・羽賀研二・眞鍋かをり  

<使用秒数> 5〜10秒程度

VTR内で「海外出産についてのホームページもある」等のナレーションに合わせて映像を使用するそうです。

2001.8.20.

よく私達はこの21世紀に生きていて本来の姿に疑問を持つと昔にさかのぼって、それでは昔はどうだったんだろう?アフリカの原住民はどうしてるのだろう?とか動物の世界ではどうなのだろうと原点に戻って振り返ることがあります。お産においても興味深いものが数多く存在しています。その昔、お産が医療現場に移る前、お医者様の手にお産がゆだねられる前はどうだったのだろうかということです。

私は現代における諸外国での出産はもちろんのこと、それぞれの国のお産の歴史にもたいへん興味があり、長年資料を集めてきました。この1週間、私はアメリカのNew England を訪れました。そこのPylgrim Plantation というところでは17世紀にタイムスリップをし、Old Sturbridge Village というところでは18世紀にタイムスリップしてその時代のお産について学びました。17世紀、イギリスからMay flower という船で渡ってきた女性は船に乗る前に自分が妊娠していることはわかりませんでした。何か月にも渡る船旅で船の中で産気づくこともあり、死産であったり、無事産まれてもほとんどの赤ちゃんは死んでしまいました。赤ちゃんは海に投げ込まれ、その悲しみはいい尽くせないほどであったことでしょう。さらに母親がお産で亡くなることもあり、苛酷な新天地への道中では強いものだけが残って行ったのです。17〜18世紀にはもうすでに鉗子分娩が行なわれ、医療は急激に発達しました。しかし、まだインディアンから教わったherbal medicine などで多くの病に対処していました。お産は主にmidwife の手にゆだねられていました。なぜ助産婦をmidwife というかは、ちょうどwife とドクターの間にいる存在であったからmiddle という中間的存在ということでmidwife と名づけられたそうです。さて、当時、お産の前後に、女性の周りには女友達、および女性の親戚がそばについていたそうです。そこには夫の存在はありませんでした。産後は数週間 'lying in' と言って、女性はベッドに横たわって休んでいました。女性が休んでいる3、4週間の間は他の女の人達が家のもろもろのことを成し遂げたそうです。それでも抵抗力の弱い赤ちゃんはたくさん死んでいました。わずか50センチほどのお棺がそれを何よりも語っていました。今のアメリカの病院でのお産とはだいぶ違います。陣痛が始まってお産が終わるまでそばにいられるのは夫です。助産婦さんがいることは変わりませんが、何か異常があった場合に stand-by しているドクターがいます。無痛分娩での出産は一般的です。そして産後はわずか1、2泊で家に帰ります。日本のように1か月は床上げをしないということもなく、わずか数日でもう彼女らは赤ちゃんと共にスーパーマーケットに出かけていたりします。食事は冷凍食品を食べたり、take out をオーダーしたり、洗濯は洗濯機と乾燥機が手がけてくれます。お産はまさに時代と共に変わってきました。いや、時代に合わせてお産は変わったのです。それでも私達、女性の心はほとんど変わってないのではないでしょうか。やはりお産は不安であり、誰かそばにいてもらいたいものです。妊産婦を決して一人にしないで!!人の心だけは変わっておらず、安心しました。

2001.8.24.

今でこそ出産、子育てに関しては、かなりの知識を持っていますが、私が息子を出産したときは今の20%も知らずして出産にのぞみ、子育てをしていたと思います。そのため、初産ではいかになにもお産のことも子育てのことも知らないと言っても無理ないと思います。なぜならほとんどの人は妊娠してからこの分野について勉強をはじめるのですから。そのため、10か月くらいですべてをマスターするなんて無理です。そう思いませんか?そのため、知らないこともたくさんあってママになるのです。

だから失敗があり、無知だったと思うことも避けられません。それにしてもこの出産・育児の分野は広く、いろいろな意見があるだけに知らないこともいっぱい残されています。そのひとつに新しく研究結果として発表されることです。超音波の弊害、SIDSとうつぶせ寝の関係、果汁を与える時期、卵を与える時期、おっぱいをやめる時期、母子同室、授乳間隔などなど。何も知らなかった私は言われるままにただ指示に従って、教科書通りに子どもを育てようとしました。そして教科書に書かれてないことには当惑しました。わからないから失敗もたくさんしてきました。今思えば自分の無知から息子に悪いことをしたと自分を攻めることもあります。先日、母子保健の 揺さぶられっ子症候群 の記事を読みました。私達の周りでは赤ちゃん(生後6か月未満)を寝かせるのに揺さぶっていたり、泣きやまない子供を縦に激しくゆさぶったり、高い、高いと左右に振ったり、大きく上に放り投げる光景をみます。これって悪いって知っていました?赤ちゃんが泣きやまずゆさぶったあげく、ベッドやふとんに放り投げることはとっても危ないってことを記事では忠告していました。なんか身に覚えのある方もいませんか?これらすべてが虐待だと言われたらどきっとしますよね。

揺さぶられっ子症候群 の発生機構は、外力によって生じる頭蓋内静脈の損傷による出血だそうです。乳児の頭部は相対的に大きく、筋肉のいまだ発達していない首によって支えられています。その頭をゆさぶることによって頭蓋骨と脳との間に運動のずれが生じ、ちょうど生卵をテーブルの上でくるくるってスピンさせ、突然止まらせた時の状態に似ているそうです。この間に走行している橋静脈が急に止まる力によって切断されて、硬膜下出血を起こすそうです。そのため、子どもの食欲がなくなったり、吐いたり、活気がなくなったら要注意だそうです。放置されると視力障害や知的障害も起こる可能性があるとのこと。

赤ちゃんが泣き止まなかったら激しく揺さぶるのでなく、抱いて背中をとん、とんとやさしくたたいてあげましょう。おばあちゃんにも伝えたいものです。

2001.8.31.

皆さんはほんものの銃を手にしたことがありますか?おそらく日本の警察官の腰につけられた銃を見たことはあることでしょう。しかし実際に触ったことはないかもしれませんね。アメリカでは43%の家庭に銃と子どもが存在するという統計Global Strategies Group) を出しています。毎年3750人の子ども達が銃によって殺されているといいます。銃は身近な存在でありながらも普通に暮らしている分においてはあまり脅迫的な存在のように感じられません。しかしそのような平穏で平和そうな銃とは無縁というような町でさえも、shooting 事件が発生しています。それでは私達は海外で子どもを育てるにあたってどのような知識を踏まえたらよいのでしょうか?・ まずは自分の家に銃を置くのかどうか。もし銃を置くのであれば、銃弾は抜いておく。さらに銃は鍵のかかるところにしまっておく。

・ お友達の家に遊ばせにいかせる時にその家ではどのように銃を保管しているか気になります。聞くべきでしょう。相手はそんなことはあなたの知ったことじゃないでしょ?と言い返すかもしれませんが、これは安全のことであり、シートベルトやアレルギーのことと同じだと伝えてみましょう。

・ もし銃のある家であれば、いっそうのことそこに子どもを遊ばせにいくのはやめるという考えもあるでしょう。あるいはその子どもを銃の安全対策がとられている我が家に招待するという手もあるでしょう。

私自身もアメリカ人の友人宅で銃を見せてもらいました。また子ども達にも銃に触れさせました。本物の銃がどのようなものかを実体験で覚えてほしかったのです。そして再度再度に渡り、銃の危険性について話してきました。ビデオも見せました。どこかで見つけても絶対に触ってはいけない、そこから離れなさい、大人に伝えなさいと。しかし子どもは子どもです。おもちゃの銃を見てあれだけ楽しむのですから本物と知れば当然手を出します。そのためにもまず子どもの手の届く所に置かれていてはいけないと思うのです。今の我が家は借家です。大屋さんの荷物が置かれている物置の中には数本の銃がありました。それを見つけたのは娘でした。そこはあけてはいけないと言ってあったにもかかわらずです。私は真っ青になって、その扉にテープを貼って絶対にあけないようにさせました。

2001.9.2.

私が参加しているお産関係者のグループの間で胎盤の話しが今、出ています。皆さんは、出産したあとの胎盤がどこへいっているのか知っていますか?胎盤って必ず見せられますよね。これが胎盤ですよって。あれは、やっぱり自分のものだから見せるのかな?へその緒や胎盤が赤ちゃんとママとの絆とか魂が宿るとか国によってはいろいろと言われています。だからへその緒を日本人が大切にとっておきたいからほしいと病院スタッフに言うことは海外ではすごく奇異に見られています。

話しはちょっとそれましたが、私は胎盤については特に情報を集めていませんが、胎盤の話しは時々話題に出ます。そのため、オランダでも大きな冷凍庫を見て、これはなんですか?と聞いたところ、胎盤を冷凍保存している冷凍庫だと教えてもらいました。もちろん研究などに使われるとのことでした。中には記念に持ち返る人もいるそうです。

アメリカでは胎盤やへその緒を寄付したいか聞かれることがあります。白血病や骨髄移植の人のため、またはそれらの研究などに使われる血液をへその緒からとるということです。これも、はい、どうぞとあげるだけでなく、きちんとドナーとして登録します。その場合、自分の妊娠状態から夫婦とその家族の病歴なども問われ、最終的には産婦人科のドクター

の署名も必要となります。すべての条件と状態を満たしてドナーとして登録完了するわけですね。

インドネシアでは、洗われた胎盤は素焼きのつぼに入れられ、女の子は裏庭へ、男の子は表に埋められ、一晩ろうそくを灯して供養します。これは胎盤は産まれた子供と兄弟で、産後一晩まで命が宿っているという言い伝えによるものです。(イスラムではありません)

皆さんがお産をした国ではどのように胎盤は扱われるのでしょうか?もしご存知でしたら教えてください。

ちなみに日本では持ち返って誕生記念樹の土の中に埋める人、そして中には食べてしまう人もいるそうです。これにはびっくりしました。自分のからだの一部をまたからだに戻すってことですよね。いったいどんな味なんだろう?けれども一般的には感染性廃棄物として業者にお金を払って処理してもらっています。つまり胎盤ひとついくらで引き取ってもらっています。またまた驚きました。もちろん日本でも研究などにも使われ、その場合も胎盤ひとついくらで研究者の手に渡されるそうです。薬なども胎盤やへその緒からの抽出分泌によって作られると聞きます。いずれにしろよい仕事の為に使われてほしいものですね。

2001.9.11.

皆さん、ご心配おかけしております。私は無事です。ご安心下さい。しかし大変なことが起きてしまいました。

本日(11日)午前8:45、飛行機が貿易センタービルを直撃しました。その様子をテレビでたまたま見て、すぐ夫に電話をしました。夫はその時点で何も知りませんでした。その後私はテレビに釘づけになり、ちょうど目の前の映像に飛行機が入ってきたではありませんか、そして次の瞬間、すごい爆発と真っ赤な炎!うそ、うそ、いったい何が起きたの?レポーターも一瞬何が起きたのかわかりませんでした。そして次にSouth Tower がなんとももろく崩れ落ち、次にNorth Tower がまるで映画でも見ているように崩れていったのです。その情景を見て、私はそこにいる人達のことを思ったら涙が止まりませんでした。うそ、うそ、いったい何が起きてるの。もうやめて。と心で叫んでいました。ものすごい恐怖感が走り、次はニューヨーク中、いやアメリカ全土が爆破されるのでないかという強迫観念にかられました。子ども達は学校、大丈夫だろうか?それよりもマンハッタンにいる夫のこと。Bush大統領はフロリダにいて、すぐ記者会見でこれがTerrorist のしわざであることを伝えました。当然です。これが偶然とは言えません。すごい煙に包まれ、地面には紙、また紙、そして建物の破片が。自動車の屋根ほどの大きな金属の固まりが空から地面に向ってたくさん降ってきたのです。病院はすぐ体制をとりましたが、次から次へ運ばれる患者に対応しきれません。みんなほこりで真っ白。まずは外に簡易シャワー室が設けられました。しかしアメリカの対応はこのようなことを前提に訓練がされています。ニューヨーク周辺のfire fighters はボランティアの人達も含めてすぐにマンハッタンに向っています。今、必要とされているのは多くの輸血です。献血を募っています。アメリカ全土の空港で離着陸が完全ストップです。飛行機はハイジャックされたものでした。そのため、飛行機の客の命は犠牲とされました。マンハッタンの交通網はすべてストップ。電車もバスも、橋も閉鎖。人々は走れ、走れとパニック。恐怖におののき、とにかく無事を連絡しようと電話をかける人の列。肝心な携帯が機能してません。電話もマンハッタンからは外へかけにくくなっています。安否を気遣う人達で電話はどの家でもなりっぱなしのようです。学校では親に連絡をとらせ、親の安否を気遣う子ども達は半狂乱に泣いていたそうです。オフィスもすべて仕事はストップ。スポーツ関係も中止。

海外での危機管理。皆さんはどのように対処してますか?いつ私達の身にふりかかるかわかりません。子どもとの連絡はどうするのか?夫との連絡は?自分や家族が巻き込まれたらどうするか?是非、この悲惨な事件をきっかけに皆さんも家族で話し合ってください。しかし何が起きるか分からない。予想がたたない海外でのさまざまな事件。命がなによりも大切。

2001.9.16.

先週は緊張に包まれた実に疲れた週でした。おそらく自然とからだに力が入っていたのでしょう。ショックの時期を抜け、なぜ?と疑問をかかげ、そして恐怖、reassurance と感情の変化を通ってきました。ベビカムからはコメントをと依頼を受け、産経新聞生活部から子どもにはどのようにこの事態を伝えているのかという電話インタビューを受けました。皆さんはことの事態をどのようにお子さんに伝えましたか?お子さんはこの事態をどのように反応し、どのように受けとめましたか?我が家の娘は12才です。飛行機が貿易センタービルにぶつかる瞬間を見ての最初の反応は、「かっこいい〜!」でした。彼女にとってその飛行機がビルにぶつかり、爆発する様子はいつも見ているテレビの中で起きている状況そのものだったのです。けれどもこれが本当に起きているのだと把握するのに時間がかかったようです。そして多くの子ども達も同じでした。

そして次に、「どうして自分を殺してまで人を殺したいの?」「どうしてこんなことをされたの?」「何が起きてるの?」と疑問をぶつけてきました。いったい12才の子どもにどの程度、世界の経済、宗教戦争、価値観の違い、政治摩擦、イスラエルの歴史、ユダヤ人の歴史、イスラムの見解が分かるのだろう?私はこの子の疑問にどのように、そしてどの程度答えたらいいのだろうか?

さらに、「アメリカは戦争するんでしょ?」「もしダディーが死んじゃったらどうなるの?日本に帰るの?」「ありちゃんだけアメリカに残ったらどうしたらいいの?」「今晩うちの窓にも飛行機が飛び込んでくるかもしれないの?」彼女は小さな頭の中でいろいろと考え、さらに恐怖におびえました。しかし大人の私達ですら何が起きるのか不安で同じようにこわかったのです。いったい私は娘をどのようになだめたらよいのか?娘が安全であることを自信を持って伝えていいのだろうか?

いままで私は渡航前セミナーで海外での子どもとの危機管理について話してきましたが、アメリカにおけるテロ襲撃に対しての対策まで考えが及びませんでした。しかし、今日、子ども達の恐怖を少しでもぬぐう為に、次のことを提案します。これらは専門家によるアドバイスです。子どもの年齢、成熟度によって対応はケースバイケースですのでそれを念頭に参考にしてください。

1. 必要以上にくりかえし衝撃的な場面を見せないこと 

2. 子ども達の反応や質問、こわいという気持ちに耳を傾ける

3. 大丈夫ということばを聞きたいので、大丈夫であることを伝える

4. 聞いたら聞いた事には答える。ただし、必要以上にわからないことは説明することはない。わからないことはまだわからないと答えればよいです。なぜの答えはなかなかむずかしいからです。(なぜ戦争をするの?)

5. なるべく日常生活を続けること

私がカウンセラーとして、いまできることは、海外の子ども達の心のケアをすることだと思い,ホットラインを開設しました。今回のテロ事件でこんな反応をしているが大丈夫か、子どもにはどう説明したらいいのかなどお子さんのことでご心配な方はメールでご相談を受けつけております。尚、スイートハートでも sweetnet.com 災害後の子どもの心のケアについて掲載してますので参考になさってください。

日本総領事館では心のケアホットライン:日本語電話カウンセリングが開設されています。 ニューヨーク、212-418-4497 です。相談員の中にはドクターもいます。土日を除いた10:00〜5:00。

2001.9.21.

事件後、アメリカ、そして世界がどのようにこのテロリストに対して対応をするかという課題が今、波紋を招いています。アメリカ国内でもいろいろな意見がかわされています。悪をこらしめるためには、悪で返すしかないと信じる人達。武器を用いて戦争を起こしては絶対にいけないと主張する人達。

この1週間、実にいろいろなことを考えました。特に国と国、宗教と文化、思想と思想がぶつかりあうことです。私達が3才の子ども達に向って教えていることがそのまま大人にも当てはまるのではないでしょうか?「お友達のものを勝手にとっちゃだめよ。」(勢力争い)「ゆう君のお家はゆう君のお家の決まりがあるの。うちはうちよ。それでいいのよ。」(他民族の価値観を尊重する)「やっちゃんが悲しむことはやっちゃだめよ。」(多くの犠牲者の遺族)「ゆりちゃんが痛いっていうことはやっちゃだめよ。」(爆撃による負傷)「人をぶってはいけないのよ。口で言いなさい。」(実力施行)「たかちゃんは何も悪いことをしてないでしょ。」(多くの罪なき犠牲者を生む)「悪いことをしたらちゃんとあやまりなさい。」(悪いことをしたら認める)「人に迷惑をかけちゃだめよ。」(相手を尊重する)「ちーちゃんが違っていてもいじめちゃだめよ。」(個性の尊重)今週、私の心に残ったことばは、「目には目を、では双方ともめくらになってしまう。」(Eyes to eyes will make both blind.)です。アメリカはクリスチャンの多い国です。クリスチャンの教えでは、「目には目を、しかしあなた方は右のほほを打たれたら左のほほを向けなさい。」といいます。それはどうしてしまったのだろうか?アフガニスタンという国を攻撃していったい何の目的が果たせるのでしょうか?当事者をとらえ、殺して解決されるのでしょうか?さらに多くの犠牲者を生むだけではないでしょうか。多くの方にアフガニスタンという国は身近に感じないと思います。私はアフガニスタンのことを思う時に下の子どもを思うことにしました。もうこれ以上犠牲者を出さないでほしい。戦争が起きていつも犠牲となるのは、何も意見が言えない一番弱い底辺とも言える所にいる、罪なき子ども達や老人、そして国によっては女性ではないでしょうか?

2001.9.28.

〜 ニューヨーカーのやさしさ 〜

多くの日本人はアメリカという国は怖い国だとか危険な国だというような印象を持っているようだ。その定義は一部正しく、否定はしない。しかしそのような人ばかりではない。特に今回のテロ事件で私はニューヨーカーの心を垣間見た。

ここニューヨークに住んでいて一番事件を身近に感じられるのはなんといっても実際に犠牲者と関係のあった人達がことの様子を口で伝えてくることだ。「今日も、ご主人を事件で亡くした方が銀行に見えたのよ。なんて慰めていいかわからなかったわ。」「娘のクラスの友達のお父さんが亡くなったの。今日からクラスに出てきて普通を装ってはいるけれども。」「今までお店に来ていた人達の何人かが最近来てないのよ。もしかしたら事件に巻き込まれたのかしらと思うといたたまれないわ。」「ご主人が亡くなって、親戚の人が日本からすぐ来たわ。二人でモールを歩いているのを見たわ。」

そして多くの多くの報道されなかったストーリーが入ってくる。車椅子の女性を二人の同僚がかかげて階段を降りて行った話しは報道されたようだが、車椅子に乗っていた男性の話しはおそらく報道されていないだろう。あるオフィスで働いていた男性は車椅子に乗っていた。すぐに建物から出るようにアナウンスがあったとき、多くの人が階段へ向った。ある人が階段へ向う途中、車椅子の同僚を見かけた。彼は、いっしょに逃げようと声をかけた。しかし車椅子の彼は、「いいよ、君は先に行ってくれ。ぼくはこんなからだだからみんなに迷惑をかける。きっと誰かが助けに来るからそれまでここで待っているよ。先に行ってくれ。」しかし通りがかった同僚は、「いや、ぼくもいっしょにいる。」「だめだよ。早く逃げくれ。ぼくは大丈夫だから。」「いや、離れないよ。ここにいっしょにいるから。」会話はここまでだ。

30分後、貿易センタービルはみごとに崩れて行った。この二人を巻き込んで。この話しはその場に居合わせたスタッフから聞いた話だ。私は涙を押さえずにはいられなかった。

マンハッタンを歩いていて、ニューヨークを歩いていて、確かに怖いと感じる人が通る時がある。しかし私はそのたびにこの車椅子の男性のそばにいた男性のような自分の命が亡くなるかもしれないと感じた窮地に置いても、その友のそばにいることを選んだ心やさしい男性がニューヨーカーの中にはいることを思い出すことにしている。人は見かけではない。

2001.10.5.

海外でこそ母を想う

皆さんは、海外に出て、自分の母親について考える機会が増えたのではないでしょうか?母親ってどんな母親であろうと切っても切れない存在ですよね。私は決して母親とうまが合ったというような関係ではありません。それでも海外に出ると母の存在に涙することがたびたびあるのです。

カナダにいたころは母が送ってくれた小包を見ただけで涙が出ました。そこには彼女の私に対する愛がいっぱいつまっていたからです。私の好物をひとつひとつ手にとり選び、それを箱いっぱいにつめて送ってくれました。シンガポールにいたときは、子ども達の喜ぶキャラクターもの、お菓子、幼児雑誌などをたくさん詰めて、相当な送料を払ってまで送ってくれました。そしてシンガポールの時は出産当日に母が来てくれたことが何よりもうれしいでした。海外での出産がなんとも心細くそんな時、母が来てくれただけで私はなんかほっとして子どものように母の手をベッドの上で握ったものです。

そして今、さらなるチャレンジでアメリカに来て母とのメールは何よりも私の励ましです。母が私達姉妹を育てていた時に通った同じことを今、私自身が通っている。私の娘に関する悩みも母は手にとるようにわかっています。その為にも今、私自身が母親として何をしなくてはいけないのか、どうしたらいいのかの適切なアドバイスをくれます。

母はいつまでも母なのです。母なしではどうにも生きていけないとhelpless だった幼児の頃、そして母が世界一だと思った小学生の頃、そして頭が固くて母なんていなくていいと思った teenager の頃、一応意見を聞いてみようかなと思った私が新米ママの頃、そしてまずは母の意見を聞いてみてから決めようと思う今日この頃、そしていつか母がいなくなったら、その時は、「ああ、もう一度お母さんと話したいな」とそう思うのでしょう。母親にはいつまでもいつまでも迷惑をかけているような私達ですが、考えてみれば、我が家の子ども達もきっといつまでもいつまでも私の周りをうろちょろして大きくなるのでしょう。母親とは本能的に子どもを守りたい、愛したい、何があっても力になりたいと思う存在なのでしょうね。うるさいとかおせっかいと思う時もありますが、これも愛なのでしょう。本当にいつまでも長生きしてほしいと願うばかりです。

2001.10.12.

私はまだ子育ての真っ最中ですが、せめて16年間の母親としての経験は積みました。子育ての真っ最中というのは、まだ子どもが巣立ってないからです。どうやら多くの方は子育てというと乳幼児を育てることばとして受けとめていると思いますが、私はまだまだ自分自身子どもを育てている状況だと思っていますのでこのことばをあえて使っています。

けれども娘は12才、息子は16才になりました。子どもが12才になったらもう日本でしたら学校の宿題をいっしょに見てあげたりはしない年齢ですよね。ましてや16才となったら、当然日本では自立して学習ができる年齢です。しかし我が家の子ども達は新しい言語で学習をはじめるにあたってなんと娘は8才くらいのレベルに、息子は12才に戻ってしまいました。つまり今、私と毎晩宿題の奮闘で4,5時間はべったりなのです。日本でしたらおそらくこの子達の成長を垣間見る程度だったものが、今や海外へ来たがゆえにこんなに手に取るように彼らが何を考え、何を感じ、何に不安を覚え、何を見てきているのかがわかるようになったのです。

新生児の頃は飽きないほど子どもの寝顔を見ていたものです。3,4ヶ月の頃はおむつのたびにおしりをさわったものです。5,6ヶ月の頃には離乳食が始まり何度あの小さなお手手を手に取り拭いたことでしょう。8ヶ月の頃は目が離せませんでした。1才の頃は手をとって、目を見て歩く練習をしたものです。今は子ども達のはだかも見ることがなくなりました。ついこの間までは子どもを遠くからしか見ていなかったように思えました。しかし今、再びあの赤ちゃんの頃、観察したような時間を与えられています。娘の美しい髪に手が触れています。この子は誰に似ているのだろうかとしみじみ顔をのぞいています。12才の肌の美しさ、16才の息子の肌の様子がはっきり見えます。英語のつづり文字を教えるのに娘の手をとっています。できた時の喜びの笑顔をじっと見つめています。考えている間の悩む顔も見ています。

私は日本で常に子ども達のそばにいたと自分では思いこんでいました。しかしそばにいただけで本当の意味であの子達の心の中にまで手を差し伸べていなかったのです。見ているといっても視野に入っていただけで本当の意味で目を留め、見てはいなかったのでした。何か頼まれた時も聞き流していたり、聞いても忘れていたり。今は言ったこと、リクエストはメモに書いておくほど余裕があります。

日本を出て何が変わったかというと、ふたたび子ども達と向き合い始めたということでした。あのまま日本にいたら知らないうちに大きくなって家を出て行ってしまったであろう時間の流れが今、ここでちょっと足踏みをしているように思えます。

2001.11.2.

知れば知るほど知らないことがわかる他の国。アメリカに来てその連続です。もう驚きの連続。これほどまで日本と違うのだろうかと、もうたまげています。さて、今日驚いたことを記します。

皆さんは、女性の皆さんですよ、生理用ショーツというものを使っていらっしゃいますか?そう、あの防水加工がされている生理中にはく特別なショーツのことです。あれって世界中の女性が当然のように着用していると思っていませんか?だってあれはなかなかのすぐれもの。それがなんとアメリカ人に聞いて見たところ、sanitary shorts なんて聞いたことがないというのです。ええええ?!うそ〜〜!というのが日本の常識 = 海外の常識とこのことでは信じこんでいた私の反応でした。つまりアメリカ人は生理用ショーツなんてないというのです。(日本人の中にもはかない人はもちろんいますが。)そしてその日のためのまあ、汚れてもいいやと思うようなショーツを用意しているそうです。そして汚れたら洗うとのことです。あまり汚くなったらぽいということなのでしょう。どうしてアメリカでは生理用ショーツが広まらなかったのだろうかと考えてみました。そしてその答えは多くのアメリカ人は若い時からタンポンを使っていること、そして夜用はナプキンもとてもうしろまで長いものを使っていること。そして今はショーツにペタッと固定されるので、あまり汚れることがないとの答えでした。さらに、ショーツは安い。そのため、何度か洗ったあと、また汚れたら捨てるということにもあまり抵抗がないとのこと。多少汚れていてもあまり気にしないような。(見せるものじゃないでしょ?とのこと)それからパッド(pad)と呼ばれるナプキン(sanitary napkin)も安いので、トイレのたびにひんぱんに替えても罪悪感があまりありません。海外で出産された方に質問することの中で日本から取り寄せたマタニティー用品を聞きます。その中で案外多いのが産褥用ショーツなのです。これは生理用ショーツよりさらに工夫されていて、股のところがマジックテープで開くすぐれものです。しかし海外ではそのようなものはほとんど見当たりません。それではどうしているのかというと、T-字帯でふんどしのように大きなおむつのようなパッドを当てておくか(アジアに多い)、普通のショーツに悪露用のパッドを当てる(ヨーロッパ)、さらに使い捨てパンツを着用するという手段をとっています。日本は本当に細かくそれぞれのニーズにあったものを開発してきました。しかしこれはお国柄なんですね。だから海外でもそのようなものが当然あると思ったら大間違いなんです。

2001.11.9.

ある父親が7才の息子を連れて初めて山に登りました。険しい山道にさしかかったあたりで、男の子は転びました。「あああああん」、そうしたら、「あああああん」と声が戻りました。そうです。やまびこが男の子の声を返したのでした。男の子はやまびこのことを知らず、「だれだ〜〜!」といったら、「だれだ〜〜!」と同じように声が返ってきてびっくり。さらに返事がないのにいらだち、「おくびょうもの!」と言ったら、またやまびこは「おくびょうもの!」といって返しました。男の子は不思議そうにお父さんのほうに向き、「これ、な〜に?」と聞きました。お父さんは、ちょっと間をおいて、「やっちゃん、よく耳をすまして聞いててごらん。」と言って、「やっちゃんはえらいぞ。」と山に向って息子のことを誉めました。するとやまびこが「やっちゃんはえらいぞ。」と返し、また「やっちゃんはがんばりやだ。」と言ったらまた同じように声が返って来ました。

そしてそのあとお父さんは、「やっちゃん、あのね、これはやまびこっていうんだよ。けど人生そのものもやまびこのようなもんなのさ。だってね、君がすること、いうことすべてが君に戻ってくるからだよ。つまり人生とは自分達の行ないをそのまま写し出しているようなもんなんだ。もしこの地球を愛でいっぱいにしたかったら、やっちゃんの心の中に愛を育てるんだよ。戦争のない平和な地球がほしかったら、心の中をいつも平和に保つんだよ。サッカーのチームに自信をつけたかったら、やっちゃんの中にその自信を育てなくちゃならないんだよ。」

これは送られてきたストーリーでした。人生は私達が惜しみなく与えた分、必ず返ってくるのですよね。それよりも自分の生き様と言うものはすべて自分を現すものなのでしょう。それは個々にユニークであっていい。私は私なりに。そしてその人の人生を見るとその人の心が見えてくるものなのでしょう。なんか当たり前のことだけれども改めて考えてみました。自分はどんな心を養いたいだろう?考えてみてください。

2001.11.16.

先日、私はここからわずか15分ほどのところにある日本の幼稚園、こどものくに幼稚園を訪問した。ここウェストチェスター郡に来て、お産のための施設訪問と幼稚園訪問は最初の課題であった。そのため、さっそく園長先生にお話を伺いに行った。

ちょうど20年前には小さな子どもはすぐ現地に慣れるという神話が強く、日本人の子ども達の為の幼稚園などは考えにおよばなかった。しかし時代は変わった。日本の経済の発展と共に海外へ行く幼児も増え、さらに少子化に伴い、親が代わり子育ても変わり、子どもも変わってきた。アメリカで現地の幼稚園に入れないなんてもったいないじゃない。という意見もだんだん影をひそめ始めた。海外に行っても日本の教育をという声が高まってきたのだ。それは日本の受験を念頭に入れているからか、あるいは母語の確立は5才までという信念からか、日本の教育がアメリカより優れているという点からか、この時期に親の都合で子どもに負担をかけたくないなどそれはさまざまな理由からだが、そのような価値観も尊重すべきだということだ。

幼児の時期は毎日が楽しく、 「ああ、あしたも幼稚園に行きた〜〜い」 、と思えることが一番大切だと早津園長は強調していた。つまり言語はその次であるということだ。

我が家ではアメリカの教育を選んだ。子ども達を苛酷な現地校へ入れた。子ども達は言いたいことも思う存分伝えられず、フラストレーションを感じ、書けないことでアホかと誤解され、言われた宿題がわからず提出せずに点数を引かれ、それに対しても弁護もできず、膨大な高度なテキストを渡され限られた時間ですべてを読めと言い渡され深夜まで辞書を引く、テストを渡されても質問が読めず白紙で提出、日本であれほどよい成績を取っていた子どもが点数すらつけてもらえない、日本に帰りたいと何度もこぼしている。

しかし我々は日本人学校もあるのを知っていてあえて苦労を選んだ。それは多様な教育に子ども達を触れさせたいという気持ちと日本語がすでに確立したこの時期に英語を導入することが適当だと思われること、世界をリードしていると思っているアメリカ人と肌で触れてほしかったこと、そしてなによりもこの苦労があとになって実を結ぶと信じているからだ。先が見えない子どもにこれを伝えるのは至難の技。親のエゴ?いいえ、どのような苦難にも耐えられる子どもに育ててきた自信からかもしれない。この道を選んだ親として子どもが苦しむ姿を見るに耐えないことがある。よほどの信念が無い限り他の人には勧められない。

日本人学校は世界中にある。それでもまだ足りない。アメリカンスクールは世界どこへいってもたいていある。これは何よりも自国の教育を最高と信じ、どこへいってもアメリカ人を育てるのだと言う強い愛国心、そして経済力である。教育は人間のアイデンティティーを築くのである。アメリカ人は現地校に行った帰国子女のようなマルチカルチュアルな人間よりもアメリカ人を育てることに力を注いだ。子ども達が親のグローバルな職場の移動によって負担を感ぜずに母国に戻れるための配慮なのだ。やはり大国ならではなのかもしれない。

2001.11.23.

バイリンガルについて語る時、私は大変慎重に話すようにしている。それは個々によってあまりにもケースが異なり、これといった断定はできないからだ。いや、断定は危険であるからだ。親は子どもを海外へ連れて行った時、幼稚園を選ぶような時にとかくことばに目が行きがちである。ほとんどことばによって現地校にするか日本人学校にするかを決めるような場合もある。しかしそのような基準だけで子どもの学校を決めるのは適当だろうか?

とにかく親はとても欲が多い。非英語圏となると英語も現地のことばも、日本語もと欲張る。欲張るということばが妥当ではないかもしれない。それはもうそのことば自体ネガティブな響きがあるからだ。しかしこの欲は親としてはどうしてもついてつきまとうものだと思う。つまり親はすべてを子どもに与えたいのだ。すべての機会を与えることが親として一番の義務だとさえ思ってしまう。

子ども達はどうなのだろうか?そのようにいろいろなものを積めこまれ(これもネガティブですね。)苦しいともがきながらも、親は引き続きそれをよしとし、励まし続ける。当然それに耐えられるだけの力が子どもにあるのならそれでよい。しかし子どもの中には「もうやめて、助けてママ」と訴えつづけるものもいる。助けてもらえる筈の一番身近な存在が一番自分より遠いところにいることがいかに子どもにとってつらいことか。救われずにきてしまう子どももおおぜいいる。

「ママはね、あかねがブリティッシュスクールに楽しく行っていたってみんなに行ってるけどね、あかねはね、あのブリティッシュスクールがすごくいやだったんだよ。」と4年たって聞かされたOさん。

「ママはね、日本人のお友達とばかりつきあっちゃいけないっていうけどね。ゆうたはね、今、英語話せないんだよ。どうやってアメリカ人のお友達とあそべるの?日本人のお友達はみんな親切だよ。」と現地溶けこみ型のBさんの子ども。

子どもにとって、ことばは確かに大きな壁です。そのようなことばの壁に一日8時間近く浸かっていて、それがつらいのであれば、同じことばが通じるものといっしょに語り、つらい境遇を共有し、励ましあい、笑い、泣き、そういったことが逆にことばのチャレンジにつながる原動力となるのではないでしょうか。だから子ども達にとってことばよりも日々成長して行く中で何よりも幼稚園が楽しく、いっしょに笑える友達がいて、自分の意思が理解してくれる友がいて、友達とたわむれることが楽しく、あしたも幼稚園に行きたいよ、と思える気持ちがことば以上に大切なのではないかと感じている今日この頃です。

2001.11.30.

先日、マンハッタンで生まれた赤ちゃんを見に行った。新生児訪問かな?あのなんともいえない生後1週間のふにゃふにゃの赤ちゃんがたまらなく大好きだ。おっぱいを一生懸命飲んで、汗びっしょり。そうそう、赤ちゃんは暑いんじゃなくて汗をかくのは母乳を飲むときはものすごいエネルギーを必要としているからっていうことを伝えるのを忘れたな。けれどもお部屋は快適にしてあって、少々汗ばむくらいの暑さではあったが。戸惑いばかりのママ、何もかも初めてで、これが普通なのかどうなのか、まったくわからないけれども、こうなのかな?ああなのかな?と思いをめぐらしながら赤ちゃんと向き合うMさん。

そんな誕生とともに私はどういうわけか長い長い付き合いである同じマンハッタンに住むジャコビーおばさんを思い出した。ジャコビーおばさんは私の父がマンハッタンに仕事で来たときに家族が来るまで一時的に下宿していた先の大家さんだったのだ。かれこれ37年ほど前からの付き合いだ。今、彼女は102歳になったという。もう高齢だからこの電話番号にかけてもきっといないだろうなとためらいつつも勇気を出して母からもらっていた、「絶対に電話しなさい。」という電話番号にかけてみた。そうしたら、なんと彼女が出たのだ。ええ?まだ生きていたんだ!私は感無量だった。さっそく会うことを約束した。彼女は私が子どもを産んだときにこんなことばを送ってくれた人だ。「私は大学の学位をもらったときよりも結婚したときの感動よりも自分の息子が生まれたときの感動のほうが何よりも印象深い。」と。彼女は子どもを持つことのすばらしさは人生の何よりも増して尊いことを伝えたかったのだ。

12月3日の月曜日に13年ぶりに再会する。ものすごく頭の切れる、賢い老婦人である。彼女はユダヤ人として迫害を受けてドイツからアメリカへ亡命した。歴史を生きている貴重な存在なのだ。今はもう目が見えないというが、話はできる。そして私はしっかりと彼女の手を握って話しを聞きたい。きっと母に会うような気持ちになるだろう。

2001.12.07.

人生の中で最高に幸せと感じる瞬間は一生のうちにどれだけあるだろうか?幸せの定義は人それぞれだ。そのため、どんな幸せであろうが幸せを心から感じる瞬間である。

皆さんも思い返してみてください。本当に、ああ幸せと思った瞬間はどんなときでしたか?恋人に会えたとき?結婚したとき?赤ちゃんをじっと見つめていたとき?

私たちの喜びはいったいどこから来るでしょうか?自分の欲求が満たされたとき?それとも愛する人が何かを達成できたとき?

私は今日、やっと先週の自分の疑問に答えを見出しました。先週の疑問は私はなぜ赤ちゃん、経済的に貧しい人、苦しみを負っている人、高齢の人にものすごく惹かれるか?ということでした。それは彼らが皆、神様に一番近いところにいるからだということがわかったのです。赤ちゃんは神様に一番近いところからこの地球に送られてきました。高齢の人はこれから神様に会いに行く人たちです。そして苦しみを負っている人、経済的に貧しい人たちは常に神様に祈すがりすべてをゆだね、祈り、神様を身近に感じている人たちです。

私はソーシャルワーカーとしてこれらの人たちと常にかかわってきました。なぜか彼らに常に惹かれていました。それは彼らから人生にとって一番大切な幸せということを教えてくれていたからです。

2001.12.14.

この世の中で一番貴重なものは一番お金がかからないものだと思います。人を愛すこと、話を聞いてあげること、暖かい一言を送ること、自分の時間を相手にあげること。そして新しい命を生み出すこと。本当に身近なところに幸せはころがっているはずなのに私たちはそれを見ようとする目を持たないでいるのかもしれません。

日本の少子化問題は深刻だと思います。ニューヨークに来て一番驚いたことはこの近辺の人たちは3人くらい子どもを産むのが当たり前という姿勢でいることでした。先日も学校での集まりで子どもたちの数があがりましたが、なんと20人中一人っ子を持った親が一人としていなかったことでした。それに対して3人の子どもがいる人たちが大多数だったのです。本当に驚きました。働いている母親も含めて3人の子ども!しかも貧しい家庭では5,6人が当たり前とのことです。3人目以降学費が免れるというような私立校も存在するようですが、そればかりではないようです。

やはり食費がここは安いということ。さらに教育費があまりかからないということが影響していると思います。大学もなんとか奨学金が得られるとなれば、宝である子どもはなるべく多く持ったほうがよいと考えるのでしょう。その点、日本は子どもを育てるのにお金もかかるし、環境も子育てに適してないということは国の将来をもう少し考えなくてはいけない時期に来ているのでしょう。

2001.12.21.

今日のひとことではもちろん海外出産、子育てに関することを書いていこうと思っている。しかし時には心が叫ぶものを書きたい。そしてニューヨークのことをあまり書くと、アメリカはいいってばかり聞こえるという批判もあった。しかしやっぱり私は自分の心が感じることを書いていこうと思う。だから今日はやっぱりニューヨークのことだが、是非聞いてもらいたい。

9月11日以来、ニューヨークは大きく変貌した。今もその爪跡がひどく残っている。貿易センタービルの跡地だけではない。石を投じた池のようにその波紋はすごい。マンハッタンのある高校が今回の事件で建物がなくなった。子どもたちはミッドマンハッタンのある高校を間借りしている。そのため、1時から6時までの授業しか受けられない。しかも大学の進学指導をする先生もカットされ140人の生徒はガイダンスも受けられずにいた。そこでなんとか郊外の高校のガイダンスカウンセラーが派遣された。学校は電話線が2つしかなく、カウンセラーは自らの携帯電話を持ち出し、ノートパソコンを持ってありとあらゆる資料をかかえて、水曜日に出張している。

しかしそこに間借りしている高校生は皆、移民としての一世がほとんどで彼らは多くのものを奪われた中で与えられるすべてを無駄にしない。これらのカウンセラーを心から迎え、真剣に大学へ進むための準備に取り組んでいる。人はものが豊富にあるときはそのありがたみがわからない。しかし失ってみて初めてもののありがたさに気づく。家族を失い、愛する人を失い、家を失い、職を失い、平和を失い、収入を失い、何もかも失った中、命だけがある。命さえあればと思い、気持ちを高めようとしてもやはり失った重みはまだまだ抱えきれないほどなのだ。それでも移民としてアメリカへ来た若い世代は希望を持っている。いつかこのマンハッタンで働く夢をかかげて。

2001.12.24.

ケア・ワールドにお越しいただいている皆様へ。幼稚園もお休みに入り子ども達にとってはちょっとした休みですが、ママ達はちょっと大変かな?今日はソーシャルワーカーという仕事についてお話してみたいと思います。おそらく皆さんはあまりソーシャルワーカーと触れるチャンスが今までになかったと思います。それは一般的にソーシャルワーカーは社会の底辺にいる人たちのために仕事をしていると思われているからです。しかしそれはちょっと違います。

ソーシャルワーカーはいろいろな分野で仕事をしています。子ども、家族、女性、ティーネージャー、障害者、アルコール依存患者、エイズ患者、病人、高齢者、移民、心のケアを必要とする人などとても幅広い方々を対象とします。ソーシャルワーカーの仕事をする人は根っからの世話好きな人でないとできないと思います。これはとても特別な人格と性格を持ち備えた人ということになります。95時の仕事のように割り切れる仕事形態ではありません。ルーチーンをこなす仕事でもありません。常に自分の気持ちの状態と向き合う仕事でもあります。自分の気持ちの状態がわからずして相手の気持ちに触れることができないからです。常に自分の精神状況を把握し、さらに精神的に健康を維持していないと心傷ついた人たちの気持ちの中に入っていっしょにその痛みを共有することなどできないからです。

問題はケースバイケースで、ひとつとして同じものはありません。まず問題は何なのか、さらにその問題を分析し、個々のケースでどのように対応したらよいかを計画し、実行に移します。教科書で習ったことをそのままケースに当てはめることはたいていできません。そのため、経験の積み重ねと知識のすべてがその場で集約される仕事です。大学では実践がほとんどで、トレーニングの積み重ねがものをいう世界です。

具体的には、NYのテロ事件で戦った消防士や警察官のショックを受けた心のケア。家庭内暴力で駆け込み寺へ逃げてきた女性の保護と心のケア、子どもをどうしたらよいか、泊まる所のアレンジ。足を失って会社に復帰する人の家庭での介護と職場での受け入れ。

報酬はなんですか?と彼らに聞いたら、きっと皆さんの「ありがとう」のひとことだと言うと思います。 ▲ トップへ

 

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