背の順、廃止に向けて
ノーラ・コーリ
日本経済新聞 1998.3.18.「ひとこと言わせて」 に掲載
日本では背の順に並ぶという制度が小学校、中学校を通してある。いや、場合によっては高校まであるのではないだろうか。
私は小さいときも今も背は低いほうである。そして私の遺伝子を受け継いだ娘(8才)もまたオチビサンである。新学期になってまた新たに背の順を計ったらまた一番前だったととてもいやがっていた。「やだ、背の順なんて。アリちゃんいつも一番前なんだもん。」と。
以前は「一番前の方がよく見えるし、なんでも最初にやれるということは勇気が育つことよ」、などと励ましていたが、本人はそんなことよりもっと屈辱感の方が強いようだ。 自分自身のことをふりかえってみても一番前に立たされることでよかったことなどほとんどなかった。せいぜい何が朝礼で起きているかがよく見えることくらいだっただろうか。マイナスの方は、先生からはいつも見られているようで緊張感が解けなかった。一組となるとまず自分が先頭を切って最初に出ていくのでみんなの注目の的である。常に自分が小さいことを公表しているようでもあった。周りでも「大きいわね。後から何番目?」などと背の高さの重要性を強調する傾向がある。つまり大きいことに価値が置かれている世の中だ。
特に小学校の世界では背が大きかったり、強かったり、運動能力があることで人気が高まり、周りから評価される世界なのだ。しかし実際大人になって社会に出てみれば背が低いことなど人格形成や成す仕事に対してなんら影響を及ぼすことはない。たとえ不便と感じることはあってもそれに決して心が傷つくことはない。
そのような小学校の世界で背の順はあえて弱者を強調しているようなものだ。「おまえはちびだ。」「ちびは普通じゃないんだ」と、これほど毎日ように自分が小さいことを骨の髄までたたきこまれたことは一生心の傷となる。もし背の順制度の中で育っていなかったらどれほど私はもっと自信に満ちた人生を送っていたことだろう。
そりゃ、人並みに大きくなりたい。普通になりたい。けれどどのように努力しても変えられないような身体的な違いに対して人間は差別してはいけないと私は信じている。変えられないことは口に出してもいけないし、ましてや行動で示し、公に公表することはもっと許されないことなのだ。肌が黒い順に並べさせる、頭が薄い順に並べさせる、太っている順に並べさせる、どれをとっても屈辱感を人に与え、心を傷つける。背の順も同じなのだ。なんの疑問もなく合理的だから、まとめやすいからと軍隊の影響の濃い日本人が勝手に長年行なっていることがどんなに多くのこどもたちの心を傷つけてきたか。
人権、人権と叫ばれているが、本当の人権とは一人一人の違いを認め、受け入れていく教育をすることだ。差別を強調することではない。こども達の人権を尊重するのならば、まず公立小学校、中学校においてこどもたちの心のケアを一番大切にすることを根底に教育というものを考えてほしい。教育とはこども達一人一人が安心した環境で、教師を信頼する関係ができてはじめて成り立つものだと私は思う。
身体的な差別を強調する教育がなくなればこども達の心には余裕が生まれ、優しさが生まれ、しいては今、問題となっているいじめの問題の大半は解決されるのではないだろうか。背の順に並べるのは小さい子が後では見えない配慮からだといってももし背の順を強制しなければこども達は自然と思いやりから小さいこどもはよく見えるように前の方に自分の場所をゆずるだろう。これこそ真の教育ではないか。
ちなみに海外には背の順があるのだろうか。私は海外のあらゆる教育施設の研究をし、実際自分でもかかわってきたが、後進国の中でも軍隊思想の強い国(中国、韓国)ではまだまだ軍隊式の整列、あるいは背の順制度が用いられていたが、先進国においては違った。
アメリカの軍隊ですら整列はあっても強制的に並ばせる背の順はみられなかった。アメリカ軍は横並びにせいぜい2、3列であった。自然と小さいものは前の列を選んでいた。強制ではなかった。アメリカの小学校ではまず朝礼とか朝の集会がなかった。あったとしても講堂に集まればそれぞれの児童は椅子にすわったり、体育館であればベンチ状の観覧席にすわった。まず人の話を聞く間、立っているということがなく、しかも人数が一クラスせいぜい20人程度なので移動をするときも混乱は起きない。カナダの高校では集会は一つの部屋に60人ほどが集まったが、皆、床や机に坐っていたり、壁によりかかっていたり、思いの場所で思いの格好で話を聞いていた。集会もめったになく何か報告があるときは伝言ボードを見ることになっていたし、プリントも渡されたし、緊急の場合のみ各教室にスピーカーから先生の声が流れていた。
日本も心のケアをもう少し考慮する先進国並みの教育に追い付いてほしいと思う。まずは一クラスを小人数制度に変えることから始まてほしい。まあ、そう簡単に表面のみを変えるのはむずかしいであろう。しかし今日も泣いているこどもがいることを私は無視できない。背の順という差別教育は今すぐに廃止してほしい。先生方に少しでも理解してもらえたらと思う。
